白昼夢の視聴覚室

この世は仮の宿

絶対に許さない話

Xでのつぶやきが拡散されると、知らない人から引用リポストが飛んでくることがある(“引用リポスト”がどういうものか分からない人は各自で調べてほしい。真面目に説明しようとすると大変にややこしいので)。私のつぶやきを受けて、感じたこと・考えたことについて持論が展開されていることが多い。私自身、感じたこと・考えたことについてつぶやいていることが多いので、「そういう考え方もあるのか」「それについては一度考えたんだよな」などのように参考にさせてもらっている。このような意見の照らし合わせはSNSの醍醐味といえるだろう。その一方で、私のつぶやきに対して、「こんな気持ちの悪いことをいうヤツがいる」という旨の言葉を添えて、引用リポストしてくるような人もいる。私が感じたこと・考えたことに対して拒否反応を示すと同時に、自らのフォロワーに対して「こいつは気持ち悪い」と私のアカウントを晒し上げる行為である。はっきり言って下劣である。私の考え方を否定したいのならば、「私はそうは思わない、何故なら……」というように自らの意見や主張を添えるべきだろう。そうすることによって、こちらも「そういう考え方もあるのか」などと、自分とは異なる意見に対して理解を深めることが出来るかもしれない。少なくとも、話の主体はつぶやきそのものであって、私に矛先が向けられることはない。しかし、つぶやきの内容に対して不快感を示すどころか、わざわざ引用リポストという形で「こんな不快なつぶやきをしている人間がいる」と自らのフォロワーに晒し上げる行為には、何の生産性もない。そこに生じるものがあるとするならば、「気持ち悪い」というバイアスをかけられた私と私のつぶやきに対する偏見の助長と、それによって起こり得るネット炎上という名の人権侵害運動である。無論、私のつぶやきが失言の類いである可能性も否定は出来ないが、勘違い・言い間違いの類いは誰にでも起こり得ることで、ひとつのつぶやきの内容だけで人間性まで判断されるべきではない。このような引用リポストを受け取るたびに、「この人は引用リポストのリスクについて、どれほど自覚的なのだろう?」と思いを馳せてしまう。きっと相手の気持ちなんて考えてもいないのだろう。自らの性格の悪さを棚に上げて、赤の他人を「気持ち悪い」の一言だけでお手軽に断罪することで満たされる正義感だか自己承認欲求だかの快感に飲み込まれているのだろう。知らんけど。知りたくもないけど。

【企画】日本の名字ランキングを見ながら芸人を思い出そう!

売れる芸人の特徴として「名字だけで個人を思い出せるかどうか」があるような気がしている。例えば、“浜田”という名字の芸人といえば【浜田雅功】、“三村”という名字の芸人といえば【三村マサカズ】、“有吉”という名字の芸人といえば【有吉弘行】、といった具合である。……ということは、日本人に多い名字の芸人は、その競争率の高さから売れっ子になりにくい傾向にあるのではないだろうか。

というわけで、今回の記事では「マイナビニュース」が公開している日本の名字ランキングのベスト30位に入っている名字のリストをざっと眺めてみて、個人的に最初に思い出した芸人の名前を並べる遊びを敢行することにした。当ブログを読まれている奇特な読者の皆さんも、本記事を読む前に実際に自分でもやってみると楽しいかもしれない。

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#漫画家が描いたお笑い芸人DVDジャケット

少し前にX(旧・Twitter)で「漫画家が描いたCDジャケット」というハッシュタグが流行した。文字通り、漫画家がジャケットのイラストを担当しているCDのパッケージを貼り付けることで、実質的なアーティストとのコラボレーションデザインを皆で鑑賞しようという目的のものである。その様子を見ていて、ふと「お笑い芸人のDVDにも漫画家がパッケージを手掛けているもの」がいくつかあったことを思い出したので、さくっと探してみた。以下、そのラインナップである。

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植田まさし『かりあげクン』の記憶。

子どものころに読んだ植田まさし四コマ漫画かりあげクン』に、講習会で「人の嫌がることを率先してやろう」という話を聞いたかりあげクンが、同じ課の人間にイタズラを仕掛けて「アイツは人の嫌がることしかやらないな」と陰口を叩かれる、というネタがあった。他にも色んな四コマが掲載されていて、それらにも目を通しているはずなのだが、やたらとこれをはっきりと覚えているということは、当時の自分にとってよっぽど衝撃的なネタだったのだろう。確かに、言葉遊びとしては非常に良く出来ている。「人の嫌がることを率先してやろう」という発言が意味しているのは、本来なら「人が嫌がってやろうとはしない面倒な作業を率先してやろう」というものだが、かりあげクンは「人に嫌悪感を与えるようなことを率先してやろう」というニュアンスで受け取っている。ここに生じている齟齬が笑いに昇華されている。アンジャッシュのコントを彷彿とさせるような、巧みな着眼点である。そして今や、このネタは風刺的でもある。昨今のインターネット界隈には、このネタにおけるかりあげクンのように、印象的な言葉だけを鵜呑みにして、本来の文脈を無視して自分勝手な理論を展開し、他人に迷惑をかけるようなことをやらかしてしまう人たちが少なくない。しかも、次から次へと話題が転換するインターネットの世界においては、それが正されもしないままになってしまうこともしばしば起こっている。ことによると、単なる勘違いどころか、敢えて言葉を歪曲して受け取ることで、他人に迷惑をかける際の免罪符にしている可能性もある(本編におけるかりあげクンも、件の発言をイタズラの免罪符としているフシがある)。真に優秀なネタは時に人間の本質をうっかり突いてしまうものだ、ということなのかもしれない。知らんけど。

田舎者の通うスーパーを老朽化で閉ざさないで

香川県の県庁所在地・高松市の中央インターチェンジから高松自動車道に入り、西に向かって車を20分ほど走らせていると、善通寺インターチェンジで降りることになる。真言宗の開祖・空海の生誕地であり、四国八十八か所第七十五番・善通寺があることでも知られている土地である。インターチェンジを降りて、すぐさま突き当たる国道319号線を北に進んでいくと、左手方向に大きなスーパーマーケットが見えてくる。【スーパーセンターPLANT 善通寺店】だ。PLANTは福井県坂井市に本社を置いている大型スーパーセンターである。ホームセンターにスーパーマーケットが併設されており、生鮮品・お惣菜から日用品・医薬品・衣料品まで幅広く取り扱っている。現在は全国14県に店舗展開が行われており、そのうちの一つがこの善通寺店である。2014年に閉店した天満屋ハピータウン(1996年開店)の店舗を、そのまま引き継ぐ形で同年に開店した。店の特徴は、なんといっても売り場面積の広さにある。その敷地面積は驚異の34,176平方メートル(東京ドームのグラウンド)、店舗面積だけでも10,872平方メートルとなっている。平屋の店舗としては広すぎる……と、思う(他店舗の面積に詳しくないのでテキトーなことを言っている)。店舗が広いということは、それだけ幅広い品物を取り扱うことが出来るということだ。PLANTは一般のスーパーマーケットではあまり取り扱っていないような商品を販売していることが多く、非常に助かる存在であった。PLANTのように巨大なスーパーマーケットは、しばしば田舎の象徴として自虐的嘲笑を食らわされることがあるが、巨大であるからこそ成し得る選択肢の広さこそが、都会に対抗し得る一つの手立てであるように私は思う。笑っている場合ではない。敬意をもって崇め奉るべし。ところが、このスーパーセンターPLANT 善通寺店が、なんと2024年6月16日をもって閉店するという。店舗・設備の老朽化が理由であるといわれている。改装やリニューアルといった表現がなされていないことを考慮すると、本当に閉店してしまうのだろう。当然のことながら、PLANTで買い求められる商品の多くは、ネット通販などの手段で購入が可能である。だが、そういう問題ではない。そういう問題ではないのだ。探して買い求めるのではなく、「そこに行けば、何かがあるかもしれない」という場所の喪失こそが問題なのである。それに、PLANTが閉店してしまうということは、ここでのみ購入することが出来た総菜はもう二度と手に入らなくなってしまうということでもある。あのバカみたいにデカいおにぎりがもう食べられなくなるのかと思うと、無念である。残念である。残り二カ月、限られた時間の中で、出来るだけ店舗を愛でようと思う。重ねて言う。無念である。残念である。

コンビからトリオになった人たちの話

トリオからコンビになった芸人がいるように、コンビからトリオになった芸人も存在する。現在、その結成のエピソードが最も知られているトリオといえば、東京03だろう。飯塚悟志豊本明長が“アルファルファ”というコンビで活動していたところに、お笑いトリオ“プラスドライバー”の活動を休止していた角田晃広が加わる形で、2003年に結成された。彼らは結成から一週間も経たないうちに『爆笑オンエアバトル』に出場。10組中5位の成績で、辛うじて白星デビューを飾ることになる。その模様をテレビ放送で見ていた当時の私は「スペシャルユニットの誕生だ!」と激しくコーフンした記憶があるのだが、実際のところ、実質上の新メンバーとして加入した角田に対する批判の声も少なくなかったらしい。もっとも当時は、アルファルファも一年間ほど活動休止状態にあり、解散するのでは……という噂も立っていたので、大半のファンは東京03の結成に安堵していたのではないかと思う。コンビがそういう状態だったのに、角田を批判するのは流石に呑気が過ぎる。この他にも、堀内と原田のコンビ“フローレンス”にコンビ“ジュンカッツ”を解散した名倉が加わる形で1993年に結成されたネプチューン、青山と和田のコンビ“ワダヤマブルー”に岸が加わる形で2010年に結成されたネルソンズ、菊田と秋山のコンビ“ウエストミンスター”に漫才コンビエガラモガラ”を解散した岡部が加わる形で2014年に結成されたハナコ、信子と金子きょんちぃのコンビ“エンぷレス”に友人とのコンビ“パーティーズ”を解散したすがちゃん最高No.1が加わる形で2021年に結成されたぱーてぃーちゃんなどなど……コンビに新メンバーが加わる形でトリオが結成されるのは定番パターンといえるようだ。ちなみに、養成所時代のエピソードだが、ロバート我が家も同じ流れで結成に至っている。興味深いのは、コンビからトリオへと変わる際に、名前を変えていないユニットが非常に少ない点である。ざっくりと調べてみたのだが、中澤と林のコンビに“ブレーメン”“町のベーカリーズ”“ぺぺ”などのコンビで活動していたピーチが加わる形で2017年にトリオが結成されたかたつむりぐらいしか前例を見つけられなかった。もっとも、あくまでざっくりと調べた程度なので、他にも例はあるのだろう。しかし、こうなるとコンビ→トリオじゃないパターンで結成された例も、ちょっと気になるところではある。そのうち調べてみよう。

俺のラジオを聴け!!(聴かなくてもいい)

今日は特に書きたい話がないので、いつも聴いているラジオ番組でも書き記して茶を濁すことにした。まずはニッポン放送から。放送局の顔ともいえる“オールナイトニッポン”で聴いているのは『フワちゃんのオールナイトニッポン0』『あののオールナイトニッポン0』『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』『あいみょんオールナイトニッポンGOLD』『霜降り明星オールナイトニッポン』『オードリーのオールナイトニッポンの六番組。フワちゃん、あの、佐久間宣行は初回から欠かさず聴いている。フワちゃんはX時代の初回から聴いていて、ちょっと思い入れが強い。オードリーはそこまで熱心なリスナーではないのだけれど、周年イベントには毎回欠かさず参加している。なんだかんだで好きなんだろう。ANN以外で聴いているのは伊集院光のタネ』『伊集院光のちょいタネ』。短い放送時間の中で繰り広げられるリスナーから寄せられたエピソードが、丁度良い塩梅に心にしみる。続いてはTBSラジオ。JUNK枠で聴いているのは爆笑問題カーボーイ太田光によるフリートークも面白いけれど、それと同じぐらいにリスナーからのネタメールが面白い。とりわけ有名曲に番組中の田中の発言をくっつける【CD田中】のコーナーは大好物だ。JUNK前の0時台で聴いているのはアルコ&ピース D.C.GARAGE』。ANN時代に見せていた生放送ならではのグルーヴ感には欠けるけれど、表現力と脱線がバツグンに面白い二人のトークは安定していて、完全に期待を裏切らない番組として仕上がっている。この他、『問わず語りの神田伯山』『東京ポッド許可局』『脳盗』あたりを聴いている。あんまり評判が良くない印象のTBSラジオだけれど、妙に中毒性の高い番組は多い気がする。この他に聴いている芸人パーソナリティによるラジオは、『金属バットの社会の窓ABCラジオ)、『きつねのこんこんらじお』NACK5)、『週刊!しゃべレーザー』SBSラジオ)、『キュウ 空想の間』CBCラジオ)、プチ鹿島のラジオ19XXYBSラジオ)、『SAYONARAシティボーイズ文化放送)、『オキシジェンのラジオスープレックスSBSラジオ)。金属バットのラジオは今春に始まったばかりなので、継続して聴くかどうかは未定だけれど、今のところめちゃめちゃ面白い。この中では、個人的には『こんこんらじお』が一番好きかもしれない。大阪松竹から飛び出して、関東の大手芸能事務所に所属し、第七世代の若手たちとも少し距離がある音楽芸人という、なんだかちょっと独特の立ち位置だからこそ繰り広げられるトークが興味深い。残りは音楽番組。日替わりパーソナリティによる二時間の邦楽選曲番組『9の音粋』BAYFM)、大ベテランパーソナリティ・小林克也の健在ぶりを確認できる『7時からドットコム』BAYFM)、職人気質のアーティストによる選曲が渋い山下達郎楽天カード サンデー・ソングブックTOKYO FM)、謎のミュージシャン・カンケによるザ・ビートルズ愛好家たちの集いTHE BEATLES 10』(ラジオ日本)、タレント・クリス松村の音楽愛が大爆発しているクリス松村の「いい音楽あります。」』(ラジオ日本)。もし興味がわいたなら、聴いてみてね。

本や手紙を読むスタイルの漫才は怠けているのか?の件について

先日、懐から本や手紙を取り出して読み上げるスタイルの漫才について、「実際に本や手紙にネタを書き込み、それを読み上げることで暗記を怠けているのではないか」と考えてしまう……という旨のテキストを目にした。なにやら懐かしい気持ちにさせられる指摘である。リアルタイムで『爆笑オンエアバトル』が放送されていたころ、番組のファンサイトで似たような感想を書いている人を見かけた記憶がある。当時の番組に出場していたチャイルドマシーンというコンビが、まさに本や手紙を読み上げるスタイルを得意としていたため、頻繁に槍玉にあげられていた。そんな風に考えてしまう気持ちは分からなくもない。きっと、そういった指摘をされている人たちにとって、読み物スタイルの漫才は台本を片手にネタを披露しているように見えるのだろう。ただ、だからといって、このスタイルの漫才をするときに、手に何も持っていないのに、さも本や手紙を持っているかのような仕草でネタを演じられても、それはそれで違和感を覚えることになりそうな気もする。記憶を怠っていると思われても実物を用意するか、違和感を覚えられてもマイムで表現するか、どちらを採用するべきか。その試行錯誤の結果として、前者が採用されたのだろう。……そういえば、いつだったかますだおかだが読み物漫才のネタを披露するときに、靴の中敷きの裏側に書いてきたというボケを披露していたことがあった。当時は単なる小ボケとして捉えていたが、あれは彼らなりの読み物漫才におけるひとつの打開案だったのかもしれない。おそらくは考え過ぎなのだろうが。ちなみに、以前に聞いたところによると、実際に本や手紙に台本を書き込んでしまうと、どうしても文章を目で追ってしまうために、漫才の肝ともいえる間が崩れてしまうらしい。あれはあくまでネタを演じる上での演出の一環として見るぐらいが良さそうである。