『The MANIAC』Benjamín Labatut著、 Penguin Press
『When We Cease to Understand the World』が『恐るべき緑』(松本健二訳、白水社)というタイトルで邦訳が出たベンハミン・ラバトゥッツの長編2作目。前作はスペイン語からの翻訳だったけど、本作は著者が英語で執筆している。
今回も事実を元に構築したフィクションというスタイル。1933年にオーストリアの物理学者ポール・エーレンフェストが、人類が最も深く必要とするものにはまったく無関心な非人間的知性がじわじわと形成されていくことに絶望し、ダウン症の息子を射殺して自殺するまでのエピソードがプロローグ。中心となるストーリーは、幅広い領域で数々の業績を残したジョン・フォン・ノイマンで、彼を取り巻くさまざまな人々の視点からノイマンの人物像を浮かびあがらせる。そして最終章は囲碁に特化したAIであるアルファ碁について語られる。
なぜアルファ碁なのか、というのは読んでいくうちに流れとしてはわかるんだけれども、個人的にはアルファ碁のセクションはあまり興味が持てなかった。それ以前のノイマン(の周囲の人々)の章で描かれるノイマンが強烈すぎてお腹いっぱいになってしまったからかもしれない。ただノイマンは捉え難い人物で、著者もノイマンの断片を集めるのに精一杯という感じはした。そういう意味では、今回はノンフィクション的な印象が強くて、前作に感じた文学的な要素が少ないように思った。計り知れない知性による科学の探究が人類にとって善となるのか、悪となるのかというテーマは共通している。
ノイマンは天才的であると同時に悪魔的でもあり、序章のエーレンフェストじゃないけれど、読者の私もなんか鬱々としてくるというか、とにかくノイマンには危ういオーラがつねにまとわりついている。なにせ子供のように道徳観の欠如した人物であり、ロスアラモスで原爆を設計している時に、リチャード・ファインマンに対して「我々が生きている世界に責任を持つ必要はないのだよ」と言ってしまうような人物なのだ。いくら頭脳明晰でもこういう人に世界を任せていたら、人類は手に負えない危険に遭遇するという不穏な予感しかないし、実際にそうなってしまった。
「夫は人生はゲームだと考えていた」とノイマンの2番目の妻クララ・ダンは話すが、それとは対照的に、ノイマンとともにゲーム理論を考案した経済学者オスカー・モルゲンシュテルンは「人生はゲーム以上のものだ」と語る。豊かで複雑で方程式では捉えられないし、非合理的で、感情的で、矛盾に満ちている。「制御できないカオスを引き起こすが、それはまた慈悲でもあり、理性の狂った夢から私たちを守ってくれる奇妙な天使なのだ」と言う。
AIがどんどん進化していく世界で、奇妙な天使はいつまで人類を守ってくれるのだろう。
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by rivarisaia
| 2024-03-24 23:52
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