2024年4月25日木曜日

差し引き

 術後の養生、といっても、寝ているだけでは復調はしない。トシのこともあり、運動しなければどんどん筋力が落ちる。自転車バイク激しい運動は禁止なので、もっぱらお散歩がリハビリ運動である。

幸い、お日柄も良くなり、晴れればお散歩日和なので、こちらが生活費を稼ぐべくお仕事に精を出している間は、お散歩にいそしんでいただいている。

数週間前までは、花見がてらの散歩だった。花も散ってしまったので、ここしばらくは「食材買いだし」が散歩の目的となっている。散歩してケーキを買ってきてしまえば、プラマイゼロ、という感じがしないでもないのだが。

2024年4月24日水曜日

途上

 外的な痕跡がないとは言え、病人あるいは回復途上、といった風情には変わりがない。術後一か月の「定期点検」で、全治3ヶ月を言い渡された。重いものを持たない、激しい運動は禁止、自転車バイクは禁止、である。もちろん、後遺症が「トイレ不如意」なので、家から遠くへは行けない。

もとより定年退職後の非正規雇用中なので、勤務はある程度融通が利き、なおかつフルタイムではないことは幸いで、4月半ばから何となく勤務に復帰している。しかし、「座るのがお尻に辛い」という症状もあり、自宅にいれば「横になっている」時間が長くなっている。横になると、条件反射で寝てしまうことになり、おのずと昼寝時間が長くなり、従って夜中に起き出す、あるいは早朝から起き出すことになる。静かにしていてくれればありがたいのだが、「横になってヒマ」であることは、テレビ鑑賞あるいはスマホかタブレットいじりに直結する。つきあっているこちらは、昼寝抜き。何となく睡眠不足である。

2024年4月23日火曜日

輪唱

 さて、3月下旬に無事手術も終了した。内視鏡による手術なので、外側には傷跡もなく、外見的には「手術したなー」という痕跡は見えない。痛い痛いと騒いでいるのが、どうやら病気みたいだという外的な特徴ではある。

病室は相部屋でベッドが4つ、同じ病態の患者が並んでいたようだ。手術は毎日1−2名ずつこなされているようで、昨日は隣、今日はここ、明日は向かいの患者が手術予定、というシフトだったらしい。そうなると、隣が術後の夜中に「いたいいたい」と大騒ぎをしているのを、しらけた気分で聞いた翌日、自分が大騒ぎすることになり、落ち着いた翌日は向かいの患者の叫び声を聞いて同情することになったようだ。1週間で、ちょっと回復が遅い患者も総じて入れ替わり、定期検診時にまた「こんにちは」と会う、というスケジュールになっているようだ。

術後2日目からは何となく復調し始めたようで、「お食事」のお写真が送られてくるようになった。相変わらず、食欲だけは失わない人である。

2024年4月1日月曜日

リバウンド

 幸い、かどうかわからないが、同居人は12月からは食欲がしばらくなくて、ほぼ毎食おかゆ生活。当然のように、酒を飲む気にもならないので、体重は順調に減少。2ヶ月ほどで一気に10キロ落ちとなった。

1月に入ってからは、食欲も戻ってきた。下半身の病気でもあり、胃袋から上は元気なので、手術に備えて栄養補給と、食べることにいそしむ。体重はすぐに5キロほどリバウンド。残りの5キロは、アルコール分だったのかもしれない。

手術に備えて、「自己採血」というのがあり、そのためにも「レバー推奨」なお食事となった。何かにつけて、プラセボ効果と暗示がよくきく人なので「マイブーム」になると高揚度が高い。レバー食べすぎの副作用がないか心配しなくていいのかしら。まあ、自己採血までの数週間だけで、あとはレバーなど食べなくなるのだろうが。

2024年3月31日日曜日

外付け

 同居人は、身体内部からチューブを出して、内蔵外付け、という風情である。外付けの膀胱を「ウロバッグ」と称するらしい。これがあれば、日常生活は大丈夫ですよ、などと言われて1週間ほど生活してみた。1週間後に、クリニックで「外しましょう」。晴れて解放されたものの、数時間後にはまた具合が悪くなり、クリニックに逆戻り。再び「外付け」状態である。結局抜本的な解決策として手術をすることになり、仕事の切れ目をにらんで、3月半ばに手術をスケジューリングした。

それが暮れもギリギリに押し迫った28日頃、当然のように年末年始のスケジュールは吹っ飛んだ。おせちどころではない。大晦日も元旦もおかゆだった。

外付け生活に慣れてきたのが1月半ば、その頃から手術に向けて各種検査や自己採血などのスケジュールが組まれ、病院行きが最優先である。

まあ、これをアップロードした時点で、無事手術は終了し、「外付け」生活は卒業したものの、手術後の体調は即座には戻らない。現在も体調には波があり、恐る恐る暮らしている、という感じだ。

2024年3月30日土曜日

救急

 そうこうしている間、昨年暮れに同居人の具合が急に悪くなった。明け方突然、苦しみだして「死んでしまいそうだ」と大騒ぎしている。近所の病院の緊急を探すが、通院記録がないと受け入れてもらえない。救急に連絡をしてみたものの、こちらも「到着するまで数時間、そのころには病院やクリニックの窓口が開くからそちらで」と、つれないお返事。その間にも、同居人はわめき続けているのだが、仕方なく数年前に通院したクリニックに連絡した。

当日処置後は落ち着いたものの、また午後に具合が悪くなった。午後はクリニックの定休なので、仕方なく近所の別の病院へ転げ込む。「痛い苦しい」と大騒ぎである。よほどうるさかったのか、診察順序を変えてみてもらうことに成功(?)。その日からしばらく「ウロバッグ」生活が始まった。

2024年3月29日金曜日

どきどき

介護サービスそのものは、利用者が高齢者ということもあり、アナログ感満載なサービスである。連絡は電話が中心だし、書類のやりとりも多く、ハンコをたくさん押した。現在お世話になっているケアマネージャーも施設も、メールでの連絡先の提示はない。

仕事中に電話がかかってきたら、「すわ、緊急事態か!?」と、ドキドキしながら、慌てて中座して対応する。内容はと言えば、「次回までに書類をご提出ください」くらいの事務連絡だったりする。

こちらの心臓には、すこぶるよろしくない。