8月26日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第163弾! 

「たかやん議員日記」2004.第163弾!  8月26日(木)

議会便り
教え子に「議会便り見ましたよ!」と言われた。でも議会便りを見ていると、2000年の二中の問題だけを取り上げているように見えるので、『他にも質問はしているんだよ。』と言うと驚いていた。3月議会と6月議会、「一般質問」で僕は4つずつ質問をした。新座市議会のホームページにはその内容がそのまま載せてあるので見てみると面白い。例えば3月議会ではこんな風なやり取りがあった。
◎高邑朋矢議員
 
〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
 11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) こんにちは。11番、高邑朋矢です。教育問題について、4点質問をさせていただきます。
 最初は、3年半ほど前に大貫陵平という、当時二中の2年生が亡くなった事件です。その事件について、まず質問したいと思います。
 教育問題、いろいろあるのですけれども、なぜまず陵平の話を先にするかというと、やはり命ほど大事なものはない、教育問題の中で子供の命ほど大事なものはない、私はそう思っています。まずそのことをお聞きしたいと。
 これが大貫陵平です。執行部の皆さんもよろしいですか。教育長、大貫陵平です。13歳と10か月ほどしか生きられませんでした。なぜ死ななくてはいけなかったのか。私は、先輩の議員たちも、その当時、2000年の12月議会でしょうか、5名ほどの方が陵平のことについていろいろな一般質問をされています。その質問内容、それから答弁の内容、すべて私は読みました。読ませていただいて、やっぱりどうも納得できない。ただ、納得できなかったのですけれども、幾つかの点、教育長の答弁と私が思うところと共通するところがありましたので、その共通すること、四つのキーワードなのですけれども、一つはカウンセリングマインドという言葉を教育長は大分使われています。この間の答弁でもその言葉を使われていたので、私もそのカウンセリングマインドという言葉はとても大事だと思っているのです。
 そのカウンセリングマインドですけれども、私が一番最初にカウンセリングマインドという言葉、それから態度に接したのは、私自身が15歳のときでした。当時の私は、とても悪い子で、勉強もできなくて、とてもどうしようもない悪餓鬼だったのです。あるとき、新宿の西小山中学校というところにいたのですけれども、ついに、ここで言っていいのかどうかちょっとわからないのですけれども、貨幣偽造という重大事件を引き起こしました。教師の息子であったジュンというやつと2人で、百円玉をつくってしまいました。新宿の自動販売機を、片っ端から百円玉を入れて、私らがつくった百円玉を入れて、それで30円のファンタを盗んで、つり銭の70円を盗んでということをやったのです。そういう子だったのです。
 当然、戸塚警察が動きました。ところが、その警察よりももっと早く、担任の河合先生という先生が動いてくれたのです。それで、私らは警察より先に先生につかまりました。その河合先生につかまって、職員室の一室に連れていかれて、ほかの先生にはわからないところでお茶を出されて、それでこう言われたのです。怒られると思ったのです。そうしたら、「高、ジュン、おれはおまえらが好きだよ」と、先生がこう言ったのです。もう私は泣きました。もうぼろぼろ、ぼろぼろ泣いて、もうこの先生のために悪いことは絶対、この先生に誓って悪いことは絶対しないのだというふうに言ったのを、自分が思ったのを覚えています。先生は、もちろんほかの先生にも言わなかったですけれども、親にももちろん通報しませんでした。反省文ももちろん書かされませんでした。ただ私らの間だけで解決をしました。その相棒は、今都立高校の先生をやっているのですけれども、そのときのその先生の一言がなかったら、私も教員になりましたけれども、多分私らはそういう人生を送らなかっただろうと思います。
 それから、同じ学校に兵藤静馬という教頭がいました。あだ名を兵ちんというのですけれども、その先生が私らに数学を放課後教えてくれました。その先生のおもしろかったところは、私を兵ちんと呼んでくれと言うのです。教頭先生を兵ちんと呼ぶのは、ちょっと心が、そういう訓練がされていなかったものですから、だけれども私らは兵ちんと呼びました。すると、兵ちんは、私らが「兵ちん」と言うと、「あいよ」と答えてくれるわけです。それで、一生懸命数学を教えてくれて、私らは数学が大好きになりました。物すごい、教頭先生なのですけれども、生徒といつも一緒にいる、放課後、いつも勉強を教えてくれる。私は、そういう2人のとってもすてきな先生と出会えたのです。私が最初にカウンセリングマインドというのに接したなと思うのは、実はその先生2人です。
 次にカウンセリングマインドという言葉と出会ったなと思うのは、教員になろうと思って、函館中部高校という高校へ行きました。夜間高校だったのですけれども、そこで教育実習をやったわけです。当時の子たちは、看護婦の学校へ行っていまして、午前中は看護婦の学校へ行って、そして定時制で私たちの授業を受けるという、そういう生徒だったのです。年上の生徒もいました。ですけれども、一生懸命、私の話を、授業を聞いてくれるわけです。当然、下手くそなのです。下手くそなのですけれども、最後にそこの教頭先生がこういうことを言われたのです。「君らの授業はとても下手だ、話にならないぐらい下手くそだ。だけれども、君らは僕らにはないものが一つある。それは、子供たちの言葉をしゃべれるということなのだ」と、こういうふうに言われたのです。「子供たちの言葉を、君たちはまだしゃべれる。子供たちの共通の言葉を持っている、それをぜひ失わないでください。僕らは残念ながら失ってしまったけれども、君たちはまだ持っている、生徒と同じ気持ちになれる、それを失わないでほしい」、そういうふうに函館中部高校の教頭先生は言われました。私は、教員になったときに、それだけは失わないで生きていこうと、そう思ったのです。
 そして、私は新座五中という学校に赴任をしました。そこには、石島陽子議員がそこにおられますけれども、私の生徒でした。隣の隣のクラスには、笠原先生がいました。3年4組の担任を私はやったのですけれども、全く高校の名前も知らない教師だったのです。浦和高校という名前しか知りませんでした。あとの高校の名前は何も知らない。そんな大学出たての教師が何とかやってこれたのは、その先生に言われた、君は子供と一緒の言葉をしゃべれると、その言葉を信じたのです。それだけで、私は教員を続けました。何もわからないので、しようがないから、一緒になって子供と勉強することしかしませんでした。一生懸命勉強したら、学年で1番になったのですけれども、とにかく子供と一緒の言葉を持っているということは強いのだなと、そのときに感じたのです。
 五中で次にカウンセリングマインドに会ったのは、その次の年に神宮寺久子という先生が、皆さんの中にもご存じの方いらっしゃると思うのですけれども、神さんという人に会いました。私らの学年主任、当時は学年主任も授業をやり、クラスを持っていたのですけれども、意見の合わないところもたくさんあったのですが、その神さんが、放課後、1年1組の教室に残っていまして、子供たちと何かやっているのです。何をしているのかなと思って尋ねたら、「私はあなたみたいにうまく教えられない。だけれども、できない子と一緒に勉強することはできる」と言って、放課後ずっと、できない子と一緒に勉強しているのです。教えているのではないのです。一緒に勉強しているのです。私は、そこにまたカウンセリングマインドを見た気がしたのです。要するに、教えるのではなくて、一緒に勉強するのだと、それで子供たちは救われていくのだと。私は、神さんからそれを勉強させてもらいました。
 ほかにもとってもすてきな先生方はいらっしゃいましたし、まだまだ名前を挙げたい人はたくさんおられるのですけれども、私はどうしてもわからないのは、陵平がベランダでお菓子を食べて、そのときにほかの先生たちがみんなでとんでもないことをしたと言って、反省文を書かせて、親に通報して、そして次の週には、学年集会でみんなの前で決意表明をしてもらうと。その先生たちに、教育長が言われるようにカウンセリングマインドがあったのだろうか、私はそれをちょっとお聞きしたいのです。
 カウンセリングマインドと同じく、時系列という言葉を教育長は使われているのですが、その指導というのはそのときだけの指導ではないと、5月ぐらいからそういうことが頻繁に起きて、4回ぐらいあって、そして全員で指導したのだということを言われているのです。私も確かに、その日だけの指導というふうな見方は実はしていなくて、やっぱりそういう時系列的な流れがあると思います。そういった意味で、私も二中におりましたので、二中という学校の時系列的なものをちょっとここでお話しさせてもらいたいと思います。
 五中で10年いまして、六中で10年いまして、本当に楽しい学校生活を送りました。二中へ行って、陵平が入ってくる2年前ですか、私が入ったのは。2年前か3年前かです。一番最初に驚いたのは、まずこう言われたのです。その当時の二中ですけれども、二中のことを悪く言う先生がいると。だから、君はよく言ってもらいたい、二中はいい学校だ、二中はいい学校だと、そういうふうに言ってもらいたいと、こういうふうに最初に言われたのです。もう全然納得できなくて、いい学校だったらいい学校と言うし、だめならだめと言うし、だけれども、よくてもだめでも、とにかくいいと言っていればよくなるのだと、これをまず最初に言われたのです。それが非常に驚きました。
 次に、生徒と仲よくするなと、こう言われたのです。これは、私にとって一番ショックな言葉でありまして、生徒と仲よくしなくて、だれと仲よくするのだいという、それこそカウンセリングマインドはどこへ行ってしまったのというような発言で、私はとっても驚いたのを覚えています。
 そして、教室へ行ったらもっと驚きました。3年2組の教室に入っていったのですけれども、チャイムが鳴って、教室へ入って「おはよう」と言ったら、子供たちはだれ一人反応しません。あれっと思ったのです。だれ一人反応しないのです。もう一回、「おはよう」と言っても、だれも反応できない。だれかが「起立、気をつけ、礼」、初めて「おはようございます」と。これは、私は五中でも六中でも全く味わったことのないことだったので、「これはおかしいよ、おまえたち。これは二中病だよ。普通、人が「おはよう」と言ったら「おはよう」と言うのだよ」ということを一番最初に言いました。
 そして、ベランダに放課後出たのです、私自身がベランダへ出ました。ちょうど天気がよくて、風が気持ちよさそうだったので、ベランダに出たのです。そうしたら、「ベランダへ出ちゃいけないのです」と生徒が言うわけです。ベランダへ出たら何とか先生に怒られますと、物すごい勢いで言うわけです、生徒会の子だったのですけれども。ベランダへ出てはいけないと、「おまえ、ベランダへ出てはいけないって、何だそれは」と言ったら、「そういう学校の決まりなのです」と。「そう、でも出ない」と言ってみたのですけれども、「いや、そんなことはとってもできません」という、そういう雰囲気の学校だったのです。時間が来たら、チャイムが鳴ったら外へ出ていいけれども、チャイムが鳴る前には廊下にも出られない。チャイムが鳴ったら席へ着く、チャイム着席というやつなのですけれども、2年間とてもトレーニングをされてきたのだと思うのですけれども。要するに、もうそういう習慣になってしまっていた。
 それを、子供たちはどういう表情をしていたかというと、全然表情はありません。目が死んでいました。確かに静かなのです。とても静かです。しいんとして授業を受けている。だけれども、生き生きとした発言がないのです。笑いがないのです。
 こういうこともありました。夏、暑いとき、7月ぐらいですか、水筒を持ってきた生徒がいたのです。水筒に麦茶を入れて持ってきたのです。その生徒が、自分の友達に麦茶を振る舞ってあげたわけです。私は、「いいやつだな、おまえ。この暑いのに、自分一人で飲まないで、みんなに上げたんだ。よかったね」と、こういうふうに言ったのですけれども、その生徒がどうなったかといいますと、体育の先生につかまりまして、親を呼び出しにされて怒られたわけです。どうしてか。学校に飲み物を持ってきてはいけないのだと、こういう規則があったわけです。
 だけれども、私は、あの暑さの中で、よく親も麦茶を持たせ、その子がまた友達に上げたと、人としてとてもすてきなことを親子でしたのではないかと思っているのです。それを、学校の規則を守らなかったからという理由で、怒って、しかも親を呼び出してしまうと。親を呼び出すというのは、私からすると最後の最後の切り札ではないのかなと、そういうふうに思っているのです。何しろ、私は自動販売機を荒らしていますから、それでも先生は親に通報しなかった、それで私は助かっているわけです。ですから、私も21年間の教員生活の中で、何かどんなに悪いことをしても、実は親に通報したことはないのです。要するに、私以上に悪いことをしたやつはいないから。それが私の判断基準だったのです。ところが、二中ではそうではなかった。そういう時間の流れがあります。
 それから、教育長が使われている言葉の中に、共通理解という言葉がよく出てきます。私、とても大事な言葉だと思っているのです、共通理解という言葉が。共通理解ということは、要するにカウンセリングマインドを持つことをみんなで理解しようぜと、そういうことだと思っているのです。ところが、それに共通理解、共通行動という言葉がつくと、ちょっとのことを見逃すと、子供たちはどんどんエスカレートしてしまうから、みんなでそれを食いとめようと、本気で怒りましょうと、こういうことではないかと思うのです。
 まさに二中の場合、二中のこの指導方法は、共通理解と共通行動の中で起きたことであって、要するに、4回のお菓子を食べたということが、教師は許せなかったのです。許せなくて、本気になってしまったのです。お菓子を食べたということに本気になってしまった、それが私は、この事件を引き起こしていると、そういうふうに思っています。教師が本気にならなくてはいけないことは、ほかにたくさんあるはずなのです。どうやったらこの子を学校に来させられるのだろうかとか、どうしたらこの子がわかるようになるのだろうかとか、そういうことを教師は本気で考えなくてはいけないのです。ところが、学校の小さな決まり、それを守らない、これを守らせるということに本気になってしまった。それは違うのではないかなと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 高邑議員、時間がもうなくなりますから、最後まで言わないと。通告分の。
〇11番(高邑朋矢議員) ええ、大丈夫です。
 四つの質問です。教育長は今、二中で起きた事件をどのように考えていますか。あの事件は、教育長は学校に責任はないと、あの指導法に間違いはなかったのだと言われているのですけれども、本当に今でもそういうふうにお考えなのでしょうか。カウンセリングマインドは、あの指導の中にあったのでしょうか。それをまずお聞きしたいです。
 それから、管理職試験のことをちょっと書いたのですけれども、いろんな管理職の方と私は会ったのですけれども、やっぱり子供と仲よくするなとか、みんなでとにかくいい学校だ、いい学校だと言いなさいと言うような人が、どうして管理職になれるのかわからないのです。
 それから、英語教育のこともちょっとあったのですけれども、AETの先生がいらっしゃった、でも全然全く英語もしゃべれない、全く会話ができない人が管理職をやっているわけです。何で難しい管理職試験に通った人が、そういう基本的な英会話もできないのでしょうか。何か特別な仕組みがあるのでしょうか、それをちょっとお聞きしたいと思います。
 それから、今度新しく英語教育が導入されるということで、私はとてもいいことだと思っているのですけれども、今までAETの方が来られて何年間かたっていますけれども、実際に英語の授業をごらんになったことがありますか。私は、それをちょっとお聞きしたいのです。
 それから、AETの方が来て、子供たちが本当に英語がしゃべれるようになったのでしょうか。どう思われますか。
 それから最後に、規則を守らない生徒、例えば頭髪が黄色いだとか茶色いだとか、服装が、スカートが短いだとかいう生徒を学校に入れないという中学校があるのです。その学校に、やっぱり行った先生たちは、最初の出会いから、私も二中に行ったときに、ルーズソックスをはいてきた女の子がいきなり家に帰されてしまったので、とてもびっくりしたのですけれども、学校にとにかく来たという子を、なぜ服装がおかしいということで帰してしまうのでしょう。そのルーズソックスの女の子は、結局は不登校になりました。そんな権利が学校にあるのですか、それをお聞きしたいのです。そういう学校が今現在もまだなおあるということをどう思われますか。
 それから、そういう学校の規則を守らない子を教室から排除して、特別に授業をやると。特別の教室に詰めて、プリント学習をやったり、あるいは先生が話をするという、個別指導という、そういう指導をやっている中学校があるわけですけれども、そのことについて教育長はどう思われますか。
 以上4点を、全小中学校の教員のリーダーとして答えていただきたいというふうに思っています。よろしくお願いします。
〇議長(三村邦夫議員) 暫時休憩いたします。
   休憩 午前10時51分
 
   再開 午前11時06分
〇議長(三村邦夫議員) 休憩前に引き続き会議を開きます。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 教育問題にお答えをいたします。
 カウンセリングマインドについて、たくさんお話をお聞きしました。長いお話だったので、私も一つだけ、答弁の前に、カウンセリングマインドについて自分の体験をちょっと申し上げたいと思いますが、私も同じような体験をいたしております。
 小学校のときに、家庭科室でほうきとボールで野球をやっていて、校長に見つかりまして、後で職員室に担任から呼ばれました。「何か言うことはないか」、そのときはわからないで下を向いていましたが、とにかくしかられるな、何か怒られるなということはわかりました。そして、「あんなことをして、まさかおまえが」と、一言最後に言われました。その最後の言葉で、自分で涙をこぼしたのを覚えております。
 以後、教師になって、自分の教えた6年生の子が、浦和市のサクラソウのところへ行って、あれは天然記念物で、取ってはいけないものを取って持って帰ってきた。そして、それがわかって、その子を私は職員室へ呼んで、同じように、大変しっかりした子でしたから、「あんたはリーダーなのに、まさかおまえが」と同じことを言いました。それは、自分が身にしみて感じた言葉だからであります。その子は、それだけで終わりになりましたが、やっぱり涙をこぼして職員室を出てまいりました。
 教育というのは、そういうふうに、一言一言の言葉の中で、いろんな影響を相手に与えるものだということを、改めて、お互いに共通理解で、最初にお話ございましたが、カウンセリングマインドという言葉については、お互いに共通なものを持っているというご質問がありましたので、あえて私も同じようなことがあるということで申し上げました。教育にとっては、一番大事なのは、そういうハートとハートだろうなといつも思っております。
 ご質問にお答えをいたします。二中のこの件につきまして、現在どう考えているか、これはもう大変答えが難しいところでありますが、いつも私の心の隅では、これはなぜ起こったかということについては課題でありますし、起こらないように今進んでいるかどうかということも課題であります。ということで、考えているかといえば、今も相変わらず課題であるという答弁にさせていただきたいと思います。
 二中にカウンセリングマインドがあったかという、こういうご質問であります。カウンセリングマインドの概念規定がいろいろあると思うのです。今のように、いわゆる相手の気持ちになって、あるいは相手の気持ちを聞いてという、聞いてあげるというようなカウンセリングマインドの考え方もあれば、相手の身に、立場に立って、その子供をよりよくしてあげようというふうに考えて接することもあれば、カウンセリングマインドの考え、概念規定がいろいろあります。私は、学校のいろいろな校則をつくるということについては、このカウンセリングマインドの一環というふうに考えております。つまり、この子供をきちんと社会生活ができるように、生活習慣を身につけさせてあげなければいけないのではないかというのが出発点であろうと思います。社会生活ができないで、自由奔放で、他人に迷惑をかけても何も感じないというような子であったらいけない、それには規則なら規則を守るということが基本的に大事なことであるという、そういう社会生活の基本をやっぱり身につけてあげる、それはその子の気持ちを考え、その子をよくしてあげたいという気持ちから出発することだろうと私は思っております。そういう意味で、カウンセリングマインドはあったかといえば、一生懸命校則をつくったりして、しっかりした学校生活を送りなさいという学校の姿勢については、私は広い意味でのカウンセリングマインドはあったと考えております。
 次に、2点目であります。管理職が英会話ができないのはなぜか、これはちょっと回答に困るのですけれども、管理職試験に英会話の試験はありませんので、実際問題、教員の中で英会話ができる教員というのはごく少数であります。うっかりすると、英語の教師でも、完全な英会話というのは難しいというふうに言われておりますし、英会話の力を身につけるというのは、これは大変なことであります。一般の社会にある、専門の養成所がありますね。具体的な名前を出すとちょっと支障があるのでしょうから、駅前にいろんなあれがあります。大体、1年通っても、まだ片言が精いっぱいというのが普通なようで、そういう話を聞いたことがあります。大変英会話というのは難しいので、次の英会話の授業を見たかということについては、もちろん見ましたが、話せるようになったかということになりますと、まだとてもそこまでいくような段階では現在ないわけでありまして、そんなに簡単に話せるようにならないということも、私はいろいろと聞いております。
 それで、自分も片言でしゃべろうとしても、難しいなと、本当に難しいと思います。そういう意味を含めますと、私は、英会話というのは1年やそこらで身につくものではないという基本を持っておりますから、系統的に9年間を通してしっかりと、小学校1年から中学3年までの間のカリキュラムをつくって、段階を踏んで指導を進めるようにということで指示して、今カリキュラムを作成しているところであります。話せるようになったかならないかということは、今後の問題ということでご理解賜ればと思いますし、管理職の英会話ができないことについては、これはそういうシステムではなくて、できればいいのでしょうけれども、現在のところ、できない者が多いと言うきり言いようがございません。
 四つ目の質問でありますが、例えば茶髪で学校に来た場合に、登校した場合に、学校は学校へ入れない、家に帰す権利があるのかどうかということであります。これらは、法的に争われた時代があります。それで、福岡地裁で違法ではないという判決が出ております。というのは、そういう格好で来て、まず学校の規則を守ろうとしない気持ち、あるいはそういう服装で来た場合に、もう授業を受ける気がない、もともとから先生の言うことを聞く気持ちがない、そういう者を受け入れることがいかがなものかと、それは当然指導すべきであろうというようなニュアンスの判決であります。個別指導についても同じであります。これも、個別指導についても、やはり判決で、必要に応じてそれは可能であるということが出ております。
 本市で、個別指導が実施に行われております。これも私ども承知しております。その例を、逐一私どもも把握をしております。必ず校長が事前に相談があります。全部そういう事例を比較しながら、この例の場合には確かに必要であろうと。そうしたら、次には親御さん、保護者と必ず相談をいたします。保護者と相談の上で、お互いに理解し合って、ではこの部分は家庭で、この部分は学校でというふうに、お互いに指導の分担分けをしたりしてやっているのが普通でありまして、学校が勝手に一遍に帰れというようなことではなくて、前段階、再三指導を加えながら、どうしても他の子供に迷惑がかかる、あるいは学校へ来て全く勉強する気がなくて、例えば壁をけ飛ばして壊しながらわめいているとかいうようなことのときには、やむなくこういう個別指導を進めていますということでご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 「まさかおまえが」という経験をされているそうなのですけれども、陵平の場合も「まさかおまえが」だったと思うのです。「まさかおまえが」というのが、全員の教師に同じように言われたことで、彼は非常に大きな罪の意識を感じたのだと思うのです。
 彼は、確かにそこで反省をしています。反省文が、ここに「反省文 2年5組 大貫陵平」。
   僕は、9月29日、昼休み中に〇〇君たちとベ
 ランダに出て話をしていました。そのとき、〇
 〇君がハイチュウを食べていて、僕も食べたく
 なって、ハイチュウをもらって食べてしまいま
 した。今思えば、本当にばかなことをしてしま
 ったなと思います。
   お菓子を食べている人は、2学期に入ってか
 ら少し見かけていましたが、一度も注意しませ
 んでした。議長で、中央委員で、部長で、班長
 で、みんなにたくさんの仕事を任されている自
 分が、注意一つできなくて、ついには自分自身
 が食べてしまったのが情けないです。
   また、池田先生が一人一人確認をとっていた
 とき、「全員大丈夫です」と言っていたけれど
 も、そんなわけもないのもわかっていました。
 そのとき何も言えなかったことを、今では何を
 やっていたのだろうと思います。本当に済みま
 せんでした。
   ライターを持ってきたのは僕です。スプレー
 とかにはつけてはいないけれども、持ってきて
 しまいました。そのときは、軽はずみな気持ち
 でした。別に何をしようかと考えずに持ってき
 ました。
   今後どのように罪を償うか考えた結果、僕は
 2の5の教室を、放課後、できる限り机の整と
 んとごみ拾いをします。また、合唱祭の練習を
 たくさんして、みんなをリードして、一生懸命
 頑張ります。仕事を進んでやり、みんなのクラ
 ス、学年の役に立てるよう頑張ります。これか
 らは、十分に注意できるようにします。
   今回は、先生方の貴重な時間をたくさん使っ
 てしまって、本当に済みませんでした。今後、
 絶対にこのようなことがないように、気をつけ
 て学校生活を送ります。済みませんでした。
 これは、完璧な感想文なのです。「まさかおまえが」ということに対して、彼はこういう感想文を書いているのです。物すごく反省をしているわけなのです。
 ただ、そのときに、本当に私らが今考えなくてはいけないのは、本当に彼はそんなに罪を犯したのかということなのです。臼倉先生の小学校のほうきとボールの話もそうですけれども、大したことではないではないですか。違うのですか。学校の規則に書いてあるから、それを破ったら、本当に人として恥ずかしいことなのですか。
 私は、休み時間にお菓子を食べた生徒がいたら、「おれにもくれよ」と言いました。一緒に食べました。学校の規則はそうかもしれませんけれども、とりあえず「ごみはごみ箱に捨てろよ」「朝飯はちゃんと食ってこい」、私はそういうふうにしていました。もっと、教員って、違うところに本気にならなくてはいけないのではないでしょうか。こういうことに本気になるという共通理解が、私は怖いと思っているのです。行き場がなくなってしまうと思っているのです。
 しかも、このことで親に電話をしているのです。これは非常につらいです。私、この議会に来てちょっとびっくりしたことは、市長の一番最初の施政方針のときに、結構お休みになっている方がいらっしゃったのです。私も眠くなってきたりしたので、余り人のことは言えないのですけれども、教育長もそういうときがありました。そのときに、私はそれは大したことだと思っているのではないのです。市民の皆さんはまた別の問題で、いろいろな事情があるでしょうから、ああ、お疲れなのだなと、そう思っていましたけれども、そのときに、もしも執行部のみんなから、教育長はリーダーなのに、市長の話を聞いていなかったではないか、全員から言われて、反省文を書かされて、家族に通報されて、寝ていましたよと通報されて、あげくの果てに全小中学校の教員の前でリーダーとして決意表明をしなさいと言われたら、教育長はどういう感じがしますか。私が言っているのはそこなのです。陵平は反省をしているのです、もうこれで十分ではないですか、これだけ反省文を書いて。何でこんなことで、親に電話をして、親に学校に謝らせに行かされて、そこが私は納得できないのです。
 それからもう一つ、ここの教師集団が私から見てアマチュアだなと思うところは、子供たちの世界の中で、だれかの名前を言うということは、これはタブーなのです。わかりますか、これはいじめの原因になるのです。一番のいじめの原因になるのです。教師にちくるというのは、言葉は悪いですけれども、子供たちの中では最低なのです。5人の子供たちが最初につかまって、21人に最後になったということは、16人の子供たちは、彼らから言うと教師に売られてしまっているのです。いつ、売った子たちが、これはいじめに遭ってもおかしくないのです。どうしてそんなことを、そんな簡単なことがわからなかったのかなと私は思うのです。本当にこれ、プロとしてはおかしいのではないかと。私は、ここはやっぱり違っていたのではないかと思うのです。それをどうお考えでしょうか。
 それから、管理職試験に英会話はないということなのですけれども、さっきちょっと仕組みということもお聞きしたと思うのですけれども、テストを多分されると思うのです。そのときに、内申書みたいなものはあるのでしょうか。私も教員を21年間やってきて、よくわからなかったことの一つなのですけれども、本当に公平なテストで、問題が公になって、そして点数が全部発表されて、そしてトップの方から受かっていく仕組みが本当にあるのでしょうか。それとも、高校の入試のように、担任の内申があって、半分は内申で見ると、あるいは最初から内申で切られると、そういう内申とテストと両方のシステムなのでしょうか。それをちょっとお聞きしたいなと思うのです。
 それから、確かに法的には、規則に従わない生徒は登校させないと、それはわかるのです。ですけれども、一番最初の始業式にそれをやるということは、本当に学校として正しいことですか。要するに、初めて会う先生と、初めて会う生徒なのです。その先生の会い方によっては、子供が変わる可能性があるではないですか。そのチャンスを、どうして最初から逃してしまうのでしょう。もうこいつは無理だと決めつけているから、帰すのではないですか。何回も何回も指導してきた、でもそれは、指導の仕方がもしかしたら間違っているのではないですか。子供は教員で変わるのです。教師の姿勢で変わるのです。信じなかったら、絶対に生徒は教師を信じません。最初から疑ってかかっていくような、規則を破っているから、おまえは来なくていいのだと、法的にもこうなっているのだと、それで本当にいいのでしょうか。
 この間、委員会で、二中の電気がずっとつけっ放しだったという話をしました。その後、六中の電気もつけっ放しになりました。どうしてか。職員室のガラスを割られるのが怖いのです。要するに、自分たちの指導に自信がないから、職員室の電気をつけっ放しにするのです。子供たちに間違ったことをしていなければ、電気なんて消していって平気なのです。最初から子供を疑っているではないですか。新座市のリーダーとして、教育長はそれが正しいと本当に思っておられますか。2回目の質問を終わります。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 お菓子を食べることは大したことではない、ここいら辺から見解が大分違うかなと。小さなことの積み上げが大きなことになります。私は、いつもそう思っております。
 この間、「学校教育だより」にも、ブロークン・ウインドーズのことを書きました。やはり、まちにたばこ一つ落ちていたら、みんながそれを拾ってしまう、壊れているところがあったら直す、お互いにそれをやっていくと、みんなが自然とまちをよくしていくと、そういう内容でありますが、私はまさに同じだと思っているのです。お菓子では小さくて、ほかのことでは大きいという、そういう大きい小さいの比較は教育にはできないように思います。そのケース・バイ・ケースによって、やはり対応するのが本当であろうし、学校として決まりは決まりできちんと設定することは非常に大事なことと思っておりますから、子供の世界でちくることがタブーになっている、これはもう十分承知をしております。こういう実態の中でどうするかということで、今まで頑張ってきているのが学校だというふうに思っております。
 管理職試験については、内申書、テスト両方のシステムなのかと。内申書と言っていいかどうかちょっとわからないのですけれども、これは県の教育委員会が実施するものですから、市の責任で行うものではなくて、県の試験でありますので、市で答えていいのかどうかちょっとわかりませんけれども、承知している範囲では、私どもが出す範囲では、当然志願書というのがあります。これを、受験する人はみんな知っているわけです。毎年、40人、50人、60人と受験しておりますが、そういう人はみんな形式は知っております。校長の推薦書、評定書等があります。それから、当然テストがあります。テストは、論文、論文も長論と短論といいますか、短い論文、それから面接は個人面接、集団面接、いろいろあります。試験が全部一通り終わると、試験官十二、三人の採点が、大体見当ですけれども、あるようであります。これらについての詳しいことは県でありますので、今の数字についてはちょっと責任を持ちかねますけれども、おおよそそんな見当かなと思っております。
 始業式に、初めて教師の会う日に帰したということであります。こういうことにつきましては、あくまでも個別の問題になってきますから、ここで一般論を述べることは私は非常に危険だと思っております。したがいまして、学校の校長の判断でやっていることなので、私はその校長の判断を当然学校の中で協議をしながら行っていることと考えておりますから、それはそれで一つの方法と考えております。
 それから、各職員室の電気のつけっ放し、これは学校が自信がないからだと、こういう発想は、学校は生徒指導の自信がないからという発想の意味に今受け取れましたので、そういう発想はまずほとんどゼロに近いのではないかなと。つまりだれがやっているのだかわからないです、これは。どういう人が来てやるのだかわからない。特に行事等があると、その前日のあたりにねらわれることが多いわけであります。したがいまして、大きな行事があるときにはつけておいて、それを一つの防御の姿勢にするということであって、子供に対して自信がないからやるのだという、そういう発想は全くない、管理上やっているということでご理解をいただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 小さなことの積み重ねが大きなことになると、そういうふうに思っている人が多いのです。私は、それがおかしいと思うのです。例えば、名札をつけていない生徒がいます。それをほうっておくと、みんな名札をつけないのでないかという発想なのです。スカートが短い生徒がいる、そうするとみんながミニスカートになってしまうのではないかと、こういう発想なのです。
 昔、五中にいたときに、ソックスというのが、三つ折りにしなければいけないというふうに言われた時代がありました。一番初代のころです、石島議員が生徒のころですけれども、そのときに神宮寺先生が、三つ折りにしなさいと、これは学校の規則ですと言ったので、私は職員会議で手を挙げて、「何で靴下を三つ折りにしなければいけないのですか。僕の今の感覚では、三つ折りというのはおかしいのではないかと思うのですけれども」と勇気を出して手を挙げましたら、神さんが一言、「三つ折りの靴下のことをソックスというのです」と言って、そこで職員会議が終わってしまったのですけれども。要するに、三つ折りを伸ばすと、今度はハイソックスが出てくるだろうと、ハイソックスを許すと今度はワンポイントが出てくるだろう、ワンポイントが出てくると色物が出てくるだろうと、こういうような発想なのです。だけれども、私が言いたいのは、そこに教師が本気でそれを注意する人がいたっていいです。いいけれども、本気でみんながそんなことに集中していいのかということなのです。
 私が現実に、六中にいた時代、自慢ではないですけれども、うちのクラスの子供たち、女の子は、ルーズソックスではない子が1人しかいませんでした。ルーズソックスではない子が1人しかいませんでした、私のクラスは。だけれども、勉強はできましたし、みんなの目は輝いていましたし、やることはやっていました。一方、同じ新座市の学校なのに、片や、1人のルーズソックスの女の子が、これはもう、おまえ何だという顔をされて排除されていくと。同じ新座市です。何で同じ新座市でそれだけ違うのかと。
 それで、校長の意向に従うしかないと、そういうふうに言われましたけれども、では校長が間違っていると思われたことはないのでしょうか。その排除していく方は、例えば生徒がブルマーをやめてくれと幾ら頼んでも、いや、女子生徒はブルマーだよと言い続けた人なのです。広島に修学旅行とずっと決まっていたのに、突然京都、奈良に変えてしまったわけです、職員会議で大反対があったのに。署名運動が何千も集まったのに、たった一部の人が反対していますからという理由で、職員会議もみんな賛成しましたとか言って変えてしまうわけです。どうしてそれが、その人の判断が正しいというふうに、校長になると何でも判断正しいのですか。おかしいではないですか。
 個別の指導だから、いろんな時系列はもちろんあるのです、それはわかります。だけれども、とりあえず生徒だって、新しく来た先生がどんな先生か、もしかしたらと思うではないですか、少し期待して来るのです。それを最初から、校門から入れないで帰してしまうと。これは、子供の側から見たら、おまえ、不良になれよと言っているのと同じではないですか。もう学校はおまえを必要としないよと。確かに学校の規則は大事かもしれません。でも、もっと大事なものがないですか。リーダーとして本当にそれをおっしゃっているのですか。新座市の子供たちに大事なことは、学校の決まりを守ることなのですか。もっともっと温かいものはないのですか。私は、それをお聞きしたいのです。
 教育長だって、間違いがあるではないですか。私もたくさん間違いをしてきました。それをみんなで寄ってたかって、小さなことだから、小さなことは大きくなるに決まっているのだからといって、13歳、14歳、15歳の子供たちに学校の決まりを押しつけていくことが本当に新座市の教育なのですか。新座市の中学校を卒業して、どこかの高校へ行ったら、どこも通用しないのではないですか。学校の決まりなんて、中学校を卒業したらどこへも通用しないのです。本当の学力をつけることではないのですか。学校が楽しくて楽しくてしようがない、新座市の学校はどこも楽しいと、そういうのを目指すのがあなたの仕事なのではないですか。
 もう一度お尋ねします。あの陵平に対する指導は、本当に何の間違いもなかったのでしょうか。学校に本当に責任は全然ないのですか。ごめんなさい、済みませんと言った方が、学年主任の方が言われたそうですけれども、申しわけありませんでした、たった1人の先生です。
 では、どうして、ご両親が何が指導があったのかということを尋ねられたときに、1か月間も何も答えないのですか。学校に隠したいことがあったからではないですか。自分たちの指導が間違っていると思ったからではないのですか。もう一度お尋ねします。答弁してください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 どこまでがご意見で、どこが質問なのか、ちょっと判読が難しいのですけれども、校長が間違っていることはないのか、これはもう、そのときそのときの校長が精いっぱい判断したことであって、結果は当然後で出てくるものであろうと私は思っております。人間だれでも、そのときに精いっぱい頑張って、いろんな情報を集めながら、自分としてこれが正しいと実施しているのが校長でありまして、それを正しいとか正しくないとかという判断を私の方からはできません。
 規則より大事なものはもっとあるのではないか、これは教育の価値の問題で、では規則なければいいのかという問題になってくると、またこれは別の問題になってくる。このお菓子の問題は、何度も指導を繰り返して、結局広がり始めている現状があって、こういうところから学校の生活の崩れが出てくるのだという学校の判断です。随分指導した結果、先ほど時系列という言葉を言われましたけれども、まさにやった結果、結果的にどうしてもだめだから、最後には学年で指導したということであります。そういう規則を守れない者をきちんと守らせる指導、これは学校は絶対に大事なことです。温かいものがあるとかないとかというのは別問題、規則を守らせること自体が、私は教師の一生懸命の情熱だと思っています。温かいといったら、それ自体が温かいと思っている。
 中学校を卒業したら役に立たないのかどうかという結論も、私はそういう規則を、その規則が高校へ行って役に立たないのだというふうに言えるのかどうか、私はそういうことを身につけていくことが大事というふうに思っております。
 1か月も何も答えないということがありましたけれども、この答えたか答えないかにつきましては、いろいろな事情があって、答えたか答えないかについて答えられません。当時、いろいろなことがありました。それだけです。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 今の話で、精いっぱいやったのだからいいのだと。精いっぱいやって、本気でやって、本気でそれが正しいと判断したのです。私もそう思っているのです、彼らは本気だったと。でも、本気だったから、死んだのではないですか。本気でやったから、陵平は死んだのではないですか。それで何で間違っていないのですか。子供が1人死んでも、本気でやった、だからいいのですか。学校の規則の方が、陵平の命より大事だというのですか。本気でやりました、判断しました、いいですよ。その結果、子供が1人死んだのです。命が1個なくなったのです。それでも、規則を守らせることが大事だというのですか。規則って、そんなに大事なのですか。
 そうしたら、教育長、きのうだって携帯電話鳴っていたけれども、おかしいではないですか。議場に携帯電話を持ってきてはいけないわけでしょう。だけれども、私はそんなことを、くだらないことだと思っているのです、私だって今ここに入っているし。だけれども、みんなで本気でそれを怒ったら、おかしくなってしまうのではないですか。学校の決まりを守れという先生がいたっていいのです、昔からいるのだから、怖い先生は。だけれども、そのことにみんなで本気になることが怖いと言っているのです。子供を追い詰めていくと言っているのです。
 私は、21年の中学校の経験から言っています。先生がどれだけ中学校を経験されているか知りませんけれども、子供をよくすることが学校の目的ではないのですか、教育の目的ではないのですか。学校の規則を守ったら、子供はけがしようが、死のうが、どうしようがいいのですか。一生懸命先生がやれば、結果はどうだっていいわけですか。一生懸命やって、間違ったらごめんなさいではないのですか。子供がこれだけごめんなさいと言っているのです、間違っていましたと。何で教師が言えないのですか。何で新座市の教育界のリーダーであるあなたがごめんなさいを言えないのですか。おかしいと思わないですか。本当に大事なのですか、子供の命よりも、学校の決まりを守らせるということが。もう一度お尋ねします。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 命の問題と規則の問題とを並行で論争すること自体が、私はちょっとできないことだろうと思っております。命というのは絶対的なものでありますから、何よりも優先するというのは当然のことであります。それを、規則云々で、規則と命とどちらが大事なのだと言われても、それは当然、命の方が大事ということは当たり前のことでありまして、そういう論争だとちょっと言いようがないのですけれども。
 当時学校では、何回も保護者会を開いたりしております。そのときに、参会者の一人に、これはそのことが起こった随分後のことでありますが、「兄のころに比べて、ますます学校は明るくきれいになり、子供は学校が楽しいと通っている」と。「茶髪でもいいというような考えも出てきているようだけれども、それは納得できない」、参会者がみんな、大勢の意見として拍手したというような記録もございます。
 そういうことで、規則を守るということは、私は大事なことだと思っています。これがなかったら、全くフリー、社会生活の基本ができなくなると私は思っております。だから、とにかく学校は社会生活がきちんとできるような基礎基本を身につけさせてあげる場所でありますから、したがって、学校がこういう規則をきちんと決めて、皆で守ろうよとやって、みんなが守っていて、しかし守らない子ができてきた、それに対して指導したことについて、私は何ら問題ないと思っております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 規則を守らせることが何ら問題はないということなのですけれども、では、休み時間にお菓子を食べてはいけない、ベランダへ出てはいけないという規則は必要だったのですか。本当にとても大事な規則でしょうか。だって、規則って幾らでもつくれるのです。教師がつくってしまえばいいのですから。勝手につくれるのです。違いますか。
 例えば、4月から10月までは半そで、短パンのことと規則をつくれるのです。掃除のときは半そで、短パンのこととつくれるのです。つくったことは、みんな守らなくてはいけない。それがリーダーとしてのお考えなのでしょうか。
 命が何よりも優先、では、何よりも優先だったのに、どうして何が起きたのかというご両親の問いかけに対して、その当時の校長は、出張がありますからとか研修がありますからとか、そういうことで逃げられてしまうわけですか。命が何よりも優先だったら、陵平のことが一番大事ではないですか。研修よりも、出張よりも先に、陵平のことを考えるべきではないのですか。口では命が優先と言いながら、学校の規則を守らせることの方が大事だとおっしゃったように私には聞こえるのです。
 規則が守れなかったらどうなるのだ、本当に大事な規則とそうではないものがあるのではないですか。本当に大事な規則が、お菓子を学校に持ってこないだったら、教員だって持ってこなければいいではないですか。何で職員室、お菓子食べているわけ。ラーメン食べている先生だっています。お茶飲んで、コーヒー飲んで、たばこ吸って、最近はたばこは吸っていないみたいですけれども。本当にみんな守っていますか。体育教官室で吸っている人だっていますよ、今現在。
〇議長(三村邦夫議員) 時間です。
 答弁願います。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再々質問にお答えをいたします。
 基本的に平行線かなというふうに考えは思っております。例えば、校則を教師が勝手につくるという、こういうような考えになってしまうと、私はやっぱり学校への不信感が出てくるのだろうなと思います。学校が勝手につくるという、そういう発想ではなくて、学校は子供をよくしたい、あるいはしっかりした学校をつくりたいということを考えて校則を一生懸命つくっているのであって、勝手に好きなことをやっているような意味でとられると、これは違うのではないかと思うわけです。
 先ほども申し上げましたが、命の問題と校則の問題とはまた違うものだと。命はもう何よりも優先するというのはそういう意味でありまして、規則が大事だから、命をどうとかということは、これは全く別問題であります。そういうことで、校長が出張云々で会わなかった、会ったというような問題の経過も、私としては承知をしております。いろんなことが当時ありました。本当に出張で、どうしようもない出張で、日にちを変えてくれと言ったこともあります。それは、いろいろな経過があります。一部分だけではなくて、時系列がそれこそいろいろありますので、ということでご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。
 1時まで休憩といたします。
   休憩 午前11時46分