Pの食卓
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

マシュー・ボーン 『シザーハンズ』

幻想的な純愛を表現するのにバレエほど相応しい表現手段は無い


映画、クラシック音楽、演劇と芸術に泣かされた経験は少なくありませんが、

まさかバレエでここまでぐっとくるとは・・・

公演中二度ほど目頭が熱くなり、じわじわとくるものがありましたが、

共に観た相手の手前上、涙を感情を噛み殺してしまいました。


泣いておけばよかった・・・

そんな感じを味あわせてくれたもの、それがマシュー・ボーンのバレエ 『エドワード・シザーハンズ』 です。

原作はティム・バートン監督 『シザー・ハンズ』 です。


20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
シザーハンズ 特別編

--------------------------------------------------------


言わずと知れたティム・バートンの名作 『シザーハンズ』

七年の構想を経て、イギリスの天才振付師マシュー・ボーンがバレエ化!

いやあ、これを奇跡と言わずに何と言う。

その出来栄えは、バートン監督自ら喜んでしまうほどの質の高さ!


どんなところが良かったか? もちろんバレエであったことが最大の良さです!

セリフは一切無い。 しかしバレエの繊細の動き、激しい動きが全てを語る。

バレエのお陰で、無口で感情表現のできない人造人間エドワードの心が痛いほどよく伝わる。

ヒロイン・キムとのダンスは思わず涙してしまう・・・


思い出しただけでも涙が沸いてきます・・・


25日にも観に行くため、多くは語りたくありませんが、

とにかく、バレエという枠を超え、ミュージカル、演劇、映画、様々なジャンルの中間点にあるようなバレエでした。

その幻想的かつ現実味溢れる演出は、まさに歴史に残すに相応しいものです。


未見の方、必ず観に行きましょう。当日券もたっぷりあるようですよ!


三島由紀夫 『美しい星』

    人間の思想は種切れになると

    何度でも、性懲りも無く、終末を考え出した。

    人間の歴史がはじまってから、来る筈の終末が何度もあって、

    しかもそれは来はしなかった。

    しかし、今度の終末こそ本物だ。
    何故なら、人間の思想と呼ぶべきものはみんな死んでしまったからだ。

                             (『美しい星』 羽黒教授言)


悲観主義、楽観主義、そういった主義主張、主観的な思考様式を突き放し、

現代社会を見つめてみると、私たちの住む世界というものが、いかに危ういものかが見えてくる。

もちろん、それは比喩として言っているわけではなく、物理的、現実的な問題としての話だ。


七月も半ば過ぎ、どうしてセミがミンミンジワジワ鳴かないのだろう。

どうして亜熱帯でしか生きられない昆虫が日本で生きていけるのだろう。

なんでモルジブという国が島を一つ潰したのだろう。

どうして子どもたちがこれほど互いに傷つけ合う世の中になってしまったのだろう。


ただ安穏と暮らしているだけでも、それくらいの疑問は心の内に沸いて来はしないだろうか。

テレビの情報から土地開発、温暖化、早熟、様々な要因が見つかると思う。

そしてそれらは概ね正しいことだと思う。


しかし、それら問題の要因が見つかったところで、一体何になろう。

私たちは滅ぶ運命にあり、宿命の定める通り、滅びなくてはならない存在だ。

自然の力により緩やかな下降曲線を描きながら滅び行く運命にあるのか、

気まぐれの核爆発により急勾配な下降曲線を描きながら滅ぶ運命なのか、

そのどちらかはわからない。 ただ私たちには次の氷河期を行きぬく力がないことは確かだ。


そのように私たちは滅びる運命にあることを前提として地球という星を見てみると、

その星のきれいなこと、その星の抱える生命の尊いこと、その星の持つ可能性の未知なること、

私たち人間がそれらをどうにかしようとすることのおこがましさをヒシヒシと感じてしまう。


あるがままに生き、生産できる限り生産し、破壊の限りを尽くす。

私たち本来の生き方を続けることの必然性を意識し、

控えすぎず、やりすぎず、中庸を保った個々の生活を営むことこそ、

この美しい星をより輝かす動力になるような気がしてならない。


本日紹介しますは、三島由紀夫のSF 『美しい星』 です。

弥がおうでも地球について考えさせられる文学作品ではないでしょうか。


三島 由紀夫
美しい星

----------------------------------------------------

地球とは別の天体から飛来した宇宙人であるという意識に目覚めた一家を中心に、核兵器を持った人類の滅亡をめぐる現代的な不安を、SF的技法を駆使してアレゴリカルに描き、大きな反響を呼んだ作品。著者は、一家を自由に動かし、政治・文明・思想、そして人類までを著者の宇宙に引込もうとする。著者の抱く人類の運命に関する洞察と痛烈な現代批判に充ちた異色の思想小説である。

----------------------------------------------------


日本文学の持つイメージと最もかけ離れた小説だと思う。

過去百年の間に、一体誰が文学とSFを融合しえただろうか。

またSFといってもそれまでのSF論に忠実な正統派ではなく、

一家全員ばらばらの星から来た宇宙人であったり、オレンジと緑に光る安ピカものの円盤であったり、

とにかく初めから終わりまで破壊的かつ創造的な作品だったと思う。


破壊的かつ創造的、この二項対立すべき観念が両立する世界を描いた作品のようにも思える。

そしてその世界とは、つまり、私たちの住む現実的な世界であったりもするのだ。

つまり、逆理的な話ではあるけれど、このフィクションの最端にある 『美しい星』 の世界は、

ノンフィクションの最端にある私たちの住む現実社会と似通ったものがある。


荒唐無稽な設定であるにも関わらず、なぜかそこに一つの理性を感じてしまう。

その理由は、この小説が一個の思想をはらんでいるからだと思う。

その思想とは、思想無き現代における思想の復活、ではないかと感覚的に読み取れる。


作中、救う思想と滅ぼす思想の激論が交わされたりと、常に思想が話の主体となっている。

もちろんそこには美の追求者である三島の装飾が伴うわけだけれども、

結局のところ、単純化すると話の本筋は思想の有無に関わってくる。


思想が世界を変える。


荒唐無稽ではあるけれども、あながち的を外した話ではない。

思想は認識を伴うものであり、認識は世界を変える感覚でもある。

認識により視点を少し変えることで、世界はがらりとその姿を変えるからだ。

つまり、認識を生み出す思想こそ世界を変えることのできるものだと言える。

実際はどうであれ、三島は 『美しい星』 の中でそのことを実践している。


とにかく、これほど骨太なSF文学を読んだことは無い。

現代の文学作品にもこれほど骨太な思想は無い。

とんでもないSF作品を見せ付けられたような気がする。


ぜひ買い&読みです。

ティム・バートン 『ビートルジュース』

今、世間では天才マシュー・ボーンのおくるバレエ 『シザーハンズ』 が話題を集めている。

『シザーハンズ』 はティム・バートン監督の同名の映画を舞台化したもので、

哀しみの人造人間エドワードと快活な美女キムとの間に交わされる幻想的な恋物語であり、

多くの人々の心を揺さぶった傑作映画でもあります。


シザーハンズオフィシャルブログ


余談ですが、舞台の 『シザーハンズ』 はどういう縁か、誘ったのと誘われたので、

8月の20日と25日、2回行くこととなりました。

同じ週に2度も行けるなんてなかなか無い体験なので、ラッキーです。

早く公演日が来ないかなあ、と一人落ち着かないのでありました。


とにかく 『シザーハンズ』 を出世作に、エドワード役のジョニー・デップはめきめきと頭角を現し、

キム役で競演したウィノナ・ライダーと蜻蛉の結婚生活を送ることとなる。

(ちなみにジョニー・デップは 『エルム街の悪夢』 に出ていたりする。)


『シザーハンズ』 を商業的にも芸術的にも大成功に導いた天才監督がいる。

ジョニー・デップとウィノナ・ライダー、この魅力溢れる2人を発掘した偉大な監督、

それがティム・バートン監督なのです。


ティム・バートン監督は、先の2人をよく起用した他、

オインゴボインゴのリーダーであるダニー・エルフマンを音楽担当に起用し、

独特の世界観を共に作り上げていったのでした。


さて、本題ですが、そんなティム・バートンの作品群の中に、私の好きな一作がある。

好きで好きでたまらなく、何度と無く繰り返し見ては笑い転げる作品、

それが 『ビートルジュース』 です。


ワーナー・ホーム・ビデオ
ビートルジュース

-----------------------------------------------

娘役のウィノナ・ライダーも魅力的な、ティム・バートン監督の才気が如何なく発揮されたホラーコメディ。新居を購入しながら事故死し、幽霊となった若夫婦。引っ越してきた一家を追い出そうと、霊界から人間退治のプロ、バイオ・エクソシストを呼び出すが…。
縦横無尽に暴走する物語を、独特のアニメ的イマジネーションで視覚化。『アルゴ探検隊の大冒険』などで知られる、敬愛する特撮監督レイ・ハリーハウゼンの線を狙った手作り感あふれるクリーチャー造形も絶妙。
アカデミー賞最優秀メイク・アップ賞にも輝いた本作の興行的成功が、次回作『バッドマン』への飛躍を用意した。バートンは89年、本作のTVアニメシリーズの製作総指揮も務めた。(轟夕起夫)

-----------------------------------------------


百聞は一見にしかず。 とにかく見て損は無いのでどうぞご覧くださいませ。

二段目のものはラストシーンなので見ないほうが良いです。

なら挙げるなと言う話ですが、このカリプソがとっても良いので・・・


BEETLEJUICE

BEETLEJUICE Last Scene  注意:ラストシーン


ちらりと映っている若いころのウィノナ・ライダーがとってもかわいい。

彼女の魅力を最も引き出すことのできた監督の一人ではないでしょうか?


怪人ビートルジュース役をやっているのは、なんとマイケル・キートン!

名前を聞いてパッと思いつかないかもしれないけれど、

初代バットマンです。 ティム・バートン監督の 『バットマン』 シリーズの主演をやっていた演技派!

これぞ怪演と拍手を送れる数少ない俳優さんの一人です!

そんな魅力的な俳優さんや監督が送るはちゃめちゃなストーリー。

どこまでもB級にこだわった意欲作。 絶対に買いですよ。





むりやりミステリと関係付けるならば、

この映画では唯の一つもCGなど高等な技術は使われていない、

全て昔ながらのやり方にこだわった特殊効果であること。


どうやってこのシーンを撮ったのか、そういうことを考えるだけでも、

映画好き、映画を撮るのが好きな人たちに、果てしない夢と希望を与えてくれる作品だと思う。

ポール・オースター 『幽霊たち』

探偵小説―――推理小説とはまた違う味を持った小説群。

ミステリアスな事件、姿の見えない犯人、そして探偵する人物。

これらが必要不可欠な要素なのかもしれません。


では、これらのうちどれか一つが欠けた場合、

その小説のプロットは探偵小説として機能しなくなるのだろうか。


今回のポール・オースターの 『幽霊たち』 は先の条件のうち2つを欠いた探偵小説なのです。


ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
幽霊たち

-------------------------------------------

私立探偵ブルーは奇妙な依頼を受けた。変装した男ホワイトから、ブラックを見張るように、と。真向いの部屋から、ブルーは見張り続ける。だが、ブラックの日常に何も変化もない。彼は、ただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。ブルーは空想の世界に彷徨う。ブラックの正体やホワイトの目的を推理して。次第に、不安と焦燥と疑惑に駆られるブルー…。’80年代アメリカ文学の代表的作品。

-------------------------------------------


自己の存在意義をテーマに取るところからポストモダニズムの香りを強く感じる。

確かにこの作品はポストモダニズムの文学作品だと思う。

読後、心に残る得も言えぬ違和感。

これは近代の文学作品によく見られる読後感なので、文学作品であることは間違いない。


では、探偵小説としてみたときはどうだろう。

何か一つの物事を追求し探求する主人公ブルーの姿はまさに探偵小説の探偵役そのもの。

そして事件の内容は、いたって平凡かつミステリアス。

姿の見えない犯人、これも全く問題ない。 犯人の姿は全く見えない。


全く見えないどころではない。

小説が始まった時点では、事件はまだ起きていない。

そしてその 「事件が起きていない」 そのこと自体が非常にミステリアスな話で、

「つまらない、つまらないはずなのに、ページを繰る手が止まらない」

そんな怪現象にまで見舞われる始末。


まさに幽霊たちに見舞われる小説。


とても読ませられる作品かつ手ごろなボリュウムなので、

未読の方がいらしたら、お読みになられたらいかがかと存じ上げ候

牧阿佐美バレヱ団 『ノートルダムドパリ』

わざわざ劇場に足を運ぶ理由、それは人それぞれあると思う。

私にとっての理由は、世界を感じるため、その一つに尽きると思う。


ワインレッドの重厚なヴェルヴェットのカーテン。

どこかしら浮き足立った雰囲気のドレスアップをした人たち。

遠くから聞こえてくる作品に対する言及、ぺらぺらとパンフレットをめくる音。

それらの一つ一つが新しい世界を予感させてくれる。


7月23日、午後2時ちょうど、また一つ新しい世界が私の前に開かれた。


牧阿佐美バレヱ団 『ノートルダムドパリ』 の幕がするすると、

心地よい布擦れの音を振りまきながら、ゆっくりと上がっていった。


幕開けで衝撃を受けた。

今回の衣装はイヴサンローランということで期待はしていたが、

まさかこんな衝撃的なものだったとは・・・


前衛的でありながらも中世ヨーロッパを強く感じる・・・

貴族たちのかぶる不釣合いなほど背の高い帽子、

白と黒を基調とした丈の長いぞろぞろした服、

そして民衆の着る目も覚めるような色とりどりの服、

まさに馬鹿祭の世界がそこに広がっていた。


ダンサーも超一流ということは素人目にもはっきりとわかる。

ヒロイン・エスメラルダ役のルシア・ラカッカのコケティッシュなダンス。

強く柔らかくしなやかでバネのある動きが私たちを虜にする。


悪役のフロロを演じた菊池研も負けてはいない。

冷ややかな空気をまとう演技は舞台上に緊張感をもたらし、思わず息を呑んでしまう。

メイクもマリリン・マンソンみたいでアンチクライストぶりを発揮していた。


そしてカジモド。

リエンツ・チャンの演じるカジモドの無言の表現力。

痛切なまでに哀切な動きは見るものの涙を誘わずにはいられない。


著名人もいたりと文化的な空気が漂う劇場で、

のびのびと過ごすことができました。


三島由紀夫 『金閣寺』

業火に包まれる金閣寺


池と観光客に囲まれて安穏と佇む現在の金閣寺から想像することができようか。

水面に反射する陽光を受けきらきらと暖かい黄金色の光を発する金閣寺。

その金閣寺が、かつて全焼したことがあるなんぞ、一体誰が信じられよう。


昭和25年7月2日、鹿苑寺・金閣が全焼した。

国宝級の木像、仏像、掛軸、経巻、仏教本など全て灰となって燃え尽きた。

放火だった。


犯人は林という21歳の青年であった。

林は生まれつきの吃音であり、貧しい寺の息子であり、
「いづれは金閣の住職に」という母の過大な期待を受けた子どもであり、

そして、不幸なことに、賢しかった。


金閣裏の山で薬物を飲み刃物で腹を刺したにもかかわらず、

林の命は助かってしまった。

逮捕される瞬間、血を流しながらうずくまる彼は何を感じていたのだろう。


本日紹介いたしますは、三島由紀夫 『金閣寺』 です。

三島文学の最高峰と名高い作品が、私の三島デビュウ作でした。


三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈6〉長編小説(6)

まるでドストエーフスキィの 『罪と罰』 に出てくるラスコーリニコフのようだ。

『金閣寺』 の主人公である宿命の子・溝口はそういう人物だ。

生まれながらの劣等感、抑うつされた虚栄心、そして選民思想・・・

思想、まさにこの小説は思想書ともいえる三島由紀夫渾身の一作だと思う。


主人公の持つ鬱々とした感情は決して性欲など下世話なものには転化されず、

美の追求、主人公の思考は必ずこの想念に立ち返っていく。

そして彼の美とは 《金閣寺》 そのものなのであった。


彼がなぜ金閣寺と仲違いすることとなったか、

また彼がなぜ金閣寺に惹かれていったのか、

それらの謎は全て小説 『金閣寺』 の中で明示されている。


ストイックなまでに美を追求した文体。

演劇 『鹿鳴館』 で強烈にミシマを感じさせられたが、

『金閣寺』 で再び圧倒されることとなった。

一生に一度は読まなければならない一冊だと思います。




追記:


私はもともと反・三島由紀夫でありました。

というのも、彼の人生最後の行動が到底許せるものではなかったからです。

文学者は決して武に走ってはならないのです。


クーデターを起こすことは、文学を否定する行動であり、文学者の取るべき行動ではない。

その証拠に、彼が民衆に決起を促した際、誰一人として立ち上がらなかった。

それは彼の思想に問題があったわけではなく、

方法が完全に間違っていたことを如実に表している。


そんなこんなで私は三島由紀夫を憎んでいましたが、

先日見た演劇 『鹿鳴館』 でついにその洗礼を受けるに至ったわけです。

三島の思想は日本の宝だと確信を持っていえます。


ポール・オールスター 『ムーン・パレス』

    「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」

                              (テスラの格言:『ムーン・パレス』)


かつてシラノが旅行し、ジュール・ヴェルヌが夢見た月世界。

月に手が届けさえすれば――

私たち人類はとかく月を夢見ていた。


しかし1969年、ニール・アームストロング船長の一歩により、

私たちの夢は無残にも踏みにじられ、汚され、そして完膚無きまでに破壊されてしまった。

月面着陸という人類最大の偉業の達成とともに、月という夢にはぽっかりと穴があいてしまった。


他の人はどう思うか知らないが、とにかく、私にはそう感じられた。

そして、月を思うとき、月の表面につけられたあのいびつな丸い足跡が、

それこそ悪夢のように付きまとい、純粋な夢を見ることができなくなってしまった。


それだけ月に対する想いは強く、それゆえに月を扱う本には過大な期待を持ってしまうのでした。


本日紹介させていただきますは、ポール・オースター 『ムーン・パレス』


ポール・オースター, 柴田 元幸, Paul Auster
ムーン・パレス

-----------------------------------------------------

人類がはじめて月を歩いた春だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた…。深い余韻が胸に残る絶品の青春小説。

-----------------------------------------------------


この小説にはあらゆる種類の喪失が切々たる痛みを伴う文体で描かれている。

それはくどくどしいものでも、お涙頂戴的なものでも、扇情的なものでもなく、

ただ淡々と喪失の美醜が描かれています。


喪失の美と一言で片付けることは、この小説に描かれているものの壮大さから考えると難しい。

「清貧洗うが如く」という故事成語が語りかけるように、

何も無いというのは洗ったように清らかなもの、つまり喪失はそのような清浄感が付きまとうものでもある。

しかし、この小説で描かれている喪失はそういった形ばかりのものではない。


人格の喪失、尊厳の喪失、過去の喪失・・・

偶然のような必然に導かれ、ときおり喪失により何かを得ることができるが、

それでもやはりそれは喪失への序曲にしか過ぎない。


まさに喪失の小説と言っても過言ではないと思う。


表紙の美しさから、月の美を期待してしまうと少々物足りないかと思う。

それよりも、小説裏(上記)のアマゾンの紹介文を読み、少しでも気を惹かれるものがあったら、

迷わず購入してみるのもいいかもしれません。


多くの人にとって大事な一冊となる可能性を秘めた、実に魅力的な本でした。


モナコ公国モンテカルロ・バレエ団 『 Le Songe ~夢~ 』

7月15日、午後三時、渋谷Bunkamuraオーチャードホールは異様な熱気に包まれていた。

雷が轟き、雨が文化村通りを清めた直後、

睡蓮がゆっくりと花開くように、モンテカルロ・バレエ団の紡ぐ 『夢』 が幕開けた。


ワインレッドの幕が上がったとき、私は思わず我と我が目を疑った。

舞台上に現れた銀世界、それは、夏に現れた真冬の夢だった。




パンフレットからの一枚、ギリシャ彫刻に命が吹き込まれたかのように

クラシックバレエを踊る宮廷人たち。

シェイクスピアの作り出した喜劇 『夏の夜の夢』 は現代の天才マイヨーの才能を受け、

クラシック、コンテンポラリ、そして演劇の三つを備えた変化に富むバレエになっていた。



パンフレットに乗っていた一枚。これは陽気な妖精パック(ロビングッドフェロー)の後姿。

紫色の髪に他の妖精たちと一線を画す衣装を着こなし、まさにトリックスター。

奥に見えているのはタイターニア、15日は日本人の小池ミモザさんが演じていた。



タイターニアを背負うオベロン、どうでしょう、この野性味溢れるオベロン。

去年12月、グレゴリー・ドーランの 『夏の夜の夢』 で衝撃を受けた筋肉美のオベロン。

ドーランのオベロンが文化的かつ貴族的なタイラントであったのに対し、

マイヨーのオベロンは野性的かつ動物的なまるで赤鬼のようでした。

角のように突き出た赤い髪がとてもユニーク、ダンスも四つん這いというコンテンポラリ・ダンス。


タイターニアは妖精のイメージから離れ、雪の女王然とした冷たい輝きを放つ女王。

銀世界の舞台に最も相応しい妖精の女王でした。


『夏の夜の夢』 でもっとも重要な要素であるクィンスの劇。

グレゴリー・ドーランのそれは歴史に残る笑劇であり、同時に涙を誘うものでもありました。

マイヨーのクィンス劇は・・・ どっかで見たような・・・

ドーランのクィンス劇そっくりなように私には思えましたが、皆さんはどう感じたのでしょう。

ただ、哀しみの部分に関してはドーランを凌ぐ凄まじさ。

思わずクィンスの劇で涙してしまいました。


つまり、このバレエは傑作だったわけです。

飽きる閑も無い。 まさに傑作だったのです。


モナコ公国モンテカルロ・バレエ団日本公演オフィシャルブログ





観終わった後は・・・



吉祥寺のグルメツアー!といっても行くところはいつも一緒。

トークバックでオムライスを食べ、井の頭公園で食休みをし、そしてウラプールでF&C!

ウラプールのフィッシュ&チップスは二度揚げしているので、いつもサクサク!

こんなにおいしいフィッシュチップスは他にはない!


演劇や芸術を観た後はおいしいものを食べて語らうのが一番嬉しい。




さて所かわり横浜。


横浜・桜木町には-30度の世界を体験できる場所がある。

その名も 『アイスワールド』 !!

よこはまコスモワールド のアトラクションの一つなのですが・・・

これがすさまじい!

何がすごいかと言うと・・・



アザラシも凍る寒さ!! アザラシだけじゃない、ペンギンだって、白熊だって!

中に展示されている動物たちがみんな凍っているんだから凄まじい!

これぞ-30℃の世界、あまりの寒さに肌が痛いくらい!

うだるような暑さが一瞬にして吹き飛びました!



メガネだってこのとおりさ。


私心 一周忌を経て

人を人とも思わず、全てを軽蔑し、傲慢不遜に生きた僕の獣時代。

一匹の獣であった僕をお師匠は人間に変えてくださった。

シェイクスピアをはじめ、グレアム・グリン、エリオット、ドストエーフスキィなど

海外文学を通して人間そのものを教えてくださった。


そして、教育というものが何かということを、体得させてくださった。


僕の人生において唯一無二の尊敬する師匠の一周忌が行われました。

やはり、一年経とうと僕の胸にポッカリとあいた喪失の穴はふさがるはずも無く、

会場で独りボロボロと涙をこぼすばかりでした。


僕の行く末を気に掛け、遺書にまで僕の名前を出すなど、実の息子孫同然の扱いをしてくださいました。

しかし、不肖の私は師匠を失ったことで開いた穴の痛みを我が身我が心を汚すことで、

ぼろぼろに疲弊させて麻痺させることで乗り切ろうとした大莫迦ものなのでした。


本日はそのことを告白し、一度は外道に堕ちた身ではあるけれど、

決意を新たに文学を志すことを誓ったのであります。

また、遺書にのこされた通り、師匠の意思を継ぎ、その行動を後世に繋げるべく努力することにします。


多摩動物公園

さて、この日曜日は多摩動物公園に行ってまいりました!

以前、chisaの水色ブログにてchisaさんが絶賛していたため、

すわ行かねばと行ってきてしまいました!


tama


チケットはこんな感じ。ぞうが良い感じだったのですが、ちょっと隠れていますね。

多摩動物公園に行くならば、絶対おとくなこのセット!

その名も 「うきうきセット」 !!


どうでしょう、うきうきしてくる名前ではないですか!

内容は、多摩動物公園入場料+多摩モノレール乗り放題で驚きの1000円!

これでお得と言わず何と言う!


多摩動物公園の近くには、あじさいで有名な高幡不動尊もあるので、おすすめです。


tama  tama


左がモノレールの駅。モノレールはあまり揺れず、のんびりと進むので、個人的に大好きです。

そして右が問題の多摩動物公園入り口・・・


「動物園内の象より目立っている」


と、多方面で評価の高い門番の象。確かにこの存在感は・・・

雨に濡れて本物らしさアップ!


朝はあまり降っていなかったのですが、ちょうど多摩動物公園についたところで土砂降り。

ざーざーと雨が降りしきり、道々に小川ができておりました。

雨の動物園なんて・・・ と思われるアナタ、ちょっとお話を聞いてください。


雨の日は、お客が少ないのはもちろんとして、臭いが全く気にならないのですよ。

刺激的な臭いを持つタヌキ類なども全く臭いが感じられなくなるほどの消臭効果。

動物園には行きたいけれど臭いがちょっと・・・とお悩みのアナタ、雨の日をオススメいたします!


まあ、雨の日は濡れるので見辛いのではありますが。

そんなときは室内展示を回るのです。

というわけで昆虫館、 chisaさんが絶賛していただけに期待大です!


おもしろいことに多摩動物公園の昆虫館は 「触れる」 ということがテーマになっているようです。

通路には 「やさしく触ってね」 という注意書きと共にアオムシやら毛虫やら・・・

まあ、触りましたが。


そんなこんなでギエーギャーという悲鳴をよそに通路を進むと、何やら不思議な扉が見えてくる。

そして、扉を開けると



そこは蝶たちの楽園でした。


 


 


こんなに近寄っても全く逃げる気配が無い。

それどころか、服にとまったり、果ては頭にとまるなどなど。

蝶たちが自由に生活しておりました。


もちろんこの蝶のユートピアに住んでいるのは蝶だけではありません。

ハチドリやトノサマバッタ、水の中を覗けばゲンゴロウ、驚きのヒルの大群などなど。

そこには一つの世界が育てられておりました。


多摩動物公園の底の深さをおもいしらされる展示です。

他にもグローワームや、虫の生態のわかる展示物などなど、

ここは動物園なのか!?と思ってしまうくらい昆虫館の質が高かったです。


明確なテーマ設定、そしてその実現。

非の打ち所の無い楽しい展示でした!


さてさて、動物園はどうかと言うと・・・


 


こんな感じに動物たちは衛生的な環境下でとてものびのびと生きているのでした。

上野動物園と比較できないほど、多摩の動物たちは自由に生活できていると思います。


 


多摩動物公園が初というライオンバス! 今にも襲ってきそうな迫力ですね。

ライオンの足は思ったよりも太く、足先は人間の掌を広げたよりももっと大きかった。

雨濡れの雄のたてがみは、まるでヒッタイトの彫刻のように巻いており、

古代人たちが石碑に記したライオンの姿と驚くほどそっくりでした。



モウコノウマ、もう、この馬!

パカラッパカラッと落ち着き無く走り回っていたところを激写!

白っぽい色をした不思議な馬でした。



最後に、多摩動物公園の素晴らしいところは、柵にまで気配りされているところです。

ご覧下さるとわかりますように、柵が木の形をしており、雰囲気を壊さない。

こういった細かな気配りが 「また行ってみたいな」 と思わせてくれるのかもしれません。


さて、皆さん、夏休みに行くところが無いなんて言うことがあったら、

多摩動物公園に行ってみるのも良いかもしれません。

そこには新しい発見が待ち受けています。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>