「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人。分煙の議論に喫煙・非喫煙の立場が重要かどうかはともかくとして、立場が重要な局面というのは確実に存在するので一律に否定してよいものではないだろう。見切りと偏見は紙一重。
他所のウェブページの記事をマルチカラム化する方法に関しては、書くことがあまりにも多すぎる。とりあえずマイクロWeb日記上で連載物にする予定。第一回はゴール、すなわちウェブ日記等をマルチカラムで表示する意義について。
10年前に比べ、ウェブのユーザーはウェブページをスクロールするようになったらしい。確かにスクロールを苦に感じるユーザーは減ったろう。しかし、だからといってスクロールをしなければならないわけでもないし、スクロールしないで済むに越したことはない。まして解像度の高いモニタを利用できるのならば、その有り余る解像度を利用して、コンテンツをたくさん表示させることが生産性を高めることになるはずだ。逆に言えば、せっかく高解像度のモニタを使っていても、並行して行う作業がなければ余ったスペースは無駄になってしまいがちだ。
しかしながら現実はどうか。後方互換性が重要なウェブデザインの世界では、ウェブページのマルチカラム化はほとんど行われない。数年前までならその理由は明白だった。つまり単に方法がなかった。非標準的な方法を取ると互換性を損なってしまったし、なにより解像度の十分に低いモニタの利用者の利便性を、横スクロールの発生によって著しく損ねてしまった。現在もその流れは変わっていない。変わったのは、ユーザーの側に選択肢が徐々に生まれつつあるということだ。つまりCSS3のマルチカラムを利用できる環境があれば、記事コンテンツを解像度、あるいはブラウザのウィンドウ幅に応じて柔軟にマルチカラム化することが「可能」になった。リキッド・マルチカラムである。
さて、「可能」になったからといって「すべき」であるかについては議論がある。ユーザーはスクロールに慣れてしまっているし、解像度の低いモニタを使っているユーザーも多いため、マルチカラム化に対しては批判も多いというわけだ。しかし私はマルチカラムに対する偏見を取り払おうとは思わない。スクロールが好きだというのなら、そうすればいい。スクロール vs. マルチカラムではなく、これは選択肢だ。
ウェブページの長文記事を流し読みする際には、頻繁にスクロールすることになる。長文記事の各段落のトピック文を素早く消化していく場合、ちょうどその時画面上に表示されているコンテンツは数秒で「既読」となり、スクロールが必要になってくる。これはマウスなどのデバイスから手を離せず、ひっきりなしにスクロールの調整をしなければならないことを意味する。このようなユーザーにとって、マルチカラムという選択肢は情報を素早く消化する際の非常に強力な武器になる。スクロールの調整と同期するという煩わしい作業なしに、一気に記事を流し読みすることが可能になる。またたとえば記事の「俯瞰」。起承転結がどのあたりで行われているかを記事全体を見ながら予測することができる。これは流し読みをさらに高速化するのに役だつ。もちろんマウス等のデバイスから手を放したまま記事を読めるのも魅力だ。コーヒーを飲みながら、あるいは何か食べ物をつまみながら、またはリラックスした姿勢で記事を読むことができる。マルチカラム化は、主観的な読みやすさの問題としてではなく、まず、流し読みの高速化という実務上の問題として検討されるべき選択肢であることは明らかだ。
文化の違いだって? まあ、話せばわかる。話せば、の話だけど。
False And MsgBox("")
業者は顧客口座のうち利益を実現している口座が全体の何%あるかを開示し、そのデータを保存しなくてはならない。ってのはいいね。10月18日からだそうだ。
風俗系サイトのユーザビリティで気をつけたい10項目 | LonelyComet | 風俗系のデザイン指南サイトに突っ込みでも入れてみるか。「気をつけたい10項目」なんつって衆目を集めようとしても、理由が一つも書いていないデマを垂れ流していてはダメ。
2.テキストリンクの色を変えてみよう。デフォルトのアンカーテキストの色を変更すると、 アンカーであることが分かりにくくなって、低下する可能性はあるけど、どうしてユーザビリティが改善するの? ひょっとしたら「お洒落な」サイトにはなるかもしれないがな。
3.ページネーションなど、分かりやすい導線をいれよう。むしろページ分けなんかすんなと。まあ画像を見るとどうやらSERPっぽいが、サイト内検索はGoogleを使った方がまず間違いなくユーザビリティは高くなる。みんなが使い慣れているからだ。
8.文字を頻繁に改行しよう。風俗サイトの閲覧者が本も新聞も読まない、文章読解力のない人たちだというならそれもいいかも知れないけど。
まだまだ書ききれないませんが、ここに載せていることは、嘘をつくなと。
私の個人的な意見ではなく、Webスタンダードです。
世界中どこでも通用する項目ですので、ぜひマスターしましょう。
アニメーション機能は使用しないでくださいって書いてあるんだぜ。腕が鳴る。
ブログ記事をマルチカラム化して流し読みを高速化するのに必要なのは、ハード面でまずモニタ。できればWQXGAが欲しいところだが、一応Full HDで何とかなる。サイズは17インチ以上ないと、記事の量によっては辛い場合がある。ソフト面ではFirefoxまたはGoogle Chrome。-moz-column-widthまたは-webkit-column-widthプロパティが使えて、Stylishのようなユーザースタイルシートを編集するための(拡張)機能を持たせることのできるブラウザが良いが、CSS3のcolumn-widthプロパティかそれ互換のプロパティが使えて、著者スタイルシートを無効化できるなら、別にブラウザは何でもいいと思われる。
日本がデフレ不況に陥ったのは消費が低迷したからだが、これには、現役世代の賃金所得の上昇が止まったことに加えて、人口の高齢化と利子所得の消滅が重要な役割を果たしている。低金利の長期化によって、高齢者世帯が退職後の生活のために蓄えた貯蓄のリターンがなくなってしまったのだ。超低金利政策の最大の罪といってよい。
今日の日経に載っている「経済教室」とやらの記事より。中前国際経済研究所代表の中前忠と、同エコノミストの斎藤朋子によるらしいのだが、あまりにも酷いというか、それ完全に老害の理論だろ。あったまきた。
超低金利政策に「最大の罪」が議論されるとすれば、それはバブルの発生に他ならないと思うのだが、高齢者の貯蓄のリターンがなくなってしまった??デフレが資産の実質価値を増大させるじゃねーか。何かましてんだこいつら。
さらに社内失業者に補助金を出したり、あぶれた新卒を雇ったら補助金をだしたり、企業が誰をどのように雇用するべきか指示をはじめた。
(中略)
こうしてオープンでフェアな自由市場がどんどん毀損され、政府が肥大化し、社会主義へ向かっていることに、僕は大きな恐怖を感じているのだ。
今年は出現が早い。
マルチカラム化したほうが見やすいかどうかは個人による。したがってマルチカラム・ユーザースタイルシートを適用するかどうかの選択がある。ということか。
見やすいかどうかは問題じゃない。流し読みによって高速に記事を読みたいというニーズがあった時、極めて有力な選択肢としてマルチカラム化というものがあるということ。
逮捕の是非と業者叩きとは切り離せる話だ。
Officeのメニューやボタンがリボンに変わって最初に困るのは、「新規作成」や「印刷」のボタンがないことだ。Office 2007では「Officeボタン」をクリックして開くメニューの中に、Office 2010では「ファイル」タブをクリックすると開く「Backstageビュー」の中にこれらの機能がある。だが、ボタン一つで即座に実行できないのは不便きわまりない。
要らないなあ。新規作成なんてそれこそ滅多に使わないけど、作業中に作るとしたらCtrl + N。印刷もプレビューを経由するし、急ぎの時はCtrl + P。
パッケージも飾っている二刀流が強すぎる(というか、こちらを前提にバランスをとっているのではないかと思われる)ため、盾がいらない子になっている。
まあ昔のことだからよく思い出せないが、両手に盾を装備させたナイトにパーティを守らせた気がする。ナイト以外を全員瀕死にしてな。俺は個人的に「盾ナイト」と呼んでいた。あの戦法を使わなったら海底の洞窟(正式な名前は忘れた)以降は被ダメージのインフレがつらい筈。確か魔剣士の村だか里だかの洞窟でも「盾ナイト」は大活躍だった。禁断の地エウレカとかでも盾を装備したほうが二刀流より断然楽だった筈。
ナビゲーションは文書の前か後かどちらに記述するべきか、みたいな議論。前も糞もないだろうと俺は思うんだけど。その際、必ずといっていいほど音声ブラウザで云々というお話が出てくるのだけれど、結局後ろにした所で最後の方に読み上げる時に読み上げちゃうわけでしょ。ナビゲーションはやはり前でも後でもなくあくまでナビゲーションとして存在すべきなのできちんとヘッダーにまとめるべきだろう。必要な時に呼び出して使えるのがナビゲーション。
前衛的な話をすれば、ハイパーメディアはそれ自体がナビゲーションで、ものによってはコンテンツとの境界は限りなくぼやけている。その意味では世間でナビゲーションと呼ばれているものをbody内に記述するのは自然であると思う。body内にあって不自然だと思うのは、それらのナビゲーションがコンテンツにとって不必要であるからに他ならない。そんなものはlink要素に追い出したって不必要なことに変わりがないと、俺は思う。
サイト全体が一つのソフトウェアとして有意であるというのなら必要な時に呼び出して使う
という本質的な需要はあると思う。しかしここはインターネットだ。そのような属性を持ったサイトは現在進行形で減りつつあるし、あるいはそれらはウェブサービスと呼ばれるようになった。
何年か前には熱心に議論してゐた事だけれども最近は最うこの手の事には興味を失つた。音聲ブラウザだつて今となつては何うせ「まともな作り」のサイトなんて滅多にあるまいと云ふ前提で作られてゐるだらうし、ならば「まともでない作り」である方が「正義」なのだ。Googleも「まともでない文書」前提のアルゴリズムでデータ蒐集とサイトの重み附けをやり始めてゐるだらうし、さうなると吾々がまともなHTML文書を作つても最早SEO的には何の役に立たない。金錢感覺のある人や世間の流れを讀める人は、「正しいHTML」なんてものに關はつてゐないで、「一般的」な文書を澤山作つてばら撒く事を考へた方がよろしからう。
「音声ブラウザ」「Google」「SEO」。興味がないというから何がそう言わしめたかと思えば、つまらなすぎる。あまりにもつまらなすぎる。どうなってんだ。
結局の所、UAがナビゲーションだと判断できるものがナビゲーションなのだと俺は思っている。それ以外は擬似ナビゲーションでしかない。HTML5ではnav要素なんてものが用意されているらしく、もしこれがnav要素部分をUAがナビゲーションとして判別しツールバーやサイドバーなどを用い別途表示するような展開になるようであればLINK要素などとは比較にならない汎用性を持つ存在になるのではないだろうか。俺がlink要素に拘るのは現状唯一UAがナビゲーションとして判別してくれる要素である点にある。
サイトのナビゲーションが必要な文脈においてはその通りだと思う。つまりそのナビゲーションがコンテンツの理解に役立ち、あるいは必要で、かつサイトをまたいでUIが一定であることに大きな意味があるのなら、それはもう素晴らしいユーザビリティの向上につながるだろう。
さてそのように考えた時、世の中のサイトとやらに存在している「ナビゲーション」は、コンテンツの理解には不必要で役に立たない、ただのサイト内広告だ。サイト内広告をブラウザが判別可能だということに、どれ程の魅力があるだろうか。
俺にとってのcontextualなナビゲーションは、アドレスバーがその一つだ。ここにキーワードを入力することによって、ナビゲーターであるFirefoxが答えてくれる。authorと入力すれば著者に関する情報が、conpareと入力すればそのページに言及している情報が表示される。どちらもfat linkであり、複数のウェブページが次々タブ等のUIを通じて表示される。このfat linkはHTML5とやらですら定義されていない。次世代のハイパーテキストシステムの重要な柱になりえるというのに、fat linkの実装もないなんて「HTML」が聞いてあきれる。それはさておき。
ここまではいいだろうか。ここが一番俺が重要だと思っている点なのだが、サイトの著者がlink[rel="author"]という要素で著者情報を示しているとする。しかし、果たしてそのリンク先が満足な情報を提示してくれるだろうか。誇大広告的な内容であったり、逆に謙遜しすぎていたりしないだろうか。著者について知りたいと思ったとき、著者自身の自己申告であるlink[rel="author"]より、それを含めたウェブ上の情報の方が、よほど豊かなものにならないだろうか。
つまり、ウェブブラウザが提供するナビゲーションは、広くウェブを対象にしたものでなければならない。俺はそう思う。思うというか確信している。サイト内広告は、それぞれのサイトが自分たちの領域でで勝手にやってくれればいい。しかしブラウザの領域にずかずか割り込んで広告をまき散らされるのは嫌なんだ。
もちろん、しっかりしたナビゲーションを正しく記述してくれるサイトもあると思う。しかしそれを期待するのは間違いだ。
福音の意味をググったりして調べたけどよく分からない。意識的じゃなく手に入る情報、の意か。自分で意識的に労して得た結果のみを信用し、偶然出会った情報を軽視もしくは無視するのは馬鹿である、と。
「正しいHTML」等々の「教典」を解きまわる人のことを「evangelist」と言ったりするの。まあそんなことはどうでもよくて、今存在するダメHTMLをうまく活用することも大事だが、正しいHTMLを説くことも同じくらい重要だ。後者とその活動の有効性を安易に否定できるのは、日本の「evangelist」しか見ていない井の中の蛙なの。
確かにその理論ならばサイトナビゲーションは不要なものになるのは理解。極端な話、今や誰しもが「google検索」というナビゲーションとも取れるサービスを利用しており、趣旨としておそらく同様の方向性であるアドレスバーを使用したそのような仕組みが一般化すれば情報の公開の枠を超えて真の意味で共有の域に達するのかもしれない。
「サイト」なんて無用な単位なんだから、サイト単位での利用を促すだけの「ナビゲーション」なんて要らないというのも肯ける。ただ、「author」「conpare」などといった定められたワード検索であるとしたらもはや普通の検索との明確な差を感じない。それとも検索とは違う別の何かなのだろうか。入力という一手間が生じるとしたら俺ならきっとその『fat link』なるもののアクセス先をやはりlink要素として用意すると思う。サイト内“広告”でもサイト“外”広告でも便利なものは貪欲に用いるべきだ。
conpareはcompareの間違いだった。まあそんなどうでもいいことと同じくらい、入力手段は重要ではない。俺は、著者に関する情報の提供をブラウザがネイティブにGUI等で提供してくれないから、アドレスバーを媒介としてscriptletを走らせるという形で簡単に実装しているだけのことで、形はもっと便利になりうる。
普通の検索との違いは「コンテクスト」検索であるということ。今現在閲覧しているウェブページに関連する情報を検索する。精度が上がれば検索という「メタファー」は適切ではないと思う。誰もそれが検索結果だとは思わなくなるレベルに高まるのが望ましい。それを可能にするかもしれないのがSW。
『fat link』なるもののアクセス先をやはりlink要素として用意する
というのは、ウェブページにvalue値を予め設定したGoogle検索をつけているのと本質的に同じ。やっても害はないしむしろ有益になる可能性もあるが、ブラウザが実装すべき機能だとしか思えない。何というかな。ウェブページをインスタンスだとしよう。インスタンス生成毎にメソッドが再定義されるのがlink要素によるコンテクスト検索の実装。そうではなくて、メソッドはすでにクラスで定義されていて、インスタンスがメソッドを呼ぶ際に自分自身を引数として渡すのがブラウザが提供するコンテクスト検索。Python脳的な表現だが。
さて今日は初の木曜早朝scalping。余裕がなくて実況的なものは書けなかったが、結果はちょっと微妙。
6:18に0.9830をつけ、そこから急激に下落、6:30に0.9813付近になって落ち着いてきたところでロングしてみた。ところがその後も少し下落し0.9808を底として、6:59ギリギリまでもみ合った。6:59にようやくスワップ狙いの買いが大きく入って、まあそれでも7:00ジャストの段階で0.9817までしか上昇しなかったが、決済。ここでの戻りもscalpingする予定だったが、値幅があまりにも小さいため断念。
結果として+1.8pipsと、三日分のスワップポイントを得た。
サンクスギビングデーというのが何か影響しているかもしれない。
ユーロドル相場ですが、反転・上昇の兆候があります。
ユーロドル相場ですが、反転・上昇の兆候があります。)
<div class="entry-body-main">こんにちは。10月からブロググループのディレクターをしている真田 (さなだ) です。<br> <br> これまで私はマークアップエンジニアをしていましたが、コンテンツの設計段階から参加できることは多くありませんでした。ディレクターとなったからには、根本からHCD (人間中心デザイン) を意識したコンテンツ作りをしていきたいと思っています。<br>
「命令があれば、情報を探して表示するもの」と「命令なくとも、情報を探して再構築しておき命令があればその確定情報を引き出すもの」の違いということだろうか。との疑問を提示いただいたけれども、人によっては分かりにくい喩えだったかと思うので、きちんと説明してみる。
コンテキストメニューと言えばWindowsOSならば右クリックで出てくるウインドウのことだと理解しているが、そこにあるものがlink要素であろうと他のものであろうと便利ならばバンバンぶち込めればいいのになと思う。と思ったので探したらコンテキストメニュー拡張なるものがあり、謝辞にそふぃあ氏とか書いてあったりして何と広くて狭い世界なのかと思った。とりあえず試しに使ってみる。
俺はコンテクストメニューの話は一切していないけど、気になったので俺の意見を書いておきたい。
コンテクストメニューに「便利なもの」をバンバンぶち込
むのは反対だ。その理由:
「俺には関係ねー」と思われる人も多いかもしれない。別に難しくなんかねーよと。違うんだな、これが関係あるんだよ。マウスの操作に慣れている経験豊富なユーザーであったとしても、より良い、状況に応じた適切なGUIを使えば、もっと速く操作できるようになる。これを逆に考えてみると、不適切な「コンテクストメニュー」を媒介させることによって「あなたの仕事は1%遅くなる」。みたいなことが言えてくるわけだ。