<5月1日>(水)
〇本日は20年以上ぶりに「一の会」が復活。それというのも、このたび故・岡本呻也の『あのバカにやらせてみよう』の復刻版が出ることとなり、その名も『ザ・スタートアップ』(ダイヤモンド社)という。帯には「伝説の名著」(!)とある。確かにそうかもしれない。
〇今となっては、あのネット黎明期の異様な雰囲気を、どうやって説明したらいいのかわからない。1999年から2001年頃の日本経済は、不良債権問題で明日をも知れない感じだったのだが、インターネットの周辺だけは妙に明るくて、いつも何かうごめいている感じだった。そんな中から「ネット起業!」がいくつも誕生した。
〇そういった動きを、『あのバカにやらせてみよう』という卓抜な表現で描いたのが岡本氏であった。往時のネット起業家のひとりは、この言葉が気に入って「ANOBAKA」という会社を作ってしまったほどである。あの時代の雰囲気を次世代に伝えるためには、「とにかくこの本を読んでくれ」というしかない。
〇そしてプレジデント社を辞めてノンフィクション作家となった岡本呻也さんが、文芸春秋社の田中裕士さんと一緒に幹事を務めていたのが「一の会」である。毎月1日に、四谷のスカッシュという店で行われていた。スカッシュはもうなくなってしまったらしいが、今宵は田中さんの呼びかけで、やっぱり四谷で往時のメンバーが集まった。岡本さんの弟さんもお見えでした。
〇往時はメディア関係者、もっというと出版関係者がほとんどだったのだが、20年もたつと「紙の仕事」をしている人がほとんどなくなっている。どんどんネットに移ってしまったのですなあ。昔は本を作っていた編集者が、今ではユーチューブを作っていたりする。そういえばワシが書いているものも、どんどん紙の比率が減ってネットの比率が増えている。この20年で確実に世の中は変わっているのである。
〇そして20年もたつと皆さんいろいろあって、そもそも同じ会社に居る人自体が珍しい。ワシもあの頃は日商岩井時代で、お台場に通っていたのだから。どうでもいいことですが、双日は今年で20周年になります。
〇ところがネット社会のありがたさで、昔のメンバーと何とか連絡が取れてしまうのである。とはいえ、岡本さんが居なかったら、お互いに知り合うこともなかったはずの顔ぶれである。人と人を結びつけるのはネットではなくて、やはり人なのである。
<5月2日>(木)
〇お休みで関西に来ております。本日は「大山崎山荘美術館」へ。
〇山崎の合戦が行われた「天下分け目の天王山」の中腹に位置している。羽柴秀吉が明智光秀を破ったときに、この天王山を押さえていたのは黒田官兵衛でありました。が、そんなことはここではどうでもよろしい。
〇この山荘を築いたのは実業家・加賀正太郎である。ただし実業家というよりは、限りなく趣味人に近いのではないかと思う。登山を愛し、ゴルフ場を作ったり、蘭の花を育てたり、大阪倶楽部の社員として貢献したりしている。事業としては、あのマッサンこと竹鶴政孝に出資し、ニッカウヰスキーを誕生させたことが最たるものではないか。
〇しかるに事業などというものは、1世紀もたつとどうでもよくなってしまう。そんなことより、平成になって歴史的建造物である大山崎山荘をなんとか残さねばならぬということになり、歴史的にご縁があったアサヒビールが手を挙げて、建物を引き取った。そしてニッカウヰスキーも、今ではアサヒビールの完全子会社となっている。
〇そんなことはどこにも書いてないのだが、加賀正太郎はきっとサントリー創業者の鳥居信治郎に対抗心を燃やし続けていたんだろうなあ、などと想像するとちょっと楽しい。山崎といえばサントリー。そこに山荘を作り、サントリーを辞めたマッサンに仕事をさせる。関西の財界って深いよなあ。
〇思うに事業を追求するばかりが実業家ではない。「あの人は趣味では一流なんだけどねえ・・・」などという悪口は、そんなもの言わせておけば良し。百年もたてば事業は誰か他の人のものになっている。しかるに趣味はソフトパワーとなり、今も多くの趣味人を牽引してやまない。たまには、そういうのもよろしいではありませぬか。
<5月3日>(金)
〇本日は奈良にてあちこちを訪問。
〇奈良国立博物館では空海展をやっている。いずれトーハクにも来るらしいのだが、さすがに持ってこれないものもあると聞き、こちらで見物。なるほどさもありなん、という内容でした。インドで興り、中国で花開いた密教が、今では日本にしか残っておらず、高野山にはいまも弘法大師がいらっしゃる、とはこれいかに。
〇ついでながら、仏像館の「金剛力士立像」も超ド迫力でありました。
〇入江泰吉記念奈良市写真美術館もすばらしかった。入江泰吉は明治生まれでアナログ時代の写真家だが、「これぞ奈良!」というべき写真を多く残してくれている。時代が令和になって、奈良市にもリニアが通るかもしれないのだが、さすがに高層ビルが建ったりはしないだろう。それでもとにかく昭和の頃の「古き良き時代の奈良」を写真で切り取ってくれたことはありがたい。かつてこういう風景があったのですよ、ということで。
〇偶然見つけたのですが、志賀直哉の旧居なんてのもありました。関東大震災で関西に移り住んだ文人は、谷崎潤一郎だけではなかったのですな。大正から昭和にかけてのよき時代、文士はどんな暮らしをしておったのか。
〇とまあ、人混みを避けるように観光して負ったのですが、奈良の観光施設は見事なくらいに「9時から5時まで」になっていて、夕方4時台になると観光客(うち半分くらいが外国人)がどっと駅の方に戻ってくる。これぞまさしく大仏商法みたいな世界であって、こんなことしてたら観光地としての成熟がないですぞ。まあ、客の方から勝手に来てしまうのだから仕方ないですが。
〇ちなみに仕事では3回泊った奈良ホテル、たまには自分のおカネで泊ってみると、やっぱりいいところでありました。街全体、コロナが明けて、目いっぱいフル稼働している感じでしたな。タクシーはなかなかつかまらないし、バスはどこでどう乗るのかがわからない。荷物を軽くして、徒歩を覚悟で歩き回るのがコツのようです。
<5月4日>(土)
〇本日は新装なった大阪市立東洋陶磁美術館へ。出し物は「シン・東洋陶磁――MOCOコレクション」。
〇1984年に入社して、たぶん夏ごろに初めて大阪に出張して、そのときに訪ねたのがこの場所でありました。当時はまだ出来て2年くらいだったし、安宅産業の倒産もまだ記憶に残る時期でありました。安宅コレクションの散逸を防ぐために、当時の関係者が苦労して作ったのがこの美術館で、何よりここには油滴天目茶碗がある。
〇それまでまったく茶器などには関心がなかった不肖かんべえであったが、これは度肝を抜かれました。いや、何より大阪初出張で何をしたかはまったく覚えていないのに、この茶碗のことだけは覚えている。その後もこの美術館は何度も訪ねてきましたが、今日は果たして何回目だったか。
〇もうひとつ、本日訪れたのは万博記念公園にある国立民族学博物館(みんぱく)である。佐倉にある「れきはく」と紛らわしいですが、そちらは国立歴史民俗博物館。民族学と民俗学はどう違うんですか、というのはチャットGPTなどに聞いてみたいことである。
〇まあ、それはいいのですが、万博記念公園に到着して「太陽の塔」を観た瞬間に、小学校4年生の時の記憶が蘇りましたですな。というか万博記念講演って、あのときの万博会場をそのまんま使っているじゃん!って、当たり前なんですが。この辺に日本館があって、この辺にソビエト館があって、なんて覚えているもんですな。
〇世の中のことの大半は時間がたつとどうでもよくなるのですが、衝撃的な美の記憶はいつまでも残っていて、人生を支配したりするものらしい。どちらも大阪にある、とはいかなることなのか。万博記念公園は連休中の「安近短」な時間つぶしの場所であると見えて、本日は盛大な人出でありました。
<5月5日>(日)
〇ということで、大型連休でゲキ混み中の関西を、3泊4日で駆け抜けてまいりました。どこへ行っても外国人観光客、というのは今さら言うまでもないのですが、これまでに何度も泊ったANAクラウンローヤルホテルで、「朝食会場が長蛇の列で入れなかった」という経験にはちょっと驚きました。
〇いや、あらかじめ「朝食込み」のプランにしておかなくて正解でした。即刻、淀屋橋駅地下のドトールへ避難して事なきを得ましたが、あれはちょっと反則ですねえ。これでとうとうわが国もコロナ明けした、ということなんでしょうか。
〇毎年4〜5回は来ている大阪ですが(今年は既に4回目で、今月中にもう1回、内外情勢調査会で来訪する予定)、遊びで行く、なんてことは滅多にありません。いつも行く場所というと、クラブ関西とか、大阪電気倶楽部とか、大阪経済大学とか限られた場所ばっかりなので、「今日はこれを見に行こう」と思うと、結構ハードルが高かったりする。
〇とはいうものの、ワシも関西系商社で長らく過ごしてきた人間なので、あんまりアウェイ感はないのである。何より若い頃から、「とりあえずダメもとで何か言ってみる」みたいな精神が注入されて久しいので。もしも大阪の流儀を知らずに育っていたら、自分も随分、今とは違う人間になっていたのかもしれない。
〇おそらく今の自分の体内の何割かは既に関西系でできていて、大概のことでは驚かなくなっている。いや、これはちょっと驚いたかな。「大阪来てな」(アバンギャルディ)。なんじゃあ、これは。万博がいくら盛り上がらなくても、こんな風に勝手に盛り上がっていくのが大阪の流儀っちゅうもんですから。
<5月6日>(月)
〇不肖かんべえが理事を務めておりますSDGsプロミスジャパンでは、今月からクラウドファンディングを始めております。
●隈研吾先生の設計をガーナで実現!職業訓練校奨学金で誰も取り残さない明るい未来へ!
〇アフリカ支援をテーマに活動を続けてきて今年で16年目になりますが、ガーナの職業訓練校建設は文字通りの目玉プロジェクトとなります。その奨学金のためのファンディングであります。とりあえず自分で1万円寄付してみましたが、こういうものは出だしが大事らしく、今後の集まり具合が気になるところです。ご協力を賜れれば、まことに幸いであります。
〇しかしまあ、このCAMPFIREというサイトを見ていると、世の中にはなんとまあ多種多様なクラウドファンディングがあるのでしょうか。「日本には寄付文化がない」みたいなことをよく言われますが、意外とこんな形で新しい文化が生まれるのかもしれません。変な話ですけど、「ふるさと納税」なんかもこうした動きを後押ししているのかも。
〇あらためまして、SDGsプロミスジャパンは認定NPOですので、寄付は税制優遇の対象となります。ご検討、どうぞよろしくお願い申し上げます。
<5月7日>(火)
〇今朝はニッポン放送へ。飯田浩司さん相手に「『大阪来てな』のアバンギャルディって凄い!」という話をしてみたら、新行さんがよく知っていたうえに、飯田さんがお世話になってる運転手さんが彼女たちの「ド嵌りファン」で、地方のコンサートにまではせ参じているのだとのこと。ああ、既にそんな勢いだったとは・・・。
〇アメリカ大統領選挙に関する話題では、「キャンパス・プロテスト」(学園紛争)の話を取り上げてみました。既に逮捕者が2100人というから、全然シャレにならない事態なんですが、ワシなんぞは古い世代なんで、「いまどきの若い者たちは・・・」という気分になってしまいます。古来、繰り返されてきた図式ではあるのですが。
〇この問題については、最近のNYT紙オピニオン欄でニコラス・クリストフの「お説教」が面白かった。若者よ、大人たちが「君たちの気持ちはよくわかる」なんてことを言い出したら、その後に続くセリフは信じちゃダメだからね。当然、知っているとは思うけど。
〇ワシ的には、WSJのウォルター・R・ミードの達観した見方が好きだなあ。「米国の中東政策を巡る議論はほぼ必ず激しいものであり、賢明なものであることはめったにない」って、ホントに昔からそうなんだから。
〇ちなみにこの件について、宮家邦彦さんは産経新聞のコラムでこう書いている。
今と60年代が最も異なるのは徴兵制の有無である。当時18〜26歳の米国男性はベトナム戦争に徴兵されていた。一部免除措置はあったが、基本的には大半の男子学生に徴兵の可能性があった。大義のない戦争で死にたくない学生の一部は良心的兵役拒否を、一部は隣国カナダなどへの逃避を選んだ。
ところが今は状況が大きく異なる。米軍は全て志願兵だし、ガザで戦闘に参加もしていないからだ。パレスチナへの連帯を唱え抗議運動に参加する学生には、1960年代の若者のような切迫感、絶望感があまり感じられない。
〇まことにごもっとも。「大学当局はイスラエルとの関係を絶てえ!」なんて、その程度のことで戦争を止められるはずがないでしょうが。もうちょっと歴史も勉強して、少しは辛い思いもして、ちゃんとしたオトナになってほしいです。
〇夕方はNHKの「Nらじ」に行きましたら、スタッフの方が「今朝のニッポン放送聞いてました」ですって。そういうことってあるのかあ!ちょっと驚き。
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編集者敬白
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by Kanbei (Tatsuhiko
Yoshizaki)