そゞろごと

noli me legere

偶然即是必然

九鬼周造の「偶然性の問題」を読みながらある考えがずっと頭の中で醗酵していたが、末尾にいたってそれが確信に変った。つまるところ、偶然なんていうものはこの世にはないのだ。すべては必然であり、偶然とは過去へ遡って見たところの必然にほかならない。

九鬼は当然のように偶然を必然の対義語として捉え、それを出発点にしているが、そういう彼もついには「必然の一種としての偶然」に想到せざるをえなかった。私は一歩踏み込んで、必然といい偶然といっても要するに観点の問題であり、そこから見れば偶然も必然も同じであるような精神の一点が存在すると言おう。

宝くじに当るのも必然なら、暴漢に襲われて殺されるのも必然なのである。さらに大きくいえば、宇宙に地球が誕生したのも必然であり、われわれがいまこの星に生きているのも必然なのだ。

すべては因果関係の網の目の中に整然と配置され、そこから逸脱できるものなど存在しない。因果関係の網の目は宇宙の誕生とともに繰り出され、いったん張られた網の目はもはや動かすことはできない。そしてその網の目はいま(現在)も必然性の導きのもとに張りめぐらされつづけているのである。

歴史にifはないといわれるのはこの網の目が動かせないからだが、未来にもifはない。なぜなら必然性に支配された現在にはifがないからだ。未来が現在の時間上の延長であるとすれば、そこには当然ifなんてものは存在しえない。

現在とは何かといえば、時間と空間とを一元化したゼロ点、すなわちそこから過去と未来とへ時間と空間とがそれぞれ逆方向へ延長していく原点である。そしてその一点には偶然などの入り込む余地はない。現在進行中の事象はすべて必然である。

ああすればよかった、こうすればよかった、もしあのときあれがなかったなら……しかしじっさいにはそのときはそうするしかなかったわけで、そうするのが必然だったまでの話である。あとになってからああだこうだと考えても為方がない。

そこで問題になってくるのが自由意志だ。自由意志というものはあるのだろうか。

かつて「エチカ」を読んだとき、この自由意志なるものが完膚なきまでに否定されているのに驚いた。ビュリダンの驢馬は餓死するしかないだろう、とまでいわれては、そんなバカな話があるか、と思ったが、今ではわりあいすんなりとスピノザの説を聞くことができる。

私にいわせれば、ビュリダンの驢馬が餌にありつくのも必然なら、餓死するのも必然であり、もちろんそこには自由意志などというものは関与しえない。自由意志を越えたところで必然に支配されて餌にありついたり、あるいは餓死したりするので、生き延びるかくたばるかは驢馬の知ったことではないのだ。

ディドロに「運命論者ジャックとその主人」という小説(?)があって、私ははじめのほうしか読んでいないが、ジャックが何かというと「そんなことはすでにあの高いところ(神のいるところ)に書かれているのだ」と悟りきったようにいうのが印象的だった。

私もまた神ぬきの運命論者に近づいているのかもしれない。

フランス小説ベスト193/169

ちょっと前に生田耕作の選ぶ「フランス小説ベスト……」の新旧対照表をつくってアップしたが、レイアウトが崩れて悲惨なことになった。で、あわてて引っ込めたわけだが、対照表にせずに、新旧のリストを個別にアップするのなら問題ないんじゃないか、と考え直して、もう一度トライしてみることにした。

旧リストと新リストの間の二十年間にどれだけ編者の嗜好が変ったか、あるいは変っていないか、興味のある人はテクストをコピー&ペーストして横に並べてみるといい。そこまでしようという気のない人にもある程度は役に立つリストだと思う。

私個人としては、プルーストの大作をリストから抹殺してモーパッサンの短篇を追加するといったところに編者の強烈なルサンチマンを感じてしまうのだが、どうだろう。


   ☆ 旧リスト 1975年 ☆


               聖杯物語

               薔薇物語

フランソワ・ラブレー    「パンタグリュエル」

     ***

シラノ・ド・ベルジュラック 「日月世界旅行

ヴォルテール        「カンディッド」 

ドニ・ディドロ       「運命論者ジャック」

カゾット          「悪魔の恋」

レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ 「堕落百姓」
              「ムッシュー・ニコラ」

サド侯爵          「ジュスティーヌ」
              「ジュリエット」
              「閨房哲学」
              「ソドムの百二十日」

ラクロ           「危険な関係」

(ベックフォード      「ヴァテック」)

     ***

シャトーブリアン      「ルネ」 

スタンダール        「イタリア年代記」

バルザック         「十三人組物語」
              「遊女の浮き沈み」
              「あら皮」

メリメ           「イールのヴィーナス」

ヴィニイ          「詩人の日記」

ヴィクトル・ユゴー     「ノートルダム・ド・パリ」
              「海の労働者」
 
シュー           「アタル=ギュル」

ゴビノー伯爵        「プレイヤッド」

テオフィル・ゴーチエ    「モーパン嬢」
              「ミイラ物語」

ネルヴァル         「火の娘」
              「オーレリア」

ペトリュス・ボレル     「マダム・ピュティファル」
              「悖徳物語」

グザヴィエ・フォルヌレ   「月照り露おりて」

バルベー・ドールヴィリイ  「魔性の女たち」
              「呪縛された女」
              「老いたる情婦」
              「妻帯僧」
              「シュヴァリエ・デトゥシュ」
              「死せざるもの」

リラダン          「残酷物語」
              「トリビュラ・ボノメ」
              「未来のイヴ

フロベール         「サランボー
              「聖アントワーヌの誘惑」

ミュルジェ         「ボヘミアン生活情景」

ユイスマンス        「さかしま」
              「碇泊」
              「彼方」

ポール・フェヴァル     「せむし男」

ヴェルヌ          「海底二万哩」

エルクマン&シャトリアン  「一八一三年の応召兵」

     ***

ペラダン          「悪徳の極み」

ジャリ           「超男性」
              「昼と夜」
              「フォストロール博士言行録」

ユーグ・ルベル       「ラ・ニキナ」
              「フランス岬の熱い夜」
              「悪魔が食卓につく」

ジョルジュ・ダリアン    「盗人」
              「ビリビ」

ミルボー          「処刑の庭」
              「神経衰弱の三週間」
              「小間使いの日記」

ジャン・ロラン       「仮面物語」
              「ド・フォカス氏」

ラシルド          「ヴィーナス氏」

アルフォンス・アレ     「短篇選集」

アンリ・ド・レニエ     「生ける過去」

レオン・ブロワ       「絶望した男」

モーリス・バレス      「霊感の丘」

マルセル・シュオブ     「黄金仮面の王」
              「架空の伝記」

ローダンバック       「死都ブリュージュ

レミール・ブールジュ   「神々の黄昏」

J-H.ロニイ       「火の戦」

モーリス・ルナール     「青い危険」

ピエール・ルイス      「女と人形」
              「アフロディト」
              「ポゾール王の冒険」
              「母親の三人娘」

G・ド・ヴォワザン     「岐れ道の酒場」

     ***

P-J.トゥーレ      「デュ・ポール氏」

モーリス・マーグル     「虎の秘密」

ガストン・ルルー      「血染めの人形」
              「殺人機械」

G・ルルージュ       「吸血鬼戦争」
              「怪人コルネリユス博士」

     ***

アポリネール        「異端教祖株式会社」
              「殺された詩人」

F・フルーレ        「ジム・クリック」

レーモン・ルーセル     「アフリカの印象」
              「ロクス・ソルス

ブレーズ・サンドラール   「ダン・ヤックの告白」
              「モラヴァジーヌ」
              「黄金」
              「世界の果てに連れてって!……」

ピエール・マッコルラン   「嘔吐の家」
              「海賊の唄」
              「女騎士エルザ」
              「国際ヴィーナス」
              「霧の波止場」
              「娼婦、ヨーロッパの港……」

     ***

ジュール・ルナール     「明るい眼」

Ch-ルイ・フィリップ   「ビュビュ・ド・モンパルナス」

ジョゼフ・ケッセル     「赤い草原」

ジョゼフ・デルテイユ    「コレラ」

ポール・モーラン      「夜ひらく」

ラディゲ          「ドルジェル伯の舞踏会」

アラン=フールニエ     「グラン=モーヌ」

ヴァレリー・ラルボー    「A・O・バルナブース」
              「あどけなさ」

プルースト         「失われた時を求めて

アンドレ・ジイド      「法王庁の抜穴」
              「パリュード」

ポール・ヴァレリー     「テスト氏との一夜」

アン・リネル        「赤いスフィンクス」

モンテルラン        「若き娘たち」

ドリュ・ラ・ロシェル    「鬼火」
              「シャルルロワの喜劇」

アンドレ・マルロー     「人間の条件」
              「征服者」
              「王道」

マルセル・ジューアンドー  「結婚年代記」

ジュリアン・グリーン    「アドリエンヌ・ムジュラ」
              「レヴィアタン

ベルナノス         「悪魔の陽の下に」

P-J.ジューヴ      「パウリーナ、一八八〇」

セリーヌ          「夜の果ての旅」
              「なしくずしの死」
              「ギニョルズ・バンド」
              「城から城」
              「北」
              「リゴドン」

ジャン・ジオノ       「青いジャン」
              「屋上の軽騎兵

マルセル・エイメ      「壁抜け男」

アレクサンドル・ヴィアラット「コンゴーの果物」

     ***

ジャン・ポーラン      「嶮しき快癒」

アラゴン          「パリの農夫」
             (「イレーヌの女陰」)

スーポー          「良き使徒」

クルヴェル         「バビロン」

G・ランブール       「ヴァニラの木」

B・ペレ          「サン=ジェルマン街125にて」

アンドレ・ブルトン     「ナジャ」
              「通底器」
              「狂気の愛

キリコ           「ヘブドメロス」

サヴィニョ         「幽霊たちの生活情景」

ミシェル・レリス      「オーロラ」

ルネ・ドーマル       「類推の山」

レーモン・クノー      「サン・グラングラン」
              「きびしい冬」
              「わが友ピエロ」
              「地下鉄のザジ
              「男は女に甘い」

アントナン・アルトー    「アナーキスト皇帝ヘリオガバルス

ジョルジュ・バタイユ    「眼球譚
              「青空」
              「死者」
              「不可能なもの」
              「聖なる神」

ピエール・クロソフスキー  「ロベルトは今夜」
              「バフォメット」

     ***

レーモン・ゲラン      「徒弟」
              「現代神話素描」

ジャン・ジュネ       「泥棒日記」
              「花のノートルダム
              「薔薇の奇蹟」
              「葬儀」

ポーリーヌ・レアージュ   「O嬢の物語」

レイモン・アベイォ     「幸せなるかな、平和の民……」
              「バベルの墓」

アルベール・コスリイ    「誇り高い乞食たち」

     ***

ジュリアン・グラック    「アルゴール城」
              「暗い美青年」
              「シルトの岸」
              「森のバルコニー」

マンディアルグ       「黒い美術館」
              「狼の太陽」
              「燠火」
              「大理石」
              「満潮」
              「海の百合」
              「オートバイ」

ジャン・フェリイ      「機関士、その他」

ジョイス・マンスール    「充ちたりて横たわる者」

レオノーラ・カリントン  「耳喇叭」)

     ***

ボリス・ヴィアン      「日々の泡」
              「北京の秋」
              「心臓抜き」
              「醜い奴らを殺(ばら)せ」

ベルナール・ノエル     「聖餐城」
_________________________________

              全193作



   ☆ 新リスト 1993年 ☆

               聖杯物語

               薔薇物語

フランソワ・ラブレー    「ガルガンチュワ」

     ***

ヴォルテール        「カンディッド」 

プレヴォー神父       「マノン・レスコー」 

カゾット          「悪魔の恋」

レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ 「堕落百姓」
              「ムッシュー・ニコラ」

サド侯爵          「ジュスティーヌ」
              「ジュリエット」
              「ソドムの百二十日」

ラクロ           「危険な関係」

(ベックフォード      「ヴァテック」)

     ***

ピゴー・ルブラン      「謝肉祭の子供」

ジュール・ジャナン     「驢馬の死と断頭台の女」
 
シャトーブリアン      「ルネ」
              「アタラ」

スタンダール        「イタリア年代記」
              「パルムの僧院」

バルザック         「十三人組物語」
              「遊女の浮き沈み」
              「あら皮」

ヴィクトル・ユゴー     「ノートルダム・ド・パリ」
              「笑う男」
 
ゴビノー伯爵        「プレイヤッド」
              「旅の土産」

テオフィル・ゴーチエ    「死後の恋」

エスキロス         「魔術師」

ネルヴァル         「火の娘」
             
ペトリュス・ボレル     「マダム・ピュティファル」
             
X・ド・サンティーヌ    「ピッチョラ」

シャルル・ノディエ     「トリルビー」
              「パン屑の妖精」
              「スマラ」

バルベー・ドールヴィリイ  「魔性の女たち」
              「呪縛された女」
              「老いたる情婦」
              「シュヴァリエ・デトゥシュ」
              「死せざるもの」

リラダン          「残酷物語」
              「未来のイヴ

フロベール         「サランボー
              「聖アントワーヌの誘惑」

ミュルジェ         「ボヘミアン生活情景」

ユイスマンス        「さかしま」
              「碇泊」
              「彼方」

アレクサンドル・デュマ   「マルゴ王妃」
              「モンソロー家の奥方」

アメデ・アシャール     「ベル=ローズ」

ポール・フェヴァル     「せむし男」

エドモン・アブー      「山賊王」

ヴェルヌ          「海底二万哩」

エルクマン&シャトリアン  「一八一三年の応召兵」

     ***

モーパッサン        「脂肪の塊」

アドルフ・ベロ       「わたしの女房、ジロー嬢」

ペラダン          「羅典退廃集」(連作)

ジャリ           「超男性」
              「フォストロール博士言行録」

ユーグ・ルベル       「ラ・ニキナ」
              「フランス岬の熱い夜」
             
ジャン・リシュパン     「鳥黐女」

ジョルジュ・ダリアン    「懲役兵部隊」

ミルボー          「処刑の庭」
              「小間使いの日記」

ジャン・ロラン       「仮面物語」
              「ド・フォカス氏」

ラシルド          「ヴィーナス氏」
              「愛の塔」

アンリ・ド・レニエ     「罪の女」

モーリス・バレス      「ベレニスの園」
              「オロント河畔の庭」

G・エクー         「エスカル=ヴィゴル城」

ローダンバック       「死都ブリュージュ

J-H.ロニイ       「赤い波」

モーリス・ルナール     「青い危険」

ピエール・ルイス      「女と人形」
              「アフロディト」
              「ポゾール王の冒険」
              「母親の三人娘」
              「紅殻絵」

G・ド・ヴォワザン     「岐れ道の酒場」

     ***

ピエール・ロチ       「お菊さん」
              「氷島の漁夫」

クロード・ファレール    「武士道」
             (「日露戦争」)

トマ・ローカ        「御遠足」

     ***

モーリス・マーグル     「野獣の呼び声」
              「ハシッシュと阿片の一夜」 

ガストン・ルルー      「オペラ座の幽霊」

G・ルルージュ       「怪人コルネリユス博士」

     ***

アポリネール       「異端教祖株式会社」
             「一万一千の鞭」

F・フルーレ       「人造貴婦人」

レーモン・ルーセル    「アフリカの印象」
             「ロクス・ソルス

ブレーズ・サンドラール  「ダン・ヤックの告白」
             「モラヴァジーヌ」
             「黄金」
             「世界の果てに連れてって!……」

ピエール・マッコルラン  「海賊の唄」
             「女騎士エルザ」
             「霧の波止場」
             「娼婦、ヨーロッパの港……」
             「冷たい街燈の下で」

     ***

Ch-H・イルシュ    「虎と虞美人草(ひなげし)」

Ch-ルイ・フィリップ  「ビュビュ・ド・モンパルナス」

アンリ・バルビュス    「砲火」

ジョゼフ・ケッセル    「赤い草原」

ジョゼフ・デルテイユ   「コレラ」
             「アムール河のほとり」

ポール・モーラン     「夜ひらく」
             「オリエント超特急」

ヴァレリー・ラルボー   「A・O・バルナブース」

アンドレ・ジイド     「法王庁の抜穴」

ポール・ヴァレリー    「テスト氏との一夜」

アン・リネル       「赤いスフィンクス」

モンテルラン       「若き娘たち」
             「闘牛士たち」

ドリュ・ラ・ロシェル   「鬼火」
             「シャルルロワの喜劇」

アンドレ・マルロー    「人間の条件」
             「征服者」
             
P-J.ジューヴ     「極刑場面」 

セリーヌ         「夜の果ての旅」
             「なしくずしの死」
             「城から城」
             「北」
             「リゴドン」

     ***

アラゴン        (「イレーヌの女陰」)

G・ランブール      「ヴァニラの木」

アンドレ・ブルトン    「ナジャ」
             「狂気の愛

ルネ・ドーマル      「類推の山」

レーモン・クノー     「きびしい冬」
             「わが友ピエロ」
             「地下鉄のザジ
             「男は女に甘い」

アントナン・アルトー   「アナーキスト皇帝ヘリオガバルス

ジョルジュ・バタイユ   「眼球譚
             「青空」
             「死者」
             「聖なる神」

ピエール・クロソフスキー 「ロベルトは今夜」
             「バフォメット」

     ***

レーモン・ゲラン     「現代神話素描」

ジャン・ジュネ      「花のノートルダム
             「薔薇の奇蹟」
             「葬儀」

ポーリーヌ・レアージュ  「O嬢の物語」

レイモン・アベイォ    「幸せなるかな、平和の民……」

アルベール・コスリイ   「誇り高い乞食たち」
             「怠け者の楽園」

     ***

ジュリアン・グラック   「アルゴール城」
             「暗い美青年」
             「シルトの岸」
             
マンディアルグ      「黒い美術館」
             「狼の太陽」
             「燠火」
             「大理石」
             「満潮」
             「海の百合」
             「オートバイ」
             「城の中で語るイギリス人」
             「剣の下」

ジョイス・マンスール   「充ちたりて横たわる者」

     ***

ボリス・ヴィアン     「日々の泡」

ピエール・ブールジャド  「サド侯爵と聖女テレジア」

ベルナール・ノエル    「聖餐城」
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             全169作

室内装飾について

人間の生活の基本といわれる衣食住。このうち衣はほぼ完全に欧化された。食はまあ和食と洋食(中華もふくむ)が半々くらいか。米が主食である以上、完全な欧化はまず無理だろう。で、住はといえば、これが微妙なのである。オフィスがほとんど洋風なのは当然として、人々がふだん住んでいる家。これを洋風と見るか、和風と見るか。

いまではフローリングの家も珍しくなくなって、畳の間がひとつもない家も少なくないだろう。しかし、玄関があってそこで靴を脱ぐという習慣がある以上、純粋に洋風とはいえない気がする。ぎりぎり洋風に寄り添ったところで、やはり和洋折衷様式から抜け出すことはできないだろう。

ところで、和風の家と洋風の家とのいちばんの違いは何かといえば、前者はそのまま床に座ったり寝そべったりできるが、後者は家具がないと座ることも寝ることもできない、という点にある。洋風の生活は、基本的にすべてが宙に浮いている。家具にしても、椅子やベッドのみならず箪笥や戸棚にまで脚がついていて、日本のそれらのように床にどっしりと密着したのは少ない。

この、生活空間が床から数センチなりとも浮上している点が、洋風の住まいの特色だといえるように思うのだが、どうか。

さて、そうやって床からすべてのものが距離を置いて浮上しているから、当然のことながら天井が高くなる。板敷きであることと、天井が高いこと。この二つの条件が、洋風の家具のたたずまいを決定づけているのである。

洋風の家具は魅力的なのが多い。たんにわれわれにとって物珍しいから、というだけでなく、造形的にもすぐれているように思う。この造形美はもちろん古代のギリシャの様式にさかのぼることができるが、それは一口にいえば、曲線を重視するということだ。和風の家具は基本的に直線主体の方形である。いっぽう洋風の家具は、やむをえず方形に近づく場合であっても、どこかに曲線的な要素がみえる。あえていえば曲線こそが、ギリシャに端を発する西洋的美学の根本的要素なのである。

だから、こういった純ヨーロッパ的な家具を日本の家屋にもちこむと、なんともいえない不調和が生じる。まるでちょんまげを結って下駄をはきながら洋服を着ているようなチグハグさだ。畳の部屋にロココ調の椅子を置いて、それで満足していられるのは、よほど美的感覚に欠陥のある人だろう。ふつうの感覚の持主なら、その不調和がひきおこす軋みに耐えられないはずだ。

というわけで、純ヨーロッパのものは日本の家屋に導入するにはリスクが高すぎる。しかし、だからといって諦めるのはまだ早い。日本の家屋に持ち込んでもその魅力を失わず、しかも不調和を最小限に抑えられるたぐいの洋風の家具がある。英米の家具がそれだ。

英米の家具は、彼らの生活の長い伝統、すなわちオールド・イングリッシュとアーリー・アメリカンという様式に根ざしている。この二つはふしぎと日本人の固有の美学に抵触せず、むしろそれを側面から補強するような性質をもっている。それらは純洋風ではない。なにしろイギリスはヨーロッパの辺境であり、アメリカはさらにそのイギリスの出先のようなものだからで、ロココに代表されるような、いかにもヨーロッパ然とした大時代的な文物とはおのずから別物なのだ。

そこで思い出すのは、アメリカ人であるエドガー・ポーの書いた「家具の哲学」という短文だ。これはおもしろい読物で、ここに説かれている哲学──というほどのものでもないが──を適宜自己流に読み換えてわがものとすれば、日本人として洋風をいかにして取り入れるか、取り入れるべきなのか、が何となく見てくるのである。

ポーは言う、「室内装飾にかけては英国がベストだ」と。ところがアメリカ人であるポーですら、英国風をそのまま受け入れるわけにはいかない。風土というのはそれほど決定的なものなのだ。そこでポーが独自の観点から導き出す、理想的な室内装飾の話にすすむのだが、彼の主張をひとことでいえば、豪華なものや華美なもの、ぎらぎらしたものや贅沢なものや大仰なものは一切排除せよ、ということにつきる。しかしそういいながらも、彼がサンプルとして差し出す室内の描写をみると、われわれはここでもまた彼我の相違に愕然としないわけにはいかない。アメリカと日本との差が、イギリスとアメリカとの差とは比べようもないほど大きいことのみが痛感される。

コンソールの話

後期マラルメのソネットのひとつに「華卓子」というのが出てくる。字を見ただけでは何のことかわからないが、その点を気にしてか、訳者の鈴木信太郎はこれに「コンソール」とルビをふっている。しかし、コンソールといわれても、これまた何のことかわかる人は少ないのではないか。

私にはこのコンソールなるものが長いこと謎だったが、いまではネットの画像検索があるから、ちょっと調べただけですぐにわかってしまう。コンソールとは、一般にはコンソール・テーブルといわれるところの、ふつうのテーブルを半分に切ったような形のもので、これを壁にくっつけて置くのである。花台に使われることが多いので、華卓子(花テーブル)と訳されたものらしい。とはいうものの、この訳語はほとんど一般には広まらなかった。

ところで、この形のテーブルが出現する前に、すでにコンソールなるものはあった。それは張出し窓の下などに設置される「渦形持送り」のことだ。マラルメの詩に出てくる「コンソール」についていえば、テーブルの一種としての「華卓子」のほかに、この「渦形持送り」のイメージを重ね合さないと、おそらく詩人の意図は十全には伝わらないと思う。さらにいえば、「慰める」という意味のコンソール(コンソレ)も影を落としているのではないだろうか。もっとも、そういったイメージの積み重ねをもってしても、マラルメのコンソールは依然として謎なのだが。

こんな話をするのも、じつはこのコンソール(テーブルのほう)を買いたいと思っているからなのだが、しかしこれを買って設置することを考えると、いろいろと問題が出てきてしまうのだ。その問題を解決せずに思い切って買ってしまうというのもひとつの手だろう。買ってしまえば、あとのことはどうにでもなる。それはそうなのだが、その前にああでもない、こうでもないと悩むのも、室内装飾愛好家にとっては一興なのではないか、という気がする。

その問題というのを書いてみたい、気持の整理をかねて、後日にでも。

四条大橋の下を加茂川が流れる

いっときはあまりのバカバカしさに古本屋に売ってしまおうと思った「洛中洛外漢詩紀行」(人文書院)。しかしこれはたぶんに私が京都を知らなさすぎることから生じた印象なのであった。最近ちょっと京都づいていて、そういう目でみればこの本も捨てたものではない。もちろん本書で扱われている江戸時代の京都などはこんにち目にしようと思っても無理なのはわかりきっている。京都といえども日本の町である以上、どうしたって変化は免れない。その変化の中で、いかにして「花ある田舎」と「近代都市」とを両立させるか、それが「文化都市」京都の永遠の課題であろう。

さて私は京都の何を知っているか、といえば、じつは何も知らないのである。何度か訪れた印象はあまりいいものではなかったし、京都出身の人々がまた私にはおそろしくつきあいにくかった。日本中さがしても京都人ほど私とそりが合わない人種もいないんじゃないか、と思ったくらいだ。そういうところからなんとなく敬遠していた京都。しかしそこに住む人間はともかくとして、ひとつの町としてみた場合、京都には他の町にはない魅力があることに最近ようやっと気づくようになった。

それはいうまでもない、政権が東に移るまで日本の都だった、その歴史性に由来する。つまり日本の歴史を知れば知るほど、京都の大きさ、重要性が痛感されるようになるのである。そして、そういった歴史的京都と現在の京都とを二重写しにする試みとして、この「洛中洛外漢詩紀行」は私には大切な一冊になりはじめている。ネット上で見られる地図(マップファン、グーグルアース、ストリートビューなど)を横目で睨みながら読めば、思わぬ発見や驚きがあって、そうこうしているうちに京都に行きたくてたまらなくなる。

寒くなる前に四条大橋の上に立って、そこから加茂川の流れを見てみたい。

まあ行ったら行ったで、昔の印象とあんまり変らんなあ、ということになるのかもしれないが。

パパはお父さん

息子には「お父さん」と呼ばせ、娘には「パパ」と呼ばせる。それが正しい日本の父親のあり方だ、と私は固く信じているのだが、どうもこの方針を堅持している家庭が少ないようなのは残念だ。

息子も娘もいる父親が、片方にはお父さんと呼ばせ、片方にはパパと呼ばせるのはおかしい、矛盾している、といわれるかもしれないが、そんなことはないし、あまり気にしなくてもいい。だって、息子に対するのと、娘に対するのとでは、同じ父親といっても人格が違うのである。これは当り前のことで、同一人物がある場合には息子であり、ある場合には夫であり、ある場合には父親である以上、ある場合にお父さんであり、ある場合にパパであってもいっこうに不都合はない。それに父親たるもの、子供がある程度大きくなってきたら、自分でこう呼ばれたいと思う名称以外の呼び名で呼ばれるようになるのは必定なのだ。それは「おとん」であったり、「おやじ」であったり、「とっつぁん」であったり、「おっさん」であったり、「○○(名前)」であったり、様々なのだが、いずれも甚だしく敬意を欠いている点で共通している。父親の威厳まるつぶれだが、そうなる前の、子供が無邪気なうちは、なんといっても正統的な「お父さん」、それに世界共通語であるところの「パパ」をもって呼び名とするに如くはない。

「お父ちゃん」はどうかって? うーん、私が子供のころはそう呼んでいる家もけっこうあったし、私の母も祖父母のことを「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいたが、いまは少数派じゃないですかね。だいたい「ちゃん」というのは小さいもの、かわいいものにつける接尾辞である。そんなものを親にくっつけるなんて、無教養まるだしではないか。

というようなことがちらと頭をかすめたので書き留めておいた。

地下鉄のザジを地下鉄で読む

まあ地下鉄の中で読まないまでも、こういうものを家で机に向って読むのはどうかと思う。書を棄てずに町へ出て読むべき本だ。ちょっとがやがやした喫茶店の中ででも──

作者のクノーはこの本について、「あっちへ行っては引き返し、こっちへ行っては引き返し、迷路みたいに入り組んでいます、まるで地下鉄の線路ですよ」と語っている。

もし地下鉄がこの小説の構造の暗喩ならば、たとえ迷路のように入り組んでいても、出口はいたるところにある。もちろん入口も。だから作者としては際限なく書き続けられるだろうし、どんな終り方をしても差し支えない。そういうところからくる風通しのよさがこの小説の魅力だ。

ザジに似た女の子を他に求めるとすれば、ニコニコ動画から生れた護法少女ソワカちゃんがそれではないだろうか。

ところでこの小説、ほとんどが会話で成り立っているんだが、鉄砲玉のように繰り出される言葉の奔流にしかるべき日本語をあてはめた訳者の苦労は相当なものだったろう。なにしろ俗語(アルゴ)というやつは外国人にはわかりにくい。そのわかりにくさはプレシオジテすれすれにまでいっている。

訳者はボーシュやサンドリー、それにハラップの俗語辞典を総動員して訳出にあたったらしいが、そう思ってみると、一見なにげなくみえる翻訳もにわかにありがたみが増す。

日本で出たフランス俗語辞典としては田辺貞之助のものがある。これは私にはあまりぴんとこないもので、長いこと積読になっている。どうも期待の水準に達しない憾みがあるのだ。

ところでこの辞書で causer を引いてみると、《Tu causes, tu causes, c'est tout ce que tu sais faire.》という例文が出ている。おお、これは「ザジ」の中で鸚鵡の<緑>のしゃべるセリフそのままではないか。「お前はペラペラしゃべるよりほかに能がない」と説明が出ている。生田耕作の訳では「喋れ、喋れ、それだけ取り柄さ」となっている。

《Tu causes, tu causes...》これぞまさしく「ザジ」の全体を総括したセリフであろう。

あと、余談ながら、生田は田辺の辞書をわりあい高く評価している。