職場の魔女に告ぐ

わたしたちは 火あぶりだったり 八つ裂きだったり
水攻めだったり 無数のやりにつかれたり
石を投げつけられたり
いい加減この肉体を脱がしておくれ
と口の奥でぶつぶつ言っていた
そうしたら 誰か知らない神様みたいな力が
ぴょいっと 南京豆から出すように
わたしたちをどこかへ ぷいっと飛ばした

えー どこへ と思う間もなく
魔女だ 異端だ 同性愛だ ヤマンバだ
狂女だ 呪いだ まじないだ 水子だ
間引きだ 石女だ 人さらいだ 人食いだ
夜鷹だ 売春婦だ スパイだ
なんて声がたくさん聞こえすぎて
なんのことだかわからない
はい はい そうですよ
はい はい そうではないですよ
いえ いえ 思い込みですよ
いえ いえ 好き勝手に言いなさい

ヤリタミサコ「向う見ず女のバラッド」より

始まりがシルビア・フェデリチだったので、このブログでは主として再生産労働における女性の身体の搾取の問題を取り上げてきたのだけれども、そもそも私が関心を持つ女性アナキストの女性解放運動は労働運動の中から生まれたものだ。というわけで、そろそろ生産労働における女性の身体の搾取の問題も取り上げようかと思っていた矢先、石垣りんを発見したのは以前のエントリーに書いた通り。

つまり、最初に古いエッセイ集『ユーモアの鎖国』に手を伸ばしたのも、私の最大の関心は石垣りんの銀行勤め時代の話にあったからで、そこには彼女自身が経験した生産労働における女性の身体の搾取に触れられているに違いないと狙いをつけたのだ。幸か不幸か、私の読みは当たっており、生産労働の現場においても女は一つの階級として存在していた。

こんな感じで、彼女が経験した女性差別の凄まじさ、また、その差別を(彼女自身も含めて)誰もが当然のこととして受け入れていたという事実に、ため息しか出なかった。14歳の少女が自分の身体を労働力として売ろうとを決意した時、生産労働の現場ではその身体は①女性であること②子どもであること、という二重の意味で一人前とされる男性の身体に遥かに劣るもの、それゆえに低賃金で搾取できるものというルールによって値段をつけられた。

自分で稼いだお金で好きなだけ本を買いたいと考えた少女の前に、その行手を遮る階級の壁が立ちはだかったのだ。資本家と労働者という階級のピラミッド構造には、男性労働者、その下に女性や子ども労働者というヒエラルキーが階級の中の階級として存在した。彼女のエッセイには、資本主義と家父長制が築き上げた女性差別的な賃金システムの中で、女性がさらに過酷な搾取を受けるという過酷な実態が克明に記録されていた。

中でも、私はこの『事務服』というエッセイが気に入った。短いながらも生産労働における女性差別が身体による差別であることが、これ以上ないほど雄弁に説かれていたからだ。入手しやすい中公文庫のエッセイ集に収録されているので、ぜひ読んでみて欲しい。

石垣りんの銀行員時代を確認してから、塩沢美代子と島田とみ子の共著『ひとり暮しの戦後史: 戦中世代の婦人たち』 (岩波新書)を再び手に取った。石垣りんと同じように、丸の内の銀行に勤める女性が出てきたことが、記憶の端っこに残っていたからだった。7番目に「敗戦の混乱や生活苦の時期を、一家の働き手のひとりとして勤勉に勤務しているうちに、いわゆる適齢期はいつの間にか過ぎていた」Iさんが登場する。

まさに、ここが女性の労働権を巡って家父長制と資本主義の利益と思惑が交差するところだ。あの手この手で女性を労働市場から締め出して、資本主義社会を生き延びるためには身体しか売り物がない状況に追い込み、女性の身体を生殖と性欲という男性のニーズに応えるモノにしておきたい家父長制も、女性を男性よりも低賃金で搾取が可能な階級とすることで労働力全体の価格を引き下げたい資本主義も、女性を労働市場から排除することで大きな利益を得るのだから。

自分自身を振り返っても、学生の頃は無邪気に男女平等という建前を信じていたので、女性差別を実感するようになったのは労働市場で売買される労働力となってからだ。もし、人生のどこかの段階で賃労働をやめていたら、おそらく資本主義、家父長制、植民地主義に関して今のような考えは持っていなかっただろうし、新自由主義への興味から翻訳を始めることも、ブログを書くこともなかっただろう。そう考えると、今の私を生み出したのは賃労働者として扱われる経験であるとも言えそうだ。

再読していたら、独身婦人連盟について調べてみようと思っていたことを思い出したので、この機会に古庄弘枝著『どくふれん: 独身婦人連盟』(ジュリアン出版)を入手した。茨木のり子の『わたしが一番きれいだったとき』の引用に続く、「はじめに」には次のような一文がある。

ここを読んだ時に、ふと気がついたのだ。かつて日本で用いられていた「お局」という表現は、職場、すなわち生産労働の場での「魔女化」の手法であったことに。女性差別を体験して「イデオロギーに目覚めた」女性に、「お局=魔女」のレッテルを貼ることで、他の女性労働者が警戒心を抱くように仕向けて孤立させる。これはどこからどう見ても、あの有名な「分断して統治する」というやつで、階級闘争を妨害するための常套手段である。「お局化=魔女化」によって職場での女性の連帯を妨げることで、男性労働者の下に位置する女性労働者という階級が構築されるのを拒んできたというわけだ。

思い返せば、1971年生まれの私の世代は、多かれ少なかれ「女の子はいずれ結婚して家庭に入り子どもを産み育てるもの」という社会規範にどっぷり浸かった大人に囲まれていた。女の子に対しては「賃金労働者としての将来」が想定されていなかったから、親に「女の子は短大で十分」とか「女の子は浪人してまで四大に行くことはない」とか言われて、優秀な成績を収めていたにもかかわらず、四年制大学への進学を諦めた同級生も少なくない。

そして、私が働き始めた1990年代は、まだ職場に30オーバーの女性は珍しかった。女性は「30までに結婚する」ものだったから、就職しても数年で結婚を決めて「寿退社」するルートが存在していて、そういう女性を指す「腰掛けOL」という言葉もあった。結局のところ、「30までに結婚する」という社会規範の下で通例となっていた「寿退社」というのは一種の「予防的魔女狩り」で、数年後には魔女化して賃金格差に異議を唱えるなど、女性労働者としての階級意識に目覚めて正当な権利を主張し始める「お局予備軍」を労働市場から排除する手法だったんだね。

それから、数十年が経過して、私はとっくに魔女にカウントされる年代になったけれど、職場でお局と呼ばれることもなく、同年代の女性に囲まれながら賃労働に勤しんでいる。そう、確実に時代は変わりつつある!そんなことを考えながら、冒頭に引用した詩を思い出した。ヤリタミサコさんも石垣りんのように賃労働と創作を両立させて定年まで勤め上げ、「職場の魔女」として生きた無数の女性の中の一人なのだ。

生産労働の現場で魔女が少数派の時代は終わりを告げた。理不尽な差別に苦しみながらも働く権利をしっかりと握りしめて、果敢にも道を切り開いてくれた先人たちのおかげで、もはや魔女狩りは風前の灯となっている。全国の職場の魔女の皆さん、これからは女性労働者という階級意識に目覚めた私たちが、さらなる道を切り開く番ですよ。

女の階級

ふと吉屋信子のことを思い出したのは、バルセロナでスペインの女性アナキストたちによる女性解放運動の歴史を追いかけていたときだった。日本ではアナキズムと女性解放が関連付けて語られることはあまりないが、スペインのアナキズムは当初からその理念に「男女平等」を取り込んでいた。スペインのアナキズムと不可分の労働運動が、その前段階でサン=シモンやフーリエなど「ユートピア社会主義/空想的社会主義」の影響を受けていたためだ。ちなみに、この「ユートピア/空想的」という形容詞は当時の社会では女性が男性と対等に扱われる男女平等な社会モデルそのものが、到底実現不可能なユートピアに見えたからではないだろうか。

1864年ロンドンで創立された国際労働者協会、いわゆる「第一インターナショナル」の「万国の労働者よ、団結せよ」という呼びかけを受けて、スペインに労働者組織FRE(Federación Regional Española)が設立されたのが1871年のこと。1868年からバクーニンの同志ファネッリ、マラテスタ、エリー・ルクリュらがスペインの地を訪れてプロパガンダに勤しんでいたことから、この新組織はイデオロギー的にアナキズムの影響が色濃いものとなった。FREにおいて「ユートピア社会主義」の「男女平等」という理想とアナキズムの「ヒエラルキーなき社会」という理念が融合して、スペインの労働者は廃止するべきものの一つに性別のヒエラルキーも掲げて、職場だけでなく家庭内でも男女平等を目指すべきであるとしたのだ。つまり、スペインの労働運動においては19世紀から生産労働と再生産労働、二つの分野における男女平等の達成が目標とされてきたと言っていい。

この産声を上げたばかりの「アナキズムからの女性解放運動」を牽引したとされるのが、カタルーニャのテレザ・クララムン・クレウス Teresa Claramunt Creusだった。 繊維工場労働者だった彼女は、全国を飛び回って労働者の連帯を呼びかける一方、賃金労働に加えて家事を背負う「女性労働者は男性労働者の奴隷だ」と訴えて階級闘争の中から女性解放運動を始めた。この視点は現在もシルビア・フェデリチなど、労働者階級の女性が受ける二重の搾取へ抗議する反資本主義フェミニズムに受け継がれている。自身が先陣を切った女性解放闘争の中で、クララムンが目指したのが女性による女性のための労働者組織の設立であった。

そして、彼女がこの世を去ってから五年後の1936年に「アナキズム革命」下でその悲願が成就する。19世紀のFREの復活として1910年に誕生した労働者組織CNT(Confederación Nacional del Trabajo)に参加する女性労働者が女性だけの組織「Mujeres Libres ムヘレス・リブレス(自由な女たち)」を創設したのだ。クララムンの死の一年後1932年にカタルーニャで起こったアナキズム蜂起の発端となったのが、カタルーニャの繊維業の女性労働者のストであったことを考えると、すでに機は熟していたことがわかるだろう。このムヘレス・リブレスの創設者が電話交換手ルシア・サンチェス・サオルニル Lucía Sánchez Saornil 、医師アンパロ・ポック・イ・ガスコン Amparo Poch y Gascón 、弁護士メルセデス・コマポサダ Mercedes Comaposadaである。

ムヘレス・リブレスを理論的に支えたのがスペイン語圏で発展した独自のアナキズム理論「コムニスモ・リベルタリオ Comunismo Libertiario」による女性解放だった。コムニスモ・リベルタリオについて、クララムンは「工場に搾取される女性労働者が一人もおらず、家庭や家族の女奴隷が一人もいない。そんな所有者や雇い主なしの社会を目指す」として、その先に生まれるのが「Hombre y mujer libres 自由な男と女だ」と語っている。そして、このムヘレス・リブレスのイデオローグの役割を果たしたのがサオルニルであった。彼女については追い追いまとめるつもりでいるが、もし興味を持った方がいれば、以前に書いたこの記事を読んでほしい。

前置きが非常に長くなったが、詩人/作家でもあったサオルニルについてのテキストを読んでいたときに、吉屋信子のことを思い出したのだ。1895年生まれのサオルニルに対して、吉屋は1896年生まれなので歳は一つしか違わない。さらに、サオルニルはアメリカ・バロソ(América Barroso) 、吉屋は千代と、最期まで女性パートナーと生涯を共にした点も同じだ。しかし、両者の作家としての人生に目を転じると、その道のりは随分と異なる。

少女小説で人気を博した後大作家の地位を獲得した吉屋の作家としての大成功について改めて説明するまでもないだろう。彼女の社会的・経済的成功の大きさは、鎌倉の閑静な住宅地にある吉屋信子記念館を訪れると実感できると思う。一方、サオルニルは後にアルゼンチンを代表する作家となるホルヘ・ルイス・ボルヘスにも影響を与えた、マドリードの文学運動 Ultraísmoウルトライスモに参加する唯一の女性だった。ところが、当時は女性が文章を書くことが社会的に認められていなかったために、1916年に雑誌『Los Quijotes キホーテたち』に最初の詩を発表した時には、名前を男性化させたルシアノ・デ・サンサオル Luciano de San-Saorの偽名を用いている。そもそも、その当時のスペインは女性の識字率が非常に低く、少女を読者層に想定する少女小説での商業的成功を収めるなど、サオルニルには想像すらつかなかったであろう。その後はその文才を創作活動よりも、コムニスモ・リベルタリオの宣伝に活かすようになり、資本主義の搾取と家父長制の搾取が交差する<女性労働者>の解放論を発展させていった。

というわけで、一時帰国の折に『吉屋信子: 隠れフェミニスト』(リブロポート)を購入した。数ある吉屋信子関連書籍の中からこの本を選んだのは、著者の駒尺喜美に魔女に関する著作があることに興味を持ったからだったと思う。魔女狩りの首謀者カトリック教会の権威に抗ったことから、アナキズムの女性解放運動は魔女や魔女狩りと関わりがあるのだ。例えば、「男と同じ賃金をよこせ」と主張したクララムンは「悪魔に取り憑かれた女」と聖職者に十字を切られたそう。女性を劣った性とする価値観によってピラミッド型社会を安定的に機能させる役割を果たした教会にとって、女性という階級差別の解消を目論む女性アナキストは、この世から消し去るべき魔女に他ならなかったのだろう。

そして、こうして手に取ったこの本を読んで、吉屋に『女の階級』という作品があることを知った。1936年に「読賣新聞」に連載された新聞小説で、タイトルからも女性差別を階級問題として扱う視線があるのは明白だ。駒尺の解説から当時付箋をつけた部分を何箇所か引用してみる。

ここに登場する津勢子は銀行家の娘で、共産主義活動家の竜次と駆け落ちして貧しい暮らしを送っている姉加寿子がいる。二人の家を訪ねたときに、加寿子を下女のように扱う竜次とそれに従う姉の様子を見て憤慨し、次のような呟きを口にする。

第7章の女の階級を読みながら、クララムンからフェデリチまでスペイン語で読んだ女性解放論が日本語として自分の身体にすっと馴染んでいく感覚があった。俄然興味をが沸いたので『女の階級』の全文を読みたいと調べてみると、国立国会図書館のデータベースでしか読むことができない。「映画化されるほどの人気作品だったにも関わらずなんでこんなに入手困難なんだ??」と訝しく感じつつも、近所の市立図書館に通って読破したのは、今となっては懐かしい思い出だ。

それから数年経って、吉屋信子記念館を訪れたとき、玄関に貼られた説明文に次のような記述があった。

まさしくスペインで「良妻賢母よりも一人の人間としての女性の完成」を訴えたのが、ムヘレス・リブレスの中心人物サオルニルである。彼女らが生きた時代に思いを馳せながら、「一人の人間としての女性の完成」に必要なパートナー、対等な関係性の構築できるパートナーを求めるならば、その相手は自ずと同性である女性になったのではないかという考えが頭を過った。

こうして思いがけずに、家の近所に「階級闘争としての女性解放」を考えるのにこれ以上ないほど最適なスペースを見つけた。この場で読書会を開催しつつ、ライフワークのスペイン語の女性解放論をどう日本語に着地させるか?の模索を進めるのも、悪くないと考えている。

石垣りんを読む会II@吉屋信子記念館

海を売って十円もうけ
山を売って十円もうけ
空を売って十円もうけ
健康を売って十円もうけ
人買いをした山椒太夫
安寿・厨子王の昔より
もっとあくどい会社のあきない。
としよりを売って十円もうけ
子供を売って十円もうけ
明日を売って十円もうけ
もとでの安い薄利多売。
海を売って十円もうけ
山を売って十円もうけ
空を売って──。
石垣りん「利益(構成詩)」より

3月開催の石垣りんを読む会に予想以上の反響があったので、石垣りんを読む会Part II@吉屋信子記念館を4月20日土曜日に開催することにした。とりあえず3月開催の会に備えて、遅ればせながら本格的に石垣りんの詩を読み進めている。近頃はあちこちで家父長制批判を目にするようになったので、そろそろ資本主義批判にシフトしようかと思っていたところだったから、やっぱり私は彼女の資本主義に対するダイレクトで容赦ない批判の言葉に惹かれるな。

冒頭に引用した詩を読んだときに、思い出したのがプエルトリコのラップグループCalle 13が2011年にラテンアメリカを代表する三人の女性ボーカリストを迎えて制作した『LATINOAMÉRIA(ラテンアメリカ)』だった。

三人の女性は、ペルーでアフリカ人奴隷が奏でた音楽をルーツとするアフロペルアナ(Afroperuano)の歌手でペルーの文化大臣を務めたこともあるSusana Beca スサナ・ベカ、コロンビアのカリブ海沿岸のフォルクローレ(民族音楽)を歌うTotó La Momposinaトトー・ラ・モンポシーナ。カリブ海沿岸繋がりか、ガブリエル・ガルシア=マルケスと一緒に彼のノーベル文学賞授賞式に参加したらしい。そして、ブラジルのポップスMPBの歌手Maria Rita マリア・ヒタ。彼女たちがスペイン語とポルトガル語で歌うサビの歌詞は次のようなものだ。全訳はこちらを参照して欲しい。

君が風を買うことはできない
君が太陽を買うことはできない
君が雨を買うことはできない
君が熱を買うことはできない
君が雲を買うことはできない
君が色を買うことはできない
君が私の喜びを買うことはできない
君が私の痛みを買うことはできない

先住民のPachamama パチャママ(母なる大地)をテーマとする歌のために、Calle 13がラテンアメリカのフェミニズムを意識して人選を行ったことは明白だ。思いがけずにラテンアメリカのフェミニズムとの類似点を発見したことによって、私が石垣りんが紡ぐ言葉の中にあるフェミニズム的な響きを気に入ったのは、資本主義に加えて帝国主義や植民地主義を批判する鋭い眼差しがあって、メディアで主流のリベラル・フェミニズムとは一線を画しているからなのだと改めて思った。

「吉屋信子記念館を借りて読書会を行う」という作業が気に入って今後も続けるつもりでいるけれど、GW以降しばらくは吉屋信子記念館は一般公開のために週末の利用ができない。一方、私は会社員をしているので平日の利用はできない。というのっぴきならない事情から、次の「読書室イベリアvol.03」開催は早くても12月となる。そんなわけで、瀟洒な庭付き数奇屋造りの家屋でのんびりと過ごしてみたい方は、この機会に是非とも参加を検討ください。

吉屋信子記念館は鎌倉市の施設で、市内在住者であれば比較的容易に学習施設として利用できる。空いていて予約がしやすいのは嬉しいけど、遊ばせておくのは本当にもったいないので、興味のある方は是非とも使ってほしい。ちなみに、来期は「再生産労働サボタージュ」の実践に役立つテキストを取り上げる予定で準備を進めている。

参加希望の方は、下記のイベント内容詳細を確認の上、4gatsbooks*gmail.com(*を@に換えてください)まで、件名を「4/20読書会参加希望」として本文に参加者のお名前を記載してメールください。

会場の利用に人数制限があるため、翌日以降に先着順でこちらから参加確認メールを発信し、そのメールに返信いただいた時点で参加確定とします。人数の上限に達した時点で募集は終了します。

<読書室イベリア vol.02>

テーマ:詩人ヤリタミサコさんと石垣りんを読む

日時:2024/4/20(土)13:30〜15:45(開場は13:15)

場所:鎌倉市吉屋信子記念館

参加費:500円 (資料代を含む)

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ヤリタミサコさんのプロフィール

詩人。北海道岩見沢市朝日炭鉱の生まれ。明治学院大学と東洋英和女学院大学大学院で、アメリカ現代詩と女性学を学ぶ。ビートやフルクサス、詩とアートの評論、カミングズやギンズバーグの訳詩、ヴィジュアル詩、音声詩など多数。靉嘔・塩見允枝子作品とフルクサスのピース演奏、ヨーコ・オノ作品翻訳など。2019年第53回北海道新聞文学賞受賞。

著書・訳書(共著共訳を含む):『ビートとアートとエトセトラ』『詩を呼吸する』『カミングズの詩を遊ぶ』『メディアと文学が表象するアメリカ』『そのままでいいよ。。ジャック・ケルアックと過ごした日々』『北園克衛の詩と詩学』『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内』『ギンズバーグが教えてくれたこと』『月の背骨/向う見ず女のバラッド』『月の声』

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石垣りんを読む会@吉屋信子記念館

今ごろ 黒毛並みのチビが

つやつや光る黄色い果実をかかえこんで

つぶらな瞳をキョロリと光らせていることを思うと

狭い我が家の天井裏が宮殿のようだ

石垣りん「レモンとねずみ」より

自宅から歩いて約15分ほど、鎌倉文学館の近くに吉屋信子記念館がある。鎌倉駅から大仏様に向かう大通りから一本奥に入った閑静な住宅地の一角だ。学習施設としても利用できるということで、以前から気になっていた。公共の学習施設といえば、公民館や役所に併設されている無機質な会議室みたいな空間が一般的だけど、ここは違う。数奇屋造りの家屋の応接室と和室を貸し出していて、この二部屋は庭に面したメインスペースだから、実質的には瀟洒な庭付き一軒家を丸ごと借りるようなものなのだ。

昨年一般公開で内部の見学に行った時、案内係と雑談していたら、なんでもコロナ以降利用者が減っているという。家主のこだわりが詰まった家屋ときちんと手入れされた庭を見ながら「こんな素敵な場所を遊ばせておくのは、あまりにももったいない。絶対に私が使うぞ!!」と決意した。時期は国際女性デーがある三月が相応しいだろう。やるなら読書会だな。さて、テーマは? あの空間に相応しいテキストはなんだろう、と思いを巡らせていた時に、ヤリタミサコさんからの一通のメールが届いた。その顛末については前回のエントリーを読んでほしい。

新宿の「詩の教室」では石垣りんの声と生き方に衝撃を受けてすぎて、正直なところ詩の中身まで注意が回らず、なんとも消化不良な感じで家に戻った。私はかなりシツコイ性格なのでこのまま終わらせられないと、ヤリタさんに鎌倉での「石垣りんを読む会」を打診したところ快諾いただいた。

そんなわけでかなり個人的な事情から、吉屋信子記念館にて石垣りんを読む会を開催する運びとなった次第。我ながら理想の企画内容になりすぎたので、独り占めするのは勿体無い。下記のイベント内容詳細を見て興味を持たれた方は4gatsbooks*gmail.com(*を@に換えてください)まで、件名を「3/23読書会参加希望」として本文に参加者のお名前を記載してメールください。

会場の利用に人数制限があるため、翌日以降に先着順でこちらから参加確認メールを発信し、そのメールに返信いただいた時点で参加確定とします。人数の上限に達した時点で募集は終了します。

吉屋信子記念館の利用方法がわかったから、不定期で読書会の開催も良いなと思い、とりあえず「読書室イベリア」と名付けてみた。私にはあの空間で読んでみたいテキストがまだまだたくさんあるからね。

<読書室イベリア vol.01>

テーマ:詩人ヤリタミサコさんと石垣りんを読む

日時:2024/3/23(土)13:30〜15:45(開場は13:15)

場所:鎌倉市吉屋信子記念館

参加費:500円 (資料代を含む)

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ヤリタミサコさんのプロフィール

詩人。北海道岩見沢市朝日炭鉱の生まれ。明治学院大学と東洋英和女学院大学大学院で、アメリカ現代詩と女性学を学ぶ。ビートやフルクサス、詩とアートの評論、カミングズやギンズバーグの訳詩、ヴィジュアル詩、音声詩など多数。靉嘔・塩見允枝子作品とフルクサスのピース演奏、ヨーコ・オノ作品翻訳など。2019年第53回北海道新聞文学賞受賞。

著書・訳書(共著共訳を含む):『ビートとアートとエトセトラ』『詩を呼吸する』『カミングズの詩を遊ぶ』『メディアと文学が表象するアメリカ』『そのままでいいよ。。ジャック・ケルアックと過ごした日々』『北園克衛の詩と詩学』『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内』『ギンズバーグが教えてくれたこと』『月の背骨/向う見ず女のバラッド』『月の声』

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La Voz de la Mujer/女の声

県立図書館の書庫にあった『ユーモアの鎖国』は、修復によって『ギンズバーグが教えてくれたこと』と同じ配色になったから、並べるとまるで母娘か姉妹のよう。びっくりだね!

先月のある日メールの受信ボックスに「件名:ヤリタミサコより詩の教室のお知らせ」というメールが届いた。詩人のヤリタミサコさんから、トランジスタ・プレスの佐藤由美子さんと一緒にやっていた「詩の教室」を再開するというお知らせだった。開催場所だった新宿のカフェ・ラバンデリアは昨年の春に閉店してしまったので、同じ界隈に見つけた新たな場所で行うという。テーマは「石垣りん」とあった。フェルナンド・ペソアとかジュアン・ブロッサとか好きな詩人がいるものの、その興味は詩というより個人が対象なので、私は実際のところ詩には全く疎い。その詩人にぴんと来なかったので「ウィキペディア」を見てみた。

まず「東京赤坂新町に生まれ」という記述に目が止まった。私は育った場所は現在も暮らす鎌倉だけれども、父が赤坂の出身なので生まれたのは赤坂なのだ。とはいえ、三つ離れた妹は鎌倉生まれなので、赤坂時代の記憶は全くない。父に確認したところ、当時の家の通りを挟んだ反対側が「赤坂新町」だったという。さらには「定年まで勤務した」「少女雑誌に詩を投稿」「仲間と同人誌『断層』を創刊」「労働組合の機関誌に発表した詩」などのワードも私の興味をわきたてる要素だった。

結局のところ、詩に手を伸ばすことはせずに、ほとんど予備知識がないままで当日を迎えた。早めに会場に着いたので席に着いて配布資料に目を通す。ヤリタさんがセレクションした詩に目を走らせながら、最初に感じたのは、お金というモノに対するリアルでシビアな感覚と、資本主義に対する批判的な眼差しの鋭さというか、ヒリヒリするほどの生々しさだった。資本主義の最前線である銀行に長年勤務するというのは、こんなにも資本主義への解像度を上げるのか。

ヤリタさんの授業は石垣りん本人の声の録音で始まったが、開始早々に度肝を抜かれた。スピーカーから聞こえてくる女性の声の調子が、あまりにも上品で優雅すぎたのだ。その声を聞きながら、二年ほど前に三菱一号館美術館で開催されたウィーン出身のデザイナー上野リチ展を思い出していた。私が訪れたときの来場者はほぼ女性で、カラフルで愛らしい作品を観ながら、小声で楽しそうにコメントし合う柔らかで朗らかな声が会場に満ちていた。ああいう雰囲気にはピッタリだけど、この声の主があんなに厳しい言葉を綴ったのかと思うと、そのギャップに当惑した。

ヤリタさんの説明によると、石垣りんの話し方は当時の典型的な山手のもので、丸の内の銀行勤めによって身についたのだろうということだった。確かに、家父長制社会が女性に規範を押し付けるのは家庭だけではない。職場でも「女性らしい」受け応えを求められて身につけていく。電話に出るときに女性が声のトーンを上げて「他所行きの声」を作るのはその一例だろう。

昔、家に固定電話が一台の時代に、電話に出るとよく「母親と声がそっくりだ」と言われたことを思い出した。今から思えば、母も私も一つの規範に合わせようとしていたのだから、似て当然。そう、二人ともあれは「女性の声だと思われるもの」を真似ていただけで、自分の声ではなかったのだ。だいたい、普段の声はそれほど似ているとは思えないのだから。幸いにも、インターネットの発達で連絡手段としての電話の重要性は激減し、家でも職場でも「他所行きの声」を出す機会はほとんどなくなった。これも一つの女性解放なのかもね。

「詩の教室」を通じて石垣りんの銀行勤め時代に俄然興味が湧いたので、最も古いエッセイ集『ユーモアの鎖国』を読もうと検索したら、現在入手可能なのはKindle版だけ。電子書籍では時代の雰囲気がわからないので、こういう時は図書館に限る。すぐに県立図書館にあることがわかって、横浜に用事のある休日に行ってみることにした。

書架に見当たらなかったので、係の人に頼んで書庫から出してもらった。手渡された『ユーモアの鎖国』は1973年の北洋社刊。裏側には昔懐かしの図書カードがあって、スタンプされた最後の日付は1989年のものだから、その後はバーコードでの管理になったのか。製本自体はまだしっかりしているけれど、さすがに時の流れには勝てずに、布製の表紙の痛みが酷かったのだろう。上部が赤い合皮のようなもので覆われて、本来の装丁とは異なる姿になっていた。一目見た瞬間に「どこかで見たことがある配色だな」と思ったものの、すぐには思い出せなかった。

帰り道で、その本がトランジスタ・プレスから出たヤリタミサコさんの『ギンズバーグが教えてくれたことー詩で政治を考えるー』だと思い出した。家に帰って並べてみると、布と紙で素材は違うものの同じ配色になって、まるで母娘か姉妹のように見える。こういう面白い偶然もあるんだな。そこに収録されたエッセイの中に講演の中身を書き起こしたと思われる「出来ること出来ないこと」があった。

人前で話すことへの苦手意識が痛いほど伝わってくるこの箇所を読んだ時、「詩の教室」で私が感じたギャップの理由がわかったような気がした。彼女は自分が口を開くと、職場で身につけたあの穏やかで柔らかい語り口によって、本音が逃げて行ってしまうことを知っていたのだ。だからこそ、語ることのできない本音を表現するために詩を書き続けた。

家父長制は「女性は男性に従うべきである=男性の意思に従うべきである」という規範を押し付けることで、女性が自分の意思を言語化して意見として表明する機会を自主的に手放すように仕向ける。しかし、それだけではなかった。一定の話し方を規範化することで、語るという行為までも奪ってしまうのだ。石垣りんの声を聞いた時に頭に浮かんだのは、あの声でどうやって詩に込められた憤りの感情を表現していたのだろうかという疑問だった。考えてみると、日本語では「女言葉」とか「女性らしい話し方」という規範で、激しい憤りや怒りの表明を封印されている。つまり、女性の本音や本心の中には、例え話す機会を与えられたとしても、表現できない領域があるということだ。

二十世紀前半のスペインで、アナキスト労働組合CNTの中から女性だけの組織『ムヘレス・リブレス(Mujeres Libres/自由な女たち)』が創設された。創設の目的の一つが「女性だけで集まって人前で発言する練習をする」であった。創設者の三人の女性、ルシア・サンチェス・サオルニル、アンパロ・ポック、メルセ・コマポサダは、組合のミーティングで自分たち女性の発言を真面目に聞こうとせずに、茶化してくる男性同志たちにうんざりしていたのだ。

家父長制社会で「男性にわきまえる」という規範を内面化した女性は、人前(ほとんどの場合男性がいる)では「わきまえてしまって」、本人にとってたいして重要でもないこと、些細なテーマに関する意見の表明すらできなくなる。しかし、意見を言葉で表現できないからといって、意見がないわけではない。だからこそ、人前で自分の意見を話して組織の意思決定に参加するための第一歩として、女性だけの組織が必要であった。プリモ・デ・リベラ家父長制軍事独裁政権の下で育った組合員の中には、男性相手に堂々と意見を述べることができる女性などほとんど皆無に等しかったのだから。

そして、組織化に先行して創刊された同名の定期刊行物『ムヘレス・リブレス』の重要性が殊更に強調されるのは、女性には書くことでしか表現できない本音や本心がある/あったからだろう。考えてみれば、組合の機関紙上で労働組合の中の「男尊女卑」「女性差別」を厳しく指摘したサオルニル(詩人でもある)は、最も「感じの良い受け応え」を強いられる職業のひとつ電話交換手として働いていた。

そういえば、スペイン語圏のアナキズムの歴史上、最初に発行された女性による女性のための新聞の名前は『ラ・ボス・デ・ラ・ムヘル(La Voz de la Mujer/女の声)』だった。1896年のアルゼンチンで、ビルヒニア・ボルテンが「神も雇用主も夫もいらない(NI DIOS, NI PATRON, NI MARIDO)」を掲げて創刊。その顛末を扱った映画では、男性の同志から執拗な嫌がらせや妨害を受けながらも、果敢に立ち向かって新聞発行に奔走する女性たちの姿が描かれている。

そのちょうど40年後に当たる1936年のスペインで『ムヘレス・リブレス』が創刊したときも、男性同志の多くは表立って妨害まではしないものの、とても協力的とは言えなかった。数年前にこの映画を見たとき、どうして男性がこれほど女性の新聞の発行を嫌がるのか理解できなかったのだが、今ならわかる気がする。彼らは女の本音が怖いのだ。そして、女性が最も赤裸々に本音を語るのが書き言葉の中であることを、彼らは知っていたのだ。なるほど「もの言う女」ならぬ「もの書く女」になるのも悪くない。