電波男が電車男を見てきた訳だが。
すみません、もう20日も経っちゃってますね。早いもんだ。困っちゃう。今週月曜日の午前に電車男見てきました。ワンフロア(?)貸し切り。独占状態。生まれてはじめての経験でした。個人的な評価で言えば、イマイチかなぁ。細かい点をあげるときりがないので、一番気になった点を。編集ですね。超特急の製作過程だったらしいですが、編集がイマイチすぎる。もっときっちり編集をしていれば、と勿体無く感じました。結論的に言うと、時間もお金も有り余っており、電車男に多少なりとも興味があるなら1,800円で観てもいいでしょう。ただ、私的にはせいぜい出しても1,200円ですね。レイトショーや1,000円の日なんかにみるといいと思います。そうでない場合、少なくとも映画版公式HPにある割引券はくれぐれもお忘れなきよう。叩いているようですが、最後のほうで泣きました(笑)途中も何度か涙腺がやばかったし。色々と言いたい事はありますが、やはり編集が・・・に尽きます。エネルギーとは無関係になってしまうのでこの辺で。なもんでエネルギーに関することを。女優の伊藤美咲さん。彼女が売れ出した頃、TVで彼女を見、「期待の、注目の新人らしいけど、全然オーラ(オーラ的エネルギーというか、存在感というか)ないじゃん」と評価していたんですね。具体的にオーラ視が出来る訳ではありませんが、それとは違う形で見ているのですが。それが最近はどうでしょう。その質感はともかく、しっかり光り輝いてらっしゃいますね。自己弁護はみっともないですけど、私もそれなりに見る目があるつもりなのですが、わからないものですね。特に女性は芸能界で脚光を浴びる位置に立つと、みるみるうちに変わっていかれることが多い。「この人今話題の新人らしいけど、(エネルギー的に)全然大したことないじゃん」なんて事を思うのは今後慎みます。反省。さて、この件をPH的に解釈すると。私のエネルギーに対する感受性がどの程度信頼出来るか?という問題がありますが、それなりに信頼出来ると仮定して。伊藤美咲さんを例に取ると、私が最初に見た頃はいわゆるエネ体が大したことなかった。しかし、業界の先頭を走り続けることにより、いつのまにか大きなエネ体になっていた。☆のオートロードを受けた訳でもないのにね。つまり、☆のオートロードなんていらないよ、ということです。凡人は業界の先頭を走ることなんて無理?だからといって☆のオートロード受けて何か具体的なメリットがあるとも思えないんですが。いえ、自分で本当に納得していれば、いやみでもなんでもなくOKでしょう。ただし、くれぐれも「勢いで何十万円と使っちゃったよ」なんてことの無いよう、ご利用は計画的に。なにが言いたいのか。PHで言うところのエネ体、それを大きくするのに、PHや、エネルギーなんて世界に無関係でも、大きくすることはできるんだよ、というお話でした。私のエネルギーに対する感受性があくまでもそれなりに正しければ、という前提であることもお忘れなく。そりゃだって「過去の伊藤美咲さんのエネ体見てみたけど結構いいじゃん?」なんてことはわかっておりますから、はい。話変わって、お陰さまで怪我のほうも大分良くなり、来週から仕事に復帰します。ところで先日給料日だったのですが、先月二十日以上働いたにも関わらず、交通費4,000円位?を入れても手取りで10万円ありませんでした(涙)精神的には落ち込みまくり、体力的にはぼろぼろになりながら頑張ったのですがねぇ。そんな仕事にしか就けない自分の責任、自業自得なんですが。もうちょっとどないかならんもんやろか。かなしひ・・・過去の日記を読み返してみると、怪我した折、エネルギーに対していちゃもんつけてますね。時間が経ってみるとやはり恥ずかしい。エネルギーを意識しすぎなんですよね。過剰に意識している。だから、「エネルギー製品一杯摂って、簡単な行法だってはじめたのに、なんでだよ?」なんて見当違いなことを言ってしまう。勿論好転反応的な意味合いも強いでしょう。でも・・・自然体じゃないとエネルギーも働きにくいんじゃないかなぁ。レット・イット・ビー。あるがままに。エネルギーに積極的に関わるのはいいんだけど、それに振り回されない。あくまで道具。エネルギー製品などを使う。自分でなんらかのエネルギーを作成する。あとはもう任せてしまう。直接操作や摂取している時、特に助けが必要な時、あるいは必然性を感じて常時意識するよう勤めている時など以外、忘れてしまう。道具って普通そうでしょ?いえ、実質道具とは違いますし、また深く関わって行きたい、なんて場合も別かもしれませんけど。これがいいのかどうかはぶっちゃけわかりませんが、ひとつのスタンスとして参考にしていただければ。悪い癖で、だらけきった生活を送っております。ホントに救いようがないとはこのことですね。ただ、そんな生活の中でも改めて気づくことが結構あったり。達人の世界で、ある程度の境地までいってしまうと日頃の修練は少なくとむ済む、ということがなんとなくわかるような気がします。ある程度の境地までいくと、普段の何気ない動作も十分な修練とすることができるんですよね。身体を使う、あるいは意識する、ということに、本来本質的な違いなんてないんですから。そんなことを感じております。しかし当然のことながら、私の場合なんの下積みも全くといっていいほどないわけですから、感じたような気がする、で終っちゃうんですけど。勿体無いなぁ。どないかせんと。いえ、どないかします、してみせます。それではまた。PS.アキラって誰だよ(苦笑)