NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【CHET THOMPSON : STRONG LIKE BULL】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH CHET THOMPSON !!

“On The Piano The Bass Lines Are Played With The Left Hand And Treble Lines Are Played With The Right Hand. I Had To Turn The Guitar Upside Down On Its Headstock So I Could Tap Out The Lines The Same Way a Pianist Would.”

DISC REVIEW “STRONG LIKE BULL”

「僕のサウンドは、人と違う音を出したいという欲求から生まれているんだ。僕のギターはアクションが高く設定されていて、とても弾きにくいんだ。アクションを低く設定すると、他の多くのプレイヤーと同じような演奏になってしまうからね。僕はスケールやアルペジオ、弦のスキッピングをとても速く弾けるから、もし弾きやすいギターを自由に弾かせたら、他の人と同じようなサウンドになってしまう。だからその代わりに、自分が欲しいトーンを得るためにギターと戦わなければならないようにしている。自分にとって弾きにくいギターを作るんだ。もしそれが、太いトーンのためにリードの流動性を犠牲にすることを意味するなら、そうすればいいとね」
SNSやストリーミングの普及によって、ギターの探求はより身近で、簡単なものへと変わりました。音や弾き方の正解がそこかしこにあふれる世界で、ギターの敷居はかつてないほどに下がり、誰もが最速で上達できる環境が整っています。しかし、正解だけが、効率だけが、ステレオタイプだけが求められるギター世界は、本当に魅力的なのでしょうか?
「1980年、兄がピアノでモーツァルトを弾いているのを聴いているときに、逆さ両手タッピング奏法を思いついたんだ。ピアノでは低音は左手、高音は右手で弾く。だから私は、ピアニストと同じようにラインをタッピングできるように、ギターのヘッドストックを逆さまにしなければならなかったんだよ」
Randy Rhoads の弟子として知られる Chet Thompson は、決して効率的なギタリストではありません。ギターは重くて速弾きに向かないレスポール。太い弦を張り、さらにその弦高をわざと高く設定して、流動性を犠牲にしながらファットなトーンを追求します。それはギターとの戦い。効率や正解などクソ食らえ。自分が思い描いた理想を具現化することこそがギタリズム。そこから生まれる個性こそがギターの楽しさであり、多様性。そうして、Chet の類まれなる個性、反効率の精神はついにギターを担ぐことに集約しました。
ギターをピアノに模して弾く。Stanley Jordan をはじめ、両手タップでギターを奏でるプレイヤーは何人かいます。しかし Chet はそれだけでは飽きたりません。ピアノと同様、右手で高音を、左手で低音を奏でるためにギターを肩へと担ぎ上げたのです。効率は最悪でしょう。誰もそんなことはやりません。しかし、誰もやらないからこそ意味がある。すぐに彼の音だとわかる。それは、今のギター世界から失われてしまった魔法なのかもしれません。
「Youtuber から音楽を学ぶことについてどう思うか、という質問に対する僕の答えは簡単。ただ楽しんで曲を覚えるだけならいいけど、自分のスタイルを作りたいなら、自分だけのサウンドとスタイルを作る長い旅に出なければならない。Randy Rhoads はいつも、彼から学んだことを自分のものにしなさいと言っていた。だから、Randy のそのアドバイスを受けとることを勧めるよ」
妻の死に衝撃を受け、セラピーのため久々にギターを手に取り生み出したソロアルバム “Strong Like Bull”。アルバムには、喪失に打ち勝つ牛のような強さと共に、教えを受けた Randy Rhoads, Eddie Van Halen の哲学が織り込まれています。Djent やギターの進化を認めながらも、記憶に残るソロや耳に最も心地よいノーマルチューニングでのグルーヴにこだわる Chet のギタリズムは、よりポップに、流麗に、その歌声と共に明らかな進化を遂げています。実際はそんなにギターを担がないけれど、それでも十二分に個性的かつ魅力的。あの時代にこれをやっていれば、また違う未来もあったのかもしれません。それでも Chet はまだギターを置いてはいません。もしかすると、それだけで十分なのかもしれませんね。
今回弊誌では、Chet Thompson にインタビューを行うことができました。「Randy に学んでいたとき、ジャムったときにとてもクリエイティブなリードを思いついたから、彼に最高の生徒だと言われたんだ。どうやってアイデアを思いつくのかと聞かれたから、クラシック・ギターも勉強していると答えたよ。すると彼は目を輝かせて、そのクラシック・ギターの先生を紹介してくれと言ったんだ。僕は Randy にクラシック・ギターの先生を紹介し、彼はその先生に師事することになった。だから Randy の Ozzy とのプレイや、HELLION の “Screams in the Night” のレコードに収録されている僕の曲のいくつかには、クラシックの影響が見て取れるわけさ」 どうぞ!!

CHET THOMPSON “STRONG LIKE BULL” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【METAL DE FACTO : LAND OF THE RISING SUN PART.1】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH ESA ORJATSALO OF METAL DE FACTO !!

“Power Metal Is The Pinnacle Of Music. It Is Music De Facto, Metal Music De Facto… And From There It Came, Metal De Facto!”

DISC REVIEW “LAND OF THE RISING SUN Pt.1”

「パワー・メタルは音楽の最高峰だということだ。これこそが真の音楽であり、真のメタルだとね…そしてそこから生まれたのが METAL DE FACTO だったんだ!パワー・メタルが再び大衆の意識の中で正当な地位を取り戻すことを願っているんだ!」
魅力的なアートを生み出すために最も必要なのは、好きを突きつめることかもしれません。フィンランドが輩出したパワー・メタルの秘宝 METAL DE FACTO は、その音楽も、そのテーマも自らの好きを貫き通して、情熱の炎で新たな傑作を世に産み落としました。
「たしかにパワー・メタルは、2000年代初頭の全盛期を過ぎると、世間のレーダーから姿を消したように思えたけど、完全に姿を消したわけではなかったと思う。ファンやミュージシャンは、かつてほどの人気がなかったにもかかわらず、パワー・メタルを存続させた」
そう、かつて、パワー・メタルはヘヴィ・メタルが揶揄されるマンネリの象徴でした。”すべてが予定調和で、同じに聴こえる”。そんな逆境中でも、パワー・メタルを愛し、その可能性を信じ続けた STRATOVARIUS, BLIND GUARDIAN, GAMMA RAY, HELLOWEEN といった不屈の魂は、いつしかこのジャンルを豊かで実り多い大地へと変えていきました。METAL DE FACTO は彼らの背中を見て育ち、追い求め、そしてついには同じ舞台、同じ高みへと到達しました。
フィンランド訛りが郷愁を誘う Tony Kakko のような歌声、Steve Harris への憧憬が愛しいベース捌き、疾走するツインリードに Jens Johansson 印の眩いキーボード。”Make Power Metal Great Again” を掲げる彼らの眼差しには、パワー・メタル・マニアックスが求めるものすべてが克明に映し出されているのです。
「大学で民族音楽学を専攻していたとき、ゼミで日本の芸術音楽について研究していたんだけど、日本人がフィンランドのアーティストをどう受け止めているか、フィンランドのメディアがフィンランドのアーティストの日本公演をどう報じているかについても研究したんだ。そう考えると、日本についてのアルバムを作るのはとても自然なことだったと思う」
そうして METAL DE FACTO は、パワー・メタルという暗い現実を薙ぎ払うファンタジーにも好きを貫きます。テーマに選んだ天照大神、赤穂浪士、元寇。それは、Esa Orjatsalo が人生で憧れ続けた日本の歴史や神話そのもの。そうして彼らは “Land of the Rising Sun” “日出る国” と第打ったアルバムで、愛する日本とパワー・メタルの今の姿を重ねます。沈んだ太陽。しかし日はまた必ず昇る。そう、権力や多数派に惑わされず、私たちが好きを貫き続ければ。可能性を信じ続ければ。
今回弊誌では、Esa Orjatsalo にインタビューを行うことができました。「”社畜”。この歌は、権力を得るために会社(または主人)に人生を捧げ、大成功を収めたものの、心の中は空虚で、権力なしで人生がシンプルだった時代を懐かしむ人の物語だからね。また、この曲には、何を望むかには注意しなさい、それは実際に望むものではないかもしれないというより普遍的なテーマもあるんだよ」 どうぞ!!

METAL DE FACTO “LAND OF THE RISING SUN PT.1” : 9.9/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【BIRD PROBLEMS : FLIGHT OR FLIGHT】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH MICHAEL SMILOVITCH OF BIRD PROBLEMS !!

“In Terms Of Math, There Have Definitely Been Times Where Daniel and Joseph Have Sat Down With a Calculator To Write a Complex Rhythmic Section!”

DISC REVIEW “FLIGHT OR FLIGHT”

「MESHUGGAH と TOOL からは、PERIPHERY, TesseracT, THE CONTORTIONIST のようなバンドと同様に、大きなインスピレーションを得ている。作曲をするときは、常に自分たちの好きなものから影響を受けているんだ。数学に関しては、Daniel と Joseph が電卓を持って複雑なリズム・セクションを書いたこともよくあるんだ!」
マスマティカル、数学的なメタル。そもそも音楽とは非常に数学的なものですが、特に複雑な奇数拍子やポリリズムを駆使したメタルがトレンドの一角に躍り出て以来、メタルの方程式はより多様で、色とりどりの解を持つようになりました。モントリオール出身の BIRD PROBLEMS も、リスナーに複雑怪奇な方程式を出題し、様々な解法を引き出しながらメタルを前に進めるソクラテス。
「自分たちが好きな音楽をやりたかった。僕たちは常に自分たち自身に挑戦しようとしているので、何か新しい曲を書くときはいつも、まだ実際に演奏できないような曲を書くことが多いんだ。もっとポピュラーなジャンルで活動した方が楽なんじゃないかと思うこともあるけれど、それだと心が入らないのは分かっているからね」
スクロールやクリックするだけのインスタントな娯楽、SNSや切り取り動画、ストリーミングが蔓延る世の中で、長い修練と手間暇要するプログレッシブ・ミュージックは世界から取り残されているようにも思えます。実際、BIRD PROBLEMS のボーカル Michael Smilovitch も、ポップ・ミュージックで売れるほうが楽なのは間違いないと認めています。それでも、この複雑怪奇な音の葉を追求する理由。それはひとえにただ、好きだから。挑戦したいから。
「プログは複雑であっても意図的で、秩序があり、有限であるため、結局は安らぎを与えてくれる。最初は混沌としていて予想外に聞こえるけど、努力すれば必ずパターンを見つけ出すことができるし、その中で迷うことを楽しむこともできるんだ」
たしかに、プログレッシブ・ミュージックは世間の潮流とは真逆にあるのかもしれません。一回しか流行らなかった音楽かもしれません。しかし、それでもここまで生きながらえているのは、混沌と難解の中に安らぎや快楽があるからでしょう。プログレッシブ・ミュージックには、リスナーそれぞれの解法があり、迷う楽しみがあり、好きがあり、驚きがあり、解き明かした際の解放があります。
「リスナーが BIRD PROBLEMS の新曲を聴いたときに驚き、興味をそそられ、次に何が出てくるかわからないようにしたいんだよね。僕は文学的な分析をとても楽しんでいる。歌詞や詩をひとつひとつ分解して、それを本当に理解しようとする。自分の歌詞に関して言えば、基本的なテーマや感情を表面的に表現するだけでなく、そういうことが好きな人たちが分析できるような、深い意味や言及を含むパズルのようなものを作ることが目標なんだ」
彼らが “Bird Problems” などという奇怪な名を名乗るのも、結局は音楽の中に宿る個性と驚きを大切にしているから。大学で化学や文学を学んだことも、ANIMALS AS LEADERS とジャズを履修し “Djazz” と呼ばれることも、失楽園のような叙事詩に言及をすることも、アニメやゲームを愛することも、かたくなに鳥をテーマにすることも、すべては創造性という翼となって、ステレオタイプな音の巣から飛び立つための養分に違いありません。
今回弊誌では、Michael Smilovitch にインタビューを行うことができました。「僕は個人的に大のゲーマーで、ビデオ・ゲーム業界で働いているから、ゲームも研究対象なんだ!今年は日本のRPGにとって素晴らしい年。今プレイしているのは、”龍が如く8″と “ユニコーンオーバーロード” なんだ。僕の好きなビデオ・ゲームのほとんどは日本のもので、一番を選ぶとしたら “Bloodborne”だね」 NEXT PROTEST THE HERO。どうぞ!!

BIRD PROBLEMS “FLIGHT OR FLIGHT” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【VALENTINO FRANCAVILLA : MIDNIGHT DREAMS】 RIOT 祭り 24!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH VALENTINO FRANCAVILLA!!

“I Learned The Constancy From Riot, Do What You Love With The Heart And If You Persevere With Such Thing Someone Will Be Happy Listening Your Music Or Recognize You As Something Like Fresh Air In His Life Thanks To The Art.”

DISC REVIEW “MIDNIGHT DREAMS”

「RIOT から “不変であること” を学んだんだ。自分の好きなことを心をこめてやれば、誰かが自分の音楽を聴いて幸せな気持ちになったり、自分のアートで人生に新鮮な風が吹いたと認めてくれるだろう。そう、自分の好きなことを変わらずやり続ければね」
かつて、パワー・メタルはヘヴィ・メタルが揶揄されるマンネリの象徴でした。”すべてが予定調和で、同じに聴こえる”。そんな中でも、RIOT は己が愛するパワー・メタルをやり続けました。好きをやり続けることで RIOT のパワー・メタルは豊かに熟成されて、フォーキーだったり、メタリックだったり、エモーショナルだったり、テクニカルだったり、Valentino Francavilla が語るように時季折々の個性を醸し出すようになりました。多くの人の人生に救いや癒しをもたらしました。そして、パワー・メタルの復権と拡散、新たな才能の礎になったのです。
「RIOT は僕のヒーローであり、インスピレーションなんだ!16歳の頃、クラシックなオールドスクール・ヘヴィメタルのコンピレーションを聴いていて、”Thundersteel” が流れてきたんだ。最初のコーラスの後、”これが真のヘヴィ・メタルというものなんだ” と雷に打たれ、この素晴らしいバンドに恋をしたのさ!」
イタリアでメタルに目覚めた Valentino Francavilla は、RIOT の “Thundersteel” を聴いて文字通り雷に打たれたような衝撃を受けました。これこそが個性的で真なるヘヴィ・メタル。いや、真なるヘヴィ・メタルは個性的だと確信した Valentino は、そうしてギター、さらには歌の研鑽に励みました。WHITE SKULL で名を上げ、胸筋と SNS で火がつき、ついにはソロ・デビュー。そして7月にはここ日本で、RIOT V との共演が決定。彼もまた、好きをやり続けた結果、まさに “Midnight Dreams” が実現するのです。
「僕は何か新しいものを発明しているわけじゃない。僕が作曲したものは、人生の季節季節で耳にしたものから影響を受けた音楽だから。でも、僕は人の個性を本当に信じているんだ。人はひとりひとりがそれぞれ個性的だ。だから僕は、良いインスピレーションと影響、愛と独自性を持って、最高の音楽を作ろうとしたんだ!」
Valentino の言葉どおり、彼の音楽は決して真新しい革命的な何かではありません。とはいえ、彼の人生の四季折々を反映した、実に個性的で芳醇なパワー・メタル。たしかに、パワー・メタルには一定のフォーミュラ、型が存在しますが、そこに注がれるのはアーティスト個性であり、”好き” の源。つまり、個性を知り、音楽の色を積み重ねたアーティストにとって、そうしたフォーミュラは創造性の妨げにはならないのです。
「僕がステージで演奏するときに最初に考えるのは、目の前にいる人たちは新鮮な空気を吸って、人生を楽しむためにここにいるんだということ。こんな困難な時代だからこそね。ヘヴィ・メタルや音楽全般は、心理的な問題に対しても、本当に多くの方法で人々を助けることができると思う」
そうして Valentino のパワー・メタルは暗い世界の灯火となります。モダンで高度なテクニックと、クラシックなメタルのメロディ、そして積み重ねてきた音楽の色は雄弁に交合わさり、憂鬱や痛みをかかえる人々にひとときの癒しを提供し、新鮮な一陣の風を心に吹き込むのです。
今回弊誌では、Valentino Francavilla にインタビューを行うことができました。「LOUDNESS や X Japan のような日本のヘヴィ・メタル・バンドも大好きで、彼らからたくさん影響を受けたよ!Xの “Sadistic Desire” や LOUDNESS の “Crazy Doctor”, “Like Hell”, “In The Mirror”, “Heavy Chains” のようなリフが本当に大好きでね。彼らはいつも僕に夢を与えてくれたし、高崎晃の演奏も大好きだよ」 祭りには胸筋。どうぞ!!

VALENTINO FRANCAVILLA “MIDNIGHT DREAMS” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【ELECTRIC CALLBOY : TEKKNO】 FOX_FEST 24 SPECIAL !!


COVER STORY : ELECTRIC CALLBOY “TEKKNO”

“You Listen To With Your Ears But Feel In Your Heart. You’d Never Predefine The Type Of Person You’d Fall In Love With, So Why The Songs?”

TEKKNO

「僕たちが考えた他の新しい名前はどれも間違っていると感じた。ESKIMO CALLBOY は10年以上僕らの名前だったから、新しい名前にするのは違和感があったんだ。でも、僕らにはバンドとしての責任があることは分かっていた。他人のことを気にしないバンドにはなりたくない。人々を分断したり分離させたりするのではなく、ひとつにまとめなければならないんだ」
長く親しんだ名前を変えること。それは容易い決断ではありません。大人気のバンドならなおさら。それでもドイツのヤング・ガンズは改名に踏み切りました。 彼らは “Eskimo” という単語を “Electric” に変更しましたが、これはエスキモーという言葉が北極圏のイヌイットやユピックの人々に対する蔑称と見なされるため。その後、彼らは過去のアルバムのアートワークを新名称で再リリースしたのです。
「僕は初めて父親になったが、すでに存在するバンドに新しい名前をつけるのは難しいよ。だから、僕たちは “EC” というイニシャルを残したかった。”エレクトリック” ならかなり流動的だったし、イニシャルも残っていた。そうでなければ、リブランディングは大きな問題になると思ったんだ。みんな受け入れてくれるだろうか?多くの不安があった。でも、たぶん受け入れられるのに1ヵ月もかからなかったし、みんなそんなことは忘れてしまったよ。この新しい名前はとてもクールだよ」

改名のタイミングも完璧でした。最新作 “Tekkno” のリリース前、ロックダウン中。彼らのインターネットでの存在感を通してファンとなった人たちは、”Hypa Hypa” で津波のような畝りとなります。何よりも、ネオン輝くエレクトロニック・ミュージックとメタルの鋭さは、人々が最も暗く、そしておそらく最も慢性的に憂鬱をオンラインで感じているときに必要なものだったのです。
この曲の大成功は、すでに5枚のアルバムをリリースし、新時代の到来を告げるドイツのグループにとって強力な基盤となりました。
ラインナップの変更も発生。クリーン・ボーカリストの Nico Sallach が加入し、それに伴いグループ内に新たなケミストリーが生まれました。Sallach ともう一人のボーカリスト兼キーボーディスト Kevin Ratajczak の間には紛れもない絆が生まれ、それは ELECTRIC CALLBOY のライブ体験の特別な基盤となっています。そんな絶好調の彼らを “ドイツ最大の輸出品” と推す声も。
「今は2年前のような、みんながすごく期待していたような感じではないんだ。パンデミックの間に高まっていたバブル(誇大広告)だよ」

バブルは弾けるものですが、この人気の津波は決して彼らが儚い泡のようなアーティストではなかったことを証明しています。極彩色をちりばめた “Tekkno” のリリースは、バンドにとってスターダムへの最後の後押しとなりました。
重厚なブレイクダウンと自信に満ちたメタルコアのリフ、大胆にポップへと傾倒した予測不能なボーカル・メロディ。”Tekkno” は、ELECTRIC CALLBOY にドイツで初のアルバム・チャート1位をもたらしただけでなく、ヨーロッパやイギリスの他の地域のアルバム・チャートでもトップ20の栄誉を与えました。
さらに、このアルバムはソングライター、プロデューサーとしての彼らの洗練された芸術性をも実証しました。曲作りからプロダクション、ビデオへの実践的なアプローチに至るまで、そこに彼らの一貫した意見と指示がないものはありません。
「僕たちはお互いを高め合っている」 と Ratajczak は言います。「多くのバンドは、プロデューサーとバンドの1人か2人で曲を作っている。でも僕らは、みんなで曲について話し合うんだ。みんな、自分たちのアイディアを持っている」

つまり、ELECTRIC CALLBOY は、バンドだけでなく、音楽的にも生まれ変わったと言っていいのでしょう。
「Nico を新しいシンガーに迎え、以前のシンガーが辞めたこと。これは新たなスタートであり、かつてのバンドの死でもあった。新しいスタートを切り、2010年に戻ったのだから、何が起こるかわからなかった。 でも、少なくとも “Tekkno” で何をしたいかはわかっていた。”再生” という言葉がぴったりだと思う。これが自分たちだと胸を張って言える。これが僕らの音楽なんだ」
“Tekkno” に込めたのは、純粋さと楽しさ。シリアスなテーマのメタルコア・バンドが多い中、より楽観的なサウンド・スケープにフォーカスして作られたこのアルバムで彼らは、たまには解放されてもいいと呼びかけました。
「人生でやりきれないことがあったら、そのままにして人生を楽しもう。自分のために何かをしよう。
バンドを始めたとき、僕らは20代半ばだった。パーティーと楽しい時間がすべてだった。他のことはあまり気にしていなかった。責任感もなかった。ただその瞬間を生き、楽しい時間を過ごした。それは音楽にも表れていた。
しかし、成功とともに責任も重くなった。僕はいつもスパイダーマンとベンおじさんの言葉を思い出す。”大いなる力には大いなる責任が伴う”。だから多くのバンドが、政治的なテーマであれ、その他さまざまな深刻なテーマであれ、シリアスなテーマを取り上げるようになる。
でも僕たちは、たとえ嫌な気分、仕事で嫌なことがあったり、配偶者とケンカしたりしたときでも、その状況から気持ちを切り離して、そのままにしておいて、楽しい時間を過ごしたり、映画を観たり、例えばエレクトリック・コアを聴いたり、ただ放心状態になったりすると、日常生活の問題に再び立ち向かえるほど強くなれることに気づいたんだ。哲学的に聞こえるかもしれないけど (笑)。でも、これは普通の行動だと思う。自分のために何かをする、自分を守るためにね」

“パーティー・コア” “エレクトリック・コア” というジャンルに今や真新しい輝きがないことは多くの人が認めるところですが、彼らは改名を機に、このジャンルに再度新たな命を吹き込みました。
「5人全員が同意して、またこのジャンルをやってみたいと思った時期があって、再び書き始めたんだ。
“Rehab” は悪いアルバムだった (笑)。好きな曲もあったけど、あれはひとつの時代の終わりだった。あのアルバムを仕上げるのは、ほとんど重荷だった。昔のシンガーと妥協点を見出すのは不可能に近かったから。もうスタジオには行きたくなかった。その結果、僕たちは以前のボーカリストと決別することになった。正直なところ、これは僕たち全員にとって最高の出来事だった。というのも、僕たちは皆、バンドを愛し、10年以上もこのために懸命に働いてきた。だからそれがすべて崩れ去ることを恐れていたんだ。
恐怖だけではなかった。どうやって続けるのか?ファンは新しいボーカリストを受け入れてくれるだろうか?僕たちは新しいボーカリストを受け入れるのか?言っておくけど、前のボーカルのせいにはしたくない。彼は彼自身のことをやっている。彼も同じ話をするだろう。その後、5人全員がスタジオに来て、”2010年のように音楽を作ろう” と言ったんだ」
THY ART IS MURDER, SCOOTER, THE PRODIGY が彼らの中で同居することは、それほど奇妙ではありません。
「僕たちは、ジャンルの境界線が難しいと信じたことは一度もない。もちろん思春期には、自分が何者で、何を聴くかによって自分がどう違うかを定義しようとするものだ。でもね、音楽に説明はいらない。耳で聴き、心で感じる。どんな人と恋に落ちるかは決められないのに、なぜ好きになる歌はジャンルで決めるの?」

ゆえに、ELECTRIC CALLBOY にとって “メインストリームになる”、あるいは “メインストリームに引き寄せられる” といった揶揄は、いささかも意味をなしません。それは彼らのインスピレーションの源は、ほとんど無限であるだけでなく、ブラックメタルやデスコアのようなジャンルに閉じこもるバンドが、現実的には世界人口の1%にも届かないことを痛感しているからでしょう。
「僕の経験では、ヘヴィ・バンドが “メインストリームになる” というのは、バンドが自分たちの音楽を変えるということなんだ。彼らはよりソフトになり、より親しみやすくなり、より多くのリスナーを積極的に求めている。僕らはそんなことはしていない。確かに、ELECTRIC CALLBOY がメタル・ミュージックを “非メタル・ファン” の人たちにも親しみやすいものにしていると言われれば、それはとても美しいことだと思う。それでも、世界人口の60%以上にリーチできるかもしれないポップ・アーティストに比べれば、誰もが僕らを知る機会があるわけじゃない。僕たちは、すべての人々にリーチしたいし、その可能性があると信じている。だけどね、そのために変わることはない。大事なのは、僕たちのショーに参加した人たちが、友達みんなに伝えてくれて、次にその人たちも来てくれるようになることなんだよ」


参考文献: KERRANG! :Electric Callboy: “We’re living our best lives right now. This is the time to celebrate that”

OUTBURN:ELECTRIC CALLBOY: Rebirth

LOUDERSOUND:”We have to bring people together not divide them”: Electric Callboy don’t mind being tagged a ‘novelty’ band so long as they can make metalheads smile

FOX_FEST JAPAN 特設サイト

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【LOHARANO : VELIRANO 】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH LohArano !!

“One Of Our Major Objectives Is To Restore The Value Of Malagasy Culture, Which We Feel Is Being Lost Over Time. Our Language, Our Musical Sound, Our Ancestral Wisdoms, We Have So Many Extraordinary Things That We Tend To Devalue In Comparison With Western Culture, It’s Sad.”

DISC REVIEW “VELIRANO”

「私たちの大きな目的のひとつは、時間の経過とともに失われつつあると感じているマダガスカル文化の価値を回復することなのだから。私たちには言語、音楽、先祖代々の知恵など、素晴らしい文化がある。だけどそれらは西洋文化に比べて軽視されがちなんだよね。悲しいことだよ」
ヘヴィ・メタルの感染力は、もはやとどまることを知りません。文化や言語、人種に宗教の壁を越えてアジアや南米を侵食したメタルの種子は、ついにアフリカの南端の島までたどり着きました。そう、インド洋のグルニエことマダガスカルに。
マダガスカルといえば、まず私たちは色とりどりの豊かな自然と、独自の進化を遂げた固有種を思い浮かべることでしょう。そんなメタルらしからぬ場所にまで、今やメタルは届いています。そして、首都アンタナナリヴォを拠点とする新鋭トリオ LohArano は、島のシンボルであるワオキツネザルのように、ヘヴィ・メタルを独自に、魅力的に進化させていくのです。
メタルの生命力が傑出しているのは、世界各地で芽吹いたメタルの種を、その土地土地が育んだ文化の色に染め上げていくところ。LohArano は、ツァピキーやサレギーといった人気の高いマダガスカル音楽のスタイルを、オルタナティブなメタルを融合させた非常にユニークなサウンドを得意としています。それは文化を守ること。それは伝統を抱きしめること。LohArano は、培われた文化は平等に尊いこと、そして消えてはならないことを肌で感じて知っているのです。
「そう、ここでメタルをやるのはとても大変なんだ。日々の食事に事欠くくらいに大変なのだから、楽器を買い、スタジオを借り、演奏することがどれほど大変か想像してみてほしい。もしそうすることができたとしても、ここでのコンサートはお金にならないし、メタルは社会のステレオタイプに対処しなければならない。マダガスカルの多くのスタジオは、ハードロック/ヘヴィ・メタルのバンドを受け入れることを拒否しているんだから」
そうした “楽園” のイメージが強いマダガスカルですが、そこに住む人たちにとってこの国は決して “楽園” ではありません。世界最貧国のひとつと謳われるマダガスカルは、貧困と病が深刻な状況で、抑圧的な政治も機能せず、そうした権力に反抗する暴動も頻発しています。そんな苦難の中で、RAGE AGAINST THE MACHINE や SYSTEM OF A DOWN のような “プロテスト・メタル” と出会った彼らはメタルで状況を変えよう、世界を良くしようと思い立ちます。
「”Velirano” “誓い” は、政治家たちが国民をいかにぞんざいに扱っているか、生存のわずかな望みのためなら何でも受け入れる国民に対する不条理で馬鹿げた誓いの風刺なんだよ」
だからこそ、LohArano のモッシュ・ピットは散々な目に遭わされ、打ちのめされ、騙され、不条理を受け止め続けた人たちの、もうたくさんだという正義の怒りにあふれています。そうして、さながらLIVING COLOUR の “Cult of Personality” や、暴力的でディストピア的な独裁ファンタジーを暴露する “The Wall” のマダガスカル版ともいえるこの曲で、彼らはついに世界的な大舞台 Hellfest に到達します。
「私たちがその名を知られ始めているのは事実で、もうそれがすでに大きな一歩。だって、私たちの言葉に耳を傾ける人が増えるんだから。同意する、しないにかかわらずね」
そう、彼らはマダガスカルの “声” を届けるため、この場所まで進んできました。そうして長い苦闘の末、ついに彼らの声は世界に届き始めたのです。私たちは、メタルの寛容さ、包容力で、今こそ LohArano の戦いを、声を、音楽を、抱きしめるべき時でしょう。
今回弊誌では、LohArano にインタビューを行うことができました。「Hellfest の出演は素晴らしいニュースだし、Lovebites と一緒にプレーできることを光栄に思うよ!Lovebites はロックだ!素晴らしいバンドとステージを共有できることに興奮している!あとは Maximum The Hormone の大ファンなんだ!彼らはクレイジーさ!大好きなんだ!」 どうぞ!!

LohArano : “Velirano” : 10/10

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NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【EIGENFLAME : PATHWAY TO A NEW WORLD】


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FERNANDES BONIFACIO OF EIGENFLAME !!

“Angra Was In Fact The Band That Most Influenced Me As a Musician, In Terms Of The Musical Direction I Followed, But On The Other Hand, At No Point Did We Intend To Try To Sound Like Angra”

DISC REVIEW “PATHWAY TO A NEW WORLD”

「ANGRAはミュージシャンとして、僕が辿った音楽の方向性という点で、最も影響を受けたバンドだったから。ただ一方で、ANGRA のようなサウンドを目指したことは一度もないよ。僕らの音楽に対する彼らの影響はとても強いけれど、彼らのやっていたことはユニークだったし、僕らもまた、大多数のパワー・メタル・バンドとは違うサウンドを出そうとしている。簡単なことではないが、努力しているよ」
ちょうど30年前。ANGRA の登場は二重の驚きでした。まずは、クラシックを大々的に取り入れた美しくも壮大でウルトラ・テクニカルなそのパワー・メタルに。そして、ブラジルというメタル第三世界から遣わされた天使である事実に。
時代は流れ、かつて ANGRA が証明したメタルの多様性や感染力は、今や当たり前のものとして受け入れられています。インドやアフリカ、そしてここ日本でも、世界で戦えるバンドが続々と登場しているのですから。そんなメタル世界の総復習、総決算として、再度感染源のブラジルから EIGENFLAME が登場したのはある意味宿命だったのでしょうか。
「ボサノヴァやサンバについては、絶対にないだろうね (笑)。でも、僕らのファースト・アルバムにはブラジル音楽や先住民音楽の要素が控えめに入っているし、バンドが活動し続ける限り、こうした要素はおそらく僕らの曲の一部になるだろうね」
ANGRA が後に再度世界を驚かせたのは、サンバやボサノヴァといったブラジルの代名詞に加えて、ブラジル先住民族の響きをメタルに溶け合わせた点でしょう。”Holy Land” はそこに、”Angels Cry” から引き継いだ流麗壮大なクラシックのシンフォニーまで未だ存分に残していたのですから、まさにメタル多様性の原点の一つであったにちがいありません。そうして、EIGENFLAME もその偉大な足跡を、自らのやり方で推し進めていきます。まさに EIGENFLAME。自分自身の炎。
「一番好きなアルバムは “Rebirth” と “Temple Of Shadows” だろうな。だから Andre が大好きで、”Holy Land” や “Angels Cry” のようなアルバムを愛しているにもかかわらず、バンドの時期を選ぶとしたら、Edu Falaschi がいた時期 になるだろうな」
EIGENFLAME のギタリスト Fernandes Bonifacio が、Andre Matos への敬意を表紙ながらも、Edu Falaschi 時代をフェイバリットに挙げる理由。それは彼らの音を聴けば理解できるでしょう。まさにあの傑作 “Temple of Shadows” を現代にアップデートしたかのような、ウルトラ・テクニカルでウルトラ・プログレッシブなメタル十字軍。
初期の ANGRA にあった、良い意味での “遊び” が排除された宗教画のような荘厳のモザイクは、明らかに EIGENFLAME が受け継いでいます。そうして、一片の曇りもなく天上まで歌い上げる Roberto Indio の迷いなき、揺るぎなき歌声。そこに加わる DRAGONFORCE や KAMELOT のパワー・メタル・カーニバル。ここには、我々が求めるカタルシスがすべて存在します。
「僕たちが経験したあの困難な時期にみんなが望んでいたことを表現するには、とてもいい名前だと思ったんだ。”Pathway To A New World” はコンセプト・アルバムではないけれど、ある意味、曲と曲がつながっている。宇宙、自然、スピリチュアルなエネルギーといったトピックを取り上げているんだよ。”つながる” ことがテーマなんだ。アルバムのアートは “Way Back Home” という曲に基づいている。この曲は、部族を探して放浪していた先住民の戦士が、新しい世界への道を見つける姿を描いているんだ」
ドラマーの Jean は2023年の EDU FALASCHI と NORTHTALE の来日公演にも参加していましたね。新たな未来へ、つながっていきましょう。Fernandes Bonifacio です。どうぞ!!

EIGENFLAME “PATHWAY TO A NEW WORLD” : 10/10

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COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【JUDAS PRIEST : INVINCIBLE SHIELD】


COVER STORY : JUDAS PRIEST “INVINCIBLE SHIELD”

“In The World Of Heavy Metal, The Band, The Fans, The Metal Community, It’s All About The Invincible Shield. It’s Defending The Faith. We’re Still Defending The Faith, All These Years Later.”

INVINCIBLE SHIELD


「でも、それがヘヴィ・メタルだろ?」
Rob Halford の口癖です。Rob にとっては、すべてがヘヴィ・メタル。正しくて、善良で、適切で、生命の活力に満ちたものはすべて。メタル・ゴッドであることは、そのクールな肩書きと同じくらい責任重大だと Rob は言います。ただそこに浸っているだけではダメなんだと。挑戦し続けろと。心配はいらない。メタルには困難や逆境を跳ね返す “回復力” が備わっているのだから。
「人生で困難に直面し、それを乗り越え、以前よりも強くなって戻ってくることができたとき、自分の中で何かが変わる。これは、世界中のパンデミックに巻き込まれた多くの人々に起こったことだと思う。私たちは皆、同じような経験をした。友人に会えず、家族に会えず、メタルのショーに行けないのはとても辛いことだった。音楽が私たちを生かしてくれた。みんな家で音楽を聴き、テレビを見たり、映画を見たりしていた。
もちろん、Richie の人生を変えるような心臓の病は、彼を人間として変えた。そして、おそらく私の癌も同じだった。どちらも人生を奪う可能性があるのだから。がんは命を奪い、心臓病は命を奪う。でも、素晴らしい医療チームや素晴らしい人たちが一緒に働いてくれているからこそ、まだここにいることができる。だから、このアルバムには、これまでになかったような要素が含まれているのかもしれない。たくさんの感情があって、”復讐の叫び” 以上に人生を少し違った形で理解できるようになったんだ。だから、JUDAS PRIEST というバンドにとって、私たちのメタルにとって、これはとても特別なことなんだ。”Invincible Shield” に収録されている曲の全てに、人生を上昇させる力を感じることができる」
Rob の出立ちはすでにメタルを体現しています。黒いシャツ、室内でサングラス、スキンヘッド、大きな白いサンタヒゲにピアス。しかし、それよりも彼の態度や物腰、そして哲学にこそ、メタルの何たるか、なぜ彼がメタル・ゴッドなのかが詰まっているのです。

JUDAS PRIEST のデビュー・アルバム “Rock-A-Rolla” から半世紀を経た72歳の Rob は、今でもヘヴィ・メタルに夢中です。
「今は SLEEP TOKEN に夢中なんだ。彼らは本当に面白いと思う。ネットで調べて、彼らが誰なのかとか調べたんだ。メタル・ゴッドと Vessel のセルフィーが撮りたいよ。音楽的にも、彼らを特定するのはとても難しい。彼らの音楽を聴いていると、ミュージシャンとして興味をそそられるんだ。いろいろなところに行っているし、それができるバンドは今のところメタル世界には他にいないと思う」
あとは今でも猫に夢中。
「今、猫のTシャツを100枚くらい持っていると思う。以前、ベンという美しい猫を飼っていたんだけど、長生きして、突然亡くなってしまったんだ。家族を失うような感じ。でも、いつも旅に出ていて、家には誰もいないから、飼うのはちょっと大変だった。
うちの猫は猫用のホテルがあまり好きじゃなかったんだ。だから、毎週土曜日に私のインスタグラムで猫のTシャツを着て、その埋め合わせをしているんだ。いつまで続くかわからないけどね。
メタルと猫には共通点があるよ。それは、自立心だ。それがわかったのは、特にメタル・ミュージシャンが猫と一緒に写っている写真集を見たときなんだ。本当に強い男たちが猫を飼っている。でもね、私たちは は自分の猫のことを知っていると思っているけれど、猫はもっと私たちのことを知っている。そして、彼らはとても個性的で、まるで “俺の能力を見ろ” と言っているかのようにこちらを見ている。まさにメタルだ。私はそれが好きなんだ。彼らは美しい生き物だよ」

“Stranger Things” でメタルが注目を集めたことにも、うれしさを隠せません。
「私は、2wo が Kate Bush が “Strangre Things” で弾けたような瞬間を迎えるのを待っている。TikTok世代の子供たちは、それがどこで作られ、何年前に作られたかなんて気にしない。素晴らしい曲だ。そして2wo のアルバムにも同じような本当に強い瞬間がいくつもある。私はボブ・マーレットと知り合った。彼は John Lowery (John 5) というギタリストのことを教えてくれた。私は彼に、”一緒に何かできないか?”と言ったんだ。あのデモは素晴らしいよ。
それから数週間後、私はニューオーリンズにいた。街を案内してくれる友人と一緒だった。彼は “あれが Trent Reznor のスタジオだよ。入って挨拶したら?”。それでスタジオに入った。そして Trent がやってきて、”ああ、最高だ!君に会えてよかったよ、僕はプリーストの大ファンなんだ!” って。一緒にお茶を飲んで、ケーキを食べて、話をした。
2wo のデモ音源をかけると、Trent が乗り気になってきた。アルバム全部を聴いて、彼が言ったんだ。”これをコピーして、僕に預けてくれないか?”
最終的なミックスを手にしたとき、私はただただ仰天したんだ。オリジナルのデモから確実に変化していた。”I Am A Pig”, “Leave Me Alone”, “Water’s Leaking”…これらは今でもいい曲だ。だからね、TikTokの瞬間を2wo にも持ってこよう!」
72歳となった Rob は、今でもこれだけ精力的に活動できるのは、メタルのおかげだと考えています。
「メタルは若さを保つ…それは真実だと思う。メタルの感情は、体にも心にも魂にも精神にも、とても大きな報酬を与えてくれる。そして、エネルギーに満ち溢れ、熱意に溢れ、闘志を燃やし続け、メタル信仰を維持し続ける。
私は幸運な男だ。50年以上もメタルを歌い続けてきたし、その声はいまだに、自分がやりたいと思う仕事をこなせるだけの能力を保っている。それでも、このアルバムでは、ファンに最高のヴォーカル・パフォーマンスを提供するために、本当に懸命に働いたんだ」

メタルには、宗教や人種、性別に文化の壁を越える生命力や感染力が秘められています。
「私たちは、メタルと共に世界中を旅する機会に恵まれている。とても感謝しているんだ。おそらく、最も最初のユニークな経験のひとつは、かなり昔に遡るが、初めて日本に行ったときだ。日本の文化について少しは知っていたけれど、実際に行ってみて、日本は伝統や文化がまだ非常に強力でありながら、この種の音楽が受け入れられていることのバランスを見ることは、とても特別で驚きだったんだ。JUDAS PRIEST は、日本に行った最初のバンドのひとつで、最初メタル・バンドだった。時は他のバンドはほとんど来日していなかった。私たちは日本のメタルの扉を開いたんだ。
子供の頃は夢物語でしかなかったような場所に実際に行ってみると、世界がいかに小さいかがわかる。そして、私たちはみんなつながっているんだということを教えてくれる。同じ言葉を話さないかもしれないけれど、私たちは皆、人生の中で似たようなことをたくさん経験し、それが私たち人類を結びつけている。浮き沈みがあり、笑いがあり、涙があり、葛藤があり、成功がある。世界のどこへ行っても同じだよ。
このことは、私が何年も前に刻んだ、偉大で美しい祝福のひとつ。この祝福によって、私は人生に対する理解を深め、人間に対する理解を深め、私たちは皆同じなのだということを理解することができた。宗教が何であるか、性的アイデンティティが何であるか、政治的信条が何であるか、それは問題ではないんだよ。私たちは皆、人間であり、この地球上にいる短い時間の中で、皆同じような人生を歩んでいる。だから、私たちはできる限りのことをしなければならないんだ。
だから、世界中を旅して、美しいメタル・マニアたちにたくさん会えることは喜びであることを表現できればと思うよ」
ロックの殿堂入りスピーチでは、メタルの寛容さと多様性、包容力を声高に主張しました。
「私はゲイのメンバーだ。性的アイデンティティが何であろうと、見た目がどうであろうと、何を信じていようと信じていまいが、すべてを受け入れるヘヴィ・メタル・コミュニティと呼ばれる場所で。ここでは誰もが歓迎されるんだ!」

メタル世界では、アーティストもファンを包容し、ファンもアーティストを包容します。
「ライブでファンとつながるのはいつだって大事なことだ。というのも、JUDAS PRIESTは最も古いメタル・バンドの一つだからね。だから、好きなバンド、JUDAS PRIEST を観に来るのは、ひとつのイベントなんだ。何度も言っていることだけど、私たちはファンなしでは何もできないんだ。どんなバンドでも、ファンなしには何もないという事実を忘れてはならない。PRIESTは50年以上もの間、そのつながりを作り続けてきたんだ。
そして完全な包容力というのは、私たちメタル・コミュニティの中でも大好きなところだ。どんなバンドにハマろうが、どんな外見だろうが、誰を愛していようが、何だろうが、どれだけお金を持っていようが、そんなことは関係ない。ここでは皆がメタルを愛しているのだから。その重要性は、音楽よりもずっと先まで及んでいる。もし君がメタル・ヘッズなら、メタル・ファンなら、より良い精神状態になるためのすべての特性を持っている。人生のあらゆる場面において、アーティキュレーションがより強く働くようになる。メタルは、私たちが人間であるための、とてもとてもパワフルな要素なんだ。
私がメタル・マニアを愛していると言うとき、それは本当に心から純粋に言っているんだ。なぜなら…… “ファミリー” という言葉を使うのは大げさだけど、それこそが私たちが作り出しているもので、ヘヴィ・メタル・コミュニティというファミリーを作り出しているんだ。バンドに関係なく、ファンひとりひとりと特別な関係があるんだよ。
何千人もの群衆を眺めるとき、私は君たち一人一人を見ている。なぜなら、君たちがこのバンドの音楽を自分の人生に取り込んでいることを知っているからだ。多くの PRIEST ファンにとって、自分の人生の物語は音楽と共にある。
うまく言えないけど、私が何を言いたいかわかる?このバンドと長く一緒にいて、私たちが “Breaking The Law” を演奏したら、突然80年代に戻り、”Painkiller” を演奏したら、突然90年代に戻る。こんなタイムマシンのような感動が共にあるんだ。そしてまた、そのことを私は忘れてはいない。だから、ファンを大切にし、ファンを見守るという責任は、どんなバンドに所属していても、本当に重要なことなんだよ」

徹頭徹尾ヘヴィ・メタルな JUDAS PRIEST 19枚目のアルバム “Invincible Shield” に関しては、熱意に加えて、大きなプライドも加わることになりました。
「自分を高みに置きたくないんだけど、アルバム・タイトルはいつも私が考えているんだ。ヘヴィ・メタルの世界では、バンド、ファン、メタル・コミュニティ、すべてが “Invincible Shield” “無敵の盾” なんだ。それは信念を守る “Defenders of the Faith” ことだ。私たちは、何年も経った今でも、そしてこれからも、信念を守っていく」
これは Rob 心からの本心。しかし、”Invincible Shield” は、どんな逆境にも決して引き下がらない、決して負けないという JUDAS PRIEST の価値観、メタルの回復力を如実に反映した作品でもあるのです。
2018年の “Firepower” でバンドはギタリストの Glenn Tipton がパーキンソン病を患っていることを発表しました。そして彼らはアルバムでの Glenn の仕事を称え、彼はフルタイムのツアーには参加しないが、ステージには随時参加すると付け加えました。
今でも Glenn がスタジオにおける殺戮機械の中心的存在であり続けていることは明らかな光。しかし、それだけではありません。現在に至るまで、Rob は前立腺がんの手術と治療を受けていて、一方、ギタリストの Richie Faulkner は、2021年にケンタッキー州で開催された Louder Than Life フェスティバルで演奏中に大動脈瘤で九死に一生を得ます。医師は、彼が生きているのはただただ幸運だと告げました。「彼の心臓は爆発し、メタル・ハートになった」と Rob は言います。

逆境に真っ向からぶつかり、今を全力で生きることを常にモットーとしてきた JUDAS PRIEST。”Invincible Shield” にはその哲学すべてが注がれています。古典的なメタルの繰り返しとは程遠く、すべてをバフアップし、アップデートし、全体を新素材で強化しています。
「死を免れたとき、人生観が変わるんだ。何が起こったのか、Richie とじっくり話したことはない。でも、私自身の個人的な経験から言うと、癌から命を救ってくれた素晴らしい人たちのおかげで、普通なら直面する必要のないような考え方が、自分の中で再調整されるんだ。このアルバムを書いているとき、その生存本能は、おそらくこれまでやったどのアルバムよりも強く働いている。
バンドをやっていると、自分の感情についてあまり語らないものだ。たぶん、それは男らしさとか、そういうものなんだろう。でも、演奏では確かに全員からその感情を感じることができる。みんな全力なんだ。みんないつも全力なんだけど、今回はただ感情的な言及があるんだ」
不屈の魂が間違いなく、”Invincible Shield” に異様なまでの重厚さとパワーを与えています。加えて、やはりメタルに対する愛と喜びがここにはあります。
「いつもまだやれるのか?と自問自答するよ。だけどね、レーベルが契約上、もう1枚アルバムを出せと言うからレコードを作っているんじゃない。もっとメタルを作りたいという、本物の愛と欲望のためなんだ」

Richie と Glenn の関係にも、Rob は目を細めています。
「彼らの関係は本当に美しい。ヨーダとルークを見ているようだった。これは、私が感じたことを表現しようとする滑稽な方法だけど、本当なんだ。プロデューサーの Tom Allom は大佐だから、Richie は Glenn のことをメタル将軍と呼び始めたんだ。これは、50年前の最初の瞬間から、”Invincible Shield” に至るまで、Glenn がヘヴィ・メタルに残した足跡への美しいオマージュだと思うんだ。
私は Richie が Glenn に育てられたのを見られたし、遂には Glenn が “どうやるんだ?そんなことをするギタリストは見たことがない” とまで言うようになった。だから、音楽的な意味でも、個人的な意味でも、2人の関係が発展していくのを見るのは、とても深く、とても感動的だった。パーキンソン病が Glenn の明瞭な表現を残酷なまでに奪ってしまった。だけど素晴らしいのは、彼がまだこのアルバムに参加していることだ。作曲という意味では、彼は初日から参加している。私たち3人ですべての曲を書いた。シンガーとギター2人の編成は、私たちにとってとてもうまく機能しているように思うし、今でもそうだ。そこから始まって、レコードを作るためのあらゆる障害を乗り越えていくんだけど、Glenn はそのすべての過程に立ち会ってくれるんだ」
2024年に、JUDAS PRIEST が存在する意味とは?
「今を生きている、”Relevant” であることだ。Relevant でなければ意味がない。昔はノスタルジーとか、ヘリテージ (遺産)・バンドとか、クラシック・メタルとか言われるのが大嫌いだったんだ。今はそれを受け入れている。なぜなら、それが自分たちの一部だからだ。たしかにそうした言葉はこのバンドに付けられるべきだ。でも、その言葉のリストの一番上にあるのは、”今を生きる” だと思う。このアルバムは2024年のメタルだ。人々は、このバンドがすべてであり、常に本当の目的と妥当性を求めてまだここにいる。それを管理することで、この言葉が現れる。それこそが今を生きることなんだ」

挑戦的といえば、Rob は “Nostradamus” での挑戦が正当に評価される日を待ち望んでいます。
「”Nostradamus” は眠れる巨人だと感じている。本当にそう思う。私の頭の中では、この作品はクラシック・オペラとして創作された。交響楽器の演奏があってもいい。私の中では、シルク・ドゥ・ソレイユがノストラダムスの物語を語るサウンドトラックとして作られるのが見えている。こうしたチャンスはすべて、探求されるのを待っている。おそらく、私が死んだあとに実現するだろうね。素晴らしい。プリーストのレパートリーの中でも、非常に過小評価され、過小露出されている作品であり、真剣にもう一度見直す必要があると感じている。このアルバムは、私個人にとって、とても重要な意味を持つものだから。あのアルバムのボーカル・パフォーマンス、全員の演奏、アレンジ、制作したすべてのことが、とても楽しかった。傑作だよ。本当にそうだ。私は音楽について詳しいから、この言葉は滅多に使わないんだ。でも、メタル界における位置づけとしては、本当に重要な作品だ」
現在、アリゾナに本籍を置き、メタル界で最も知名度が高く象徴的な人物の一人である Rob Halford は、ある意味では英国ミッドランズ出身の一人の男にすぎない。英国訛りが残っていて、非常に英国的なユーモアのセンスだけでなく、彼は自分のやっていることを真剣に受け止め、他の誰かにやってもらうことを期待しない自他ともに認める職人なのですから。
「私が誰で、どこから来たのかという事実は、私の人生にとって絶対に欠かせないものだ。ウェスト・ミッドランズ、ブラック・カントリー、メタルの故郷。それは素晴らしい場所だ。ここにいて、キッチンに座っているだけで、こんな場所は他にない。LED ZEPPELIN, BLACK SABBATH, MOODY BLUES, DURAN DURAN など、ここから生まれた音楽は美しい。アメリカにいる時間は長いけど、家に帰るのが待ちきれないこともある。飛行機を降りると、ヒースロー空港まで迎えの車が来て、それに乗って荷物を置いて、チップス屋まで歩いて行って、ピクルス・エッグを買うんだ」
平凡もまた彼の、メタルの一部なのです。それでも平凡は決して長くは続きません。ヘヴィ・メタルの引力、興奮と冒険、生きている実感、そして時間を無駄にしたくないという感覚は、あまりにも強く強烈です。
「今日は “HOMES UNDER THE HAMMER” を観ようって思う日もあるんだ。年寄りがやるようなクソ映画をね。でも20分後には、早くスーツケースに荷物を詰めて旅に出たいと思うんだ。
スーツケースを取り出してドアに鍵をかけ、12ヵ月間戻ってこないということが、どれだけ恵まれているか、どれだけありがたいことか。それが自分の仕事に対する愛と情熱でないとしたら、何がそうなのか私にはわからない。私たちはまだバンに乗っている。ヘヴィ・メタル、それが私たちのやるべきことなんだ」


参考文献: KERRANG!:“When you’ve cheated death, it changes your outlook on life”: Rob Halford takes us inside Judas Priest’s powerful, emotionally real new album

STEREOGUM:We’ve Got A File On You: Judas Priest’s Rob Halford

GQ:Rob Halford: ‘I loved drinking and drugging… even though the end game was self-destruction’

日本盤のご購入はこちら : SONY MUSIC

COVER STORY + NEW DISC REVIEW 【BRUCE DICKINSON : THE MANDRAKE PROJECT】


COVER STORY : BRUCE DICKINSON “THE MANDRAKE PROJECT

“I Try To Be More In Control And Analytical When I’m Fencing, Which Is Not Really 100 Percent My Nature, But In Music I Can Be The Opposite – I Can Be The Creative.”

THE MANDRAKE PROJECT


「何年も前にリリースされるべきだったのだけど、このプロジェクトがより強く、より大きくなったので、遅れたことを喜んでさえいる」
Bruce Dickinson 65歳。世界最大のヘヴィ・メタル・バンド IRON MAIDEN のボーカリストにして、マーケティング・ディレクター、ビジネスマン、コマーシャル・パイロット、DJ、脚本家、作家、音楽の博士号、歴史教授、サラエボの名誉市民、フェンシングの達人、英国空軍名誉中隊賞など100の顔を持つ才能の塊であり、癌サバイバーでもあります。まさにメタルの回復力。
“1843” 誌は、ビジネス、文化、人間性、そして何よりも国際的に傑出したさまざまな著名人の知識に関する世界規模の調査を実施し、彼らは Bruce を正しく定義できる言葉は “ポリマス(polymath)” “博学者” であると結論づけました。この言葉は、例えばレオナルド・ダ・ビンチのように人生を通してさまざまな分野で広範な情報を持っている人物を指します。そして、間違いなく、Bruce とポリマスは特別な関係にあるのです。
そんな Bruce が話しているのは、2024年、ついに世に送り出された全く新しいソロ・アルバム “The Mandrake Project” のこと。当初は10年前にリリースされる予定でしたが、咽頭癌の診断がその計画を頓挫させ、回復後はIRON MAIDEN のワールドツアーが続き、そして “世界が突然奇妙な病気にかかり、我々は全員閉じ込められてしまった” のです。
しかし、彼の副業と本業に偶然の隙間ができたことで、2005年のLP “Tyranny Of Souls” からギタリストの Roy Z、ドラマーの Dave Moreno、天才キーボード奏者 Maestro Mistheria とタッグを組んで、7枚目のソロ・アルバムに取り組む時間ができました。

Bruce は The Mandrake Project を IRON MAIDEN の作品と比較して “とても個人的な旅” だと語っています。
「まず第一に、より長いプロセスだ。このアルバムは、何層にも重なったロックを通して浸透していったんだ。ある曲は一度に浮かび上がり、ある曲は時間がかかり、ある曲は20年前から掘り出した。素晴らしいのは、それらがすべてフィットしていることだ。サウンド的にはすべてフィットしている。どれも明らかに私が作ったか、私が貢献している。Roy とのコラボレーションもかなりあるし、ギターも何もかも完全に一人で書いた風変わりなものもある。まあ俺は、”Powerslave” や “Revelations”, “Flash Of The Blade” も完全にひとりで作ったんだがね」
とはいえ、明らかに IRON MAIDEN のクラシックなサウンドとは全く異なります。
「ヘヴィ・ロック・アルバムだけど、ニッチに収まらなければならないという制約はないんだ。ここには、好きなだけヘヴィになる自由があるし、様々な方法でヘヴィになる自由もある。5分しかないからどうする?みたいな制約もない。このアルバムには、理由もなくそこにあるものは何もない。他の曲と調和しているからそこにあるんだ。それはとても珍しいことだ。どのアルバムを作っても、2、3曲は “ああ、この曲はちょっと違うな” っていう曲があるんだ。でも、このアルバムには、聴いて好きにならない曲はひとつもない。
“The Number Of the Beast” だってそうじゃなかった。あのアルバムには名曲がたくさんあるけど、”Invaders” とかについてはいつも “うーん…” って感じだったからね。でも、他の曲は本当に素晴らしいから、そんなことは忘れてしまうんだ。
ほとんどの人は、俺の最高傑作は “The Chemical Wedding” だと言うだろうし、もっとストレートなメタルが好きなら “Accident Of Birth” もいい。それから、”Skunkworks” は本当にめちゃくちゃ良い、良すぎるという人も時々いる。”Skunkworks” は実際、かなり良かったけど、当時の人々の感覚からすると、それはとても大きな変化だった。多くの人たちは、メイデンがメイデンであることを評価していたけど、だからといって他のすべてがメイデンのようである必要はない。この15年で本当に変わった。より多くの人たちが、音楽に関してより既成概念にとらわれない考え方をするようになった。まあだから、一方で彼らは物事にうるさく、プレイリストを作り、アルバム全体を聴くことはめったにない。このアルバムがその例外になることを願っているんだ」
Rob Halford の FIGHT と、SKUNKWORKS はほぼ同時期に行われたメタルの異端審問会でした。
「結局みんな同じ穴のムジナなんだ。Rob は FIGHT をやったし、俺は SKUNKWORKS をやった。どちらもクールなプロジェクトだった。どちらもうまくいかなかったけど、クールなものがあった。つまり、SKUNKWORKS でたくさんのことを学んだし、それは自分でやってみて見つけるしかない。歌詞の書き方の違い、歌のアプローチの違い。邪悪で、グランジで、メタルの終焉だ!なんて言われたけどね。頼むから消えてくれ!これは音楽だ!SKUNKWORKSの後、俺はとても落ち込んでいた。もう消えてあきらめようかと思った。棚を積み上げる仕事に就くとか、民間航空会社のパイロットになるとか、本気で考えていた。自分には、誰も興味を持ってくれるような何かが残っているのかどうか、わからなかったんだ。そこに Roy が現れた」

IRON MAIDEN の作品とは異なり、Bruce Dickinson のソロ・アルバムでは、エンニオ・モリコーネを呼び起こしたり、ボンゴを叩きまくったり、ベートーヴェンにインスパイアされた10分に及ぶアンビエント曲を聴くことができます。Bruce の違った一面を垣間見る喜びは、メイデンのギグでアドレナリンがほとばしるのとは違う、より繊細で複雑なもの。つまり “ポリマス” なアルバム。
「”Sonata (Immortal Beloved)” はもう25年も前の曲だ。ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じた “Immortal Beloved” を観た後、Roy は映画から遅く帰ってきて、この10分のアンビエント・サウンドトラックを作ったんだ。ギターとシンセのベッドにドラムマシンが入っていて、大きなドラムフィルも何もなく、ドラムマシンだけが変化する。”眠れる森の美女” のひねったバージョンなんだ。王女ではなく、女王が登場する。ちょっと待てよ、”Taking The Queen” (1997年の “Accident Of Birth” 収録)の女王じゃないかと思ったんだ。”Taking The Queen” で女王は死んだ。今、彼女は死んでいて、従者たちがまだ彼女の周りにいて、彼女を見ている。そして暗い森から王がやってくる。王だ。王が暗い森から出てくる。なぜ?彼女を愛しているから?ああ、そうかもしれないが、それ以上に、彼は彼女が必要なのだ。彼女がいなければ、彼はもう王ではないからだ。その話はすぐに思いついた。楽曲の話し言葉はすべてその場で作られたもので、オリジナルのパフォーマンスなんだよ。
あまりに違う曲だったから、どうしたらいいかわからなかったんだ。そしてついに、妻が車の中で聴いていたんだ。彼女は “最高に美しいわ” と言った。彼女は泣きそうになって、とても感動し、”アルバムに収録されなかったら離婚する” って言うんだ。だからアルバムに入れたんだ。
“Fingers In The Wounds” を作ったとき、Mistheria がキーボードを送ってきてくれて、すべてが変わった。大きくて瑞々しいキーボードの曲から、まばらなキーボード、ビッグなロックのコーラス、そしてモロッコに入り、カシミールかどこかに行く。モロッコじゃないのは明らかだけど、ツェッペリンの影響という意味では “Kasymir” だね。何かリズミカルで奇妙で、完全にレフトフィールドだった。アルバムの中にもそういう瞬間がいくつかある。
“Resurrection Men” は Roy に言ったんだ。”スパゲッティ・ウエスタンから飛び出してきたようなギターのイントロにしたい” って。サーフ・ギターみたいな感じで。それができた途端、”自分たちがクエンティン・タランティーノだと想像してみよう。クエンティン・タランティーノなら次に何をするだろうか?答え:ボンゴ。ボンゴに決まってる!” というわけで、ボンゴの演奏デビューした。テクニックがないから凄く痛かったよ。
“Eternity Has Failed” もそう。本当は、エンニオ・モリコーネのような雰囲気のある本物のマリアッチ・トランペットが欲しかったんだ。シェイカーとガラガラヘビをバックにね。マリアッチ・トランペットを手に入れるところまではいかなかったが、ロイはフルートで同等のことをするペルー人のフルート奏者を見つけたんだ」

The Mandrake Project にとって、”旅” いう言葉は重要です。このアルバムは物語の円環。ネクロポリス博士やラザロ教授のような彼自身が創作したキャラクターや、怪しげな悪役プロジェクトの卑劣な所業が詳細に描かれた、ねじれたオカルトとSFの融合したストーリー。
「コミックとメタルが関係あるべきものであることは、以前から明白だった」
ただし、この世界観はオーディオだけにとどまりません。The Mandrake Project は音楽以上のもの。3年にわたる創作活動で、12冊のコミックに渡って物語を広げています。Bruce は、IRON MAIDEN が同名のビデオゲームと連動してリリースしたコミック “レガシー・オブ・ザ・ビースト” には少し失望したと認めています。
「グラフィックは素晴らしかったけど、そこに本当のストーリーはなかった。でも、そのとき思ったんだ。俺がアルバムを作ったら、アルバムと一緒にコミックも作れるかもしれない。よし、じゃあストーリーを考えよう……」。
IRON MAIDEN の “The Writing On The Wall” の壮大なバイカー・ビデオで初めて絵コンテに挑戦した Bruce は、次のステップに進み、音楽とは別の才能を具体的で大きなものにできたのです。
The Mandrake Project のコミックは、ブラジルのサンパウロで開催されたCCXPコミック・コンベンションで発表されました。このサーガは、薬物を摂取し、オカルトに取り憑かれ、入れ墨をした20代の科学者、ネクロポリス博士を中心に展開します。ネクロポリス博士は、極秘プロジェクト Mandrake で、瀕死の金持ちから魂を採取し、新しい健康な肉体に戻すまで保存しようと試みます。
Bruce はコミコンの主賓として、リード・シングル “Afterglow Of Ragnarok” の長編ビデオを満員の観衆の前で初公開します。ラグナロクとは本来、北欧神話の数々の戦い、自然災害、そしてオーディン、ソー、ロキといった神々の死による世界の終焉のこと。しかし、Bruce が興味を持ったのは、凍てつくようなハルマゲドンではなく、浄化と贖罪の物語で、”太陽が再び昇る” その後に起こることでした。
「この世の終わりではなく、ただ今の世の終わりなだけなんだ。ラグナロクの物語でさえ、”よし、世界は滅び、ビフレストは消え、神々と人間の結びつきは砕け散り、世界の終わり、大洪水……さあ次を始めよう” という楽観主義を持っているんだよ」

これまでに存在したあらゆる常識の破壊は曲作りのための肥沃な土台。The Mandrake Project は、鮮やかで絶えることのない想像力から生まれた、さらなる物語や情景で溢れています。例えば、”Many Doors To Hell” は、ただ死にたいと願う女性ヴァンパイアの話。
「何が何でも人間に戻りたい。どうでもいい、永遠に生きたくない、こんなクソみたいなことはもうたくさんだ。永遠の命がありながら、永遠の死もある。何世紀も生きるより、現実に生きる方がいい」
“Rain On The Graves” は、ブルースが死者と一緒に過ごした経験から生まれた曲です。
「この曲、あるいはその一部を書いたのは墓場だった。湖水地方にあるワーズワースの墓の前に立っていたんだ。教会のそばに立っていて、そこに彼の墓があったんだけど、霧雨が降っていて、灰色だった。墓の上に雨が降っていたんだ。これが何なのかわからないけど、これは一瞬の出来事で、続きを書いたら何なのかわかるだろう…って思ったんだ。
それがたぶん2008年かそのくらいのことだった。引き出しの中に、歌詞の断片や、いつかは表に出てくるようなものばかりが散らばっていたんだ。墓場で悪魔に出会った男の話なんだけど、悪魔が “何のためにここにいるんだ” と言うんだ。なぜ俺たちは墓地に入るのか?何を探しているのか?墓地には死人がたくさんいるのに!でも、俺たちは墓地に入ることで、何か不気味なものを感じたり、インスピレーションを得たりすることがあるんだよ」
詩人ワーズワースの墓を訪ねたとき、何を探していたのでしょう?
「わからない。あれだけ伝説的な存在でありながら、ただ土の中に埋もれていることについて、ある種のメランコリーを感じたんだ。あれほど素晴らしい詩を作った人が、今はただの四角い岩になっているのは皮肉なものだ。そして、俺はそれを物語に変えていくことにした。俺と悪魔の会話から、とてもクールな言葉が生まれたんだ。その中に “祭壇や司祭ではなく、詩人の前にひざまずく” というセリフがあるんだけど、これは俺のことなんだよ!俺は墓石からインスピレーションを得ようとしているんだ。それがアーティストのすることだ。アーティストはすべてから盗み、あらゆるところからインスピレーションを得る。それが見つからなければ、墓地に座って誰かの死霊を借りればいい(笑)」
死、神々、死後の世界、そして究極の終末への言及は、レコードのあちこちに散りばめられています。”Resurrection Men” は、その解決策を提示します。世界中のハイテク億万長者たちが、飢えた人々や病人、ホームレスを助ける代わりに、永遠の命にお金を浪費する話。
「この歌は人間の魂を取り出し、それを保存することについて歌っている。死ぬ瞬間にスラブの上にいなければ手遅れだ。それは一瞬のことであり、魂を収穫するためにはそこにいなければならない。もちろん、永遠に生きるというアイデアには、人々は大金を払うだろう」

死といえば、1994年12月14日、Bruce は人生で最も危険なライブを行いました。ボスニア・ヘルツェゴビナ独立直後の首都サラエボは、1992年2月にセルビア軍に包囲されていました。それは4年近く続く戦争で、第二次世界大戦の悪名高いスターリングラード包囲戦よりも3年長く、約14,000人(その多くは民間人)の死者を出した地獄、ジェノサイド。
こうした状況の中、文字通り地球上から街を消し去ろうとする殺戮者によって砲撃されている街で、Bruce は街の中心部にある小さな会場のステージに立ち、4つの不滅の言葉を叫びました。”Scream For Me, Sarajevo!” “俺のために叫べ、サラエボ!”。
それから30年経った今でも、Bruce はあの夜の反応に驚かされ続けています。
「すべてサラエボの人々のためだったんだ。俺がいたのは数日間だった。でも、あのギグでのリアクションは他に類を見ないものだった」
Bruce は知りませんでしたが、そのライブはファンによって撮影されており、さらに驚いたことに、その場にいたファンたちは、それから数年後、そのライヴと、その場にいた人々を記録した映画 “Scream For Me Sarajevo” の制作に取りかかったのです。この映画は、音楽がどんなに耐え難い状況にも入り込み、力を与えることができることを証明しました。
「それから俺の人生は変わった。テレビのニュースを見て、今も同じような境遇にいる人たちを見て、俺も同じような境遇にいたことがある。わかるよって思うね」
それは Bruce の人生を変えることになったギグとなりましたが、それでも彼の人生における膨大なギグのうちの一つに過ぎません。彼はこの40年間、文字通り何千ものギグ、途方もない旅、歴史を刻んできました。そう、Bruce が愛してやまない “歴史”を。

Bruce が15歳か16歳の頃、彼の関心は演劇に向けられていました。そのため、彼はこの芸術についてもう少し学ぼうと、学校のアマチュア劇作家協会に入ることにしたのです。そこで彼は、文学、歴史、政治、普遍哲学など、さまざまな知識で心を育て始めます。その後、Bruce はロンドン大学のクイーン・メアリー校とウェストフィールド・カレッジで古代史を学び始めました。
ここで彼は、大学レベルの古代史教授としての学位を得ます。しかし、ロンドン大学が伝説の Bruce Dickinson の人生に加えたものはこれだけではありません。。2011年7月19日、同大学の教育機関は彼に名誉音楽博士号を授与します。この名誉称号は、メイデンのヴォーカリストが長い時間をかけて世界に与えてきたすべての音楽と作曲に対する報酬の象徴。そうして Bruce はその報酬を、再度世界へと還元していきます。
2016年、英仏海峡に浮かぶジャージー島という島の海岸でカメの群れが座礁。生き残ったのはたった1匹。推定年齢6〜8歳のその個体は、傷を負い、漁網に絡まり、危険な低体温症の症状を示していた。
地元住民が発見した後、動物病院に移されたこのカメは親しみを込めて “テリー” と名付けられ、その物語は英国で大きな注目を集めました。テリーの回復と海への帰還のための資金を集めるキャンペーンが開始され、約8000ユーロが集まります。
テリーの状況を知り、登場したのが Bruce Dickinson。パイロットの知識を生かし、ブルースはテリーをジャージーからグラン・カナリア島まで自家用機で運び、すべての費用を負担すると申し出たのです。
スペインに到着後、カメは経験豊富な専門家から1カ月以上にわたって治療とケアを受け、その後、テリーは旅を追跡するGPS装置とともに海に戻されました。この出来事はBBCでも放送され、テリーは Bruce の支援のおかげで自然の生息地に戻り、人類は地球上の他の種に対する思いやりと誠意を示すことができたのです。

Bruce は自らもサバイバーです。喉頭癌からの生還の後、この2年間で Bruce はアキレス腱を断裂し、2度の人工股関節置換術を受けています。65歳になった今、Bruce は、あと50年現役を続けるためにさらなるお金を払うのでしょうか?
「いいコンディションでいられるのなら、そうしたいね。俺たちは皆、本来想定されていたよりもずっと長生きしているし、活動時間も長くなっている。医療技術のおかげで俺は生きている。昔は癌と診断されれば、基本的に死の宣告だったが、今はそうではない。俺の腰は両方ともすり減ったが、今は新しいものを使っている。テクノロジーは、俺たちがより長く、より効果的に生きられるよう、さまざまな点で進歩している。それは素晴らしいことだ」
そもそも Bruce には、時間がいくらあっても足りないでしょう。先に挙げた副業以外でも、Bruce は人生の大半をフェンシングにも捧げていて、1987年には英国ランキング7位となり、ナショナルチームのメンバーにもなりました。昨年、彼は英国フェンシング・ベテランズの正式メンバーとなっています。一方で、1年のうち何カ月もステージを何時間も飛び回り、アンデッドの巨人と戦い、火炎放射器を振り回す65歳は、驚異的です。
「フェンシングの好きなところは、スキーのような他のスポーツと同じで、そこだけに集中できるところなんだ。逃避するには最高の方法だよ。ボクシングのようなものだが、脳へのダメージはない。ボクシングは好きだけど、頭を殴られるのは好きじゃないんだ」
フェンシングと音楽の取り組み方を Bruce はほとんど正反対だと説明します。
「フェンシングをしているときは、よりコントロールし、分析的になろうとするんだ。でもソロアルバムではもっとクリエイティブだ。コントロールと分析には Roy がいるし、そのためにプロデューサーがいる。だから歌の仕事をしているときは、本能に頼っているし、いい意味でうまくいかないことも恐れない。ハッピーアクシデント。このアルバムには、そういう瞬間がたくさんある。最後の曲 “Sonata(Immortal Beloved)” のように、ボーカルの90パーセントは無意識の流れだった。ワン・テイクでね。
そういう魔法みたいなものがあるときは、いじっちゃいけない。ミスがあったとしても、それはミスじゃない。極端な話、曲の生命をすべてコントロールしようとする人もいる。技術的な理由で、彼らの目には以前より完璧になったように見えても、生命はすべて消えてしまっている。誰かがピカソを見て、”バカバカしい、人間はあんな形じゃない!”と言うのと同じだ。的外れだよ」

純粋なイマジネーションに浸れるアルバムで、本能の赴くままに行動し、幻想的な世界とつながるアルバムの中の異端児。”Face In The Mirror” という曲は、壮大なイメージとは関係なく、アルコール依存症というタブー視されがちなテーマと、それが個人とその周囲の人々にもたらす荒廃を提起しています。
「この曲は、アルコール中毒者をたくさん知っていることから生まれたんだ。俺は自分自身に多くの質問を投げかけていた。俺は酒を飲むけど、一般の人とアル中の境界線はどこにあるのだろう?酒に溺れた人間には、時に偉大で深遠な真実を語る奇妙で危険な知恵がある。
鏡を見て、自分自身を見て、あれは誰?でもそれは、公園でスペシャル・ブリューの缶を持って座っている男を見下す人々の偽善でもある。人々は “ああ…彼は弱すぎる” と言う。弱すぎるって?彼の人生を知らないくせに。この男はすごい作家だったかもしれないし、投資銀行家だったかもしれないし、戦争の英雄だったかもしれない。世間は批判的なことばかり言う。そんなこと言わなくても、わかっているんだ」
自伝の制作と、”An Evening With Bruce Dickinson” という自らの半生を語るライブも行いました。
「自伝から始めたんだ。するとみんなが俺に自伝のストーリーを読みきかせてほしいと言ったんだ。自伝を読むのは誰にでもできる。もう少し構成があるはずだし、Q&Aみたいにすることもできる。
率直に言って、手探りでやったんだけど、うまくいったから、それが今の一人芝居の骨格になったんだ。生まれたときから、ガンにかかったり、シエラレオネで傭兵と漁に出たり、道に迷ってあれこれ逮捕されたり、ドラッグを初めて経験したり、イギリスの寄宿学校に通ったり、初めて歌を習ったり、そんな俺の人生を描いたものなんだ。音楽的な内容もあるけれど、基本的には、誰も聞いたことがないような町から来た背が低い子供が、世界最大のロックバンドでとんでもないズボンを履くことになるまでを描いている。
IRON MAIDEN を知っている人も知らない人も、ファンでも何でもないかもしれないけど、俺にとってのリトマス試験紙は、何も知らない人が入ってきて、終わった後に気分が良くなって帰っていくことなんだ。それがショーの後に感じてもらいたいことなんだ」

60年半の間に誰よりも多くのことを成し遂げてきた Bruce は、ようやく人生と遺産について考える時間を持ったようです。彼は鏡を見て何を思うのでしょうか?
「自分が期待しているのと同じくらいの年齢の顔を見たいものだ (笑)。ああ、神様、お願いだから、目の下の袋と皺をなくしてくれないかな って感じで鏡を見るんだ。同年代の人たちほどではないかもしれないけど、それでも俺の顔には生活感がある。でも、結構満足しているよ。物事はうまくいっている。他の選択肢を選ぶよりはいい。
この数年で、たくさんのことを学んだ。好奇心が尽きないということは、自分自身について知らなかったことを知ることができるということだ。自分でも気づかなかった能力があることに気づくんだ。若すぎて、忙しすぎて、テストステロンでいっぱいで、走り回っていたから、完全に無視していた人生の他の塊があることに気づかなかったのかもしれない。このアルバムはその一部なんだ」
音楽以外では、パイロット、航空会社の機長、航空起業家、ビール醸造家、やる気を起こさせる講演者、ポッドキャスター、映画脚本家、小説家、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー作家、ラジオ司会者、テレビ俳優、スポーツコメンテーター、国際的なフェンシング選手など、挙げればきりがない才能の数々で、Bruce が最も誇りに思う業績は何でしょうか?
「そうだね、これらのことはすべて、自分が実際にできるかどうかを確かめたかったからやったことなんだ。ずっと飛行機を飛ばしたいと思っていたけど、学生時代は数学が大の苦手だったから無理だと思った。文字通り、”このボタンは何をするものなんだろう” という気持ちで始めて、そのうち自分にもできるかなと思った。フェンシングも同じようなもので、学校では唯一、一貫して得意なスポーツだったんだけど、他のみんなは俺よりずっと体格が良くて、ラグビーをやっていたら座られてしまいそうだったから、フェンシングは俺にもできることだったんだ。だからきっと誰もがフェンシング選手になれるし、誰もが航空会社のパイロットになれる。
それが面白さであり、俺にとっては、そういった特殊な道や職業、そういったものに対する興味深い見方を提供してくれる。俺の人生で唯一まともな仕事は、航空会社のパイロットだった。17年間出勤し、スマートな格好をし、テストやチェックを受け、その他もろもろをこなさなければならなかった。自然に身につくものでもないし、俺は経験を大いに信じている。できないと思っていることが何であれ、まずはやってみることが大事なんだ」
そして現在はコミック作家まで多彩な経歴とポリマスの才能を持つ Bruce は、それでも自身にとって音楽は特別だと信じています。
「時折、音楽が競技スポーツのように感じられることもある。だけど音楽は愛と喜びについてのもので、さまざまなアプローチ方法がある。時には競技であったこともあるけれど、現実にはそういうことではないんだ。この年のこの日に、俺たちがこのバンドや他のバンドよりチケットが売れたなんて誰も覚えていない。愛と喜びが唯一重要なことで、音楽すべてにおいて唯一実在すること。それがこの仕事を続ける原動力なんだ。このソロアルバムは、俺にとって本当に特別なもの。この “旅” を楽しもうじゃないか」


参考文献: KERRANG!:Bruce Dickinson: “We’re all living longer and more effective lives, which is great – as long as you do something with it”

STEREOGUM:We’ve Got A File On You: Iron Maiden’s Bruce Dickinson

METALHEAD COMMUNITY:10 Reasons Why Bruce Dickinson of Iron Maiden is a Great Man

NEW DISC REVIEW + INTERVIEW 【FRIKO : WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE】FUJI ROCK 24!!


EXCLUSIVE: INTERVIEW WITH FRIKO !!

“I Personally Am Obsessed With Whatever That Magic Is That Makes Records “Classic”. So I Spent a Lot Of Time Over The Past Few Years Listening To All These Records That We Give This Honor And Taking In What They Had To Say.”

DISC REVIEW “Where we’ve been, where we go from here”

「レコードを “クラシック” にする魔法、それが何であれ、それに取り憑かれている。だから、ここ数年、僕たちはそうした “名盤” だと思えるレコードを聴き、そのレコードが語っていることを受け止めることに多くの時間を費やしてきた。僕にとって、これらの “名盤” たちに共通しているのは、彼らが何かを語っているということ。それが言葉であれ音楽的なものであれ、そこには目に見える即効性があった。”Pet Sounds” における即効性は、”OK Computer” における即効性とはまったく違うけれど、それでも僕の中では同じカテゴリーのものなんだ」
“friko4u”。みんなのためのFRIKO。それはシカゴのインディー・ロック・シーン、HalloGallo 集団から登場し、瞬く間に世界を席巻した FRIKO のインスタグラムにおけるハンドル・ネーム。FRIKO が何者であろうと、彼らの音楽は世界中から聴かれるために、つまり音楽ファンの喜びのために作られているのです。
そのために、FRIKO のフロントマン Niko Kapetan とドラマー Bailey Minzenberger は、THE BEACH BOYS から RADIOHEAD まで、自らが名盤と信じる作品を解析し、”目に見える即効性” という共通点へとたどりつきました。カラフルであろうと、難解であろうと、先鋭であろうと、名盤には必ずある種の即効性が存在する。そうして彼らは、その信念を自らのデビュー・フル “Where we’ve been, where we go from here” へと封じ込めました。
「シカゴのシーンがとにかくフレンドリーであるところだと思う。たとえば他の3つのバンドと一緒にライブをすると、みんなお互いのセットに残って見てくれる。みんなコラボレーションしたり、他のバンドで演奏したりする。シカゴは、LAやニューヨークのような他のアメリカの主要都市と違って、20代から30代前半の人たちが手頃な家賃で住めるということもあると思う。だから、ここでの生活をエキサイティングなものにしようとする若者がたくさんいるんだよ」
アルバムに込められた想い。それは、”私たちがいた場所、そしてここから進む場所”。シカゴのインディー・シーンは決してLAやNYCのように巨大ではありませんが、それを補ってありあまるほどのエナジーと優しさがありました。競争ではなく共闘。その寛容さが彼らを世界規模のバンドへと押し上げました。DINASOUR JR? ARCADE FIRE? THE CURE? レナード・コーエン?ショパンにワグナー?!比較されてもかまわない。彼らは “名盤” のタイムマシンでただ世界を笑顔にしたいだけなのです。
FRIKO のオフィシャル・サイトの URL は “whoisfriko.com”。そこには ARCTIC MONKEYS が2006年に発表したEP “Who the Fuck Are Arctic Monkeys” を彷彿とさせる不敵さがあります。きっとFRIKO って誰?の裏側には、誰だって構わない、私たちは私たちだという強い信念が存在するはずです。
「SQUID, BLACK MIDI, BLACK COUNTRY, NEW ROAD の大ファンなんだ。彼らは、私たちよりもっとヴィルトゥオーゾ的なミュージシャンだと思うし、だから技術的なレベルでは太刀打ちできないから、エモーショナルでタイトなソングライティングの面でアクセントをつけようとしているんだ (笑)。でも、そうした新しいエネルギーが再びロック・ミュージックに戻ってきているのを見るのは素晴らしいことだし、若い人たちにとってはエキサイティングなことだと思う」
そうして FRIKO は、ポスト・ロックやプログまで抱きしめた新たな英国ポスト・パンクの波とも共闘します。いや、それ以上に彼らの寛容さこそが、長年すれ違い続けたアメリカと英国のロックの架け橋なのかもしれません。なぜなら、そこには David Bowie や QUEEN、そして THE BEATLES の魂までもが息づいているのですから。FRIKO は誰?その質問にはこう答えるしかありません。大西洋を音楽でつなぐエキサイティングな時計の “振り子” だと。
今回弊誌では、FRIKO にインタビューを行うことができました。「僕は宮崎駿の映画で育った。ジブリ映画は、僕が書く音楽に、音楽以外のどの作品よりも影響を与えている。宮崎駿には、世界中の人々に通じる特別な何かがあるんだ」 どうぞ!!

FRIKO “WHERE WE’VE BEEN, WHERE WE GO FROM HERE” : 10/10

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