永楽の湯―北勢線星川駅
■桑名市からいなべ市方面に員弁川に沿って伸びる道路は、古くからの街道の一つ。北勢線も川に沿って河岸段丘と交わりながら西に延びていく。
■星川というところは桑名市郊外に公団や不動産会社による住宅地造成が活発化することによって狭い谷のようなところに、御多聞に漏れず、突如としてショッピングセンター(SC)が現れ、計画的な街づくりを行う間もなく、ぐしゃぐしゃの都市計画の悪い見本のような街になった。
■それから半世紀近く経って悪い街は悪い街なりに歴史を重ね、かわいそうなことに例の○○ン・グループの撤退から数キロ離れたところに「巨艦SC」が立て続けにできても、こじんまりとしたエリアにSCだけでなく書店、銀行、名だたるチェーンの飲食店、携帯ショップなどが固まって揃い、「都市計画の悪い見本」は近隣住民にとって、それなりに利便性の高い街として生き残った。
■そんな場所にある「永楽の湯」は温泉ではない。桑名市水道局の水(笑)だ。
■いつごろ、この風呂屋ができたのかは定かではないが、子供たちも含めて昔からしばしばお世話になった。
■特に小学校の運動会が終わると着替えをもって車に乗って出かけて汗を流す。上気して真っ赤な顔の子供らは当然、腹ペコになるので、広い食堂でそのまま夕飯となる。僕は帰りの運転を妻に任せ生ビールを飲みほして畳で横になる。当時は設備も立派で客も多かった。
■ただ子供らが大きくなるにつれ、全く行くことがなくなった。
■病気を拾い車の運転も全くできない状態から、たった5キロの道のりをひきつってまぶたが閉じる症状と闘いながら車を走らせ、ここに来るようになった。ここの風呂で温まるとガチガチになった体が少し楽になった。
■靴箱の番号にコロラドのミカドを思いだし(笑)
■体重をこんな数字に近づけようとコントロールするバカをやったり。
■天窓を大胆に使って明るい浴室、当時は珍しかった大型テレビを備えたサウナ室。何よりマトモに運転できる距離が限られているので,近くにあるのがうれしくて通った。病院では「これ以上は・・」と見放された体が、整体とここに通うにつれて少しは楽になり、ありがたいことに顔つきまでも変わってきた。
■そんなこんな永楽の湯が・・
■1月11日に完全に閉店してしまった
■昨年の7月に一旦閉店したが、経営者が変わって復活。その時は予告があったが今回は突然である。まだ回数券も残っているのに。
■実は、あちらこちら、かなり老朽化して不具合が出てきたのも前の経営者が見放す一つの理由らしかったけれど、お湯を沸かすボイラーがついに逝ってしまったのが致命的だったよう。年が明けたころに行ったときお湯の温度が低くて、さすがにこれはいかんなあ、と気になってたが。
■あまりの突然で利用していた人は、去年の7月に続いて回数券が残ったよう。今も閉店を知らず店の前で知り、ぼおっと立ちすくみ残念がる人も・・。回数券は元気村(桑名市)というところで使えるようですが。
■きわめて利便性の高い街〜星川から「永楽の湯」が消えたのは残念。誰か新しい温泉を掘れば当たるよ。
■星川には北勢線を三岐鉄道が引き継いでから駅員の常駐する駅ができた。SCと隣接して広い駐車場がありパーク・アンド・ライドを実現した。書店が隣接しているのはとても便利である。星川には昔、砂利をとる線路があった。コッペルやボギーの電機はこのためにあったようなもの。これについては資料を集めて改めて。
■最後にSCの駐車場から撮影した旧塗装の200系を。架線柱を避けながら・・10時13分にこれを撮影して、その足で「永楽の湯」に行って、帰りに三重銀行でお金をおろして、時々は鉄道ピクトリアルを買って、バローで昼飯の弁当を買って帰り、昼から整体か病院で点滴という日常が消えた。
■ショックだ!
■ブログの更新をさぼっていたら「永楽の湯」が閉じて半年後の4月29日から新たに「ほしの湯」という名で再開していることがわかり早速行ってきた。再開にあたって掃除を徹底したくらいで中身はほとんど変わりありません。目玉の炭酸風呂も(僕は利用しませんが)岩盤浴もそのままあります。
■毎年冬場にやや悪化して苦しい思いをしてしまうが、春先からは筋肉の硬化を防いで体調を戻していかねばならないので風呂は必須。ほかのところの回数券を2冊も買ってしまったが。
■北勢線も近いし、もう一度せいぜい利用しようと考えています。(2016/5/12)
「地方私鉄の駅・車庫・車輌」について
◆鉄道模型で田舎電車を楽しむために持っておきたい一冊の本をご紹介。
◆「地方私鉄の駅・車庫・車輌」発行・SHIN企画/発売・機芸出版社
◆著者である長門克巳さんについては鉄道模型趣味誌でおなじみ。
◆「地方私鉄」という名がついているが、いろいろな個性的な鉄道を記録している。は当たり前だが基本的に都会ではなく田舎。電車だと都会の大私鉄から下ってきたものもあれば、どっこいオリジナルという強者もいる。車庫もどことなく野暮ったい感じがいい。代表格は富山地方鉄道か一畑電鉄か。
◆この本の中には下津井や尾小屋などのナローもあれば、関東鉄道などそのままジオラマでも作ってみたくなる小鉄道も記録されている。
◆ともかくB5判にサイズを小さくして記録されている写真の点数は圧倒的に多い。
◆そういうところに長門さんの生真面目さみたいなものを感じてしまう。
◆おつきあいは、大方の鉄道模型の友人たちと同様にナローゲージ・ジャンクション(NGJ)に入会してMさんのご紹介でお会いしたのが最初である。作ったささやかなセクション・レイアウトをUさんに送ったところ、それをご覧になった長門さんから、わざわざお褒めのお手紙をいただいき感激したことを昨日のことのように思い出す。
◆それ以来、何かとやりとりをさせていただいてまことに光栄の至り。
◆友人だからだけではなく、1/80の鉄道模型だけでなくNゲージやナローのレイアウトづくりを志す人には、「シーナリー・ガイド」や「シーナリー・ストラクチャー・ガイド」とともにぜひ持っていて欲しいと思うのである。
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > ホビー・スポーツ・美術 > 鉄道
- ショップ: CD&DVD NEOWING
- 価格: 2,160円
南紀一周の旅〜旧紀州鉱山のトロッコ
■パンダ可愛いでしょ。南紀白浜アドベンチャーランドのパンダは何度も出産に成功している。昨年12月に生まれた姉妹も随分大きくなりました。朝一番はエサを食べたりしているのですが、片方は早々とお休みになっておりました。
■富山の娘が初心者マークをつけて運転してくれるというので、紀伊半島一周ドライブに出発。「高野山」「パンダ」と「潮岬」、「旧紀州鉱山トロッコ」がマストでチェックポイント。まるで人気番組「ローカル路線バス乗継の旅第21弾」やん(笑)
■結果。一日目にあわよくば「貴志川線タマ駅長」「有田川鉄道公園」もと欲張っていたが、連休最終日の高野山は外国人の大型バスも参戦して激しい道路渋滞、駐車場はどこも満車。したくはなかったが「檀上伽藍」の横道に路駐!昼メシは昼前に「食材が無い」と吹っ飛び、車は動かん。普段は優しそうな食堂のおっさんの態度もとげとげしくて悪印象。「二度と来るか!」と啖呵を切る。
■「タマ駅長」と「キハ」の予定はあっという間に吹っ飛び、急遽ルート変更、龍神村経由のドライブルートで紀伊半島の秘境部分に少し足を踏み入れることになってしまった。結果としては、かつて「日本のチベット」と言われたことだけある、やっぱり秘境だよ秘境。白山スーパ林道にも匹敵するくねくね山道だった。おかげで白浜温泉の沈む夕日にも間に合わなかった。
■2日目午後はチェックポイント本州最南端「潮岬」まで南下。ほとんど娘の運転で夕方に新宮に達す。ところが日が落ちるとお宿である紀和町「瀞流荘」付近は街路灯一つなく真っ暗。夜の山道は怖い、暗闇に動物の目が光り、現実に「アドベンチャーランド」になってしまった。助手席の女房が「アンタ誰?」って動くものにこわごわ独り言。「きゃーー!!」
■ということでトロッコ乗車と湯の口温泉は朝一番ということになった。
■予め書いておくが、実は15年前に一度来ている。その直後にHPの記事にしたものをこのブログにも転記しているが、東京から来たU氏を桑名で拾い訪問した。「紀和町温泉トロッコ」http://d.hatena.ne.jp/syura_muramasa/20111113#p1
■写真はU氏から送ってもらった15年前の写真で、場所は板屋の選鉱所跡。後に鉱山資料館が見える。自分が見ている本はJTBキャンブックス「鉄道廃線跡を歩くⅦ」だと思う。当時は紀和町のトロッコの存在も雑誌記事を探すか、クチコミに近いもので、紀州鉱山の全貌はこの本で知った。
■U氏も下記の軽便鉄模アンテナのバテロコ記事をうまくまとめているのでと合わせて読んでいただくと面白いかもしれない。
■軽便鉄模アンテナの記事
●バッテリーロコ http://d.hatena.ne.jp/keuka/20091212/1260634160
●バッテリーロコ(2) http://d.hatena.ne.jp/keuka/20091217/1261065671
■この紀州鉱山を開発した石原産業は「B6の記事」で書いたように亡きオヤジが海南島開発要員として入社・徴兵を挟んで在籍した会社だが、国策に沿って近代的な鉱山経営をこの地でも展開したことがわかる。
■熊野市(紀和町が合併した)鉱山資料館の展示物を見ると規模の大きな選鉱所、複線でできた幹線、熊野灘の港までの索道など、今では想像できないほど大規模な設備が使われている。
■実は採掘が終了しているがトンネルなどからの流出物などの処理等のために石原産業は現地事務所を置いており、不動産の管理も行っている。トンネルや線路はもちろん、湯の口温泉のトロッコも石原のものを観光公社が借りていると聞いた。
■さて、久々に乗るトロッコはガタガタ、ギギギギと前にも増して「スパルタン」な味だった。団体さんも加わり5両編成はほぼ満席に。
■湯の口温泉の出口は複線分岐という都会の電車並みの配線。そうそう湯の口温泉は45度の源泉かけ流しで野趣があふれる風情があったが、なんと「健康ランド」並みのきれいな施設に建て替えられていた。また2011年豪雨で一部施設が破損したとのことだが、目に付くところではトロッコの鉱山時代からのホームの屋根が葺き替えられ、新たな施設が建築中だった。
■トロッコ牽引のバテロコの姿態
■特に運転席回りはコンパクトにまとめられていて、バック運転用のライトは伸縮式で支持。座席も折り畳み式。コントローラーは電車と同じ形態だが、ブレーキは丸いハンドルを手動で回す。青いヘルメット。奥に挟んである雨傘がご愛嬌、自転車用の空気ポンプは何に使うのだろうネ?
■今回も運転手にお願いして、フードを開けてバッテリーを見せてもらった。当然のことながら15年前と変わらない。UさんのブログのJ氏のコメント「バッテリー兵馬俑」ってうまい言い方と感心したが、最初に見た印象はただただ数の多さに圧倒された。ただ、このバッテリーが直列ときいて一体何ボルトでモーターを駆動しているのかと疑問がわいた。
■ちなみに現役時代にこの路線の主役は鉱山資料館に展示されているパンタグラフ集電の6トン電気機関車で、頭が触れそうな低い位置に、ローカル私鉄で多く使われている600Vの架線が複線の本線に張られていたのである。
■それをツィートしたところ、ちょうどkuma氏が一週間後に紀伊半島一周を予定していることを聞きつけ、電圧は何ボルトなのか訊いてくれるように依頼した。
●kumaさんのブログ:トロリーポール
「紀州鉱山の残り香/湯ノ口温泉」
http://trta01.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
■ツイッターで現地から教えてくれたところによれば「1個2ボルトなので約100Vで電動している」ということ、「バテロコの大小は索引力にあまり関係がない」との運転手のコメントだった。ただ右側面に貼られているユアサ・バッテリーの銘板の記載が御覧のごとくVOLTAGE(電圧)48Vと読める他、意味不明なので疑問が残った。
■フォークリフト用なのであちらこちらをネット検索するとある程度容易に解かった。
■ブツはフォークリフト用のGSユアサのVシリーズとして改良を重ねながら今も売られている蓄電池らしい。2段目はCAPACITY(容量)5時間率で「344A.H」、3段目のVOLTAGE(電圧)48V、kuma氏の取材通り確かに1セルが2Vで24セル直列、その右は意味不明。このV型蓄電池を2個搭載し直列配線して96Vでモーターを回すらしい。
■ちなみにバッテリーがどれくらい持つかも合わせてのその力は「5時間率」という形であらわす。このバッテリーは344Ahなので5時間で68.8アンペアの電流を流せる出力があるということになる。「オームの法則」を使えばP=V×A。電圧48V×電流68.8Aで3302W、つまり出力3.3kwが2個直列で6.6kwなので馬力は計算上8.974馬力になる。
■意外に低い感じがするのですが、この辺りは電気や自動車に詳しい人なら初歩の初歩の常識かなー?
■鉱山資料館の展示物も工夫されていて、15年前にも書いたが「ここにいけばイッパシのマイニング通になれるぞ」というほど、いろいろな鉱山の資機材が展示されている。
■紀伊半島南部は白浜に空港があるものの、長らく高速道路網とも無縁で15年前も桑名から4時間半もかかり、あちらこちら回るのに時間を要したが、熊野古道の世界遺産指定というエポックもあり、急速に高速道路が延伸している。
■今回は使えなかったが、大阪方面、阪和自動車道から南方向へは、白浜を越えすさみICまでが先月開通。名古屋からは勢和多気JCTから分岐する紀勢道が一部ルートが接続されていないとはいえ、尾鷲市まで。尾鷲―熊野間は国道42号は大雨になるとすぐに普通になっていたが、トンネルを主とする熊野尾鷲道路が新たに開通している。結局、帰路は一休みを含めても熊野から2時間半で家に帰った。
■このようにアクセスもしやすくなったのでナローゲージモデルの合宿でぜひ熊野の「瀞流荘」使ってあげてください。熊野古道ブームで客も増え、熊野駅からのバス路線や旅館の迎えも昔よりはかなりマシになったように感じます。
【追記】
■railtruckさんのご教示によりプレートの意味解明。ありがとうございました。
■まさしく「SP.GR,1280」と刻印されています。電解液の比重(Specific Gravity)の略だったのですね。
充電とともに液は定期的に補充しなければいけませんものね。
充電は3日に一度ときいてますし古いバテロコって手間がかかるものですね。
まあ、開けたら「リチウムイオン電池」が出てきたら興ざめかもしれないですものねー。
蒸機の時代へ〜JR名松線伊勢興津駅
今週のお題「行ってみたい時代」
■三重県と奈良県の県境に「曽爾(そに)高原」というところがある。嫁に「連れてけ」とせがまれススキ見物にでかけた。
■名阪国道を使い名張(なばり)からアクセスしたが、またシャトルの「とんでもナビ」がやらかしてくれた。景勝地赤目四十八滝から裏の林業用の作業道路みたなところに入り、うっそうとしたスギ林の中は、道にヘビがのたくったりキジが羽を広げたり・・とんでもはっぷんな道案内。そんなこんなで着いてみると・・おお、パノラマ!
■最近、人気があるのか大型観光バスが乗り付け、平日というのに第一駐車場は満車に近い。いや上の写真を撮影するところまで登るのが精一杯。後の予定を考えて「上まで登る」という嫁を残し自分は先にリタイア。お風呂に入りにいく。
■「お亀の湯」。無色透明なお湯だが体にとろっとまとわりつくようなやや重い感触は心地よい。有名どころと比較するならば下呂温泉(岐阜県)よりも榊原温泉(三重県)に近い泉質のような気がする。露天風呂から見える山並みも気分を爽快にしてくれる。
「お亀の湯」案内 http://www.soni-kogen.com/okame.html
■ここ曾爾高原は奈良県だが、地図を広げて名松線の終端駅である伊勢奥津駅に割に近いことに気が付いた。風呂上りに名松線に沿って久居IC経由で帰るべく、県境を越える。
■名松線といえばこれだ!機芸社「シーナリィガイド」(昭和49年初版発行)。
■自分がTMSを読んでいた時代の河田耕一さんの「名松線の駅を探る」という記事も名調子で何度も読み返した。そもそも坂本衛さんや河田さんの記事は「鉄道模型レイアウト」を作るための意図で取材されており、車輌はその模型世界を構築するための一構成物に過ぎない。
■河田さんの記事にならって、もし名松線を題材に架空でレイアウトを発想するならば、輸送量が少ない支線だから、機関車はC11かC12、C56あたりが親元の機関区からきている。貨車は材木の運搬にトラや暮らしに必要な物資輸送でワムあたりが数両、それに時々はオハ35あたりの客車がつながる。旅客には両運転台のキハ16など10系か20系気動車あたり、実際、名松線ではC11を頭にした列車に気動車がくっついて回送される。車輌はこういう感じのラインナップで十分である。
■「シーナリーガイド」時々アマゾンやヤフオクで中古で出品されていたり、ポポンの本棚にもこの間中古品が並んでいたので比較的手に入りやすい本かもしれない。昭和30〜40年台前半あたりの鉄道風景を模型のために拾って見るのにはとても役立つ本である。というより私にとっては「この趣味に導いてくれた鐵道模型趣味誌の記事のひとつ」
■駅の表情は残念ながら建て替えられて違っていたり、線路配置もたった一本になってしまっているが、給水タンクが今も残っている。
■その横にはポンプ小屋の一部も。
■往時を偲ぶために、この場所に地元で昔の写真が展示されている。桜の木の下で河田さんの記事とこの写真を見て「伊勢興津駅」の1960年代の姿を辿ってみる。「そのころに来てみたかったなあー」
■ご存じのように、現在名松線のこの区間は復旧工事中で休止、代行バスが運行している。2011年の豪雨災害で廃線寸前まで陥ったがJR東海もよく踏みとどまったと思う。県の果たした役割も相当大きいだろうと思う。復旧まで時間がかかっているのは治山工事を先行して行っているためで、かなり進んできていると聞いている。
■もし復旧したらC11の汽笛を想像しながら、この場所で絶対カメラを構えて撮影したいと願っている。来るのがミニ気動車でも構わん!
台風18号
日本近海で突如、発生した台風18号、当初の予想コースから真上を通過するのではないかと身構えていた。雨は横殴りで強い雨が長い時間降ったが、上陸地点は知多半島で上陸したころには中心がはっきりせず、すぐ近くを通っているのではないかという時間には晴れ間が出てくるという、やや拍子抜けすることに。
学校は6時と11時に判断するということで、気象台もそのへんを配慮したのか、しなかったのか、まだ上陸食後で雨が降っているのにばたばたと暴風警報を急いで解除。午後から授業再開した学校も多かったのではにだろうか。「台風18号」でTwitterを検索すると学生だと思われる人から怨嗟の声が・・(笑)家庭も急いでお昼を食べさせたり大変だったのかもしれない。
雨風はやはり台風の進行方向の前から右側に強く、典型的な前線を刺激する「雨台風」。遠いところから静岡県の浜松周辺に長時間大雨を降らし、日本海に抜けて消滅した後も、前線の影響は遠く関東にまで及び、今日は栃木県で川が増水したニュースが流れる。
ふと思う伊勢湾に雨雲が次々と発生し大きな被害をもたらした「東海豪雨」もこの時期、2000年9月11・12日。もうあれから15年も経ったのかと驚く。
ひさしぶりの大井川鐵道
■それにしても暑いよなあ、あれよあれよという間に8月だー。
■更新がないのでブログを読んでいただいている人から体の調子が悪いのでは?とのご心配のメールをいただいたりしましたが、背中と肩の痛みに苦しみながらも何とか調子を保っています。
■と、極めて現実的なお話から始めてしまいましたが、またもや富山の見習いバンカー娘が運転の練習がしたいとかで「大井川鉄道に行かない?」とこちらの弱いところをくすぐられ、出かけることになりました。この間の連休には安曇野まで行き、大分、運転がうまくなってはきたのですが、運転しているより横に乗っているほうが疲れるというのが正直なところ。でも行くぞ!体力が続く限り。
■さて大井川ですが、トーマスとジェームス運転中で見れるのですが席は瞬殺らしく、7月の連休なんてとんでもない!しかも千頭に3台並ぶフェスティバルなんてのもやっていて、駐車場も満車の大変な混雑ぶり。自分らはお昼前出発のかわね路号乗車です。
当日の牽引機はC11の190、よく磨かれたカマ。車庫から入線・連結までずっと見学していたので、だんだん火が上がって煙が勢いよく立ちのぼる蒸機のエネルギーの原点みたいなものを感じることができた。
■改めてモノホンの蒸機っていいなあ。車庫にはC56 44が真っ赤なオモチャになっていた。娘は大はしゃぎでした。女子供にはこっちだろ。相方は雨の降る中、ト−マスの発車シーンをカメラに収めにいくため、車を止めさせ踏切まで一人で走って行ったが、C11はあまり撮影していない。何かが決定的に違う。違和感・・・。
■鉄道自体が著作権でガチガチに縛られているのか、大井川鉄道を紹介するテレビ番組でもトーマスはあえて紹介されない。あまり大ぴらにはブログなどで取り上げるのも難しい問題があるのかもしれない。
■閑話休題で、川根路をC11にひかれていく。早速、予約しておいた汽車弁を開く。トンネルを抜けるたびに大騒ぎで窓を閉める。平成生まれの娘には旧型客車の窓の開け閉めがわかるはずがないが大笑い。つい最近の電車まであの方式だと思うのだけれど、右左両方を親指で押さえながらバランスを取ってあげしめするというのが意外とできない。
■弁当の箱絵はC56 44だよ。
■台風11号が日本海にまだいたので、時々強い雨、大井川は濁流と化していたけれど、茶畑の緑がきれい。あっという間に千頭。千頭ではトーマス撮影会開催中でたいへんな混雑。
■意外と横顔はホリ深いなあと感心しつつ、この混雑をさけて電車急行に乗って帰る。「ズームカーじゃん!」
大井川へは3度目、上の娘と寸又峡の翠光園に泊まったことがある。2度目は木曽モジュール倶楽部の寸又峡合宿。設定してくれたU太氏の顔が一番先に思い出されるのと、くるまや氏の持参した美味いお酒、kondoura氏とダイヤの少なさに難渋、路線バスも使いながら沿線撮影して帰ったことを思い出す。
■kondoura@KMC氏やcjm@KMC氏に敬意を表し電車関係を少々サービス。近鉄の京都線特急は精彩なく車庫に繋がれていた。
■よっとこんなんも。三岐鉄道でセメント列車を牽いてほしかったなあ。
■このうしろのテレビカーを撮影するのには残念ながら失敗。ホームに降りて車掌氏に「早く乗車してください」と注意を受け謝罪して車内に戻る。
■もうひとつ、大井川マニアの同じくoku@KMC氏に敬意を表し、新金谷の車庫回り少々。
■ということで、時間的にアプトはあきらめ、女性陣の要望で掛川城から浜松に戻って舘山寺温泉に宿泊。
弁天島「はませい」で「ひつまぶし定食」を食って満腹状態で家に帰りました。夕飯は食べずに果物だけにしたが、確実に1キロ太った。もっとも、昨今の35度を超える暑さであっという間に1キロ吹っ飛んだ。
やはり浜松のうなぎはよろしいなあ。ということでまた。
チューリップ王国の終着駅〜城端線城端(じょうはな)駅
■先月末の「富山支店配属が決まった。」との娘からの便り。大学が金沢なので「せめて名古屋か大阪あたりで勤めてくれんかなあ」とは親の勝手な思い。娘の人生は娘自身のもの、自分で切り開いていってもらいたいと心から願っている。
■画像は2014年の砺波の「チューリップフェア」。
■昨年の連休に帰郷した際に、金沢に送りついでに娘に運転を交代してもらいながら、宇奈月温泉・黒部峡谷鉄道から金沢のKさんところへ回ったことは、ブログでも一部の内容を紹介した。
■往路、東海北陸道を北上しチューリップ畑が広がる砺波に立ち寄った。連休最終日ということもあり、市の入り口から交通規制がひかれているぐらいだった。こんなに大規模に市をあげて「まつり」を催しているとは知らなかった。
■会場ではチューリップの球根の予約販売も行われており、相方が世話をして今年の春は、家の玄関や弟の病院の玄関で可憐な姿を楽しまさせてくれている。
■チューリップは確かに面白い花。中世の貴族や騎士たちに愛された昔から交配を重ねながら種類を増やしてきたのだと思う。砺波はまさに日本のチューリップ王国かもしれない。
■春の富山県を旅していると、あちらこちらで立山連峰の雪を抱いた姿が目に入る。黒部や魚津で振り向くと、いつもこの景色を背負っていると気づかされる。僕等が西に鈴鹿山脈を見て雪があるかないかで常に気候を感じるのと似た感覚だが、こちらの高さは3倍、山の連なりはボリューム感たっぷりである。
■そして五箇山の合掌集落。ここへアクセスする鉄道がチューリップ王国を縦断して走るローカル線城端線であり、その終着駅である城端(じょうはな)駅は、この山里への玄関口である。
■その城端駅。形そのものはそれほどシンボリックなものでないが、この何気なさがとても良い。
■どこから見ても破たん無くまとまったデザインのまま残っている「ミスター・ローカル駅」とでも呼びましょうか。
■ちょうどキハ2連「忍者はっとりくん」発車、ディーゼル音が高くなり過ぎ去ると、あたりに静寂が訪れヒバリの鳴き声が頭の上から聞こえてくる。
■僕がここに立ち寄りたくなったのは、金沢のKさんのところで昭和40年代の金沢の模型クラブの活動ぶりの話をお聞きした直後で、鉄道模型レイアウトの名作「雲龍寺鉄道」のことも話題になったからである。
■「雲龍寺鉄道」に関しては2011年末「TMS1月号を読む〜14歳が1969年に見たレイアウトの夢」としてまとめさせていただいた。G&D鉄道のグラフと雲龍寺には憧れて挑戦しようとして早々に敗れてエレキギターと色気に走った。くどくどした文章ですが、よければ一応お読みください。
◆2011年末「TMS1月号を読む〜14歳が1969年に見たレイアウトの夢」
■雲龍寺鉄道はここ城端駅から延伸してループを使って高低差をあがり、終点「祖山(そやま)」に達するという架空の鉄道を実に巧みにリアリティたっぷりに語りレイアウトに再現しているが、確かに城端から五箇山方面の山里に達するには、道路もつづら折りのルートになる。
■作者は金沢の模型クラブの仲間と車で何度もロケハンしてイメージを深めたに違いない。そしてレイアウトへの意欲も同時に高めていったのだろう。
■かつての城端駅構内の配線図。貨物側線、機回し線、小ぶりのターンテーブルに駐泊所。そして城端駅の終着駅の雰囲気をレイアウトに再現しているのに改めて息を呑むのである。自分に伝わってくるのは「精巧さ」や「緻密さ」ではない、あくまで「その場所の空気感」「感動」である。頑固者と言われるのを承知で「ジオラマ」ではなく「レイアウト」と呼ぶのにこだわりたい。
【4月28日付記】
■娘の赴任地が富山に決まったことを金沢のKさんにお報せするのに葉書に城端駅の上の画像を刷り込んで雲龍寺鉄道のことを同じような趣旨で書いたところ、お返事の中で「訃報」を知りました。
■『レイアウト雲龍寺鉄道』の作者である荒崎良徳氏、2014年10月に83歳でお亡くなりになったとのことです。
■最近、まめに鉄道模型雑誌をチェックしておりませんで、どこかで既報の話かも知りませんが、僕は今日知りました。鉄道模型をやめ寺務に専念された荒崎さんのことに関しては何も言うことはありません。ただただ合掌するのみです。