北野充『アイルランド現代史-独立と紛争、そしてリベラルな富裕国へ 』(中公新書)

「八重洲ブックセンター」にバトンを渡した旧「書楽」に、新装開店後初めて訪れ、お祝い気分で何か買うかと思って書棚を見ていて、目についたのが、この本。テーマが今の私の関心にドンピシャなのだけど、レベル的にも新書ならちょうどいい。

ラグビーファンならご存知のとおり、ラグビーの「アイルランド代表」は、アイルランド共和国という国の代表ではなく、アイルランド共和国と英領北アイルランドでプレーする選手の代表。つまり、ここでは国境を越えて、ユニオン、つまりアイルランドラグビー協会が代表を出しているというわけ。

国際試合では試合前に「アンセム」、つまり通常なら国歌が演奏されるのだけど、アイルランド代表の場合、アイルランド共和国内(首都ダブリンとか)でやる試合の場合は、アイルランド国歌(「兵士の歌」)と、アイルランド協会の歌(「アイルランズ・コール」)の2曲、北アイルランド域内(ベルファストとか)や他国でやる試合の場合は「アイルランズ・コール」だけ、という慣例になっている。「アイルランズ・コール」は、「アイルランド島の4つの地方から集まった我々(選手)が、アイルランドの呼びかけ(召命)に応じて肩を並べて立ち上がる」というような歌詞である。

そういう歌に馴染みがあると、では、北アイルランドとアイルランド共和国、つまり「アイルランド島」の統一という話に現実味はあるのだろうか、という疑問が湧いてくる。

もちろん、今から30年ほど遡れば、北アイルランド紛争と称する暴力的な対立があり、テロの応酬があった。昨今のガザの状況などを見ると、ああ、これでまた一世代くらいは恨みが残って問題解決には至らないのだろうなぁなどと暗澹たる気持ちになるのだけど、では、アイルランドの統一もまだ遠い夢物語なのだろうか。

そのあたりを知りたくて読んでみたのだけど、このテーマに関して知識が深まるのはもちろんのこと、それ以外の点についても、いや、やはりなかなか面白い国である。

著者は日本の駐アイルランド大使を務めた方で、しかも、ちょうどアイルランド自由国建国から100周年が近い時期に赴任したので、関連のイベント等で知見を深める機会に特に恵まれたとのこと。

基本的にカトリックの保守的な価値観が優位にある社会で、政治的にも中道保守に相当する二大政党がときおり交代しつつ政権を担ってきた国なのに、世界でもいち早く同性婚の合法化に踏み切るなどリベラルな価値観の台頭が見られる、という面白さの背景をいくつか指摘しているのだけど、私などが読む限りでは、そりゃ、中道保守政党のあいだにせよ「政権交代」があったからでしょ、と思えてしまう。つまり、二大政党の勢力が拮抗していれば、連立によって過半数を占めるために、相対的に少数ではあってもキャスティングボートを握るリベラル左派政党の主張に妥協せざるをえない、と。

立場的に「政権交代があることが望ましい」と取られかねないことは書きにくかったのかなぁ、などと邪推してしまう。まぁそのへんも含めて興味深い。

著者は、自分自身は歴史の研究者ではない、と断り、あとがきではさまざまな専門家に謝辞を述べているのだけど、その中に高校時代の同級生や、年齢的には少し上だが同窓の人が含まれているところに奇妙なご縁を感じる。もっとも、この本を買った時点では、その同級生がこの分野の専門家になっているとは知らなかったんだけどね。

白央篤司『自炊力 料理以前の食生活改善スキル』(光文社新書)

以前からSNSでお名前を目にしていたフードライター/コラムニスト。食・料理以外に関する発言もきわめて真っ当なので、一度、ご本も読んでみようかと。

内容的に、いまの私には必要ないというか、まぁそれくらいのことはすでに出来ているかなぁと思うのだけど、とはいえ、姿勢として良い本だと思う。

高校時代、諸般の事情でほぼ毎日自分で弁当を作っていたのだけど、その頃にこういう本があればずいぶん助かっただろう。もっとも、その頃はコンビニもようやく増えてきたくらいの時期だし、スーパーで入手できる食材も今ほど充実していなかったから、なかなか同じようには行くまいが(考えてみたらまだ家には電子レンジもなかった)。

望月昭秀他『土偶を読むを読む』(文学通信)

先に『土偶を読む』を読んで、「それはそれとして、面白いですよ、これ」「トンデモ本系のあやうい面白さ」という感想を書いたのだけど、勘違いだった。

検証本である本書を読んだ結論としては、「土偶はもっと豊かで面白い」ということだった。

『土偶を読む』の土偶解釈はつまらないし、実は土偶研究というのは竹倉氏が知っているよりも進んでいるので、周回遅れ感が濃い、ということのようである。考古学界に相手にされないのも無理はない。

ただし本書がすごく良い本かと言われると実はそんなこともなくて、編集者が仕事していないなぁという印象が強い。まぁ緊急出版だったのかもしれないけど。

そもそも「のだが、」で段落を始めるような日本語は止めてほしいのだよね。ウェブメディアなどもけっこう読んでいる私だけど、さすがに文頭「のだが」は初めて見た。

藤沢周平『凶刃-用心棒日月抄』(新潮文庫)

完結。これまでの三作品に比べると、謎解き要素の多い筋立て。「おりんさん」の再登場はなかった(笑)

シリーズ四作品を読んでみて、やはり一番面白かったのは第一作だな、と思う。この『凶刃』の解説(川本三郎!)でも触れていたと思うが、主人公の青江又八郎が純粋に「浪人」であるのは、第一作だけなのだ。残り三作は、脱藩という体裁を取り用心棒暮らしをしているという設定でも、実は藩のために働いている。第一作では「あの人が来たら潔く斬られよう」という達観があったのも良かった。

藤沢周平『刺客-用心棒日月抄』(新潮文庫)

第三作。

引き続き面白いのだけど、やや物足りないのは、こちらにもあちらにも内通者がいるわけでもなく、敵味方がはっきり分かれすぎていて、向こうの剣客を一人ずつ倒していくだけの展開になっているせいかもしれない。

ところで、第一作で面白い役どころを演じて、きっと続編でも意外な登場を見せてくれるに違いないと思っていた「おりん」さんはどうしてしまったのだろう。

と、復活を期待しつつ、最終編へ。

北村一真『英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで』(中公新書)

Twitter(現X)で著者の投稿を見かけて手に取った。

大学受験で身につけた「英文解釈」から、実践的な英語の読みにつなげていく感じの本、と言えるだろうか。「to不定詞」とか「分詞構文」とか、そういう40年くらい前に目にしていた文法用語も頻出する。

例文の量がそれほどあるわけではないので、これ一冊読めば英語が読めるようになるとかいうわけではないけど、取っかかりとしては良い本だと思う。

まぁもちろん私にとっては易々と読める文章ばかりだし、「翻訳」の手引きではないので、添えられている参考訳文は、もう少し良くなるのではないかと思うことも一度ならずあったけど。

私としては、「読み方」それ自体よりも、それをリスニングにつなげていく展望が示されている点がよかったかもしれない。私は翻訳はできても、会話方面はさっぱりなので…。

内田樹、中田考、山本直輝『一神教と帝国』(集英社新書)

『一神教と国家』で対談した内田、中田に加えて、トルコの大学で東アジア文化論を教える山本直輝を加えた鼎談。

前作に比べて「一神教」という視点は弱く、もっぱらイスラームの話で、偏りが気になると言えなくもない。

まぁ何よりも、脱線に近い部分が面白くて、特に、ムスリムのあいだでも日本のアニメやマンガが人気で、それを通じて日本語を覚えているので…といったあたり。私はアニメは苦手なのでそのへんの話には疎いのだけど、『ゴールデンカムイ』は読もうかなぁとか、『乙嫁語り』は気になるなぁとか、そっちを印象づけられてしまった。『ゴールデンカムイ』は家人が電子書籍で買ってしまったというが、重複するけど私も買おうかな…。

あとは、大学受験のときに少しは勉強した漢文を学び直してみようかなぁ、とか。

藤沢周平『孤剣-用心棒日月抄』(新潮文庫)

というわけで、続編も読む。

幕府直属の「公儀隠密」に比べて、小藩に属する特殊部隊にすぎない「嗅足組」(の女性たち)が強すぎるのに違和感を抱くが、まぁ主人公サイドなので(笑)

前作から引き続き、用心棒仲間の細谷源大夫や口利き屋の相模屋吉蔵といった脇役が良い味を出している。

そういえば以前、琉球民謡関係のライブのお手伝いをしたことがあり、依頼を受けたときに「ティマを出せなくて申し訳ないのだけど」と言われた。「ティマ」=「手間賃」で、要するにノーギャラでよろしくということだなと理解したのだけど、その後ウチナーグチ辞典みたいなサイトで調べたところ、それで正解であった。

この『用心棒日月抄』シリーズを読んでいると、用心棒稼業で稼ぐ報酬が「手間」と呼ばれている。内地でも、ギャラのことを「手間」と呼んでいたわけで、ひょっとすると、元は内地から琉球に伝わった言葉が今も残っているのかもしれない、などと想像する。

内田樹・中田考『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(集英社新書)

先日『世界史の中のパレスチナ問題』を読んで、

たぶん、国民国家という枠組が有力なままであるあいだは解決できない

という感想を抱いたのだけど、そういえばウチダ先生がこんな本を書いていたなと思い、読んでみた。

対談形式ということもあって、いつものやや乱暴な、というか粗い展開に拍車がかかっている印象もあるけど、とはいえ、まじめに受け止めるべき内容もけっこうあるように思う。タイトルにある「国家」は、ほぼ「国民国家」を指しているのだけど、国民国家という擬制が何が何でもダメで全廃しろ、という話ではない。国民国家がうまくハマる地域や時代、状況もあるし、それがほとんどすべての災厄の原因になってしまうこともある、ということである。人権や自由や平等といった西欧近代的な価値観はかなりの程度普遍的なものだと個人的には思うけど、それを実現していくための体制はいろいろであっていいはずなのだ。

それにしても、国民国家の成立の過程では、ラテン語ではなく各国語による聖書の成立とか宗教改革とかが背景として大きかったと思うのだけど、ラテン語を域内共通言語とするローマカトリックの影響力が十分に維持されていたら、世界はどうなっていたのだろう、という気がする。この本では、キリスト教とイスラーム、ユダヤ教がそれぞれどのように違うのかという点は語られるのだけど、キリスト教に生じたことが、その是非はともかくとして、なぜイスラームでは生じなかったのか、それともこれから生じる可能性があるのか、という点については、残念ながら触れられていない。

藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫)

『たそがれ清兵衛』『蝉しぐれ』に続き、藤沢周平作品。

これも面白かった。

数年前にまとめて読んだ葉室麟の連作も赤穂浪士の討ち入りが背景になっていたのを思い出す。こういう、たいてい誰でも知っている事件のサイドストーリーを描くのは、まず間違いなく面白くなるような気がする。『忠臣蔵』は昔、子ども向けのバージョンで読んだきりだと思うのだが、吉良邸の隣、土屋家の高張り提灯が塀際に掲げられている、という本作でも描かれる情景はよく覚えている。

そういえば、たとえば「宮本武蔵なら吉川英治」みたいに、現代の時代小説(という言い方も変だけど)における『忠臣蔵』の定番というのはあるのだろうか。

本作末尾にかけていろいろ伏線が張られているので、続編も読むことになりそう。

しかし主人公、本作では最終的に美しい許嫁と結ばれるのに、伏線的には他にも複数の魅力的な女性と関わりがあって、困ったことになりそうな予感がある。