闘病記

心筋梗塞になって入院してからの病院関連の記録日記。そんな闘ってません。

闘病記2 2023.2.23~3.27 金沢 LIVE AT 集中治療室 (僧帽弁置換術編)

つづきます


金沢の病院での日々は続きます。この年の雪はほぼ金沢の病院から眺めてました。
「外すごい寒いんですよ」といわれても他人事。Tシャツとパンツとペラペラの入院衣で平気で過ごしている。
雪降ってるなと思いながら氷水をくんできて、リハビリ室の窓から見える雪景色をみながら準備体操していた。

金沢は流石に遠くて娘もおいそれとこれないが、なにも不自由はなくなっていた。あえていえば氷水に入れるレモン果汁がなくなったことくらいか。これが売店にも売ってない。まい泉カツサンドや金沢で有名らしい料理店のピッツアやら挙げ句はアウトレットみたいな安売りまで定期的にやってるのにレモン果汁はないのよね。
だから、1回買ってきてもらったよ。金沢くんだりまで。まあ、それはそのあとにつながりますがきちんとした大義名分がありました。

リハビリで、自転車の検査を受けます。試験でしょうか。呼吸器をつけて心拍数などを計る機械をつけながら一定期間を漕ぐことで数値を見て、その結果が良好ならば退院(転院)になる。

詳しいことは忘れましたが、リハビリの先生と立ち会う担当医との兼ね合いが悪かったので木曜かそこいらが来週の月曜に延期になった。

長く入院してわかるけど土日は本当にヒマで。とくに不干渉がモットーの金沢はさらにドン。ナースと会うのも一瞬、先生もこない(あるいは一瞬)、患者同士とも話さない。つーことでヒマを持て余す。
と、げっそりしてたら、「どうせだから」とエコー検査を受けることになる。そこでまた運命が変わっていくのです。

思えば前回もそうでした。2012年に心筋梗塞で入院して、その処置か、それより以前なのかはサダカではないのですが、僧帽弁という血液の逆流をふせぐ弁が破れてまして、外科手術で塞ぎましたが、それはエコー検査で判明しました。
そして塞いだつもりの弁のフタが破けていたのが発覚したのもそのエコー検査でした。腹にローション塗ってハンドスキャナーでみるやつです。横向きで長時間じっとするやつで、いまもしんどいですが心不全の不全具合が極まっていたときはかなり苦しかった。半身が水につかった状態って感じで苦しかった。

その2回めと同じことが起こりました。
よくしたもんで、やけに時間がかかるなあ、ヤバいか?と思うとたいていそれ。3回目だからね。そりゃあわかるよ。

今回の富山にいたときもエコー検査してたのになあと担当医にいったら「かなりわかりにくいところにあって金沢の機械じゃなかったらみつからなかったよ」と。

どこまで本当やらと。

今回は富山の看護師を筆頭に医療スタッフに100%の感謝は持ちにくかったです。
もちろん現在生きているのはまちがいなく彼らの尽力と発見と対応と、おれが少しばかり持ち合わせていた運だったんだとは思いますがこの何ヶ月かの誰かの対応がちがっていたらおれの人生はいまとまったく変わってたものになってますね。ま、現在かなりマシなほうにはいるんだけどね(重篤なネタバレ)。

僧帽弁が再び破れているのが発見です。どうもかなりすごいそうです。
「どうりでなにやってもよくならんわけだ」と担当医はあっけらかんといってましたね。

見つかったのはおれの運です。自転車の検査をやって万が一合格してたら富山に戻り、そのまま退院までこぎつけたらかなり死に近かったと。
(んまあ、あとからリハビリの先生にそういったら、まずOKな数値はでなかったですよと)

そういうわけで入院延長でなおかつ外科手術決定です。

僧帽弁再置換術

です。

2/21長女の誕生日に準備
2/22弟の一周忌に部屋を一旦出るために大抵の荷物を娘が引き取りに来て
2/23次女の誕生日に手術スタートです。

執刀当日、娘は立ち会わなかったそうです。手術のあとあらゆるものを一旦持っていかれてたので(身の回りのはみがきとか本とか。メガネ以外はスマホも服も一旦引き取っていったそうです)、集中治療室にいる時間はまったく外界のことがわかりませんでした。

もちろん手術も全身麻酔からの心臓を人工のものと繋ぎ変えてするくらいの大規模プロジェクトなわけです。
だけどまあ逆にこちらはやることないんですよね。そういった意味じゃ気楽でもあったんですよね。

2/23に手術で3/4まで意識はなかったです。2023年はほとんど消えているような人生でしたが極め付きに消えてましたね。

目覚めました。動けません。視線も体勢もかなり限られてました。
めちゃくちゃ機械がついているのがわかりました。どうしてわかったのかというと、集中治療室の「室内」にいなかったからです。
イメージとしてはショッピングモールのテナントから撤退したあとのがらんとした空きスペース。そこにおれのベッドとそこでしか収まらない大量の機械があり、ほぼその見張りのために(もちろん他の患者も兼任でみている)視界の端に座ってデスクワークをしている看護師が常駐してました。そして何分かおきになにやってるかわからない仕事をしてました。
その「往来」を昼夜のべつまくなしバンバンひとが通り過ぎていきました。
身体にも点滴が2桁ついていて、その「ハブ」のために身体に、寒冷地にはおなじみの三角形のプラスチック片で、凍結したクルマのフロントガラスをガリガリ削るようなものを1/3にしたようなものが右肩に埋め込んでありました。そこからたくさんチューブがくっついてました。

目が覚めてから4日はディスコティックでした。4日なのかどうかもわかりません。
見えるものはフラッシュライトやミラーボールが絶えずあちこちでまたたいて光り輝いており、あらゆるスペースにはgifのようにいろいろなものがうごめいていた。

(19) "Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix" — ナム・ジュン・パイク Nam June Paik - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=2nQXNfmErok

もうちょっと正確に言うとこんな感じ。モニタはそんな多くなかったけど。

他方で「それは錯覚だ」という認識もギリあって、なるほど「トリップ体験」ってこれかって思った。そういうクスリが使われていたかはわからないが、かなり強力な痛み止めはあったみたい。痛くなかった。
前回の2回目の外科手術のときは痛くて動けなく、死ぬときってこうなんだって理解できるほどどうにもこうにもならなかったが、今回はその期間を眠らせてくれていたみたい。

その代わりディスコティックでした。看護師に「なにかしてほしいことある?」って尋ねられて、「そこの壁のフラッシュライトがまぶしいのでなんとかしてくれ」といいそうになる直前でした。

どうやらおれは画期的に回復力が強かったみたいで、目覚めてから2日だかで寝床から起き上がることが。そして3日目には立ち上がることができました。
「3日で立ち上がるひとはじめてだから動画に撮っていい?」などといわれたし、その次の日に簡易便座で座って大便もしました。いずれも医者と看護師とほかのよくわからない方々が10人ほどいた中でやりました。ほぼモルモットな感じでした。
ただまあ動くときはあちこちに大量の点滴やチューブが付いてたので寝返りをうつのも最初は看護師が最低2人必要でした。


それでいて娯楽はラジオばかりでしたね。これもまたサラウンドで聞こえたりずっと位相が回転してたりしてました。メリーゴーランドに乗ってる感じ。


集中治療室にいるときはスマホ持ち込み禁止で看護師の気まぐれでラジオを聴くしかないのよね。
で、そうなると地方だとJFM系、すなわちFM東京だけになるのよね。
それで山下達郎氏のサンデーソングブックを聴く習慣がついたので今もRadikoで聴いてます。
なお、集中治療室晩期はFM金沢ってコミュニティFMを好んで聞いてました。演歌が8割ですがときおり1時間くらいノンストップで昭和の歌謡曲が流れます。はっぴいえんどの「空色のクレヨン」など意表をつく曲が流れる。演歌も含めていい意味で邪魔にならなくて読書できてよかった。


集中治療室にもリハビリの先生が来て、円柱状のビニールボールを足元において踏むとか、立ち上がっては座るとか、やらされてました。

飲み物も食べ物もほとんど口にしなかったような。慢性的に喉は渇いてましたが飲まないと死ぬって感じはなかったのは点滴のおかげですかね。

毎日、回復度に応じて、各種機械が取っ払われていきまして、いた場所がいかにだだっ広いスペースだったのかわかりましたね。

あと頻繁に喉に詰まった痰を吸われてました。コレはかなり苦しい「仕事」でしたがあるほうが苦しいので苦しむ価値はありましたね。
ただ、漏れ聞こえると他の患者はそれを拒否しており看護師とかなりもめていました。

そして大問題が起こります。

毎日点滴や機械が外れていくのですが、その流れで、前記の白い三角の凍結したフロントガラスをガリガリ削る、点滴のハブを取る作業をしようということになり、全身麻酔からの、翌日です。

朝起きてほどなく、右手に感覚がないことに気がつく。
「あれ、右手がしびれていて感覚ないんですが?」
看護師に告げる。
「ああすぐ治りますよ」って答えがくるのかと思ったら、先生に即伝えて、おれの右手を診て、すぐに別の先生に相談に行く。そのあと半日音沙汰なし。
とてもまずいことが起こったみたい。それは退院して現在もなお実感しています。だって、いまも右手麻痺してるんだもん。

どうやら全身麻酔をして点滴の器材を外すときに右手の血管に血栓がつまり、右手の心筋梗塞のような状態になったようです。
(実にそれは退院間際までのいろいろなひとに聞いたことを総合した結果です)
右手が肘から先、正座して痺れた足の裏みたいになっており、ピクリって程度しか動かない。右手だけでボウリングの玉を持ち上げようとするくらいしか動かない。そしてときおり高所から飛び降りて着地したときの脚のような痛みが走る。

右手の動脈のところにうでかい5円玉くらいのボタンがつけられている、なんかあったらすぐにそこからペースメーカーを入れて作動させるための緊急措置らしい(んまあそれくらい危険だったそうですよ→あとで特別長く話しした担当に尋ねたら手術の成功率は8割切ってたらしいし)が、なんとなくそれが取れたら治るんじゃないか?ってけっこう軽く考えていた。それは金沢を出るまで軽く考えていた。

その後、右手麻痺のまま「これもやっておきましょう」なんていってペースメーカーも埋め込まれる。
基本1時間30分で終わる予定が4時間くらいかかる。
ペースメーカーは左胸に埋め込まれててちょっと大きめのワイヤレスイヤホンのイヤホンの充電器兼格納ケースくらいの大きさのもので2つの電極が出ておりそれを心臓に差し込んで電気刺激を与えることで心臓に一定の拍動を与えるという仕組みになっておりますが、度重なる手術などで電極を刺す場所が傷だらけでどこにもないって状況だったらしいです。
この処置は軽めの麻酔しかかかっておらずにけっこう痛かったです。時折心臓が痛いという。悪の魔王が胸に腕を突っ込み心臓を握りつぶすアレの軽いやつです。「グッ!」って声が出ますよ。
この手術でがんばったことのひとつであり、わりにクライマックスでした。

そしてペースメーカーを埋め込まれたら割合とすぐに戻されました。
手術→集中治療室という工程を踏んだあとに送られる、それ用の個室です。
富山の個室は普通の個室でしたが金沢のはトイレに全く仕切りがなくてベッドから降りたらそこに便器がむき出しでありました。ああ、刑務所の独房か。いま気が付きました。ただ、当時は機能的で便利でした。なにせ、右手麻痺状態で病衣とパンツの上げ下ろしにも時間がかかるし、両手には点滴をぶら下げている状態でした。

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入ってすぐに尿をとる管が取れて、階の移動が自由になってその返す刀でTwitterのBAN撤回申請の答えも来ましたよ。永久凍結決定みたいな。
なんという歓迎ぶり。家に戻ったら別にアカウント作るべえかと(思ってたら3/18に予告なく復活した)。

ほどなくちゃんとした食事も提供されたけど、右手が麻痺しているので、ごはん類はすべておにぎりにしてもらいました。それは富山に戻ったときも引き継がれたからずっとそれで。それで右手で食べるために右手にフォークを握らせてネットで固定するって手間をしてくれる看護師としない看護師とがあり、右手で食べたり左手で食べたりしてました。
金沢からずっと食欲がなかったのでどうでもよかったです。


入院してからパインが大好物になってしまったなあ。
缶詰も出るけど全然ダメ。

だから、退院したらさしあたりスーパーに寄ってもらってカットパインを買って食べたいというささやかな夢があるわ。問題はそれがいつかという。

医者は「やれることは全部やった」とは言ってたのであとは調整だけなのだけど、それで右手が麻痺してるのが引っかかるという。


個室を出たあたりから、ノルマとして20分歩く、リハビリで自転車を漕ぐってのに、プラスして右手のリハビリもはじまる。
かなりのマッチョで、雑談しだすと、マッチョ話がはじまるし、大体30分のコースを1時間近く話していたりする。アマチュアながらコンテストも出ているようでかなり本格的でおもしろかった。
ただ、マッチョだから治るってこともないようで、相変わらず動かない、握力がない、感覚がない。
神経細胞は毎日1mm伸びる」って言われました。じゃあおれの期間契約の仕事が10月で終わるんだけど、それまでに動かねえじゃん。
これに「ラッキー」と「なんて上長に説明したらいいんだろう?」と複雑な気持ちが続きました。退院するまで。そして職場復帰しないまま期間契約終了でした。「ラッキー」は残ってますが将来の漠たる不安ってのはいま現在も多少あります(多少かい)。


手術のあとの集中治療室はスマホ禁止で個室じゃないとラジオしか聞けない。そこでオロポを知った。サウナーが好むお風呂上がりに飲むやつ。ポカリとオロCを混ぜて飲むといいらしい。

これは集中治療室をでたらすぐに飲んでやろう。これこそが勝利の味だなと。

とはいえ、今の今までかかってしまった。その後、右手麻痺やらいろいろあったし。やっと昨日から院内移動自由でシャワー解禁になったので、シャワってから勝利の味を。

ただ、むせて噴き出したわ。布団をびしゃびしゃに。まだ、一気飲みはダメだなあ。

オロポ自体は美味かったけど、これ飲むなら以降は素直にマッチ飲むわ。


心臓の方は「やれることは全部やった」とはいわれてます。あとはおれ次第だとも。
娘を富山から呼び出してカンファレンスルームで話したりもしてます。
以下箇条書きで。

心不全の具合を4段階にして末期が4だとするとおれは限りなく4に近い3
・外科手術前は心臓移植も考えようかって話だったらしい。それはおれも初耳だった。
・だけど手術自体はうまくいった。現状これ以上ないくらいうまくやったし、その経過は良好だ。
・あとはあなた(おれのことだ)次第。
・目安としては「次」の入院までの期間が長ければ長いほど生存率が上がる。3があるいは2になる可能性もある。
・右手の麻痺に関しては、富山の病院にも申し送りするし、その後のリハビリなどは相談してくれ。

娘も昨日あちこちググってロクでもない記事ばかり読んでたので拍子抜けしたと。
でも、ま、不安だよね。明日転院だけどそこからまた一波乱あるんじゃねえだろうな?と。

忘れるとアレなので心臓移植の話も書いておこう。

心臓移植になると、今入ってるペースメーカーのように人工心臓を埋め込んで生活します。人工心臓を埋めても日常生活は送れますが、ペースメーカーと違い人工心臓は外にむき出しで、管理はセルフでやらないとダメらしいです。あとリュックみたいなバッテリーを背負わないとあかんらしいです。

そして7年から10年かけて心臓移植の順番が回ってくるのを待つんだって。

で、他人の心臓をもらって移植。

移植したら日常生活が送れるそうな。免疫の薬を毎日飲むのと、生魚はNGになるんだって。寿司食えないじゃん。

そうならなくてよかったわ&退院したら寿司食おう!と。

3/27から富山の病院に戻る。


さっきペースメーカーの専門医が来ていっておれに埋まったやつの調整に来た。ブルートゥース見たいので調整できるみたい。

で、いろいろ尋ねたら、アウトって他の医師にいわれてた体脂肪計付きの体重計は「あれくらいなら大丈夫ですよ」っていわれましたよ。

マジかよ、おれ昨日Amazonで買ったぞ。血圧計といっしょに。だって家には体脂肪測定の体重計しかないんだもん。
実際は右手動かないのにxbox series Xの方がアホな買い物なのにそのことのほうがダメージが大きい。

 

>で囲んであるのはマストドンで書き残していたものです。

 

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闘病記2 2023.2.1~2.23 金沢 カテーテルアブレーション

前のつづき
主治医いわく、
エコー検査やレントゲンで診るに、10年前の手術の跡が心臓内の電気の動きを邪魔して、心拍に変なリズムを与えてる。だからこれを焼くと心拍の動きが安定してよくなるはず。ただし、その設備は当病院にはない。
だから、金沢にある病院に転院してもらたい。前にそこで勤務していたからすぐに連絡はつくからと。まあ、1週間くらいかなあと。

うん、いや、話はわかるけど退院とか一時帰宅はないんですか?と尋ねると、「ムリだね」と即答。まあそれもわかるんだけど。

しかし、前年11月の入院と同じだ。少し良くなったかと思ったらどんどん悪くなっていく感じ。
1月も下旬になると尿を取る管はとれているが、室内の自由しかない。毎日来るリハビリの先生が来たときだけフロアを歩く。ほんの100mあるくだけだが正直ちょっとだるい。やっぱり体調はあまり良くなってない。
こっそり自販機に買いにいったりはしてるし、洗面台まで行くことができるから実質飲水制限はなくなっていたが、よくしたもので以前の制限であった2000ml以上飲むと咳が酷くなる。飲んだ瞬間に咳き込みでもどすこともある。何回かシーツを替えてもらった。
たびたび食事も残すようになってきた。
それでも喉が渇く。

ますます横になって寝ることはできない。鼻水や痰が止まらない。血も混じってます。看護師によるとそれは治ってる傾向にあるということらしいのですが。つまりはずっと十分に呼吸ができないということです。後頭部、うなじが焼けるように熱くなり眠れずにいるのに意識が途切れそうになる。
水分を取り、鼻水を生産する機械に慣れ果てている。

そういうことなので無呼吸改善マシンをつけるのは止めてます。余計に呼吸できずに喉が渇き鼻水で鼻がつまっているからです。
そんななのに体重だわ検温だのでぼんやりしたりうつらうつらしたところを
看護師(ときおり医者)に起こされる。死ぬわ。

だから、金のことやら仕事復帰やらいろいろ不安が高まってたけど、それよりも金沢に行かないとヤバいなという不安のほうが上回っていた。

ーーー

そして当日2/1。転院ということになる。一時的に富山の病院から金沢の病院に行く。そして一時帰宅も退院もない。
つまりどういうことかというと、救急車で移動。金沢まで高速道路に乗ってサイレンを鳴らしながら移動。
「こんなことはじめてだ」
と救急車スタッフも言ってたからかなり異例なことなんだろう。
おれは身体を起こされて点滴をつけたまま移動。娘2人も同行。2人は金沢に着くなりそのまま駅から帰宅。どないやねんと思うがそういう決まりだそうだ。
しみじみ身内がいてよかった。まあまあ良好な関係を保持しておいてよかった。他人のことはわからないが、コロナでお見舞いお断りな現状でも家族仲を伺わせるエピソードはあるもんなあ。
そして身内がいて不味かったのは、点滴には小便が出やすい利尿剤が入っていることで、30分おきにトイレにいってたのに小1時間高速移動で小便をしたい以外考えることができないという煩悶っぷりを娘に晒し続けていたことだね。
高速のSAにでも一時的に止まってもらおうかずっと考え続けていた。
もちろん病院に着くなりトイレを切望。かなりギリギリでセーフ。自分の膀胱の強さに助けられた。

ーーー

トイレの後、待ち構えられた医者に会う前にコロナの検査。
今はどうなっているのかわからんけども、ガッチリとコロナ対策がされていたので入院時には鼻の穴に煙突掃除のような長い棒についた綿棒を入れてこすられる検査をされる。金沢に着いてもされて、再び富山の病院に戻るころにもされる。それ以上の苦痛な思いは山のようにされているのだけど、これも苦痛ではある。

ーーー

大勢いる医者を前にひと通りの検査をされて部屋に通される。
長期の入院でいうとはじめて別の病院だ。
これがけっこうちがうところが多い。
4人部屋だがそれぞれのスペースが広いのでとても快適。覆ってあるカーテンの防音効果が高いからか同室の患者と看護師との話し声が聞こえない。
なにより、
無料Wi-Fiが完備してある。これが最高に快適だった。読書用に持っていたタブレットが映像をみる機械に代わり、各種サブスク映像を見倒すことができた。ネットフリックス、ディズニー+、DMM TVをみたおしていた。
ただ、現在、あのころみた作品のサムネイルをみると快適を上回ってのいろいろあったこと(主に苦痛や心配)を思い出して嫌な気分にはなる。

病院の方針もずいぶんちがう。着くなり点滴を替えられ、おしっこを出す管も差し込まれて、また身動きできないのか?とげっそりしてたら、おしっこをためる袋を点滴台の下に設置して部屋のトイレには点滴台をひきずって行って大便はしてくださいといわれる。
そして次の日には、各フロアにある交流スペースへの行き来が可となる。
来るときに「飲水量の制限はありますか?」と尋ねたら、「え?そんなもんないない」といわれたので交流スペースの自販機で飲み放題になるし、そこでは飲用の水と氷も汲み放題だった。お茶もそうだった。
そしてさらには、どんどん移動範囲が増えて、最終的には、入院してる6階から地下1階にあるリハビリ室や2階にあるレントゲンなどは1人で移動しろといわれる。
ここはなんでも1人でできる分にはさせるって方針なのよ。
だから2階にある別の飲み物がある自販機や前の病院の10倍くらい広い売店や、ついに行きはしなかったけど1階にあるタリーズや食堂も行き放題だったのですね。
しかも、売店も自販機もカードにチャージして使うとそれ1枚で使えるものなのでどこにもカード1枚で出かけられる。
おれは心拍数を計る機械を入れて首からぶら下げる巾着袋にカード1枚とスマホを入れてでかけていた。
その日の予定は朝に看護師が伝えるしプリントアウトしたものを置いていくので、時間に合わせて自分で調整できるのがよい。
朝に体重や血圧もセルフで計ることになっていて、看護師は朝に現れるときと、食事を持ってくるとき、あとレントゲンなどに来いという案内があった知らせのほか来ない。

富山の看護師のように脱走する家畜がいないかチェックみたいなことはない。
良し悪しはあるが。
だって、カテーテルアブレーションにまた太ももの付け根から管を通すために陰毛を剃る。それをセルフでやらせるんだもんな。そしてちゃんと剃れたかという検査には来る。なら剃ってくれよってのもまたちがうけど。

あと金沢の看護師は厳重に患者にマスク着用を義務付けていたな。カーテンの向こうからみて、マスクを着けてなかった「マスクお願いします」とビジネスな感じでいってた。ま、全てにおいて合理的なビジネス感はあった。
ただ、これは確実とは言わないけど、採血や点滴、おしっこを入れる管などの処置の上手さが桁違いだった。そのわりに謙遜してたり、どことなく全体的におっとりしている。金沢の気風ってそうなのかな?と思ったり。
(先生は周期的に北陸3県をぐるぐる変わってるらしいけど看護師は地元の人が多いそうで)

ーーー

2/1に着き(誕生日だ)、2/2にはカテーテルアブレーションが施行される。よくやってる検査入院時のカテーテル手術の流れにあってちょっと大規模なものでした。
長時間でしたが、かなり強めの麻酔のおかげでぼんやりしているうちに終了。
次の日には移動可になっていたがそんなに小便などは心配しなかった。

ーーー

そのころ1番心配だったこと。
おれは1級身体障害者でいわゆる「手帳持ち」。
いろいろと特典はあるけど1番大きいのは医療費の免除。
ところが、これってそれぞれの県でだけ通用するらしいのね。
富山県から石川県に移動したからには普通に請求が来ると、入院して2日めくらいに会計のひとに告げられる。それで一気に心配が募る。
まあ、いろいろな技を駆使したけどそれでも最終的にかなりな請求はきた。ここは食費や入院のときにとられる「雑費」が富山の入院に比べて高いのでさらに。

ーーー

食事は入院食で減塩食のわりにフライとかカレーなんかも出てバリエーションに富んでいてなおかつ、3食全て3種類くらいのおかずからセレクトすることができた。
ただしまずい。そして水は飲用の水でも泣きそうなほど不味い。入院の間ずっとそれが辛かった。それより辛いこともたくさんあったが、3食のことだったからじわじわと辛かった。あ、カレーは辛くなかった。辛いものにとにかく飢えていた。

富山の病院はがんばってたんだなあとしみじみ。けっこうお高めな配膳マシンで持ってきてたみたいで、熱い食べ物は熱く、冷たいものは冷たかった。料理自体のバリエーションは少なくて、文字通りのしょーもないものは多かったがでも味付けは確かだった。フルーツも上等のものではあったな。

まー、どっちもできれば2度と食べたくないから。懐かしさはない。

ーーー

1週間という約束だったが、例によって雲行きがおかしくなっていく。
カテーテルアブレーションのおかげで心拍数が安定し、リズムも一定になっているのだけど、どうも本人(おれのことだ)の体調が安定してこない。そのうち本人(おれのことだ)にもじんわりと伝わってきた。

とくにリハビリの先生だ。毎日自転車こがせてなおかつその負荷を徐々に上げていくってトレーニングをしている。

「今って70代のひとの平均なんですよねー」

どうもポータブルの心拍数を計る機械にはそう出ている。たかだか15分ほどの自転車漕ぎでゼエゼエいってるのでおれもなんとなくそうじゃないかなとは思っていた。
でも、ここに長くいたらダメだ。おもにお金の面で。
だが、ついに病室からリハビリの徒歩の間に小休止をとらないとどうにもこうにもならなくなってきた。通りかかった別の階の看護師に心配されるほどゼエゼエしてた。

と、いつの間にか、3週間目に差し掛かる。

そんな中でいて、退院(というか再びの転院)がアナウンスされる。体感は入院する前よりはマシになったがいい調子ではない。ただ「こんなもんだろう』とは思っていた。

これを書いている「今」の感覚で思い返すと死にかけていたのでした。良くもなっていなかった。

 

リハビリの先生に、特殊な装置の自転車を漕ぐことでかなり細かいデータが出るのでそれでパスしたら転院になるでしょうと。

入院しててよかったですね。これ通院でこのテストを受けたらどえらい請求がくるんですよ。

先生はこのフレーズが大好きみたいでトータルで10回くらいいってたな。

 

結局2月にそのテストを受けることはなかったのです。

 

つづきます


ーーーー

 

闘病記2 2023.1.6~1.31 喉の乾き

本来の主治医に会うなり、多くを語ることなく入院決定。そうだろうなと思う。
正直、病院が開くなり飛び込んで入院したかったんだけど、また主治医以外が担当になって面倒なことになるのもいやだし、そもそもでいうと入院はしたくない。
でも、しょうがない。なんとかしてもらわないと。わりに生命の危機を感じている。

入院するなり、おしっこを挿す管を入れられ点滴を打たれる。いきなり身動きが取れなくなる。
そうなると紙おむつもあてがわれるわけで、大のほうもおむつに出せばいいんだけど、永遠に「それ」は抵抗ある。介護士や看護師にとっては「なんでもないこと」らしいし、実際もっとやりたくないめんどうや緊張する仕事はあるらしい。
でも、抵抗あるひともいることも尊重されると。つまり、大はどうするかというと車椅子で多目的トイレに運んでくれる。
これは紙おむつにするのとどっちがめんどうくさいのだろうか?
このターンのおれの1番大事な「仕事」は便意を看護師に上手く伝えることだった。
お役所仕事ということでもないけどできるだけ蔑ろにされず、かつ、スムーズに便意とリンクさせて車椅子に乗せてもらい、終わったらまた元のところに送ってもらう。
失敗すると待たされた挙げ句に忘れられる。
まあ、看護師も大変だからなあと慮っても便意が止まることはないんだよ。
「紙おむつにしちゃってもいいんですよ?」
ってよくいってっくるけどそうしてる同室の患者もとても待たせる。だから絶えずうんこ臭が漂っている。

そして

いま強力な利尿剤を点滴で入れてるからとにかく尿が出る。だからチンチンから管を入れて尿をベッドの脇のタンクにためている。つまりおれはベッドから動けない。そいでじゃんじゃん尿が出る。ということは喉が渇くということで。
だから、家ですらあった飲料制限がない。
だが担当医は「特にない」といってたのに看護師側で勝手に「飲み過ぎやろ」って制限がかかってた。しかも「飲み過ぎ」と主治医に進言している。
だからこっちも炭酸水を口に含むと喉の渇きがおさまるから自販機でなにか買ってきてといったら、今度は一転して「先生に聞かないとわからない」と。
で、ついに「氷3個」とコップに入れてよこす。それで朝まで凌げって。それが2:00。4人部屋で2人が寝たきりでその10分後に痰を吸い込む作業しはじめて患者が大騒ぎ。氷3個なめて寝れってことだが寝れるわけねえだろ。
しゃあないので来る時持ってたフリスクを舐めてじっとしてると1時間くらいしたら看護師が一転「脱水するかもしれないので水飲みましょう」だって。そいで水も汲んでくる。なんだそりゃ?
と、これがなくなるのもいやだしそのまま横になって泣きそうな気持ちで寝てたら、また看護師が飛んできてモニタしてる脈がヤバいです。すぐ水飲んでくださいだと。
そりゃあ看護師は信用ならんよなあ。

明日からガブガブ水飲んだるねん。
マストドンの書き込みより)


このターンの入院は喉の渇きとの戦いだった。
そして看護師への不信感がモリモリとヘビ花火のように膨らんでいく。
トイレへの案内はちんたらしてるのに、飲水制限には異様に厳しい。しかも思い出したように。
動けないので身の回りにあるだけの水分で戦わないといけない。
そうしてる間にも尿から水分が奪われる。
咳込みは止まらないまま。何度かむせて飲み込んだ瞬間にベッドにドバッと水を吐き出したことも2度ほどある。それを看護師にいうのもためらう。
だってめんどうくさそうな対応するもん。萎縮するよ。

そしてずっとぼんやりしてる。脳の回転が明らかに遅い。
iPhoneでのSNSの口数も減っている。
だって眠れないんだもん。
眠れないから「これはやばい」と思って相談しにいって入院したのに余計に眠れなくなるとはどういうことだ。

ゼーゼーいうかゴホゴホしながらベッドの角度をほとんど90度にして眠れない日が続く。

尿を取る管の「入り」が下手でじっとしてても痛いし寝返りしても痛い。金玉の裏側が痛い。それを看護師に訴えても、ちらっと見て「ちゃんと入ってるけどなあ」と。何回もチンポ周り見られるのも恥ずかしいし。我慢するしかない。
でも痛いし。そういうもんだと思っていても痛いもんは痛い。

ここらへん今後のネタバレになるけど、「別の」病院だと全然痛くなかったし「そこは」1週間に1回点滴などは交換してた。つまり看護師が下手だった。採血も点滴も尿の管を挿すのもおれへの対応も。
くわえて11月の入院でも思ってたけど看護師も患者も准看護師も掃除などのスタッフも全員が全員うちあわせしてきたみたいに殺伐としている。
待遇が悪いのか、婦長の方針か、病院の方針か、看護学校殺伐科を卒業したからか、単にそういう性格が集まったからか、モンスター患者が精魂込めて育て上げた成果か。

10年前の入院とは雲泥の差に思えた。

あ、もうひとつ要因がある。コロナだ。コロナで看護師の負担や気遣いやストレスはすごいことになってただろうな。

そう、今回の入院はまだキツめの対コロナ状態でのもので、身内のお見舞いは完全禁止。差し入れは検閲が入る。

ここで娘に差し入れをたのんだものが「これは医者に許可を得てないので、許可を得てから渡します」なんて「勝手な判断」でいってきた。
だから、回診にきた主治医に泣きついて、「先生はいいっていってた」といって取り返したこと数回あったけど、甘い飲み物、果物、ゼリー飲料は没収のまま娘に返された。
今回、娘に2日と開けずに差し入れに来てもらってた。なぜなら喉が渇くから。いろいろあって炭酸水にした。
飲水制限が2000mlとあったので基本は500mlのを4本。一応タテマエでは看護師がチェックしていたけど日付変更のドタバタで1本有耶無耶にしてた。
(つーか、まともにチェックされたことなかったな。見逃してくれてたのかもしれないけど、めんどうくさいからいいやって判断だった説が濃厚(おれ調べ))
1日5本2500ml、くわえて朝の牛乳。お茶(番茶)をたまに尋ねるやさしいほうの看護師に聞かれたら飲む。それが200mlとか(一応計ってくれる)。

1日3000ml、それに3食の食べ物からの水分。

でも、強力な利尿剤の前には無力でした。1日中喉の渇きと戦っていた。

この目的は、肺に溜まった水を抜くことと体重減少で心臓の負担をおさえ、心不全を改善させるというものでした。

11月からの入院生活でこの1ヶ月ない入院が1番苦しかったです。地獄とはこのことかと思いました。
歯も毎日は磨けず(気の利いた看護師以外は声をかけない→申し送りしてないのか、めんどうくさいのか)、電動シェーバーを持ってなかったから3週間近くヒゲをあたれず(洗面台がないと)史上最大のヒゲ面になったし。
そんな中でも考えてるのは「喉が渇いた」だけだった。

そして、1月の下旬に、
「数値がよくならないんだよね」
と主治医。
「そこで、」
次のターンへと進むのです。苦しみはつづくのです。

闘病記2 2023.12.6~1.6 退院から再び入院の間

12月5日に退院しました。そして自宅療養。
15日に復職に向けて会社内の産業医とその総元締めと総務の偉い人と上長とで医務室でリモートで有料の診断書みながら聞き取り。
結果しばらくは日勤で「念のため」次の通院の結果を聞いてから次に週から出勤って事になっていたのですが、ってこの先の展開はおわかりですよね。

次の通院ではずっと担当してくれてた先生。さすがに入院明けなので、採血、レントゲン、心エコーってゼリー塗って胸のあたりにハンドスキャナーをあててグリグリするやつ。
「数値が良くないな」とポツリ。
これを聞いてとくに驚かなかったんですよね。

退院して会社にいって次に行く日が決まって「これで出勤までは罪悪感なしに休むことができる!」と喜んでいたのですが、聞き取りに出社した日をピークに雪崩を打つように体調は悪化していくのです。結局朝起きたあと一日じゅう座ってるだけで終わる日々。ほぼ出かけませんでした。
薬を調整して1週間後に来い。それも数値が悪い。
「仕事の方は?」
「今の状態だと「とんでもない」ってことになるかなあ」
なんちゃらって数値が通常のひとが100でおれが入院のときに500だったんだけど、今日1200だって。
「わからんわからん」を連発しつつ、こわいから働いてもらうのダメだわってことで年末まで休みって決まったのよ。
その後、もう1回みて薬の調整しよう。
そのうち、病院も会社も年末年始休。そしてまだ雪があったのかってくらいおれの体調の雪崩は続くのです。
疲労。息切れ。咳。痰。なんじゃこりゃあと。
娘によると異様に顔が黒かったそうだ。
異様に寒くこれまでにないくらい着込んでじっとしていた。
そのまま年末年始はコントのようにたくさん着込んで1日座って過ごしていた。眠れなかった。まだ座っているほうがマシなんだよね。
咳込みが止まらない時間がどんどん長くなる。
とうことで人生最高に体調の悪い年末年始を送った。


体調がちょっと洒落にならんくらい悪い。
下手したら6日の通院でまた入院になるかもしれんな。
眠れないのと呼吸がデキないのよね。
あとセキしすぎてネタ番組で笑うと腹筋が痛い。マジで2023年乗り切れないのかなって気がする。
いややなあ。


1/3にマストドンでこう呟いていたてました。天気が悪かったというのも相まって、過去20数年欠かしてなかった1/1の初詣もさぼった。体調がどんどん悪化するのもこの罰かと思っていたほどです。

そのまま1/6に病院。多分そのまま入院だろうと思っていたので運転せずに娘に送ってもらう。



闘病記2 2022.11.14~2022.12.5 AED その 4

退院まで。メモったりしたことまとめ。

久しぶりの入院で変わってたこと

・男の看護師が増えた
・看護師のユニフォームが変わった(昼の部と夜勤で変えたようだ。医者の希望で変えたらしい)
・コロナだからかお茶を汲んで回るサービスが消えた(たのむと汲んではくれる)
・あと細かいルールが増えてる。たとえば患者の高価な持ち物が無くなってないか毎晩看護師が直にチェックする。
・看護師が全員大声に感じる(それはおれの感じ方か)
・4人部屋ではかつて全員テレビをつけてたが(おれ以外)、いまはつけてる方が少数派。みんなスマホは持ってる。ずっといじってるのはおれくらい。
・コロナだからかもしれんが朝の総回診はなくなった(白い巨塔でおなじみの)
・全員が患者のいる前でそれぞれの悪口をいうようになってる。とくに掃除係とか別の職場の人の悪口がすごい。
・スタッフの私語がすごい。あと患者のアタリも強い。
・10年前に入院した時と施設のベッドとかテレビが何も変わらない。
・いま、同室の2人(1人いない)が物理的に動けない2人なので割合と自由にはできるけどこいつら寝てばかりですげえいびきなので耳栓かAirPodsが離せない。AirPods Proはいいね。もうちょっと横寝でも収まりがよければは最高だったのに。
・毎日水分800mlに制限されてるから600mlの麦茶を飲んでるのだけど、今日でなくなったので、禁止されてるんだけど自販機のある休憩所までこっそりいって買って帰ってきたらもう息ができないほど疲れててすげえ身体が弱ってると自覚。しかも看護師にバレて主治医にチクられて叱られた。

他に気づいたこと

・やっぱ寝ないとダメねー。入院中だととくに実感できるけど、「寝たな」と思わないとセーブされた感じがしない。「セーブして次章にすすむ」のセーブね。

慢性心不全ってことで横になると肺の底に溜まってる水が全体に流れて呼吸が苦しくなるのよ。半分まで水が入ってる花瓶を横にするイメージ。そらもう中からこぼれないとしても花瓶内はビシャビシャになるやろ?

横になるとあかんからってベッドにテーブルを挟んで授業中睡眠のようなカタチにしたりベッドを90°まで立てて座って寝るやつとか(昔のオランダ人の庶民はそうだったらしい)試した末にネットであった「うつぶせ寝」を試したら今朝は4時間くらいは意識がなかったのよ。

・入院してからずっと眠れない。元々眠れないから医者に相談に行ってそのまま入院してとなるもそこから1週間眠れてない。前も書いたけど横になると気持ち悪いのよね。だから騙し騙し寝たり起きたりしている。
それにしても連続で4時間が今のところ最長。
さいわいにしてじっとしてるのが仕事だから辛みも少ないのだがダメージはある。なおかつ、起こすんだよ看護師が変な時間に寝てたら。あれがイラつく。今日もやられた。
手術してほとんど下半身裸でセルフで尿瓶で尿を取って看護師に捨ててもらい、早く変なオムツとテープと前貼りをとってもらいひとりでトイレに行きたかったりと不穏な感じで眠い眠いと起きてたので、流石に疲れ、意識なく1時間ばかり寝てたら起こされた。
チンチン周りを暖かいおしぼりで拭いてくれた恩がなかったら大暴れするところだった。

そういうわけでいま眠くてだるくて頭が動いてないのだった。

 

・昨晩無呼吸の度合いを調べるって機械を看護師3人がかりでつけられたのよ。鼻にチューブつけて指に酸素濃度みたいなキャップはめて腹に機械をベルトで装着。このベルトので看護師がマニュアル見てもうまく行かないって大騒ぎ。
この看護師が、こないだの手術でチンチンの毛を剃って前貼りをつけたひとと、それを外して周りを拭いてくれたひとで、おれのチンチンをよくみてるふたりでなんかすごく変な感じだったわ。そのふたりがおれの腰に手を回したりしてベルトを通したりあちこちベタベタ触るの。3pか。

もともと夜によく眠れないから病院にいったのに、そういうゴテゴテしたものつけて眠れるわけないのやで。ってデータ取れるほどは寝れたのでよかった。

 

・サッカーの大きな大会で日本がドイツに勝ったようで。おれが入院してるとスポーツで歴史的なことが起こるなあ。ロンドンオリンピックとか入院してた時あったし。近くの休憩室で大音量で開会式が流れてたのを記憶してる。

 

・病院の個室に住むのも悪くないよなあ。毎日看護師に起こしてもらって体温や血圧測ってもらえて。

でも、部屋から出られないのはいまはまだ辛いかな。

って前の入院中も思ったな。

 

・先日とった無呼吸測定器をみたら1時間で無呼吸の回数51回だって。しかも平均時間30秒。つまり1時間のうち30分が無呼吸。
1時間40回が最低ランクになるんですがそれをぶっちぎってました。

でもまあコンディション最悪の頃だったからなあ。そのあとよく寝てるので今測るとちがうはず。

といったら、無呼吸治しマシーンみたいのをつけて今度寝てくれって。むー、めんどくさい。退院したい。

 

・同じ病室の顔は知らんがヤングは、毎日のように朝に看護師に「今日シャワー予約できますか?」って入る段取りをつけさせている。

おれ2週間シャワってないのに。

パンツ以外は履き替えもしてない。

でも、若者の欲求の方が正しいのよね。これ、24時間休みなく点滴うたれてると看護師もそうだけどおれもめんどくさいのよねシャワー。けっこう強い意志が必要。

でも、前はもっと「身体拭きますか?」とか「入院衣かえますか?」っていってもらえたのにな。かなりほったらかされてる。背中拭いてもらえたりな。

人情紙風船とはこのことだ。(そのあと身体を拭くのもあったしシャワーもあった)

 

・無呼吸治しマシーンで寝てみました。鼻にマスクを当てて風を送って呼吸を助けるって、理屈は口を開けて寝ると鼻から風が大量に入ってきてうわっとなるから勢い口を閉じて寝て治すってシステムなんですね(もっと色々あるだろうけど)。

アレだ、ドラッグストアにある口に貼って口呼吸を防ぐ絆創膏と大元の原理はいっしょやな。

意外眠れたけど、すごく汗をかいて疲れてる。快適になるまで大変かもしれないけど快適になるといいのかもしれないなマジで。(退院してみた水曜日のダウンタウン安田大サーカスのクロちゃんが同じのをつけてたな)

 

・病院を早く退院したいと思うのは朝飯の時間だよなあ。本当に朝飯はマズイ。味がないのに味噌汁なんか出すもんだからそこに塩分を持って行かれて周りのものも味がなくなる。ダイエット道場だと思えばいいんだけどな。

 

・病棟は半二重の回廊の外側に病室が配置されていてそれぞれひと回りできるようになっているのだけど、この8Fは鉄の扉の周りを覆うようにボードできっちり囲んである。反対側もそう。だから4角の1辺がまるまる塞がってる感じ。工事でもしてるのかな?と、リハビリの先生(廊下を歩いてる)に尋ねたら「コロナ患者用の隔離病室です」だって。なるほどね。

 

・病棟にクリスマスツリーが飾られるまで入院してようとはなあ。前回もクリスマス手前までいたような。

 

・入院する前からその感じはあったけど、ずっと風邪をひいてるのよね。セキが止まらない&喉が痛いってコロナっぽい症状だけど、入院前に抗原検査してるのでまあそれは陰性。すなわち純粋に風邪っぽい。入院中に治るかと思ってたけどそんなことはない。で、看護師に風邪薬くれっていっても絶対にくれないんだよな。というか、医者は風邪薬は処方しないんだよな。さっき10回連続くしゃみ出てから5分セキしてたわ。

 

・あ、おれ、ずっと病室ではマスクつけてないわ。看護師も「本当はダメだけど」といってたけどなにもいわない。息苦しくて眠れないからの入院でマスク義務づけさせるなよって話だし。でも、給湯所にいくときはつけてく。いま、逆サイドがコロナ病棟になって完全閉鎖になってるから貸切で、おれと隣のやつで貸切状態。でも、マスクつけてはいるよ。

 

・看護師に対しては信頼はしてるけど信用してないな。たいていたのんだことを忘れるから。そら、何人も患者抱えて回すもん、どうでもいいほうから用事は忘れていくよな。ティッシュくれってたのんだのすっかり忘れられてる。でも、こう言うことで腐ってたらキリがない。

退院まで

・後半1週間はなにもなかったし、残り4日ほどは点滴もとれたのでますますここにいる意味がなくなった。無呼吸直しマシーンの調整とかしてた。

・退院。これまでだと家族のひとが退院の手伝いをしてくれたからいいんだけどコロナで面会ができないから、全部抱えて帰ったのはしんどかった。駐車場にはいたのでそこではあった。

 

闘病記2  2022.11.14~2022.12.5 AED その 3

今回主要な暇つぶしはiPhoneとFire HD 8でした。Fire HDは電書用です。ペーパーレス達成です。256GBのマイクロSDカードにギンギンに未読の電書がつまってるのでこれらを処理するチャンスだなと。
ただ、やっぱり新刊とか読みたくなり、iPhone経由でデザリングしたら3日でギガをつぶして低速になってしまった。

そのまま追加で1GB買ったけどそれも1日もたない。だからそのまま2週間弱低速制限ですごした。
ところが、Twitterマストドンあたりなら低速でも画像の読み取りが遅いくらいでなにも問題がない。さすがに待つし途中で止まることもあるけどYouTubeもなんとかなる。

アップルミュージックもストリーミングで聞く分にはまったく問題がなかった。ダウンロードするとちがうんだろうけど。

そういわれてみればかなり便利だったのが、そのアップルミュージックとAirPods Proだった。予想を大きく上回って音楽ばかりきいてたし、耳栓代わりにProのノイズリダクションは重宝した。外音聞き取り機能とボタンひとつで切り替えられるのもいい。看護師は油断するとそこにくだらない用事でいるからな。

本だけじゃなくて音楽の聞いてないものも多かったのでそこはかなり役に立った。

ただし、ぼーっとしている時間が多くて捗りはしなかったな。

闘病記2 2022.11.14~2022.12.5 AED その2

入院中。

基本は点滴をつけて、大きな注射器が機械で少しづつ押し出されていってそれが入っていく感じ。看護師もあまりなれてないみたいで注射器の薬を交換するときは最初はとまどっていた。
この薬は高価で強いものらしく、点滴をさしたところがすぐに痛くなって差し替えってことになって困った。というか血管が細い男なので看護師が困るし、おれは痛い。右がとくに弱くてひどいときは5回差し替えたあと変わってもらうという事態にもなった。かなりトラウマになったみたいで、「点滴をします」「採血させていただきます」っていったとき背中に脂汗をかくようになった。

また息苦しくて眠れないので入院したわけなので採血や点滴の針をさすためにずっと横になっているのが普通に苦しかった。あるときは我慢できなくて立たせてっていってしばらく息を整えていたかな。

 

そういう日々に採血やレントゲンや心電図など検査をしているうちに変な不整脈があることが判明。それがさらに症状を悪化しているのでそれをとってしまおうということになった。
その処理がAEDって映画なんかではおなじみの電気ショックをかけるってやつで、一瞬心臓の動きをとめて脈を正常にするという川の石にハンマーをぶつけて魚を気絶させるってガチンコ漁みたいなことをやる。
それはいいんだけど、心臓が止まると危険だから(当たり前だ)またの付け根からペースメーカーを入れて万が一に備えると。ハイ出ましたよ。またの付け根からいれるやつ好きだなどいつもこいつも。

で、前にやったときよりもずっとずっと念入りに剃毛された。
「指3本」が目安だそうです。は? よくわからないのですが、「指3本」っていってから看護師長を呼びにいっておれの剃毛っぷりをみせて確認してもらってます。セクハラ?恥ずかしいのだが。
で、看護師長も「指3本」という。
「なんですかそれ?」って尋ねると2人揃って「指3本」という。指を3本だしながら。
どうも、この指3本の幅に収まらない陰毛はみんな剃らないといけないそうで。
んまあ、恥ずかしいですよ。つーか、半端に陰毛を残すくらいなら全剃りにしてくれってたのめばよかった。ま、そういうサービスしてくれるかわからんしな。


で、手術。拍子抜けするくらいあっさりと成功に終わり、また途中麻酔嗅がされてたのでほぼ感覚と記憶がなかった。
画期的だなと思ったのは「終わりましたよ」って呼び起こされたときにびっくりするくらい息ができて快適だったこと。こんなあからさまにすぐ効くことあるんだってくらい。

その後、下半身をバンテージテープでがっちり固定されてまたしばらく動けないやつね?って思ってたら次の朝まで動けないやつだった。
いちおう、水分は極限まで減らしてたからおしっこがしたくて死ぬことはないのだけど動けないということと下半身がバンテージテープだけってことの不快と、眠れないことで入院生活のクライマックスでしたがかなり早めにきました。

そこから個室。手術あとの個室でした。これは毎日の個室フィーがかからないやつです。前回のときもそうでした。ただ、前回のときは外科手術あとで文字通り死にかけてました。今回は次の日には自由に動けるようになっていたのでまあしばらく快適でしたね。無意味に4日くらいあってその間気楽だった。やっぱ1室4人でいるのはしんどい。別の患者対応も含めると四六時中看護師がいたり別の患者のいびきとかはやっぱりね。

トイレも専用だったしね。