浅窓の平常

To the happy (or unhappy) few

躁鬱だけど任せとけ

◆気温が乱高下するのに合わせて、テンションも上がったり下がったりでたいへんだ。特に昨日はひどくて、うろ覚えのプリキュアのOPを鼻で歌いながら晩ごはんの準備をしたかと思えば、急に死は避けられないことを思い出して狼狽えたりして、それを誤魔化すためにいろんなウェブサイトを反復横とびしながら寝た。ぶっちゃけありえない。春は嫌いだ。心は落ち着かないし、桜はすぐ散るし、小さいころから好きじゃないけど、昔はここまでじゃなかった気がする。最近なんだか変化についていけない。わからない。世の中がすごいスピードで加速しているように見え、目が回る。勘弁してほしい。速いものは基本的に嫌いなのだ。速くて好きなのはネット回線くらいのものだ。飛行機とか、新幹線とか極力乗りたくない。車とか電車とかも速いスピードが出るとひえーってなる。だから休日は延々ミニベロ漕いでる。バスとか船は好き。

◆そういえば明日はプロ野球の開幕戦なのである。プロ野球、観だしてから5年以上経つ。かといってマンネリかというと、そういうこともなく、もう現役ドラフトやらなんやらで入れ替わり激しくてついていけてない。ポンセ楽天に居たり、アンダースローの方の中川がDeNAに居たりしてびっくりする。開幕前にある程度順位予想をするのだが、昨年は割と当たった。パのAクラスはオリックスソフトバンク、ロッテかな、と思ってたらその通りだったし、セの優勝も阪神だろうなと予想していた。中日のAクラス入りは外れた。でも誰にも言ってないので後出しジャンケン感は否めない。ので今年はブログに書き残しておく。Aクラス三連単の予想をします。

まずセから。

阪-巨-広

なにがあるかはわからんけど、阪神はまあ2連覇するんじゃないんですか。昨年がうまく行き過ぎたにしろ。巨人はあの打撃スタッツで昨年の得点数なのが不思議な感がある。広島2位は出来過ぎ感あったけどそれを踏まえても堅実に強いと思う。坂倉なり小園なり、守備ポジに打てる野手が居るとそこで差がつくので、しばらく大沈みしないのでは。ヤクルトは相変わらず怪我人も増えてよくわからんけど、村上次第っすかね。中日はひと昔前のオリックスと重なる部分を感じるので、今年爆発していきなり優勝しても驚かない。単勝券あるなら買う。DeNAはルーキー野手が元気で楽しそう。

次はパ。

オ-ソ-ロ

山本由伸の抜けた穴はめちゃくちゃでかい。でかいんだけども、まあ今のオリックスならなんとかなるでしょ感はある。別に宮城でも舜平太でも普通にエース級だものな。西川とかカスティーヨとか、補強も堅実。カスティーヨ、コントロールいいなあとなんとなく思ってたけど与四球の少なさやべえな。加藤とかセだと東、村上、大竹並じゃん。ってか最近コントロールつよつよのピッチャー多いな。ソフトバンクは先発の穴どーすんだってのがあったけど、モイネロ先発転向というシンプルかつ強力な一手を打ったのでまあなんとかなりそう。ロッテは令和の怪物がそろそろフルで投げるんじゃなかろうか。そしたらまあAクラスは固いと思う。種市もすごいし。抜けてる野手はいないけど、皆それなりに打つので打撃が結構いいチームなのよな。今年は日ハム来るんじゃないか論、すごくよくわかるし、実際来る可能性は高いと思うのだけれど、それでいくと西武も同じくらい来ると思うのよな。即戦力ドラ1が来たし。楽天は先発一枚抑えに行っちゃったっていうのはあるけど、野手は相変わらず強力だし、やっぱどこもそんな差がないと思う。

はい。無難だな。

自信のない鶏団子

◆今日は寒い。薄々気づいていたけど、スーパーの帰り道、交通量の割に待たされる信号の下で確信に変わった。今日はなにもせぬまま一日が終わった。実際はそんなことはなく、なにかしたから一日が終わったのだろうが、感覚としては本当になにもしていない。せめて日記でも書く。若干朝寝坊してオープン戦を観て、合間にネットサーフィンしてたら夕方になっていた。せめてご飯でも作ろうと思って、時報チャイムが鳴る頃にようやっと家を出てスーパーに向かう。夕ご飯の献立はこれといった決め手もなく、とりあえず水炊きにした。鶏ひき肉が2割引だったので。買ってきた鶏ひき肉に酒、塩胡椒、片栗粉を加え、手で混ぜて鶏団子を作る。冷たい。今日一日のなかで一番やってる感のある行為だった。俺の作る鶏団子は、固いけれど味は嫌いじゃない。美味しいかと問われると自信はないし、人に出せるような感じもしないが、出来合いのものに比べると満足感が高い。とはいっても今流行りの時間対効果、いわゆるタイパ的にはどうも悪いような気がしないでもない。向上心もないので、料理スキルも上昇せず、時間かけたところでめちゃくちゃ美味しい料理ができるわけでもないので、あまり楽しくない。この前帰省したとき、家事の大ベテランであるところの母が、最近やっと料理が苦じゃなくなってきたと言っていて、そういうものかと思った。ペーペーの自分が料理楽しめないのはある意味当然に思えた。

◆タイトルが決まらないのでAIに頼った。いいタイトルだと思う。

十四才

丸亀製麺ぶっかけうどんを食べた。口の中にネギの匂いがまだ残っている。また春が近づいてくる。少年の自分がまだ俺の中に消えずに残っていて、時に駄々をこねる。そいつはループする学生生活のなかで、友達と延々スマブラに興じている。あるいは3Pシュートの練習をしている。あるいはテスト勉強をしたり、本を読んだり、恋に落ちたりしている。しかし現実の時間は勢いよく回り、少年を軽く飛び越してしまい、あの頃の人々とはもうほとんど接点がない。心の中の少年はそれに納得していない。すべてがうつろうものだということに、全く納得していない。こういうときは大人の俺が宥め賺してあげるしかない。あらゆるものは変わっていく、自分がじっとしたところで周囲が変わってしまう、だからより良く生きるには自分を絶えず更新する必要がある。そんなことを言ってみるが、今日は聴く耳をもたない。少年には未来がない*1。あるのは過去と現在だけで、だから未来を見据えてこうすべき、ああすべきみたいな言葉は全く効果がない。まあだからといって別にどうということもない。今日は少年が強いというだけで、もう暫くすれば大人のほうが強くなってくるのだと思う。もっと経てば少年が居なくなるのかもしれない。

*1:実情はともかくとして、少年はあらゆる形の未来を見る。少年の思い描く未来は不定形だ。形の定まらない未来というのは、ないに等しい。年を重ね、可能性が剪定されるにしたがって、未来が輪郭を帯びてくるのだ。

アシックスの靴も痛い

マットレスをいいやつに変えた。これまでニトリの安いやつを使っていたが、この前飲みすぎて卵を産むピッコロ大魔王みたくゲロを吐いてしまい、その一部が付着したもんでちょうどいい機会だと買い替えた次第。で、買い替えたはいいものの、明らかに中途覚醒が増え、なんだか日中も少し眠い。これ合ってないと違いますか。言うても肌ざわりは好きだし、中途覚醒も、まあ二度寝とか三度寝とか好きだからいいか。眠りが浅いからか、夢をよく見るようになったのも個人的には悪くない。マットレスなんてデカいもの、返品するのも面倒だし、高い買い物だし、短所には目をつぶって良いとこ探しするのがいちばん大事。こうしてみると、マットレスとの付き合い、これは明らかに結婚の比喩ですな。今のマットレスみたいな人と結婚できれば、まあいいんじゃないですか。かといってニトリの安いやつでも悪いわけではない。ナイキの靴みたいなやつとは結婚しないと少し前の日記で書いた。あのあとアシックスを買ったけど、アシックスも結局痛い。新しい靴は皆痛いのだ。

re-kam.hatenablog.com

とるにたらないもの

◆昔の写真を整理していた。最近はめっきり写真を撮らなくなった。GRの電池もちが悪くなったからというのもあるが、撮る切実さがなくなってきたからだろう。昔は写真を撮るという行為が一つの救いであった。なにもない一日が、写真を撮って見返すことでなにかあった一日になる。今見返すと、ゴミというかガラクタというか忘れ去られたものというか、そういうものばかりを撮っていた。労働するでもなく、学業に励むでもなく、人と関わるでもなく、家に引きこもって日がな惰眠を貪っていた時期。自分がゴミだろうがガラクタだろうが独りだろうが、この被写体がそうであるように、それ相応の輝きがあるんじゃないか。写真を撮る行為は、精一杯の自己肯定だったのだろう。

デブリ

◆過去最高を更新し続けている。体重の話である。太れない体質だとか嘯いていた若かりし頃が遠い過去のようだ。なぜ太ってきたかというとそれは食べる量が増えたからである。外食すると、大盛りを頼んでしまい太る。コンビニとか弁当屋は揚げ物ばっかなので太る。自炊をしても、量がたくさんできるので太る。どうあがいても太る。欲望はどうも慣性を持つようで、一旦それに慣れてしまうとズルズルいってしまう。昔の自分がそうだったように、食う量が減れば減ったでどうってことはないのだ。ついでに言えば最近毎日お昼は外食で、1000円オーバーしても平気な人間になってしまった。食べることが数少ない生きる喜びに一つなので、別にそこをケチる必要はないと思ってエンゲル係数アゲアゲでいかせて頂いているわけですけども、外のメシはどうしてもハレと言いますか、ケがあってこそのハレかもしれないなと思った。贅沢に慣れてしまっている。宮崎駿が毎日質素な弁当しか食わず、たまーに牛丼チェーンに行くと美味い美味いって食べる話があって、そういうのっていいなと思う。欲望には際限がないので、その欲望に忠実に生きる限り一生満たされない。資本主義の野郎が刺激的なものばっか誘ってくるけど、それに乗っかってばかりでもだめなのだ。ハズレのない名作とかキャッチーな名曲とか今の世だと浴びるように摂取できるけど、なんか難解でよくわからんものとか、淡白なものにも手を出していかないとジリ貧になってしまうなという感じはある。というわけで欲望を飼い慣らすというのが今年の目標の一つです。

死ぬのが怖い

◆最近、死ぬのが怖い。生まれてからついぞ抱かなかった感情だから、どう処理すればよいのか途方に暮れる。物心ついてから種々に怯える人生を送ってきたけど、死は別に平気だった。というのも生が怖かったからだ。つらかろうが苦しかろうが、生きている限り我から逃れることはできない。意識が常につきまとってくることに言いようもない恐怖があった。ノンレム睡眠の数時間だけそこから逃れることができたから、眠るのが大好きだった。きっと死ぬのは眠るのと近いのだろう。そう考えると、死というのはむしろ救いだった。別に(ほんの一時期を除いて)死にたいわけではなかったけれど、そういう感覚が子どもの頃からあった。

◆翻って、今である。死が怖いのはそれなりに年をとったせいだろう。若さは時間を無限と錯覚させる。だからこそ、いつまでも続く(と感じていた)生に怯えていたのだ。今は全くそう思えない。この前正月だったのに一ヶ月経ってる時点でなんかおかしい。生は有限であり、終わりがある。しかも、終わりはすぐそこかもしれない。

潮騒」のページナンバーいずれかが我の死の年あらわしており

って短歌を思い出したりする。