七つの海をバタフライ -吉川晃司ブログ-

七つの海をバタフライ -吉川晃司ブログ-

異彩を放ちまくりながらも逞しく泳ぎ続ける吉川晃司。
全てのロックレジスタンスどもへ バーボンを傾けながら・・・。

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「それ、ミッドナイトクライシスやん(笑)」

 

アラフォーという言葉がしっくりとハマり出した最近、柄にも無いジム通いと筋トレにハマったことを話した際に、そんな言葉が友達から返ってきた。

「ミッドナイトクライシス=中年思春期」と訳されることもある、中年期に差し掛かったからこその事象に向き合う自分を、少し恥ずかしくも思いながら、改めて意識した。

 

結婚しても家庭サービスよりも己の肉体鍛錬に余念の無い人

学生時代のスポーツ経験貯金が底を付き腰痛に悩まされる人

強さを履き違えて格闘技にハマってしまう人

アラフォーに近付くと、多くの人はさまざまな局面で自身の身体性と向き合わざるを得なくなる。

 

 

 

■吉川晃司、声帯(喉)ポリープ手術を自らの言葉でファンへ報告https://www.barks.jp/news/?id=1000144919

 

 

 

今年のツアー日本武道館公演中に、吉川自身からポリープを患っていること、切除手術を行うことが発表された。

 

生命線である声帯を酷使し続けるボーカリストの宿命とも言える病だが、これまでも吉川はポリープと戦ってきた。

今までは投薬治療で対応していたと記憶するが、今回は切除手術に踏み切ったようだ。

 

肉体は老いる。これは仕方の無い真理だ。

若かりし頃と同じ対応をしていては、肉体は悲鳴を上げ続ける。

病や不具合とどう付き合っていくのか、を考えることが、中年期には必要なのだろう。

 

吉川が今回選んだポリープ切除は、投薬で騙し騙しを続けることでなく、この先も歌い続けるための選択なのだろう。

昔とは違う選択が、現在では正解となることもある。

その瞬間のベストを選択して生き延びる、そんな強さを僕らは吉川から感じ続けてきた。

 

ポリープ除去の影響が、今後の活動に影響を与える可能性もゼロでは無いだろう。

今しばらくは安定しても、明日の先のことは分からない。

いつか、吉川の鍛え上げられた声圧が縮み、音域が狭まり、艶が鈍るかもしれない。

では、だからと言ってボーカリスト・表現者としての吉川晃司に魅力が失せるだろうか。

 

そんな事は無い。

例え声が出なくともダンスで、ダンスができなくともキックで、キックができなくとも目力で、立つ事しかできなくなってもシルエットで、吉川晃司という人は我々を魅了してくれるはずだ。

 

人は生きる限り肉体と向き合い続けなければならない。

年齢を経て分かる肉体との向き合い方を体得したからこそ、見える景色もあるだろう。

肉体は魂の入れ物でしかないが、魂を維持し続けるためにも肉体は必要である、と今となれば強く感じる。

 

吉川は、ステージに戻るために手術をする。

僕らも、また吉川のステージに魅入るために健やかに生きよう。

 

 

 

DON'T WORRY 傷ならば癒える

STAND UP TO GLOW

NO HARRY 胸に燃えるような COREがあれば

(HEART∞BRAKER / 大吉)

2017/7/8(土)の広島・上野学園ホールで行われたKIKKAWA KOJI LIVE 2017 “Live is Life”のライブレポート記事となります。

 

以下、本文は公演内容について一部触れています。今後の公演を楽しみにされている方は閲覧にご注意ください。
 

 

「WILDLIPS」から1年ぶりの吉川晃司を観た感想は、一ソロアーティストのライブというより「吉川晃司というバンドのライブ」だった。

 

デッドエンド(DEAD END)もイエモン(THE YELLOW MONKEY)もミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)もエルレ(ELLEGARDEN)も僕にとっては1番ではないものの、メチャクチャ好きなバンド達だ。

 

そのメンバーが吉川晃司と肩を並べ音をぶつけ合ってる。

無心にギターを掻き鳴らしている弦楽器隊は、吉川晃司という高い高いパフォーマーに挑みかかり、食らいついている。

 

ネタばれになるが特にMis Fitが素晴らしかった。

 

ウエノコウジのベースソロから幕を開け、EDで吉川がはけた後のリードギターの掛け合い。

音楽好きならあの瞬間の恍惚こそがライブの醍醐味と知るだろう。

たしか昨年はMODERN VISIONだったか。

長尺なソロがいいアレンジだが、今回は生形真一だけではなく菊地英昭もいる。

 

今ツアーで菊池が参加したことでギターのアンサンブルが格段に厚くなっている。

荒々しい、、、というかエッジの効いたパンクオルタナ畑ならではの単音の多いカッティングもいいが、菊池の伸びのあるロングトーンはやはり堪らない。

 

湊も生形も菊池もウエノも一時代に確実に足跡を残してきたバンドのメンバーで一筋縄ではいかないぶつかり合いが繰り広げられる。

それはまるで布袋寅泰がかつてバンドメンバーにWONDERERSと名付けた事にも似ている。

長いキャリアの中でも今のバンドメンバーと吉川はノリにノッテいるのは間違いない。

 

 

ツインギターの良作用は『吉川がギターを弾かずとも済む』事にもある。

この夜もちょいちょいソロは弾いていたがボーカル95%ギター5%のいい配分。

 

暗転した瞬間、照明が映すシルエットだけで絵になる五十代はなかなかいない。

ズボンのサイドラインの銀色もその日の明かりに照らされて、夜空に浮かぶ月のように輝いていた。

 

もちろんライブは素晴らしかった。

「土曜の夜さ、広島の夜じゃけぇ」が無かったのは残念だったが、

 

それでも大満足だったのは、

 

『1990』

『ポラロイドの夏」』

『太陽もひとりぼっち』

 

あたりのちょいレアとレア曲の魅せ方だろうか。

 

 

『太陽もひとりぼっち』のホッピーの鍵盤とコーラスから入るバラードの味わい深さは逸品。

そしてその前の『ポラロイドの夏』の入り前MC

 

「この会場は昔バンドやってた時にコンテストで出て、控室もその時と一緒で、十代の時を思いだしました。18の時に歌ってた曲をやります。」

 

こんな形で始まったのだが、後方のお姉様が「やだー。どうしよー!!」などと叫んでいて、不思議な感覚を抱いたものだ。

 

この曲は知っている。でも、リアルタイムではない。

いや、ほとんどの楽曲が35歳の自分にはリアルタイムではない。

 

しかし思わず奇声をあげたその女性にとっては十代の時の吉川晃司と、十代の時の自分を、思い出し懐しむ曲なのだろう。

吉川晃司は51歳で、でも確実に十代の頃があった。

 

当時の歌を歌うとやはり同一人物だからかその当時の面影を残す声が響き、僕は共有していない当時をその女性の気持ちで見つめていた。

そこにはきっと18歳の吉川晃司が見えていたはずなのだ。

 

 

吉川晃司の魅力を僕は、僕らは、沢山知っている。

だけど、多分総てを集約するなら

 

”カッコイイ”

 

これに尽きると思う。

 

アイドルだった時代の曲を30年経っても演る。当然最新の曲もやる。

この特異なバランスが唯一無二たらしめている。

 

もう10年近く前になるがモンスターバッシュのエントリーで「残り続けてること。そして20年前の歌を歌う事の難しさ。」を書いた。

 

吉川晃司はまだ歌ってる。51歳の時に、18歳の時の気持ちを。

まるで音楽がタイムマシンのように当時の夏へと連れていく魔法だった。

 

 

MCで述べたように、翌日の福岡公演への想いを「たかが音楽たかがエンターテイメント。」

エンターテイメントが、音楽が、出来る事の無力を知りながら、それでもその力を信じている。

 

 

そして、そんな彼を僕はまだ信じていたい。

エンドロールの「One World」を瞳を閉じて余韻に浸りながら、会場を後にする人の群れを眺め、ひとりごちる。

 

 

夏がやってくる・・・広島からはじまる、僕たちの夏が。

 

 

仕事のついでにライブならぬ、ライブのために仕事を入れたのは、この地で今年の吉川晃司の夏がスタートすると知ったからだ。

 

もみじ饅頭の街

お好み焼きの街

カープの街

たくさんのロックスターを輩出した街

そして、、、原爆の落ちた街

 

広島。

 

 

「平和を祈る」といった、曖昧で薄い感覚では無い。

反戦・反核でなくてはいけないという、歴史と、戦後教育の断片が街のあちこちにまだ存在する。

原爆ドーム、平和記念公園という名前には永遠に忘れないよう刻まれた悲劇への、ある種の脅迫観念を感じる。

 

そして、この街で吉川晃司は生まれたのだ。

 

 

広島港にほど近い修道高校で青春を過ごしたという。

吉川晃司の母校を今回訪ねてきた。

路面電車を降り数分の場所にその学校はあった。

瀬戸内海の海風を背に自由奔放に育ったのだろう。

 

行きつけだというお好み焼き屋にも足を運んでみる。

あいにく、いっぱいだったが、昨年からのカープの盛り上がりもあって、街にはカープの帽子やシャツを着た子供たちでいっぱいだった。

無邪気に走る少年の姿を遠目にふと思う。

 

”平和”と”反戦”

 

それはもちろん人類全ての願いだ。

だが、僕はここまでどこか他人事のように考えていた。

 

その日は市民団体の反戦反核運動があったらしく、多くのマスメディアが報じていた。

 

それを後目に「原爆写真展」をみていると打ちひしがれてしまった。

僕は戦争を知らない子供たちで、戦後の左翼教育と、その揺り戻しのネットウヨクである。

イデオロギーなんてものも、すべてが幻のような一時の狂騒だと賢いふりをして知っている。

 

しかしそこにある写真や文章がすべて真実ではないにしても、この広島は「原爆が落ちた街」な事実には変わりはない。

記録された言葉や写真には悲痛なまで「無力さ」と「戦争というものの悲劇」と「原爆の怖さ」。

それを決して忘れないためのこの街が大きなモニュメントでもあるのだと知る。

 

今、僕たちが考えること、できることはなんなのだろうか。

そんなことが頭をもたげながら、「あの夏を忘れない」がリフレインする。

 

愛するってなんだっけ?

 



 

 

 

8/13(土)フェスティバルホール大阪。

 

歳の割に若く見えるという評判がいいのか悪いのかわからないまま今年35歳になる。

最近白髪が一本生えて、歳を重ねた事を憎々しく思う。

 

その日も2016年の夏の多分に漏れず、うだるように暑い1日だった。

僕は自転車を漕ぎ2年ぶりになる吉川晃司のライブに参加する事になった。

 

2002年と遅まきでその存在を知ってから、何度と無くライブに行く機会はあった。

フェスでの吉川、COMPLEXでの吉川、メモリアルライブでの吉川はあったもの、アルバムツアーでの吉川は実は初めてだという事に気付く。

 

そこに特別大した理由はない。

地球と月の軌道のように巡りくるタイミングが無かっただけだ。

 

だけど、そんな事実に気づくと反面その日はスペシャルなように感じた。

そしてこの日、僕は最新アルバム"WILD LIPS"を聴いていなかった。これも特に理由も無い。

 

カッコつけるならば、敢えて真っ新な気持ちで触れてみたいと思っただけだ。

会場は2階席の後方部で、全体を見渡すには最適かも知れない。

 

吉川晃司そのものも何よりだが、今回ツアーサポートを行うメンバーに惹かれたというのもある。

ドラムの湊雅史はDEAD END、生方真一はELLEGARDEN、そしてウエノコウジはアベフトシと同じく、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTなのは言うまでも無い。

どれもがワンアンドオンリーな音楽を時代に叩き込んだ、フェイバリットなバンドだ。

 

バンドとはCHEMISTRY=化学反応。

同じフレーズも人が違えば全く違うものになる。

それは機材が違うとか、音色が違うとか、テンポが違うとか言う物理的なものではない。

 

その妙を楽しむのがライブの醍醐味で、予習した最新音源の再現では割高にも程がある。

この日、このメンバーによってどんな音が鳴るのか、期待しないわけにはいかない。

 

さて、ライブだが時間より10分程押して開始。

 

一曲目はアルバムリードチューン『wild lips』である。

透過スクリーンに映し出される紅い唇はまさに弾丸のキス。

愛とキスとベイベーを繰り返してきた吉川晃司らしいバンド感の強い楽曲だ。

 

続いてアルバム曲がいくつか。

不真面目さというか陽気なリズムの小洒落た楽曲だった。

 

サクサクっと4曲続き

そして次に来たのは「夏っぽいやつを、、、。」と告げて始まった、『にくまれそうなNew フェイス』

 

さらに畳み掛けるように『LA VIE EN ROSE』と続き、場内は最高潮!

とはならなかった。少なくとも僕はだ。

 

隣のおば様が全部同じステップだったせいでも、後ろの100キロは優に越す巨漢二人組が、大音量でフルコーラスで歌うからでもない。

懐かしい曲はいい。でも、それだけでは辛い。

 

だって生きているのは今だから。

CDやビデオには今よりも若く、今よりも精力的な吉川晃司がいる。

 

では、これからどんな吉川晃司を見せてくれるのか?

そんな事が脳裏に過ぎり、MCに突入。

 

「2曲だけ、ゆっくり目の曲をやります。その後はずっと飛ばすから。」

一曲目はアルバムの曲だろう。ムーディなリズム主体の曲。

 

そして次はイントロでびっくりした。

『one world』

 

2年前のメモリアルライブでもやったが、この曲がこの位置でやるとは。

そして何が素晴らしいと言えば吉川が下手にはけてからアウトロの長尺を延々と数分に渡って奏でる生方真一である。

 

ELLEGARDENやNothing's Carved In Stoneではギブソンの分厚いサウンドを更にツインギターで聴かせてくる印象だったが、ここではソリッドで泣きの入ったソロ、まさに独演といった形で鳴り響かせていた。

惜しむらくは会場のどれだけがこの稀代のギタリストの演奏に耳を傾けてくれただろうと気を揉んだが、それだ杞憂だったのは次の曲で証明された。

 

白いロングコートを羽織り、唯一無二のシルエットを映し、中央に現れ弾き始めたのは『modern vision』

 

痺れた。

普段ギターばっかの吉川晃司は求めてないと凝り固まっていたけど、この日のアンサンブルは圧巻で、延々と、いや、永遠と聴いていられた。

湊の緻密なリズムにウエノのドライブ感、そこに生方と吉川のぶ厚くもソリッドなギターの掛け合い。

 

ぶっちゃけた話この一曲だけでも来た甲斐があったようなものだ。

そしてその後は土曜日の夜らしく、なアガりっぱなしの楽曲陣。

もはや、隣や後ろに向ける注意もなく吉川晃司ワールドを楽しむ、総ウェルカムモード。

聴き慣れたイントロにまさか!?の連続。

 

懐かしさ再現じゃない。そこには今現在の吉川晃司、僕等が、確かにいた。

 

01. Wild Lips

02. The Sliders

03. サラマンドラ

04. Dance To The Future

05. Oh, Yes!!

06. にくまれそうなNEWフェイス

07. LA VIE EN ROSE 2011

08. Expendable

09. ONE WORLD

10. MODERN VISION 2007

11. スティングレイ

12. BOMBERS

13. A-LA-BA・LA-M-BA

14. Black Corvette'98

15. 恋をとめないで

16. Fame & Money

17. The Gundogs

18. Juicy Jungle

19. BOY'S LIFE

【Encore】

20. せつなさを殺せない

21. Dream On

 

終わってみれば、オールタイムベストにも近い、僕らがよく映像で繰り返してみた、聞いたベストのようなライブだった。

客席の盛り上がりも、地方公演最終日という事でか、熱気に満ち溢れていた。

 

10数年間よく聴いた楽曲の中でも、30歳で作ったというBOY'S LIFEも50歳になった今は違った輝きを放つ。

 

吉川晃司も歳を取った。それに僕自身も歳を取った。

感じ方も変わって当然なのかも知れない。味覚や刺激への耐性は変化して然るべきだから。

 

僕は吉川晃司ファンとしては同時代に青春も共有していない、ニワカだ。

その一方で彼の魅力をどうにか体現したいと大学の頃から活動を重ねてきた。

 

べた褒めもできないし、さりとて批判もしたくない。

率直な言葉とスタンスで彼を追いかけたい。

次のライブ参加はいつになるか分からないが、改めて感じた。

 

俺たちもあんな50代を目指そう。カッコいい50代を。

形じゃない。職業じゃない。ましてや音楽だけじゃない。

人生は折り返しじゃない。

 

増えて行く白髪もタテガミのように、情けなくも気高く、強く生きなきゃと思うんだ。

また、来よう。次がいつのタイミングになるのか分からないけど。

そう刻んだ35の夜。

「あぁ、やっぱりか。」
本日真夜中の速報NEWSを見て多くの国民は納得した事だろう。
今年1月に話題となった、SMAP解散報道が所属事務所からの正式な発表として世に出されてしまった。

これから年内の解散まで、多くの芸能人、知識人、コメンテーター、ブロガーが思い思いの『SMAP論』と平成という時代について書き連ねていくだろう。
それくらい、天皇陛下のお言葉とSMAP解散はこの時代2016年夏を象徴する大きなトピックだと言える。

昭和の終わりに大旋風を巻き起こした光GENJIの後発として、SMAPは世に送り出された。
まさに嵐のような過ぎ去ったブームだったのは幼い筆者の記憶にも残っている。
現在のジャニーズの栄光はSMAP以降と言っても過言ではなく、アイドルらしからぬマルチなスタンスは多くの後輩が踏襲する事になった。

『個の時代』が謳われる中、美男だけではない彼らはより『個性』を打ち出した事により大衆にマッチした。
ドラマ、バラエティ、映画、書籍などを途切れる事なく発表し続けこの28年を走り続けてきた。

中居正広のバラエティ番組『ナカイの窓』で酒に酔った近藤春菜が泣きながら中居にこう言った。
「どれだけ国民に捧げてきたんですか。もう十分じゃないですか!誰も文句言いませんよ。」
これはSMAPと青春を重ねてきた我われ世代には、同世代感、コモンセンスと言ってもいい。

日本のエンターテイメントを、テレビという娯楽を牽引してきた最後のスターが気付けば全員40代に突入している。
未だに求められる、キムタク、中居君、ゴローちゃん、草𦿶君、慎吾ちゃん、である。それも1人しか家庭を持つ事が許されていない。(更に言えば家庭の話題は一切タブー。40代がワンピースにはしゃぐ姿よりもよっぽど身の丈にあっている。)

「個性の時代」「個の時代」を象徴したSMAPが、誰よりも「個人の生」を生きられない、私人になれないままである事を露呈した。
時代の閉塞感と合わせて、「稲垣メンバー事件」「裸で何が悪い事件」と彼らを取り巻くストレスや闇も目に見える形でこの10年感顕在化したように思える。
売り上げ、人気も頂点を極めればあとは下り坂を降りていくだけ。
その難しさや苦悩は周囲には計り知れない。

「国民的アイドル」という公人からの脱却は、解散という儀礼的死を迎えなくてはいけないというのはもはや避けがたい事実なのか。
中居君のデレマス「アイドルは辞められない」とダンディハウスのキムタクの広告が隣合って貼られていた地下鉄を思い出す。

光GENJIはステージにローラースケートを置いて去っていったが、SMAPは平成という時代を置いていく。
願わくば東京五輪で大都会TOKIOに大輪の花を、世界に一つだけのこの国にしか無いアイドルという花を咲かせて欲しかったものだ。