When in Rome (do as the Romans do)

郷に入ったら郷に従え

今、日米野球メジャーオールスターチームに通訳として同行させていただき、日本に来ている。祖国に帰ってきて外国チームの一員であることは異様な感じがするが、お陰で面白い光景を目にすることも。日本に来るのは初めての選手ばかり。見る物何もかもが珍しいようで、色々な事を聞かれる。ウォッシュレット、左側通行、パチンコ、お辞儀、マスク。どれも私にとっては当たり前の光景だが、メジャー選手には物珍しく映るようだ。

球場に入っても同じだ。中でも、特に皆がはしゃいでいたのは、試合後に選手が体を洗うシャワールームだ。アメリカでは、サンダルを履いて立ったままシャワーを浴びる。一方、日本では、まずサンダルを脱いで裸足で入り、プラスチックの腰掛けに座って体を洗う。メジャーの選手は裸足でシャワールームに入ることに抵抗を感じたようで、中にはホテルに帰ってからシャワーを浴びるという選手もいた。しかし、我がレンジャースのピッチングコーチ、マイク・マダックスをはじめ、大半の選手は「郷に入ったら郷に従え」と言いながら、サンダルを脱いで、入っていった。

英語ではこの言い回しを次のように言う。

When in Rome, do as the Romans do.

直訳は「ローマでは、ローマ人のする通りにせよ」。これは4世紀のミラノの司教が残した言葉だそうだ。通常の会話では「When in Rome…」のみ言えば通じる。

今後もこのような日米親善試合が行われることを願っている。もちろん、日本の皆さんにメジャーの野球を楽しんでもらうという意図もあるが、 メジャーの選手やコーチに日本の野球環境を知ってもらい、日本人選手が全く環境の異なるメジャーでプレーするのにどれだけ苦労しなければならないか、というのを肌で感じてもらえれば、日本人選手への理解が一層深まると思うからだ。

日本でプレーしたコルビー・ルイス選手がよくチームメートに日本の経験を話しているのを目にする。その時、必ず彼はこの言い回しを使う。日本の野球に早くとけ込もうと努力した結果が、彼の成功の秘訣になったのかもしれない。

Mike 002

マダックスコーチとリズ夫人。アメリカ大使館にて。

Let it go

昨年から話題になっているディズニー映画「アナと雪の女王」のテーマソングの題名は「Let it go」で、和訳は「ありのままで」となっている。この映画に合ったすばらしい訳だと思う。一方で、同じ「Let it go」でもこんな使い方がある。

Let it go

(忘れないと)

今季レンジャーズでセンターを守ったのは、キューバ出身のレオネス・マルティン選手だった。昨年はまだレギュラーの座を獲得できず、左打ちということもあって、相手の先発ピッチャーが右腕の時のみスタメンに入っていた。しかし、堅実な守備が高く評価され、今季は持ち前のスピードを生かした活躍もした。

2009年のWBCを見ていたファンは、彼の名前を覚えているかもしれない。キューバ代表チームに控えの外野手として参加していた。日本代表とも対戦している。翌年、世界ジュニア野球選手権で台湾遠征中に亡命を決意し、台湾から日本、日本からメキシコへ渡った。22歳だった。

Martin

(写真:レオネス・マルティン選手)

悲劇はこのメキシコで起こった。莫大なお金が動くメジャーに目をつけた、あるエージェントもどきのグループがマルティン選手を拉致。もしメジャーのチームと契約した場合、契約金の30%を彼等に渡すという不当な条件を突き付けたが、身の危険を感じたマルティン選手はやむを得なく条件を呑んだ。そして2011年、マルティン選手はレンジャーズと5年150万ドルという契約を結び、念願のアメリカ入国を果たした。

先進国で育った私には、母国から亡命する人の心情は一生分からないだろう。例えれば、幕末に脱藩した浪人のようなものだろうか。共産国のキューバでは、プロ野球選手が月$40(約4千円)しか稼げないという苦しい経済状況だが、生まれ育った故郷を離れるという行為は並大抵のことではない。しかし、マルティン選手はいつも明るく振る舞っている。これもラテンの血だろうか。

昨オフに、メキシコで起こった拉致事件のことがニュースになった。マルティン選手には忘れたい過去だろうが、もちろん記者は容赦なく当時のことについて質問する。質問を受けた彼はこう答えた。

You have to let it go.

「(過去のことは)忘れないと」。そう言った目から、いつもの明るさは消えていた。26歳にしては重すぎる過去を背負っている男の目だった。この一言の後、記者達は何も聞けなくなってしまった。

この言葉ほど今シーズンのレンジャーズに当てはまるものはない。シーズン全体を振り返ると……。正直なところ、あまり振り返りたくないのが事実だ。けが人が続出し、リーグ最下位に終ったレンジャーズ。こんなシーズンは早く忘れたいものだ。そんな場合には、次のように使う。

We have to let this one go and start afresh next year.

「このシーズンを忘れ、来シーズンを迎えよう」。

悪いことばかりではなかった。シーズン終了前の2週間に見せた反撃、特に若手の活躍から来季につながる希望がうかがえた。オドール選手、スモリンスキー選手、ルア選手等、メジャー初年度とは思えない程落ち着いており、これからの期待が高まる。

Rise to the occasion

デレク・ジーター

ヤンキースの柱として20年間活躍してきたジーター選手があとニ日で現役を引退する。この一週間、スポーツチャンネルは彼の特集で大忙しだ。どの特集を見ても、何度も繰り返される言葉がある。この言葉だ。

He always rose to the occasion.

調べたところ、訳は「機に臨んで成すべき事を立派にやる」と書かれていた。 プレーオフでの決定的なタイムリーヒット。3000本安打を飾ったホームラン。そして昨夜ヤンキースタジアムフィナーレでの劇的サヨナラヒット。「ここぞと言う時に信じられない仕事をする」という訳もできる。

ニュースや特集を見れば、彼のフィールド上での功績は一目瞭然だが、今回はフィールド外での彼の逸話を紹介したい。

2012年、私は黒田選手についてヤンキースで一年間仕事をすることができた。ジーター選手に初めて会った時のことは良く覚えている。彼はスーパースターのオーラで人に威圧感を与えるのではなく、ヤンキースという家に親戚を迎えるように応じてくれた。久しぶりに馴染みのある誰かと会うような挨拶だった。

Jeter

(7月、レンジャーズからカウボーイブーツを贈呈されたジーター選手。右は元レンジャーズ、イバン・ロドリゲス氏。左は元レンジャーズ、マイケル・ヤング氏)

お互いに世間話もできるようになったシーズンのある日、彼から「次の休日はどうするんだ」と聞かれた。この「休日」とは、直後に控えていた遠征で(ロサンゼルス近郊の)アナハイム3連戦とデトロイト3連戦の間に予定されていた休日のことだ。チームは、アナハイム戦が終ったその日にデトロイトへ飛び、そこで休日を迎えることになっていた。もちろん、私もチームに同行するつもりでいたので、ジーター選手にそう伝えると、「ケンジは家族がロスにいるんだろう。もう一日家族と過ごしたらどうだ」と言う。「チームの方針に従わなければならないし、航空券を買う余裕はないよ」と苦笑いすると、「俺がチームに話してやるし、プライベートジェットを出すから、一緒に行けばいいよ」と言い残して、グローブとバットをかつぐと、クラブハウスを後にしてフィールドへ向かっていった。

かくして、私は家族と一日余分に過ごすことができ、翌日の夕方、ジーター選手と一緒にデトロイトへ飛んだ。単身赴任者にとって、シーズン中に家族と過ごせる一日の価値はとてつもなく大きい。さりげない彼の思いやりに感無量だった。

またもや私事の話になってしまったが、彼が数字以上の存在感を持つエピソードを紹介しておきたかった。冒頭の言葉の通り、ジーター選手は信じられないことをさりげなくなしとげる選手だった。引退後もそんな人でいてほしい。

The difference between the impossible and the possible lies in a man’s determination

物事を不可能から可能にする要素は人間の熱意の中に潜んでいる

ダルビッシュ投手が60日間の故障者リストに入り、ロスター枠が一人分空いた。代わりにマイナーからルーキーが上がってくるという。それも31歳のルーキーだ。マイナー暦14年というウィルダー・ロドリゲス(Guilder Rodriguez)選手だった。レンジャーズ史上、ロドリゲス選手より年上のルーキーは二人いたという。いずれも福森和男選手と建山義紀選手(現阪神タイガース)という日本でプロを経験した二人だ。

彼がメジャーへ上がってきたニュースを聞いたとき、ラソーダ氏の言葉を思い出した。

The difference between the impossible and the possible lies in a man’s determination.

訳は上記の通りだ。「determination」とは「決意」「確信」とも訳されるが、この場合は「熱意」あるいは「情熱」の方が近い様な気がする。ラソーダ氏は野茂選手がドジャースに入団した時の監督である。「俺の体内にはドジャーブルーの血が流れている」と名言を残し、根っからのドジャース人間で情熱的な性格の持ち主だったことも知られている。

Guilder Rodriguez

(試合前、バットを確かめるロドリゲス選手)

新人ロドリゲス選手はメジャー行きがマイナーの監督から告げられた時、涙が止まらなかったという。平均して5年間マイナーで過ごし、メジャーに上がれなければ選手は引退を決断すると言われる。マイナーという過酷な環境で14年続けてきたロドリゲスに脱帽する。ロドリゲス選手本人は、自分より若い選手が次から次へとメジャーへ上がっていく辛い光景を何度目にしたことだろうか。5月にメジャーデビューした20歳のオドール選手はマイナーで、ロドリゲス選手に大変お世話になったという。お兄さんの様な存在で、色々手助けしてくれたという。自分より年下の選手が下から上がって来たら世話をし、彼等がメジャーに上がって行く時は祝福する。それが何回繰り返されただろう。

それでもメジャーの舞台でプレーできる夢を追い続けた。そしてついにその熱意は報いられる日がきた。9月9日に晴れてメジャーデビュー。彼にとって、この日は一生忘れられないだろう。

Rodriguez 09:09:14

There Is No Crying In Baseball

野球に涙は禁物

 

 

ワシントン監督が先日選手とスタッフに別れの挨拶をし、球場を去った。唐突な出来事で皆どう対応すればよいのか戸惑っていた。寝ても覚めても野球というワッシュ(監督のニックネーム)が、一時的にしてもこの世界から離れるというのは、さぞつらい決断だったと察する。早く戻ってきてほしいと思う一心である。

 

このブログを始めた3ヶ月前、監督について書いたものが一つあった。けが人が続出するにも関わらず、彼はいつでもポジティブ思考でワッシュスマイルを忘れなかった、というエピソードだ。そのブログをアップした三日後、私は監督室に呼ばれた。普段監督とはベンチで雑談をする機会が多かったので、改まって監督室に呼ばれた時、なにか不正を起こしたのかと不安を隠せなかった。いつも開いている監督室のドアを恐る恐るノックし、「お呼びですか?」と聞くと、「ドアを閉めてくれ」という。ドアを閉めながら、過去一週間の自分の行いを振り返った。監督が座っている向かえのソファに座るようジェスチャーされ、その通りにした。そして監督が一言、

 

There is no crying in baseball.

 

と切り出した。「野球に涙は禁物。というが、ケンジのブログを読んで涙腺がゆるんだ… 感謝している」と言われた。私と監督の共通の知人がブログを英訳して監督に送ったそうだ。今までの不安が一気に解け、嬉しさのあまり鳥肌が立った。ワールドシリーズに二回もチームを導いた名監督から、感謝されるのは感無量であった。一人でも理解者がいると分かると嬉しくなり感謝の気持ちを伝えたかった、と言う。しかし、監督が一通訳のブログで涙腺がゆるむとは、このシーズンは監督にとってそうとうタフなのだろうと同情した。

 

善し悪し問わず思ったことを率直に言う監督が、「個人的な問題」という理由で別れを告げているつらそうな姿を見て、自分の涙腺がゆるんできた。

 

There is no crying in baseball.

 

Wash & GP

(いつも笑顔が絶えなかったワシントン監督。左はペティス三塁コーチ)

Crickets!

まったくだめだった!

 

 

こんな場面を想像してもらいたい。お笑い芸人がウケをねらったが、すべってしまい、会場は静けさに包まれる。聞こえるのは鈴虫の鳴き声だけ。「Crickets」とはこの「鈴虫」のことを指す。

 

5月、ダルビッシュ投手がもう少しで完全試合を達成した試合後、相手チームの打者と廊下ですれ違った。私は彼と交流があるが、本人の名誉のために名前は伏せておく。彼はダルビッシュ投手に対し4打数無安打3三振で、まったく歯が立たなかった。廊下ですれ違うなり、「お手上げだ」とでもいうように両手を上げて一言、

 

Crickets!

 

と言って苦笑いをした。これはお笑い芸人が「すべった」のと同じ様に、彼はなにも「結果をだせなかった」という意味を「鈴虫」で表現している。これはもちろん野球だけでなく、一般の会話でもよく耳にする。ビジネスミーティングで自分の提案が通らなかった場合。デートでキスができなかった場合。宝くじをたくさん買って、一つも当たらなかった場合。どれにも当てはまる。しかし、これは俗語なので、公式の場で使うのは避けていただきたい。

 

Darvish 09:05:14

(5月ボストン戦で好投を見せたダルビッシュ投手)

Locked In

乗りに乗っている

 

 

先日、通算2500安打を達成したエイドリアン・ベルトレ選手は快挙を遂げたあともずっと好調を維持している。チームの打線を一人で引っ張っているかのようだ。 ベルトレ選手を、年をとるにつれて良い味をだすワインに例える人も多い。次々と主力選手が倒れ、チームメートが毎日のように入れ替わるなか、彼はこんなコメントを残した。

 

「 どんな状況に置かれても、試合に挑む姿勢は変わらない。自分のロッカーの隣に誰が来ようが、誰がいなくなろうが、自分は求められている仕事を毎試合するだけだ」

 

Beltre 2500th Hit

(2500安打を達成し、タイガースのカブレラ選手から祝福を受けるベルトレ選手)

 

このぶれない考え方がベルトレ選手をここまでのプレーヤーに育てあげたのだろう。しかし、最近のベルトレ選手の活躍ぶりは際立っている。このように乗りに乗っている時に、このような表現を使う。

 

He’s locked in.

 

辞書で調べてみたら「閉じ込められた」や「金縛りにあった」と書いてあるが、この場合は少し違う意味だ。同僚に聞いてみてもこの表現の由来は分からなかった。推測だが、時計の歯車が合う時に「ロックイン」されると言う。いくつもの歯車が合って、はじめて時計が動くように、何もかもが上手くいっている時を指す場合も同じ表現を使うのかもしれない。もう一つは、よく「ゾーンに入る」という表現を聞くが、そのゾーンに自分を「閉じ込める」ことが由来になっているかもしれない。

 

ダルビッシュ投手がメジャー初の完封を成し遂げたゲーム中、マダックス投手コーチが、エースの投球を見て感心しながら

 

「Wow, he’s locked in」

 

と言ったのを思い出す。

Cut the cord!

忘れろ!

 

 

メジャーの選手が一つのチームで選手生命を終えるというのは遠い過去の話。今年引退するヤンキースのジーター選手や去年引退したロッキーズのヘルトン選手は天然記念物のように讃えられる。ヘルトン選手は17年間、ジーター選手は20年間同じ球団でプレーしたことになる。フリーエージェント制度が確立された後、選手が色々なチームを転々することは日常茶飯事となった。

 

クラブハウスでこんな光景を見ることがある。ある選手が昨年まで所属していたチームの試合がテレビ中継していると、その選手は足を止め「皆どうしているかなぁ」と思いふけりながらじっと見ている。それを見ているチームメートがこんな事を言う。

 

「Cut the cord!」

 

「縁を切れ!(お前は今このチームにいるんだ)」と訳せる。直訳すると「コードを切れ」になり、この「コード」は「へその緒」を表す。もちろんへその緒は親と子の縁の証。ニュアンス的にいえば「過去との縁を断て」ということになる。

 

    Kinsler     Kinsler fan

(今年オフトレードでデトロイトタイガースへ移籍したキンズラー選手と、彼のTシャツを着て観戦に来るファン)

 

ファン同士が言っているのを聞いたこともある。去年までレンジャーズの二塁手だったキンズラー選手はファンのお気に入りだった。彼のTシャツを着て応援に来るファンは未だに少なくない。しかし気持ちの切り替えの早いファンは

 

「Cut the cord!」

 

とキンズラーファンに言う。「未練たらしいぞ、そいつの事は忘れてしまえ!」という意味合いだろう。日本と違い、メジャー選手の入れ替わりは早い。一年経てば全くチームがガラッと変わっている場合もある。ドライかもしれないが、これがメジャーの現状である。

 

もちろん失恋した男性や女性が未練がましい態度をとっていても使われる言葉だ。

No es la flecha. Es el indio.

弘法筆を選ばず

 

 

日本の2軍選手と違い、マイナー選手には充分な道具が与えられない。春のキャンプでたまに見る光景だが、メジャー選手がマイナー選手にグローブ、バット、スパイク等をプレゼントすることがある。マイナー選手は、サンタからクリスマスのプレゼントをもらったかのように大喜びし、心からメジャーの選手に感謝する。メジャーとマイナーの距離はいろいろな面で遠い。

 

今年はけが人が続出し、沢山の新人がマイナーから上がってきた。もちろん契約によって差はあるが、選手はメジャーにあがったら充分な道具が支給される。今日はある新人の野手に、メジャーに上がってから初めてバットが届いた。バットが入っている箱を開ける時の顔は、まさに小学生そのもの。一ダース入っていたバットを1本1本取り出し、念入りに性能を確かめ、満足そうな様子を見せていた。あまりにもうれしかったのか、すでに一回チェックしたバットを、再度1本ずつ握りはじめた。12本目にたどり着くのに、10分はかかった。

 

それを見ていたベルトレ選手は、新人のロッカーを通り過ぎるなり、一言

 

No es la flecha. Es el indio.

 

と言った。「矢ではない。インディアンだ」というスペイン語の諺だ。優れたインディアンはどんな弓矢を使おうが、必ず獲物を仕留めたことから由来している。日本語の諺では「弘法筆を選ばず」になるだろう。どちらも「大切なのは道具よりも腕」という意味になる。ベルトレ選手のように超ベテランで、今なお活躍している選手が言うと説得力がある。笑いながら通り過ぎて行っただけだが、実は大切なメッセージを新人に与えたと思った。

 

Beltre 08:17:14

(トップレベルで活躍するメジャー17年目のベルトレ選手)

 

メジャーに昇格したからといっても、そこに残れる確率は少ない。ましてや5年、10年、15年もこの世界に残ろうと思ったら、毎日のように腕を磨かなければ実現できない。信じられないかもしれないが、15年以上のベテランが、若手に技術のアドバイスを受けている姿を何度も目撃した。これには感銘を受けた。ベテラン選手が若手に学ぶ姿勢、常に新しい技術を身につけようと見せる貪欲さには見習うべきものがある。

 

ベルトレ選手が言った言葉には、こんな意味も含まれていたのではないか、と深読みをしている。

 

ちなみに英語の諺は、下記の通り。

 

A good workman does not blame his tools.

Dog Days

テキサスの暑い日々

 

テキサスの暑さは尋常ではない。一昨年は華氏100度(摂氏38℃)を超える日が30日以上続いたという。今年はまだそこまで暑くないにしても、選手達は半袖、半ズボンで練習をし始めた。これからもっと暑さは増すようだ。

 

これは野球に限らないが、7月から8月にかけて猛暑が続く期間を

 

Dog Days

 

という。「犬の日々」と直訳される。暑さをしのぐため、自然と舌を出してしまう犬に連想されたのだろうと思い、確認のため調べてみたら見事に予想は外れ、その由来はなんと古代ギリシャまで時代がさかのぼった。ちょうどこの時期に天狼星が夜空に見える。天狼星は大犬座の一つの星。そして大犬座はラテン語で「Canis Major」、英語で「Dog Star」と呼ばれていることから、この言葉が生まれたようだ。

 

Relievers running

(この暑い時期、試合前の練習は半袖半ズボンで行われる)

 

野球で使われる「Dog Days」は、もう少し意味が深い。もちろん「暑い」という意味が含まれるが、後半になり選手に疲労が溜まり始めてくる時期でもある。「体力的にも精神的にもタフな時期」という意味で使われている。

 

そうでなくても今季はレンジャースにとってタフなシーズンとなってしまったが、若手はこの時期にバテることなくアピールし、来シーズンにつなげてほしい。

 

Mendez & Feliz

(ファンサービスをしているフェリス投手に水をかけるメンデス投手)