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QBスニーク

◆慢性GVHDとの闘い◆・・・NEW!!

 退院後326日目(移植後446日目).退院後16回目の外来診察.採血の結果に異常は認められなかった.マルクは診察後に実施した.予想通り痛かった.今回から“こむら返り”対策として,筋肉を和らげる薬(ミオナール錠50mg)を処方してもらった(毎食後1錠).

 前回の外来診察からの4週間も慌しく過ぎて行った.ヘルペスの痕からばい菌が入り,“トビヒ”になってしまったため,また病院通いをした.白血病解析プロジェクトに本格的に参加し,チーム“HUTINKUUBO@34E”を結成した.楽天広場で自身2つめのHP“QBスニーク”をオープンした.瞬く間に38回目の誕生日が過ぎていった.子供たちの“ハッピーバースデー”の歌声に感激した.本格的に在宅での仕事を開始した.PCを使用する時間が増えた所為か,ドライアイと目脂がひどく,ディスプレイが良く見えないことも度々起きた.関節の痛みもかなり気になり始めていた.“こむら返り”で目覚めることが多くなった.週2日程度の出勤が軌道に乗り始めたが,疲労が抜けにくく,転寝をすることが多くなった.

 退院後354日目(移植後474日目).退院後17回目の外来診察.前回実施したマルクの検査結果に異常は認められなかった.今回の末梢血採血の結果も,白血球数が若干高いレベルにあることを除けば異常はなかった.白血球数について主治医は特に気に掛けていないようであった.筋肉の硬化や関節の痛みに関しては,急に改善することは無いであろうとのことであった.残念なことではあるが,日常生活に支障をきたさない程度で留まってくれていることに感謝した.

 前回の外来診察からの4週間の間には,楽しみにしていたFIFAワールドカップの日本×ロシア戦の観戦があった.結果は日本がワールドカップ初勝利を挙げるというものであった.たくさんの感動の代償として,それまで経験したことのない“こむら返り”を味わった.週2日の出勤と在宅での仕事のペースが安定してきていた.

 退院後365日目(移植後485日目).無事退院一周年を迎えることができた.あくまで一時退院という条件付で退院したことを思うと,奇跡的なことであると感じた.再発に備えて準備していたドナーリンパ球輸注のオーダーも何時しか取り消されていた.その間,不安はなかったわけではないはずであるが,超プラス思考が功を奏したのかあまり不安に苛まれた記憶は残っていなかった.とにかく,一日一日生きていることに感謝していれば,何も不安なことはなかった.

 退院後382日目(移植後502日目).退院後18回目の外来診察.検査結果に異常は認められなかった.白血球数も若干減っており,正常値の上限値にほぼ近い値を示していた.

 前回の外来診察からの4週間の間には,大学のアメリカンフットボール部の同期会があった.偶然であるが,ちょうど退院一周年の日に開催され,とても印象的なイベントであった.参加したメンバーは,入院中にも何度も忙しい中顔を出してくれた無くてはならない親友たちであった.久しぶりにフットボールでキャッチボールをした.筋力の衰えを感じつつも,再びキャッチボールができる身体になったことを感謝した.浜名湖でのクルージングは一生忘れられない思い出になりそうな予感がした.週2回の出勤はすっかり身につき,在宅での仕事も最低4時間程度は集中できるようになった.多い日には8時間程度机に座りっぱなしのこともあり,そろそろ昔の勘が戻ってきたことを感じた.
[2002.08.24更新]

 退院後410日目(移植後530日目).退院後19回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかったが,白血球数は正常値の上限値を上回っていた.総蛋白値が高値を示している原因は免疫グロブリンが高値を示していることであるとのことであった.見かけは大分元気になったように見えるが,体内の細胞レベルではまだまだ激しい戦いが繰り広げられていることを再認識させられた.自分の身体ながら,健気に良くがんばっていると感心した.

 前回の外来診察からの4週間には,在宅での仕事も大分板につき一日平均6時間程度の仕事をこなせるようになっていた.そして,1年振りの故郷への帰省を敢行した.家族4人で帰省するのは,発病直前のお盆以来のことであるから,2年振りであった.往きも帰りも指定席を取らずに新幹線を使って帰省した.在来線を入れると,片道8時間強費やす強行軍であった.小学校に上がったばかりの子供たちも予想以上に聞き分けが良かった.3人掛けのシートに家族4人で掛けて新幹線に乗っている自分が幸せ者だと感じた.
 故郷は長雨が続いていたが,何よりも元気で再び故郷の地を踏めたことを感謝した.墓参りでご先祖様への報告も済ませた.「いつまでも見守っていてください」とお祈りした.卒業20周年記念の高校の同窓会にも出席した.白血病に罹り,骨髄移植したことをしらない仲間も多く,真実を話すと驚いた表情を浮かべつつ,「元気で良かった」と思いやりのある言葉を掛けてくれた.あっという間に故郷での10日足らずが過ぎて行った.近いうちにまた帰って来たいと感じた.
[2002.08.30更新]

 退院後438日目(移植後558日目).退院後20回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかったが,相変わらず白血球数は正常値の上限値を上回っていた.最近では最も高い値(11600)だったので,気持ち悪かった.総蛋白値も相変わらず高値を示していたが,前回よりは低い値であった.何が起きても良いように,毎日一生懸命生きなければと再認識した.

 前回の外来診察からの4週間は,前半は,社内の論文集に投稿する原稿の締めがあったり,2回目の陶芸(多治見)に行ったり,子供たちの7回目の誕生日を祝ったりと忙しく充実した日々を過ごした.後半は,会社の飲み会が重なり,少しはしゃぎすぎた所為か,睡眠過多の傾向になり,仕事に十分な時間を割けない状態が続いた.平均すると3~4時間の仕事量に落ち着いてしまった.その間にライフワーク的な大きな目標(学位論文の作成)を設定できたことは有意義であった.ハードルは高いがベストを尽くせば何とかなるだろうと感じた.
[2002.09.25更新]

 退院後466日目(移植後586日目).退院後21回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.最近気に掛かっていた白血球数も上限値をわずかに上回る程度(9400)に収まっていたので,正直ホッとした.主治医に「○○さんは本当に丈夫なんですね」と感心されたのには,ちょっと驚いたが気分は悪くなかった.“あくまでも仮退院”という名目で退院して,1年と3ヵ月余りが過ぎたが,免疫不全を原因とする疾患に罹っていないことが不思議なのであろう.自分でも奇跡的なくらい順調に回復しているのだと実感している.細かいことを言えば,眼が見えにくいとか,足の関節が硬くなって痛いだとかきりがないが,今こうして生きていられることが何よりの幸せである.

 前回の外来診察からの4週間は,仕事面では〆切のある仕事2件が頭から離れず,少なからずストレスを感じる毎日であった.特に,その仕事の仕上がり具合について上司とディスカッションするエネルギーは多大であり,少なからず疲労を感じた.その反動ではないが,高校のOB会(名古屋支部)に参加し,思いっきり羽を伸ばさせてもらった.純粋なビジネスでの復帰後初出張も経験し,大学・大学院での恩師と打合せを持つ機会が得られたことは,嬉しい出来事であった.

 学位論文の作成にもわずかながら着手した.タイムリミットが1年と少ししかないので,早めに片付けたいのだが,日常業務の傍らで作業を進める難しさを感じる.通常,学位論文というのは十分な研究成果を持った上で,満を持して作成するものであるが,私の場合は,自分でも十分と胸を張るほどの研究成果があるとはいえないにもかかわらず,「可能性があるならできるだけ早く学位を取りたい」という衝動に駆られてのものなので,動機は不純だと言われるかもしれない.しかし,相談した某大学の教授は,「業績は十分だと思うので,一度まとめてください」と言って下さったので,ベストを尽くすのみである.
[2002.10.23更新]


 退院後522日目(移植後642日目).退院後22回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.最近気に掛かっていた白血球数はまた10000の大台を突破していたが,安定しているので心配ないとのことであった.CRPも0.3と正常値の上限であったが,問題ないとのことであった.最近ハードスケジュールだったのでもっと異常が出るのではないかと予想していたので,とりあえず安堵した.それに加えて嬉しい結果があった.ヘモグロビン濃度が発病後初めて正常値に入ったのである.血小板数はかなり早い時期から正常値に入っていたが,ヘモグロビン濃度はなかなか増加しなかったので,非常に嬉しい出来事であった.

 前回の外来診察からの8週間は,仕事面では情報収集のためのセミナー,学術講演会,国際会議,国際シンポジウムなどへの参加が相次いだのに加えて,客先や社内での出張が重なって,健常人でもきついのではないかと思われるほどの殺人的スケジュールであった.出社日数も急激に増え,疲れが溜まることが多くなった.プライベートでも,子供たちの七五三のお祝い,闘病仲間との食事会・忘年会,大学のアメフット仲間との甲子園ボウル観戦など多忙を極めた.発病前の自分と違うところは,仕事がいくら忙しくてもプライベートな時間を大切にするという点であると感じた.

 学位論文の作成作業はほとんど手がつけられない状態になってしまった.お世話になっている教授に正式な研究業績リストを提出したことぐらいが成果といえば成果かもしれない.この正月休みを如何に有効に使うかがポイントになると考えている.
[2002.12.21更新]


 退院後579日目(移植後699日目).退院後23回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.白血球数は前回より300上回り,10700という値であったが,ここ10ヶ月近く安定して高値を示しているので心配ないとのことであった.前回やっと正常値範囲に入ったヘモグロビン濃度は0.1低下してまた正常値を下回ってしまった.筋肉痛は以前治まっていなかったが,筋肉を柔軟にする役目を持つミオナールの処方を中断してみることとした.WT1用の採血を実施した.次回の結果が楽しみである.

 前回の外来診察からの約8週間は,仕事面では午後からの出勤であるものの,毎日出勤することができるようになったことが大きな収穫であった.当然のように客先への出張が増え,社内での定例会議にも欠かさず出席するようになった.今年から業務成果の〆が年度末ではなく,年末になったため,さまざまな社内資料作成に割かれる時間も多かった.多忙なためか,全身に筋肉痛と関節痛が広がっている状態が続いている.また,ドライアイがひどくなり,左眼の視力低下が顕著となった.目薬の点し方を変えて若干具合が良くなってきたところである.プライベートでは,年末年始に風邪をおして妻の実家に里帰りした.しばらく風邪の症状には悩まされたが,何とか立ち直れて,安堵している.そうこうしているうちに正月休みは終わり,予定していた学位論文作成にはほとんど着手できなかった.これから挽回しなければ・・・.

最後まで入院生活が長引いていた闘病仲間の容態が悪化していることを知り,かなりショックを受けている.何とか回復してもらいたい.
[2003.2.15更新]


 退院後635日目(移植後755日目).退院後24回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.白血球数は前回よりさらに700上回り,11400という値であったが,ここ10ヶ月近く安定して高値を示しているので心配ないとのことであった.本人としてはちょっと気掛かりなデータである.徐々に社会復帰の度合いが大きくなり,ハードスケジュールをこなさなければならないことも増えてきているのが影響しているのかもしれない.赤血球数,ヘモグロビン濃度,ヘマトクリット,血小板数などは前回とほぼ同等値で安定している.筋肉痛と関節痛・硬化についてはステロイド投与により改善されることはわかっているが,再発を誘発する可能性があるので,極力避けることとした.客先との接待の席などで正座できないのは不便であるが,日常生活には大きな支障はないので何とかうまく付き合っていけそうである.痛みは慣れればそれほど気にならないものである.ドライアイによる眼の不具合の方が日常生活においては支障が大きい.調子の良い時と悪い時との差が大きいので,時折苛々してしまうが,その都度「生きているだけで幸せ」であることを思い出して,自分の気持ちをコントロールしている.WT1の検査結果も陰性とのことで一安心である.

 前回の外来診察からの約8週間は色々なことがあった.最後まで病気と闘っていた仲間が亡くなってしまったことは大きな悲しみであった.お別れをしてしばらくは彼の顔が頭に浮かんできて他のことが手につかない状況に陥った.彼と同年代で私の退院直後に逝ってしまったもう一人の仲間の顔と一緒に頭の中に浮かんで来ては何かを言おうとしているような表情をするのである.改めて彼らの分まで充実した人生を送らなければと感じている.移植後2年を経過したのもちょうどその時期であった.仕事に割かれる時間が徐々に増えたこともあって,妻に言われるまで移植記念日を忘れていた.結婚記念日も妻に言われるまで忘れていた.無意識のうちに昔の猛烈仕事人間に戻りつつある自分に気付いた.以前から取り組み始めていた学位論文の作成も,お世話になっている教授から「実績は十分だから,夏ごろまでに論文原稿を書いて見てください」と言われ,いよいよ本腰を入れ始めた.結果を恐れずにできる限りのことをしたいと考えている.
[2003.4.12更新]


 退院後691日目(移植後811日目).退院後25回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.白血球数は11500で前回より100上回ったものの,急激な変化は認められないので心配ないとのことであった.ヘモグロビンや血小板はすっかり標準値範囲内に入っていて安心できた.筋肉痛や関節痛・硬化については前回よりも改善されているように感じられた.適度な運動が効果を及ぼしたものと考えられる.ドライアイによる眼の不具合は依然として改善の様子が見られない.今のところ唯一の気掛かりなポイントである.

 前回の外来診察からの約8週間はこれまでにも増して色々なことがあり,あっという間に過ぎていってしまった.会社への出勤も4月からはほぼ毎日になり,ほとんど午前中から出勤するように心掛けた.会社の社員食堂での食事にも大分なじんだ.その分からだの疲労はたまりやすく抜けにくい状況が続いていた.週末は休養に割かれることが多くなった.その分,夏までに仕上げなければならない学位論文の進み具合が鈍ってしまうのではないかと強迫観念を抱きつつ,何とか時間を有効利用して,論文の方もほぼ順調に書き進むことができた.今年のゴールデンウィークはどこにも出かけずマイペースに過すことができた.自分以外の家族は東京ディズニーランドへ小旅行に出かけて楽しんできたようだ.○十○回目の誕生日を無事迎えることができたことに感謝したい.
[2003.6.8更新]


 退院後747日目(移植後867日目).退院後26回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.白血球数は9800で前回より1700下回り,このところ続いていた高目安定の傾向が一段落した.ヘモグロビンや血小板は前回同様安定して標準値範囲内に入っていた.筋肉痛や関節痛・硬化も今となっては慣れてしまって特に気になることはなくなっている.問題はドライアイの悪化である.血液内科の診察の前に眼科を受診したが,かなり悪化しているようで,涙を排出する穴にプラグを入れることを薦められた.すぐにでもできるとのことであったが,4週間ほど目薬を変えて様子をみることとした.目薬は市販のソフトサンティアと病院から出されるヒアレインを組み合わせて使用してみることとした.市販のソフトサンティアは防腐剤を含まない唯一の目薬だそうである.防腐剤は目脂を増やす要因の一つだそうである.

 前回の外来診察からの約8週間もあっという間に経ってしまった.公私共に充実していると言うか,とにかく忙しい日々であった.会社の仕事では突然新たなテーマが増え,個人的には学位論文の初稿が仕上げの段階に入ったため,ウィークデーもウィークエンドもとにかくデスクワークが途切れることがなかった.7月初旬に学位論文の初稿を提出してからは,ほぼ一ヶ月近く敢えて自宅でのデスクワークを極力抑制した.気の緩みも手伝ってなかなか疲労が抜けない状態が続いた.梅雨明け以降は,心身ともにリフレッシュできた所為か,以前のようにデスクワークの時間が自然に増加してきた.9月中旬には学位論文の事前審査会があるため,プレゼンテーションの準備に入った.また,8月下旬から9月上旬には学協会の講演論文の〆切もあり,なかなか息の抜けない夏休みになりそうだ.
[2003.8.3更新]


 退院後803日目(移植後987日目).退院後27回目の外来診察.検査結果に特に異常は認められなかった.白血球数は11200で前回より1400上回り,依然として高目安定の状態が続いている.ヘモグロビンや血小板は前回同様安定して標準値範囲内に入っていた.現状において気になるのは,筋肉痛や関節痛・硬化よりも眼の具合であるが,前回眼科で処方されたヒアレインが効果を発揮しているようで,最悪の状態からは脱した感がある.

 前回の外来診察からの約8週間は発病前も含めて経験したことがないほどの多忙さであった.会社の仕事と学位論文の関係で九州に3度も出張した.かなり疲れも溜まったが,充実感で何とか無事スケジュールをこなせたのかもしれない.学会発表の講演論文の作成,学位論文の事前調査会を無難に切り抜け,残すは10月下旬の公聴会である.何事もなく終えられることを念じている.
[2003.10.8更新]


 退院後866日目(移植後1050日目).退院後28回目の外来診察.咳と痰が長く続いていたので嫌な予感を持ちながら診察に赴いたが,検査結果に特に異常は認められなかった.担当医に状況を話したが,特に移植に関係した感染症ではないであろうとのことであった.白血球数は10300で前回より900下回り,一安心といった感じであった.ヘモグロビンや血小板も順調な増加を示していた.体中が痙攣しやすくなっていることを話したが,日常生活に支障を来たさない範囲であるうちは様子を診ようと言うことになった.眼の方は目薬を点け忘れるくらいなので良くなっているのではないかと話しておいた.次回から12週おきの外来診察となり,診察日も月曜日に変更になる.いよいよ診察日を忘れてしまいそうである.

 前回の外来診察からの約8週間はその前8週間よりも更に多忙を極めた.出張は無制限に増えてきたし,学位論文の公聴会をはじめ,各種学協会の講演会が重なり,眩暈を起こしそうな忙しさであった.休めるときには休む姿勢で今後ものりきっていきたい.
[2003.12.1更新]


 退院後948日目(移植後1132日目).退院後29回目の外来診察.今回から12週置きの外来診察となったが,年明け早々の風邪によるダウンや相変わらずしつこかった咳と痰が気掛かりで少し嫌な予感を持ちながら診察に赴いた.ただし,新年を契機に完全に正常勤務に戻って発病前と変わらないほどの多忙な日程を何とかこなしていたこともあり,心のどこかでは「検査結果に異常が出るはずが無い」という確信めいたものを持っていた.案の定,検査結果に特に異常は認められなかった.来月15日で移植後3年を経過することもあり,次回はCT検査を実施するとのことであった.白血球数は11100で前回より800上回ったものの,ヘモグロビンや血小板は正常値を示していた.昨年末に博士号を取得した証として,主治医に“工学博士”入り名刺を無理やり渡してきた.

 前回の外来診察からの約12週間は加速度的に多忙なスケジュールとなった.12月下旬には教授会で学位授与が決定し,冬休みは故郷に里帰りし,戻ってからすぐに出張やら,沖縄への家族旅行,学位授与式などで目も廻るほどの忙しさであった.この勢いで行くと,まだまだ多忙な状況は続きそうである.調子に乗って体を壊すことの無いように細心の注意を払いたい.

[2004.2.22更新]


 退院後1032日目(移植後1216日目).退院後30回目の外来診察.前日まで故郷に帰省して長旅をしていたので,その影響が検査結果に現れるのではないかと心配していたが,CTには特に異常は認められず,血液検査も白血球数が12700で前回より1600上回ったものの,ヘモグロビンや血小板は正常値を示していた.白血球数が若干増えているのはCRPが0.3とやや高い値を示していたことと因果関係があるのではないかと勝手に推測している.自分の闘病データをまとめてみたいという欲求が出てきたので,主治医にカルテの公開方法を聴いてみた.どのレベルまで公開してくれるのか楽しみである.

 前回の外来診察からの約12週間は前にも増して加速度的に多忙なスケジュールとなった.年度末の業務成果のまとめや研究テーマ策定の傍ら,客先出向が週に1回以上のペースで続いている.4月から3年遅れで参事に昇格した.ますます部下のマネージメントに力を入れなければならない立場になったことを自覚した.この連休は,親孝行のために単身帰省し,親戚を集めて学位取得記念パーティーを開き,久々に親戚一同が顔を合わせる機会が持てたことは有意義であった.

[2004.5.11更新]


 退院後1117日目(移植後1301日目).退院後31回目の外来診察.ここのところのハードスケジュールの影響が検査結果に出ないかと心配していたが,肝機能低下以外は予想以上に良い結果で,白血球数が8300で前回より4400も下回り,久し振りに正常値を示していた.少し気掛かりなのはCRPが以前0.2程度の値を示していることである.最近,虫刺されが異常に腫れることもあり,免疫力の低下が懸念される.
 
 前回の外来診察からの約12週間は相変わらず多忙なスケジュールであった.対外的な関係調整や,自分の関わる事業の戦略的なシナリオまで考えなければならなくなり,やりがいがある反面,不安も増えている.闘病時のカルテ調査などできる状態ではなくなってきた.

[2004.9.20更新]


 退院後1208日目(移植後1392日目).退院後32回目の外来診察.出張の都合で予定よりも一週間遅れの外乱診察となった.風邪が治って間もなかったことや相変わらずのハードスケジュールの影響が検査結果に出ないか心配していたが,肝機能低下以外では,白血球数が10300で前回より2000上回り,ヘモグロビン濃度は13.4で前回より0.5低下した位で,血小板数は302000で前回より30000増加していた.最近気になっているCRPは前回同様0.2であった.主治医の同意をいただいて,外来診察を12週毎から16週毎に変更していただいた.いよいよ外来診察を忘れないように心掛けねばならなくなってきた.
 
 前回の外来診察からの約13週間は相変わらずというか前にも増して多忙なスケジュールであった.学会の秋になり,ビジネス以外の出張も増加し,益々忙しくなりそうである.無理し過ぎないように気をつけたい.

[2004.12.04更新]


 退院後1327日目(移植後1511日目).退院後33回目の外来診察.今回も出張の都合で予定よりも一週間遅れの外乱診察となった.1月下旬にインフルエンザ(B)に罹ったり,相変わらず月の半分は出張という殺人的ハードスケジュールの影響が検査結果に出ないか心配していたが,一部肝機能低下以外では,白血球数が11400で前回より1100上回った位で,ヘモグロビン濃度は14.2で前回より0.8増加し,血小板数は310000で前回より8000増加していた.CRPは前回同様0.2であった.主治医の「再発の兆候は認められません」の言葉に反応して,「再発したらどんな処置をするんですか」と聴いてしまった.主治医からの「基本的には再移植をすることになると思います.でも,そんなことはそのときになってから考えれば良いことなので,今はそんなことは考えずに,これまでどおり・・・」という説明を聴いて,自分の身体が再発の可能性があるんだということを再認識させられた.
 
 前回の外来診察からの約17週間は相変わらず多忙なスケジュールであった.月の半分に近い出張の合間に,学会の秋の後始末(出席報告作成)やら,新規研究テーマ立案やら,年度末成果まとめやらを手際良くこなさなければならず,息の抜けない毎日であった.まだまだこの忙しさは止みそうにないので,無理し過ぎないように気をつけたい.

[2005.3.01更新]


 退院後1439日目(移植後1623日目).退院後34回目の外来診察.もう退院後何回目の診察かはこの闘病記を確認しなければわからなくなってしまった.これも社会復帰の段階が最終段階に来た証拠かもしれない.今回も出張の都合で予定よりも一週間遅れの外乱診察となった.5月中旬から体調を崩して気管支炎を患っていたため,その影響が検査結果に出ないか心配していたが,ほとんど影響はなく,肝機能のデータはかなり改善されていた.気になるデータとしては,白血球数が11300で前回より100,ヘモグロビン濃度は13.5で前回より0.7,血小板数は275000で前回より35000低下していた.CRPは前回よりも低い0.1であった.
 気管支炎が長引いたときには,「このまま回復しないのではないか」とかなり強いマイナスイメージを持ってしまったが,“案ずるより生むが易し”であった.プラス思考でがんばって行きたい.

[2005.6.26更新]


 退院後1551日目(移植後1735日目).退院後35回目の外来診察.もう外来診察日を忘れてしまうほど,完全に社会復帰したと言っていいかもしれない.最近の忙しさは発病前にも勝るもので,我ながら良く耐えられるものだと感心しているほどである.
 今回の診察でのエピソード・・・おなかの出っ張りが気になることをふざけて相談したところ「腹部CT撮りますか?」と言われ,慌てて「結構です」とお断りした.とっさに「検査で何か見つかったら・・・」と判断したのかもしれない.それだけ今の生活が充実していて,失いたくないものになっているということであろう.

[2005.11.23更新]


 退院後1652日目(移植後1836日目).退院後36回目の外来診察.今回も忘れずに診察に望んだ.一応,血液データは高目安定ということで,安堵.
 次回は17週後となった.通常は16週後であるが,先生が間違えたらしい.何となく変だと気づいていたが,敢えて確認はしなかった.

[2006.2.4更新]


 退院後1771日目(移植後1955日目).退院後37回目の外来診察.風邪が長引き,咳が治まらないまま診察に望んだ.血液データは最悪で,風邪と格闘している状況を良く表すものであった.胸の音を聴いた上で,「レントゲンを撮りましょう」と言われ,不安なままレントゲンへ・・・.自分では食欲がそれほど落ちていないため「たいしたことはないはず」と思いながら結果を聴きに再度外来へ・・・.案の定「問題なし」と言うことで,無事帰還.

[2006.6.25更新]


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