2020年3月6日金曜日

不失其所者久

僕は真に革新的で独立した考えを持って儲かっている自転車店を見たことがありません。
それはその店で見ることができる最も貴重なものはその店主の理念であり、生き様そのものだからだと思っています。
その店の在り方は常に「理想であるか、存在しないか」 二者択一。0か100でしかあり得ない。おこがましいがこれは僕のものを作ることに対する姿勢でもあります。
んで、僕は店とは本来そういうものだと思ってきた。

でもそんなことは自身の高度に確立された理想と、10年20年先を見通す千里眼を持って初めて可能になる芸当であって(僕にはこれがない)、つまりバカの場当たりでは到底作り上げられないお店の在り方な訳で。
またそんなことができる人間が今の日本を悲観しないで見るなんて、そりゃ無理な話だ と僕も思うし、そういう決断に至ることはむしろその能力の発揮であり当然の結果であるとも言えると思うわけです。

常連さんのだべりを横目に一心不乱に文字を打つ姿が印象的だったけど、無我さんは商品にその説明を強いられているのではなく、その物品の羅列そのものが彼が人生を賭け体系化した自転車の意味を読み解くための数式で彼の言語のようなものだったと理解してます。
物品を見てその文字を読む人間はそこに隠された大枠の意味を知ろうとする義務すらあったと僕は思う。同業者であるなら殊更。
お客は物の消費の末端でただ受け身でいるのではなく、共に意味を共有し合う当事者としての意識をもっと持つべきだった。


これを持って一つの時代が終わったと言った人がいたけど、その時代ってどんな時代?
高い理念と明確な方向性、普段履きを地で行く泥臭い生活感と全く同じ構造の精神的生き様。
そしてそれを持ち展開する実態としての人間であるご店主とその行動。
他人が相手を理解するために絶対不可欠な相対する事象を欠かさず併せ持っても成し得なかったというこの結果。
こりゃ終わった時代って、 小売業という業種が成立してた時代 ってことじゃないかい?

不失其所者久 其のところ失わざる者ひさし
僕の座右の銘の次に来るくだりですが、本当にそうだと思う。
訳あって無我さんは一回休みですが、人が其の人生で得た知見は変化はしても決して無くなりはしない。
人がいれば再起は謀れる。
無我さんが見たこと得たことを、もう一度僕たちも知ることが出来るようになるはずです。

それまで関西以西でのSunrise cyclesのフレーム販売も一緒にお休みです。
お手数ですが当方に直接ご連絡ください。
無我さんの言葉を借りるなら、同じ日本語でも僕がそれを理解するかわかりませんが。
よろしくどうぞ。

「お疲れ様でした」とかをいう気はありません。

2019年3月14日木曜日

Fuck up beats

毎年恒例のハンドメイドバイシクル展が開催されました。
昨年よりも若干ではありますが来場者も増え、まだまだ右肩上がりに成長?と、数字だけ見ればそんな錯覚もあり得るのかもしれません。

当日の写真がないのですいませんが、ご挨拶の文章だけ。。



       == ご挨拶  ==


” どんなことでも一人の人間がプロとして成立するためには平均して10000 時間の鍛錬が必要” という統計があるそうです。

1 日8 時間、年300 日働いて4年かかる計算になります。 なるほど、とても納得がいきます。
というのも僕も「こういうことか」と思えるまで確かにそのぐらいの時間がかかったように思うからです。

実際その時間の長さが正しいのかは知りませんが、誰にでも等しく必要な期間だということは事実だと感じます。
僕自身はその内容に関わらず誰かが何かができるようになるまでの道程は同心円上のスタートラインから中心の球状のゴールを目指す徒競走のようなものだと思っています。

(月)横から共にスタートした同胞とはその時間という絶対の要素を共有することでその目的や気概も共有しあい、

(火)±90°横からスタートした人間の自分とは違うやり方、生き方に即座に肯定的になれずにも徐々に大きくなるその姿を意識せざるを得ず、

(水)±179°の人間に「なぜそんなショートカットが許されるのか」とその理由を探すも見つからず憤慨し与えられたものの違いを嘆き、

(木)予想もしない価値観と共にその行程を歩む180°反対からスタートした人間にいつか出会うことを夢見る。

そんな徒競走。

そして全員が二度と取り返せない膨大な時間をかけて同時にゴールにたどり着いた時初めてそのゲームの意味に気づく。
「なんだ、みんな同じ距離を歩んできたのか」と。 
そして知る、「自分ができることに意味があるのなら誰かができることにも等しく意味がある」と。
” 誰が” ゴールしたか。そんなことはどうでもいい。” ゴールした事実” それ自体が誰にとっても喜ばしいんだと。

できないことができるようになることは僕の人生の最大の喜びだと常々思います。
(もちろん子供の成長もですが)
昨日とどう違うのかわからないほどでも小さく変化した今日を積み重ねて望む明日を作る。
それ以外に方法はないのだと確信しています。

「今日と違う明日が本当に来るというのですか。今日と違う昨日も思い出せんというのに。」by♨ 
来る。明日は必ず来る。 来させる気さえあれば。

僕が作る物は常に僕が見たい物です。
それはその物の本質をつかない虚飾の言葉など必要ない言葉無くして語る物であってほしいと願っています。
そしてそんな物を自分で作り、その完成を祝い酒と共にそれを眺める。 
その時「僕はこのために生きている」と本気で思うし、そんな瞬間があることそれ自体が幸せというものだと思うのです。

We've come a long long way together,
Through the hard times and the good,
I have to celebrate you baby,
I have to praise you like I should
              -Fatboy slim



     =====



僕の子供は今、上が10歳の小学校4年生(可愛すぎる)なのですが(下は1歳で可愛すぎる)、担任の先生方がまぁ、お若い。
小学校の教員だった僕の母親が言っていたのですが、今の教師の年齢層は見事に中堅層がズッポリ抜け落ちた歪な構造になっているそうです。
長男の小学校にもその図式がまんま当てはまるのが一見してすぐ分かります。

年に一度の日本の同業者の祭典であるこの会に行くごとにこの話とまんま同じものを見ます。
出来上がった構図を変えることなど当然できるわけはなく自分の居場所を変えることもできるわけがありません。
唯一できることがあるとすれば、様々な立場の人それぞれがその立ち位置を理解しその場で何ができるのかを模索することです。
僕たちのように新参であればあるほど自分が枝葉の末端としてどんな行動がとれるのか、それを考える必要があると感じます。

錯覚ではなく実感にするため。


真冬の時代一歩手前の1990年、多くのキリギリスが死にゆく手前。
一時代が30年で繰り返すとするなら、今はまさにその時です。
そして事実そうでしょう?



2018年11月8日木曜日

壺、思うんですよね。


僕は8年前に開業し、それまで憧れでしかなかった多くの有名な同業者の皆さんとお会いすることが出来ました。
もちろんそれだけでも嬉しいのですが、僕はその方々それぞれの自転車を通してその価値観や志のようなものを見せてもらい、また一人の同業者として僕の意識が織りなす僕の自転車を見てもらい多くの言葉や反応を受け取ってきました。
そこで得た言葉や気づきは間違いなく僕の生涯の宝で、”行動の先にある結果を見られる幸せ”そのものだ と、今の段階でも思えます。

その中でも最も心に残っている言葉は、我らが輪天堂の岡田さんの放った「自転車って何なの?」という、自転車と共に生きる者が望み続ける以上抱き続ける疑問の言葉でした。
もちろんその場その時に僕はその問いの答えなど持ち合わせておらず、未だに自分の分すら見つけられませんが、
「ああ、やはりこの人も”そう”なのか」 と、自分が独りではないことを教えてくれたその言葉自体が、その答え以上に意味があるように感じられました。
人は皆思うんだな、と。 「人生とはなんなんや」と。 
そして体感的にわかりました。人は独りでは生きられないんだな と。


話変わって、今日 同じ業界のとある有名な方のつぶやきが目に入ったのですが、正直愕然として開いた口が塞がりませんでした。
曰く、数値やスペックを漁るのはオタクではなく、その本質、根源を知ろうとするのが真のそれである とのことだそうで。

正直何が言いたいのかさっぱりわかりません。
(何が言いたいのかわからない ということ自体をこの場で言うことに意味があるかも不明なのは重々承知ですが)
確かなのはこの方は二項対立の中で生きていて、(過去の発言から)真こそ求められるべき と言いたいらしいということです。
そうだとすると(対立しあう事象には論者のイデオロギーが反映されるらしいことを踏まえて)
「数値、スペック<本質、根源」 「偽<真」 を対概念として用いているこの言葉は、要約すると 

「上辺を知ろうとする人間は偽であり、本質を求める人間はそれに勝る」

と言っていると解釈するのが妥当なように思います。(人間=オタクという表現から)

だとすると信じられないぐらい傲慢な発言だと思うのは僕だけではないと思う。


ツッコミどころが多すぎて何から言えばいいのかわからないほどですが、

仮に事物に本質と上辺があるとし、その不可視の本質、根幹に肉付けがなされ事物が完成し、そのトータルを持ってその存在となるなら、付けられた肉(上辺)そのものも存在の一部であることは明白で、
それならば、上辺を持って可視化されたそれ自体の要素を指す数字、状態がその対比において何故その本質より劣るのか。 
それはそれ自体じゃないの? 僕にはさっぱり理解できません。

加えて、行為それ自体に優劣をつけるというバカバカしさだけならまだしも、こともあろうかそれを嗜好する人間それ自体にそのヒエラルキーを当てはめるというのは、あまりにも未成熟で幼稚な考えと言われてもしかたないんじゃないかと。
極論「肥溜めを洗う人間は下等な人間である」と言ってるのと同じように見える。
数字、スペックを記憶することに喜びを感じる人間がいてもおかしくないし、
目で見えず手で掴むことができないその物の本質を的確に突くことなど誰にでもできる芸当ではない。
当然のことだけど、人が嗜好し望み行う行為に優劣などあるはずがない。
ましてその優劣がその人間の価値になることなど決してありえない。


そして何より、僕が一番理解できないのは、この人は自身の真が他人の偽である可能性を考えないのか という点です。
考えないなら本当に羨ましい話ですが、あたり前ながら、自分が正しいと思うのと同じだけ、他人も自身が正しいと思う可能性がある と考えたほうが無難だと教えてあげたい。
自分が本気であればあるほどに、あいつは本気ではない などと他人を指差して笑うことなどできない。
なぜって、そういって差す指は他ならぬ自分に向けられているのと同じことだから。
何も差さない人差し指など存在しない(あればいいけど)。
結局、二項対立の世界からは何も生まれないんじゃないかと。
もとい 対立しか生まれないんじゃないかと 僕は言いたい。


たかが自転車なんぞを本気で自分で作ることのバカバカしさ、愚かさを自分自身で俯瞰しながら、それでも本気で自分で作る。
自身の中に 他人に向けたほうが幾らか楽か知れないほどの本気であることをバカにする笑いと、根拠のない願いを叶えられる純粋な喜びを常に共に抱え、その矛盾を解決できないにもかかわらずそれでも続ける。
人が望み実行する行為というのはそういうものだと僕は思う。
一本のフレームも、それを作る行為も、果ては一人の人間の人生も、全てその人の自身との対峙の深さによりその度合いが左右されるものだと僕は思う。



またまた話は変わって、僕は森羅万象における入れ子構造の存在を本気で信じています。
(自身では「マクロ、ミクロのどこを取っても同じ原理で同じ構造が生まれる」 という内容で解釈しています)
僕はその一文から図らずもそのことを再確認させられ、そして恐ろしく。。。
上のつぶやきにそれを感じずにはいられなかったのは、その発言が作る世界にまるで今の日本の縮図を見るかのような気がしたからです。
事実そのつぶやきには多くの同業者が反応、同調し、「いいね」の言葉尻からか、その発言が支持されているようにモニター越しからは見受けられたわけです。
僕の考えすぎであることを願いますが、それに同調した人たちにその思いはないと思うあたりにもミクロの日本があるように思ったわけです。

ここまできたらもう言う必要もありませんが、今の日本はどう考えてもおかしい。
今後天文学的数字の期間で人が住めない土地を作り、食べ物も管理され、人は貧しくますます少ない。それでも戦争に向けてまっしぐら。
なんだこりゃ、リアルナウシカの世界かよ と。

地域も会社もある考えを共有する集まりも、それを構成する最小単位が人である以上、人の度合いがその集まりの度合いとなるのは当然のように感じます。
自己との対峙を通して自分の行動、考えの規範を知る。
今の僕に、日本に最も必要なことはそれだと僕は思います。
そう思う理由は上記の通りで。

2017年6月6日火曜日

限定に弱いことは決して悪いことではないらしい


現在Sunrise cyclesがあるテナントは贅沢なことに2階建てを一棟借りです。

1階が工場、2階が物置兼事務所になっています。(敷地は三角形)

(詳細を知る方のご感想はこちら

その荒屋ですが、以前は染め物工場として使われていたそうです。
実際ここから神田川沿いに高田馬場方面にかけて昔は染め物屋街だったそうです。(今泉さん談)今も一件二件残るそうで神田川で友禅流しが見られたそうです。
この工場もなぜか間取りの真ん中に排水溝があったり、床もそこに向かって傾斜していたりで水が流れそうな作りをしています。

一階はそんな元染め物工場、二階は居住部なのか、にしたのか風呂無しの畳の2部屋半のスペースです。


こんな細かい話を公でする必要はさらさらないのですが、このテナント、家賃は1棟分ですが、水道電気(引いてないけどガスも)は一階と二階で2契約です。

前々から2階をそんな使うわけじゃないのに2契約も無駄だな〜無駄だな〜 と常日頃思っておりました。

そんなおり、2階の電気設備の老朽化で設備の交換による急な出費を余儀なくされる事態になりかけました。

僕はそこで初めて上と下の電気系統を一本化するという案を思いつき、友人の電気工事士に聞いてみると”できるよ”ということで数時間で形にすることができました。


ちょっと考えればいつでも浮かんだような考えが、いざ実害が出るところまでいかないと浮かばないという点ではとても情けない話なのですが、
電気が止まって”サァ。困った!”となればサクサク案が出て実現出来るという、
這い上がるしかないところまできたら人間なんとかするもんだ という限られた環境の中で発揮される人間の底力のようなものを見た気がしました。

ベランダでフレーム作ってた9年前も、BYOBで試行錯誤した4年前ももしかしたら同じようなことだったのかもしれませんね。気づいてないだけで。

今後もできないことを嘆くだけじゃなく、その後にどうすれば打開できるか考えよう。
限られることは悪いことじゃないさ!!


てか、「そうなる前に手を打て!!」

おっしゃる通り。。

まあ、でも悪いことじゃないさ

2017年6月1日木曜日

特価フレーム出てます!


追記

めでたくご成約頂きました。
ご購入誠にありがとうございました。


久しぶりの特価フレームの販売です!
先日のブログでちょろっと触れた「本筋とは関係ない作業を朝一こなして無理やりテンションを上げてしまおう健康法」の集大成がここに!!

不運にも真横からママチャリに突っ込まれボッキリ曲がったTTとDT。
元のオーナー様にとっては不運以外の何物でもありません
お怪我がなかったのが不幸中の幸いですね。


「僕は十分楽しんだから、活用できるなら活用して次の方に乗り継いで欲しい」
というのが元のオーナー様の意向。

それを受けて今回前半分を新調し特価で販売することになりました。



もともと製作されたのは今から4年ほど前、NAHBS出展の前のことです。
エンドも自分で呼んでる第一世代のもので、たった6年半のSunrise cyclesの歴史でもちょびっと歴史を感じさせてくれます。
懐かしいです。


元オーナー様の「乗り継いで欲しい」という意向を受けて、価格は作り変え工賃(にも全然足りないですが、、)のみの

¥75,000- (税別・剥離代込み)!!

物の性質をご理解いただける方、この機会に一本いかがでしょうか。
塗装、組み立てのご相談も合わせて是非どうぞ。

こちらのフレームは、京都「カライドサイクル」さんでもご購入可能です。
関西方面でご購入を希望の方、カライドさんの店頭でもご成約いただけます。
塗装、組み立てのご相談ももちろんご一緒にどうぞ。



ST/510mm
ETT/530mm
HT/125mm
HA/73°
SA/73.5°
CS/408mm
BBD/70mm

2017年5月29日月曜日

がんばって軽いフレームにしようとした際の苦労話 的な。

P5131573


先日、子供が図鑑が欲しいと言い出しまして、本屋さんで手始めに動物(哺乳類)の図鑑を買いました。
夜な夜な一緒に読んでおりますが、なかなかどうして面白いですね。
なぜか分類のトップは単孔目、カモノハシ目からスタートでした。
カモノハシは糞、尿、出産と一つの孔からするから単孔目 とのことで、知ってはいましたがしかし奇妙な話ですね。
便利なのか不便なのか。
なんにしろ特殊なのはうらやましい。


というわけで今日は穴の話です。
外からは見えませんが、自転車のフレームにも穴は開いています。
作り方によって数場所は様々ですが、いずれにしろ残念ながらカモノハシのように一つではありません。
一つだと楽でいいのですが。

鉄フレームの多くは塗装前に液体の酸にぶち込んで錆を落とすのですが、管形状の素材が空気を閉じ込めてしまわないように素材がかぶさり蓋がされてしまう箇所に水抜き穴を開けます。
液体を逃す穴ですから最低二つ開けます。

素材が蓋をしてしまう箇所。。
具体的には

TT/DTがHTにかぶる箇所
DTがBBにかぶる箇所
TTがSTにかぶる箇所
CSがBBにかぶる箇所
SSがSTにかぶる箇所(ファストバックのSSなら)

ですが、上記でわかるようにかぶさる側には肉厚な箇所が多くあります。

HT 1.0~1.5t
BB 1.0~2.0t
ST 1.2~2.0t

と他の素材(0.8t前後)と比べるとだいぶ厚みがあります。
当然厚い素材は単位重量が重いので、完成するフレームも重くなるわけです。

そんなわけで 厚い箇所への水抜き穴開け=外には見えない軽量化 ということになります。

「じゃあ!」と言って、かぶる箇所全部を穴にすれば良いかというとそういうわけでもなく、BBシェルもヘッドチューブも短くとも一本の管ですから、大幅に形状が変わると管でなくなり、いろいろ問題が出る ということになるようです。
僕も、乗っててではないのが不幸中の幸いですが、失敗がありました。
(ひょうたん型に穴が開いたBBシェルをBBクランプの定盤に乗せた際、縦にグシャッと潰れたことがあります。)

形と役割を保った上で可能な限り軽くしたい。
そんなジレンマが穴あけにはあるんだと思います。

あなたもお持ちのラグレスフレームの裏側を覗かれてみてははいかがでしょうか。
そのフレームを作った人の本気度合い(気まぐれ度合い?)が穴の開け方でわかるかもしれません。






どうでもいいですが、
なぞなぞで 『人体で一番が多い穴は?』 と聞いて、答えが『毛穴』 ってめちゃくちゃ気持ち悪くないですか。



2017年5月12日金曜日

根本の解決にはなりませんが。

いけないところだな〜 と自覚はしているのですが、僕は気乗りするしないが激しめにあるほうのようだという噂があったりなかったりします。

あかんな〜 と本当に思うので、そんな不安定感を吹っ飛ばすために、「朝一関係ない作業をして無理くりテンションを上げてしまおう健康法」というのを実践しています。

内容はいたって簡単で、その時の本筋の作業とは全然関係ない全く急ぎでない仕事や、
全くお金にならない自分のものを作る などの ”やらなくていいけどやりたくないわけじゃない”程度のニュアンス(ここ重要です。やりたい作業はしてはいけません)の作業を朝一番に30分ほどこなして助走をつけ、そのあと本来やるべき作業をする頃にはエンジン全開フルスロットルでいけるようにする というもの。
現在、その習慣をつけるよう試みています。

今日の朝一作業は、不運にも事故に遭われた方が置いて去られた以前僕が作ったロードフレームを修理すべくまずは前後真っ二つにする という内容でした。
30分後にはテンションMAX(ってほどでもありませんが)。なんなら汗までかいて身体的にもエンジンかかってくれてます。
これで本来やるべき作業にもSmoothに移行できるってもんです。

「朝一どうしても気乗りしない。。」 でお悩みのあなたにはオススメの健康法です。
ぜひお試しあれ。



そのフレームに関しては後日改めてご紹介予定。
特化フレームの匂いがしますよ!! 要チェック!