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光射す

先日、希望退職制度のことを書いたが、考えた挙句、やはり希望退職制度に応募することにした。

希望退職、とは言うものの、部長から全員に面談があり、人によって、「残ってほしい」「どっちにする?」「あなたのポジションはもうありません」の3通りに分かれるらしい。

私の面談は、「できれば残ってほしい」という温かい面談だったので、残ることもできたのだが、よくよく考えてみると、私のやりたいことは、今ここでやっている仕事ではない。

異動の制度が凍結された今、望むキャリアをここで実現することは非常に難しい。

大嵐が幾晩も続き、揺れに揺れて沈みかけている船から、死ぬのも覚悟で荒海に飛び込み、島があるかもしれない方向へ向かって必死に泳ぐか、半分穴のあいた船に残って決死の思いで船の状態を立て直すべく粉骨砕身するか、の、二択。

失業率過去最悪の中で離職となり、転職活動をするのは非常にリスキーだが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。私は結局、前者を選んだ。

毎晩悪夢を見たが、とにかくもうやりたい仕事に向かってバイトでも派遣でも構わないから頑張ってみよう、と思いつつ、覚悟を決めて、部長との二回目の面談の時に、やりたい仕事をやる方向で何としても頑張ろうと思っていることを伝えた。

すると部長から、思いがけない言葉が飛んできた。

「俺の飲み友達の会社が、ちょうど人が抜けて困っているよ。採用もやってるみたいだから、声をかけてみようか?」

びっくりしたが、聞いてみると、この道で知られた大手の会社だ。創業100年の大手。文句はない。むしろ、入れたらいいなぁと思っていたあこがれの会社だ。

早速言われるまま人事に電話し、エントリーし、必死で勉強して筆記試験を2回受け、面接を2回。これが瞬く間に、たった2週間の間で終わってしまい、あっという間に合格してしまった。

選考は非常に大変で、特にテストの勉強で週末中勉強する、ということが2回続いたが、なんとか通ることができた。あとは健康診断を受けて、条件提示を待つのみだが、今回の場合、年収は悪くても別に全く問題ない。

今月の初めから動き始めて、2週間でもう次の転職先が決まってしまった。話をつないでくれた部長はとても喜んでくれ、事情を話していた周囲の同僚も、あまりのスピード選考にびっくりしていた。

10/1から、私は早速次の会社に移ることになった。上司はおそらく、部長の飲み友達。一次面接で会ったら、今の会社にいそうな、年齢よりずっと若く見える、エネルギッシュな人だった。

まるで、荒海に飛び込もうと、船の甲板で懸命に精神統一をしていたら、あっという間に救助ヘリが来て、なわ梯子に一心につかまって半日歯を食いしばって耐えて、救い出された…というような感じ。

これで私は、異動前のキャリアよりもさらに1歩進む形で、専門職としての仕事をしっかり身につけられる環境に移れることになった。しかも前よりも、やれる仕事の質も規模も上がる。夢のような本当の話で、自分でも驚いている。

この1年、どこを見ても八方ふさがりで、なぜそういう状況になったのか、悩み苦しみ続けたが、その苦労が報われて、歯を食いしばって仕事をしている姿を評価してくれた部長からの紹介が縁で、あっという間に解決した。

その会社が採用を始めたのは最近だから、おそらく、去年異動したての時に動いても入ることはできなかっただろう。苦しみぬいた末のタイミングだったから、この縁をつなぐことができた。

不思議なこともいろいろあった。

部長との面談を控えた前日、夢を見た。夢の中で、私は困難にさらされて逃げまどうが、行く先々で、誰かがやってきて手を差し伸べてくれる。みんなが私の味方、という夢。

そして、新しい職場の最終面接の前の日の夢では、私の母方の祖母と、小さい頃に私をとてもかわいがってくれた祖母のお姉さんの二人が、昔のままの祖母の家にいて、帰ってきた私を笑顔で迎えてくれた。歓迎してくれて、お茶を飲ませてくれた。

両方とも、姑さんがその話を聞いて、いい兆候だろうと言った。姑の言ったとおり、やはり幸運がやってきた。

人生は不思議だ。仕事でここ1年は何もいいことがなかったのに、皆既日食から太陽が再び射すかのように、心配事が急に消えていった。

あとは、ここに残る仲間に少しでも迷惑をかけないよう、きれいに出て行くだけだ。

友人から、「連打屋ちゃんは時々、ものすごい運の引き寄せ方をするよね。結婚もそうだし、今回の転職もそう。」と言われた。

確かに、念じればかなうのかもしれない。ただそのために、とても長い時間、歯を食いしばる必要はあったが…

退職までは少し有給も使える。9月には、実家に戻ってしばらくゆっくりしようと思う。

# by rendaya | 2009-08-29 23:42 | 近況

転機

女の人生の転機は3年周期ぐらいでやってくると言われたことがある。

結婚やら出産やら、ということだったのかもしれないが、私の場合それ以外の理由でやってきてしまった。

先週、週明けに全社の従業員が集められ、社長自ら、人事施策として何と、希望退職制度についての告知があった。

この不況で人材業界は大変なあおりを受け、そういったことも起こりえる状況ではあったが、思いのほか持ちこたえられなかったなという印象。

今年の春に、非正規雇用も含めて2000人いた従業員から、派遣社員500名を全員解雇し、まだ1カ月というところだ。それだけでは足りず、現在1500名に減ったところからさらに300名、全体の2割を削減しようという考えだ。

急成長して大きくなった会社である。実は2007年の1年間の中途入社者が約300人。1年間、採用を少なくしていれば済んだ話だった。調子に乗って、投資しすぎた、ということだったのかもしれないし、予想外の不況で持ちこたえられないということでもあるらしい。

希望退職で人員整理をすると同時に、社内異動の制度も当面凍結されることになった。現場で経験を積んでから、いずれ前の職場に戻る、ということを目的としていたが、これだけ経営が傾いた会社が、そうそう管理部門に異動を復活させるとも思いにくい。

業務自体は現状維持で、契約社員など給与を抑えられる人員でなんとかこなしていくということがやっとだろう。正社員の私が管理部門に戻ることは当面相当難しい。

私の場合、退職勧告などはおそらくされないとは思うが、もともと異動で意に沿わない仕事をしているところだったので、希望退職で比較的良い条件で抜けられるのはある意味、チャンスかもしれない。

とはいえ、次が簡単に見つかる時代でもないのだが、幸い結婚しているので地盤は落ち着いており、舅も姑も、私が毎日深夜残業を余儀なくされる状況は嫌がっている。

さらに、若旦那の家には細々ではあるが家業と呼べるものもあるので、当面そういうものを手伝いながら家にいることもできる状況である。

はて、どうするべきか。

私はなんとなく、そろそろ潮時かな、と思っている。

もし希望退職でやめるとすれば、退職日は9月末だ。割り増し退職金は月収の12カ月分。税金がかかるからだいぶひかれるだろうが、それでも1年ぐらいは食いつなげそうな気はする。

この8月で入社から3年が経つが、自分が全く面白みを感じられない仕事で、しかも激務で1年間を持ちこたえることになるとは思わなかった。

もし退職したとして、この先の未来は、まだよくわからない。勤めを続けていくイメージしか持っていなかったが、もしかしたらこのまま若旦那の家の家業を継ぐことも、あり得る。

この1年、自分の思っていない方向にばかり進んで、全く光が見えない、そして精神も体力を消耗させられる出来事ばかりだったが、これで終われるのかと思うと、ちょっとほっとする。

人生はあざなえる縄のごとし、で、いいことのなかった1年分が、その後何かの形で取り戻せるだろうか。

退職するとすれば、8月上旬から申し込みが始まる。もう少し考えて、結論を出す予定。

# by rendaya | 2009-07-27 03:04 | 近況

おひさしぶりです

前の更新から、なんと1年弱もあいてしまった…
もう読んでいる方もいないかもしれませんけど、おひさしぶりです。

前回の更新から約1年、いろいろなことがありまして…。
今は少々自分を、見失っているところかもしれません。

でもおおむねのところで言うと、私生活のほうはいたって順調で、以前望んでいたことがまるごとそのまま実現している状況で、こちらはほぼ問題がありません。
問題は、仕事。

実は去年の10月に、全く予期していなかった現場部門への異動となり、これまでと全く異なる仕事(しかもほとんど興味が持てない仕事…)を余儀なくされております。

拘束時間も長く、朝の9:30の始業から、夜の22:30ぐらいまでの就業が日常。
お昼をゆっくり食べる時間もほとんどなく、デスクワークと個人客とのやりとりなどで一日があっという間に過ぎて行き、しかも営業成績を追うというものになりました。

休みは連休でも取れるのですが、土日ではなく日・月や、土・月というような休み方のこともあり、休みの日も会社から電話がかかってくる場合も多くて、仕事とプライベートの切り離しが難しいベタベタの状態。

さらに、毎月営業目標が課せられます。ただし、不況の影響で平均達成率は実は今、会社全体でも50%程度。半分しか達成できない目標を課せられていく状態です。

私の今の会社の事業が何かを知っている知り合いの方はイメージできると思いますが、人の人生を左右する仕事が営業目標を持っており、それを毎月毎月追っていく…なんて、結構ハードですよね。

おそらく異動になったのはいくつか理由があり、今の会社の業績が傾いてきていることから、管理部門で高年収のメンバーを現場部門に放出してコスト減を図るということと、スペシャリストとしての人材をそもそもさほど必要としないという社風であるという点がメインの理由かと思います。

直属の上司は部長に猛反対してくれたらしいのですが、会社の要請で仕方ないという部長の意見に押し切られ、せめて超朝早い法人営業部門ではなく、個人客の対応をする部門のほうに配属してほしいと依頼してくれたようです。

そのため、まだなんとか、ギリギリのところで最悪の激務部門は避けられたのですが、とはいえ自分が納得できない仕事で長時間拘束されるというのはつらいものがあり…。もともと自分が生業としていこうと思っていた仕事からも遠く離され、今は平たく言うと失意の状態かもしれません。

しかも折からの不況で業績は全くふるわず、しかも、管理部門での社内等級が上だったため、そのまま目標数値もベテラン並みに高く設定される始末。やってもやっても、成果は出ず。会社の業績も実は去年の半分に落ち込んでしまい、今年はおそらく赤字決算となります。そうなってくると、管理部門はますます削られるのでもう一度異動するというのも至難の業。

さてさて、こういうときはどうしたらいいものか…。

ところで、私生活は本当に順調です。去年の12月半ばに若旦那と入籍し、今は若旦那の実家の隣のアパートで生活するようになりました。

姑さんは私に非常によくしてくれて、毎日の激務も見かねて、毎朝私におにぎりを持たせてくれます。旦那も夜遅い私の仕事を気遣って、帰りに車で迎えに来てくれることも多いです。

休日は月に1回程度、私の弟が旦那と私の住んでいるアパートに遊びに来ます。旦那も旦那の両親も私の弟を親類として大事にしてくれて、私の両親と旦那の両親の間の関係も非常に良好です。びっくりするほどに。

…という、私生活と仕事との猛烈なアンバランスにさらされております。

将来の目標という意味では、姑さんがやっているさまざまな家の仕事を、40過ぎになったら引き継ぐという目標ができたのですが、その間の数年間が、今回の異動により全く中抜けのような、ぽかんとした状態になってしまいました。

嫌いな仕事で落ち込みがちになる自分をなんとか立て直して無理して頑張って9カ月、ときどき朝起きられないほど疲れ切ってしまって会社を休むこともあり、我ながら大変な状態…。仕事にやりがいを感じないというのは、これまでの会社員人生で初めてです。

年齢も33歳となり、安易に自分の人生の舵を切れない(今の仕事をそう簡単に捨てられない)段階に来ているというプレッシャーを感じつつ、とはいえ自分にはまだ何らかの可能性があるはずだし、とも思ったり。

現実の多忙さもあいまってしばらくこのページも見ていませんでしたが、久しぶりに読み返すと、自分の悩みが以前に比べて何歩か進歩していることを感じますね。

なんとか今の苦しい状態を解決するために、会社にときどき来てくれている産業カウンセラーさんと月に1回話して、なんとか壊れないようにとやっています。こういうときに私が専業主婦などになれたらいいんでしょうが、若旦那は自営業とは名ばかりの親がかりの身なので、そんなことはできません。

産業カウンセラーさんとの最近の話の中でよく出るのは、私は半分男性の既婚者が持つ悩みと同じ悩みを持っている、ということです。特に、婿入りした既婚男性(マスオさん)と同じ悩みだと。しかもたちの悪いことに、このマスオさん、仕事をするだけでなく子供を産むことまで役目の中に組み込まれており、家事のほとんどもこなさなくてはならない。

結婚とか異動とか、急な変化が重なるとなりやすいって言うし、いつうつになるかわからないかも…と思いつつ、毎月産業カウンセラーさんと話しているわけです。幸い、まだそういう症状は出ていません。

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ワークライフバランスという言葉があるのは、その人の人生の比重がワークにかかりすぎて、ワークがうまくいかなくなったときにつぶれないためとか。リスクを分散させておくという考え方らしい。

ワークがうまく行かないこんな時は、他のことに注意を向ければいいんだろうけど、それにしても仕事というのは、やっぱりこの先10年くらいはやらなきゃいけないことではあるし、どうしたものか、と思案したまま、日々を過ごしている。

早くすがすがしく仕事ができる状態に戻りたい。

# by rendaya | 2009-06-28 21:40 | 近況

ミニピンの消息

最近、なぜか妙にミニピンのその後が気になっていたのだが、偶然、アメリ先輩と社内ですれ違ったときに、びっくりするようなことを言われた。

「あ、rendayaちゃん、ミニピンさんが退職するんだよ」

最初、ミニピンも転職かと思ってびっくりした。ミニピンはてっきり今の会社(私にとっては前の会社だが)の業種や仕事を根っから好きなのだろうと思っていたから、かなり意外な気がした。

しかし、その後アメリさんからメールが来て納得が行った。

ミニピンは実家の島根に帰り、お父さんの会社を継ぐのだそうである。

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そういえば5年も前に、そんな話を聞いたことがあった。
私が入社2年目、ミニピンが教育係になってから1年くらいたった頃だ。ある日、ミニピンが私を残業帰りに競馬場に連れて行き、帰りに大井町で自分の島根での幼なじみを呼び出し、なぜか3人で一緒に飲むことになった日だ。

ミニピンはなぜか幼なじみからあだなで「社長」と呼ばれており、不思議に思った私が幼なじみにたずねると、

「オレは社長の息子なんだよ」

と、ミニピン本人が言ったのだ。今勤めているメーカーと同じ業種の企業を経営しているということだった。ミニピンのお父さんの会社は、今勤めている会社から下請けで仕事を請け負っている取引先の一つだった。

「業種が一緒だし、うちの会社と付き合いもあるし、コネ入社だと思われると嫌だし、だからあまり会社のやつらには言ってないけどな」

と言い添えた。

「ふうん、そうなんですか」

と私が言うと、

「お前、他に言うことはないのか!」

「は?」

「実家に帰っちゃうんですかとか何とか! 帰らないでくださいとか!」

「でも…帰るかどうかは自由だし…」

「言え! "実家に帰るんですか?"って言え!」

「はあ……。ジッカニカエルンデスカ?」

「いや、帰らないけどね。俺、都会が好きなんだよ」

「そうなんですか」

…というやりとりがあったのが、5年前。あの時は、実家に帰るという話はなかったのだが、あの時まだ28歳だったミニピンも、今はもう33歳。心境の変化があったのかもしれないし、あの時、30過ぎたら考えようとか思っていたのかもしれない。

それにしても、ミニピンは都会が好きそうだったから、東京に多少は未練もあるのではないだろうか。

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私は今はもう転職して別の会社におり、ミニピンの姿はもう2年も見ていない。

スタージュエリー先輩が送っているらしき送別会の案内メールが、アメリ先輩から転送されてきたが、不参加にすることにした。私はミニピンにとっては初めて自分が教育係になって育てた後輩ということになるので、薄情な気もするが、もう会わないほうがいいと思った。

前の会社の同僚たちが集う送別会に行っても、裕福な家庭出身の人たちばかりでバブリーな雰囲気だし、今の私にはもうきっとあの雰囲気にはついていけない。

ミニピンは不思議な人だ。

会社の同僚たちとか、大学の同級生とか、派手で裕福な都会育ちの人たちの中にいるとき、ミニピンは派手好きで人を見下した、非情なキャラクターになる。

それが、島根の幼なじみと一緒に飲んだあの晩は、私の故郷によくいる人のように、素朴で穏やかな雰囲気になっていた。幼なじみの人は太っていて見た目は決して良くなかったし、いい企業に勤めているわけでもなくて、普段の彼なら見下した暴言のひとつも言いそうな人だったのに、終始優しい態度だった。幼なじみの人も、穏やかで素朴でいい人だった。

ミニピンとの縁を切ってしばらくした後、そのときのことを思い出して私は思った。

私は、都会にいるミニピンではなくて、島根のミニピンと合う人間なのだ。島根のミニピンは私をそばに置こうとした。でもここは東京で、私は東京のミニピンの理想には合わなかった。島根のミニピンは、寛容で辛抱強い私のキャラクターに落ち着きを感じていたようだが、東京のミニピンは、美人でもなくお嬢様でもなく、彼女にしたところでみんなにうらやましがられることもない地味な私が許せなかった。だからミニピンは、私に近づく一方で私を突き放した。

ミニピンともし島根で会っていたら、こんなこんがらがった関係にはならなかったような気もするが、場所が東京であるということは、縁がなかったということだ。それが、私とミニピンの関係なんだと結論を出した。

ミニピンのことを吐き気がするほど嫌いになったとか、二度と会いたくないと思うようになったわけではないけれど、そういう結論が出た人とは、今さら会わないほうがいいと思う。

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関係が膠着状態になって大変な思いをしていたときはこんな風に思えなかったが、今は、好きな都会を後にして田舎で家業を継ぐミニピンに、がんばってほしいと心から思う。

都会が好きだったとは思うが、島根に帰るほうが彼のためにはいいようにも思う。また素朴で穏やかなキャラクターに戻って、本当は繊細な自分を守ってくれるような人を見つけてほしい。

以前、ミニピンと一緒にいた頃、なぜか時々、「この人とはほんのひと時、時間と空間を共有しているだけのような気がする」という思いがよぎることがあった。その直感は正しかった。

やっぱり道の違う人だったのだ。

私は私で、今は若旦那と一緒に東京に住み続けることを考えている。本当に東京に根を下ろせるのか?と不安でならなかったあの頃とは全然違う状況になり、自分の道がおぼろげだけど見えてきた。

結婚が本決まりになってきたあたりに、ミニピンが本格的に遠ざかっていく。ダメ押しされてる感じ。

タイミングって面白い。

# by rendaya | 2008-07-25 19:35 | ミニピン

帰郷

週末、若旦那を連れて実家に帰郷した。

父は終始テンション高く、にこやかに若旦那をもてなしてくれた。

父が、外で働いていない若旦那を一体どう捉えているのかはよくわからず、もしかしたら内心はこの結婚話を土台のあやしいままごとのような話だと思っているのかもしれないが、とはいえにこやかにもてなしてくれた。

おそらく、都会の裕福な家には若旦那のような境遇の人が普通に存在しうるものであり、多少の不安はあっても私が選んだ以上は快く嫁がせてみようと思っているのかもしれない。どうなるかわからないと思っていた長女が、いきなり思いのほかしっかりした家に嫁ぎそうなところも、面白そうだと思っているような気がする。

若旦那は社会で生き抜くということが少々あやうい点を除けば、性格的にはやさしくておっとりしているし、礼儀正しいし、うちの家族と人付き合いする上では特に問題ない。父の話は講釈めいて冗長で、娘の私も妹も、妻である母すらも辟易することがよくあるが、若旦那は自分に話しかけてくれるのがありがたいと言ってしきりに感謝していた。若旦那、なかなかうちの父と相性がいいかもしれない。

実家では、お茶を飲んでひとしきり休んだ後、うちの畑の作物を試しに収穫してきたらと言われ、若旦那に長靴をはかせて帽子をかぶせて畑に出した。きゅうりやじゃがいもを少しずつ収穫して家に戻り、汗をかいた若旦那にシャワーを貸して着替えさせた。

日ごろポテトチップが大好きな若旦那は楽しそうに畑でじゃがいもを掘り、

「こうやってできてるんだなあ、食べ物のありがたみを感じるなあ。ポテトチップ、今度から大事に食べよう…」

と素直に感動していた。帰った後、私の家でリラックスできたと話していた。

都会でしか暮らしたことがなく、旅行もほとんどしない若旦那が、田舎の私の家に連れてきて一体どんな反応をするのか心配だったが、この調子なら、うちの田舎ともうまくやっていけるかもしれない。

ちょっと安心した。

# by rendaya | 2008-07-22 19:00 | ひとり暮らし