2010年11月20日土曜日

心理の専門性ってなんぞや。という話をしたあとに考えたこと。

ツイッターでここ2,3日、心理の専門性ってなんぞや、みたいな話が
一部で盛り上がっておりました。

色々、心理士資格や心理職や心理学(このへんは混同しちゃならん)の抱える問題ってのは
あるわけで。とかく日本文化では、これらの「心理」一連のものが生き残れるのかどうか
私は結構あやしいよなあと、心理を目指した頃から思っていて
正直、まあよくここまで認知度あがったもんだ。でも、どう考えても一時的なものでしょ、
という気持ちは、ずーーーーっと持ち続けている。

そういう、冷ややかな(冷静、という意味ではない)視線を
”日本における「心理」”全般にふりそそぎながらも
私は、心理学部卒で、臨床心理士で、心理職で、心理司なわけです。

だから、こういう議論があったら、喜んで乗る。考える。
これだけ危ういもので今、飯をくっている立場として
「心理なんて、いっときのブームよ」とだけ言っているわけにはいかぬのだ。

で、この議論の中で、ひとつ、「ああああ、ごめんなさい」と気がついたのは
心理が日本で生き残るための、社会へのアクションを起こす、ということを
私はまーーーーったく、やろうとしなかった。思いつきもしなかった。
誰かがやると思ってた。

でも、これは、現職の人間はすべからくその責任を負っているのだということを
この議論の中で気づかされた。

もし、それをしないのならば、心理職であることを辞めなくてはいかんと
そう思う。それが、曲りなりにも専門職という立場をかざして仕事している人間の
責任なんだと思う。


***

でも、私はいずれ、心理職であることはやめる方向にいくと思う。
学部を卒業したあとに、一般企業に就職した、その時の気持ちは
やっぱり私の根っこにずっとある。
心理の知識を使いながら、心理職じゃない形で、対人支援はできるはず。
という理想。

そしてその方法こそが、より多くの人へのアクセスを可能にする、あるいは
より多くの人からのアクセスを簡単にする、と思ってる。

私が最初に就職したのは住宅メーカーだったけど(そして内定後に
子会社の不動産賃貸会社に出向が決まったわけだが・・・orz)

それは、人がより多くの時間を過ごす住宅空間には
その家族や構成員の生活導線、ひいては、生きる価値観につながる何かが
かならず組み込まれていると思ったからで、
そしてそれをいかに設計するかによって、その人の生きやすさは絶対かわる、
カウンセリングなんかより、ずっとダイナミックに変わる。という信念があったから。

例えばそういう形で、当たり前に人が生活しているところにあって
普段あんまり重要視されていないようなものの中にこそ
鍵がある、ということを、いつも思ってる。

障害のある子どもさんを抱える親の、心理ストレスを解消するために
カウンセリングでも別にいーんだけど、

それよりは療育でスキルを身につけてストレスを減らすとか
そもそも気軽に外出とか旅行とか出来る店とか場所があるだけでも
全然違うでしょうに、とか
そういう、ダイレクトな支援、っていうのも、目指している方向のひとつかもしれない。

で、今は療育に近い(実際の療育が出来る環境にないので、療育的助言しかできてない)
ところを自分の仕事に組み込んでいるけど、
それもやっぱり「相談」っていう形でとてもかしこまったものになっちゃうのが嫌で
こりゃもう、気軽にいける店とかペンションとか、作っちゃうしかないべ、みたいな
そういう妄想でわくわくしている。

施設で生活する子の思春期の不安や行動化にも、今は助言やセラピーをしてるけど
この子たちが18歳になって、急に所在できる場所がなくなる、その不安をなくさない限り
助言もセラピーも意味なし!ということも思っている。

だから、就労先を作るなり開拓するなりして、賃貸で住める環境を作って
そこでは生活のヘルプもいれながら、自立の最初のステージをきちんと
整えていけるようなところを、作りたいなあとか。ね。

それは施設退所児童だけじゃなくて、多分、長い不登校で社会適応が困難な子とかも
受け入れていけるものに、育っていけるかもしれないし。

私がアプローチしたいのは、生きる居場所なんだよね。
もう本当にそれは、ぜーったい揺るがない。

心理職である今は、その「生きる居場所」を、
その人自身が作っていくののお手伝いをさせてもらってる。
今ある環境をどう受け止めるかによって、「生きにくい場所」を
「生きる居場所」に変えていく。

やり方はとってももどかしいけど、
どういう時間の使い方をするか、どういう行動をするか、を助言して
そこからダイナミクスを変えていくような。そういう感じ。
例えば、子どもを保育園に預けるだけでも全然違うでしょ。
個室を与えるだけでも変わるでしょ。
習い事して、外に出る時間を作ると生活かわるでしょ。

生活がかわると、気持ちがかわるでしょ。

そういうこと。そういうのを、すーっごい丁寧に検討して
現実的に出来ることを、ひとつひとつやっていく。

そのやり方がもっともっと自分の中でうまくなっていくまでは
今の仕事は辞めたくないと思うなあ。

***

ま、雑感。

2010年6月3日木曜日

スピリチュアル一考

小さい頃から、超能力とか魔法とかにあこがれていた。
テレパシーとか、瞬間移動とか、そういうの。

少し大きくなって思春期の頃には、
好きな男の子を想っては思念をとばす、
というのは出来ないものかと
夜寝るときによく色々やってみていたっけ。

大人になって、ようやく
そういう力は私にはてんでないんだなあーということがわかり
まあ大抵の人はそうやって平凡に日常を送るものよとあきらめたのだ。


その結論について今更、やっぱりあるかもーなんてことは
さらさら言うつもりはないにせよ
正直なところ、いわゆるスピリチュアルな力に近いものについては
もうちょっと開花させてみたいわーという興味は
いまだ持っていたりする。


そのせいなのか、どうな のか、
私は全くそれ関係でないところで知り合った人が
実はそれ関係のお人だったということが
気がつくと随分いっぱいある。

しかし、この方々はみな、まっとうにお仕事をされ
日常でそれにどっぷりということは全くなく
非常にノーマル、健全な方々であるので
私としては安心なのであるが

一方で、声高にスピリチュアルを話す人ほど
全然仕事についてもおらず
なにかそれ系の講習とか勉強とかに熱心だったりで


地に足がついてないというか
ふわふわとした妄想世界にどっぷりつかり
「お幸せ」な台詞をこれでもかというくらいに吐いている
私がもっとも苦手な人種だなあとおもわされる。

私も色々手を出しかけたが、結局やらなかった。
ヒプノセラピーも、ためしに一回受けてみようかと思って
予約までしたけど
思いなおしてキャンセルした。
もう相当昔の話だけど。


フラワーエッセンスは大学~卒業後しばらくは
安定剤代わりに使用していたが
今は全然使っていない。


そういうのよりも
海とか山とか空とか自然のエネルギーを体に感じることに積極的になり
星のめぐり、天候のうつりかわり、土地の持つエネルギー、
人の因果、偶然と必然、
そういう、当たり前にそのへんにある様々な事象に対して
興味深く見たりきいたり感じたり考えたりするようになった。

***


萩 尾望都の「11人いる!」というSFマンガ作品の中で
僧侶が、自分の故郷の星では占星術が発展しているという話をし
それを別の仲間が、あんなのはインチキだと言う場面がある。


僧侶は、一年に季節があること、朝と夜があること、潮の満ちひき、
それらはすべて星の運行によって左右されている、
我々生命体がそれらの星の影響を受けていないとなぜいえるのか、と
説明をする。

私はこのシーンが本当に大好きだ。


生命体に関わる自然界に敬意をはらい、親しみ、
その力を少しおすそ分けしてもらいながら生きる。
それはスピリチュアル云々じゃなく
人間が生命体として生きる、もっとも基本的な姿勢なんじゃないのかと思う。

まるでその力を、神様か何かからもらった特別なものと思ったら
大間違いだ。


前世だとかなんだとか、いろいろあるけれど
生きる不思議、死ぬ不思議、
生命の営み
何もかもは 不思議だらけで、それを人間がすべて解明できてるなんて
思うことはとっても傲慢だと思うのね。

そして、解明できていないものは、ないものとするのも
また傲慢だと思うのね。

不思議なものは不思議なまま、
そしてその不思議さに尊敬の念をもって
一緒につきあっていけばいいのではないのかしらと思ったりする日々。

2010年5月23日日曜日

私が心理士になったわけ。(自分の振り返りのために)

大学院時代にバイトしていた療育センターの心理さんからすすめられていた本
「ころんで学ぶ心理療法」を、昨日ようやく購入した。
アマゾンで購入したので、今はじめて開いてみたのだけど
思ったより文字が小さくて多かったのでちょっと困っている。笑。
(だって活字嫌いなんだもん。)

とりあえず目次だけ見てみたら、最終章の中の一節に
「心理療法家を選んだ動機を自覚しておくこと」とあったのが
なんとなく心にひっかかったので
そこだけ先に読んでみた。

それはよくある「自分が悩んだときの経験を活かしたい」という動機への警鐘を
比較的丁寧に書いてある一節だった。

で、あらためて、自分を振り返ってみた。

「私はなんで心理士という仕事を今してるのかな?」

実は、私の動機はすごく単純で
人間って不思議で面白くて、飽きないから・・・というのが
一番大きな理由だったりする。

というのも、私は、本当に熱しやすく冷めやすい性格で
3年以上興味が続いたものって、ほとんどない。

あんなにのめりこんだイラスト描きも、お芝居も、栄養学も、
サボテン栽培も、天文趣味も、文通も・・・
果てはSMAPにいたるまで(笑)
半年~3年くらいの間には、飽きてしまう。本当に。

その自覚は高校1年くらいの頃にはすでにあって
それで、私はこれでは、ろくに仕事を続けられないんじゃないかと思っていて
結構真剣に、「なんだったら続けられるだろう・・」と考えたとき

人間への興味関心は、もう何年もずっと持ち続けていて
これは多分一生かかっても、わからないことだらけで
でも目の前にいつでも人間はいて不思議をいっぱい感じるだろうから
これならいけるかも・・・と思ったのだ。

生きるとか死ぬとかいう根源的なものや
集団のもっている相互作用の不思議さとか
ありとあらゆることが面白くて不思議でわからなくて
それは自分自身も含めてそうで
それを知りたいなあ、という欲求は全然色あせることがなく
今もずっと続いている。

もう一つは、根っから、「困っている人がいたら助けなきゃ」的な精神が
割と旺盛だったという自覚がある。
これは親から受け継いだ精神性だと思う。
弟もこういうところが多分にある。

本当は、医者とか看護士を考えた時期もあったのだけれど
とてもじゃないが、血がだめだった。笑
成績もそんなによかったわけじゃないから、
医者はやめて心理にすすんだ、っていう、割と単純明快な動機。


***

ところが進路を決定して進学先の検討に入った高校2年の冬に
人生最大の不幸ともいうべき、家族を急に亡くすという経験をしてしまった。

それまで全くなんの迷いも憂いもなく安穏と過ごしていた日々が一転
家族も世の中もみんな不確かで不安定なものに思えてきてしまい
遅めの大反抗期+受験とかぶって心身症(今にして思えば)がでまくり
そこから先は、もう人生の暗黒時代。笑

若さと持ち前の勢いで、すってんころりん急降下、である。
今思えば必死だったよねえ・・・笑

なので、心理専攻にはすすんだものの
とてもじゃないが人間を対象にやる気が起きなかった。

それは被験者体験をしてますますそう思ったのだけれど
心理検査にしろ心理の実験にしろ
なんとまあ酷く人にプレッシャーを与え心を揺さぶる行為なんだと。

たまたま私が被験協力した実験の担当者が酷かったというのもあるが
こんなことに鈍感な人たちがもしこの先心理士になっていくのだとしたら
なんと恐ろしい世界なのかと、本気で思っていたのである。


他にも色々な理由があって、私は結局、鳩を使って卒論をしあげることにし
そのために行動分析という学問を勉強しはじめることになった。

***

そして、卒業後の進路を考えるときに
もう心理学という体系を使わずに対人支援ができることってないかと
色々な可能性を考えて
あえて心理ではない道に就職をした。

のだが、まだこの時期にも暗黒時代を抜け切れてはおらず
自分自身の問題をずっと抱えていたので
案の定、仕事と生活のバランスを崩し身体を壊して
半年で仕事をやめざるをえなくなった。

アルバイトをしながら、徐々に復調していくなかでようやく自分の問題も
解決をしていくことができ、大反抗期が収束した頃・・・
もしこの先、心理で仕事をしようと思うなら今が最後のチャンスだ、と思い
はじめて、お金を払ってカウンセリングを受ける、ということをした。

主訴は、そのまんま、自分が心理の道にすすむべきなのかどうなのか、
を考えたいっていうような感じだったと思う。

***

結果的に、やっぱり人間が好きで対人援助をしたい思いがあって
でもやるなら行動分析でやりたくて
というわけで、応用行動分析でもなんとか仕事の口が見つかるだろうからと
どうにかピンポイントで進路を絞り込むことが出来そうだったので
そこで大学院に進学した。

どちらかというと、「やりたくない」分野がいっぱいあったので(笑)
大学院でも選択科目は結構厳選していたような気がする。
やりたくないっていうのは、自分がその分野でちゃんとやっていける気がしてなくて
無理してクライアントをとって酷いことをしたくなかったからであって
カウンセリングが嫌とかそういうことではない(向いてない、とは思うけど)。念のため。

みんながカウンセリングの授業をとっていても私はとらなかったりとか。
スクールカウンセラーのインターンに登録してても、私はしなかったりとか。

そのかわり、勝手にハローワークにいって療育センターのバイトを見つけて
仕事してたりとか。笑

でも、学校現場を全く知らずに卒業するのはいかんと思い直して
小学校の心の相談員という仕事をさせてもらうことになった。

この小学校の紹介については、私が他の院生より一年近く遅れて
学校の仕事を紹介してほしいと、先生に相談にいったという事情があり
その時にたまたま募集があった学校に派遣されることになったのだが
(他の院生は中学校のSCインターンに派遣されていた)

この小学校がまったく偶然にも児相おかかえの小学校で
私が目指していた「ソーシャルワークでの支援」というのを
体当たりで学ぶことができる学校だった。

でも本当に、シビアできつかった。
週一で行っていたのだけど、先週いた子が今週いない(保護された)とか
苗字が変わる子もとても多かったし、
小学2年生の子が普通に「ママの彼氏が」とか「ママの”おともだち”が」
っていう会話をしているようなところだった。

ベテランの先生陣が福祉的観点を持ちながら動いていたし
その中で心理の学生の意見を取り入れたいという動きも強かったし
本当にいろんな意味でここで働けたことは幸運だったと思う。

心理療法、というひとつのものに頼らずに
でも、私が専門で勉強したのは、心理なので
心理士という立場にたちながら仕事をしよう。
でも、私がやりたいのは、あくまで対人支援。

というスタンスは、ここでおおむね確立したような気がする。

***

なので二度目の就職先探しは、「福祉の現場」「多職種が連携しあえるところ」
「ソーシャルワークが活きるところ」ということで絞り込んだのだけれど
結果的にそれが最もかなう今の職場に就けたことも
本当に幸運だったと思う。

***

心理というものへの単純な興味関心があり
加えて、自分がモチベーションをもって続けられる条件を満たすような職場があって
そしてそこに就職できたので
幸運にも心理士として仕事をしていられる

というのが、多分、私が心理士になったわけ、なんだと思う。

***

それで、多分、その条件というのは
結構柔軟に変化していくものだというふうに思うので
私がいつまで心理士でいるかは、未定だったりする。

そんな感じかなあ。

2010年3月6日土曜日

療養生活雑感。

抑うつ症状が出始めたのは去年の10月頃。
職業柄、ある程度勉強はしていたから、おこっている症状の中身を
なんとはなしに自覚することは出来ていた。

それがどう経過していくだろうかなあ、というのを様子見しながら
1ヶ月過ごした。

有給休暇が残り少なくなりいよいよ病欠をとらなくてはならなくなったのもあって
病院を受診したのが11月末。
症状の自覚から約1ヶ月以上が経っており、
この頃が一番進行がはやかった気がする。

ちょうど重いケースの担当になり、
毎日のように突発的な事態が生じたのも、受診のきっかけにはなった。

ケースの状況が日に日に厳しくなってくる、というのはつまり、
心理士としての自分のコンディションが悪いからそういう状況を招くのだ、と
私は考えている。

いわゆるアクティングアウトと呼ばれる、クライアントの行動化は
少なくとも私の目の前や私に見えるところでおこっていることについては
私の状態との相互作用の中で生じるものだ。

このまま仕事を続けていたらさらに子どもが行動化をおこすきっかけを
私が作り続けてしまうのだ、ということに自分で気がつけたのには
ちょっとだけでも精神療法の勉強をはじめていたことが役立ったと思う。

ただ、もっと早く気がついたらよかった、ということも多く
あらためて自分の仕事の難しさと危うさを痛感した昨年だった。

11月末からの療養生活は、療養生活に慣れるまでに数ヶ月かかったが
その間、本当に全てのことが一旦リセット状態になって
それはとても不思議な体験で面白かった。

こんなにも多くのことが出来なくなる、
脳みそが容量オーバーして一旦機能停止しているような
パソコンがフリーズして再起動もできないようなそんな感じは
新鮮そのものだった。

当然、頭痛や倦怠感や食欲不振などの身体症状もきつくでるので
つらくないといえば嘘になるけれども
認知機能がおそろしく低下している中で
動物的に、あるいは、私の個性として、心地よいものが発見できるというのは
とてもとても大発見で、何だか、世界の中の宝探しみたいな感じで面白かった。

それは、海の波のリズムだったり
自然の日の光だったり
雨のしとしとふる日に目に入ってくる木々の美しさであったり
肌触りのよいお布団であったり
ろうそくの灯の燃える様であったり
丁寧に作られた手作り料理であったり
きれいな歌声や写真や舞台芸術であったり・・

本能が欲するものが何かということがわかり
細胞に水がしみこんでいくような心地よさを味わい
様々なことが出来なくなることによって逆に
深い愉しみというものを体感することが出来た。

そして、初めは本当に何もできなかったのが
少しずつ出来るようになっていく喜び。

食べたいと思うものがわかってくるようになり
簡単な料理が出来るようになり
家の外に出る事が出来るようになり
少しだけなら電車にのれるようになり
少しだけなら時間にあわせて動けるようになり(約束ができるようになり)
少しだけなら街に出られるようになり
人に、会って、お話しすることが出来るようになり・・・

まるで、赤ん坊が少しずつ言葉を覚えたり
歩き出したり、お友達の中に入っていったりするかのごとく
こまかな成長過程をこの歳になって実感するようなもので。

これもまた、ものすごい達成感と感動があって。

こんなにもうつ病を楽しめる自分でよかった、と思った。

つらさのほとんどは身体症状として出てくるもので
気持ちが落ち込むということはあんまりなかったのは
救いだったと思う。

ただ、残してきた仕事だけはとても気がかりで
そこから気持ちを切り離すことがなかなか出来ず
一旦復帰したもののやはり早すぎる復帰だったことと
時期的なもので異動の話がもちあがったこともあり

結局再度症状が重くなって
今度は病欠ではなく、完全休業という選択をすることになった。

結果的に、半年以上の療養になることとなり
時間はたくさんできたけれども
何が出来るわけでもないししたいわけでもないし
この膨大な時間をどうやって使ったらいいかわからなくなり
一旦は大分落ち込んだけれども

もうすっかり仕事のことは一旦おいておくようにして
今度はもう少しゆるゆると、この生活を楽しみながら
療養を続けていくようにしようかなと思うようになった。

あいかわらず出来ることは少ないけれど
それで生活に支障があるかといえばそんなことはなくて
人間の身体はもっとシンプルにあっていいものなのかもなと
思う、そんな、日々。

2009年12月3日木曜日

ヒーリングに行ってきた。

北海道に住む友人ヒーラーの紹介で大阪に強烈なヒーラーママがいると
ずいぶん前に情報をいただいていた。
その時は、うーん、お金払ってまでヒーリングはいいや・・と思っていたので
ききながしていたのだが(友人にただでやってもらっていた私。笑)
最近色々、ごわーっと自分の身体にへばりついたうじゃうじゃしたものがあって
(幽霊とかそういうんじゃなくて)これは自分ひとりじゃ浄化できないなーと思い
ヒーリングをお願いすることにした。

が、それは、その紹介してくれたママではなくて
同じ系列?のヒーリング認定を受けている別の人。

だって、ママ単独にお願いすると30分3万円とかするんだもん。
無理無理無理!
ヒーリングの効果にまるっきり懐疑的なわけじゃないけど
さすがにそれは、無理だわー。と思って。

他のヒーラーとママとの合同でやるヒーリングになると
まあマッサージとかと同じくらいの値段設定。
でも、そんな、他のヒーラー混ぜてやるからお安く・・っていうのも
ヒーリング効果そのものもお安く感じてしまうじゃないねえ。

下手でも一生懸命じっくりやってくれる人で
ちゃんと現実的なお話ができる人で
っていうあたりで、ヒーラーさんを決めて今回はじめてお願いした。

で、行ってきたわけなんだけど。

私もこんな商売しているから
色々しゃべってればその人の持ってる抑圧だの防衛だのってのは
すぐに見えるわけなんであって
そして開業ヒーラーさんというのは、えてして、そのヒーリング効果や
自分のヒーラーとしてのあり方について、完全にコミットしてる人は少なくて
そういう意味では、やっぱり、難しいなあ・・っていうのが、感想。

ヒーリングそのものは、とてもよかったのよ。
揉みほぐしが入るから、純粋なマッサージ効果もあって。

身体についてたうじゃうじゃは、ずいぶん軽くなったし、
自分自身が小一時間、軽く瞑想状態になるわけだけど
わりと安心してまかせられる感じだったので
いろんな内省がポジティブにいっぱいできて
自分の中で、「よしココ」っていう着地点が見えたし。

それを私は何も話していなくても
ヒーラーも大体同じようなことを言っていて。
あ、ちゃんと同じテーマで交流できてたんだなって思って
素直に、うん、よかったーと思った。

ただでも、そんなに一生懸命、日常的な例えを探さなくても、熱弁しなくても、
ありのままの言葉で言ってもらえばちゃんとわかるのになあーって思いながら
伝えんとすることをきいていた。

きっと、一般の人に、まっすぐ伝わる、っていうのは
とても難しくて、いつも苦労してるんだろうなあって思った。
普通に考えれば、エネルギー云々の話なんて懐疑的にとられるか、
逆に、過大に受け取って、ある種いっちゃってる風な
クライアントさんというのもきっといっぱいいるんだろう。


私が、ヒーラーの友人がいるだのいう話を最初にしていたので
どうやら、スピリチュアルオタクみたいに思われたみたい。

いや、私、一通り色々試してはいますけど(笑)
前世とかいう話もよくしますけど(笑)
知らずに知り合った友人がそういう人だったというのはよくありますけど(笑)
オーラ写真とったら、そっち系の力が開発できるって言われましたけど(笑)

でも、それなりに見てきいて触ってきてるから
この世界との距離のとり方を間違っている人もたくさん見てるし
それをいいことに色んな商売があることも知ってるし

その世界との付き合い方については、一応それなりに経験つんでるつもり。

オーラ写真をとったときに、とってくれたのはおじいちゃまだったんだけど
「あなたは、そういうオーラを持っているけど、そっちには行かないですね。
大学で幼児教育を教えるとか、そういう形でいくんじゃないかな」と言われて
このおじいちゃまの言葉はすとんと納得できた。

ヒーリングにしても、スピリチュアルというものにしても、
一番求められるのは、それを使う人の心のありようだ。
ヒーラー側もそうだし、クライアント側もそうだし。

上手に自分のプラスエネルギーにしていける人もいるし
そうでない人もいる。
実体のないものだからこそ、その心のありようが
鏡にうつされるような感じで、強烈にあらわれてくる。

そこの温度、距離、がぴたっと一致していると
ものすごーくいいヒーリングになるんだろうなあって思う。

今回のヒーラーさんは、
多分、私がどういう温度、距離なのかをちゃんと伝えたら
もっといい感じで交流できるような気がする。

また、うじゃうじゃしてきたら、お願いすることにしよう。

2009年11月3日火曜日

ダブルメッセージの氾濫

ゲームというものを楽しめる脳みそを持っていない私が
つい今朝方まで、mixiで、サンシャイン牧場というのを登録していたのは

もともとはマイミクの人から招待されたから応えねば・・というのと
私の牧場をせっせとマイミクの人が世話してくれていたので
あからさま放置するのもどうかと思っていたからなのと
まあ大体そんな理由。

せいぜい、このゲーム(ゲームというより単なるアプリなんだろうが。)の
見所かなあと思っていたのは、種や芽など作物の形がとてもリアルで
へえーこういう種なんだあとか、こんなふうに育つのねーとか
そういうのを発見するというところか。

使い出すうちに、このアプリに対する各人の考えが顕著に出てくるのがわかって
それはそれで面白かったのだが
最終的に、ものすごく物欲主義的な発想のアプリなんだなあということが
すごくよくわかって、それで、色々と他にも辟易していたのもあって
先ほど、さっくりと削除してしまった。

***

このアプリでは、基本的に、何かで失点するということはまずなく
基本的には全てプラスに転じる。
自分の畑で作物をつくっても、他の畑のお世話をしても、
あるいは他の畑の作物をお持ち帰りしても、レベルアップする。

畑に虫をいれたり、畜産にいたずらをしても、
それを別の人が治療すると、地力や動物の生産力があがって
結果的にレベルアップする。

虫投入も、いたずらも、それをすることでマイナスにはならないから
「どんどん害虫をいれていってね」
「もっといたずらしてね」
みたいなことになる。

このあたりで、すでに私の脳みそでは疑問の嵐。

それをゲームだからと割り切れるほど、私の頭は柔らかくないのだった。

***

もともと、どんなに小さなことでも
いじる、という文化が私は嫌いだ。

本当に仲のいい人なら、そういうのもままあるだろうとは思うけど
まだそんなに関係が深くないときに
いじるという行為をもって、親しみを伝えようとするのは
何か間違っているような気がしてならない。

いじる、と、いじめ、の違いを誰が確かに判断できるというのだろう。

私の脳みそは、必要以上にばか正直な脳みそなので
全ての言葉はその言葉通りに受け止める習性があり
大阪文化なんて、もっとも私には適さない文化だというのを
こっちにきてからひしひしと思う。

ああ、また大阪話になってきちゃったな。

まあいいや。

他の人がきいたらあきらかに冗談だよ、ウソだよ、とわかることでも
私は「えっ、ほんとに?」と本気で返すので
冗談を言った人に「いやいや、ここはボケるところでしょ」なんて言われて
それをウソと感づかない私が馬鹿にされる形になる。

天然ボケ、というキャラが存在するのを知ってからは
「私天然なんで、すいません」とか言えばいいのかと思ってそうしてきたけど
なんかそれもおかしな話。

***

日本文化の中にあるメッセージというのは
暗喩やら隠喩やら、少しひねることで奥ゆかしさが出ることを
古来より大切にしてきたのだと思う。

ところが、現代の日本文化にあっては
そういう奥ゆかしさはどこへやら
実際に起こっている現象と言葉とがすっかり解離して
ダブルメッセージが氾濫し

しかもその中で的確にメッセージを取得できない場合
KYなどといわれる始末である。

この点、外国のスタッフと一時期仕事したときのことを思い返すと
あれだけストレートに励まされたり感謝されたり
まずいところを指摘されたり、というストレートなやりとりは
ある意味すごくほっとして、力強く感じられたものである。

本来は、和歌にもあるようなあの奥ゆかしさが私はとても好きなので
なんでも欧米文化がいいと思うわけではないが
やはり、実際の現象と、解釈のねじれは、どうにかせんといかんと
つくづく思うのである。

***

さて、サンシャイン牧場に話を戻すと
これは結局、自分のレベルをあげるために
自分の作物や畜産を量産しつつ
他の人の畑も世話しつつ

それだけならいざ知らず
人の畑に害虫をはなち畜産にいたずらをする。

結局、全ての行為が自分のレベルアップにつながるというその発想がいやらしく思えて
私は全然、自分のレベルは気にせず、他の人の畑の地力があがるようにとか
畜産の病気を治さねばとか、そんなことばっかりやっていたから
結局最後の最後までほとんど初心者と変わらない順位であった。

私はそれで全然いいのだったが
せっせとお世話しているほかの利用者さんたちが
必ずしも私と同じスタンスでやっているわけではないのだろうなあとか
思い始めたらもうダメで、
なんかそういうのの、思惑の違いというか、そういうのにも疲れてしまった。

つくづく、私の脳みそって面倒だ(笑)

アンテナを張りすぎるから疲れるのだ、とよく上司に言われた。
ああ、そういうことなんだなあ、ってまた思わされた。

人の心理に感づくスキル、というのは、職業についてからさらに強まってしまったが
多分もともとそのきらいはあったと思うので、いたしかたない。
そういう意味では天職なのかどうなのか。

しかし、こういうスキルも、もとはといえば
周囲のダブルメッセージが読み取れないばっかりに
自分であらゆるパターンを後天的に学習し分類し
できるだけ環境に適応しようとしている過程の中で
身についただけのことである。

おおむね、高機能自閉の人間で社会適応できている人というのは
こういう能力をかなりに備えているのだろうと、推測する日々である。

2009年10月18日日曜日

芯の通った人

8月から個人の先生に着付けをならいに心斎橋まで通っている。

心斎橋といえば、シャネルやカルティエの店舗がならび
大丸(少し前まではそごうも)のような百貨店がでんと構える
まあいわば大人の街だ。

その一角にあるちいさなカフェが着付け教室というのだから
びっくりである。
どうやらそのカフェの経営もしている先生らしい。

楽しんで着られればそれでいいやと思っていたのと
大きな着付け教室だとゆっくり学べないかなと思っていたのとで
個人レッスンをお願いすることにした。

しょせんカフェの中でやるくらいだから
そんなに本格的なものでもないだろうけど
そこはあまり気にせずにいこう
と、思っていた。


それは大きな間違いであったことに、気がつくのに
時間はそんなにいらなかった。


***

こう書くと、まるでこの教室がダメダメだったかのように
うっかり誤解を招くかもしれぬ。

ことは、正反対であった。

心斎橋という高級な土地にカフェを出店しそこを経営している人である。
当然、センスと現実吟味、そしてマネジメント能力には長けているはずだ。
よく考えれば、どれだけ才能とエネルギーに溢れている人かは
推測できるはずであった。

「イマジン」という槇村さとる著の漫画があるが
その中の台詞に
「一つのことが完璧に出来る人は、他のことでも出来てしまう」
というような台詞があるが

この先生はまさにそういう類の人なのだと思う。

おかげさまで、順調に着付けは進んでおり
しかもいつも楽しく
そして自分のペースにあわせた指導をしてもらえている。

教えていただくことの一つ一つに、一本の芯が通っているような感じで
こちらが、混乱することがほとんどない。

それこそ、着物を着るということだけでも
なにか気持ちがしゃんとして芯が通った感じになるものであるが
着付けを教わるという行為そのものにも
その感じがあるというのは、嬉しいかぎりである。

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こないだ、せっかくなので着付けとは関係なしにカフェにお茶しにいった。
どうやらスイーツコンテストで優勝とかしているお店らしく
あらためてなるほどなあと思わされた。

入店したときに、ちょうど着付けブースが利用中だったので
今日も着付けしているんだなあと思っていたら
途中でどうやら終わったらしく、帰るときにはそこは座席にかわっていた。

それで、先生にご挨拶しそびれたなーと思いながら
レジにお会計にいったら
レジにたっていた店員が先生だった(笑)

本当にたおやかな人なのに、しかしエネルギッシュである。

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ちなみに、この教室を知ったきっかけは
京都のあるカフェにたまたま行ったときに
そこで個人展をしていた コトコさんというデザイナーさんがいて

そのコトコさんの作品をおっかけているうちに
コトコさんが、この着付け教室に通っており
サイトのデザインや看板のデザインをされていたのを
知ったのであった。

よくよく考えたら、
このコトコさんというのも
素晴らしい才能とエネルギッシュな活動力をお持ちの方で

なるほど、なあ、と思う次第である。