5/30 更新
5/23 更新
「中島らもとの最後の夜」
5/17 更新
「らも meets THE ROCKER」
5/9 更新
「面白いこと言わない奴には用はない」
5/2 更新
「いま執行猶予中だから」
4/25 更新
「らも容疑者、大麻取締法違反で逮捕」
4/18 更新
「逮捕23日前」
4/11 更新
「ウロウロソワソワ、中島らも~ほんじょへのラブソング」
4/4 更新
「鮫肌さんにも責任があると思うんです」
3/28 更新
「だから、かまやつさんに歌ってもらうわけにはいきません」
3/21 更新
「暴力バーだって、金払えばいいんだろう」
3/14 更新
「今日はね、テレビで言えへんことを全部言うよ!」
3/7 更新
「キッチュと申します」
2/29 更新
「どうやってセックスするかまで知ってるの!」
2/22 更新
「キミ、中島らもの名前を利用したかっただけやろう?」
2/15 更新
「前回ゲロを吐いて怒られたから、今回はウンコをします」
2002年1月12日。
年明けすぐに行われたトークイベント「らもはだ」第二回目のゲストが、大槻ケンヂ。自らもロフトプラスワンで「のほほん学校」というイベントを主宰している彼の人気は絶大で、前売りだけで入場券がソールドアウトしてしまったほどであった。
筋肉少女帯のボーカリストである大槻ケンヂ、通称オーケンとオレとは同い年。
以前、『筋肉少女帯3年殺し』というセルビデオの構成をやったことがあり面識はあった。ワハハ本舗の梅垣義明さんがふんどし姿で神輿を担いでただひたすら町を練り歩く映像の合間に、筋少の楽曲のプロモーションビデオが流れる。今考えると相当にシュールな内容のビデオだった。
結局、諸般の事情で実現はしなかったのだが、打ち合わせの席でオーケンと2人で「志茂田景樹に越中ふんどしで神輿を担いでもらおう」と盛り上がった記憶がある。同世代のサブカル好きとして馬が合ったのだ。
2/8 更新
「こいつ、シャブ中や」
2/1 更新
「10年ぶりの中島らもは、3分間フリーズしたまま1ミリも動かなかった」
1/25 更新
「死ぬ前にもう一回だけ冥土の土産にSEXしたい老婆募集」
1/18 更新
「うちの事務所に来て、放送作家やれへんか?」
1/11 更新
「お題目じいさん、幸福荘に現わる」
1/4 更新
「入院して、ひとつビックリしたことがあるんよ」
12/28 更新
「金はある奴が出したらええねん」
12/21 更新
「舞台やったら何のタブーもないやろ」
12/14 更新
「こんなとこでオメコする気ィか?」
12/07 更新
伝説の「なげやり倶楽部」の
11/30 更新
「ホントに豆腐10丁食べられるね?」
11/23 更新
「もう少しで殺人犯になるところだった」
11/16 更新
「たまに喋る置物、中島らも」
11/09 更新
「これでブロン買うてきてくれへんか」
11/02 更新
「キミの胃袋はクラインの壺やな」
10/26 更新
「番組のブレーンになってくれへんかな」
1985年8月。
中島らもとの最初の出会い。
高校時代、70年代伝説の読者投稿雑誌「ビックリハウス」に投稿。「エンピツ賞」って小説の賞と、「カートゥーン大賞」ってマンガの賞を立て続けに受賞した。そのせいで兵庫県高砂市の牛谷なんていうド田舎に住んでいた少年が、サブカルの狭い世界とはいえ、なんだかいきなり全国的に注目されることとなった。
個人情報にうるさい今では信じられないが、当時の投稿雑誌には採用者の名前と一緒に住所も掲載されていたのである。
そのためファンレターが一日に100通届いたこともあった。田舎の夢見がちなサブカル少年は完全に浮かれていた。
さらにミラクルは続く。ビックリハウスでの評判を聞きつけた大阪の長征社という小さな出版社から連絡があり「君の本を出さないか?」と打診があったのだ。
10/19 更新