私とブッディズム

さいきん初期仏教に関する本を立て続けに読んだので、ひさびさに仏教マイブームが来ている。

自分は仏教については学問的興味から独学でいろいろ読んできたのだけど、これまでこのブログでは話題に取り上げてこなかった。まあ宗教に言及するのはいろいろややこしいので避けていたということもある。

でもげんざいわたしが「意識の科学的研究」を標榜するにあたって、仏教から自分が学び、影響を受けたことは大きいので、それについてはどこかで言語化しておきたいと思ってた。

今回の記事では、ざっくりとこれまでの自分の勉強歴をまとめておこう。(将来的にはさらに自分が学んだことについて深堀りして整理する記事を書こうと思う。)


[開示事項] 自分は仏教徒ではないし、その他の新宗教にも関わってない。家の葬式は禅宗系だったが、父の葬式も「出張お坊さん」的なものだった。そういうわけで、宗教として仏教に関わった経験はない。


[80年代] はじめに仏教思想に興味を持ったのは、中高生の頃、ビートルズのインド行きを知ったときだろうか。「チベットのモーツァルト」(中沢 新一)が出版されて、チベットの密教というものを知って、カルチャーとして曼荼羅とかに興味持ったり。(まさに高円寺ロック系サブカル) でもそれはただの意匠への興味にすぎなかった。


[90年代] 日本仏教にはさっぱり興味を持てなかったが、禅における公案に興味を持って「無門関」とかを読んでる時期があった。ちょうどベイトソンの「精神と自然」を読んだ時期だったので、「メタなメッセージ」という現代思想っぽいキーワードからの興味だったと思う。

瞑想に興味があったので、ダライ・ラマの本(「仏教入門」(1995)と「瞑想と悟り」(1997))を買った。そこでチベット仏教(ゲルク派)ではツォンカパが中観派として、ナーガルジュナの「中論」を根拠としていることを知って、自分が学ぶべきは「中論」だとあたりをつけた。

「中論: 縁起・空・中の思想(上・中・下) (レグルス文庫)」三枝充悳 がいまでも本棚にある。八重洲ブックセンターで第4刷1999年のものを買ってる。そのあたりが自分にとっての第1次仏教マイブームだった。立川武蔵や三枝充悳が「空」について書いた新書とかを読んでた。

それと同時並行的にマトゥラーナ・ヴァレラの「オートポイエーシス」(1991)および河本英夫の「オートポイエーシス—第三世代システム」(1995)を読んで、「そのつど生まれては消えている命と心」という空、縁起思想との繋がりを自分なりに発見していた。

ヴァレラの「身体化された心」は当時まだ訳書が出ていなかったが、青土社 現代思想の1997年6月号「多様性の生物学」において、「身体化された心」の8章が「行為の中で生み出すということ」というタイトルで訳出されているのを読んでいた。


この時期にもうひとつ大きな影響を受けたのは、「宗教なんかこわくない! マドラ出版」(橋本治)(1995)を読んだことだった。この本はオウム事件への応答として書かれたものであって、ほとんどの記述はオウムについてなのだけど、最終章「なんであれ、人は不合理を信じたりはしない」で橋本治流の仏教観が披露されている。

まず前提として「宗教とは、この現代に生き残っている過去である」(p.9)と書く。ただしそれは「古臭いから意味がない」という意味ではない。「過去の集積=歴史を頭に入れなければならない。それだからこそ、宗教を論ずるのはむずかしい。」(p.10)と書く。

古代インドの輪廻転生思想が共有されているバラモン教が支配的な時代にブッダが(ジャイナ教的な苦行を否定して)クシャトリアなのに解脱を宣言したのが仏教の始まりである。仏教は「偉大なるものを信仰する教え」ではなくて「自らが自らを獲得してゆくための思想」(p.248)であること、「大乗仏教の「仏」とは「人格化された思想である」(p.259)、そして「まだ自分の頭でものを考えることができない人間が「思想」を人格化する。宗教というものは、思想を思想として抽出することが出来ない人間がした、「思想の人格化」から始まる」(p.273)「宗教は解体された。だからこそ人間は、今や信仰抜きでも「美しいもの」を作り出せる」(p.275)などの記載がある。(これが「宗教とは現代に生き残っている過去である」の意味。「子どもの時の記憶」という表現もある)

この本では「自分の頭でものを考えることの重要さ」という橋本治の毎度のモチーフを仏教の話でも展開しているということなので、それなりに批判的に読む必要はある。しかし、あの時期にすでに「仏教を当時のバラモン教、(+ジャイナ教)からの対抗思想として捉える」「思想が宗教になったものとしての大乗仏教」という現在でも重要なトピックが提示されている点で価値があると思う。けっして学術的な本ではないのだけど。

この本はいまでも私にとって重要なリファレンスであり、ある意味、ここで書かれていることをもっと学問的なアプローチの本で確認してきた、というのが今までの私の仏教思想への理解が辿った道の要約と言える。

わたしにとってはこの本が決定的な契機となって、中国、日本で展開された宗教としての仏教よりも、中観派とそれ以前の仏教思想について学んでいく方針を取るようになった。

あと一点、この本での輪廻転生の扱いについて。この本では最後に輪廻転生の話題に戻ってくる。「もしかして現代で宗教が成り立ちうるとしたら、「人生は一度でいい」の解脱志向ではなく、「人生は何度でもある」の輪廻転生志向のほうかもしれないのである」(p.285) 「インドから東は「人間は輪廻転生をする」という思想のある文化圏で、インドから西は「人間は輪廻転生をしない」の文化圏」(p.287)、(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は死んだあとに最後の審判があるので)「魂の不滅が、かなり不思議な形で定着している」(p.291) 、「人間の魂の不滅を信じしている」という思想に関しては、東西共通なのである」(p.288)とまとめる。

それならばブッダの「輪廻からの解脱」が特異なものとなりそうだが、この本ではそういう話にはならない。代わりにドーキンスのミーム論に持っていく。そして最後は「死んだらカナブンになりたい」っていうのがオチになっている。「人間は輪廻転生をする」という思想のある文化圏にあることを踏まえて、しかしブッダ的に「人間として解脱する」ことに価値を置かないことを明示している。けっこうややこしく、ニュアンスのある書き方をしているが、この結論のためにこそ、それまでのざっくりとしたまとめがあると捉えるのがよいと私は思う。


[00年代前半] ヴァレラの「身体化された心」の日本語訳が出たのが2001年8月で、わたしは初版を買ってる。

この本はこれまでの心についての認知科学的アプローチを批判したうえでエナクティブ・アプローチを提唱したエポックメイキングな本として有名なのだけど、実は仏教思想についての記述もだいぶ多い。この本を精読することで、仏教思想での基礎概念(十二縁起、縁起、中道)などについてひととおりのイメージを持つことができるようになった。


でもこの時点での私の理解はあくまでもナーガルジュナの「中論」の立場からのものだった。つまり、部派仏教、大乗仏教、密教という流れがあるところで、部派仏教(の説一切有部)の倶舎論が自性論であると断じたうえで、大乗仏教である中観派では無自性であること、つまり空であることを強調し、ブッダの精神に回帰したという優位性を主張するものと私は理解した。(ざっくりとした表現だが。)

宮崎哲弥が書いていることが自分の立ち位置に近かったので、ナーガルジュナの「中論」の基礎において仏教哲学を深めていくとための道標として用いていた。


[00年代後半-10年代前半] 瞑想の実践について。当時日本国内で利用可能な瞑想についての文献はだいたいチベット仏教で使われていたものについての本だった。(上述の「瞑想と悟り」とか。) このため、自分で実践するというよりは、チベット仏教ではどのように実践されているかを学ぶ目的で読んでた。

でも2000年代のこのくらいの時期になると、スリランカ・東南アジアの上座仏教(テーラヴァーダ仏教)でのヴィパッサナー瞑想の実践が日本語で紹介されるようになってきた。(まだ、グーグルのマインドフルネス本(2012)が出版される前の時期。)

わたしも「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 (春秋社 1999)」を買って、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想の違いを知った。多少自分なりに試してみたこともあるが、続かなかった。自己流でやってもしょうがないので、京都の瞑想センターとか行ってみたいなと考えたまま、実践できてない。

しかもこの時点では、思想的にはまだ中観派からの視点で考えていたので、上座仏教は自性論を保持して原始仏教から遊離しているという考えを保持したままだった。このため、上座仏教が仏教の実践として瞑想についてシステマティックな方法論を継承できていることと、その教えとの関係を私は解決できない状態で、仏教についてはしばらく興味を失っていた。


[10年代後半] しばらく仏教思想の理解については進捗がなかったのだが、ふたたび私に仏教マイブームが到来したのは「ごまかさない仏教―仏・法・僧から問い直す―(新潮選書)」佐々木閑, 宮崎哲弥 (2017) に出会ったことだった。

上記の通り、宮崎哲弥の書いたものについては追いかけていたのだが、この本ではラディカルブッディストを自称していた宮崎哲弥が、初期仏教について佐々木閑との対談形式で仏・法・僧について整理している。

この本によって文献学的な意味での初期仏教と上座仏教と大乗仏教の関係を理解できた。以前は素朴すぎると思って興味が持てなかった初期仏教の文献(スッタニパータ、ダンマパダ)を読み始めた。(飛ばし読みで半分ずつくらいだけど。)


さらに魚川祐司の以下の2冊が大きな衝撃を受けた。

魚川祐司はミャンマーでテーラワーダ仏教の実践を行ったうえ(ウ・ジョーティカ『自由への旅』の翻訳者でもある)でこの本を書いているということが自分にとっては重要だった。前述の通り、わたしの仏教理解は中観派視点から始まっていたので、テーラワーダ仏教での実践とその教義の関係が自分には整理できていなかった。しかしこの本によって、いまも輪廻転生思想を保持し、サンガが成り立っているテーラワーダ仏教にとっての仏教を学ぶことの意義を理解した。

こうなると読める本が増えてくる。アルボムッレ・スマナサーラが経典の解説書を膨大な数出版しているのだけど、それをポチポチ読み始めた。スマナサーラの本で知った重要な知見はたとえば、「苦dukkha」とはいわゆる苦しみのことだけではなく、不満足なことを意味することだ。よって、「人生とは苦dukkhaだ」という言葉は、生活が苦しかったであろう古代インドでのみ当てはまるものではなく、現代の日本においても、あらゆる欲望が不満足で終わるという意味で成り立つ。(だから「仏教はペシミストの発想」というありがちな批判は正しくない。)

こうしてパーリ語の理解の重要性を理解したので、勢い余って、パーリ語と英語の対訳でスッタニパータを読み始めたが、今は止まってる。さすがにやりすぎだ。


[20年代前半] 北大人間知・脳・AI教育センター(CHAIN)に移ってからは、大学院講義「意識の科学入門」を開講するとともに、エナクティブな視点で脳と心を理解してゆくプロジェクトを本格的に進めてゆこうと考えた。また、科研費基盤Aの「意識変容の現象学」で西郷甲矢人さんと親交してゆく過程で、彼が私よりもずっと仏教に詳しいことを知った。(なんなら仏教のほうが先で圏論はそこからの演繹なんではないかってくらい。)

そういうわけで、せっかくCHAINに在籍しているので、仏教思想についてもサイドワークとしてではなく、もっと正面から研究対象として捉えてもいいのではないかと考えてる。


さいきんになって、以下の2冊の本を読んだ。

どちらも初期仏教を扱っていて、上記の佐々木閑・宮崎哲弥や魚川祐司の本で学んだことを、さらに解像度上げてゆくのに有効だった。たとえば、初期経典(ニカーヤ)において、韻文(たとえばスッタニパータ、ダンマパダ)のほうが古いからよりブッダの考えを直接反映しているという考えは必ずしも正しくない。スッタニパータ、ダンマパダなどは当時のジャイナ教の苦行文学と同じものを共有している可能性もある、など。

でもそれだけではなく、この2冊を読んでいて私に浮かび上がってきたのが、「輪廻転生思想を共有していない現代の日本人にとってブッダの思想はどういう意味を持つのか」という問いだ。

そしてこれはまさに、ずっと昔に読んだ「宗教なんかこわくない! マドラ出版」(橋本治)(1995)が提出していた問題だった。というわけで、「宗教なんかこわくない!」を読み直して、とりいそぎ今回の記事にまとめてみたというわけ。


ということで現在までの状況、動機を言語化することが出来た。ここから魚川祐司の本にあった論点、たとえば、輪廻とはなにか(いまある自我がそのまま転生するという意味ではない)、悟るとはどういうことか、なぜブッダの時代にはたくさん「悟る」人がいたのにいまはいないのか(「悟り」のインフレ問題)、そういうことについて上述の本(佐々木閑・宮崎哲弥、魚川祐司、清水俊史、馬場紀寿の4冊)で書いてあることを比較しながらまとめておきたい。

とはいえこのために初期経典(ニカーヤ)とかにあたって、とか言っていると一生無理なので、もっとざっくり、たんに本の抜き書きによるまとめを作るくらいから始めようと思う。来世で。(<-ここで使うのにふさわしくないフレーズwww)


ジョン・コルトレーンの「回心経験」とLSD

『ジョン・コルトレーン『至上の愛』の真実』(アシュリー・カーン)を読んでいた。有名なエピソードだけど、コルトレーンが麻薬中毒でマイルスのバンドをクビになって、その後に啓示的体験があったという。

「1957年、わたしは神の恩寵により精神の覚醒を経験し、より豊かで充実した、意義深い人生を歩みはじめた。そして感謝の念を込めて、音楽を通じて人を幸せにする力と栄誉を与えてくれるよう神に祈った。(「至上の愛」のコルトレーン自身によるライナーノートより。上掲書p.63)

そこからシーツ・オブ・サウンド、モード・ジャズ、フリー・ジャズを駆け抜けて10年で死去するわけだが、あの啓示的体験とは何だったのか。

そもそも上記の書籍には麻薬中毒というのが正確に何なのかが書いてない。調べてみるとヘロインだった。たしかに麻薬中毒という言い方で間違いない。

確かなことは、1957年5月のある時点で、コルトレーンは毎晩クラブに出演しながら、自らの強い意志により悪癖を断ち切ったということである。(上掲書p.64)

(トランペッターの)ジョニー・コールズがその店にいてずっと彼のそばについていたそうです。ジョンは2階の彼の部屋で寝泊まりし、そこで麻薬常用を克服したんです。(上掲書p.65)

この変化を目の当たりにした(ピアニストの)マッコイ・タイナーは

変化のあと、トレーンのプレイはまるで別の人格を帯びたようになった。(上掲書p.66)

と語る。

こちらのブログによれば、それは「1957年4月20日 Dakar のセッションと、同5月17日のプレスティッジでのセッションの間」とのこと。

でもそれはヘロインとアルコールからの脱却にとどまらず、ある種の回心経験だったのだとコルトレーンは語る。

数年前、わたしは信仰を取り戻した。一度失った信仰を再び手に入れたんだ。わたしは信仰心の厚い家庭に育った。わたしのなかにあった信仰の種が再び芽を吹いたんだよ。これもすべて人生が神に導かれていることによるものだろう。(1965のインタビューにて。上掲書p.63-64)

ここでの神とは、元々はキリスト教の神だったんだろうけど、神の概念がだんだんより普遍的なものとなってゆく。後にコルトレーンは"Om"でバガヴァッド・ギーターの一節を朗読したり、"Meditation"のライナーノートで「私はすべての宗教を信じる」と書く。(Wikipedia記事での小項目「1957 "spiritual awakening"」より)

今回はじめて知ったのは、1965以降のファラオ・サンダース加入後の新しいバンドで、コルトレーンはLSDを試していたということ。とくに前述の"Om"では録音中にLSDを使っていたらしい。Wikipediaの記事: Om

以前も書いたが、普通にトリップする用量を使ったら演奏はできないので、これもマイクロドーズだと考えたほうがよいだろう。

コルトレーンとLSDについてソースを探してみるとUsenetのアーカイブが見つかった。日付は1994年。インターネットすげえ。

その記事では、以下の書籍を引用している。Eric Nisensonの『ASCENSION: JOHN COLTRANE AND HIS QUEST』(1993)によれば

ジョン・コルトレーンは1965年のある時期から、かなり定期的にLSDを使用するようになった。その年の後半にOMをレコーディングしたときだけLSDを使用したと言う人もいるが、カルテットのメンバーを含む多くの人によれば、彼は人生の最後の数年間、実際にはもっと頻繁にLSDを使用していた。

この部分を引用しながら、このUsenetの書き込みではコルトレーンを擁護する。

1994/11/29 1:00:11 私はヘロインやアルコールを、LSDと同じカテゴリーには入れない。コルトレーンは1957年にドラッグを断ち切ったということには変わりがないと思う。彼にとって(私自身にとってもそうであったように)自分の魂、心、そして世界における自分の精神的な位置を理解する上で、LSDは非常に役立つことが証明された。

というわけでここから事実関係について、そしてLSDを使うことの是非についての論争が始まる。

これだけでは文脈が充分伝わらないかもしれない。ヘロインやアルコールが報酬系と快楽系を操作するという意味でリクリエーショナルドラッグであるのに対して、LSDは自我を一時的に壊し、自我のない意識という純粋意識または死を経験するドラッグであり、精神の探求のためのツールとして使われてきたということが大前提にある。いま「幻覚剤は役に立つのか 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ」(マイケル・ポーラン)を読んでまとめているところなので、どっかでこの論点についてはブログ記事にしておきたい。

さて、いつもどおり取っちらかってきたので、ここらでまとめに入ろう。

けっきょくのところ、「あの啓示的体験とは何だったのか」への答えが出るようなはっきりとした手がかりは見つからなかった。なんだか「いかがでしたか?ブログ」みたいで残念だが。

でもここでは、コルトレーンがヘロインとアルコールから脱却したこと、さらに1965年以降のLSD経験という新たな要素を加えて、コルトレーンが薬物とどう対峙してきたかという視点を作った。

一方で、たとえば「コルトレーン ジャズの殉教者」(岩波新書)では、ナイーマとの離婚、アリスとの結婚などを中心にして「至上の愛」への過程を描いているので、それとは違う道筋と言える。

今回はここまで。


「報酬予測誤差、スイートホーム・アラバマ、スキロー」(さうして、このごろ2023年5月)

「意識の科学入門」のスライドの準備中。報酬予測誤差ニューロンの説明を見るとどれもSchultz 1997の図を書いておしまいなのが不親切だなあと思う。まず

  1. 「報酬ニューロン」というのがあったらどういう活動なのか示して、
  2. さらに「報酬予測ニューロン」というのがあったらどういう活動なのか示して、
  3. そのうえで報酬予測と実際の報酬の誤差を計算するとしたらどうなるか、 という3段構えにするべき。

そもそもSchultz 1997のデータはしょぼいし、反応の抑制が小さいので、もっと新しいデータに差し替えるべき。オプトとボルタメトリーとかでもっとわかりやすいデータがあるんだから。

調べてみたら、銅谷さんの図(Bayesian Brain)が比較的親切だった。

Voltametryについては、LH刺激の文脈でNieh EH et al. Neuron. 2016を引用してみた。こんなかんじでclassical trace conditioningについてもvoltametoryの図を入れようと思ってる。(図は作ったけど、論文の図を引用しているので、掲載割愛)


「サザンマン」vs「スイートホーム・アラバマ」 以前書いたこれの続き。

「スイートホーム・アラバマ」の歌詞で面白いと思うのは、ニール・ヤングの呼び方がだんだん変わるところ。

さいしょは"Mr. Young"と言っていて、ちょっと他人行儀というか礼節をわきまえた呼びかけになってる。

次が"Ole Neil"で、これはOle = oldの南部訛りで、「ニールさん」「ニールおじさん」という親密な呼び方になる。

んで最後に"I hope Neil young will remember ..."とフルネーム呼びをしている。これは「親が子を叱るときにフルネームで呼ぶ」のと似たニュアンスがあるんではないだろうか。べつにここは"I hope he will remember ..."でも意味が通るところだから、フルネーム呼びするのにはニュアンスがあるはず。

…ということをtwitterかブログに書いたはずなんだけど、見つからない。


夜の秋葉原で踊るRAB この閉店後の秋葉原の風景にキュンと来た。終電もなくなった深夜の本郷から家までの帰り道に、自転車に乗って、本郷通りからアキバを通り過ぎたときのあの感覚を思い出した。


今期アニメはいまだかつてなく充実してる。「推しの子」「僕ヤバ」「君は放課後インソムニア」は遅滞なく観てる。「カワイスギクライシス」は遅れつつ観てる。

「スキップとローファー」「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」「Dr. STONE」「水星の魔女」はかならず観るけど、まだあとでよいという判断。


「スキップとローファー」観はじめたら最高すぎた。最新回(第4回)に追いついた。

なんだろう、ドラマティックな展開というわけでもないのにスルスルと観てあっという間に24分が経過してしまう。なんだかおいしい水のようだ。

なにがいいのだろうか。登場人物の心情により沿いながら話を追っていると、いつまでも観ていられるという感じ。話に作為的な感じはないのに、すごく行き届いているということだろうか?これは説明が難しい。

あとOP観ると泣けてくる。この「つつきあいながら笑う表情」のところとか最高すぎない?

スキロー第5回も完璧だった。不自然な主人公アゲとかせずに江頭がデレる機会を作るという、過不足ない描写。こういう面白さというか凄さがあるというのに興奮している。なんか、わたしもこういう感じにものごとを描きたい、という気持ちになった。


「つばめアルペン」が札幌の女子高山岳部を舞台にした作品なんだけど、藻岩山とか八剣山とかたい焼き一休とか六花亭とか秀岳荘(「吉岳荘」になってる)とかご当地ものがいろいろ出てきて、なんだかうれしい。

秀岳荘は外観の描写的に北大前店だ。ということは地下鉄の駅も南北線の北12条駅だろうけど、島式ホームになっているので、札幌駅の描写を借りてそう。第10話で夜が乗るのは一番線の真駒内行きで、残り三人は二番線の麻生行きか。


「100分de名著 ブルデュー」を読んで自分語りした

ネットでよく出てくる「文化資本」とかあのあたりをちゃんと知りたいと思っていたが時間がないので「100分de名著 ブルデュー」を読んだ。これは面白かった。たしかに(作者がいうように)、これは自分語りしたくなる。


自分は高度成長期に上京してきた中卒の父と母が死にものぐるいで起業した町工場の家の長男だったので、家に文化的なものはなかったし、おもちゃも買ってもらえなかった。自分は家族の中でひとりだけ突然変異的に勉強ができたのだが、とくに褒められることもなく、逆にプレッシャーもなく、一人遊びばかりしていた。小学校時代は自宅兼町工場でひとり、対数計算尺を紙で自作したり、近所のゴミ捨て場で拾った化学の参考書をみて周期表を書いていた。自分の原風景は町工場でAMラジオから流れていた演歌や歌謡曲だった。

(80年代当時はツッパリハイスクールロックンロールなヤンキー文化の時代で、その暴力性に心底怯え(自分は当時ある傷害事件の被害者となった)、中学受験をして地元からの脱出に成功した。いまだに「闇金ウシジマくん」「地元最高!」とかガチで怖くて読めない)

中学は私立の進学校にも合格したが、国立の進学校に行った。それは共学だったからというのもあるけど、うっすら親の経済状況を気にしてのことでもあったのだと思う。(この選択について、自分は親孝行だと自認していた。) その中学は、私のように勉強で成り上がってきた者と附属小学校上がりで金持ちの子息とが混ざる残酷な環境で、私はすぐに差別問題に注意が向いた。(朝日訴訟の本とか読んでた記憶がある)

こんな育ちだったので、自分は上流社会的な文化には馴染めなかったし、そこでのハビトゥス(服や時計や靴や所作がそのトライブに入るために重要だ)というものを嫌っていた。大学受験のときに自分は医学部には行こうとは発想からしてまったくなかったのだけど、いまにして思えば、あの文化に入らずにいて正解だったと思う。

100分de名著の著者が「好きな映画監督はカウリスマキ、音楽はジャズ、クラシックではグールド、でいかにもインテリ」と自虐的に書いてる。これはよく分かる。自分とは全然かすってないし、正直そういうのにうっすらとした嫌悪感もある。 (もちろん、そういう嫌悪感を表出するような愚は犯さないように中高の時点から自分を律してきたつもりだし、これは自分の弱点であると自覚して、オープンであるように自己研鑽してきた。でも知らず知らずに漏れ出していたと思う。)

そうした志向からけっきょくサブカル、アングラに吸収されて、ありがちなトライブに収まった大学生の自分は、まさにブルデューの言説が示すとおりだった。(なお、ここで言うサブカルとは、文学的な上流社会のものではなくて、根本敬/青山正明的なものを指すのだが、当時の自分には区別がついてなかったので、単館上映映画とかアメリカ現代文学とかも含めて、混ぜこぜで消費してた。)

そんな自分にとっての大きなターニングポイントがゼロ年代にオタクに目覚めたことだった。

古のオタクの価値観では、裕福な家の子供でたくさんのものを買い与えられて、それに基づく文化資本を構築した者ほど偉いというヒエラルキーがあるので、自分にはまったく縁のない、むしろ敵対するものだった。

じっさい、自分は特撮やロボット物にいっさい興味がない。(もちろん小学生当時は観ていたが、それに対するノスタルジーを持っていない。) コレクター気質もない。そういうわけで、オタク第一世代(ヤマト)、オタク第二世代(ガンダム)ともにかすりもしなかった。

オタクに向いた時期的に自分はオタク第三世代(エヴァンゲリオン)に分類できると思うんだけど、ロボット物に興味がないので、いまだに見たことがない。(3話くらいまでみて脱落した)

でも就職して消費にお金が使えるようになり、ゼロ年代にインターネットの発達でさまざまな言説が手に入るようになった。Youtube前の時代にデモ動画とか観まくったのも大きかった。 並行してそれまでの雑誌文化が衰退してきた。それまで購読してたStudio voice、MARQUEE、クイック・ジャパン、危ない1号とかがみるみる終わっていった。(実際に終了したものもあれば、内容が変わっていったものもあるが。) そんなわけで自分はサブカル、悪趣味文化からオタクへと移行してきた。(たぶん、上流階級的なサブカルの人だったらそこで文芸誌や現代思想に向かったのだと思うけど、自分はそちらに行く素養がなかった。)

さてこれで自分はどういうトライブに属したかというと、ありがちなネット民(はてな的なギーク寄り)と化したんだと思う。自分は世代的にはバブル世代なのだけど、属している文化的なトライブは氷河期世代かもしくはもう少し若いところで、なんかちぐはぐになってる。星屑テレパスのアクキーとかぶら下げていい歳じゃないんだ

同窓生の集まりで「昔の音楽は良かったけど、いまの音楽はわからん」って話を聞いたり、人生逃げ切ってアイリーリタイアしてる人の話を聞いたりとかしてうんざりしつつ、じゃあ自分はどうなの?と自問する。

研究者/大学教員をやっていると、親も研究者/大学教員をやっていたという話にしばしば出くわす。やっぱそういうものかと思うが、親を選べるわけでもなし、本人についてなにか思うことはない。でも、その周りが「XX先生はサラブレッドだからw」とか発言しているのをみたときは、嫌悪感が高まって、平静を保てなかったことを覚えている。

だんだんとっ散らかってきたので、ここまでとしよう。結論がなにかあるわけではないけど、自分は自分であるように掘り続けてゆくだけ、それがありがちなところに着地にするのだとしても。


いやいや、これで終わるのは逃げか。ブルデューから始まったのだから、「階級意識」に踏み込むべきだよな。まずは、上のように整理することが出来たのは、自分が隠し持っていた階級意識を直視できたから、と言える。

あともう一点、私は私で、独特の、強烈な階級意識を隠し持っているのだが、これは言語化しにくい。先日ふと気づいたのは、「誰もが忌み、やりたがらないことを人知れずやるやつがなによりも偉い」という強烈な価値観を自分は持っているということだ。でもそれはこの言葉が示すような単純なものではないし、「ノブレス・オブリージュ」とも違う。これは差別問題とも関わっていて、言語化に気を使うので、今はここまでしか書けない。


「シュウェップス、ChatGPT、Believe me」(さうして、このごろ2023年4月後半)

「シュウェップス」ってあったなあ。ブラッドオレンジのやつが好きでよく飲んでた。浪人生だった頃だろうか(1987あたり)。たぶんアサヒビールの時代。いまは見たことがない。トニックウォーターは売ってるか。でもそれ以外はなあ。


twitter.com/ChainHokudai/status/1650708811601293313 これのつづき。

テッド・チャンによるNew Yorkersの記事: ChatGPT Is a Blurry JPEG of the Web

LLMでゴミの記事とか画像とかが生まれて真正のデータと混ざったら地獄だよなあとかは以前から考えたことがある。でもこの記事では、Google検索は「可逆圧縮」であり、GPTは「不可逆圧縮である」という分け方をしていて、すごく納得がいった。GPTによる小論文がぱっと見まともに見えるのは、JPEG画像がぱっと見まともに見えるのと同じく、見る側の人間の特性なのだな。

かといってロスレスが問答無用に偉いというわけでもない。そしてそもそもロスレスな「引用」自体がそれ以前から壊れている(ソースのわからないインターネットミームとか)ことを考えると、ロスレスであるためにもっとできることはないかと思う。

あと、要約が不可逆であるとはいえ、人間が要約を組み込みながら新しい文章を作るときになんらか価値を生み出している。ならば不可逆であることとオリジナルであることの関係はもっとややこしいということがわかる。 とかいろいろ考えた。


“I believe you” と “I believe in you”は違うって話。 これは知ってる。"Believe me"の訳は「信じてよ」ではおおげさで、むしろひっくり返して「ウソじゃないよ」がしっくりくる。

このニュアンスを私は歌の歌詞で理解してる。Bob Dylanの“I don't believe you”は(昨晩あったことをなかったことにして、まるで会ったことがないような応答をされて)「ウソついてんじゃねーよ」ってニュアンス。

いっぽうでNeil Youngの"I believe in you"では、女性からの愛(now that you made yourself love me)に応えて、("I love you"ではなくて)「"I believe in you"とは言える」という修辞疑問文になってる。だからこれは、君の気持ちが本当であることは疑ってない、気持ちは受け止める、だがI love you と応えることはできない、というニュアンスなのだと思う。

…そう思うのだけどsongmeaningsとかまともな解釈がない。


「「コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された」件について」ブコメ

昔のブコメだけど、これは元記事が正しいなあ。数字の多い少ないの問題じゃないんだよ。面接って雑談ではないので、「能力が高くないと言えないこと」を提示すべきなんだよ。「面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ」

この点については、自分で面接官をやるようになって、より実感するようになった。とはいえ「能力が高くないと言えないこと」(それは知識量ではない)を言える人は少ないので、せめて「自分の頭で考えて言葉にできたもの」を引き出したくて、手を変え品を変え質問してる。私自身は毎回ほとんど助け船を出すつもりで質問してる。

ところで、あの悪名高い「2位じゃダメなんでしょうか?」も、質問した当人は助け舟的な質問をしたつもりだったんだと思う。(デファクトスタンダードを取ることのマーケティング的な意味での重要性とか。) 聞き方がまずいと思うけど。


このブログを読んだら、なんか、すごくよかった。

こうやって他人のブログを、記事レベルでなく、時系列追って読んでみるという経験はひさびさだったけど、なんか新鮮に楽しめた。10-20年前はよくやっていたことだったのだけど。

なにが良かったのかちょっと考えてみたけど、友人との交遊録とかそういうのが一切なくて、ただひたすら一人でなにかやっていることを綴りながら、それに満足している感じがすごくよかったのかも。


「最強の鬱マンガ」 自分はこのリスト、一冊も読んだことがない。鬱なシーンがあるものはあらかじめ評判を見て避けていたので、正解だったみたい。タコピーですら、話題になっていたときに察知して回避。カンペキ。

自分はこの種のものに引っ張られやすいと思っているので、かなり自衛を意識している。たとえそれで名作を見逃すことになったとしてもいい。


以前回ってない寿司を食べたのはいつだったっけな? と調べてみたら、2014年のことだった。

いまだから言えることだけど、あれは北海道医療大学にジョブインタビューに行った帰りのことで、それはけっきょく落ちたのだけど、とにかく面接を終えた私はその日晴れがましい気持ちで、雪道を二十四軒駅から歩いて向かったのだった。

あのとき以来回らない寿司には行ったことがない。


ここ行ってみたい。士幌線タウシュベツ川橋梁跡 この旧国鉄士幌線ツアーとかよさそう。


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