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「そこはどのくらい遠いところ? それはいつのこと?」*


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  • \10+1 43、(H)EAR、柴田・音楽の理解、エコロジストのための経済学、脳の中の幽霊ふたたび

4

  • ニーガス『ポピュラー音楽理論入門』「一体性/アイデンティティ」再読 「ブラック」についての話あり、フリス批判、ギルロイやローズの議論
  • 小谷野・谷崎評伝「作家の「誕生」」「汽車恐怖症前後」
  • \反・ポストコロニアル、小谷野・谷崎評伝
  • ×『憂鬱と~』

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  • 『憂鬱と~』「旋律・和声Ⅱ」
  • \ペギオ・テンプラ

30-2

  • 池内(恵)『書物の運命』■名和『情報の私有・共有・公有』■ どっちもよかった
  • 『憂鬱と~』「旋律・和声Ⅰ」

29

  • gds

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  • ギュラルニック『スゥィート・ソウル・ミュージック』[1]「ソウル・セレナーデ」「ソウルの幕開き」「キング・ソロモン」序章を読むと、書くってことに意識的で知的な感じ。色々と心動かされる部分あり(自分のこの種の音楽との付き合い方、距離感を再考させられる)。「ソウルの幕開き」で出てくるレイ・チャールズの様々な言葉、というかしゃべり方というか、とても魅了される。一人で対話しているようなしゃべり方。ソロモン・バークの章「キング・ソロモン」は感じが急に変わって、バークについての逸話集みたく。(たくさんのホラ話のようなものがついて回る)バークのパーソナリティに引っぱられてたかたちが。「ソウルの幕開き」では、ソウルが生まれてくるにあたって、または、リズム&ブルースが姿を変えていくにあたって、ゴスペルの影響が強調。ゴスペル的な転調の話があったが、どんなやつかな。あと、歌詞で、これは恋人のことを歌っているのか、神についてなのか、判別できないようなかたちで歌われているものがあるという話、自分がコンテンポラリーR&Bを聞いてきた中でもそういうものはあって、気になっていた。こういう自分しか気にしてないかな、というものが問題にされると、やっぱ独特のものがある。菊地・大谷本を読んでいても、そういうことがけっこうある。
  • 原著:http://www.amazon.com/gp/product/0316332739/ レビューをチェック/minimamoraliaより 「鈴木啓志さんはギュラルニック三部作を「南部黒人音楽の発展における白人の役割を過大評価している」と批判してはいるけど、それでもこれらの本がその地域におけるアフリカン・アメリカン音楽を知るための基本文献であることはまったく揺らがない。」
  • レーベルのストーリー。アトランティック、スタックス、フェイム
  • 偉大なるシンガーたち。レイ・チャールズ、ソロモン・バーク、サム・クック、オーティス・レディング、ジェイムス・ブラウン、アレサ・フランクリン
  • ミュージシャン・プロデューサーたち
  • スタジオでの歴史的瞬間の再現。音楽批評的な色が濃くなる部分。
  • 章と章の繋がり。人々の交差。影響関係。土地と土地。
  • 記憶。証言。その構成。食い違い。「真実」
  • 会社が大きくなっていくこと。
  • 音楽を聴くこと。一回性のもの・状況(時代?)
  • 「ゴスペルの転調」(p.77 下段)

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  • 『美学と現代美術の距離』[4]「デューイの美学とアメリカ美術」「ダントーの芸術哲学と美術批評」■うーん、この終わりの二章はかなりおもしろかった。再読しよう。自分が音楽について書くことについても考えされる。プラグマティズムに、モダニズムに、フォーマリズム批評のはなしとかー。
  • 『日本の個人主義』部分的に再読

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  • 『美学と現代美術の距離』[3]「「美学と芸術家」をめぐる議論」

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  • 『美学と現代美術の距離』[2]「日本に於けるアメリカ美学の受容」
  • ネトル『世界音楽の時代』部分的に再読

24

  • 『美学と現代美術の距離』[1]「分析美学の問題」「美学の制度としてのアメリカ美学会」/
  • カザニガ『脳のなかの倫理』[3]《道徳的な信念と人類共通の倫理》「信じたがる脳」「人類共通の倫理に向けて」■
  • \『美学と~』ドーキンス増補新装盤『憂鬱と~』

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  • カザニガ『脳のなかの倫理』[2]《自由意思、責任能力、司法》「私の脳がやらせたのだ」「反社会的な思想とプライバシーの権利」/「「心を読む」をうたい文句にしている技術が本当は心を読んでいるわけではない……そうした技術から得られるのは単なるひとまとまりのデータにすぎず、状況に即して解釈する必要がある。脳神経科学が読むのは脳であって心ではない。心は、全面的にに脳によって生み出されるものでありながら、脳とはまったく異なる手に負えない存在なのである。」(p.168-169)「脳には正確な自伝が書けない」記憶の仕組み(そのシステムの不確かさ)、司法の現場での証言(に関わる問題)

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  • カザニガ『脳のなかの倫理』[1]《脳神経科学からみた生命倫理》「胚はいつから人になるのか」「老いゆく脳」《脳の強化》「よりよい脳は遺伝子から」「脳を鍛える」「脳を薬で賢くする」/書評by山形さん

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  • ヒューストン・ベイカー『モダニズムと~』[2] 「キャリバンから『黒人のたましい』へ」「『新しいニグロ』」「ハーレム」「ハーレム・ルネッサンスを越えて文芸復興主義へ」「ブルース的地勢図がもたらす救済の音色」■
  • \名和『情報の私有・共有・公有』三井編『クロニクル』

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  • ネトル『世界音楽の時代』[4]「実例」の残っていた章に戻って■=「ジュジュ」「国民的音楽」「旧時代の宗教」「土着化」「新時代の宗教」「改革者」「アメリカ人たち」「旗手」「訪問者」「民族音楽者」「意見」「国宝」「マクーア」「マーフール」「ダックダンス」「協奏曲」

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  • ネトル『世界音楽の時代』[3]まとめの部分「規則性」の各章をちょっと先に読んだ=「偶然の一致?」「地域」「諸傾向」

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  • ヒューストン・ベイカー『モダニズムと~』[1]「黒人文化をめぐる「モダン」の基準」「白人中心主義を越える可能性」「ハーレム・ルネッサンスは「失敗」だったか?」「ミンストレル・ショー」「『奴隷から身を興して』」「『おれたちは仮面をかぶる』対『女まじない師』」「戦略としての「形式の修得」と「修得の変形」」

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  • ネトル『世界音楽の時代』[2]「概念」「反応」「パウワウ」「和声」「二つの都市」「互換性」「ヴァイオリン」「ピアノ」「徴し」「オーケストラ」「ヴィクトローラ」「楽譜」「移民」「楽譜」「移民」「音楽学校」「街路」「コンサート」「「ポップ」」/インド、イランでどうなったかという話が結構多い
  • 柴崎さん「その街の今は」■ 少しだけ読み残しがあったのを。やっぱりとてもいい。柴崎さんの小説からここぞ、というようなかたちで一節を引用するのは難しいのだが一箇所だけ=「「うん。そうやね。」/わたしは、それだけ文字を並べて送信した。それから、やっぱり足りないと思って、ありがとう、と送った。良太郎からはすぐに、いえいえどういたしまして、と返事が来た。少し涼しくなってきたので、わたしは立ち上がって掃き出し窓を閉めた。自動車の音が、すうっと消えた。ガラスの向こうには、大阪の街がさっきと変わらず瞬いていた。この街から、姉もいなくなったし両親ももうすぐいなくなってしまうけれど、わたしはずっとここにいる気がした。良太郎と話したかったけれど、電話しなかった。昼間にもらったレコードを、プレイヤーがないので自分の部屋の棚の上に立て掛けてみた。」 [WhoTomokaShibasaki]

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  • 『進化生物学への道』■
  • ネトル『世界音楽の時代』[1]「四つの時代」「最初の出会い」「変わらない音楽」
  • /ダマシオ『生存する脳』 やっぱり読まんとかな

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  • 友野『行動経済学』[2]「近視眼的な心」「他者を顧みる心」「理性と感情のダンス」■
  • \再読しよっとニーガス、あと軽めに『進化生物学への道』
  • /橋爪・モダニズムのニッポン どーなんかなあ

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  • 友野『行動経済学』[1]「経済学と心理学の復縁」「人が限定合理的に行動する」「ヒューリスティクスとバイアス」「プロスペクト理論(1)」「プロスペクト理論(2)」「フレーミング効果と選好の形成」
  • 仲俣『<ことば>の仕事』[4]小林(弦)・水越(伸)■ 小林さんのはちょっと気になるかな。

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  • 仲俣『<ことば>の仕事』[3] 堀江さんの章。いくかあるポートレイトから感じられるのは、堀江さんのおたくっぽさ。ご自身が卓球の経験があるのね。『おぱらばん』の卓球を扱った作品はすごく印象に残っているなあ。
  • \『美学と現代美術の距離』『憂鬱と官能~』『モダニズムとハーレム~』

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  • 『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』[2] 槇×門内対談「街並みとしてのヒルサイドテラス+ウエストの解読」 関連
  • 『ブルースに囚われて』[2] 舌津「ファルセット・モダニズム」|榎本「黒人音楽と言語リズム」■ どっちもおもろい。
    • 舌津さんのテキストより=「……ブルースの歴史は、いわゆるモダニズムの盛衰と時代的枠組みを共有している。まず、英米を拠点とするそれこそアトランティックなハイ・モダニズムが花開いたのと同じ1920年代に、「ハイ・ブルース」とも呼ぶべき前衛的な音楽スタイルが独自のジャンルとして確立される。そして、50年代から60年代以降、おのおのが新しいジャンル(モダニズムはポストモダニズム、ブルースはロック/ソウル)へと発展的に解消していく点、ブルースという音楽はモダニズムという思潮とその宿命を同じくしている。極限するならば、ブルースとはモダニズムの別名であったのかもしれない。/それではモダニズムとは何か、という大問題をここでいま直ちに定義することは難しい。けれども、全き自己を信頼し、個人とそれを囲む世界の調和を称えるロマンティシズムの時代から、現実世界の分裂や断絶や「非人間化」の諸相を認めつつ、他/多なる自己を鮮明に意識化したのがモダニズムである、というとりあえずの総括を試みることは許されるだろう。すなわち、創作技法上の間テクスト性とは、間主体性というモダニスト的な人間理解のモードと決して無縁ではありえないはずだ。」(p.88-89) ほんとかよって気もするし、ここでの「ブルース」が何を指しているかちゃんと押さえないといけないけど、ちょっと惹かれる一節。

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  • 『ブルースに囚われて』[1]保坂「ルーツ志向と音楽産業」|大和田俊之「反復するサウンド、複製するブルース」 大和田さんのおもしろい。
  • ani difranco《Little Plastic Castle》 うーんすごくよかった。
  • 仲俣『<ことば>の仕事』[2] 小熊せんせい、佐々木(敦)さん、恩田さんの章を読む。spuntikのような本であるかもしれない。ドメスティックであるところは(大きく?)違う。
  • 小田中『日本の個人主義』[2]「自律の先にあるもの」「おわりに」
    • ポスト近代主義(ポスト・モダニズム)は、個人の自律(/主体性)を否定したが、脳科学・認知科学の成果は「自律という現象は存在し、論じる」と示したという話があった。「かつてポスト近代主義は、主体性やアイデンティティの問題を、哲学や言語学や精神分析の次元で論じた。そのうえで、強固なアイデンティティや、さらには主体性が存在することを否定した。しかし、いまや、これらの問題は認知科学や脳科学の守備範囲となりつつあるようにみえる。」(p.73)
    • 「かつて六八年世代は、他者啓蒙はパターナリズムにもとづくいとなみであり、そもそも自律している個人にとっては余計なお世話である、と主張した。しかし、メタ認知論の成果を垣間見ればわかるとおり、個人がそもそも自律しているなどということは想像しがたい。たいていの場合、個人は、コミュニケーションをはじめとする他者からの介入が存在することによって、はじめて自律できるのだ。反パターナリズムにもとづき、個人の自律における他者啓蒙の役割を全否定することには、ぼくらは慎重でなければならない。」(p.118)
    • 民衆文化論と公共空間論 「かつて民衆文化論は、民衆はそもそも自律しており、彼(女)たちを対象とする他者啓蒙は余計なお世話にすぎない、と考えた。これに対して、公共空間論は、個人の自律と密接に関わる支配と従属という現象について、民衆を初めとする諸々のアクターは、議論をとりかわすなかで自らの考えを構築してゆく、と考える。」(p. 120) 「公共空間論の枠組みをもちいて考えると、個人の自律は、他者との意見の対立や融合や妥協、つまりコミュニケーションがとりむすばれるなかでなされる。これは、メタ認知論が提示する個人の自律のメカニズムとほぼ同じものである。いまや歴史学の領域においても、民衆をはじめとする個人が自律していることをアプリオリに想定することはむずかしくなっっている。やはり他者啓蒙は必要なのだ。」(p.121) んー、たしゃけいもう ねえ
    • 各章末に読書案内
    • 自律、他者啓蒙、社会的関心、懐疑精神、コミュニケーション能力

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  • 小田中『日本の個人主義』[1]「自律の時代」「自律するということ」「自律は可能か」「自律のメカニズム」

8

  • ハスミ「「赤」の擁護」(『新潮』2006.8) ポー『盗まれた手紙』についてのラカンの読みに対する批判など。フィクション論。この論考を含む『「赤」の誘惑―フィクション論序説』は秋に発売予定だそう
    • 「「赤」の誘惑」(『新潮』2005.7)/連載「「赤」の誘惑」(+補遺)『考える人』2003年冬号~2004年夏号
  • 『文学界』より ほしお『モドキ』書評by小泉(WhoKoizumi)
  • 『文藝』より 佐内『夏秋冬秋』書評柴崎(WhoTomokaShibasaki)/池田『カントの哲学』書評by松山(潤)
  • \『美学と現代美術の距離』これ読んでなかった。大学にあるようだ

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  • ブルーム『赤ちゃんはどこまで人間なのか』 「芸術とは何か」「善と悪」「道徳の進歩」「嫌悪という感情」
  • michael mcdonald《If That's What It Takes》(1982) 80sなBlue-Eyed Soul。"I Keep Forgettin' (Every Time You're Near)"収録盤。/歯切れ良い乾いたピアノ/こちらのレビューでも書かれているように、"That's Why""Believe In It"の二曲は印象に残る。耳当たりがよい曲のようにはじまりながら、単純では無い展開を持つ。そして、ゴスペル的・クワイア的な力強いリフレインが盛り込まれたりもする(どちらもタイトルの言葉がリフレインになっている)。/amg

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  • ブルーム『赤ちゃんはどこまで人間なのか』 「心を読む能力」「人工と自然」「ゆえに我あり」「神の存在と心の科学」 「人工と~」あたりで、また中谷さんの本のことを考えていた(同じような考え・感覚が見いだせるということではない。扱っているもの・問題に重なる部分があるということ)。本質主義の話が印象に残る。著者はピンカーの共同研究者であったこともある人だそう。
  • htn/Anthony Hamilton―Comin' From Where I'm From

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  • godosemi関連
  • 仲俣『<ことば>の仕事』[1] 山形さんと豊崎さんの章を。山形さんの都市工での専攻が「歴史的空間の保存」だったというのには驚き。仲俣さんによる山形さんのテキストの引用もグッと来る部分がちゃんと引かれている。
  • 菊地・大谷『アイラー・キーワード編』「即興」
  • 『RATIO 01』小泉・郡司「物語をやめよ!」 中谷さんの本と通じる話のような・・・中谷さんの本には進化の話が出てこなかった?
  • /『RATIO 01』ネトル『世界音楽の時代』ギュラルニック『スゥィート・ソウル・ミュージック』西野『チェコ・アヴァンギャルド』
  • ×神崎『ニーチェ』ハンフリー『喪失と獲得』
  • \アーノンクール『古楽とは何か』『シリーズ 都市・建築・歴史 8』(中谷さんのテキスト)『地域社会学講座』(東信堂)
  • 7月末、伊勢佐木モールにbkoffができるらしい。

4

  • godosemi関連
  • /仲俣『<ことば>の仕事』, 友野『行動経済学』

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  • 『ヒルサイドテラス+ウエストの世界』
  • godosemi関連
  • 中谷『セヴェラルネス』 「セヴェラルネス」
  • 中谷『セヴェラルネス』 「自尊心の強い少年」(連載時から好きだったタイトルの章/人間の経験また類推能力/「すでにでき上がった形態から、新しい状態を導き出しうる都市の人間」/時間の導入/「無自覚なプロセス」の扱い)「ダイコクノシバのアレゴリー」
  • 中谷『セヴェラルネス』「クリティカル・パス」(ぱっと58pへとページをめくった時の感じ)「ペリカン島戦記」「建築職人ウィトルウィウス」「ピラネージ、都市の人間」
  • 『massive change』をぺらぺらめくる。やっぱりこないだの後藤しげおの紹介はひどいものだな。このことは今度書こう。
  • /小田中『日本の個人主義』
  • \木田『マッハとニーチェ』
  • htn/Beyonceのバンド/Betでのパフォーマンス
  • 菊地・大谷『憂鬱と官能を教えた学校』「律動Ⅰ」「律動Ⅱ」
  • 『10+1』 NO.41(特集=実験住宅)藤森照信×中谷礼仁「実験住宅と発明―個別記述が可能にしたもの」
  • /「ヒルサイドテラス+ウエストの世界」「セヴェラルネス」「massive change」「ブルースに囚われて」
  • htn/omarion―entourage
  • フォーティー『言葉と建築』「秩序」「自然」「形」「形式的」「柔軟性」「コンテクスト」「デザイン」、残りは「機能」
  • フォーティー『言葉と建築』「透明性」「真実」「型」「性格」
  • 鈴木博之『建築の世紀末』「ピュージン」「ヴィオレ・ル・デゥク」