■
展示実現しました。
展示の時に、昔書いていたブログの話になり、また日記を書く依頼などあり、
ここのことを思い出し久しぶりに開いてみた。
遡って色々読んでみたけど、恋愛のことしか書いてないな、、
って感じで思って、もう37になって、流石に何か変わったみたいです。
痛いな、と思う反面、そういう熱がなくなってしまったんだと少し寂しい気持ち。
色気どんどん失っていくのかなと。
-
前述していた恋人とはその後別れ、しかし今回の展示は無事に無事に見てもらえたようで、
過去の自分が叶えたいと思っていたことが実現できていて良かった。
今年は職を失うことから始まり、その後制作に費やした一年となった。
自分でも良いのか悪いのかわからないまま挑戦した作品群で、良い反応が多く、なんとなく満足した。
まだまだ精進しないといけないけど。
-
昨日軽く久しぶりに絵を描いてみたけど、何を描けば良いのかまたわからない、といった感じで、でも何か求めることがありそうで、そこ探しからうまく始めていって、道具にも再び馴染む必要があると思った。
最近忘れっぽさが以前より悪化していて、絵の描き方も早速忘れている具合。
また墨を使って描き始めたんだけど、久しぶりにやってみて、以前は結構描きたいイメージを持っていたんだなと感じた。
■
狂った人生から抜け出さなきゃな。
って思うけど、平和的で退屈な生活はしたくないな。
蛹の中のドロドロに溶けた自己の話を久しぶりに思い出した。
青空の倦怠感。虚無的な不安感と心地良さ。本能と条件反射。
溶け溢れ出す愛。絡まった細胞。
汗をかき、涙を流し枯れた目。Limbo。
■
35になった。
恋人が祝ってくれた。泳ぎに行って、飯とケーキを作った。
数日前、少し揉めたけど復活して良かった。あれ以来、考えても仕方ないことは考えないようになったし、
平和的に過ごしている。
たまに、風呂に入ってる時など、考え事を同時に始めて、頭が弱パニック状態になる時もあるけど、
まあ大体、こんな何も考えてない感じ、こういうの怠慢と思っていたけど、考えすぎも健康的じゃないなと思って、久しぶりにこんな状態で過ごしている。
そうすると、景色とかがクリアに見えてきたり、ふとイメージが見えてきたりする瞬間もあって、必要なことだったなと感じる。
何か現れたときにキャッチできる隙間を持っておきたい。
自己肯定も。
別に適当でいいんだと思った。愛があれば。
■
結局その後に、彼女に自分のこと別に好きじゃないでしょって言って揉めて、
終わりそうになったけど、仲直りして、けど何かぶっ壊してしまった気分。
自分は勇気を持って踏み込むことにしたけど、勇気の持って行き方が傷ついてもいいという前提の踏み込み。
勇気ってそういうものか。
-
夢の現実の境目が曖昧。自分の意識が夢、現実は何かわからない。
そういう物の捉え方は人間のものかもしれない。
人間らしさ、みたいなものを取り戻す闘い。
自分でコントロールできなくなる前に自分で終わりに向かわせることの克服。
死の衝動の克服。
和紙は繊細で初めての水張りの時には表面をぼろぼろにしてしまった。
繊細で、とても簡単に崩れる蛾を慎重に正しいポーズに運ぶように、水張りをした今晩。
-
トモダチを励ますために、今この瞬間も人生を消耗していっていると考えて、
時間は機会の連続でそれを逃さないように、考えすぎないで思いつきや衝動のまま動けばいいよと伝えた。
■
終わり的予感が常にあるせいで、心の壁がどんどん高くなっていく感じがある。
どうにも変えられないことがあると、ああやっぱりなとすんなり受け入れてしまうようになった。
一瞬の希望で、溶かした壁がすっかり元通りになってしまった。
常に複雑なものを選ぶって、友達にも言われたけど、本当最初から乗り越えられそうにないものを選び続けていく人生なのかもしれない。
-
今日は初めて彼女が駅の方まで送ってくれた。最後だからか?と、またネガティブに考えてしまった。
たまに重い蓋をされて息ができないように、言葉が何も出てこない時がある。
「もういいよ」って全部どうでもよくしたい衝動がある。
■
何も知らない世界にぶっ込まれたいみたいな気分だ。
自分の世界に戻ろうとする。
気持ち、何かの用意をし続けてるみたいだ。決別へ向けての。
■
あと一週間で35歳になる。
人生ももうあと半分、残りは自分を受け入れて生きていきたい。
それで人が離れていくなら、それはそれでどうしようもないことだし、
そもそも始まってもいなかったということかもしれない。
幻の世界で生きていたくない。
自分と自己イメージとの戦い。