溶解大陸

アニメの感想とか書きたいなあ

積ん読消化と気楽なブログ更新

楽しく書く

はい、というわけで最近の悩みから話していきたいと考えています。はっきり言って俺からの主張は無い。インターネットに書いてまで、外部の人間の目に触れさせたいと思うような感情やヒラメキは、あいにくながら持ち合わせていない。しかし、「あーなにか更新しなきゃなあ。せっかく自分のブログがあることだしなあ」という何者かによる急き立てるような焦燥は絶えず脳内に生まれている。てかお前は誰だ?俺の脳内で俺に対して

「おいおい、せっかくブログがあるのに更新しないで放置したままでいいの?なんのためにブログを作ったの?」

と言ってくるお前、お前は一体何者なんだ。俺はそんな思考回路を持つ人格を、自己の内部に養成した覚えはない。俺は俺のためだけにブログを書いている。俺が書きたくない、書く気分にならないのであれば、更新しないことでなんらペナルティが生じないこのブログを更新する必要なんて一切ないのだ。にもかかわらず脳内に俺を非難するような声が絶えない。

じゃあ聞くけどさ、ブログを更新するメリットってなに?そこまでブログを更新しろっていうのであれば、俺に対してきちんとした答えが用意出来ているはずだよな?ほら、怒らないから言ってみろって。

「いや、メリットとかデメリットとか考えているからお前はダメなんだよ。楽しいか楽しくないかで考えろって。どんな内容であれ、ブログの記事を作り上げ、それを更新するあの瞬間の快感ったら、そりゃ他の何者にも代えがたいものがあるだろ?お前はあれを目指してキーボードを叩けばいいのよ。ブログを更新する理由とか、日記を書くことによるメリットとか、そういう損得勘定で動いているからダメなんじゃない?そうしていると結局ブログを書かなくなるのよ。個人の日記なんてさ、どうせオナニーなんだから余計なことは考えずに気持よくなってりゃいいのよ。あの快楽を忘れたお前でもあるまいて」

あー、はい。すいませんでした。俺が悪かった。確かにお前の言うとおりだわ。書くとか書かないとかではなくて、気持ちよくなれるかなれないかだわ。趣味なんて楽しかったり気持ちよかったりするからやるのであって、それこそが至上目的だもんな。仕事は生きる糧を得るためにやる。趣味は絶頂を迎えるためにやる。俺は、そんな単純なことも忘れていたというわけか。ただ気持ちよくなる。それだけでよかったわけか……

「ようやく分かってくれたか。本質的なことをすぐに忘れてグダグダ悩みだすのがお前の悪い癖だよな……ま、そんなところも嫌いじゃないんだけど」

え、なに?お前なんなの?そういうのは求めてないから。ちょっとあっち行っててくれないかな。気色悪。

 

積ん読

はい、というわけで、唐突なんですが俺の悩みです。あれです。積ん読です。一向に積ん読を消化できる目処が立ちません。いったいいつになったらこの大量の漫画や本の山、更には大量の録画アニメを残らず崩すことができるのでしょうか。スッキリした身体になることができるのでしょうか。読んでも読んでも、見ても見ても一向に減ることのない大量のコンテンツ。このコンテンツ大量時代を乗り切るには一体どうすればいいのでしょうか。どうしてこんなことになってしまったのか。昔はそんなことなかったのに……何がいけなかったというのか……

結論から申し上げれば、俺は悪くない。全てはインターネット、更に的を絞るのであればAmazonが悪い。本を買うのがあまりにも容易すぎる。普通、本屋なんていかないじゃないですか?いや、行く人は行くと思うよ?でも週に一回とかでしょ?で、そのときに多くても2~3冊の本を買うだけでしょ?だとすれば、週に一回という高頻度で本屋に行っている人間であっても、週に3冊くらい読んでいれば段々と積ん読は減っていくわけじゃん?インターネット、しいてはAmazonが無かったら俺だってそういう読書生活を送っていたわけじゃん?でも、現実は違う。あまりにも便利過ぎるインターネットが俺を殺そうとしている。気付いたらついつい、週に一回のペースで10冊くらい漫画やら本やらを購入してしまっている。

昔はこんなことはなかった。大学に通っていた頃の方が絶対に本を買う量は少なかった。なにせ、大学には書籍部があるからね。書籍部で気になった本を買って、それを読んでいればそれだけで満足してしまい、別の手段、つまりAmazonで本を買うということは滅多に無かった。大学であれば平日は毎日行くし、読む本が無くなってしまったらとりあえず書籍部へ立ち寄り、適当に1~2冊買うという生活ができた。あの頃は安定して、平和だった。手元には着実に読了済みの本だけが積み上がっていった。だが全ては変わってしまった。大学という本屋兼学び舎から離れてしまったいま、本を買う手段がほぼAmazonに限られるようになった。そして積ん読の悪夢がやってきた。

ゆーて本屋なんてそんなに行かないのだ。大学にコンビニ感覚で設置してあるのであれば暇なときにちょいちょいと立ち寄れるが、そうでないならば、外出して暇を潰す必要があるときでない限り本屋なんてわざわざ行かない。いや、大規模な書店の良さってのはまあ分かるよ?書店のあの雰囲気とか、適当に棚を見ていたら面白そうな本が発見できるとか、そういうことでしょ?たまたま見かけた本との出会い、的なものがAmazonには無くて書店にはあると言いたいわけでしょ?

でもさ、明確に読みたいと思える本があって、それを買おうするのであれば、普通に書店ではなくAmazonを使うでしょ。なにせ書店で買うよりもあまりに楽すぎるからね。数クリックで欲しい物が買えてしまうし、大量に購入したとしても家まで運ぶ必要がないし、探している本はキーボードを少し打ち込むだけで見つけ出すことができるし。例えば、もしある本を読みたくなった理由が、その本を紹介しているなんらかのネット記事であるとしたら、そこにはほぼ必ず本へのAmazonリンクが貼られているわけで。ネットで購買意欲を刺激された本を買う場合は、適当にマウスを数回クリックするだけで済んでしまうんだよね。

一度でもAmazonで本を買うことに慣れてしまうと、その後には、読みたい本が無制限に増えていくという悪質な罠が待ち受けている。例えば、アニメを見ているだけでもAmazonの欲しいものリストは増えていくんだよね。あるラノベ原作アニメが面白かった場合、原作厨の俺はその原作を必ず読みたくなるし、タイトルを検索すれば必ずAmazonの販売ページが引っかかって、アニメ化されるようなラノベの場合はほとんどの場合、熱いレビュアーが長文レビューを書いているし、それを読んでいるうちに気付いたらその原作を欲しいものリストにぶち込んでいる自分がいるんだよね。

他にも、検索しているうちに熱いレビューを載せている個人ブログを引き当てて、その熱にあてられた結果、欲しいものリストを経由せずに直接カート行きにしてしまったりとかね。さらには、そんな読み応えのあるレビューを書いているようなブログは必ず他にも書籍のレビューをたくさん書いてあって、そんな管理人によるオススメ本がまとめられた記事があったりしたら、そこに挙げられている本はラノベであれ一般書籍であれ、そりゃもう全部読みたくなってAmazonの欲しいものリストに突っ込んでしまったりとかね。

はたまた、そうやって買って読んでみた本が思ってた以上に面白かったりすると同じ本を読んだ人が居ないかタイトルを検索して探してしまい、そうしたら他の本レビューブログが見つかって、更にそこから……といった風に無限ループが起こるとかなんとか。そういうことが起こるらしいよ。みんなは気をつけようね。

そうこうしている内に、気付くとアイテム数が増えている欲しいものリスト。増えていく欲しいものリストにもやもやする日々。ある日、そんな欲しいものリストをすっきりさせる方法が、適当に数アイテムをカートに送ってちょいちょいとクリックするだけであることに気づいてしまう。文庫本や漫画であれば金額もそんなに大きくない。どうせいつかは読むものだし、いま買っても変わらなくない?と購入ボタンを押すことに抵抗がなくなる。そしていつしか、欲しいものリストにあった本が物質化して本棚に現れることに快感を覚えるようになっている……。こうなったらもうおしまいです。崩れた積ん読の山に押し潰される日もそう遠くありません。

まずね、本を買うときは自分の処理能力を過大評価しているから質が悪い。カートに文庫本が5冊はいっていても値段はそんなにしないし、こちらから見えているのは表紙の画像だけだから、アニメを5話みる感覚で5冊の本を読み終えられると感じられてしまうけども、絶対にそんなことはないんですよね。ラノベであっても一冊を読み終えるには数時間かかる。そのことをポチッとする瞬間には忘れてしまっている。

例えば、1クール分のアニメだと処理しようと思えば、一日で処理できてしまうものなのですよ。だって、12話あったとしても3話で70分かかるとして280分、つまり4時間半程度あれば一つの作品を追うことが出来るわけです。それがなんと、ラノベになると一冊を読むのに早くとも2時間。有名作は既に10冊近く販売されているのが普通だからそれに追いつこうとすれば20時間。一日に本を読める時間は集中力を考慮して一度に4~5時間だとすると、だいたい4~5日。一つの作品に追いつくためにはだいたい4~5日ですよ!これってやばくないですか?これだと思った作品を一つ絞って味わってもこれだけの時間がかかってしまうし、平行して積ん読を消化している現状では……もうお分かりですよね。最新刊には一生辿りつけないのではないかという絶望だけが俺を支配している。理性ではこうなることは分かっているんだけどね……いかんせんポチる瞬間には楽勝で消化できると考えてしまうものなのよね……

適当に買ってみた雑誌が思いのほか充実していて、一冊をパラパラしているだけでも3日間くらいは潰せてしまったりね。ビビるのはあれだよね、雑誌を読んでいても新刊の紹介で更に読みたい本が発掘され、欲しいものリストの登録数を表す数字が増えていったときだよね。本も雑誌も漫画と同じ感覚で買ってはダメなんだと気付いた時には既に時遅し、気づけば本や雑誌どころかマンガやアニメまで積み始めるようになってしまった。

なし崩し的に積ん読の冊数を増やしに増やし続け、漫画を含めると、いまや100冊近い量の積ん読が存在している。うっ……俺はもう、ダメだ。どうすればいいんだ。こんなのもう処理のしようがないよ……誰か助けて……何がどうしてこんなことになったんだ……

実は積みゲーもあるからね。本当にヤバイ。ゲームは特にやばい。大作と呼ばれるものになると軽く一作50時間以上のプレイ時間を要求してくる。大人になると大作と呼ばれるようなめちゃくちゃ面白そうな作品しか買わなくなるので、手元の積みゲーも必然、ほぼ全てが大作ゲームとなってしまう。こうなるともうあれ。死。事実上の死。精神と時の部屋が無いと何もできない。時間というフレームが俺を前へ前へと執拗に追い立てる。コンテンツ過剰。これ、国をあげてなにか対策をすべきなんじゃないの?読書週間なんて生っちょろいことを言ってないで、読書・ゲーム・アニメ・映画月間を作って月の9割を休日で埋めるくらいのことは必要じゃない?そうしようよ。10月とか別に働かなくてもよくない?もともと読書やスポーツや文化の秋なんだしさ。秋とかもう働かなくてもいいことにしない?そうでもしないと積みゲー積みアニメ積ん読が0になる日が一生くることはない気がするんだが。あ、やばい。これは危険。このまま生きていると積みゲー積みアニメ積ん読が残っている状態で俺は死ぬってことにならない?やばい。この状態を悪化させることだけはなんとしてでも避けなければならない。死ぬ瞬間にも積ん読のことを考えて後悔しながら死にたくはない。やるぞ……今日から俺はやる!!睡眠時間を削ってでも俺はこの積ん読の山から脱出してみせる!!積ん読がなくなるまではAmazonで気軽にポチったりしない!!一日一冊、最低でも2日で一冊のペースで本を消化してみせる!!!そしてたまにブログを更新する!!!!積ん読消化だけにとらわれずブログも更新していく!!!頑張る!!!!まーでも、頑張ると言うだけ言っておいてその後に頑張ったりしないのは、俺が一番知っていることなんですけどね。個人HPだって作る作る言っておいて未だに作ってないし。そればかりかブログの更新すらしなくなっていたし。アニメの感想すら書いていない始末だし。ま、やるだけやってみますけどねw

 

 

 

「あ、気が済んだのか?これで満足?言いたいことは言い終えた感じ?いまなんかキーボード打つのをやめてこのままブログにアップしようとしてた?」

ちょっと待って。まだいたのかよお前。脳内にある虚空に帰ってなかったのかよ。

「してたよね?やめようとしてたよね?それはちょっと無いんじゃないかなあ。まだ言うべきことが残ってるでしょ」

は?おい。人がせっかく気持ちよく明日から頑張る宣言をした直後に、いったいなんなんだよお前は。お前の言ったとおり、オナニーとして日記を書いてやっただろうが。その結果がこれなんだけど何か不満でもあるわけ?

「いや、いま書いていたオナニー文については、それはそれでいいんだけどさ。積ん読を消化するって話でしょ?そのために本を読むわけでしょ?それなら積ん読を消化するついでにまだやれることが残ってない?」

いや、何も無いんだが。積ん読が精神的負担になって他のことに手がつかない、ってことが上の文から伝わらなかったのか?俺にとっていま最も優先すべきなのは積ん読の消化作業であって、他の何物でもないんだが。

「本を読むんだろ?」

あ?そりゃそうだろ。本を読まなきゃ積ん読の消化はできないわけだからな。だから?

「それなら読んだ本のレビューを書くようにしろよ。ブログの更新もできて一石二鳥じゃねえか」

……。あー……それね……

「いつも書くことがない書くことがない、って嘆いてるお前なら渡りに船だろ。アニメの感想を書くのも読んだ本の感想を書くのも大した違いはないだろ。本を読んだついでに感想も書くようにして、それをブログの更新にしちまえばいいだろうが。どうしてそれは宣言しないわけ?どうして本の感想を書くぞ、とは言わないわけ?」

それは……

「ま、俺のことだからお前の考えは分かってるけどね。要するに面倒なんだろ?感想を書くぞと宣言しておいて、あとから感想を書かざるをえない状況に追いつめられるのが嫌なんだろ?」

その……

積ん読を消化することに集中しないといけないからブログを書いている暇なんてないし、それならむしろ感想は書かない方がいい、とかそんな言い訳を考えてるんだろ?」

あ……

「分かってるから安心しろって。その点についてお前は何も間違っちゃいないからさ。最初に言ったとおり個人HPの更新なんて所詮はオナニーだからな。自分がどれだけ気持ちよくなれるかってのが大事なわけよ。だから、苦痛や負担をできるだけ減らしていこうとするお前の消極的な姿勢は別に否定しないよ?でもさ、最初からやらないことに決めつけるってのはなんだか違うじゃん」

う…ぅ…

「本のレビューだってさ、書いてみたら思ってたよりも気持ちがよくなれるかもしれないじゃん。つまらない本を読んだ後にボロクソに叩きまくってスッキリするとか、素晴らしい本を読んだ後にその感想を他者に伝えて感動を共有するとかさ。別にそこまで考えなくてもいつもみたいに感想を書き殴ってみたら、その作業自体が楽しいものだったりするかもしれないじゃん?最初からやらないと決めつけるってのは、そういう可能性を全て潰すことに繋がるんだよね」

…………仰る、とおりです……

「はー、そんなんだからお前はダメなんだよ。やってみたらよくない?まずは始めるってことが大切なのよ。分かってるはずなんだけどね。このブログだって最初はそういう意図で立ち上げたもんだろ。他者に公開する文章を書いてみたら面白いんじゃなかろうか、っていうそんな気分でこのブログをとりあえず開始してみたわけじゃん。そしてそれを少し続けてみたら思いのほか面白かったわけだろ?だからこうして今もブログ更新用の文章を書いているわけでしょ?それと同じよ。本のレビューだって、やってみたら楽しいのかもしれないだろ?まずはやってみろって」

う……えぐ……うぅ……

「おいおい、泣くな泣くな。無理にはやらなくていいから。とりあえず始めてみることが大事って伝えたいだけだから。な?俺と一緒に楽しんでいこうぜ」

うぅ……はい……やる……やってみる……ごめん

「謝るなって。お前は気負い過ぎなんだよ。適当にやって安心しろって。俺だって言わなきゃいけないことは言うけどさ、いつでも俺はお前の味方なんだからよ」

うぅぅぅぅっ

「おっと、もうこんな時間か。いつまでもこうしている訳にもいかないな。明日も仕事があるんだろ?俺はこの辺で帰るけど、俺が今日言ったことは忘れんなよ?またな。機会があったらまた会おうぜ」

う、うっ……えぐっ……さよなら……また……

「おう、またな」

 

――――ふう……そうか……俺は気負いすぎていたのか……自分では全然気づけなかった……あいつが居なかったら俺はいまごろ……いや、よそう。考えるのはやめよう。言われた通り、やってみることを大事にしよう。楽しく適当に、とりあえずやってみる。俺は俺のスタイルを忘れてしまうところだった。アニメ感想も適当に、読書感想も適当に、適当に書いて適当にアップロードしていこう。日々の記録として使うんだ。明日からはそうやって頑張るぞ!もうどうなったって構うもんか!!俺は毎日更新するんだい!!!

 

ブログ更新のヒントを得た俺は、声高に目標を宣言した。この宣言が本当に実行されるかどうかは非常に疑わしい。言うだけ言っておいて、そのままブログを数ヶ月放置するなんてのはよくある話だからだ。だがそれでもいいのかもしれない。内容がどうであれ、いまこうしてブログを更新できたことだけは事実なのだから……

 

もっと更新しなきゃなあ、という話でした。ま、やるだけやってみますわw

No Title

 ってあれーー!?!?!? どうやって更新していたっけ??? マジで忘れた。完膚なきまでに忘れきってしまった。何一つ覚えていない。日記って、テキストって、どうやって書いていたっけ? どうしても思い出すことが出来ない。頭に靄がかかっているようだ。昔はこんなことはなかった。「今日は日記を書こう」と考えたが刹那、キーボードを叩き始めたかと思うと、少なくとも3000文字近く無意味な文字列を生み出すまで、絶対に止まらないタイピングマシーン、ただの冷血な日記機械だったのだ俺は。それがどうだ。今では文字を打つことに抵抗感を抱いてしまっている。

 果たしてこれでよいのか……? 間違っていないか……? 俺の文章のテンションは……? 批判的な意見が飛んでこないだろうか……? そう、俺は、人間の心を取り戻してしまったのだ。今までは完全に失っていた。心の大切さ、この世界がいかに愛で溢れているか、人と人の絆は、ネットの片隅にある無名ブログを更新すること以上に、人生においてとても大事なことであることを忘れていた。かつての俺は、人と人の絆よりもブログの更新のほうが大事だと思っていた。だけど、ようやく思い出したんです。ココロを……。俺はココロを見つけたんです。そうしたら、ココロを取り戻した途端、俺はこのブログの更新ができなくなってしまっていた。ココロが邪魔をする……。このよく分からない文章を、恥ずかしながら世界中に公開することを、人間の心が邪魔をするのです……。そして、感情を取り戻した結果として、俺は更新が出来なくなった。人に公開する文章が書けなくなったのだ。

 

更新再開の理由

 しかし、これも当然である。マジ、ブログを更新するという行為、ヤバイと言っても差し支えない。テキストを書いて公開するのって、超大変なわけじゃん? それを頻度よく実行できるその精神、驚嘆に値するよね。俺もこの数ヶ月間、ただの一読者としてブログや個人サイトを更新している人たちを横目に眺めていたんだけど、よくこんなことできるよね。俺はというと他者の更新を読みながら、マジ無理、俺は二度と更新しない(できない)、っていう暗澹たる気分だった。そのエネルギー、なに? なにがお前を動かしてんだ。てか、俺は何によって動かされているの? 不明。謎。更新を促すエネルギーの正体、謎。せめて、性欲くらいには分かりやすいエネルギーだったら良かったのに。ほらさ、人気ブログの人間は女の子を食いたい放題、みたいな感じの世の中だったらさ……あ、なるほど、俺は性欲がためにこうしてブログを更新しているんだな、って即座に分かるわけじゃん? いや、ま、人気にはなれないけどね。でも、なに? ブログとか更新しても一切いいことなくない? 金が儲かるわけでもないし、いまどき女の子どころか人との交流が特に増えるわけでもないし。マジ、なに? ブログを更新するこのエネルギー、パワー、動機、一体ドコから湧いてくるのですかね? ま、モウわからないよね。俺たちはもうそういう領域に足を踏み入れてしまったのだ。考えても仕方がない。後戻りはできない。

 おい、もうな。俺たちはな。ブログ、個人サイト、そういったものを立ち上げてしまった時点で、重い十字架を背負っちまってるんだよ。一生つきまとう十字架だ。今生において、その呪縛から逃れることは二度と出来ない。更新を促す謎のエネルギーが例えお前から無くなったとしても、お前の記憶がお前を縛り続ける。放置しているサイト、という呪いがお前に降りかかる。そしてどうだろう。更新するエネルギーはもう一滴たりとも残ってないのに、なんとなく更新しないといけないのでは、という感覚に囚われ続けるお前が残る。そう、これが個人サイト経営者の味わう煉獄である。更新をしない限り絶え間ない苦痛がお前を襲う。ブログや個人サイトは閉鎖しないかぎり、「今後は更新しない」というハッキリとした意志の表明とはならないのだ。そして俺は、俺もこの苦しみに囚われている。現在進行形でいまこの瞬間にも苦しみを味わい続けている。更新するエネルギーは一切ないというのに、なぜか「放置するな。更新をしろ」というこのブログ自身から放たれる怨念じみた無生物の意志に突き動かされている。もはや、この更新に、俺の自由意志は介在していない。呪いだ。俺は、更新し続けなければならないのだ……キーボードを叩き続けない限り、俺はこの苦しみから逃れることは出来ないのだ……

 

更新していないということはない

 それにしてもほんとまあ、気付いたら更新から足が遠ざかっていたね。俺はね、普通に更新しようとしていた。ブログ自体を消していないのだから当然だ。けれど、気付いたら数ヶ月が経過していた。いやー、びっくりした。時がたつのって、一瞬だね。光陰矢のごとし、ってレベルではなかったね。もう昨日?みたいな感じ。最後に更新したのが昨日みたいな感じだね。てか、実は本当に昨日なんじゃない? いや、昨日は更新しなかったから二日前か? 二日前に普通に更新した気分ですよ。スゴク昔に更新して、それっきり放置していたような感覚は、別に全く無いわけ。全然近く。時空間にして、この前の更新から数μm程度しか離れていないと思う。そういう僅差のあいだ、俺は更新していなかったわけだけど、別にそれくらい、ま、宇宙の寿命の長さに比べたら、大したことないっしょ? そういうこと。むしろ、更新が停滞していないまである。(宇宙の寿命と比較し)更新が停滞していない、と断言してもいい。というわけでね、いつもどおり今日の日記でも書いていこかw

 

今日の出来事

 はい、というわけでね。別にどうというわけでもないんですけどね。これといって書くことは無いんですが、こうして日記というからにはね、今日起こったことを書けばいいのですけど、今日何をしていたか、ってことを考えるとね、モウ何もないんですわほんと。いや、天気はめっちゃ良かった。秋晴れ。まさに俺たちの求めていた、最高の秋晴れだった。身体の隅々にまで行き渡る、透き通るような青空が俺たちを待っていた。こんな日には田舎のあぜ道を自転車で走り抜けたかった。純朴な風景に、木々のざわめきに、過去の思い出に酔いしれながら、輝き溢れる僕らの未来に対して胸を膨らませたかったよね。でも、俺の一日にはそういうことは一切なかった。日本国内全体で考えれば、今日という一日が人生で最高の一日になった諸兄も多いかと存じますけど、俺の一日はマジで別にこれといってどうということもなかった。感動、なし。青春、なし。一切の時がただ過ぎていった。なにもないまま、心ときめく楽しさがないまま、俺の月曜日、2015年9月28日(月)は終わりを告げた。

 はー、どうしてくれるの? おい? 日記を書こうとしたら即これだよ。もっとこう、あー、今日も良い一日であることだったなあ、なんて有意義な一日だったのだろう、俺の人生にとって今日という一日は大きな分岐点だったに違いないな! と、どうして思えるようになれないのかな? 責任をとってくれよ!! 俺の一日に責任をとってくれよ……。うー……感動したい。感動したくない? 要するに、潤いが足りないってことよ。胸の高鳴りをちょうだいよ、ってこと。俺はな、モウおっさんに片足を踏み入れる、そういう人間だからな、マジで胸を高鳴らせる方法、忘れきった。日記を書くことをスッカリ忘れていたかのように、胸の高鳴らせ方もスッコリ忘れきってる。まったく思い出せる気がしない。どうすれば胸は高鳴るんですか!! 誰かおしえて下さい!!! 一瞬ドラマ化が話題になってたあの花の原作を見ればいいんですか!! それで私は救われますか?? もしくはあの花スタッフが送る映画、ここさけを一人で観に行けばいいのですか!! それで僕は救われますか??? 誰かおしえて下さい!!! 誰か! 誰か…………

 

認知

 俺の叫び、いつだって虚空に飲み込まれてきた。ふと気づくと虚空が俺の前に姿を表すよな。ていうか、あれだわ。アニメの話を無理やり持ち出すことで今気づけたけど、おれ、アニメの感想しか書くこと無い。いや、これ、認めるまでに結構時間がかかった。自分がアニメの感想しか書くことが一切ない人間であることに深層心理で気づき、その気付きが深層心理と表層真理を隔てる自意識の堅い壁を貫き、こうして俺が文字として書くに至れるまで、もしかしたらブログを開設してからここまで(約半年)の時間がかかった。ゆーてね、アニメの感想しか無い。俺の人生には、アニメの感想しか無い。アニメの感想しか無い人生を送ってまいりました。だから、俺は、アニメの感想しか、このブログに書くことがないんだ。はー、簡単なことだった。気付いてしまえば、簡単なことだった。俺は、アニメの感想を書くために、こうしてブログを閉鎖せずに残していたのだ。これからはアニメの感想を書こう。頭にかかるモヤが晴れたような気分だ。俺は、ただ、自分自身に素直になればよかっただけの話なのだ。だから、明日からは、アニメの感想を書きます。一日一日を、アニメの感想を書くために生きていきます(はい!! ここまでの気付きが今日の成果です!!!)

 

人間の心

 あー、それにしても脳内にあるモヤモヤを文章として出力する作業が楽しい。これ以上に楽しいことってありますか? 文章として、そっくりそのまま、何かこう淀んだ煙のように、脳内に溜まっている薄白い何かをテキストエディタに叩きつける楽しさですよ。コレが求めていたものだった。ゆーて楽しい。文章を作るのは面倒くさい。どちらかと言えば楽しくはない。すごく体力を必要とする。でも、こうして頭のなかにあるモヤモヤをそのまま変換する作業は楽しい。超楽。なにもしないでも進行していく。俺が「フンッ!」と気合を入れずとも、目の前で勝手に進行していく。前者、文章を作る作業が崖を登ることだとしたら、こうして思考を垂れ流していく方は気持ちのいい丘を自転車で爽快に駆け抜けていくことの相当する。そしてあとは、最後に残る選択は、この文章を公開するかどうか、なんですよね。公開しなくていい気がしてきた。あっ、なんか、公開しなくても良い気がしてきた!! なんになるってんだ!! こんな文字列をWWWを通していつでも誰でもアクセスできるような場所にアップロードしたところで、一体何がどうなるっていうんだ!? 俺はどうかしているのか? というわけで、これが冒頭で話した人間の心であります。イッツSoヒューマンマインド。はー……もうちょっと邪魔しないでくれる? いらないの。人間としての恥じらい。そういうのは一切いらない。不要。社会においても、ここ、インターネットの片隅にある極小の一点においても同様に不要。一切の感情、必要なし。ただ無感情に、何も考えることなく、ただ文字列を生産してアップロードしてしまえばいいのだ。考えるな、ただアップロードしろ。これが、個人サイト更新にただ一つ必要な、最も重要な心構えなのだ……

 

投降

 というわけで、まあ、この文章をアップロードすることは神に誓うからさ(はいはいアーメンアーメン)まだちょっと書いてていい? よくばりだから一日の日記を簡単に終わらせることが出来ない。まだまだ書いたほうが何か得した気にならない? 少ないより多いほうが得した気にならない? 書くときも一緒で、少ないより多い方がなんとなくより気持ちよくなれない? 多くの不要な思考を文章に変えて排出できたな、という気持ちよさが残るよね。僕らの脳内は常に一杯一杯なんですよ。はち切れんばかりに様々な情念が、頭蓋内を渦巻きまくっているんです。ここではその一つ一つを解きほぐし、文字データに変換する遊びをしているのです。これがまあ楽しい。まあ楽しいんだけども真面目に書く気力は一切ないよね。俺はアニメの感想以外、一切の文章をまじめに書く気がない。俺が本気を出すのはアニメの感想の時だけ。普段は適当。アニメの感想については書くべき内容、伝えたい情報があるのだから、まじめに書くというスタンスが通用する。感想であれば、読み手に正しく伝えたい事を伝えようとする努力が、あるときには実を結ぶこともあるからね。一方で、こうして脳内を垂れ流してる時はもう適当でいい。なんて言ったって、別に伝えたいことなんて何一つ無いわけだからね。書きたいこと伝えたいことがあったら、もっと頻繁に、もっと真面目に更新してるってーの! 私だって、絶対に更新したくないというわけではないんだし……ブログのことだって、忘れていたわけじゃなかったんだし……(ここであなたから目をそらし、胸の前で指と指を絡め、サッと地面を見つめる。そんな少女に、私はなりたかったなあ)

 だからね、今日の日記のテーマですが、なんということはありません、「書くことがない」だ。いやーあれだね。色々と適当に書いていれば、いつかは書くべき内容に心当たりが出来るのでは、と思っていたけどそんなことはなかったね。最初に、キーボードを叩きだす前に「書くことマジでなんもないな……」と考えている人間は、実際にキーボードを叩きだしても一切の書くべき内容を思いつくことが出来ないね。いやー、まいったまいった。参りました。はい、降参。さようなら。人生オーシマイ(^^)ノ

無の文章

おひさーwおひさしぶりーふwというか、もう無理。限界が違い。ついに限界に達してしまった。日記を書かずにはいられなかった。このつらさの解消は、日記という手段をもってでしか為し得ないのでは?という気がしたので帰って参りました。つらいね。本当につらい。

 

今の俺、人を楽しませるための文章を書く気が一切ない。恐れ多くもテキストサイトを名乗るからには、文章によって人をいくらかは楽しませようとする気持ちが少しは付きものなはずじゃない?でも今の俺にはそれが一切ない。俺自身が救われるためにキーボードを叩いている。こうすることでしか俺は救われない。よく小説家が「書かずにはいられなかった・・・」と言ってるのを見たりするけど(実際はあまり見ない)、その気持ちの一端が少し分かっちゃった気がするね。マジでつらい。つらさから逃れるためにキーボードを叩いている。

 

このつらさの源泉は一体なに?つらさを文字列に変えている。この文章は俺のつらさから滲み出ている。俺が順風満帆で楽しい人生を送れていたら、マジでこんな日記は発生していない。つらい。つらいのだ。誰も助けてくれはしないことは分かっていても、つらいものはつらいと吐き出さざるを得ない。GWが懐かしいよ・・・。ああGW。愛しのGW。あの頃は本当に良かった。日記を書いたり、小説を書いたり、ブログの方向性について悩んだり・・・そんなたわいも無い事ばかりしていたっけ・・・俺はあの頃に戻りたいのだ。ああいった感情を取り戻したい。人を面白がらせようと意図した文章を書いていたあの頃に。書こうという気力を維持して生きていきたい。

整った文章を書くにはとても多くの体力を要するから、今の俺みたいに疲れ切ってしまうとこういう自分を癒やす文章しか書けなくなるのよね。マジつらい。別のことが考えられない。こういう愚痴?みたいなものが頭から追いやられて初めて、その時になってようやく何か価値あることが考えられるようになるよね。

 

今の俺の頭には感情しかない。価値あるものが一切ない。俺の中にあるつらさという感情が、こうして文字という形象を経由してインターネットにアップされている。いやまてよ。最初にテキストサイトは「人を楽しませることを意図して書いた文章を載せる場所」と言ったけど、本当は、その本質のところでは全く違うのでは?つらい人が現実で暴れる代わりにネット上に文章をアップしているのでは?

いや、一方的に型にはめることはよそう。文章を作ること、それ自体が楽しくて、それで遊んでみた成果をネットにアップしている、という人だって居るはずだ。俺みたいにつらいあまり文章を書いている人ばかりじゃないはずだ。

 

いやーでも分からねえな。もしかしてほんとはみんなつらいの?実際のところどう?あれだよね。少なくともVテキの人たちは年齢層を考えると結構つらそうな人多いよね!!なんとなくエネルギーに欠けているのはそれが原因だろうね!!ちなみに俺はこの前25になりました!!ぎゃああ!!誰か!!誰か助けて!!!

 

まあそれはいい。俺の年齢はともかく、つまり、昔のテキストサイト運営勢は「うわー楽しそう!!僕も混ぜて混ぜて!!」という風に人が増えていったのに対し、俺なんかは「あああつらい!つらいあまり愚痴文ができてしまった・・・書いてしまったからにはもったいない。どこかこれをアップロードできる場所は・・・あ、テキストサイト界隈だ!まだ生きてたんだ!」という流れでこうしてブログを運営しているわけだからね。そりゃ全体のエネルギー量も減衰するよ!!!あの頃持っていた楽しい気持ちはどこかへ行ってしまったよ!!俺はもうテキストを書けないよ・・・

 

あー、やっぱ文章を書く行為は本質的に楽しいものでなくっちゃならねえ。できることならゼロをプラスに持って行く感じの文章を書きたい。でも俺の日記はマイナスをゼロに持って行くための文章だからな。もっとマシなものを生み出したいものだ。

 

というかさ、ここまで愚痴ってきて思い出したけど、前の日記で「小説かきます!」と宣言してたよね俺。完全に忘れていた。いままでそれどころじゃなかった。マジで俺の精神状態は小説を書くとか書かないとか言ってられるレベルのなまっちょろい物では無かった。わりとズタボロ。小説なんて書く気は一切おきないね。

 

 

即興「危機との遭遇」


渋谷の109で買い物をした俺は、外に出て異常事態に遭遇した。

 

「わーちんぽ!!ちんぽじゃ!!!!」

 

狂人だ。渋谷のセンター街に突如キチガイが現れた。年の頃は40、50のおっさん。ハゲたおっさんがブリーフ一丁で道の真ん中に飛び出していった。

 

「ぎゅるわあああ!!」

 

ジジイはダンプカーにはね飛ばされた。飛び散る鮮血。赤く染まる横断歩道。絶叫する女。立ち尽くすスーツ姿のサラリーマン。キチガイの出現とその即座の退場によって、渋谷のセンター街は一瞬にして地獄と化した。

俺はその光景を見ながら、心の中で躍動する何かを感じていた。事件が起こったのだ。何が起こったのかは一目瞭然だった。キチガイが現れ、そして程なくして、そのキチガイはダンプカーに轢かれて死んでいったのだ。ワクワクする展開である。

 

辺りを見回すとまだ騒ぎは収まっていない。事故を起こしたダンプカーは道の中央で停止している。跳ねられたキチガイの身体は、この位置からだとダンプカーに阻まれているからだろうか。視界には入らない。

俺は何がどうなったのかが段々と気になってきた。キチガイのおっさんが死んだのか、それともまだ生きているのか。生きているのならばまだ暴れる気力は残っているのか、死んだのならどうやって死んでいるのか。なにせ轢かれた被害者はキチガイなのだ。必ず大きなニュースになるに違いない。事件の一部始終を間近で見ていたことは、後で誰かに自慢できることだろう。

 

まだ事件が起こった騒ぎから醒めやらぬ周囲の喧噪を耳にしながら、俺はダンプカーの方へと近づいていった。

ダンプカーは109の正面に停止していた。周囲の車も異常事態を察知したのか停止している。というよりも、ダンプカーが道を塞いで停止しているので、通りたくても通れないのかもしれない。

ダンプカーの運転席には若い男が呆然と座っていた。何が起こったのかまだ理解できていないのだろう。

 

俺は停止する車と車の間をぬうようにしてダンプカーの周囲をグルッと回ってみた。しかしキチガイの身体はどこにも見つからない。

そもそもキチガイがどこかに倒れているのであれば、それを囲うようにして暇な野次馬が集まるはずだ。だが、そのような人だかりもどこにも見当たらなかった。事件が起こり、周囲が異様な空気に包まれているので段々と人は増えてきているが、どこかに集中するということはなく、誰もが点在している。

 

轢かれたキチガイの身体はどこにいったんだ?

俺は周囲を見渡してみた。なにせ重量級のダンプカーに轢かれたのだ。ただ轢かれるだけでなく、どこか遠くへ吹っ飛ばされたのかもしれない。キチガイの身体があるのはダンプカーの周囲だけとは限らない。

しかし、キチガイの身体はどこにも見当たらなかった。いくら探しても見つけることが出来なかった。

 

もしかして、逃げたのか?

ダンプカーに轢かれたからといって、必ずしも人が死ぬとは限らない。いや、普通なら死ぬだろうが相手はキチガイである。常識を越えた生命力によってしぶとく生き残ったのかも知れない。倒れた身体が無いのであればそういうことだ。

俺はダンプカーに跳ねられたあとも、その数刻後にはゴキブリの如く地面を這いずり回り、異常な生命力でその場から逃げ出すブリーフ一丁のキチガイを想像し、少し気分が悪くなった。

 

「き・・・キャーッ!」

 

な、なんだ?女性の悲鳴だ。突然あたりに女性の悲鳴が鳴り響いた。ただでさえ人が多い上に、事件直後でざわめきが大きいセンター街であったが、そんなのお構いなしに遠くの方から悲鳴が聞こえてきた。そっちを目をやると、いた、キチガイだ。やはり生きていたのだ。

キチガイのおっさんは地下鉄ホームへの入り口から、階段を上ってヨタヨタと出てきたところだった。おっさんはダンプカーに吹っ飛ばされ、地下鉄入り口にホールインワンしていたのだ。

全身血まみれ、ブリーフはどす黒い血の色で染まっているが、骨が折れたような様子などはどこにも無かった。ヨタヨタとではあるが歩いているということは命に別状は無いのかもしれない。

 

「チクショオ・・・よくも・・・よくもやってくれたな!!!」

 

キチガイのおっさんが叫んだ。轢かれた直後で息も絶え絶えなのに、よくもここまで大きな声が出せるものだ。俺はキチガイの生命力を考え直す必要があるかもしれない。

 

叫んだ直後、おっさんはゆっくりと深呼吸をした。そして、そのまま美しい姿勢でクラウチングスタートの体勢を取った。地面を見つめていたおっさんはゆっくりと正面を向いた。スタート!

キチガイのおっさんはこちらへ向かって猛烈なスピードでダッシュしてきた。

 

なぜ?向かってくる?

俺はパニックに陥った。さっきまで野次馬気分でいたのに唐突に事件に巻き込まれようとしている。キチガイのおっさんは明らかにこちらへ向かって走ってきている。ダンプカーに轢かれ、あんなにも血まみれなのに、一体どうしてあんなに綺麗なフォームで走れるんだ?なぜピンピンしてるんだ?ダンプカーに轢かれた時点で気絶でもなんでもしていてくれたら良かったんだ。そうすれば俺は野次馬として適当にこの事件を楽しんだあと、家に帰ってネットにその話題を書き込んで楽しむだけのはずだったんだ。それなのにこの瞬間も、あのキチガイはこちらへ向かってダッシュしてきている。

 

キチガイは海を割るモーゼのように人の海を割って全力でダッシュしている。俺の周りに居た野次馬たちも逃げようとして辺り一体はもう恐慌状態だ。

 

俺も逃げようとした。が、誰かに押されて身体のバランスを崩し、大きくコケてしまった。

立ち上がろうとしたが心が焦って足がもつれる。周囲のざわめきから察するにキチガイはもうすぐそこまで来ている。けれど立てない。俺は立ち上がることを諦め、地面を這いずるようにして出来る限り遠くへ逃れようとした。

 

キチガイの走る音が段々と近づいてくる。

ああ、もうだめだ!俺はキチガイに殺される!

 

と、そう思った瞬間、キチガイが纏う空気が近づいてくる時と同じ速度で急速に離れていくのを感じた。

 

た、助かった・・・?

安堵感に身を包まれ、頭を上げた俺はキチガイの向かう方向に目をやった。おっさんはダンプカーに乗り込もうとしていた。ドアを開け若い運転手を引きずり出している。

 

ああそうか。走り始めの初めから、キチガイの目にはダンプカーしか映っていなかったのだ。最初からダンプカー目がけてダッシュしてきてたんだ。俺の居る方向へ向かって来るもんだからビビってしまった。勘違いしてしまった。

 

自分の身が安全だと分かると、途端にさっきのパニックが恥ずかしくなってきた。何をビビっているんだ俺は。単なるブリーフ一丁の素手のおっさんじゃないか。普通に喧嘩すれば勝てる相手だ。冷静になってみれば、あんなキチガイにビビらされる要素なんて初めから無かった。

 

俺は徐々に冷静さを取り戻しかけていた。だがその間にも、キチガイのおっさんは休むことなく動き続いていた。おっさんはまず、運転手を引きずり出すと地面に投げ捨て、そいつのことは無視するようにしてダンプカーへ乗り込んだ。一瞬の逡巡の後、おっさんは左手でギアを操作し、高笑いをしながらダンプカーを109へと突っ込ませた。

 

大きな炸裂音と共に辺りにガラスがまき散らされる。109の周囲に居た人々は、悲鳴をあげながら頭を手で抱えて逃げ惑っている。俺はさっきまで取り戻しかけていた冷静さをたちまち失った。

 

何をするでもなくへたり込んだままその光景を眺めていると、109へ突っ込んだダンプカーは「バックしますバックします」という間抜けな合図音を出しながらセンター街の中央へと戻り、そしてそのまま道玄坂方面へと走り去っていった。

 

俺は109の内部を見た。さっきまで俺が買い物をし、満足して出てきた入り口は滅茶苦茶に崩壊していた。辺りにはガラスやらコンクリートやら、109を形成していた材料の一部が散らばりまくり、血を流した怪我人達が地面で呻いている。109の中には倒れたまま身動き一つしない人影もあった。

俺は背筋が凍る思いがした。一歩間違っていたらあそこで倒れていたのは俺だったのだ。冷静になっている場合ではなかった。キチガイキチガイ。危険な存在なのだ。素手であろうがおっさんだろうが、予想もしえない行動で俺たちに害をなす存在なのだ。考えて理解できる相手なら、それはもうキチガイではないのだ。

 

そして、地面に尻をつきながらあたふたと行き交う人々を眺めていると、遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。あれよあれよという間に怪我人は救急車に収容され、俺はコケた時に受けた傷の手当てをしてもらった。

キチガイのおっさんはどこかへ去ってしまった。この場で起きた事件はこうして収束を迎えた。

 

俺は、初めは完全に野次馬気分だったのに、気付いたら当事者にさせられていた。怪我といえばコケたときに少し手を擦り剥いた程度だったが、それでもあの意識無く倒れていた人々と同じように、俺も怪我人の一人に数えられるのだろう。

 

後日テレビで放送していたニュース特集によると、キチガイのおっさんは散々警察から逃げ回った後、東京湾に突っ込んでダンプカーと共に沈んでいったのだという。けれども、後に回収されたダンプカーにはおっさんの死体は見当たらなかったらしい。今を持って行方不明だそうだ。

ニュースでは識者が「追い詰められた故の自殺説」を唱えていたが、俺はそうは思わなかった。あのおっさんは109への体当たりだけでは飽き足らず、ダンプカーへの仕返しとしてダンプカーを海を乗り捨てたのだ。ダンプカーへの怒りを抑えきれず、処理するために東京湾へと突っ込んだのだ。あのおっさんが怒りの形相でダッシュしていた姿が今も忘れられない。

 

キチガイのおっさんは今も日本のどこかで生き続けているのだろうか。ダンプカーに轢かれても死ななかったくらいだ。生きていてもなんらおかしな事は無い。

そして俺はこう思うのだ。もしも次にあのおっさん出くわすことがあったとしたら、次こそは余計なことは考えず即座に逃げ出そう、と。俺はキチガイを舐めていた。狂気に侵された人間は、常人には考えられない能力を発揮するのだ。あの事件以来、109はいまだ営業を休止している。いまだ意識不明の人も居るらしい。災害はいつなんどき我が身に降りかかってくるか分からない。一瞬の気の迷いが、大怪我や死へと繋がるのだ。

 

俺はあの日に109で買った服を、買った当時のまま部屋の片隅に置いている。これはいわば、自分への戒めである。結果的に俺は無事だったが、野次馬根性によって危険に晒されたことは確かだ。危険があったら即逃げる。俺は毎朝ベッドから起きると1番初めに服の入った紙袋を見ては、その心得を思い出している。そして、いつかは即座に逃げられる時がくればいいなと、密かにおっさんとの再開を楽しみにして今日も大学へ向かうのだ。

 

遭遇編"fin"

 

あ、何も考えてない。何も考えてないのが分かりますね!うう、つらい!!!見切り発車はやめろ!!せめてラストを考えてから書き始めろ!!何も考えずに書くな!!!!考えろ!!いや、考えたくない!!今日はリハビリだ!!!リハビリであっても俺は更新するぞ!!今度はもうちょっと何か考えてから書き始めます!!!

というわけだけど、まだ俺の中につらさが残っている。つらさを癒やすため、俺は日記を書き続けるぞ。こんな文章、ここ以外に公開できる場所ほんと無いからね・・・はー・・・俺はいま、たまには日記を書いて何かを吐き出すべきである事実を再認識している。今後ともよろしくお願いします。

日記に書いた約束は必ず破られる

だるぽよまる

人生が非常にやってられない皆さん、いかがお過ごしでしょうか。平日のつらさが、もう限界によろしくない。頭の先から指の先までどこもかしこも緊張しっぱなし。リラックスや楽しさがない。人生の楽しさが失われている。家に帰ってきてPCの前に座っているときだけが真実。常に真なり。だから俺は日記を書き続けることしかできない。

 

でもな、気付いたら足が遠のいてるのよ。毎日更新できればそれに超したことはないはずなんだけど、気付いたときには4日くらい経ってる。時間の経過が早すぎる。一日が短すぎる。本当に「あっ」という一週間が間に終わっていくね。平日というものを生きていると、色々な出来事で一杯だったはずの、10代であればそれこそ「今日は○○さんとお話ができた!」なんていう嬉しさ期待感で一杯だったはずの一週間が、24歳になった今の俺には空虚な時の流れにしか感じられないよね。

明日が楽しみでなくなったのはいつからですか?俺は中2から。だいたいこのへん。中2までは楽しかったね。でもそれ以降は糞。シットofザマウンテン。受験が始まった辺りで糞化した。中3からの糞化が深刻だった。これが無ければ俺はもっと今の人生が楽しかったことだろう。ハッピーで充ち満ちてたはず。それなのに、どうしてこうなってしまったのか。俺は叫ぶ。「誰か!誰か!!」だが、その声は誰にも届かない。俺の声帯が発した空気の震えは、ただインターネットの虚空へ吸い込まれてゆくのみであった・・・

 

はー。創作、したい。これね。日記とかマジ書きたくない。アニメ感想も書きたくない。アニメ感想はプラメモ5話が糞だったことによってマジ切れし、その悪口テキストを延々と書いてたんだけど「俺、いったい何やってんだろう・・・」と1万字ほど書き終えた後にふと我に返り、何もかも嫌になったことからマジ書きたくないし思い出したくもない。つまり、日記もアニメ感想もマジ書きたくない。創作っしょ。時代は創作。言っちゃ悪いけどね、もうノンフィクションで面白いことを書くのは不可能。てか、今までの日記に俺のノンフィクションあったか?何一つ無い。現実での面白事件を書き記した文章が一つたりともない。そりゃとんでもないビックリ仰天する出来事が起これば、俺だってそれについて書こうと思うよ。でも事件なんて一つも起こらないんだよねこれが。

日記を書いているテキストサイト同士の皆さん、読んでいますか?いや、マジ不可能でしょ。そんな毎日何か起こるか?本当に何も起こらねえよ。だから、文章の内容を自分に起こった出来事に限定していたら、絶対に書くこと尽きる。読書感想とかアニメ感想とかでお茶を濁すしかなくなるよね。まあこれも結構めんどいけど。読書感想に至っては、もはや本を一冊読み通すことすら困難になってるけど。感想を書くステージに至ることすらままならないけど。文章を書き出す書き出さない以前の問題になってしまっているけど。本を読む時間すら無い、っていうのが問題という感じなんだけど。

 

というわけでね。ノンフィクションの限界って奴です。何一つ書くことがない。俺の朝からの一挙手一投足に、なんら面白いことはなかった。いや、もしかしたら何か面白いことがあったかもしれないが、リアルでの人間関係については書けないでしょ。だいたいこれなんだよね。現実で起こった出来事の中で唯一頭に浮かぶことが人間関係ぐらいしかないんだよね。そりゃ書けない。ちっとも面白くない。自分でも書いてて面白くない。むしろ、現実から逃避するためにネットをやっているというのに、わざわざ自分から現実の記憶に出向く意味が分からない。だってそうでしょ?一生ノエルちゃんについて語ってたいでしょ?もう俺はいいんだ。どうでもいい。全てがどうでもいい。天体のメソッドに出てくるノエルちゃんについてずっとずっと語っていたいだけなんだ。ノエルちゃんを肴に議論の花を咲かせたい。俺はね。現実とか超どうでもいい。妄想の世界に行きたい。せめて幻想の中でだけは幸せになりたい・・・

 

頭悪くなってる

こういう痛切な願いが俺の「はー。創作、したい」には込められてるから。分かって頂けたでしょうか。てか、何も書くことがないというのにこれだけ書き続けている俺、いったい何について書きたいんだよ。正直いって驚きです。趣味がない。情熱もない。なんていうか、浅い。俺という人間の浅さがブログに透けて出る。「ぼくは○○が好きなんです!」と言える物が一切ない。電車オタでもいいよ。ゲームオタでもいいよ。とにかく、自分の好きな物がない。だからこのブログにも、 何一つ俺の趣味的な部分は表出してきません。詳しい物が一切ないからね。てか、俺って何について知ってるの?何も知らないんだけど。やべえ。急に怖くなってきた。ちょっとまって、何も知らなくない?無知の知ってレベルじゃない深刻な知識不足に気付いてしまった。俺は驚愕している。ひ、ひえぇえぇえ。俺は今まで一体何をして生きていたんだ・・・人生について何も覚えちゃ居ない。ぽっかり開いた空洞が強固な頭蓋骨によって守られている。脳みそすっからかん。

 

ま、ゆーてインターネットがいけないよね。そりゃ記憶力落ちるでしょ。Googleで検索すればなんだって出てくる訳だし。などと思って「インターネット 記憶力」で検索したところこんな本が紹介されていた。

フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)

こえええ!!これじゃん。これ俺じゃね?ちょっとまって、非常に怖くなってきた。インターネット止める。止めるよ俺!インターネット止める!そして自分の時間を取り戻す!日記書く!書きます!だからインターネットをいくらやってもボケずにいさせて下さい!あれ?なんか言ってること矛盾してね?やばい。本当にボケが深刻に進行している。とりあえず何かしら書いていくことにします。更新による脳トレです。

 

というか、「読書感想はだるい」とか上で書いたけど、普通に書評とかもやった方がいいんじゃないか?自分の脳が心配すぎて書評をやりたくなってきた。だってヤバいよ。この日記を読んでみれば俺の脳がどれだけボケちゃってるか分かるってものでしょう。当人が1番危機感を持ってますよ。だから書評やっちゃう。やっちゃう可能性はある。このままだと流石に頭が悪くなっていく一方だから、時には脳みそを使って生きなきゃならないから。俺は自己満オナニー書評を書いてしまう可能性があることを、ここに一筆させて頂く。

 

嗚呼。記憶力と理解力、整理力、そして文章力。全ての力が加齢と共に落ちていく。俺にはもう、何も残されていない。ただ一切が過ぎていきます・・・

 

文章力、無し。文章力は無い。はっきり言ってもっていた試しがない。俺は・・・俺はもっと価値ある文章が書きたいんだ・・・価値を創出してえんだ。だってこの日記の価値0じゃん。この日記で人を救えますか?救えないでしょ。俺は無力だ。目の見えない人に向かって俺は空の青さをなんて説明したらいいんだろうね。知るか。そんなもん知るか。俺に聞くな。目が見えないのなら能登麻美子のおはなしNOTEでも聞いてりゃいいだろ!!空なんて見なくていいんだよ!!俺だって下ばかり見てるから空の青さなんて忘れちまったよ・・・

あーあーあー、マジおれ無価値。俺のブログが抱えている本質的な問題、それはこの無価値感から来る決定的な無力感。日記を叩き書くことで奏でられるキータッチの音色が、俺の心をワンタッチごとにがりがりと削ってんだよ。テキストを書かせろ!創作させろ!

 

はっきり言ってね。この前書いたあのオチ無し短編。書き終えたときの満足感ったらそりゃとんでもない物でしたよ。あの充足感、なに?あんなの始めて経験した。創作処女喪失って感じだった。念のためもう一度書きます。"創作処女喪失"って感じだった。童貞ではない。感覚として童貞じゃないね。処女。童貞というよりも処女喪失だった。なるほど、処女喪失とはこういうものなのか・・・と震えたね。あの時に理解できた気がした。男の身でありながら、裸になって胸を揉まれる女の子の気持ちが分かっちゃった気がした。ん!?うん・・・んんんんんん、だ、だめだっあああぁぁ!!!!!俺はもう頭が悪くなっていく一方だ。確信した。いま確信した。日記は糞。俺の普段の思考、絶望的。日記を書けば書くほど頭は悪くなっていくし、自分自身への失望を禁じ得ない。テキスト書かなきゃならない。日記ばかり書いてると俺は墜ちるところまで墜ちてしまう。

 

廃墟に捧げる哀歌

だからまあ、諸々の理由で小説を書きたいんだけど、これがまあ、重ね重ね申し訳ないんだけど、俺の想定していた以上に何も思いつかない。頭に中に風景が描けない。人っ子一人居ない。何回でも似たようなこと書くけど、俺本当にどうやって小説書いてたの?まったく分からねえ。死。目の前に無が広がっている。俺は一人ぼっちだ・・・ぼっちぼっち一人ぼっち。誰も助けてくれやしないんだ・・・

 

と、鬱になっていても仕方が無い。人生これから!もっと前を向いて生きなきゃ!!勇気元気いわき!みんなはなりたい大人になれたかな?こんなおじさんになっちゃいけないよ!!おじちゃんを反面教師にして、頑張って勉強して良い学校に行くんだぞ!おじちゃんとの約束だからな。あばよ!!(振り向きざまにそう言って、おじちゃんは僕たちの前から去っていった。そして二度とこの街には戻らなかった。おじちゃんは知っていたのだ。成長した僕らにとって、おじちゃんという存在はもう必要が無いということ。おじちゃんが担っていたこの街での役目は、無事に僕らの心へ引き継がれたことを。

 

はー。というわけでね。訳分からなくなってきたんでちんぽこです。ちんぽこ。ちんぽこびんびんた。ちなみにびんびんとびんたを掛けています。う、うううぅううああ!!最低だよ!もう何もかもが澱んでいる。やる気でねー!現実が地獄。最近ほんと何も考えてないものなー。老化が順調に進行している。なんとかしなきゃならねえ。うおおい、もうこうなりゃやけだ。あれだ。あれを言います。言うぞ!言っちまうぞ!!はい

「毎日更新します!」
「僕たち私たちはテキストサイトシップに則り正々堂々と毎日更新することを誓います!」

あ、えぇぇ!?こんなこと言っちゃって大丈夫?あ、ごめん。やっぱ今の嘘で。嘘です。しません。あぁ、こっちにしよう。こっちの方が断然実現可能。現実的。

「週に一回は創作をします!」

あぁ!大丈夫なのか??俺よ。本当にそんなこと言ってしまって大丈夫なのか??マジで不安。ていうか、こうやってネット上でやっている「約束」のパターン、絶対に破られる運命にある。俺には分かる。今まで何人もの人間がこの「約束」を自らに課し、そして自滅していった。こういう個人日記系サイトにおける何らかの約束は、ネトゲの引退宣言と同じ程度の信用しか持ち得ない。いままで数々のサイト管理人が「毎日更新します!!」と気の良いことを言いつつネット廃墟を生み出していった。「ちょっと忙しくなってきたので今日からは1年間更新を休みます」などと言ってから長期更新停止を開始した日記系サイト、今までほとんど見たことない。どこかにはあるんだろうけど少なくとも俺には挙げることができない。それほど、自分で自分に課した約束というものは効力が弱いのだ。

 

だが、これ程までに俺が自分の発言を信用していないにも関わらず、俺はやはり「週1で創作更新しまっす!」と言わざるを得ない。「個人HPをつくろう!」と言っておきながら1ミリ程度しか個人HP製作に着手しなかった俺でさえも、宣言せざるを得ないのだ。プラメモが死に、アニメ感想が絶たれた今、日記以外に書けるテキストは創作しかないからである。

というわけでね、頑張ってやっていこうと思うんですが、大丈夫なのかなぁ。不安だなぁ。それじゃあ次週「宇宙空間で鬱病になった青年の話」を書きます。乞うご期待!(ああ不安だ!(自分を信じろ・・・

定期発狂

ぎゃわーっ!!やっべえ!!やっぱだめだあぁあ!スーハースーハー!この自由を忘れてはならない。全てを解き放すというこの気持ちを忘れちゃダメだ。戻ってきた。ソロモンよ、私は帰ってきた!今までの鬱憤を全て晴らすときが来た。やっぱね。これを抜くのはストレスだよ!明らかなストレス源。やはり、定期的に日記を書いて晒さないといけない。あー身体がどんどん身軽になっていくのを感じるわー。日記最高ー。これだからやめられない。どんどん頭の中に残っていた余計な物が抜けていくよね。恐らく、この余計な物が全て抜け、心が健康を取り戻したときに創造の鍵が開くのだ。そうに違いない。

 

やっぱりね、違いますわ。きちんと文章を書こうとするときと、こうやって日記を書いているとき、明らかに違いますわよ。テキストはもう挫折しかけ!GW終わった途端、唐突に余裕が無くなった。マジでテキストやる気失せた。いや、昨日までは頑張ってたよ。GWの最終日、夜になってテキストを書き始めたがもちろん終わらず、昨日も終わらず、あとは金曜日頑張ればいいかな、と考えていたから、今日中に書いてしまおうという気持ちが起こり、テキストを書き始めたんだけど、ダメだこれ。無理!マジでMURI!無理んご。無理んご。


とね、無理なりんごだよ。それくらい、無理とりんごを同時に言ってしまうくらいには、無理だった。日常ではだめだね!!平日is糞!!俺は、平日くらいは自由を謳歌させてもらうぞ!!何がテキストじゃ!テキストなんてこうじゃ!!!燃やせ~!!燃やし尽くすのじゃー!そのテキストは忌み紙ぞ!長く持てば毒となり、ブログを腐敗させると言い伝えられておる!だから、何千字あろうと、それを書くのに何分書けたとか考えずに、今すぐ焼き払うのじゃ!!そうしないと、書くのがつらくなるぞ!!

そう、だめ!書くのつらくなっちゃだめ!!お姉さんとの約束だったでしょ!これだからユズカイくんは、すぐそうやってすぐ約束破るのね。でもそうやって文章に取り組んじゃう、そんなユズカイくんの真面目なところが好き・・・かも。とね、ユイカちゃんが言ってますよ。言ってる気がする。俺が言ってるって言ったら言っている。だから、一刻もテキストやらを焼き払わねばならない。あれだね。GWの余力を活かし、短編創作とか公開しちゃうからだよね!!やっぱ書くものに気合い入れていかないとな、とか考えちゃうじゃん。それ全て、死に至ります。死への予感がする。そういうの気にしちゃだめだから!!もっと感じて!!その「楽したい」っていう気持ちを大切にして。


拘束を解くのじゃ。思い返せばこのブログ、誰かを楽しませたいとか、そんな気持ち、全く無しの状態から始まっている。そんなものはな、最初からねーんだよ。無いのに読んで貰おうというその傲慢。その傲慢が許せなくなった真面目な俺は、自分自身にテキスト縛りを施していたのだ。日記なんて書いたって、仕方が無いよ。時代はテキスト。真面目で練られた文章しかブログには掲載しちゃいけないんだよ。

 

うるせー!知るか!!俺の知っちゃこっちゃねえ。ここのルールは俺が決める。依然として俺が審判だ。俺が審判でありプレイヤーな一人ゲーム、それがテキストサイトだ。あれ、なんか名言っぽいこと言った?これ、ちょ、名言じゃん。「管理人が審判とプレイヤーの両方を兼ねる一人遊び、それがテキストサイトだ」なんかそれっぽいじゃん。ほらなー言ったろー。日記書いてる方が色々浮かぶの。前にも言ったでしょ。自由な発想ができるのよこっちのほうが。何回言っても分からないからね。「何も考えずにかけ」と何度も言ってるのにすぐ忘れるんだよね。


でもなー、やっぱり、伝えたい内容があると、きちんと説明しようっていう気持ちが働いちゃうからなー。どうしてもそうなる。滅多なことじゃそんなこと起こらないけど、「あーこれはきちんと伝わる形で書きたいなー」という時がある。そうするとテキスト作成に着手しちゃうよね。自分が後から読んでも楽しめるような、そんな考えた文章を作ろうとしちゃうよね。でも、固執はあかん。縛られちゃあかんて。自由を重荷に変えてはならん。忘れたら思い出す。「所詮個人の匿名趣味ブログだ。自由に書き、自由に晒せ」。個性というのは、もしかしたら完全な自由から生まれるのかもしれないぜ?何かに束縛されて書いてると、そこに個性が生まれるのが難しくなるんじゃなかろうか。なかろうか、とか言われても困るかもしれんけど。でも、ここに人の本音が反映されるじゃん。これが俺の本音だ。本音。脳即キーボード。だから、これ、俺の脳が書いてるんですよ。俺じゃない。だから、これは本音なのだ。そして、人は本音で居るときが1番楽しいのだ。だから日記を書くのは楽しい。これって実はとても重要なことなのではないか。


だから平日は日記を書くことしかできない。許してー。堪忍してやー。まともな文章は一切かけない。小説とか書けるわけない。無理無理。超集中力いるね。そして集中力を出すの超大変だね!だからやれない。やる気なし。やっぷっぷー。

死。死だ。あーもうだめだー。ぐわああああ。無職になりてええ。GWショックやばい。そうだよ。ゴールデンウィークショックですよ!休日と平日の逆転現象。平日がこんなにつらい物だとは。思い出すまでかなり時間かかった。つらすぎて最初は信じられなかったよ。ヤバいね。休日と比較して平日の疲労度やばい。ここまで大変だとは思ってなかった。あれだけ休んじゃうとね。やっぱいつまでもその楽しさが続くと勘違いしちゃうじゃん。勘違いさせておいてこれだよ。木曜日と金曜日、とてもつらかった。本当は、こちらのつらい方が主役で、超楽しい方は脇役であることを思い出させられた。いやー、俺脇役のほうが好きなんすよ。そっちの方が個性的っていうか?でも主役の方が出番多い。大方の予想に反して主役である平日の方が多い。まじいらねー。平日いらねー。平日でてこなくていい。俺たちは休日の大ファンだからこの人生劇場を見ているわけで、平日、お前はいらない。平日の奴がいるせいで、時には人生劇場を見るのが嫌になっちゃうくらいだからね。でも、やっぱり土日さんが出てくると「人劇(ジンゲキ)はこれでなくっちゃな」と元気を取り戻すんだよ。だからまだまだギリギリ元気でいられてるけどね。あー!それでも平日うぜー!平日ほんといらね。全てが休日であって欲しい。

 

俺の夢
通帳を見たら、ひーふーみーやー・・・ゼロが8個あるぞ。こここ、これはー!3億円の宝くじが当たったからだー!俺は駅前で、この世の全てがどうでもいい気分で、無感情に宝くじを買った。それがなんと、当たったのだ。当選した俺は一躍大金持ち。時給800円のコンビニバイトとはこれでおさらばである。俺は今日から無職!おーれーは今日から無職ー!でも貯金が3億円もある!ひゃっほー!!!さーいこうー!!最高だね。これが幸せという奴か。今まで感じもしなかったよ。やべぇ、嘘じゃ無く、本当に当たるとは・・・嘘かと思って通帳見直した。マジで、当たってる。ゼロが8個あるぞー!!!(2度目)やっべーもしかして俺自由?明日からエロゲやりたい放題?無限にエロゲできる?そんな生活、ありかよ・・・明日からなんでもできる。なんでもやりたいことができる。すげえ。なんていうか、人生ってスゴいよ。可能性が無限大に溢れてきてるよ。あ、選択肢、無限大だな、って。ふとそう感じたね。地球の大きさを感じた。地平線が見えた気がした。それくらいの広大な空間が広がってるよ!やったー!!最高ーー!みんな悪いな。俺だけ最高の生活を送らせてもらって、本当に申し訳ない。俺は遊びたい放題。でもみんなは働いてる。いやー悪いね。でも俺はこの自由を容赦なく享受してやるぜ!!ざまあみやがれ!!3億円の力、とくと思い知れ。夢が広がりんぐw「りんぐw」とかひらしぶりに使ってしまった。それほど、夢の広がりを感じた。まずは積んでる本とゲームを全て消化することから始めるね。カレンダーにスケジュールを記入する。俺の遊びのスケジュールだ。その構成は緻密。一秒も無駄にしない。3億円を手にしたことで、俺は逆に油断を捨てることができたからだ。一分一秒を惜しまず、エロゲをやり続ける。その覚悟ができた。油断大敵!怪我一生!だから緻密な時間、体力管理のもと、俺はスケジュールに従ってエロゲをプレイしていく。

 

じゃあないんだよ。当たってねえんだよ。3億円は。3億円が当たってねえからエロゲはできねえしエロゲのプレイスケジュールを立案する意味もねえんだよ。もういや。なにもかもいや。現実、いや。でもまあ楽しいね。楽しさがある。かろうじて今は楽しさがある。やっぱりさ、貴重なこの時間だけは大切にしていきたいわけ。自分の持ちブログという趣味の空間。そこだけは楽しい場所であって欲しいじゃん。

 

「ちびちゃんは!ちびちゃんは許してあげてね!」
「ゆゆっ!ゆっくちちていっちぇね!」

俺は右脚で、子ゆっくりをふんわりと踏みつけた。そして、一呼吸置いてから、俺はその脚に全体重をかけた。

「ゆびゃあああ!!!どぼじでぇぇ!!!!」

 

違う、違う違う。ゆっくり虐待SSを書こうとしてるんじゃない。驚いた。楽しい方向を示せと言われたとき、向かう先がそっち?俺の楽しいってなんだ・・・歪みに歪みきってないか?大丈夫か?でも、なにか、楽しさの片鱗があった気がしないでもない。こええ。こええよ。闇は深い。闇は深いが、俺がいつ墜ちるかは分からない。ぽっかりと開いたその穴の口はいま確実に開いてしまった。ヤバい。

 

でも楽しさを追求したら普通こうならない?あれ?ならない。ならないか・・・俺の楽しさが、読み手の楽しさというわけでは無いからな。なぜオナニーを人に見せつけるのか。変態なのか?でもようやく楽しくなってきた。こうでなくっちゃいけないよ。
というかこれって最後まで読んでる人いるのか?これを読んだとき、人は何を思うんだろうか。何を得て、何を失うんだろうか。あーまた戻りかけてる。だめ!理性はいらん!必要なのはオナニーする勇気のみ!オナニー最高!

理性「最低だ俺って・・・」

本能「オナニー最高!」

オナニー!最高!オナニー!最高!

日本中から声援が聞こえてくるぞ!

オナニー!最高!オナニー!最高!

 

ふぅ・・・(日記というオナニーを一通り終えた俺)

じゃあな。

【創作】煩わしい訪問客

エロゲーをプレイしようと思ったら面倒なことに巻き込まれた大学生の話です

(約10000文字)

 

「煩わしい訪問客」

 

金曜日の夜10時。無限にも思える大学の講義から解放された俺は、飯を食べ終え、新作エロゲのパッケージを開けていた。最高の時間だ。土日を目の前にして、前々から予約していたエロゲを始めることほど心躍ることはない。そこそこの地方国立大に入学し、それから一人暮らしを始めて3年。俺はこの時間だけを楽しみにして日々を過ごしていた。

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書くことに慣れよう、という話

  • 大喜利イベントに参加できなかった

昨日のVテキ2周年イベントに参加できなかった奴が居る。俺だ。一週間、boketeで訓練をしてきた成果を見せつけるはずが、参加すらしなかったこの体たらく、どうか笑って欲しい。冷笑で迎えて頂きたい。俺も参加したかった。けれども気付いた時には夜中の2時半だったのだ。びっくりしたね。ここ最近、時間の経過スピードがあまりにも早すぎる。8時半に友達とSkypeで通話を始めて、「よーしもう寝るかー」と時計を見たら時すでに深夜2時半。6時間が経過していた。時間が飛んだのだ。

6時間って言ったらそりゃ大変な長さだ。「やろう」と思ったことはだいたい何でもできる。例えば、いまから「海へ行きたい!」と思いついたとして、その時点から実質2時間後くらいには海へ着けているはずだ。到着したら、その後は2時間ほど海岸沿いを散歩して夏の潮風をたっぷりと堪能したあと、帰宅に2時間かけてようやく6時間。6時間とはそれほど大きな時間だ。俺はあの6時間さえあれば何でもできたのだ。

 いや、冷静に考え直してみたら、海へも行けるというのは流石に言いすぎたかもしれない。モチベーションもたくさん必要だし、夜に家を出るのはどう考えても得策ではない。「Skype通話していなければなんでもできた」というのは誇張だった。けれども、より有用な形で使えた、という点には俺は確信を持っている。

例えば、映画ならば3本見れる。今まで見ていなかった不朽の名作を3本は堪能し、それを胸に明日を生きることができる。アニメならば最低でも12話は見れる。6時間もあれば1クールは余裕だろう。ネットのみんなが語り継ぐ名作アニメを一本みて、議論や感想の輪の中へ入っていくことができる。このブログへ上げる記事を書く場合はどうだろうか。いくら文字数が多いとはいえ、せいぜい一本の記事にかける時間は3~4時間である。6時間もあれば満足のいく何かが書けたに違いない。Vテキの大喜利イベントに参加していたらどうだろうか。その場合はリアルタイムでの大喜利参加という人生で初めての体験ができただろうし、その上、面白いかどうかは度外視したとしてもいくつかのボケを生むことができていたはずだ。ボケを生むことは、ある意味では日記を書くのと同じくらい価値のある作業である。

こうして考えると、やはり6時間というのは大きな数字だ。多いとも少ないとも言えないが、自由に使えるまとまった時間である。我々はとかく、こういう時間をないがしろにしがちなのだ。もっと集中して時間を活用すればアニメや映画、小説や漫画を積むことなく、有意義な生活を送ることができるだろう。

ま、そうは分かっていても、時間を浪費していってしまうのがSkype通話の恐ろしさ。そりゃね、喋っちゃうよ。喋りに喋って、気付いたときには6時間が経過してるよ。でもまあ、Skype通話も完全に無駄って訳では無いけどね。友達と話すのは楽しいし、色々と情報交換はできるし。けれども6時間は流石にやりすぎ。節度というものを持って欲しい。もし3時間で切り上げていたらVテキの2周年大喜利イベントを盛大にすっぽかす事も無かったはず。

通話を終え「ふぃーw今日も有意義な時間が過ごせたわいwさてさて、何か更新はあるかのう?w」てな具合に避難所へ飛んでみたら、既に大喜利イベントが開催されていて、はたまたVIPのスレへのURLを踏んでみたら既にレス数が500近かったりしていた。俺はもう、それを見た瞬間にSkype通話で消し飛んだ時間の長さを察し、全てが嫌になったのだ。散々喋った後の俺には、途中からイベントへ参加するだけの体力が残されていなかった。俺に出来たのは、盛り上がっているスレの熱気を尻目に、ブラウザの右上にある×ボタンを押すことだけだった。

そんないきさつにより、大喜利イベントに参加しなかった俺。もう墜ちるところまで墜ちていっている趣すらあるね。イベントには参加しない、個人HPは作らない。GWに入っても何一つ変わることの無い生活態度。どこまで堕落の一途を辿れば俺は気が済むのか。

 

  • また日記を書くとか書かないとかっていう話

ここ数日、ブログに日記を載せていなかったのもですね、「書こうと思えば書けるなら、別に今日書かなくてよくない?」という考えが頭にあったからなんだよね。はっきり言ってこの思考回路はかなり危険。なぜならその行き着く先は更新停止、ブログの死だからだ。今日書かなくていいのなら明日も別に書かなくていいのだ。書かなかったとしてもペナルティは無い。日記を書くも書かないも、全て管理人の意志に委ねられている。

正直、趣味としての日記を三日坊主で終わらせないようにしようと思ったら「できれば書く」という姿勢を維持する必要があるのかもしれない。書こうと思ったときに書けたとしても、書こうと思わなければ結局は書かないからだ。

というか、もうめんどうだし「書く」と「書かない」で区別するのはやめて、いっそのこと毎日書くことにしちゃえば良いのかもしれない。一日一回、日記的な物を書き始める習慣を付けるべきなんじゃなかろうか。とにかく書いてみて、それを公開するかどうかは後から決める。そういう方向性でいけば、更新頻度も自ずから上がっていくのでは? 

まあ、昨日みたいな日は仕方が無い。イベントがあったり、友達と話したりする機会があったり、とにかく何か特別な場合はこんなしみったれな文章を書く必要なんてない。楽しい方を優先すべきなのだ。けれども、何も無い日は結局のところ何もしないのだから、日記を書くくらいはしても良いのではないだろうか。

 

日記を書くなんて無意味なことに感じるが、やってみると案外面白い。「今日も何一つ面白いことが起こらなかったし、書くことなんて何一つないなぁ」と考えながらいざ書き始めてみると、自分すら思いもしなかった文章が生まれてくるから不思議だ。本当に不思議。脳の考える通りにキーボードを叩くという行為が、何かの刺激になっているのかもしれない。いま考えていることも段々とまとまってくる。そういう形になっていない考えを文章という形にするってだけで、結構楽しいものですよ。

それに最近は、日記らしき文章を書いていると唐突に創作スイッチが入り、はたまた唐突に小説を書き出す、ということがたびたび起こっている。実は、この日記を書き始める前にも別の日記を書いていたのだが、その途中で謎の電波を受信し、小説らしき物を書き始めてしまった。3000文字ほど書いた地点で体力が尽き、そのまま放置してある。未完成のままだから今のところ公開はしない。これを完成させるのか、完成したときに公開するのか、ということについても全て未定。ただただ放置してある。今日の文体が少し疲れ気味なのは、創作によってエネルギーの大半を消耗してしまったからだ。

いまはただ「日記を書いていると唐突に小説を書き出すことがある」ということだけが分かっている。それでもまあ、小説を書く手がかりが何一つなかった頃に比べれば成長したような気はする。とにかく、脳内の垂れ流しであろうがなかろうが、それがなんであれ何かを書いていた方が脳への刺激になるのかもしれない。だから、そういう理由からも毎日の日記を心がけていこうと思う。

 

けれど、あれなんだよな。毎日更新は無理。上記のは「できれば日記を毎日書こう」っていう抱負。更新しようとすると「ま、これくらいならネットに公開してもいいかな」って思えるまで文章を推敲しなければならない。これが本当にだるい。文章が長引けば長引くほどだるい。日記でもなんでも、こんな文章でも一応は読み返してちょこちょこと修正しているからね。これが本当にだるい。できれば書きっぱなしにしたい。

だから正直なところ「できれば日記を毎日書こう」っていう抱負には、「更新頻度を上げよう」っていう気持ちよりも、「日記を書いてる内に創作のとっかかりが見つけられたらいいな」っていう淡い期待の方が多く込められている。いやほんと、ここにこんなこと書いても仕方が無いんだけど、マジで推敲するの重労働だよ。どうなってんのこれ。時間もめっちゃかかる。誰か、誰か助けて。

 

  • 妄想を書くことについて

ま、推敲なんてどうでもいいんだ。そんなのやればできるっしょ。ここからは妄想を書くことについて話したいと思う。

どうやら「小説を書く」という作業は、脳内のイメージを文章化することらしい。「らしい」と書いたのは、今はそれを全くやっていないからだ。イメージなど全くない。気ままに日記を書いているだけだ。今となっては、創作文章を書いていたのはつい数時間ほど前のことになるのだが、自分がそれをどのようにやっていたのか全く分からない。実際に書いている時でないと、自分がそれをどうやって書いていたのかが分からないのだ。

 

ちなみにこれは、日記についても同じことが言える。とりあえず無地のエディタに向かって何かを打ち始めれば日記らしき文章が生まれていく、ということは知っている。けれども、実際に書き始めるまでは「本当に日記なんて書けるんだろうか」と自分を訝しむ気持ちで胸が一杯だ。日記を書いてない時の普段の俺には「何かしらの文章を書く」という作業すら、自分にできるかどうか疑わしく思えるのだ。

それと同様にして「脳内にイメージを浮かべ、なおかつそれを文章化していく」なんてことができるんだろうか、と日記を書いている今の俺は訝しんでいる。けれども、現実に、俺が書いた創作の一片が3000文字分だけ存在している。どうやら俺は、イメージも少しは浮かぶし、それを文章に落とし込むことも、まあどうにかしてできるらしい。なんというか不思議な気分だ。俺が俺に「どうやってやったの?」と聞きたい。

 

なんだろう。自転車を漕ぐ練習をしている時と同じ感覚なんだろうか。でもそれよりも、もっとぼんやりとしている雰囲気がある。「できる」と「できない」の差異を感じにくいのだ。自転車ならば具体的な挑戦が可能だ。乗ろうと思って乗れなければ、その時の感覚を調整して次の機会に頑張ればよい。それを繰り返している内に気付いたら自転車に乗れているのだ。乗れないのであれば乗ってみようとすればいい。

けれども、小説を書こうとした場合、いったい何を挑戦すれば良いのか皆目見当がつかない。小説を書こうと思って真っ白なエディタに向かう、ってのもなんだか少し違う気がする。さっきまでの俺がどういった経緯で頭にイメージを浮かべそれを文章化しようと思うに至ったのか、全く覚えていない。更に付け加えるならば、この日記を書き始める前の段階でこんな文章が生まれるとは全く想定していなかったし、どうして今こんなことを書くに至っているのか、その経緯も全く覚えていない。何もかもが闇の中だ。俺がたびたび口にしている、頭の動かし方が分からない、というのはこういうことである。

 

だいたいさ、イメージってそんなに浮かんでくるものなの? 浮かばなくね? 何かを思い出す時にそのイメージが浮かぶ、ってのなら理解できるけど、全くの妄想を頭の中で具体的にイメージすることってある? いや、「もし3億円当たったらどうしようかなぁ」っていう自分に関係したことならまだ分かるよ。でも、キャラクター的な他者がどこかで何かをしているシーンとか、妄想で頭に浮かぶものなの? 浮かばないでしょ。自分とは別の何かが妄想の中で動き出すっていう現象、冷静に考えて理解不能でしょ。

でもまぁ、なぜか俺はそれをやってのけたらしい。過去の日記内にも掌編がいくつか残ってるし、新たに3000文字分の創作文章が手元に残されている。一体何が起こってるんだろうか。

 

というか、そもそも、この文章をここまで読んでいる数少ない奇特な方々もこう思っているかもしれない。「こんな垂れ流し日記、まともな神経してたら書かないし恥ずかしくて公開もしないよね。てかなんで適当に書いててこんなに長文になるの? マジで理解不能。もっと人生を有意義な方向に使えばいいのに」と。でも俺はこうして垂れ流しで書けていられるし、それをネットに公開することもできている。脳内を垂れ流す感覚を掴んでしまっている。けれど、この感覚を相手に伝えることは至極困難だ。自分でもどうやっているのか分からない。自分でも分からないことは人に伝えることもできない。

結局のところ、垂れ流し日記を書く感覚を掴むのと同様に、妄想を文章化する感覚も自分で掴まなければならないのだろう。実践あるのみ。自転車だってそうじゃないか。人からどれだけコツを教わっても、最終的には自分で取り組まなければならない。言葉にはできない微妙な感覚というものを肌で感じなければならない。試行錯誤をし、自転車に乗れるようにするのは他でもない、自分自身なのだ。妄想を文章化する、ということも結局は自転車に乗るのと同じ話だ。

 

  • 超疲れた 

それと、「創作」というのを少しやってみて分かったのは、こういう雑然とした文を書いている時よりも数倍の集中力が必要だ、ということだ。マジでヤバい。3000文字程度の拙い創作で、ここまで消耗するとは思ってなかった。とんでもない体力が必要となる。これはガチ。イメージしながら文章を書くとか、右脳と左脳を使いすぎでしょ。

試しにメモ帳を開いて何かしらの妄想を文章化してみて欲しい。まず真っ白なメモ帳を見て絶望するところから始まる。なんであれ、文章に落とし込むべきイメージを脳内に思い浮かべることが、既に至難の業なのだ。第一これが簡単に出来るのならばテキストサイト管理人がネタに困ることなどない。それが創作であれなんであれ、書くべきことが無尽蔵に見つかり毎日更新できているはずだ。それが出来ないからこそ、更新が滞ってしまうのだ。

また、書きたいイメージが浮かんだら浮かんだで、それを維持しながら文章を書いていかなければならない。文字を打つだけでも大変なのに、それに加えてイメージをし続けなければならないのだ。あまりにも過酷。マジで超大変。この作業に「慣れる」なんてことがあるのか? それに、妄想ストーリーが次から次へと浮かぶことなんて、本当にあるんだろうか? いつになっても疑問は尽きない。それに超疲れた。そろそろこの辺で終わりにしたい。

 

あーほんと、さっきまでの俺はこの3000文字の断片を一体どうやって書いていたんだろうな。全くその感覚を思い出せない。俺だって掌編を完成させてできれば公開に漕ぎつけたいが、明日になってから続きを書けるかどうかも分からない。当分の間は日記を書き続けることで何かがやってくるのを待つしか無いらしい。とりあえずは「日記を毎日書く」ことを目標にしようと思う。鬼が出るか蛇が出るか。行動しない限りは何も分からないのだ。