2008/09/05

Change Who Can Believe In : 共和党大会最終日

繰り返しになってしまうが、マケイン候補の課題は共和党の枠を超えた支持の広がりをどのようにして実現するかという点にある。昨日の演説で浮き彫りにされたのも、やはりこうした課題だった。

まず言うべきことは言っておくと、やはりマケイン候補は演説が上手くない。前評判があまりに低いと、「実は意外に良かった」となるケースも少なくないが、今回は「やっぱり」だった。後半のベトナム戦争での経験から、最後の「一緒に戦おう」と畳み掛けるところは素晴らしかった。マケイン候補にしかできない演説であり、まさに圧巻といって良い。しかし、それ以外の部分は、やや辛いものがあった。保守派の論客であるペギー・ヌーナンは、長々とペイリン演説の評価を繰り広げた後、マケイン演説については、一言「John McCain also made a speech. It was flat」で片付けている(Noonan, Peggy, "A Servant's Heart", Wall Street Journal, September 5, 2008) 。実際に、テレビでは、あくびをしている観客の顔が何度も映し出されていた。

もっとも、会場の盛り上がりが今ひとつだったのには理由がある。マケイン候補は、会場の外に向けても話そうとしていたからである。それまでの共和党大会の演説は、ほとんどが党の結束を固めようとする内容だった。ペイリン知事の演説も例外ではない。しかし、マケイン演説の主眼は、「ワシントンを変えなければならない」という点にあった。オバマ批判も極めて中途半端。党派の違いではなく、「国を第一に考えることが必要だ」というのが、マケイン候補が伝えたかったメッセージなのだろう。

ところが、当然そのためには、共和党も変わらなければならない。マケイン候補も、それに近い言葉を盛り込んだ。しかし、会場に集まった共和党支持者は、必ずしもそう思っているわけではない。低下しているとはいえ、ブッシュ大統領に対する支持率ですら、無党派層や民主党支持者よりも高いのが現実だ。こうした目線の違いが、マケイン演説に対する会場の冷めた反応につながった。

マケイン陣営は、ペイリン知事の選出にみられるように、「経験」から「変革」へと戦線を拡大しようとしている。共和党支持者をまとめるだけでは勝てない以上、無党派層・民主党支持者の不満を取りこまなければならないからだ。だからこそマケイン候補は、会場の外に向けて話さなければならなかった。会場の共和党支持者は、動き始めた列車から取り残されたような感覚に襲われたのではないだろうか。

また、観衆の反応という点では、とくに中段の経済政策に関する部分で、盛り上がりの欠如が目立った。マケイン候補は、経済的な苦境を抱える個人の例をあげるなど、エドワーズ的(!)な語り口で、「経済がわかっていない」というオバマ陣営からの批判に答えようとした。民主党の大会であれば、会場が一気に親近感に溢れる場面だが、共和党大会ではそうはいかなかった。共和党支持者の経済を見る目は、民主党支持者や無党派層ほど厳しくないからだ。ここにも、会場・共和党支持者と、マケイン候補が狙わなくてはならない無党派層・民主党支持者のギャップが立ち現れていた。

マケイン陣営には、決定的な弱みが残されていることも見逃せない。「変革」の重要性を強調する一方で、その裏付けとなる政策的な提案に新味が見られないという点だ。例えば経済政策については、賃金保険の部分を除いて、減税・小さな政府・エネルギー開発、といったお馴染みの政策が繰り返されただけだった。「変革」の実現を保証するのは、マケイン候補の「私欲ではなく国益を第一に考える」という、モラルの高さだけである。選挙戦ももう終盤。果たしてそのギャップを埋める時間はあるだろうか。

話はがらりと変わるが、ネット上で話題になったのが、マケイン候補の演説の背景にまたしても「緑」が使われたことだ。かつてその彩りの悪さが、マケイン陣営の手際の悪さを象徴するとして散々取り上げられただけに、再び「緑」が現れたことには、驚きの声があがっている。

話はそこでは終わらない。この「緑」は背景に映し出された建物の前にある芝生だったのだが、今度は「この建物は何か?」というのが話題になっている。どうやらこれは、カリフォルニアにあるWalter Reed Middle Schoolという学校らしいのだが、これはもしかすると Walter Reed Army Medical Center(イラク戦争などの負傷兵を収容している病院)と取り違えたのではないか、というがあるのだ。

嘘みたいな話ではあるが、「もしかしたら」と思わせてしまうところが、マケイン陣営の怖さ(?)である。

2008/09/04

Happy Soldiers : 共和党大会3日目

昨日のペイリン知事の演説は、なかなかの見物だった。明朗で親しみやすく、かつ、辛らつにオバマ批判、エスタブリッシュメント批判を繰り広げる。ジョークも満載だ(「ホッケー・マムと闘犬の違いを知っている?口紅よ!」)期待と不安が入り混じっていた党大会の参加者は、完璧にペイリン知事に魅了されていた。

驚かされたのは、会場の明るさである。前座で会場を存分に暖めたジュリアーニ知事もそうだが、共和党による民主党批判には、冗談めかして軽くあしらうような風情が目立つ。民主党の共和党批判が、眉間に皺を寄せて詰め寄るような傾向があるのとは大きな違いだ。政策面でも、共和党は明るい雰囲気を振りまきやすい要素があるように思う。「減税、自由貿易で雇用を生む」というメッセージは、「中間層が苦しんでいる」→「大企業から金をとってセーフティーネットを」みたいな議論よりは、前向きに聞こえやすい。「どんどん(資源を)掘るんだ、ペイビー」なんて、民主党にはいえませんよね。

もっとも、こうした「明るさ」が、今の米国の雰囲気に合致するかは別の問題。自宅のテレビからみていると、数年前の党大会の再放送を見ているような違和感があったのも事実だ。ペイリン知事は、確かに共和党の地盤を固める役回りは果たすだろう。しかし、ここ数年の米国では、共和党支持者の数が民主党支持者対比で減っている。地盤を固めれば勝てた2000年、2004年とは違う。ペイリン知事の成否は、無党派・民主党支持層にどこまで食い込めるかにかかっている。

それはそうと、気になったのは、最後に登場したマケイン候補。会場が盛り上がりに盛り上がったところだったが、ニコニコするばかりで、気の利いた発言はほとんどきかれなかった。「演説下手」で通るマケイン候補。大丈夫だろうか...

もっとも、オバマ演説ほどの視聴者を集められるかどうかは未知数だ。夕暮れ時のオフィスには、野外コンサートの音が聞こえていた。フットボールの開幕に併せた無料コンサートが開かれているのだ。ハリケーンに始まり、フットボールに終わる。そんな共和党大会である。

2008/09/02

Here We Go Again : ペイリン旋風再び

ペイリン知事の副大統領指名は、娘の妊娠騒動を筆頭に、さまざまな情報が乱れ飛ぶ展開となった。マケイン陣営にとって気にすべきなのは、ペイリン知事に対する有権者の評価もさることながら、世論の注目がマケイン・ペイリン陣営に集まってしまった点だろう。夏場にオバマ候補が不調だったのは、世論の関心がオバマ候補に集中し、選挙戦が「オバマ候補の信任投票」の様相を呈したからだ。マケイン陣営も、メディアによる扱いの小ささを逆手にとった。有権者はオバマ候補の「変化」のメッセージを好意的に受け止めつつも、その「見慣れない経歴」から、最後の一歩を踏み出せなかった。

しかし、「ペイリン旋風」は、オバマ候補をメディアから吹き飛ばしてしまった。

オバマ陣営にとっては願っても無い展開だろう。マケイン候補の「判断力」を有権者が注視する時間帯がやってきそうだからだ。実際オバマ陣営は、ペイリン知事の資質ではなく、同知事を選んだマケイン候補の判断を疑問視する戦法を選んだ。先の民主党大会でも、オバマ陣営は、「マケイン候補の意図は真摯だが、判断力に問題がある(分かっていない)」という論法で、マケイン候補の愛国心を問うことなく、その資質を議論の俎上に上げようとした。この点では、ペイリン旋風はオバマ陣営にとって追い風になる。

各種世論調査には、オバマ候補が支持率でやや抜け出した様相がある。オバマ候補の支持率は、バイデン議員を副大統領に選んだ時点で、やや低下した。おそらくヒラリー支持者が幻滅したからだろう。そのヒラリー支持者は、オバマ候補の下にまとまり始めている兆しがある。一方のペイリン候補も、保守派のマケイン支持度を上げることには成功しているようにみえる。

はてさて、ペイリン旋風はどこに落ち着くのだろうか。評価は共和党大会が終わるのを待たねばなるまい。

その共和党大会では、ブッシュ大統領が衛星中継を使って演説をしている。時間帯は東部時間の9時台後半から10時にかけて。主要テレビ局の放送が始まるか、始まらないかの微妙な時間帯だ。中継だけに、観衆の拍手などとのタイミングがつかみ難そうだ。

確かに支持率の低い大統領ではある。それにしても、ここまでの扱いとは...

2008/08/30

After the Flood : 民主党大会最終日・オバマの演説

というわけで、オバマ演説の話は飛んでしまった。その代わりといっては何だが、当日の朝(演説の前)に掲載されたコラムを紹介しておきたい。

Caro, Robert A., "Johnson's Dream, Obama's Speech", New York Times, August 27, 2008.

オバマの演説は、選挙演説としてみるならば、高得点をたたき出したことは間違いない。チェックボックスはすべてチェックする。そんな演説だった。以前にも指摘したと思うが、オバマは自らを攻撃されることには神経質だ。「これができていない」といわれると、ムキになって答える傾向がある。政策や主義をたたかれても、クールに切り返すせるのとは大きな違いだ。そんな傾向が、今回の演説にも現れたような気がする。

結果は、マケインへの痛烈な批判や、しつこいほどの具体的な政策が盛り込まれた演説だった。いわゆる「レッド・ミート」満載の演説は、民主党支持者を満足させるには十分だっただろう。

しかし、歴史的な演説という観点ではどうだろうか。オバマ自身の演説でも、2004年の党大会演説には及ばなかったのではないだろうか。マイケル・ガーソンは、オバマは演説の機会を得られた歴史的な意味合いを軽視せず、中間層向けの処方箋を示すだけでなく、もっと根深い格差の問題に言及し、「融合」のメッセージを改めて強調するべきだと指摘していた(Gerson, Michael, "Don't Underestimate the Moment", Washington Post, August 27, 2008)。そのガーソンは、オバマの演説を聴いた後に、「ゴアやケリーの演説と本質的に同じ演説だった」と辛辣な指摘を行っている(Gerson, Michael, "Obama The Orthodox", Washington Post, August 30, 2008)。

「狙い」に応じて動けることは、政治家にとって大事な資質である。その意味で、オバマはしっかりとクリントンの流れを汲んでいるように見える。今回の演説に「歴史的」な意味が与えられるならば、「黒人初の大統領が選挙を勝ち抜く布石になった演説」という格好になるのかもしれない。これは、出来の良し悪しとは違う次元の話である。

言い換えれば、オバマの「歴史的な演説」は、就任演説を待たなければならないのかもしれない。

その演説を現実にするためには、この演説は必要だった。

そうだとすれば、どことなく哀しい現実である。

2008/08/29

Star is Born ? / ペイリン旋風がやってくる!?

何だかすごいことになってきた。マケインが選んだ副大統領候補は、アラスカ州のペイリン知事だった。今年の大統領選挙には、黒人、ハワイ、女性、アラスカ、という要素が入ってくるわけだ。しかも、ペイリンの旦那さんには、エスキモーの血が流れているという。最近生まれたばかりのお子さんは、ダウン症だったりもする。長男は陸軍で、9月11日にイラクに向かうという。ほとんど無名だったペイリン知事。しばらくは"average hockey mom"のストーリーが、メディアを賑わせそうだ。

オバマ陣営にとっては、ペイリンは戦い難い相手だろう。オバマの問題の一つは、一般有権者の共感を得難いという部分にある。このため昨日の演説でも、オバマは自らの生い立ちを語りつつ、「普通の国民」のストーリーをふんだんに盛り込こんだ。ブルーカラーの出自であるバイデンを副大統領候補に選んだのも、一つには同じような理由がある。返す刀で、マケインは庶民の暮らしが理解できない、何せ「自分の家の数すらわからない」のだから、と切り返すという戦略だ。そこに出てきたのがペイリン知事だ。結婚式を上げるお金がなく、裁判所ですませてしまったという同知事は、狩猟や釣りが趣味。いかにも庶民に好かれそうな雰囲気である。

オバマ陣営のイニシャルのリアクションは、「人口9000人の町の町長で、外交経験ゼロ」というものだが、このようないい振りは利口とはいえまい。人口9000人のアラスカの町を「見下している」と言われかねないからだ。なにしろ、アラスカ、というのは米国人の好きな「フロンティア」な感じがする(?)。ペイリン知事の好物は「ムースバーガー」だ(!?)。なぜかハワイとは違う。なぜだかは、良く分からないが...(そういえば、昨日の「オバマ劇場」でも、ハワイ部分は極めて扱いが小さかった)。それに、「(オバマ候補の)経験の浅さを攻撃してきたが、そっちだって経験は浅いじゃないか」という言い方は、「経験の浅さ=望ましくない」という議論を認めることになる。必ずしもオバマ陣営にとって助けになる論法ではないだろう。

バイデンとの対比も難しい。確かに、外交経験ゼロ、政治経験もオバマより無い(!)という点では、バイデンとは雲泥の差である。しかし、これは下馬評にあった他の有力候補者でも同じこと。例外はリーバーマンだが、これは共和党内部での混乱が予想されていた。そうであれば、思い切って対照的に新鮮な顔をもってくるというのは一つの見識だ。はっきりとは言い難い部分だが、「討論会で女性を叩くのは難しい」というのは米国の常識だ。ヒラリーの例をみればおわかりだろう。

トリッキーなのは、ヒラリー票との兼ね合いである。多くのメディアは、マケインが女性を副大統領候補に選んだことで、ヒラリー票/女性票の行方が改めて焦点になってきたと指摘している。確かに、そうした側面はあるだろう。ペイリン知事も、こうした狙いを明言している。しかし、ペイリン知事の売りは、政策的にはバリバリの保守であること。だからこそ、共和党内部からも歓迎論が多い。ヒラリーとは性別は同じでも、政策は全く違う。それでも、ヒラリー票は動くだろうか?

むしろペイリン知事の強みは、マケイン候補に「変革」のイメージを与えられること。若く、ワシントンからは(地理的にも)遠い。アラスカでは政治改革・財政改革に取り組んだ。何度か触れているが、ローブ以来の選挙戦の常道は、「弱み」を強み」に変えること。昨日の演説で、オバマ候補が「司令官としての資質」を正面から取り上げたのも、その伝統に則っている。そしてマケイン候補は、「旧態依然」との攻撃を正面からひっくり返そうとしている。

オバマ陣営にとって大切なのは、照準を誤らないことだ。メディアはペイリン知事に飛びつくだろう。しかし、オバマ陣営の照準はあくまでもマケインである。昨日のオバマ演説は、マケイン批判のトーンの高さが際立った。オバマ陣営は、オバマへの信任投票から、オバマ-マケインの選択に戻そうとしている。ペイリン旋風に惑わされてはいけない。むしろ、旋風が吹き荒れるのであればこそ、激戦州での地道な組織戦略が重要になる。

知られていない知事だけに、マケイン陣営には、これからどんな爆弾が飛び出すかわからないというリスクはある(たとえば、メイドの社会保障税を払っていないとか...)。しゃべりがどうなのか、といった点も、全く自分にはわからない。それでも、この選択が選挙戦を大きく揺るがしているのは確かだ。

少なくとも、ペイリン旋風は、オバマの「歴史的な演説」を吹き飛ばしてしまった。オバマ演説が世間を騒がす中で、情報は少しずつ流れ出していった。アラスカからチャーター機がマケインが演説を予定していたオハイオに飛んだという情報が流れる。ローブがほのめかす。ポーレンティーが否定する。ロムニーが否定する...。少しずつ、少しずつ。驚きと期待感が醸成される。

見事な情報戦略だった。

フロントランナーであるオバマは、バイデンという玄人好みの安全な選択をした。アンダードックであるマケイン陣営が、安全な選択をしてもしょうがない。タイミングとあわせて、秀逸な一手というべきだろう。

それはそうとして、旋風は旋風でも、気になるのはハリケーンですね。共和党大会の開会延期や、ブッシュ大統領の演説キャンセルも検討されているとか...。

2008/08/28

Born in the USA?! / 民主党大会最終日

演説の評価は一晩おいてからにしたい。これだけのスペクタルを見せつけられると、判断も鈍ってしまう。CNN、MSNBCは絶賛、Foxは意見が割れている、というのが今のところ。それでも、Materpieceという言葉が飛び交っている。

ポイントは、「司令官の資質」で正面から勝負する姿勢を明確にしたことだろう。ここ数回の選挙の鍵は、弱みを強みにする戦略だ。マケイン陣営は、オバマ候補だけに注目が集まっていることを利用して、選挙をオバマの信任投票に仕立て上げた。今度はオバマが弱みを強みに変える番だ。

経済面での演説は評価が分かれてしかるべきだろう。最後の10分は「らしい」演説だったが、最初の方の経済部分は、エドワーズ/ヒラリー流の「アイオワの誰々が...」と、クリントン・一般教書演説風のラウンダリー・リストが入り交じっているようだった。ヒラリーの経済政策がアピールするのであれば、ということかも知れないが、これまでのオバマのスタイルというよりは、クリントンスタイルだ。さて、それでは、経済政策を一言で表す言葉は有権者の心に残っただろうか?

いずれにしても、オバマ候補が伸びるとすれば、意外に「司令官」の資質の部門かもしれない。そんな印象を受けた。

そして、黒人が初めて大統領候補に指名されたこと。その歴史的な意味合いは、決して軽視できない。

一点だけ。ペロシ下院議長が大会を終了させた後、なぜ、Born in the USAを流したのだろうか?これは安易には使えないはずの曲なのだが...

やはり民主党はわかっていないのでは?と最後の最後に不安になってしまった。

追記:と、思ったら、これには結構深い意味があったという分析が...恐れ入りました。

Separate Lives :所得、貧困、医療保険

何でこの日にこのネタを?というところかもしれない。しかし、だからこそのこのページである。

8月26日に商務省センサス局が、2007年の所得・医療保険に関するデータを発表した。ブッシュ政権下の景気拡大の特徴が読み取れる興味深い数字である。

06年対比の数字では、貧困率はほぼ前年並み(12.3%→12.5%)、実質中位所得はやや上昇(49,568ドル→50,233ドル)、所得格差はわずかに縮小(ジニ係数で0.470→0.463)、無保険者(比率では15.8%→15.3%、人数では470万人→457万人)も減少した。これだけ見れば、悪くない数字である。

しかし、一歩引いて長めの視点でみると、様相が変わってくる。CBPPが指摘するように、所得や医療保険に関する数字は、前回の景気拡大時のピークにまで戻っていないのだ。07年以降の景気の弱さを考えると、今回の景気拡大は、前回の景気後退の落ち込みを取り戻すに至らないままに、終焉を迎えた可能性が高い。

縮小しているといわれる所得格差についても、センサス局の数字には注意が必要だ。CBPPのレポートの脚注にあるように、センサス局の数字には、①キャピタルゲインが含まれていない、②999,999ドル以上の所得を勘定しない、という特性があるからだ。このため、超高所得者の数字はこの統計には十分に反映されていない可能性がある。

この他にも、今回のデータの細部には、面白い特徴がある。まず、実質中位所得における世代格差である。2007年の実質中位所得は、前回の景気の谷だった2001年対比では1.5%上昇している(前回ピークの1999年対比では-0.8%)。これを世代別に分解すると、現役世代では減り具合が多きい一方で、退職年齢にさしかかってくる世代では、むしろ実質中位所得は上昇している。具体的には、15〜24歳:-3.7%、25〜34歳:-3.4%、35〜44歳:-0.5%、45〜54歳:-3.7%。ここまでは減少である。ところが、55〜64歳:6.8%、65〜74歳:9.2%の増加を記録している。所得の内訳はこの統計からはわからないが、直感的には勤労所得は伸びず、年金等がある年齢層は堅調、と読めなくもない。CBPPのレポートでは、公的年金の支給額が現役時代の賃金上昇率にリンクしている点を取り上げ、90年代の好景気を経験した世代の年金支給額が上昇しているとみている。ちなみに、前回の景気拡大はこうではなかった。景気の谷(1991年)と山(2000年)で比較すると、実質中位所得は10.6%増。15〜24歳:21.5%、25〜34歳:15.3%、35〜44歳:6.9%、45〜54歳:4.7%、55〜64歳:8.6%、65〜74歳:10.8%といった具合で、確かに高年齢層の伸びは大きいが、若年層でもかなり伸びている。

無保険者の数字も細部をみておきたい。無保険者が減ったといっても、民間保険については加入者数はほぼ同じ(2.02億人)、比率は低下(67.9%→67.5%)している。無保険者の減少に貢献しているのは、公的保険(加入者数は8030万人→8300万人、比率では27%→27.8%)だ。その内訳では、高齢者向けのメディケア(13.6→13.8%)、低所得層向けのメディケイド(12.9→13.2%)のいずれもが、存在感を増している。

ここから政治的な示唆を引き出したくなるのはやまやまだが、ある程度は自明だろう。政治的にはビッグイベントに食傷気味の今日この頃。とりあえずは数字の紹介に止めておきたい。

さて、そろそろ演説の時間になりそうだ。それにしても、40分は長いだろ。拍手も入れたら1時間近くになりそうだ。さてさて。