図3●台湾のPCおよびPC関連デバイスにおける世界シェア
特にグラフィックスLSIが年々伸びており,1998年には75%に達する。IDC Japanの データ。
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 建物への被害が軽かったのは,LSI・LCDメーカーが集中する新竹科学工業園区が震源地から120kmと離れているためである。生産ラインにおける製造装置は位置ズレを再調整する程度で済んだ。しかし,LSI工場では拡散炉の石英管が揺れで破損し,LSI各社の在庫では賄い切れなかったため,新たに調達する必要が生じた。さらに問題を大きくしたのは停電である。補助電源では足りないため,装置を止めざるを得なかった。

 このため装置の稼働率が地震前と同じ状態に戻るまでに,LSIメーカーで1~4週間,LCDメーカーで3日~1週間かかった。LCDの方が復旧が早い理由は,石英管のように調達に時間がかかる破損部品がほとんどなかったこと,大型TFTパネルに関しては台湾のLCD各社の多くはまだ生産ラインを立ち上げ中だったこと,が挙げられる。

 こうした復旧までの間に生産量は減少することになり,短期的に見ると1999年末のクリスマス商戦におけるパソコン(PC)の出荷に影響を与えそうだ。台湾はPCおよびPC向けデバイスの生産基地になっているからだ(図3)。だが長期的に見ると,今回露呈した弱点を克服し,これまでと同様の勢いを持ち続ける姿が見える。

地震発生から2週間後に大半の装置が稼働

 地震の影響を受けたLSI各社が地震発生から復旧までどのような過程を経たか,代表的なケースを時系列でたどってみる(図4)。

図4●今回(1999年9月)の地震によって影響を受けた台湾LSIメーカーに起きた出来事
新竹科学工業園区内にあるLSIメーカーの代表的な事例を示した。
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 地震が発生した1999年9月21日は,まず従業員の安否を確認した。公営の台湾電力から電力供給が止まり,各社は補助電源を稼働させるが全体の必要量の20%程度の供給しかない。クリーン・ルームはクリーン度を維持するだけで装置は完全に停止した。

 9月23日近辺から各社は被害状況を正確に把握するとともに復旧に向けて動き出す。装置を納入する日本の装置メーカーは数十人単位で技術者を派遣した。電力の部分的な供給が始まり,装置を一部稼働させ始めた。

 9月25日に電力供給は100%に達し,9月26日から約1週間かけて装置のテストおよび点検を実施し,一部の装置を除いて稼働できるようになった。地震発生から2週間後の10月3日から一部のLSIメーカーを除き,地震前と同じ状況で生産を始める。破損した石英管の調達は10月末までにほとんどが完了する。

電力インフラの弱さがアキレス腱に

 今回の被害で問題になった点は大きく三つある。電力供給の停止,石英管の破損,露光装置の位置ズレ,である。