またまたお久しぶりのエントリです。
今回はこのツイートから。
https://twitter.com/suminotiger/status/1699566251910307956?s=20
これに、ルール化すればいいとか感想じゃなくて指示だとか繋がってるけどそのスタンスだと思春期詰むと思う。 https://t.co/DZhbSawJWr
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2023年9月6日
元はひろゆき氏のツイートに対するリプライですね。
元のツイートに関してはリンクから遡っていただいたらと思います。
「それってあなたの感想ですよね」「はい論破」等に手を焼いている親御さん、という話に対するひろゆき氏のツイートに対して
「先に宿題を終わらせなさい。テレビを見るのは宿題の後でいいでしょ」 「それってあなたの感想ですよね」 この場合、どういう言葉をかけるのが適切なんでしょうかね。
とhとttp
と質問し、それに対してひろゆき氏が
「宿題を終わらせなければ、テレビを見てはいけない」という家庭内ルールを作れば良いだけかと。。。
と答える、という流れになっています。
他の方のリプライには「それは感想ではなく指示では」等の回答もありました。
それに対しての、文頭のわたしのツイートです。
今回はこれについての連ツイをまとめながら加筆する形で書いていこうと思います。
「先に宿題を終わらせなさい。テレビを見るのは宿題の後でいいでしょ」
この言葉に対して子供が「それってあなたの感想ですよね」って言いたくなる。
まず初手としては、その返答が返ってきた時点で声かけとして破綻しているんですよね「宿題に着手させる」という効果を出せてない。
「先に宿題を終わらせろ」
「テレビを見るのは宿題の後でいい」
これ、どっちも「なんでそっちが決めるんだ?」って思いません?
少なくとも思春期の頃の自分はそう思っていたし、似たような場面でのうちの子たちの反応も往々にしてそんな感じです。
「テレビより先に宿題を終わらせたほうが良い」というのは少なくともただの親の主観でしかなく子どもにとって説得力があるとはとても言い難いんですね。
この時点で「え、その方がいいに決まってるでしょ?」「当たり前のことでしょ?」ってなってそれ以上の言語化が難しい方は「はい論破」や「それって…」に真っ向から対応できるとは思わない方がいいかなと思います。多分向いてないんで。
年齢が低かったら「テレビを見るのは宿題の後、はいこれは我が家のルールです、終わり」で済むかもしれないです。
でも子どもたちが成長していく段階でそれに対し従順な子供ばかりではないですよね。
なんの引っかかりもなくルールとして受け入れ続ける子もいれば、大人しくルールを受け入れていた方が無難だと判断してそうする子もいるし、宿題をしたふりをするような不正を働く子もいるし、反抗する子もいる。
その子によっていろんな成長の仕方をすると思います。
「それって…」等の言葉が出てくるのは後半に出てくるようなタイプの子だと思うんですね。
その子たちにとって「宿題を先に済ませた方がいい」という大人の声はそう簡単には届かないですね。そもそもやりたくないから。
「宿題を先に済ませた方が有意義にテレビを見ることができる」と大人がどんなにわかっていても、いま目の前のその子にはその価値は理解できていない。
大人が考えたらその方が妥当だろうと思うような当たり前すぎること。
でも、大人に比べて知能も乏しく判断力や見通しを立てる能力も拙い子どもにとっては大人が妥当だと判断するその答えに到達していないことも多いんだよね。
だから大人はつい、黙って従えばあなたのためになるのよ、って気持ちになりやすい。
でも、子どもたちには自分の能力の限界と大人のそれとの乖離は見えない。
だから「自分の理解できないことを大人に強いられる」という形になってしまう。
どんなに大人から見たらその子にとって良いものでも良い方法でも、子供の脳みそのそろばんを弾いたら同じ答えに辿り着かないことはよくあることで。
自分にとって一見道理の通っていないような、また自分に必要とは思えないような、いま自分が避けてもどうにかなると思うようなことを「あなたのためだから」と強いる大人に子どもは反発するよね。
思春期にそれが露骨に出るのが、イコール反抗期なんじゃないかな、と思ったりするんですね。
その場面に直面した子供たちにとって、ぐうの音も出なかった大人への反抗を表現することのできる魔法の言葉が「それってあなたの感想ですよね」であり、そこでその子供たちの感じた違和感を丁寧に言語化する作業に付き合えなかった大人に向けられるのが「ハイ論破」なのかもしれない。
子供からこの言葉が出てきたら、大人に向けての「考えてないことがあるよ」「説明しきれてないことがあるよ」っていうサインなのかも、と思ったりするんですね。
「宿題をやりたくないなぁと思っている気持ちをどうすればいいのか」とか「そもそもなぜ宿題をやらねばならないのか」とか「なぜテレビを後回しにした方がいいのか」とか、本当に子供が納得いくまで説明できてる?それについて話せてる?
多分できてないと思うの、だからそこを突っ込まれてる。
話せもしないことを強いようとしてることを見抜かれてる。
「テレビより先に宿題した方がいい」は親子で納得ずみで共有できている事項ではなくて、親の側にしかなくてしかも形のないフワッとしたもの。
そのフワッとして外に出せてないものを「みろ」「従え」と言われてもそうできない子たちもいる。その子たちにとっては、自分たちのそのジレンマのような気持ちを表現できるのが「それってあなたの感想ですよね」なのかもしれない。
もちろん親としては厄介だよね。
これまで大人しく従ってくれていた子が魔法の言葉を手に入れて反抗することができるようになっちゃうのは困るよね。
でも、それを言ってくれているうちが華なんじゃないかな、とも思うんですよね。
本当に心を閉ざしたり大人を諦めたりした子たちはそんなこと言わなくなる。
言ってくれるうちに、その言葉を言いたくなる向こう側にはどんな気持ちがあるのかな、どんな納得のいかないことがあるのかな、自分が伝えきれてないことは何かな、って考えたり、わからないなりに話そうとしたりすれば子どもたちもそれなりにそれを受け入れてくれるんじゃないかなぁ。
そうやって一緒に歩いていけば、それなりの思春期を一緒に迎えられるんじゃないかなぁと思ったりする。今日はここまで!
s://twitter.cominotiger/status/1699566251910307956?s=20