『初恋』(ツルゲーネフ・著、神西清・訳、新潮文庫)
多分、高校のときの国語の先生が勧めていて、大学生になってから買った本。
当時の新潮文庫の100冊のうちの1冊であり、
帯に『拳骨で読め。乳房で読め』というコピーが。
今の時代だったらちょっとダメなやつかな。
もちろん小説は名作であり、一読の価値あり。
あの時読んでおけば、と後悔する。
きっと今とは感じ方が全然違ったんだろうな。
読了指数
今回:+1
合計:-114
漫画家坂本タクマの読書日記。積ん読解消の日は来るのか。
(山田風太郎、ちくま文庫)
変な小説である。
できたばっかりの警視庁の大活躍や悪戦苦闘を描いているのかと思って読み始めたが、
むしろ警視庁に対抗する勢力に肩入れして書かれているような感じで、
どの人物に感情移入していいのかよくわからない。
筋立ても結構いい加減で適当に書いている節がある。
随所に「なにそれ?」という展開がある。
しかし、昔読んだ山田風太郎の忍者物はもっと変だった。
忍者という設定をいいことに、何でもありのバトルを描いていた。
訳が分からないのだが、なんだかぐいぐい読まされて
あっという間に読み終わってしまったのだった。
それに比べるとこの作品は読むのに時間がかかった。
読み始めてから約2年ほどかっかた。
買った時から数えれば、27年目でようやく読み終わった。
明治という時代に特別な思い入れでもなければ、なかなか大変かもしれない。
昭和に書かれた明治時代の小説を平成に買って令和に読み終わる。
何と大河な。
実はこの山田風太郎明治小説全集、全巻持っている。
どういう動機で買ったのかは覚えていないが、
目の前の本棚のちょうど目の高さの位置の棚に刺さっていて、
20年以上もずっとこっちを見ている。
あと8タイトル、12冊もある。
どうしよう。
読了指数
今回:+2
合計:-115
『一度読んだら絶対に忘れないに本書の教科書』(山崎圭一、SBクリエイティブ)
一度読んだのでもう絶対に忘れない。
簡単に言えば、高校の日本史の教科書の構成を見直し、年号を省き、内容を所々図解したもの。
現在、これよりわかりやすい日本史の本はなかなかないと思うので、苦手な人が日本史を知る第一歩として最適。オレもそんなに得意じゃないので、ありがたかった。
とはいえ、受験生が本書を一読kしたのみで共通テスト本番に突撃するのはさすがに厳しいので、ほかにもいろいろやるがよい。
読了指数
今回:+1
合計:-117
『記者ハンドブック 第14版 新聞用字用語集』)(共同通信社)
『一度読んだら絶対に忘れない日本史』(山崎圭一、SBクリエイティブ)
『君のクイズ』(小川哲、朝日新聞出版)
『新明解国語辞典 第八版 青版』(山田忠雄、倉持保男、上野善道、山田明雄、井島正博、笹原宏之、三省堂)
最初から最後まで読み切るタイプの本じゃないものが2冊入っていたり、一度読んだら忘れないものだったり、問題を最後まで読み切って早押ししたり。
読了指数
今回:-4
合計:-119
『記者ハンドブック 第13版 新聞用字用語集』(共同通信社)
文章を書くなら持っておけ、という本。
主に、漢字で書くべきか平仮名で書くべきか迷ったときに辞書のように引く。
今「ひらがな」を引いてみて、「ひら」の項目に「平仮名」とあったので
漢字で書いてよいとわかった。
もちろんこれは新聞などの基準であって、
メディアが違えばまた別の基準があるのだろう。
漫画や小説などでは、用字については
作家にある程度任されていると認識している。
用字だけでなく文章の書き方がしっかり学べて、
読んでいて面白い。
「ライターをやっているのでこの本を買ってみたが、
結局あまり使っていない」
というレビューを読んだが、
その文章の日本語がかなり微妙だったことが
購入の決め手。
読了指数
今回:-1
合計:-115
『科学の方法』(中谷宇吉郎、岩波新書)
本書は1958年に第1刷が発行されており、
手元にあるのは1997年の第53刷だ。
63年前に書かれた本を24年前に買い、今、読んだ。
『夏への扉』と同じような経緯で読んだわけだが、
内容的にも似たような読書体験だった。
科学がテーマなのだが、
本書の時代は今よりずっと「科学」という言葉が
輝いていて、
夢や希望を託されていた。
それがオレの認識だ。
そんな時代の空気に冷や水を浴びせるがごとく、
本書の第1章は「科学の限界」だ。
つまりはそういう本だ。
科学は、再現可能で、測定などによって数値化できる問題には強いが、
そうでない問題にはからっきしである。
ただし、統計学を駆使することによって
科学の適用範囲は広がる。
鉄球の落下というような安定した現象だけでなく、
人の寿命というような個別には予測不能な事象も
集団を全体として統計的に扱うことにより
科学の対象にできる。
なんにせよ、科学は自然のすべてを扱えるわけではない。
本書の時代に比べれば今はだいぶ科学が進歩して、
本書中で未解決とされていた問題も
だいぶ研究が進んでいるはずだ。
それでも、本書の「何が科学の対象たり得るか」という議論は、
未だ古びていない。
──と、言いたいところだが・・・。
本書によれば、梅と桜の枝ぶりは一目見ればわかるのに、
その違いを量的に表そうとすると難しい。
「現代の」科学ではとらえきれない。
美術骨董品の艦艇なんかも、
分かる人には分かるが
誰でもわかるように数値化したりするのは困難だ。
さて、しかし。
本書で言う「現代」は今から60年前のこと。
2020年代の我々は、AIの長足の進歩を知っている。
写真から植物の名前を教えてくれるアプリがあるくらいだから、
AIにとっては梅と桜を見分けるくらいは
そんなに難しいことではないと推察する。
美術品の鑑定はそれよりはだいぶ難しいと思うが、
ブランド品の真贋の鑑定ならかなりの精度で
できるようになっているらしい。
問題は、機械学習が科学か、ということだ。
確かに数量化はされているが、AIの中身はブラックボックスで、
人間にはパラメーターの意味が分からない。
本書の議論はそういうものをまったく想定していないので
何とも言えないが、
それを科学と言ってしまうのはちょっと違う気がする。
例えば天文学では、AIは画像データを鮮明化したりするのに
使われている。
それによって観測精度が上がりはしたが、
その観測結果から理論を導くのは
未だ人間であるから、
AIが科学者に取って代わったわけではない。
なんだかんだ言って、
科学の方法が根底から覆ったわけではない。
多分そういうことだろう。
今のところは。
読了指数
今回:+1
合計:ー114