9/10

 ということで久しぶりに10連毎日更新なんてやってみましたが、いやもう身体が付いていかないですねこれ。漫画評論の一部再公開とか過去に完結した話の20年後アフターストーリーとか、まだもう少しやってみたいことはいくつかあったのですが…とりあえずここでいったん休みます。すぐその気になれれば良いのですが、気が乗らず次の更新がまた数年後とかになるのが怖いので今のうちに言うべきことは言っておきます。休みながらとはいえ20年、このサイトを閉じることなく続けてくることができました。ちょっと前に出したリンク集を見れば痛感できることですが、ネットの世界では閉じずに続いているというただそれだけのことが既に貴重であり、生きてるだけで丸儲けな存在であります。この「歴史の重み」というのが中々保てないのがWebという世界の特性であり、自分がその重みの末端を担っていることを誇りに思っています。20年続けてこれたのはもちろん、今まで見に来てくれた皆様の応援の声のおかげです。本当に感謝しています、ありがとうございます。もう人生の半分を「雪男」としてこのサイトと共に過ごしてきました、既にこのサイトは僕という人間を構成している一番大きな要素になっているし、その僕の人生の指向性に最も大きな影響を与えたのは掲示板やメール、オフ会その他いろんな場所でたくさんの声を贈ってくれたネッ友の皆様方であると、今は自信を持って言い切ることができると思っています。30年40年続けていけるのかどうかそれは僕にもわからないけれど、今は20年大切にしてきた場所と人々に素直に感謝の気持ちを持っていたい。今までありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

9/9

「青い車」
「ポケットに500円玉」
「少年はいかにして信仰を捨てたか」

 初期の数年間、今「その他雑文」としてひとまとめにしているページを「テクスト集」などという気取った名前にしていた頃に載せていたショートコラム3つを15年ぶり? くらいに記念再掲。なんで外したのかを順を追って説明すると、まず僕は開設時のサイト方針として「日記はしょうもないハイテンション下ネタ芸で裸踊りする場所」、「テクスト集(笑)は真面目なことを書く場所」と切り分けるつもりだったんですね。だから上に載せたような真面目っぽい話は日記じゃなく独立したコラムとして名前をつけて、一本一本載せていた。ただ日記を毎日更新しコラムや漫画評や作曲はその合間を縫って時々更新なんて無茶しているとね、やっぱり持たないんですよテンションと勃起力が。いろんな意味で勢いが出せなくて、ついつい下品な笑いではない知的な話を日記に持ち込んでしまう…そんな風にポリシーを守ろうとしては曲げてしまって、と何年も繰り返してるうちにそのうち僕の日記は「真面目なコラムをやりながら章間で笑いを取る」という、なんとなくかまくら流とでも言うべきテキストスタイルに変わってきたのです。そうなると上に挙げた3本みたいなちょっとしたコラムは平時の日記にまるまる取り入れてその上で笑いを足して書けるのが当たり前になってきて、わざわざ笑いのない普通のコラムの状態で独立して公開する必要性を感じなくなってきてしまったのと単純に22歳の頃に書いた文章の未熟さが恥ずかしくなったのとで、それでテクスト集(笑)から抹消しました。今読み返すと隠さなきゃならんほど価値のない文章でもないし、これはこれで古き良きテキストサイトの素人コラムの味わいがあってまあ今酔狂で晒すくらいは別にいいかなと。それにしても22歳の僕は村上春樹の影響を受けすぎていてそれが恥ずかしいですね…今も影響は強く残っている自覚はあるけどこれは酷い。やっぱりこの機会だけの記念再掲としテクスト集(笑)へのスタメン戻しはしないでおくことにします。
 そういえばテクスト集テクスト集言ってるうちにどうでもいいことを思い出したんですけど、たまにアダルトサイトでチムコとかオマムコとか表記する管理人さんがいるんですけどアレなんとかなんないですかね? 「極太のチムコをパックリくわえ込む敏感オマムコが」とか書かれてもいまいちそそられないというかチムコって字面がゲームメーカーのナムコに似てて「アイドルマスター」の動画を見るたび思い出しちゃって大変でしたよ僕のチムコ(笑)

9/8

「心の壁、愛の橋」

書きかけのまま止まっているストーリーテキストファイルが山のように眠っていて、ほとんどは大したものじゃないのですがいつか別の機会に活かせるかもしれない、という理由で全部取っておいてはいます。ただその中で一つだけ、「これはもう絶対に続きを書くことはできない」と確信できるものが見つかったので20周年のお蔵出しと作品の供養を兼ねて途中までですが公開してみました。これを書いてたのがいつ頃だったのかはっきり覚えてないのですが…内容の古さから推測すると1999年~2000年くらいかと。当時SEかプログラマにでもなるかと参考書を買って勉強を始めたらなぜかハッキングの世界に興味が移ってしまい、そっち系の本ばっかり買って読んでたことだけはなんとなく覚えています。それで書き始めてみたのが「女子高生がハッキングをする」というラノベテイスト溢れる、でもテクニカルな部分をしっかり書けば絶対に面白くなりそうな話だったと。プロットテキストを今読んでみても我ながら中々悪くないストーリーでした、女子高生があらゆるFirewallを無効化する悪魔のツールWallBridgeを作り世界をパニックに陥れるというクライマックスはラノベ的外連味に溢れていて素直に「読んでみたいな」と思える内容ではあるのです。あるのですが、書いているうちこの作品の弱点というか「なぜ他に同じ方向性(ガチのハッキングもの)の作品を書く人がいないのか」の理由をすぐに思い知らされ、あっという間に筆が止まりました。PC業界の時間って、通常の3倍どころじゃないとんでもない早さなんですね。僕がこの話を書いていた時のWindowsの最新VerはWindows98でしたが、プロットを練ったり参考書を読んでいるうちにもうWindows2000の発売のニュースが出ました。テレホーダイは廃止になりADSLが爆発的に普及し、企業のサーバはRAIDの構成が当たり前になりそのうちクラウド化の流行がやってきたりと、もう前提となる環境が数ヶ月単位でコロコロコロコロ変わっていくんです。そりゃこんなのアホくさくて書けないですわ。注釈集を見るとNUKEだのconconだの当時のWin95世代でさえほとんど知らないマニアックだった単語が、死語というにもおこがましい古代文明言語のごとく載っていたので一周回って案外面白く読み返すことができました。本編はほんとに序盤だけで終わっていてそんなに面白くないと思うので、お忙しければせめて注釈集だけ見てっていただければと思います。かつてこういう文化があったのだ、というのを眺めるだけでまあまあ知的好奇心満たされますよ。

9/7

 20年前にこの絵を見たことがある、という人はそれだけでかまくら通を名乗る資格があると言えましょう。これは1999/9/1~9/30くらいまでのわずか一ヶ月間、一日10ヒットかそこらの出来たてホヤホヤ新興無名ホームページだった頃にトップ画として載せていた僕の絵です。22歳の頃買ったばかりのWindows95マシンに(それまではPC-98を使っていました)、よくわからんメーカーのPhotoshop劣化版みたいなお絵かきソフトを入れてマウスで描きました。マウス手描きだから…とついつい言い訳を並べたくなってしまいますが、まあ僕の画力など所詮こんなもんです。見るべきところも特にない凡庸な絵だけれど、笑えるほどド下手ってほどでもない。一言で言えば典型的な初心者の習作ですね。これでも10代の頃は将来漫画家になりたいと思って授業中ノートに絵を描きまくってきたのですが、その成果がこの程度ですから早々に見切りをつけたのは英断だったのでしょう。今でも落描きをするのは好きですよ、息子にしょうもない即興四コマ漫画を描いて遊んであげたりしています。人に見せられるほどのものではないのでここに載せたりはしませんが。
 でも20年経った今となっては、ホームページ運営なんて結局自己満足の遊びだったんだから下手な絵でも小説でも音楽でも批判や嘲笑を恐れずバンバン載っけていきゃ良かったんだよなという、後悔というほどでもないけれど「もったいないことしたかもな」という未練的な感傷がちょっとだけ残っていたりしています。少なくとも僕の文章力は当時毎日更新して人に見てもらいそのたび賞賛や批判をもらい経験を積むことによって確実に上がりました、たぶんサイト管理人からライターや小説家等に転身した方々なら全員感じていることだと思いますが結局「人に見てもらう」以上に経験値を積める修行はないんです。漫画家だってデビュー当時ド下手だった人が連載を続けていくうちにどんどんスキルアップしていって気がついたら一流プロレベルの絵柄になっていた、という例が数え切れないくらいあるわけで。僕の絵だって22歳の時点でこんな程度でしたが、何度も何度もサイトで新作公開し続けていればめきめき上達し目標だった漫画家になれた可能性がゼロではなかったかもしれない…なんて思ってみたりもしてしまうわけです。まあ当時の僕はサイト更新に毎日3時間くらいかけてましたんで、そこにさらに絵を描いて載せてなんてとてもとてもできなかったし現状に何か不満があるわけでもなんでもないので、本当にただの感傷に過ぎないのですが。あそうそう、女の子のかわいい表情を描くのは得意ではありませんが綺麗な乳首を描くのは自信があります。女性器は…現物を見たことが当時なかったので描こうにも描きようがありませんでした。乳首をたくさん描いた気持ちの悪すぎるデスノートは昔どこかで「秘密のポエムノートを江ノ島の砂浜でまとめて焼いた」という話をした覚えがありますがそのとき一緒に燃やしました。僕が10代の多くの時間を捧げて残した乳首絵とポエムが夜の黒海に白煙となって溶けていく様は一遍の小説にできそうなくらい幻想的ではあったのですが、当時の僕は「警察が来たらマジヤベエ、早く燃え尽きろ燃え尽きろ」と超焦りながら棒でノートをつつき回していたのであんまり締まりの良い物語にはならなさそうです。

9/6

  (……か)

 えー今まで「モテなくなると困る」という理由でこの20年ほとんど話題に触れずに来ましたが、もう40歳過ぎていい加減オフパコに固執していても何も起きないどころかそのうち頭をバットでパコられて永久追放される未来しか見えてこないので、もうそろそろ諦めて今回は「結婚」について喋ろうと思います。

          (ん)

 妻に初めて出会ったのは僕が23歳大学四年生の頃で、馴れ初め的なことは書くと僕が恥ずかしいだけでなく妻に確実にしばかれるのでそこは省略させていただきますが、結果だけ言えば僕が猛烈に惚れて告白し押し切るような形で付き合っていただくことになりました。どうも妻的には僕が一時的にのぼせているだけで、冷めたらあっさり離れていくのだろうと身構えていた部分があったみたいです。まあ当時の僕は23年間女の子と付き合ったことがないどころか会話さえろくにしてこなかった拗らせ童貞でしたし、妻は僕のホームページのことは読んで好感を持ってくれていたとしても僕という人間自体のことはまだほとんど知らなかったわけです、警戒しないほうが無理な話だろうと思います。

                    (し)

 でも僕は頑張りました。なにしろクソ童貞だったので努力の方向性が正しかったのかどうかは今も良くわかってません、わかってませんが僕が妻のことをどれだけ好きなのかはたくさん言葉にして伝えたし、喜んでもらうためにできることは何でもやってきたつもりです。どの時点くらいから妻が僕の気持ちを信じてくれるようになったのか、それは僕にはわからないし妻自身にもわからない可能性さえありますが最終的に僕の努力は実り、妻はどんどん飾らない自分を、素直な喜怒哀楽を僕に見せてくれるようになりました。それが嬉しくてたまらなくて、もっともっと好きになってもらいたくて、いろんなことを考えては実行しその笑顔を見ることがいつしか僕の人生で最も優先順位の高いことになっていることに気がつきました。だってそうでしょう、好きな人に喜んでもらって好きになってもらう、それ以上楽しいことなんてこの世の中に他にありますか?

                             (さ)

 そもそも妻は僕がサイトで常日頃萌え萌え口にしているようないわゆる白痴キャラとは若干…いやだいぶタイプが違います。ぱっと見は真面目で下品な冗談なんて嫌いそうで、実際のところ社会常識や金銭感覚のしっかりしたいいとこのお嬢様というのが僕の第一印象でした。でも話していると案外子供っぽくて抜けているところがある。お酒を飲むと防御力が下がって甘えたがりな一面を無邪気にさらけ出してくれる。そんなギャップに当時の僕はやられ、今なおやられ続けています。妻が可愛くて困る件、というタイトルでラノベを一本書きたくなるくらい、僕の妻は可愛いんです。お見せできないのが残念で仕方ありません。

   (れ)

 このサイトを20年続けている間に、「ユキオ」という名前の男にテキストの中で数え切れないくらいの変態行為をさせ、時には真面目な話をさせ、そして架空の恋愛をさせてきました。僕の恋愛に関する文章を読めば一目瞭然だと思うんですけど、僕って超がつくくらいのロマンチストなんですね。物語の中のユキオ君はいつも好きな人を一途に思い続けていて、好きな人の幸せのために身を削ることを厭わない。そういう僕が格好良いと思う男の理想像が、恥ずかしいくらいくっきり表れてしまっている。もちろん現実の僕は物語に描く理想像のように上手く立ち回ることはできないし、気の利いた台詞もなかなか言えません。選択肢を間違えて妻を不愉快な気分にさせたり怒らせたりしてしまうことも日常茶飯事です。でも理想通りにはいかないとしても、そこに届きたいと願い試行錯誤する努力を怠ったことはないと思っています。僕は自分の容姿の悪さも性格の不甲斐なさも誰より良く知っています、そのままの自分を見せているだけでは足りないことも、いつか愛想を尽かされてしまうことも良く知っています。だから何度でも好きだと気持ちを口にするんです、好きになってもらうためにできることを面倒がらずにやるんです。それをずっと続けていくことが僕にとっての恋愛であると本気で信じているし、逆にそれができない人たちの口にする愛という言葉を信じていません。テレビで芸能人が破局、とかニュースを見るたび「当たり前だバーカ」とついつい悪態をついてしまいます。

        (て)

 妻と出会って結婚して子供を作って、ここまで…18年? 19年? もはや時間の感覚さえ曖昧になってきていますが、妻を好きだと思う気持ちは出会った頃とほとんど変わっていません。そりゃ23歳の頃のギラギラした熱を今も持っているかと言われればもう持ってないですけど、その代わりにここまでに築いてきた揺るぎない信頼関係が決して冷めない穏やかな熱をこの胸に与え続けてくれているのを日々感じています。子育てに追われている今は昔みたいに妻のためだけにリソースを割くことはできないけれど、現実的なこととして家事でできることはできるだけやっているつもりだし、妻に何かお願いされて断ったことは(たぶん)一度もないはず…買ってきてと言われて忘れて帰って謝ったことは何度もあるけど。でも妻はそれを怒らないし、僕がやろうかと言ったことも大抵のことは「大丈夫、ありがとう」と言ってくれる。僕が投げかけた愛情はきちんと受け止めてくれて、その倍くらいの深い愛でもって返してくれる。僕が選んだ妻はそれができる素晴らしい女性なんです。この人を好きになって良かった、と心から思える結婚ができた僕は本当に幸運だったと思います。ろくな人生じゃなかったけど、その出会いを与えてくれたことだけは神様に感謝したい。

             (い)

 …と言いながら僕はちょびっツに始まりこの20年で数百人規模の2次元美少女に萌え狂い、情欲を爆発させてきました。もちろん積極的に妻に「俺…今はこの二次元女子が好きなんだ」なんて言ったことはないです(言ってたらただのキ○ガイでしょう)、ただまあなにしろ妻はこのサイトの存在を知っていますので全部筒抜けでバレてたわけですが、でも「オタク同士の恋愛は長続きする、三次元の浮気をする必要がないから」という俗説は僕個人のケースに限って言えば結構真実を突いているように思います。

 (る)

 人間誰だって素敵な異性を見ればそりゃ恋人の有無に関係なく胸ときめきますよ、そんなん当たり前じゃないですか。でも二次元美少女に適度に胸をときめかせ続けていれば、リアルで付き合っている恋人の「三次元一位」の座は揺るがないわけですよ。それとこれとは別、とお互いが考えて適度に息抜きできた方が恋愛って効率良く続けられると半ば確信しています。妻は妻で昔はテニスの王子様ミュージカルにハマり今はなんだか良くわからん美少年ソシャゲを複数こなして声優ライブ的な動画をPCでこっそり…いや全然隠す気なく観てるみたいです。そういうお茶目なところも可愛いな、なんて思ってもいるのですがそれは口にしてもあまり良い結果を生みそうにないので黙って見守っていますが。

                   (た)

 小学生になった息子は未だに「おかーさんだいすき」といって所構わず妻に抱きついたり頬にキスしたりといったストレートな愛情表現をしていて僕はもちろんそれを微笑ましく見守っているのですが、「俺がやりたくて我慢してることを堂々とやりやがって羨ましいなコイツ」と嫉妬する気持ちがわずかに芽生えてしまう、それくらい妻のことが好きです。以前実際にそう思っていることを伝えてみたこともありましたが、バカじゃないの、とジト目で見られてそれっきりになってしまいました。僕はまた選択肢を間違えたのでしょうか? それとも妻に少しでも喜びを与えることはできたんでしょうか? 答えはわかりません。これほど長く一緒にいてさえわからないことがまだまだたくさんあります。でもそれが楽しい。一緒にいてふざけあえることが、好きでいてもらうためにできることがまだあることが、とても嬉しい。

                          (す)

 そろそろ妻と出会ってからの時間が、出会う前に過ごしてきた23年間を追い越しそうになっています。感慨深いものはありますが、後悔といった類の感情は全くありません。妻のいなかった僕の23年の人生の価値なんて、今日妻に優しくしてもらった一日の価値に遠く及ばないと本気で思っています。きっとあっという間に子供は成長し僕らの元を離れていき、老いた僕らは恋愛がどうこうなんて口にするのも恥ずかしくなるような容姿になっていくのでしょう、いや既にもうそうなっていると言われてしまえばぐうの音も出ません。でも僕は60歳になっても70歳になってもたぶん変わらずに妻に好きだと言い続けるだろうと思うし、またバカなことを言ってと少し困ったような顔で笑う妻の顔を見ることが楽しいと、幸せだと思い続けることができると思います。妻が僕との老後のことまでどう思っているのかは聞いたこともないので知りません。でも僕が大事に思い優しくあり続ける限り妻はそれに答えてくれる、それだけは確信しています。だから今の僕は未来が怖くないんです。妻と一緒に老いていき、長い時間をかけてもっと多くのものを積み重ねていけることが、こんなにも待ち遠しく思える。今それを伝えても、きっと妻はハイハイそうですねなんて言ってまともに取り合ってくれないだろうけど。わかっていてもやっぱり伝えてしまうのが僕の今までのやり方だったし、妻もきっとそのやり方を悪くは思っていないからここまでやってこれたんだろうと。そんな風に思いながら、僕は妻と毎日を過ごしています。

(け)

 そういうわけなので、残念ながらもはやリアルのネット女子が「雪男さん素敵! 抱いて!」なんて迫ってきたとしてももう遅いのですよ残念ながら。まあ対話のドアはいつでも開いているということだけは念のため伝えておきますが。

                      

   (て)

 
 

9/5

 曲を作ると女の子にレスポンスを貰えるとわかり張り切って作っていた2000年前後、「ほんとに雪男さんが一から作ってるんですか?」と聞かれたことがあります。まあ自分で言うのもアレですけど、その辺のテキストサイト管理人がサイト運営の片手間で作れるようなレベルのもんではないですからね。既にあるモチーフをパク…流用したり、サンプリングと開き直って転用したりといった一昔前のJポップス界で横行していた所業と同じでは、と疑惑を持たれるのも致し方ないこととは思います。しかしこれは神に誓って申し上げますが、【オリジナル】と銘打っている曲は作詞作曲編曲すべて僕が一人でやってます。これでも3歳から現役生徒としては約30年エレクトーンを習っており、生徒を辞めた後も趣味でピアノを弾いておりますもので素人ではないんです。あんまり言うと身バレするのでざっくりとしか言えないのですが、神奈川県大会規模のコンクールでなら何度か金賞を取ったこともあります。2011年2012年の2回だけ、アニソンライブのステージでキーボードを実際に人前で弾いているので、このライブに来てくれた人ならば僕の腕前がどうだったのか証言できるでしょうね。このライブの練習中の録音音源のいくつかは残っていて僕の手元に実はあるのですが、当時のバンドメンバー全員の許諾も取ってないまま僕のサイトで独占公開というのはさすがに自分勝手が過ぎるのでやめておきます。いつかメンバーの半数以上が老衰で死ぬか痴呆症でわけわかんない状態にでもなったらこっそりアップしますかね。メンバーの年齢的にもうそう遠い未来でもなくなってるのが笑えないのですが。

 さて今回力説したいのは、この「エレクトーン」という楽器の汎用性のなさ、モテなさについてです。僕が3歳で始めた頃のエレクトーンはまだレバーを上げ下げしてアナログで調整するような原始的でゴツゴツした姿でしたが、テクノロジーの目覚ましい進化でどんどん形も変わっていって今はステージアという小型でスタイリッシュで音質も機能も昔と比較にならないほど良いものが出ています。男子がこれを華麗に弾きこなせば冗談抜きに超格好いいところを女の子に見せることができるのですが…その「見せる機会」がエレクトーンにはほんとにない!! ギターやバイオリン、トランペットといった弦楽器管楽器は持ち歩いて別の場所で披露することができます、なんならバンドや吹奏楽部に入れば毎日人前で腕前を披露できます。ピアノならどんな施設にも大抵置いてあるし、ちょっと弾いて披露しようと思えばいつでもいくらでも機会があります。ところがエレクトーンは(原則)持ち運びもできないし、音楽教室や楽器販売店以外の場所で見かけることはほぼありません。バンドで使われるのはキーボードだし吹奏楽部でピアノは使われてもエレクトーンは使われません。ほんとにマジのガチで披露する機会がないんですよせっかく上手くなっても!! 僕は奥さんと初めて会って付き合ってからもう18年経ちますが、なんとか披露して格好良いとこ見せたいと機会を狙い続けて18年経って披露できたの一回だけ(それも準備不足の不完全な状態)だけですよ。身内相手ですらそれくらい聴かせる機会がない。特にエレクトーンって事前に使うドラムや音色を保存したデータを用意しておかないと100%の真価を発揮できないんです、いきなりその場で弾いてって言われても音色やドラムパターンが変化しない無難な曲しか弾けないんですよ「エレクトーンの真価はこんなもんじゃないんですけどね」という言い訳を添えなきゃいけないのが本当に欲求不満たまるんですよ!! そもそもそんな言い訳する機会さえ与えられない不遇な楽器なんですけども!!
 でもエレクトーンが上手くなればjポップレベルの楽曲であれば比較的簡単にボーカル・ギター伴奏・ベース・ドラムまで一人でなんでも弾きこなせてしまうので、やっててほんとに楽しいですよ。人に披露してモテたい、が動機でないのであれば超おすすめの楽器です。でも僕は息子にエレクトーンを薦めず、結局ピアノをやらせることにしました。息子には父と同じ苦しみ…せっかく上手くなったのに披露する機会がなく女の子にモテられない、という因業を背負ってほしくなかったからです。僕も今は古いエレクトーンは処分してしまったので息子と一緒にピアノを練習しています。ピアノはいいですね、人に披露できるから。エレクトーンでなくピアノを選択していたらもうちょっと明るい青春時代を送れていたのかな…なんて思ったりもしてみるけれど、まあ元々イケメンが弾くから絵になるのであって、ブサイクがどれだけ良い曲弾こうが曲はともかく弾き手が顧みられることなんてどうせないですよね。なんだかんだ文句言いましたがエレクトーンやってて良かったと今は思ってます。やってなかったらこのサイトの音楽活動の歴史もたぶんなかったと思うしね。

9/4

 字幕作るのが面倒で10年放置していたボーカロイド曲を今頃! 公開しました!! ニコニコ動画を見限ってYoutubeに公開しようか迷ったのですが、別にたくさんの人に聴いてもらいたいというよりは20年の節目として記念公開するのが目的なのであれば、ニコニコの方がふさわしいのかなと。あるいはもう今の若い世代はニコニコ動画見たことない人さえいるのかもしれませんね…まあニコニコで見るのがめんどくさければmp3リンク張っとくんでここから直で聴いてください。ちなみに今まで作ってきた曲はここに全部載せてますのでお暇がございましたら他のも聴いてってくださると嬉しいです。
 せっかく音楽のことが話題に出たのでもう少し掘り下げたいと思うのですが、今日のところは力尽きたのでまた明日以降に。

9/3

 テキストサイトの殿堂リンク

20年でごちゃごちゃと貯め込んで本人さえも収拾がつかなくなっていたかまくらフォルダから、見つけたものを出して話題にしてみる試み。このリンクは…僕の記憶が確かなら、2002年か2003年にブログが隆盛してきた頃、どっかのアホ共が「未開の日本に俺らがブログ文化を教えたるんや! レッツビギンや! ポジティブや!! 」とかなんとか抜かしていたのに対してムッときた僕が「明日朝7時にここにもう一度来てください。本物のWeb文化とはどんなものか教えてあげますよ」と山岡士郎よろしく自分がブックマークしていたコンテンツの中から選りすぐったものだけをリンク集として公開したものだったと思います。当時それなりには話題にしてもらったので僕より詳しく覚えている人も結構いるんじゃないかな。まあ経緯はどうでもいいのです、問題は中身です。クリックしてみるとすぐわかりますが、もう笑っちゃうくらい端から端まで綺麗に消えまくっています。中にはただ移転して場所が変わっただけのサイトもいくつかあるのですが(かく言うこのサイトもインターQ→ぷらら→今のsnow-man.ccドメインと2回引っ越しています)、あえて直すような真似はせずガチで当時のまんま再掲しました。いや僕もこれほどまで、当時大手だったサイトばかりを集めてさえ9割以上がリンク切れなんてことになっているとはさすがに思ってなかったです。まあ言うても半分くらいのサイトはリンクだけなら生きてるやろ、更新が止まったとしても彼らが確かに生きて残してきた証はいつまでも残っていてくれるやろ…そんな風に考えていました。でも現実はそうではなかった。たぶん僕を含む、当時テキストサイトに青春を無駄遣いしてきたゼロ年世代の多くの人はこの「そもそもの大前提の部分」を勘違いして、この電脳世界の将来を都合良く夢想していたのだと思うのです。つまり我々は「Webは一度アップロードさえすれば、紙と違ってデータが半永久的に残り続けるのだ」という幻想を共有しながらテキストサイトをやっていた。でも現実のWebはそんな場所では全然なかった、レンタルサーバ会社の経営が苦しくなればそこに書かれていた日記など容赦なく全部吹っ飛ばして撤退されるし、引っ越しなどでプロバイダを解約すれば借りていたサーバに載せていたデータは全部消去されて何もなかったことになってしまう。永遠なんてとんでもない、たった数年の時間の猶予さえくれない狭くて窮屈な場所。僕らが当時無限の可能性に胸をときめかせたWebという世界は20年かけて眺め続けてみたら、実はそんな大したもんじゃなかった! その事実を受け入れるのは結構つらいのです20代のほとんどを既にネットに費やしきってしまった身としては。まあ受け入れてしまったからこうして更新が途絶えてしまったわけなのですが。
 しかし別にネットに絶望しネットを見なくなったとかそんなことは全然なく、ツイッターでバズったクソリプを拾ったり、ヨッピーやオモコロの人たち辺りの書く古き良きテキストサイト的なハチャメチャ企画記事に腹を抱えて笑ったりとフツーに変わりなく楽しんでいるわけで。テキストサイトは滅んだかもしれないし実際にもう遺跡さえほとんど残っていない、文字通りに無に返ったもう歴史に埋もれた文化である、それはもう仕方ない。嘆いて何かが変わるわけでもなし。でも当時面白かった連中は今も媒体を変えて面白いことを時代にうまく合わせてやってるし、僕だって趣味のサイトに流れたりとやりたいことをやりたいようにやっている。かつてテキストサイトをやっていた人たちがツイッターの「友達の友達だからこの際フォローしあってみては?」みたいな欄にたくさん上がってくることも嬉しく思ってはいます。「当時仲が悪かったからフォローはしません」とこっそり呟いたりもしてるけど。まあ結局のところ何が言いたかったのかというと、「テキストサイト文化は遺跡も残さずに砂塵となって消滅した! それはもう終わったことでゴチャゴチャ言ってもしょうがない! Webという世界は期待していたような楽園でも何でもなかったけど、ここはこういう場所として昔も今も皆好きなように楽しく使えば別にそれだけでいいんじゃない?」という、なんか綺麗にまとめただけであんまり面白くない結論になってしまいました。オチというにはあんまりにあんまりな最後の話になりますが、この20年で変化したネット用語で最も積極的に取り入れよく口にしている言葉はオフパコです。

9/2

いやここだけの話なんですけどね、7月8月くらいにはこの20周年で久しぶりに更新しよっかな~と意識を始めてて、「何かネタになりそうなものを引っ張り出せないかな」と軽い気持ちでね、数年ぶりにエゴサってみたんですよ。「かまくら」だと地名の鎌倉と被りすぎて検索にならないので、ドメインネームである「Snow-man」で。そしたらびっくり、僕の与り知らんうちに「Snow Man」なるジャニガキアイドルグループがちょうど2019/8/8なんて僕の20周年とドン被りの絶妙な時期に華々しくデビューなされていらっしゃって、私のホメパゲなんて検索結果に擦りさえしてないじゃないですか。Snow Manはボクが18年も使ってきた大事なドメインなのに~!! まさかこの歳になってまだなおイケメンに搾取される不条理を味わわされることになるなんて!! ゆ……ゆるさん……ぜったいにゆるさんぞこのジャニガキどもめ!! 公式HPを用意していなかったのが運の尽きだったようだな…まずはGoogleで検索してやってくる何も知らない女子中高生をこっちのページに引っ張り込んであることないこと吹き込んで…と思ったけどよく考えたらGoogleでSnow Manなんてアルファベットを叩いて検索できるような電子に強い女子は守備範囲外なのでどうでもいいっちゃどうでもよくなりました。僕の理想はもう中学生なのに親にキッズケータイを首から提げさせられててメールの受信音が鳴るたびいつも必ず「どこ? ケータイどこ!?」ってキョロキョロしちゃうようなそんな女子です(具体的) ということで昔話の最初は「ハンドルネーム」の話です。
 前にも何回か話したかもしれないけど、このサイトを始めるにあたって僕は「雪男」と「危脳丸」、二つのハンドルネームのどちらを使うかかなり悩んでいました。危脳丸というのは当時大好きだった「こいつら100%伝説」というギャグ漫画に出てくるキャラの名前そのまんまなんですけど、字面がものすごいインパクトじゃないですか。1999年9月当時「ろじっくぱらだいす」など既にいくつかの新世代サイトが名を上げ始めていたのを横目に見ていた僕は、とにかく名を売るために何か人々の印象に残れるインパクトがほしかった。危脳丸にはそのポテンシャルがある、と信じて疑っていなかったのです。実際公開直前、8月中旬くらいまでは日記の一人称がアブさんでした。アブさん今日も女子にキモがられ大~失~敗~!! 的な。そんな地獄のようなテンションの日記をいくらかテストで書いてみて、あれなんか違うなと。これ勢いだけであんまり面白くねえぞと。幸いなことに気がつくことができたんですね。それで土壇場で当時はあまり乗り気でなかった「雪男」にハンドルを変えて、やってる芸風は危脳丸とほとんど変わらないにせよギリギリのところで風格を保つことができ、幸運なことに半年くらいで大手サイトと扱ってもらえるくらいのサイトに成長することができたわけなのです。というかあのとき危脳丸を選択していたらいまこうして20周年がどうこうとか、絶対そんな話してないことだけは間違いない。全部お笑いテキストだけ書くならそれでも良かったかもしれないけど、真面目なテキストはとてもじゃないけど書けなかった。だって物語の中で女の子が頬を赤らめ「私……アブさんのことが……好き」とか言ってるテキスト真面目に読めるか!? シュールギャグとしてならアリかもしれないがその代わりシュールギャグ以外何も残らない凄惨なサイトになっていたはず。オフで会った女の子だって「雪男さん」と「危脳丸さん」じゃセックスの予感が違いすぎるだろ。危脳丸さんなんか常識を超えたプレイをしてきそうな匂いがしすぎて警戒するだろ絶対。40歳を回った今は特に、時々会うネットの仲間たちに「ユキオさん」と呼んでもらうたびにあー無難な方を選んでてほんとに良かったと胸をなで下ろすばかりだ。小さな決断が後に大きく運命を変える、その典型例と言えなくもない話であると思う。
 しかしこんな話を未だに持ち出している時点で僕が「危脳丸」という名前に未練を残していることは賢明な読者諸姉ならばおわかりであるだろう。危脳丸として20年生きてみたらどんな人生が待っていたのかな、と想像を巡らせずにはいられないのだ。案外女子にはアブさんアブさんと慕ってもらえた未来が……待ってねえだろうな。やはり雪男としてSnow Manの10人目の新メンバーを騙ってワンチャン狙う方が得策か(Googleの誘導ページを組み始めながら)

9/1 20th anniversary!!

 なにやら世間はホワイト国の除外だ撤回だ云々と騒がしいですが、この20年目にとまった有力白痴キャラを移民ノートに書き留めつついつか来たる俺のホワイト国建国のために資金をコツコツと貯め続けてきた身としては「うるさいですね…」以外に言葉もありません。ちなみに「ホワイト国」については超久々に更新した「白痴事典」にも掲載されておりますのでそちらもご覧ください…と前置きが長くなりましたが本題に入りますと、1999年の9/1に開設したこのサイトは本日をもって20周年を迎えることができました! といってもここ5年近くはいくつかの趣味ページに活動を移しここのことは放置していたので「20年頑張って続けてきたぜ!」とはとても胸を張っては言えないのですが、それでも看板を掲げて20年経ったという事実は事実ですので、その事実を自分の中でどう処理するのが一番良いかと考えた結果「普通に喜ぶ」というのが手っ取り早くて楽だと気づきそうすることにしました。いえ~い20周年おめでと~今まで見てくれたみんなどうもありがと~!! あの頃14歳の女子中学生です~と言って掲示板で遊んでくれた子たちも今となっては34歳! もはや娘が射程圏内! 「お母さんがまだ貴女くらいの頃ね、私はこの雪男さんって人に恋をしていてね…」なんて母から娘に語り継がれていてもなんらおかしくない! 娘は娘で「お母さんと同じ人を好きになっちゃうなんて…私…どうしたら…」なんて頭を悩ませたりして親子二代に渡る壮大なラブロマンスが待っていても全然何にもおかしくないんですよいわばユア・ストーリーですよ。それで母娘で話し合った結果として二人で僕のところに来てくれるのならばまだ建設中ではありますが、地下ホワイト国で仲良く労働力として暮らしていただくことになります(ユアストーリーのシナリオ通り)
 いや真面目な話ね、これくらい長い間更新できないのであればいっそ閉じてしまおうかと思ったことも何度かあったんですよ。たまに覗きに来てくれる人をがっかりさせるのも申し訳ないしね。ただなくしてしまったらもうがっかりさせることさえできなくなってただ人々の記憶から消えていくだけの存在になってしまう、それはやっぱり嫌だし、それに20年もの歴史を持ったお店を今更閉じるってのもね、そう簡単には決断できることじゃないですよ。いつか閉じるべき理由ができて閉じる日も来るかもしれないけれど、少なくともその理由ができるまではやめることはしません。時々は更新したいと思ってはいるので今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。

 ちなみに20年ネゲットがどうこう騒いできた身としては(今はオフパコって言うんですか?)、いつか「雪男さんあの時の子供がこんなに大きくなりました」というメールをいただくのではないかと怯えていたこともあったのですが受胎メールどころかここ5年以上男子からさえ一通もメールをいただいていないのでもはや何もかもが時効、泡沫の幻として穏やかに懐かしく過去を振り返ることができるようにようやくなりました。20周年記念企画的にやれそうなことも特にないですし、今月はこの20年のことを(自分に都合の良いことだけ)少し振り返ってみますかね。そうそう、この機会にリンク切れや文字化けをできるだけ直しておきました。「ユキの恋愛日記!」はたぶん3年以上はリンク切れで読めない状態だったと思います、ようやく直ったので読めてなかった人はこの機にどうぞ。