2018年に発表された音楽で良かったものベスト10
こんにちは、小宇宙レコード主筆です。来年は不惑の年らしいのですが、相変わらず人生のあれこれに戸惑いまくっている39歳です。これが年齢同一性障害ってやつか…。
さて、2018年もたくさんの音楽を浴びてきました。その中から、ナンバリングはするけれど本当はまったく順位不同なベスト10をお届けします。
2018年はもうほとんど、音楽配信サブスクリプションサービスが浸透してきた感じがする。去年のベスト記事では、サービスを利用している同志を見かけることが多くなってきた、程度のことだったけれど、今年はもうみんな使いだしている、という感じ。「オリコン週間ストリーミングランキング」というのが12月から始まるというニュース(*1)も、客観的な指標かも知れないなあ。
そんな中、今年のはじめっから、AppleMusicからSpotifyへお引越し。
プレイリスト編集、楽しすぎる。楽しすぎ2018。ハガキ職人ではなく、プレイリスト職人というのがあったら、必ず毎日投稿してやる!くらいのはまりようで。とくにSpotifyはPCでのリスト編集が圧倒的に便利なのです。
自分の場合、リスト編集は記憶の定着作業がお役目。あとは、己の音楽執着の怨霊(=音量)を鎮める役割。ので、あんまりAIとの競争は意識しておらず。でも、LINEのスタンプクリエーターやnoter (noteを毎日更新する人、いま思いついた)みたいに、これで生活の足しになったら、たまらないよね。
あ、noteにてこんなことやってます。美味しいプレイリストも揃えてますので、どうぞフォローしてやってください(『泣いた赤鬼』風インビテーション)。
閑話休題。
今年は、そんなこんなでサブスクサービスが伸びていたけれど。もはや世界の中で、CD売上が音楽サブスクを上回っているのは日本だけになった。見事なガラパゴス。でも、さすがに2020年までには乗り越えていくとは、思う…。
音楽を取り巻く状況は目まぐるしく変わるけど、音楽自体は変わらないさ。今年もしばしお付き合いください。
■1 水曜日のカンパネラ / ガラパゴス
ガラパゴスといえばこれ。タイトルとジャケット写真だけでメシが3杯くらい進みそうな、カンパネラの新作。ばっきばきに尖ったトラックメイクこそあれど、新作という気もせなんだ。かといって、古いでもなく。
現代に生きる吟遊詩人、さだまさしがかつて、「うたを古い新しいでわけないでください。好き嫌いでわけてください。」と言っていたというけど(*2)、そんな感じです。
とくに、この曲には唸らせられた。
アルバムには収録されていない尺が、このミュージックビデオにはある。
それは、冒頭の少女の語り。日本語字幕を抜き出すと。
とにかく 私は走らないといけないのだ
不確かなものに犠牲を払う
その行為だけが確かなのだ
もう ここにはいられない
こどもの私が 離れていく
振り返る時間は ない
不確かさで霧がたちこめる昨今、とにかく走らないと。そういう焦燥感に対して、曲調は勇気付け。進軍ラッパのように響く。
「こどもの私が 離れていく」くだりは、映像のように本当のこども、でもなくて。
たとえば、アーサー・C・クラークが1953年に発表したSF長編『幼年期の終り』のタイトルにある、「幼年期」。人類ぜんたいが変わっていってしまう谷間(=幼年期の終り)にさしかかっていて、だからこそもう、振り返る時間さえないような。
ここでこの歌の「原作」となった治のメロスから一節。もう、「人の命」さえ問題ではなくなってしまっている、凄み。ここだけ見ると、発表された1940年よりも、約80年後の今のほうがフィットする気がしてくる。
それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。
■2 tofubeats / RIVER
tofubeats氏の全体像はまったく知らなかったし、この「RIVER」を主題歌とした映画『寝ても覚めても』 も、ついに劇場でみることはなかった。だのに。なぜかこの曲を聴くと、観たことのない映画を観た気になる、名曲。とりあえず、YouTubeをば。
盛り上がりまでの導入部分が、2回。長いながらも、ていねいに、少しづつ、ベーストラックが入れ替えられる。サビ部分までのストリングスが最高に洗練されている。サビ部分も音数を抑えて。徹頭徹尾、冷静にコントロールされている。なのに、熱い。
歌詞の冒頭「寝ても覚めても愛は」でいきなり映画のタイトルを歌うように、見事な商業ソング。
映画『寝ても覚めても』主題歌のtofubeats「RIVER」。くせになる格好よさはさておき、この曲はブルーバックス新書『川はどうしてできるのか』(藤岡換太郎、著)を参考にして制作されたという。ますます好きになった。https://t.co/yIJ4whYx5H
— 平穏 (@shouchu_record) September 30, 2018
■3 Silivia Iriondo / TIERRA SIN MAL
- アーティスト: シルビア・イリオンド,カルロス・アギーレ,ハファエル・マルチニ
- 出版社/メーカー: SPIRAL RECORDS
- 発売日: 2018/03/09
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る
今年、だけではなくて、これからもずっと聴いている気がする。
「アルゼンチンのネオ・フォルクローレ・シーン」という、興味深々なシーンを代表する、シルビアさんの音楽。果てしなく懐の深い音像。流しておくだけでも気分がいいし、ちゃんと聴くとそれはそれで圧倒されてしまうという、不思議な音楽だった。
このアルバムで一番感動した曲は、これ。たぶん2018年聴いたいろいろな歌のなかでも、一番感動した気がする。全俺が泣き続けています。
アルバムの予告編のような動画。「アルゼンチンのネオ・フォルクローレ・シーン」を体現(?)するかのような、お気楽極楽な雰囲気。ここに入りたい、猫として。
ファン・ファルーやカルロス・アギーレなど、多士済々が作品ついてコメントしている。あ、なにを言っているかは分からないけれど、たぶんいいこと言ってる。。
Silvia Iriondo『TIERRA SIN MAL』がSpotifyで聴くことができるように。泣ける。最良。雰囲気の良さはまるでリリアナエレーロ『風の告白』。夏のおわり、秋のはじまる、予感。
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年8月8日
『悪なき大地(TIERRA SIN MAL)』は、Googleの前の理念、「悪になるな!」を想起させる。https://t.co/YJKfRXdXMu
今年の発表ではないけれど、シルビア・イリオンドやリリアナ・エレーロと同じ人情を感じさせるアーティストにも遭遇した。モニカ・サウマーゾ。雄大で、包み込まれる感じ。これもいいんだよなあ。
■4 小袋成彬 / 分離派の夏
2018年の夏はこれ一色だった。「平成最後の夏」というより「昭和最後の夏」感のする詩の世界。音像のスタイルこそ、フランク・オーシャンやジェイムス・ブレイクらのリズム感や、トラックの引き算感を踏襲した感があるけれど、完全に自身の血肉とした感じ。それになにより、歌詞とメロディに圧倒された。
こんな歌詞で、こんなメロディ。
こんな粋な組み合わせは、他に聴いたことがない。
喘息をこらえて
縁側の座椅子で
朝まで話そう
線香漂うリビング
僕らを睨む君の親父の遺影
陽炎に僕らは溶けた
グアムじゃ毎日熱にうなされて
会話もせずに
あれはごめん白い肌が勲章なのさ
二人の
今度は君が倒れた
隣の町の噂でさ
一番に駆け付けたのが自慢でさ
それから心だけは半年以上も動いた
見慣れた寝顔に髭が白い肌が勲章なのさ
二人の
二人だけの
小袋氏本人も、その周りの人々も、静かに熱狂している。そんな中でも、この記事がもっとも胸を打つ。ちょっとした私小説を読んでいる気にもなる。
■5 JOINT CUSTODY / BE GOOD
個人的に2018年が他の年と違うなあ、と思ったことは、海外のアーティストから直接コメントされることがままあったこと。これは、Spotifyのサジェスト機能がインディーズよりな音楽を教えてくれたことが起点。そこから、Google検索で彼らのTwitterにメンションをおそるおそるとばしつつコメントしてみると、かなりの割合で返信してくることが多かった。
そして、プロモーション(というかエゴサーチ)も本人らがやっているからか、気軽な感じがした。
例えば。
Thank you for commenting to my post! Your music is very intimate and makes me cry. Hope you visiting Japan for live performance, and I absolutely will go to that concert. https://t.co/PWWmh2yvk4
— 平穏 (@shouchu_record) 2018年5月5日
You're more than welcome! Here's some love from Chiba xxx https://t.co/aWrtJJiyRU
— 平穏 (@shouchu_record) 2018年11月25日
そんなこんなで私のSpotifyの2018年は、JOINT CUSTODYから始まり、彼らによって終わる。ぜんぜん、無名のアーティストなのに、偶然通りかかったというやつだ。
彼ら自身の発信力はまだ少ないようだけれど、音楽の濃さとはまったく比例しない。
■今年の忘れられない音楽ニュース: ECD氏の死去
これは書いていたら一記事できてしまったので、noteでどうぞ。
■6 マイケル・フランクス / ザ・ミュージック・イン・マイ・ヘッド
ザ・ミュージック・イン・マイ・ヘッド【Blu-spec CD2】
- アーティスト: マイケル・フランクス
- 出版社/メーカー: Pヴァイン・レコード
- 発売日: 2018/05/23
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る
最高。今年のベスト10に余裕で入ります。最敬礼のマイケルフランクス新作。https://t.co/k8msSa7eTt
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年7月2日
昔っから良かったのは今も変わらず。新しい人も、古い人も。もしくは、伝統的なものも、新鋭な音楽も。同じ平面上に拡散していて、それを受け取りたい人だけ受け取る感じがする。それはつまり、村がたくさんできている感じだ。
■ベストパフォーマンス: Jorja Smith
ごつい。
Tiny Desk Concert中、こんなにもアコースティックセットがオリジナルと比肩する例も珍しい。というかこっちの方がいいかも知れない。悶絶する。リズム隊の繰り出すノリも恐ろしいが、それに乗ろとしていない、にも関わらず完全に捉えているJorja Smithも凄い。
■ベストミュージックビデオ: Bruno Major
Jorja Smithが「動」なら、こっちは「静」。
意味の分からない恐ろしさが極まると、それは崇高と呼ぶらしい。ヒッチコックの『サイコ』よろしく、鳥たちが台風のように一丸となって舞う姿は、ちょっと気味が悪いくらいだけれど、うねる動きから目が離せない。そこに、こんな静かな、ささやかな歌が乗る。
■7 福盛進也トリオ / For 2 Akis
ECMでアルバムを出す福盛進也氏。https://t.co/IpXEc6UnZt
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年6月24日
レパートリーが凄い。愛燦燦、悲しくてやりきれない、カレーライス(エンケン!)。そして、宮澤賢治の星めぐりの歌を、こんなに抒情を込めたアレンジするのを初めて聴いて、震えた。これで3人だなんて…!https://t.co/N5ZwLXxtT3
■ベストお気楽極楽パフォーマンス: Joe Barbier
.#今日の弾き語り
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年6月8日
休日の午前に最高。
Joe Barbieri氏のFacebookライブ。https://t.co/4X19NORo4v
カエターノ・ヴェローゾが「ブラジルの粋な男」だとすると、
ジョー・バルビエリは「イタリアの粋な男」。しかも「粋」という言葉がもっと似合うかもしれない。ただただ尊い。
■ベストファイヤーダンス: Nai Palm
.#今日の弾き語り
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年6月10日
やられた。じわじわと静かな盛り上がりと、このMVの調和感は凄い。彼女の最初の仕事、ファイヤー・パフォーマンスと、彼女の故郷を舞台に。さっきつぶやいたインタビューを読みながら見ると、さらにさらに効果的。https://t.co/yuzMtv8tX8
ごつい。
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年6月10日
> 私たちはどんな状況でもカオスの中にいるので、そこで生き延びるために自分の力で一つの神聖な場所を作ったり、神聖な力を持ったりしないと、安心感というのは感じられない。私はその力によって他の人の何か力になれると思うので、今は音楽を作っている--https://t.co/4pRuAYy4ef
■8 Caetano Moreno Zeca Tom Veloso / Ofertorio Ao Vivo
- アーティスト: Caetano Moreno Zeca Tom Veloso
- 出版社/メーカー: Universal Brazil
- 発売日: 2018/06/09
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る
ブラジルの至宝カエターノとその息子達が集まって。ヴェローゾ一家のなめらかな音楽界。今年一番の作品だし、きっと長い間聴く。
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年5月26日
感動的なのは、18曲目の「O Leaozinho」。父が息子に捧げるこの歌を始めると、観客から「あぁ~」と納得の声が漏れるところがハイライト。https://t.co/ELCxJiM8ox
カエターノはいま、彼が亡命せざるを得なかったブラジルのことを思い返している。いまブラジルでは、歴史を繰り返されるかのような。
■9 PJ Morton / Gumbo Unplugged (Live)
前つぶやきで紹介したNetflixオリジナル作品、『ブラック・ミラー』の一篇「ずっと側にいて」。これは、心かき乱される傑作。ここで印象的に流れた歌、How Deep Is Your Love。「愛の深さは?」だなんて、ただでさえ分からない概念がさらに深く。2018年は彼らのライブ版が最高。https://t.co/X77RnAVqIP
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年10月28日
■人間の手でプレイリストをつくることについて
今年ははじめからおわりまで、とにかくSpotifyに耽溺した1年だった。で、最後の締めくくりとして、Spotifyは自分のリスニング記録をまとめて、プレゼンテーションしてくれるのだ。それによると。
Spotifyによるまとめ。Caetanoを合計21時間聴いていたらしい!
— 平穏 (@shouchu_record) December 22, 2018
それぞれが違った1年を過ごしてきたけれど、これがわたしの2018年。2018年を振り返ってみよう: #2018wrapped #Spotifyまとめ @Spotify https://t.co/iCsPT3QYJk
そしてそして。このリスニング履歴に基づいて、「あなたがまだ手を出していない冒険プレイリスト」まで掲示してくれるという、親切さ。
こうなってくると、果たして自分でプレイリストを編集する意味がどんどん薄まってくるような。
けれども。
そんな意味の病については、ハンドニットのデザイナー三國万里子氏のこのつぶやきがほとんど完璧に答えてくれている。
ので、あんまりそこで悩むことは、いまのところはない。
デザインの複雑なものは、簡単なものよりすばらしい?
— 三國万里子 (@marikomikuni) November 22, 2018
スピードが遅いのは、速いことに劣る?
それが手編みについてのことなら、だいぶ昔編み機が現れたときに、問い自体が無意味になっていると思うんだ。
技術で人を圧倒するのではなく、自然に花が咲くみたいに、ものを作れるといいなと思う。
■10 Melody Gardot / Currency of Man
震えたライブ。2018年の終わりそうないま出くわすことができて良かった。
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年11月3日
オリジナルはことあるごとに聴いていたけど、ここまでライブ版と違って、それでいて独立したものはあまりない。朝日の歌なのに、真夜中の雰囲気。暗夜行路から夜明け前。そして夜はまた明ける。https://t.co/T8PMDfBsiO
■ベスト音楽ニュースたち: 個人でやるのにサポートが整ってきた
音楽ニュースで今年衝撃的だったは、これら。
サービスだったりスキルだったりが誰でも使えて、ほとんど無料になるのを「民主化」というなら。2018年はその動きが胎動している1年だった、と思う。
その逆も同時に進行中。つまり、「みんなが表現しているなか、俺は一体なにをしたらいいのか…」問題だ。好きを見つけなければならない病気ともいえるけれども。
そうそう。そんな中、2018年で一番勇気をもらった歌はこれだ。
CHAIのこの曲、21世紀のイマジンかと思った。お前は駄目だ!を反転とさせ、強みへと活かす。「強味」、といっている時点であれかも知れないけれど。この楽しさ。一体ありゃなんだったんだ。
長々とお付き合いくださりありがとうございました。
見事に年を経るごとに長文になってきて、内容も散らばっている…。
師走の折、隙を見てつまみ食い程度に読んでいってください。
気に入ったら広めてくださると嬉しいです。ではでは。
ちょっとした引用
*1「オリコン週間ストリーミングランキング」というのが12月から始まる https://www.oricon.co.jp/confidence/special/51685/
*2 永六輔『NHK人間講座 人はなぜ歌うか 六輔流・日本音楽史』p.136
■2017年のベスト10
■2016年のベスト10
■2015年のベスト10
■2014年のベスト10
■2013年のベスト10
にぎやかな夜はまるで私ひとりの祝祭日: 石垣りんは20世紀最高のオプティミスト
「にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日」。
夜のことを、こんな風に素敵に表現したのは、詩人石垣りん氏。
この部分だけ切りとると、ほっこりとした、幸せな気分となってしまうかも知れない。
でも実は、その表現が収録されている詩全体を読むと、まったく印象が変わってしまう。変わるどころか、まったくの逆。
その詩のタイトルは、「その夜」という。どんな夜か。
その夜
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていこう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』1959年
40に近い女性が、一人きりで、背骨の手術を受ける。しかも、かなり症状は重い。 うめくほどに、痛い。 悲しく、辛い。孤独で、寂しさが極まる。
でも、ところどころをよく読んでみると、皮肉めいた、けれど実感が込められたような、感情のうらおもてが同居したような表現がたくさんあることに、気づく。
「私を横に寝かせて起こさない 重い病気が恋人のようだ」。
「重い病気が、恋人?」。独身で頼れる身寄りが無かった彼女にとっては、守るべき家族こそが心のよりどころだった、という。そして、その世帯には自分しか経済的な柱はいない。だから、なにがあっても休まず、働かなくては。
だからこそ、「重い病気」くらいの重りでなければ、彼女になにもしないでいい自由がなかった。だから、病気こそは嬉しくない来訪者ではあるけれど、ひとときの自由を与えてくれる者でもある。
「貧しければ親族にも甘えかねた さみしい心が解けてゆく」。
唯一の大黒柱であった彼女にとって、親族にも頼る先はない。でも、病院のベッドには、入院という言い訳には、思う存分甘えることができる。世間の束縛から解かれて。
「そのとき私はやさしく、病気に向かっていこう 死んでもいいのよ」。
死んでしまったら、残された家族は困窮してしまうけれど。それは同時に、いろいろ背負ってきてしまったことごとからの解放でもある。だから、もういいんじゃない、とでもいうような、独白。
「ねむれない夜の苦しみも このさき生きてゆくそれにくらべたら どうして大きいと言えよう」。
この手術が成功して、このさきもこの生活を続けるとしたら。そのことと、ここで死んでしまうことを天秤にかける。苦しみに意味を見出す。まるで福島智『ぼくの命は言葉とともにある』のような哲学。
「いたい、いたい、とたわむれている にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日だ」。
「にぎやかな夜」のせいなのは、シーツの下で、自分の手足がもがいているからだ。でも、そんな状況さえも「私ひとりの祝祭日」としてしまう。
こんな、重すぎる人生のボディーブロウを連打しつつも、わたしたちが分かっていることは、これは詩という表現だということ。石垣氏は何度も推敲を重ねて、バランスを取りつつ、この表現のプラスとマイナスをぶつける実験をしていたということ。
CERNの素粒子実験ではないけれど。ある意味、彼女は少しの興奮を覚えつつ、この編集体験を繰り返していたのではないか。そしてその結果は、(少なくともわたしは)人生や、孤独や、痛みや、疲れ、に対して、ガラッと見方が変わるような気がしている。
石垣りん氏にとって、独身女性の孤独、経済的に支えていかねばならない家族、死ぬかもしれない手術さえも、なんてこともない。詩を通せば相対化されてしまう。
そんな意味で、彼女は「20世紀最高のオプティミスト」なのではないかと思った。
夜に関して、期間限定のWEB個展を開催中です。
よろしくどうぞ。
#AMomentOfTokyo、千代田区編。情報と、写真と、自分の感受性くらい。
さてさて、#AMomentOfTokyoの4回目。千代田区編です。
こちらからどうぞ。
東京23区を気のみ気のまま撮影していく「#AMomentOfTokyo」シリーズにおいて、
情報のことを思いながら行動する、は大事なことなのです。
情報は「情」と「報」でできている。
撮影するときに、じぶんという人間の器が「情」に反応する。
それを「報」せる、じぶん。
「情に反応する」っていうのは、たとえば建設中のビルだとか、打ち捨てられたような雑居ビルだとか。逆に、あんまり華美すぎる観光スポットは避けたり、だとか。要するに一人一人のクセだ。
「東京」と一口にいっても、一人一人の器のクセで、ずいぶんと違った風景になる。
それをじぶんのものさしでもって「報」せる。前回でいった「句読点」でくぎって。
フォーカスされた情報もあれば、放置されたままのものも、当然ある。
だから、そこで発信される「情報」は、器によって、ガラッと変わる。
たとえば、そうだなあ、、、さいきんでいえば築地市場が閉場して、豊洲へ移転したこと。
写真の撮り方は、豊洲のタワーマンションに住んでいる人と、築地市場で何十年も働いていた人では、ずいぶん違うはず。
もちろん、そのどちらでもない、写真家や旅行者、なんかも。
つまり、ごひいきがたがいに異なれは、表現するものもずいぶん異なる、ということ。
もちろん、異なっていいのだけれど。
写真を見返すと、自分のベースとなる価値観が、だんだんと分かってくる。
「写真」は「真実を写す」なんて、言われる。だいたいは、ひやかしの意味をこめながら。
でもこの「真実を、写す」は、「真実(=自分のベースとなる価値観)を、写す」なんだ。
「自分のベースとなる価値観」は「自分の感受性」ってこと。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という句は、茨木のり子さんの詩から。
ばかものであるところの私は、そんなことをつらつら考えながら、さて次の撮影地どうしよっかな、などと企んでいます。
あ、写真作品ついでにこんなのもあります。
聴きながらでも、もしくはこれだけでも。ゆっくりしていってください。
#AMomentOfTokyo、葛飾区編。喫茶店は句読点、または壮大な放置プレイについて。
さてさて、#AMomentOfTokyoの3回目。葛飾区編です。
こちらからどうぞ。
東京23区を気のみ気のまま撮影していく「#AMomentOfTokyo」シリーズにおいて、
喫茶店は句読点、なのです。
句読点。区切り。
「句」を「読」みやすくするための、「点」。
なにかとなにかを便宜上にわけて、情報を取り出しやすくするもの。
喫茶店に寄るのはもちろん、オアシスとしての役割もあるのだけれど。
その区域にとっかかりを作って、記憶を取り戻しやすいようにしておくため。
あとは、考えを整理したり(あんまりしてないけど)。
もちろん、副作用的に、句読点を入れることによって、いくぶんかの成分は漏れてどこかに放置されているに違いない。撮影したときの感情だったり、匂いだったり。
とすると、人が文章を書いたり、撮影をしたり、分析をしたり云々は、壮大な放置プレイともいえる。
そんなことをつらつら考えながら、さて次の撮影地どうしよっかな、などと企んでいます。
立石のルミエールの起源は、あの映画の父、リュミエール兄弟から…では多分無いだろう。店内の暗さ、染みついた煙草の匂い、使えるか分からない電話ボックス、に危うく昭和にタイムスリップしかけた。そして、湿ったピラフの粘り気で完全に時がさかもどった。時が止まることで再び輝くこともある。 pic.twitter.com/gi906RWukw
— 扇谷平温(Heion) (@shouchu_record) 2018年10月28日
あ、作品ついでにプレイリストも更新してます。
聴きながらでも、もしくはこれだけでも。ゆっくりしていってください。