星瑠菜さんをスタジオで撮影。
部屋にいるようなくつろいだ雰囲気で撮れた。
星瑠菜さんをスタジオで撮影。
部屋にいるようなくつろいだ雰囲気で撮れた。
思わせぶりで冗長で「ここで終わるのか?」となった前作。
あれは長い序章に過ぎなかったということで、本作でようやく話が動き出す。
このPART2で描くのは、カリスマ的リーダーというか、もっとはっきりいえば「教祖」の誕生。
そして、人心を掌握して民衆を導く教祖の欺瞞と、そこに依存する民衆の危うさを描いている。
ポール(ティモシー・シャラメ)は立っても寝ても美しく、砂嵐にまみれようが、血を浴びようが、360度どこから見ても一分の隙もない。
この映画を見ている我々もまた、ルッキズムの魔法にかけられてうっとりと彼の魅力に溺れていく。
そして、自分もあの扇動される民衆と同じだと気付かされる。
扇動される民衆の中にあって、ポールと恋人になって距離を縮めながらも、どこか醒めた目で彼の行く末を案じ、危険な局面では異を唱え、最後には決定的に袂を分かつチャニ(ゼンデイヤ)の存在は、この作品の中の良心とも言える。
チャニの視点は、21世紀の世界情勢への批評的なまなざしということではなく、おそらく人類が有史以来抱えているものに対する冷徹な自己認識とでもいうべきものと思う。
3時間近いの長い作品ではあるが、映像美と音響は圧倒的。
これは大画面のIMAXで観るの価値はある。
21世紀のテクノロジーを得て、ようやくの原作のスケールの大きさを映像作品として見せられる時代が来たということかもしれない。
しかしながら、ストーリーのテンポはアップしたが、演出のせいか脚本のせいかシーンは終始ぶつ切りになる印象で、大きな<物語>に没入し、心躍ることを妨げられる。
ストーリーテリングについてはもう少しメリハリというか、外連味があってもいいのではないかと思わずにいられない。
特に『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』を見慣れた目で見ると、たとえば「ラストのバトルはもっと盛り上がってくれ」と思ってしまう。
PART2のクライマックスというべき決勝戦の場面は、予選的な位置付けのコロッセウムよりも映えるものであってほしかったというか。
まあ、アメリカでは商業的に成功しているようなので、続編も作られるだろうから、このシリーズの続きは見届けていきたい。