本日の日記

自慢話

2024年4月16日(火曜日)

あなたのご自慢ってどんなことですか?
カラオケで100点とった人もいるでしょうし、大食が自慢の人もいるでしょうね。
私が自慢できることは、四時に一旦目覚めても「ガバジャラミタ」を唱えた後、バタンキューで眠れることです。
毎日、途中下車のように起きますが、夕方から予定がない限り、午後8時を過ぎるとその日のすることが全て終了となるため、直ぐに眠る準備を開始します。
睡眠時間は10時間くらいの日が多いです。
どうですか、私の自慢話は。

松原照子印

本日の世見

源内と寛

2024年4月16日(火曜日)

今日は春の土用の入りです。
今夜の食卓は、豪華な鰻が多くの皆様の口の中を喜ばせることでしょうね。
平賀源内という人に一度会ってみたくなります。
「天狗小僧」と呼ばれていたと言われる源内。
讃岐といえばうどんが有名ですが、平賀源内を忘れないでくださいね。
現在の香川県さぬき市で誕生したのが源内です。
源内の生家は今も保存されています。
“発明”に心ひかれる方は、一度香川県さぬき市志度に出掛けてみられては如何でしょうか。
土用の丑の日といえば夏が有名だと思いますが、源内は今の世の人々に「土用の入り=鰻」と思わせることを定着させたのですから凄い人です。
でも、彼の亡くなり方がドラマチックです。
だってね、知人の大工を殺傷して牢に入ったのですが、牢獄で源内は自害しようとし、その時に作った傷で破傷風に罹ったことが致命傷になったのです。
52歳、とても勿体ない人の死です。
源内が生まれたのが1728年。ここでどうしても登場させたいのが、140年後にこの世に現れる菊池寛です。
源内の死後、まさか89年後に源内が生まれ変わり菊池寛として生きたとは申しませんが、平賀源内と言えば菊池寛が浮かぶのです。
現在、“文春砲”が炸裂して世間の話題を集めていますが、菊池寛がいなければ「芥川龍之介賞」や「直木三十五賞」、そして文春砲は存在しなかったことでしょう。
菊池寛も香川県出身です。源内がさぬき市で、寛は高松市です。
お二人は共に50代で亡くなっています。
菊池寛は、源内のように牢獄で病死こそしませんでしたが、戦後はGHQから痛い目にあい、このことが原因の狭心症で亡くなったとも言われています。
菊池寛が亡くなったのが、私が2歳の時です。
映画会社の大映といえば長谷川一夫、といっても私くらいの歳の人しか顔が浮かばないかもしれませんが、映画界のトップスターでした。
菊池寛はこの映画会社の初代社長です。
平賀源内と菊池寛のご両人、東京が最後の地になっていますが、私にはどこか似ているお二人に思えるのです。

松原照子印
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