空中散歩ブログ

そらなか004の思い出の保存庫です

そのド迫力ジャケットに負けぬ素敵なレコードであったな...

ジョー・コッカー - Wikipedia

心の友 (アルバム) - Wikipedia

 ある日の私のXのタイムラインに現れた、ジョー・コッカーの1969年リリースの1stアルバム『With a Little Help from My Friends(邦題:心の友)』のド迫力の顔アップジャケット。ビートルズのカヴァーでジョー・コッカー自身の代名詞のようであった曲名をアルバムタイトルに戴いた名作。

 1990年代の初め頃だったと思うが、手ごろな値段の付いたLPレコード(輸入盤)を中古盤屋で見つけて、1960年代後半から70年代前半あたりの英米のロックを愛好する者のひとりとしてこれを機にジョー・コッカーも聴いておこうか...くらいの気持ちで購入したら、当時の私には大当たりで、以後しばらくの間夢中になって聴いていた記憶がある。自作のオリジナル曲という形に執着せず、良い曲があるなら積極的に取り上げ、己の歌手としての魅力で調理して聞かせるというアーティストとしてのスタンスも当時の私にとっては新鮮であった。

 私にとって、中古盤屋で良きアーティスト、良き作品に出会う醍醐味のようなものを教わった忘れられない1枚である。

オッサンがukkaの宮沢友ちゃんにつまらぬ空リプ

books.bunshun.jp

昨日タイムラインで見かけた1枚の写真は...

 昨日我がタイムラインに登場したクラシック・ロックのアーティスト達の良き写真を紹介している海外のアカウントのポストにあった1枚の写真。1982年にリッチー・ブラックモア(当時はレインボーの強権リーダー)がアイアン・メイデンの楽屋訪問をした際に撮られたと思われるが、私の遠い遠い記憶の中に残っている見覚えある1枚だ。

 1982年当時、定期購読していた洋楽雑誌はMUSIC LIFEだったが、ごくまれにVIVA ROCKという洋楽雑誌を買うことがあった。おそらくそちらの方で見たんだったと思う。1982年のVIVA ROCK誌のある号のリッチー・ブラックモアもしくはアイアン・メイデンのインタビュー記事に載っていた幾つかの写真の中の1枚ではなかったかな?

 もはや40年以上前となってしまった1982年。そんな大昔のことを思い出させてくれるキーワードは、ひょっとしたらその頃に夢中だったROCK(楽曲やアーティスト)だけかもしれない...1982年当時のリッチーとアイアン・メイデンのメンバー達を見ながら頭の中に浮かんできた「私の1982年」の断片を整理しながらそんなことを考えていた。

ようやくそんな時が巡ってきた

 主に1960年代後半から70年代前半のイギリスやアメリカのロック愛好家とアイドル好きであることの両立。ここをバランスよくやっていくことは、10数年前にアイドルヲタクの世界に足を踏み入れて以降私にとって需要なテーマだったはずだが、ここ3、4年位かな?アイドルへ寄り過ぎかなと充分に自覚してながらも、修正へと動くことなくずっとそのまんまにしていた。

 最近ゴールデン・カップスの映画『ザ・ゴールデン・カップス・ワンモアタイム』をネットで観たのだが、これが大きなきっかけとなった。長年隅っこに寄っていた前述のロックが好きな自分が超の字が付くくらいに久しぶりに真ん中ら辺まで出てきたのがはっきり判った。ピュアな音楽好きの1960年代横浜は本牧の不良少年たちの軌跡と彼らが奏でたロックに私は揺さぶられた。

 この状態を維持していくためにまず必要なことをすでに行動に移している。現時点での私に必要な、ゴールデン・カップス、クリーム、ヴァン・モリソン、マイク・ブルームフィールド、アル・クーパーのCDをAmazonマーケットプレイスを利用して、オリジナル・スタジオ・アルバム、ライヴ・アルバム、ベスト盤やコンピレーション盤とそのアーティストへの思いやこちらの懐具合よって違いはあるが、買い集め始めた。その反面、チケット入手済み等ではっきりしているもの以外の漠然とした状態のアイドル方面での参戦計画(参戦希望)を白紙に戻したりもした。

 この気持ちの動き、大切にしたい。趣味生活を豊かにするためにもね。