候補生
日々すれ違う人全員が私の親友候補生であることを思い出した瞬間、私は頭をハンマーで「ガンッ」と殴られたように思った。
言うなれば私は常に誰かの親友候補生であり、考古学者候補生であり(インディ・ジョーンズになりたいです)、ニヒルなジェントルマン候補生である(やっぱハリソン・フォードになりたいです)。そういえばこれらは自明なことなのであった。
毎秒はあらゆる選択肢に満ちており、それらへleap (before you/I look)さえすれば、誰かの親友に、インディ・ジョーンズになれるのだろう。その時「候補生」は消え、新たな何かの候補生であることに気づくのだろう。
家から出ず、どこへもleapしない選択をしたまま連休を終えた。
自戒を込めて記録しておこうと思う。
ごっこ
帰宅すると、同じマンションの坊主(2歳くらい、のびやかな感じ)が何をどう勘違いしたのか「おとうしゃんおかえりー!」と私を迎えてくれ、心当たりの無いまま「ただいま、良い子だったか?」と彼の頭を撫で、抱えあげてみようかと親子ごっこを開始した途端に、「お父さんじゃないでしょ、あんた何言ってるの、どうしたの!」と坊主は母親に怒られ、混乱した風の彼と、ついでに怒られた風の私は、お互い「そうか、違うか」と現実に戻された、あの瞬間を書き留めてみようと思う。
エール
先日、久しぶりに飲んだ友人は、「人生における幸せの総量は決められていると思う」と言った。この種の「悪いことがあればその分良いこともあろう」的な思考については「まあそういう考え方もあるわな、人間だものね」程度の認識だったが、彼女は若いのに中々なステージのガンを患っていたため、その彼女の口からこの種の言葉が出たことに、私の胃はギョッとした。もともとかなりなリアリストであったのに、「辛いことがある分幸せになれる」と断言する彼女の今後に待っている幸せとは、なんだ、と思い、色んな決めつけに犯されている自分に気づき、急激に具合が悪くなった。
急いで飲み屋を出、彼女はリバースしそうな私を介抱してくれ、コンビニで水を買う私に「わたしアイスを食べたい」と言い、私にアイスを買わせ、駅前のベンチでアイスをかじった。
彼女は私の体を心配してくれつつ、「マイン(私、仮名)さんも頑張ってね」と電車に乗った。こりゃ、頑張らねばいけないのだと思う。
追記
その後彼女からメールがぷっつり届かないことに気づきこちらから気まぐれに送ってみても「こんなアドレスありません」的に先方には届かず、「これは、さては死んだか」と思いつつ1ヶ月ほど経過したあたりで「そういえばアドレス変えました、マインさんは元気」なメールが届き、あああと、あああと
異国
進学
しばらくすると、私の引率者兼保護者だった同級生は「ディー・ジェー」にエボリューションし、少しずつ露出し始めた。電車通学の私を置いて、彼は「ミニクーパー」を転がし始めた。
雰囲気に着いて行くのに必死な私はその必死感を出さぬよう気をつけつつ、彼が誇らしげに揺れているブースの前で「ここでこの曲、分かってるねぇー!(俺も分かってるよー!)」感を演出した。今となっては、何が何だったのかさっぱり分からない。
通学するうち、この世界ではモテるベクトルが高校とは違うことを学んだ。「こっちはサッカーが上手くてもモテねえんだな」と思った。そもそもサッカーが上手くない私は、こっちでモテようと思い始めた。
かつてジャズ喫茶というものが流行ったそうな。学生運動というのも流行ったそうな。
ちっぽけな自分が何をどう発散したら好いのか分からなかったが、当時そういうものがあったら私たちのうち何割かはのめり込んでいたんじゃないかと思う。
もともと夜遊びに親しんでいたお兄さんお姉さんたちは変わらず伸び伸びと遊んでいるように見えたが、ぽつぽつ増えていた同級生たちは、なんだか全員欲求不満に見えた。そんな中、私もそれらしく欲求不満を演出していた。進路を迷っていた私は「もしや、こっちか?」と思い始めるようになった。
叔父
叔父は肉体的スポーツで日本何位がどうこう、という恐ろしい冠を持っており、アイパーな男前だった。
幼い私は叔父が物凄く恐ろしかった。叔父は若くお盛んであり、アイパーだったため、私は叔父の前に居ると「モジモジ」してしまうのだった。「遊んで」の一言が言えず、その言えなさ加減が恥ずかしく、無かったことにしてばあちゃんの陰に隠れる。そんなだった。
「伸び伸びと増長させよう」と預けられていた筈が、増長し過ぎると決まって叔父に説教された。正座させられ、泣かされた。ばあちゃんの横っ面をバットでクリーンヒットしたときも泣かされた。飯を食べるのが遅い、と泣かされた。
躾ける人間が居なかったため、若い叔父は頑張っていたのかもしれない。どんなに泣かされても叔父を好いていたのは、幼いながら「叔父は正しい」と分かっていたからだと思う。「正しいってのが一番怖くてつええんだな」という認識は今でも私を支配している。
預けられていた頃から数年経ち、再び帰省したある日、やはりモジモジしながらも私は叔父に「ラジコンで遊んで」と言えた。叔父はニッと了解してくれた。
2台持っていたラジコンのうち、強い方を叔父に渡し、仏壇の部屋でラジコンをぶつけ合って遊んだ。この遊びのゴールがどこだったかは覚えていない。
いれて
私は「いーれーてーなんて平気さ、拒絶されるわけないしみんな友だちだ!」といった顔色をしながらも、こっそしビクビクしていたと思う。
「いーれーてー」、「いーいーよー」、一見なかよし、半ばルーティンであるこの冗長なやり取りにおいて、「いーれーてー」と言われた側はそれを拒否する、喰った術を持たない。
――もし、彼らの本心がボクを輪に入れたくなかったら、気を遣わせてしまう。これは、形式的な問答を通した、押し付けではないのか。
「もしかしたら拒絶されるかもしれない」という恐怖感、そして「既存の輪の連中に気を使わしているかもしれない」という不安感が「いーれーてー」には潜んでいる。
「そんなの潜んでねえよ!」といった顔しながらそれらを飛び越え、「いーれーてー」は私の口からハイジャンプのように発せられていたと思う。
キーキャーやかましい焼き肉屋で、焼けた肉に箸を伸ばせぬまま、そんなことを思い出した。
雪
私と同年代くらいのドライバーとそのマッチョパートナーが気になりつつも、「大丈夫かなあ」と思うのみで、先を急いだ。
用事を済ませ、戻る途中、30分近く経過しているのに同じ位置で同じように難儀している同じトラック、同じ兄ちゃんたちを見つけた。急いでいたため「面倒くさいことになるかなあ」と思いつつも声をかけた。
「手伝いましょうか。」
「あ、すみません、お願いします!」
「これはキツいですね。」
「ほんと急いでるんですけどどうしようもなくて!」
「後ろから押してみましょう、いきますよ、いちにのさん!」
「あーダメですね(笑) もう一回お願いします」
「じゃあいきますよ! うーーん」
ギャギャギャギャ
「うーーーん」
「あーーよかった! ありがとうございます!」
「いえいえ、まさか本当に動くとは思いませんでした(笑) 実はさっきココを通り過ぎたんですよ。気になってたんですけど何もせずすみませんでした」
「いえ、助かりましたよ! 今から○○まで行かなきゃいけなくて、本当助かりました!」
「まだ降ってますし、気をつけてくださいね。こんなんで○○まで辿り着けるんですか?(笑)」
「いやーとりあえず行くだけです!(笑) 本当にありがとうございました、ご恩は忘れません!」
「忘れていいすよ、気をつけてくださいね!(笑)」
こんなだった。嬉しかったから、書き留めておこうと思う。
ルーティンワーク
開放感とともに席を立ち、さり気なく席を譲ってみたところ、隣のオッサンもそそくさと席を立ち、少し離れたところから私に「アア!」という口でにこやかに顔を上下させた。
愛想良く目配せする彼に向かって少しおどけた表情をするに留めたが、やはりなんとなく嬉しく、彼をおんぼろ居酒屋に連れて行き、ファミリーの写真を見せられ、「アメリカに残して来たんだ、中々会えなくて寂しいよ」としょげて見せる彼を朗らかに慰める、といった妄想を楽しんだ。
しばらくして彼は普通に電車を降り、私は妄想と電車内に取り残された。こんなもんだと思う。