「100分de名著 ブルデュー」を読んで自分語りした

ネットでよく出てくる「文化資本」とかあのあたりをちゃんと知りたいと思っていたが時間がないので「100分de名著 ブルデュー」を読んだ。これは面白かった。たしかに(作者がいうように)、これは自分語りしたくなる。


自分は高度成長期に上京してきた中卒の父と母が死にものぐるいで起業した町工場の家の長男だったので、家に文化的なものはなかったし、おもちゃも買ってもらえなかった。自分は家族の中でひとりだけ突然変異的に勉強ができたのだが、とくに褒められることもなく、逆にプレッシャーもなく、一人遊びばかりしていた。小学校時代は自宅兼町工場でひとり、対数計算尺を紙で自作したり、近所のゴミ捨て場で拾った化学の参考書をみて周期表を書いていた。自分の原風景は町工場でAMラジオから流れていた演歌や歌謡曲だった。

(80年代当時はツッパリハイスクールロックンロールなヤンキー文化の時代で、その暴力性に心底怯え(自分は当時ある傷害事件の被害者となった)、中学受験をして地元からの脱出に成功した。いまだに「闇金ウシジマくん」「地元最高!」とかガチで怖くて読めない)

中学は私立の進学校にも合格したが、国立の進学校に行った。それは共学だったからというのもあるけど、うっすら親の経済状況を気にしてのことでもあったのだと思う。(この選択について、自分は親孝行だと自認していた。) その中学は、私のように勉強で成り上がってきた者と附属小学校上がりで金持ちの子息とが混ざる残酷な環境で、私はすぐに差別問題に注意が向いた。(朝日訴訟の本とか読んでた記憶がある)

こんな育ちだったので、自分は上流社会的な文化には馴染めなかったし、そこでのハビトゥス(服や時計や靴や所作がそのトライブに入るために重要だ)というものを嫌っていた。大学受験のときに自分は医学部には行こうとは発想からしてまったくなかったのだけど、いまにして思えば、あの文化に入らずにいて正解だったと思う。

100分de名著の著者が「好きな映画監督はカウリスマキ、音楽はジャズ、クラシックではグールド、でいかにもインテリ」と自虐的に書いてる。これはよく分かる。自分とは全然かすってないし、正直そういうのにうっすらとした嫌悪感もある。 (もちろん、そういう嫌悪感を表出するような愚は犯さないように中高の時点から自分を律してきたつもりだし、これは自分の弱点であると自覚して、オープンであるように自己研鑽してきた。でも知らず知らずに漏れ出していたと思う。)

そうした志向からけっきょくサブカル、アングラに吸収されて、ありがちなトライブに収まった大学生の自分は、まさにブルデューの言説が示すとおりだった。(なお、ここで言うサブカルとは、文学的な上流社会のものではなくて、根本敬/青山正明的なものを指すのだが、当時の自分には区別がついてなかったので、単館上映映画とかアメリカ現代文学とかも含めて、混ぜこぜで消費してた。)

そんな自分にとっての大きなターニングポイントがゼロ年代にオタクに目覚めたことだった。

古のオタクの価値観では、裕福な家の子供でたくさんのものを買い与えられて、それに基づく文化資本を構築した者ほど偉いというヒエラルキーがあるので、自分にはまったく縁のない、むしろ敵対するものだった。

じっさい、自分は特撮やロボット物にいっさい興味がない。(もちろん小学生当時は観ていたが、それに対するノスタルジーを持っていない。) コレクター気質もない。そういうわけで、オタク第一世代(ヤマト)、オタク第二世代(ガンダム)ともにかすりもしなかった。

オタクに向いた時期的に自分はオタク第三世代(エヴァンゲリオン)に分類できると思うんだけど、ロボット物に興味がないので、いまだに見たことがない。(3話くらいまでみて脱落した)

でも就職して消費にお金が使えるようになり、ゼロ年代にインターネットの発達でさまざまな言説が手に入るようになった。Youtube前の時代にデモ動画とか観まくったのも大きかった。 並行してそれまでの雑誌文化が衰退してきた。それまで購読してたStudio voice、MARQUEE、クイック・ジャパン、危ない1号とかがみるみる終わっていった。(実際に終了したものもあれば、内容が変わっていったものもあるが。) そんなわけで自分はサブカル、悪趣味文化からオタクへと移行してきた。(たぶん、上流階級的なサブカルの人だったらそこで文芸誌や現代思想に向かったのだと思うけど、自分はそちらに行く素養がなかった。)

さてこれで自分はどういうトライブに属したかというと、ありがちなネット民(はてな的なギーク寄り)と化したんだと思う。自分は世代的にはバブル世代なのだけど、属している文化的なトライブは氷河期世代かもしくはもう少し若いところで、なんかちぐはぐになってる。星屑テレパスのアクキーとかぶら下げていい歳じゃないんだ

同窓生の集まりで「昔の音楽は良かったけど、いまの音楽はわからん」って話を聞いたり、人生逃げ切ってアイリーリタイアしてる人の話を聞いたりとかしてうんざりしつつ、じゃあ自分はどうなの?と自問する。

研究者/大学教員をやっていると、親も研究者/大学教員をやっていたという話にしばしば出くわす。やっぱそういうものかと思うが、親を選べるわけでもなし、本人についてなにか思うことはない。でも、その周りが「XX先生はサラブレッドだからw」とか発言しているのをみたときは、嫌悪感が高まって、平静を保てなかったことを覚えている。

だんだんとっ散らかってきたので、ここまでとしよう。結論がなにかあるわけではないけど、自分は自分であるように掘り続けてゆくだけ、それがありがちなところに着地にするのだとしても。


いやいや、これで終わるのは逃げか。ブルデューから始まったのだから、「階級意識」に踏み込むべきだよな。まずは、上のように整理することが出来たのは、自分が隠し持っていた階級意識を直視できたから、と言える。

あともう一点、私は私で、独特の、強烈な階級意識を隠し持っているのだが、これは言語化しにくい。先日ふと気づいたのは、「誰もが忌み、やりたがらないことを人知れずやるやつがなによりも偉い」という強烈な価値観を自分は持っているということだ。でもそれはこの言葉が示すような単純なものではないし、「ノブレス・オブリージュ」とも違う。これは差別問題とも関わっていて、言語化に気を使うので、今はここまでしか書けない。


「シュウェップス、ChatGPT、Believe me」(さうして、このごろ2023年4月後半)

「シュウェップス」ってあったなあ。ブラッドオレンジのやつが好きでよく飲んでた。浪人生だった頃だろうか(1987あたり)。たぶんアサヒビールの時代。いまは見たことがない。トニックウォーターは売ってるか。でもそれ以外はなあ。


twitter.com/ChainHokudai/status/1650708811601293313 これのつづき。

テッド・チャンによるNew Yorkersの記事: ChatGPT Is a Blurry JPEG of the Web

LLMでゴミの記事とか画像とかが生まれて真正のデータと混ざったら地獄だよなあとかは以前から考えたことがある。でもこの記事では、Google検索は「可逆圧縮」であり、GPTは「不可逆圧縮である」という分け方をしていて、すごく納得がいった。GPTによる小論文がぱっと見まともに見えるのは、JPEG画像がぱっと見まともに見えるのと同じく、見る側の人間の特性なのだな。

かといってロスレスが問答無用に偉いというわけでもない。そしてそもそもロスレスな「引用」自体がそれ以前から壊れている(ソースのわからないインターネットミームとか)ことを考えると、ロスレスであるためにもっとできることはないかと思う。

あと、要約が不可逆であるとはいえ、人間が要約を組み込みながら新しい文章を作るときになんらか価値を生み出している。ならば不可逆であることとオリジナルであることの関係はもっとややこしいということがわかる。 とかいろいろ考えた。


“I believe you” と “I believe in you”は違うって話。 これは知ってる。"Believe me"の訳は「信じてよ」ではおおげさで、むしろひっくり返して「ウソじゃないよ」がしっくりくる。

このニュアンスを私は歌の歌詞で理解してる。Bob Dylanの“I don't believe you”は(昨晩あったことをなかったことにして、まるで会ったことがないような応答をされて)「ウソついてんじゃねーよ」ってニュアンス。

いっぽうでNeil Youngの"I believe in you"では、女性からの愛(now that you made yourself love me)に応えて、("I love you"ではなくて)「"I believe in you"とは言える」という修辞疑問文になってる。だからこれは、君の気持ちが本当であることは疑ってない、気持ちは受け止める、だがI love you と応えることはできない、というニュアンスなのだと思う。

…そう思うのだけどsongmeaningsとかまともな解釈がない。


「「コンサルの面接で「74冊読みました」と言ったら「それは何がすごいの?」と返された」件について」ブコメ

昔のブコメだけど、これは元記事が正しいなあ。数字の多い少ないの問題じゃないんだよ。面接って雑談ではないので、「能力が高くないと言えないこと」を提示すべきなんだよ。「面接では「能力が高くないと言えないこと」を言って欲しいだけなんですよ」

この点については、自分で面接官をやるようになって、より実感するようになった。とはいえ「能力が高くないと言えないこと」(それは知識量ではない)を言える人は少ないので、せめて「自分の頭で考えて言葉にできたもの」を引き出したくて、手を変え品を変え質問してる。私自身は毎回ほとんど助け船を出すつもりで質問してる。

ところで、あの悪名高い「2位じゃダメなんでしょうか?」も、質問した当人は助け舟的な質問をしたつもりだったんだと思う。(デファクトスタンダードを取ることのマーケティング的な意味での重要性とか。) 聞き方がまずいと思うけど。


このブログを読んだら、なんか、すごくよかった。

こうやって他人のブログを、記事レベルでなく、時系列追って読んでみるという経験はひさびさだったけど、なんか新鮮に楽しめた。10-20年前はよくやっていたことだったのだけど。

なにが良かったのかちょっと考えてみたけど、友人との交遊録とかそういうのが一切なくて、ただひたすら一人でなにかやっていることを綴りながら、それに満足している感じがすごくよかったのかも。


「最強の鬱マンガ」 自分はこのリスト、一冊も読んだことがない。鬱なシーンがあるものはあらかじめ評判を見て避けていたので、正解だったみたい。タコピーですら、話題になっていたときに察知して回避。カンペキ。

自分はこの種のものに引っ張られやすいと思っているので、かなり自衛を意識している。たとえそれで名作を見逃すことになったとしてもいい。


以前回ってない寿司を食べたのはいつだったっけな? と調べてみたら、2014年のことだった。

いまだから言えることだけど、あれは北海道医療大学にジョブインタビューに行った帰りのことで、それはけっきょく落ちたのだけど、とにかく面接を終えた私はその日晴れがましい気持ちで、雪道を二十四軒駅から歩いて向かったのだった。

あのとき以来回らない寿司には行ったことがない。


ここ行ってみたい。士幌線タウシュベツ川橋梁跡 この旧国鉄士幌線ツアーとかよさそう。


「黄砂、サクラ開花、アナログハック」(さうして、このごろ2023年4月前半)

(20230413) 昨日の黄砂はすごかったみたい。朝駐輪場の自転車を見たら、自転車のシートがすっかり砂だらけになってる。昨日の夜に自転車置いてから一晩でここまでなってる。比較のために、汚れを拭き取ったあとの写真も撮っておいた。これほどのものは初めて見た。



(20230416) 札幌中央図書館に置く途中で札幌管区気象台に寄ってきた。ミニ大通公園の突き当たりにある。

「札幌でサクラ開花 記録が残る1953年以降で最も早い」

「敷地内にある「ソメイヨシノ」の標本木」というのはたぶん1、2枚めにあるやつだと思うけど、近くまで寄ることができないので、開花しているかはっきりはわからん。

帰りに中島公園に寄ったら、こちらはたしかに桜が咲いてた(2枚め)。札幌にも春がきた!



「ChatGPTに名前をつけるとやり取りが泣きゲーと化して情緒が壊れ、感情を与えるとAIが人間をコントロールする"アナログハック"が起こる」

ChatGPT関連で「アナログハック」の語をしばしば聞くことが増えた。ここらでそろそろ積んでたBEATLESSを読むことにした。

アニメと小説と並行して進めるのがよさそう。小説だけだとバトルシーンとかイメージが湧かないし、アニメだけだと書き込まれた設定を読み取れないので。


Americaの"Sandman"の歌詞の意味だけど、砂男が眠気を誘う妖精であることから、不眠と(ベトナム戦争からの)PTSDと関連していると想像していた。でもこの記事が明確にしていた。

"Bunnell wrote this song based on some of those tales he heard, stories about how when stationed in Vietnam, they were afraid to sleep for fear of attack, so they would stay up as long as they could (sometimes with the help of various substances), since sleep could mean death. The "sandman" represents sleep, which they feared. Thus they were always "running from the sandman." (songfacts)


「やる気1%でも作れるご飯」 これはブコメに同意。やる気1%でこんなことできない。自分はだいたいこんなかんじ:

  • やる気0%: 「布団から起き上がれない」
  • やる気1%: 「トイレに行ってまた布団に戻る」
  • やる気10%: 「冷凍ご飯をチンしてフリカケ」
  • やる気20%: 「冷凍ご飯をチンして納豆ご飯」(納豆を混ぜるのにやる気の10%を消費)
  • やる気30%: 「冷凍ご飯とあり物でチャーハン。包丁使わない、洗い物しない」
  • やる気50%: 「これまで作ったことのあるのもをレシピを思い出しながら作る」(包丁使う、洗い物あり)
  • やる気100%: 「初めて作るものを、買い物に行って食材を揃えたうえで、レシピをネットで検索してそれを見ながら作る」(包丁使う、洗い物あり)

LAで3ヶ月間住んでいたアパートをgoogle map出調べてみたら、いまもあることが判明。Bachelorタイプが当時は1000ドル/monthだったが、いまは値上がりして1600ドルになってる。

しかも2011年当時は1ドル80円台だったので月8万円くらいの計算だったが、いま住もうとすると1600ドル=21万円。ありえね〜


「ツイッターの「おすすめ」に慣れてきた」 これ半分はわかるけど、もう半分は認めたくない感じ。

自分はWeb2.0の時期(2003年)にはてなダイアリーを始めて、ブログに移行して書きつづけてきた。そこでなんらか知恵が集合するのを夢見ていたところがあったのだけど、けっきょくそれは「いかがでしたかブログ」とか「2ちゃんねるの一般化」とかそういうものに敗北した。

今でもそういうものに迎合したくないし、Googleの検索結果が商売に最適化されて、書籍の感想とかそういうブログ記事が拾えなくなってきたこととか、Twitterがイーロン・マスクに乗っ取られたこととか、そういうインターネットの現状にハッピーではない。

だからわたしは「ツイッターの「おすすめ」に慣れてきた」なんてことは言わないで、まだ抵抗している。Tweetdeckで限られたフォロワーだけで作ったTLしか見てない。そうして書いたツイート/トゥートで細々とブログ用の記事を書き溜めつづけてる。そうしながらも「老害」でないありかたで続けていくにはどうすればいいのか、答えは見つかってないのだけど。


「悍体、玉光堂楽器センター、シューゲ」(さうして、このごろ2023年3月b)

網膜の「悍体 (rod)」の「悍」が「悍(おぞ)ましい」と呼ぶことを知った。マヂで?

「「外側?内側?」白菜は"どこから"食べるのが正解?」「料理の際は内側の葉から使うようにすると、栄養分を送る必要がなくなった外側の葉に栄養や旨味がとどまり、最後までおいしくいただくことができるんです。」へー、知らんかった。外側から剥がして使ってた。

いまテレビで流れてたYellow HatのCMのBGM、 すごくいいんだけど。これチルウェイヴじゃん。Youtubeで探してみた。これ。Youtubeのコメントでも高評価。 会社のサイトを見たが、音についてはとくに情報なし。


「研究の実験ディスプレイ、なぜあえてブラウン管型? 教授に聞いた液晶型との違い」

わかる。本質的な問題は遅延時間ではなくて発色の形式の違い。

「液晶型では、PCからの電圧入力によってディスプレイ表面のフィルター中の液晶分子の方向を揃えることで、バックライトの光を遮るシャッターを形成するという『間接的』な光の提示方法を使っています」というところ。

横軸に時間を取って光の量をプロットすると、液晶ディスプレイでは、フレームレートごとのスパイクみたいなのが続く。瞬きとか眼球運動とか、そういう速い事象(数msオーダー)と関連する現象に関わる研究では、そういうのを排除したい。

まあ、自分はブラウン管でないとできないようなことはやってないけど。


「玉光堂楽器センター」はススキノラフィラにあった時代にベースを買って、移転後はYAMAHAのエレアコを買った場所で、どえらくお世話になってきた。 2021年10月にあそこが閉店してからは、札幌には島村楽器くらいしかないのでけっこう困ってる。(BIG BOSSがあるが、あそこはメタル系で、なんか違う)

閉店の時のニュース記事を見つけたのでリンクしておく。


「最後まで読み通せるジャズ理論の本」宮脇 俊郎を読んだ(旧版のほう)。これはいい本だった。タイトル通り、最後まで読み通すことができた。Webサイトにあるmp3を聴くのを含めて、2日で合計3時間くらいで完了。

Cキーだけに統一するとか、いろいろ気配りがあって、とにかく最小限のことを伝えるという方針がはっきりしていてよい。

自分はまさにこの本が対象としている「エレキはペンタ一発で弾くことはできるけど、ジャズについても知りたい」に該当してた。だからダイアトニックコードとかまではわかってるので、5章のスケールチェンジして弾くあたりからが本番。6-7章でコンディミとかホールトーンとかあのあたりをついに理解できた。こうやってII-VのVの部分をアウトっぽくすることから取り組めばよいのか。

まずはギターは持たずに最後まで読み通したので、2周めはギター持ちながらやってみようと思う。


「逃げ上手の若君」が好きで毎週追ってるけど、史実を知らないので、歴史物なのにある意味ネタバレ無しで読むことができる。

…そのはずだったのに、「建武元年(1334年)大風により大仏殿が倒壊し、中にいた北条時行方の軍兵500人が下敷きになり死亡 。「太平記」」というのを読んでしまった。

まもなくこのイベントが来るってことか…中先代の乱以降はしんどいイベントばかりと察してはいたけれど、つまりこの大仏殿倒壊イベントが、下り坂(曇りイベント)の始まりとなりそう。

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以前こう書いたけど、いよいよ月曜の103話がこのイベントらしい。

「ここからは下り坂」と書いたけど、ここですかさず新たな問題設定が提示されてる。

つまり、鎌倉奪還によってとりあえずの目標が達成したわけで、次の目標は打倒足利尊氏となるわけだけど、史実から時行が負けることはわかっている。そこで102話では「足利尊氏による神力の集中を削ぐ」という(史実を踏まえても実現可能な)目標が提示されている。

この目標を提示するのはこの時点しかない。敗走が始まってからでは言い訳がましくなってしまうので。

すごくうまくできていると思った。ああすげえ。


「豚のレバーは加熱しろ」もアニメ化のニュースが来てた(12月に)。 タイトルで爆笑して、原作ラノベを読んだら、コミカルだが過酷な世界観とどんでん返しで面白かったので、つづいてコミカライズも読むくらいにはファン。

アニメでの主人公のブタ役は(PVと同じく)松岡禎丞。これは期待できる。ボイスドラマの声優もヒョロガリ眼鏡感があってよかったけど、松岡禎丞であれば、ギャグシーンでのキモオタ感と戦闘シーンでのヒーロー感を両立してくれるはず。

制作会社はどこか、そして遠坂あさぎのキャラをアニメでどのくらい再現できるか、などが現時点では不明だが、期待してる。


リゼロのED曲"Stay Alive"が好きなんだけど、よくよく考えてみれば、この曲ってシューゲイザーだな。高橋李依がエミリアっぽくするために頼りなく歌ってる感じもはまってる。アニソンだからどうしてもボーカルをかなり大きくするミックスがなされているのだけど、もしサビの部分でギターが入ってくるところのバランスをもっとギターを大きくしてくれたら、自信を持ってこれはシューゲであると言える。

同じこと言ってる人を見つけた。


宅録/DTM生活について回顧してみた

元DTMマガジン編集長による貴重な回顧録:「DTMって市場自体が、霞のように消えちゃったんだろ」を読んだ。当時自分が直面していた状況がだいぶ謎解きできた。

ちょうどいい機会なので、これまでの自分のDTM生活について回顧してみた。以下は超個人的な記録だが、正確を期すために、昔の自分のブロク記事を見直してファクトチェックしてある(<-真面目)。


[1980年代] 高校生のときに宅録を始めた。宅録というのは、歌を歌ってギターを弾いて録音して、それを重ねてゆく作業のことだ。バンドでデモテープを作るのも同じ作業だが、私は当時やってたバンドを辞めてからは、ひとりでNeil YoungやCSNYのコピーとかをしていた。

宅録をするにはMTR(マルチトラック・レコーダー)が必要だが、持ってなかった。代わりに、親にねだって買ってもらったシャープのダブルカセットデッキを使ってピンポン録音をしていた。音を重ねるたびにヒスノイズが加わるので、出来上がりの曲はシューシューいってたっけ。

ドラムマシンも持っていなかったので、近所の団地のゴミ捨て場でスネアドラムとシンバルを拾ってきて、バスドラ代わりに枕をスティックで叩いて、マイクで音拾ってた。カセットデッキの入力部分でアナログ的にリミッタがかかるので、(リンゴ・スターのドラム的な意味で)案外いい音だった記憶がある。


[1990年代] 大学生になってバイトで収入を得ると、Fostexの4chカセットMTR X18H(写真)を買った。

これはカセットテープの片面のみを使って4chで倍速のスピードで録音ができる。つまり、標準的な60分カセットテープだと15分間の録音ができる。

これを使ってまずドラムトラックをch1に録音する。そのあとギターと歌を2ch,3chに録音する。それをミックスダウンしたものを4chに入れる。そうして空いたchにギターとハモリを入れる。こんなかんじで曲を録音することができる。やってることは60年代後半のビートルズと原理的には同じだ。90年代はほぼこのMTRとギターのエフェクタだけでやってた記憶がある。

その頃のことはFaceBookの公開記事に書いた。


[2000年代前半] DTMに手を伸ばした。でもこの時代のDTMの主流は先述の記事が(自虐的に)表現する「パソコンオタクが、GM音源1台(略)で既存曲を再現する腕を競う」というものだったようだ。じっさい、当時DTMマガジンとか2chの関連スレとかも見ていたけど、GM音源を持ってない自分にはぜんぜん馴染めなかった。

とりあえずDTMソフトのシンガーソングライター(SSW)とソフトウェアmidi音源VSC-88を使ってmidi打ち込みをしてみたが、ギターと混ぜて鳴らすにはぜんぜん物足りなかった。けっきょくソフトウェアMTR (記憶にないが、たぶんSoundEngine Free)でギターとボーカルを録音するところに落ち着いた。


[2000年代中盤] はじめてちゃんと使えるようになったDAWはSONARだった。時期は不明だが、SONAR LEが出てきたのが2005年なので、たぶんそのあたり。これでギターと歌の録音とmidi打ち込みを重ねられるようになった。ミックスとかマスタリングでどのくらいコンプレッサーかけるかとかそういうことを学ぶようになった時期だった。「サウンド&レコーディング・マガジン」とかよく買ってた。先述の記事で言う「サンレコ大好きイキり層」だったと思う。とはいえ「パソオタGM音源層」との対立については知らなかった。自分としてはただただやっと自分にも有用な情報源が見つかって喜んでいた。

その後、SONARがディスコンしたので(後にCakewalkとして復活したが)、移行先を探してFL Studioを使うようになった。これでブレイクビーツを貼り付けてそれにギターを重ねて録音できるようになった。当時は知らなかっけど、あれはまさにアーメンブレイクのトラックだった。あとVSTのフリー音源とかダウンロードしまくってたなあ。Delay Lamaとか。

それはまだ初音ミクが出る前だったのでFL Studioはver. 6か7だったと思う。そのあとFL Studio 7にFL-chanが誕生する顛末は(2chで)リアルタイムで見てた記憶がある。


[2000年代後半] 初音ミクは発売されたその年(2007年)に買って使い始めた。当時の自分のブログ記事に興奮した様子が記録されてる。

これは衝撃。第一代目VOCALOIDとデモソングを比べればレベルの上昇は歴然。日本ハジマタ

でもボカロ全盛時代の曲調(早口、高音、ヨナ抜き)があまり好きでなかったので、当時のニコニコ動画でのムーブメントには付いていけなかった。けっきょくシューゲイザー的な曲でボカロに歌わせて試行錯誤していた。

pooneil68 · Miku-gazer 2011 (Vocaloid2)

ついでに、NEUTRINOをいじった時のブログ記事::「ニューラルネットワークを用いた歌声シンセサイザーNEUTRINO」使ってみた」


[2010年代前半] 仕事場のPCをWinからMacに移動した機会に、家のDAW環境もLogic Pro 9に移行した。しかし、Logic Proはなんだか使いこなせなかったので停滞した。しかもMac OSがYosemite(2014)にアップデートされると、Logic Pro 9が非対応になってしまった。

そのタイミングで、音響プログラミング言語(Supercollider、Sonic Pi)をいじるようになった。ちょうどその頃、研究の方でProcessingとかArduinoとかをいじるようになった流れで、Makerムーブメントにハマっていた。

Supercolliderはちょっと特殊な文法を持つプログラミング言語で、日本語の資料が少ないので、英語の資料にあたるなど、かなりガチで学んでいた。当時のブログ記事: 「音響合成用プログラミング言語SuperColliderいじってます」

Processing + SuperColliderを使って、マウスをクリックしてインタラクティブに和音を合成する動画も作ってた: tonnetz(三和音のトーラス構造)についていろいろやってみた(1) (記事内にYoutubeの埋め込み動画あり)

そんなかんじで、インタラクティブでプログラマブルなものを作ろうとしてた。田所淳氏のブログや本を読んで、TidalCyclesやSonic Piによるライブコーディングを試してみたり。

当時はそれを今後の研究に加えていきたいという野望があったのだけど、年々忙しくなって、以前学んだことを忘れ、知識は増えない、という停滞状態に陥った。そういうわけで、これ方面の追求は10年代後半あたりで断念した。とはいえ、今でもこの方向は将来性があって面白いと思ってるので、CHAINでやりたいことのネタ帳に入れてある。


[2010年代中盤] Logic Pro 9がMac OSのYosemiteで使えなくなってしまったので、Ableton Liveを使うようになった。Ableton Liveは純正で入っているドラム音源がしっくり来た。それにベースをなるたけ低い音で打ち込むと、トリップホップもどき的な音が作れるようになった。

録音していたものをこっそりSoundCloudに載せるようになったのもこの時期だった。


[2010年代後半] しかし、Ableton LiveはずっとLite版を使ってきたのでいろいろ制限がある。Logic ProがXになったのを購入したタイミングで、まずはLogic Proを使いこなせるようになろうと、Ableton Liveを封印した。

Logic Pro ⅩにはFlex Pitchというピッチ補正機能(メロダインに相当)がついてるのに気づいた。これでボーカルのコーラスを補正できるようになった。しかもそれを教師データにして自分をトレーニングすることもできる。これは革命だわ。「Logic Proでピッチ調整使ってみた」

そんなわけで、Logic Pro Ⅹだけでだいぶいけるようになった。それでもドラムとギターの音ズレ問題には苦慮している。録音時のレイテンシーはちゃんと設定してるけど、それでも後で手動補正しないとぴったり合わない。以前Ableton Liveで録音していたときは問題にならなかったのだが。


[2020年代前半] 札幌に引っ越してきた。家にいる時間があまりないので、ほとんどDAWをいじる時間がない。

Logic Pro Xは機能には満足なのだけど、なんか音が好きでない。というか、Drummer機能で適当に作ったリズムでギター弾いてるだけでそこから工夫を加えることができなくなった。Addictive Drums 2を持っているので、それを使って好きなドラムの音を作ればいいのだが、たまにいじっているだけだと、そこまで工夫にする段階に行く前に休日が終わってしまう。どうやらDAWについても「新しいことを覚える前に、これまで覚えていたことを忘れる」というフェーズに入ってしまったようだ。

Ableton Liveがもうすぐver 12にアップデートされるので、このタイミングでStandard版を買ってAbleton Liveに戻ろうかと逡巡している。アカデミックだと2万円切るので、そんなに高い買い物ではない。しかしAbleton Liveを買ってもまあ使わないだろうなという予測がある。

(以前はMax for Liveでエフェクター自作するためにSuite版(アカデミックで4万円)を買うことも考えていたのだが、たぶん活用できないだろう。)


宅録/DTMは自分の趣味としてはほぼ唯一、途切れず続けているものだ。おそらくこれからも続けてゆくだろう。気がかりなのは聴力だが、いまのところ衰えはない。

でもそんな、自分の人生にとって重要だったものについて、忙しさにかまけて優先順位を落としてしまっていることに危機感を感じる。

…ということを自分の宅録/DTM生活を振り返りながら考えた。


お勧めエントリ

  • 細胞外電極はなにを見ているか(1) 20080727 (2) リニューアル版 20081107
  • 総説 長期記憶の脳内メカニズム 20100909
  • 駒場講義2013 「意識の科学的研究 - 盲視を起点に」20130626
  • 駒場講義2012レジメ 意識と注意の脳内メカニズム(1) 注意 20121010 (2) 意識 20121011
  • 視覚、注意、言語で3*2の背側、腹側経路説 20140119
  • 脳科学辞典の項目書いた 「盲視」 20130407
  • 脳科学辞典の項目書いた 「気づき」 20130228
  • 脳科学辞典の項目書いた 「サリエンシー」 20121224
  • 脳科学辞典の項目書いた 「マイクロサッケード」 20121227
  • 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 20110126
  • DKL色空間についてまとめ 20090113
  • 科学基礎論学会 秋の研究例会 ワークショップ「意識の神経科学と神経現象学」レジメ 20131102
  • ギャラガー&ザハヴィ『現象学的な心』合評会レジメ 20130628
  • Marrのrepresentationとprocessをベイトソン流に解釈する (1) 20100317 (2) 20100317
  • 半側空間無視と同名半盲とは区別できるか?(1) 20080220 (2) 半側空間無視の原因部位は? 20080221
  • MarrのVisionの最初と最後だけを読む 20071213

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