tsnetworkc3.png更新日記 - 日曜プログラマのひとりごと
更新日記インデックス
Subscribe to RSS1.0 | Subscribe to Atom1.0

日記: 脳髄の日記 | 第四の日記 | Facebook | Myspace | コメントはjscripter's X(fka Twitter)にどうぞ

| 先月 | Monthly Index | Timeline | Mobile版 powered by iUI
4/23/2024 (Tue.)

昨日の洗濯ものを片付け、新たに洗濯したものを干す。朝食の食器類を洗って、食器乾燥機に入れる。もうすぐ昼が来る。昼食のことを考えないといけない。そういうことを毎日のように飽きもせず話しあっていたことを思い起こす。今日は名人戦第2局1日目。テスラ値下げで新局面か、中国EV価格競争−理想汽車は即座に対抗策、ふーん。人間の脳は記憶と予測から成り立っている。

何を思い出すのか、何を予測しようとするのか。それには精神と肉体が必要だ。人工知能にはない。問いかける人間が存在しないと人工知能には意味がない。

昨日、Zeroの64bitシェアウェア版をインストールしようとして、苦労した。Windows環境も変化している。Zedが動かなくなったことに関係もあるのかもしれない。Zeroの32bit版フリーウェアはおそらく動かせなくなったのでは。解凍できない。Zeroを使おうとすれば、おそらくVectorからZeroの64bitシェアウェア版(1.18.8)をダウンロードしてインストールし、Kuze's soft Down Load roomから最新版(1.19.10)を入手して使用する必要がある。最新版だけだとインストールできないというか動かせない。おそらくレジストリに登録できないからだろう。主要な実行ファイルが解凍したフォルダに存在しない。セキュリティがガチガチに掛かっている感じ。保護されていない通信「http://」によるダウンロードはNGということらしい。

Zeroはファイラーのソフトウェア。更新日記をメタ化しようと思うと、過去のファイルへの直接的なアクセスと加工を容易にする仕組みの必要がありそうだと感じ始めたからだ。まずはZeroの機能を学び、それから応用の仕方を考える必要がある。ものごとは簡単ではない。メタ日記を別に書く(脳髄の日記)というアイデアは、統一的な枠組みに組み込みにくい。更新日記自体に組み込む必要がある。

Zedは32bit版しか存在せず、次第に動かなくなった。いずれ、文字コードUTF-8をベースにした64bit版が出るはずだ。今は、エディタ上で動くスクリプトは秀丸の「その他>プログラム実行」のコマンドラインで動かしている。

{[Editor]日記編集の現場 - 思考の道具としてのエディタ (2008/11/03)}←の思考に回帰している。{融けかかったぼたん雪の朝 - スレッド・シーケンス法 (2022/02/19)}{[日記]雪の降る日々、あれこれ考える (2022/02/20)}{03/25/2024: [日記]大風呂敷の広げ方、畳み方}←の思考の流れがある。つながらないか・・・

更新: 2024-04-23T23:40:44+09:00
4/20/2024 (Sat.)

「時間は存在しない」から。

自分たちが属する物理系にとって、その系がこの世界の残りの部分と相互作用する仕方が独特であるために、また、それによって痕跡が残るおかげで、さらには物理的な実在としてのわたしたちが記憶と予想からなっているからこそ、わたしたちの目の前に時間の展望が開ける。あたかも明かりに照らされた、小さな空き地のように。時間はわたしたちに、この世界への限定的なアクセスを開いてくれる。つまり時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主であるわたしたちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティーの源なのだ。

そして、苦しみの源でもある。

仏陀はこのことをいくつかの格言にまとめ、何百万もの人々が、それを自分たちの生活の基盤としてきた。曰く、生まれることは苦である。老いは苦である。病は苦である。死は苦である。忌み嫌うものとの出会いは苦である。愛するものとの別れは苦である。望むものを得られないのは苦である......。なぜ苦なのかというと、自分たちが持っているもの、愛着を持つものを失う定めにあるからだ。始まったものは、必ず終わる。わたしたちは過去や未来に苦しむのではなく、今この場所で、記憶のなかで、予測のなかで苦しむ。時さえなかったなら、と心から思い、時間の経過に耐える。つまり、時間に苦しめられる。時は悲嘆の種なのだ。

これが時間であり、だからこそわたしたちは時間に魅せられ、悩む。そして親愛なる読者、兄弟、姉妹のみなさんも、たぶん同じ理由でこの本を手にしているのだろう。時間は、この世界の束の間の構造、この世界の出来事のなかの短命な揺らぎでしかないからこそ、わたしたちをわたしたちとして生み出し得る。わたしたちは時でできている。時はわたしたちを存在させ、わたしたちに存在という貴い贈り物を与え、永遠というはかない幻想を作ることを許す。だからこそ、わたしたちのすべての苦悩が生まれる。

(カルロ・ロヴェッリ著「時間は存在しない」、NHK出版、2019年、第一二章 マドレーヌの香り、185-186ページ)
更新: 2024-04-20T13:49:45+09:00
4/19/2024 (Fri.)

最近、Apple TVで「Sugar」を見始めて、これはなかなかと思ったが、アップダウンが激しい。初回は日本のヤクザの話から始まって、斬新な切り口に期待したのだが、偶数エピソード回がダウン気味か。Prime Videoで渡辺謙の「TOKYO VICE」を見つけて、シーズン1を見終えた。これも日本のヤクザの世界を描いている。世界120か国で放送・配信され大ヒットを飛ばしたそうだ。知らなかったねという感じだが、時折、かったるくなる「Sugar」をはるかに上回る。Prime Videoはビデオ・ゲーム・シリーズが原作の「Fallout」のシーズン1を見終え、今は「VIENNA BLOOD」がメイン、20世紀初頭のウイーンの物語。フロイトも登場する。

エピソード4、「QUEEN OF THE NIGHT - PART2」の最初に「愛は謎」、「ある伝説では神は双頭の人間の畏れのなさを見て二つに切り裂いた。それ以来、人間はその片割れを探すようになった」という意味のキャプションが出る。連続殺人がモーツァルトのオペラ「魔笛」のストーリーに沿って起きる。エピソードのタイトルは夜の女王 - Wikipedia。凝っている。芸術で一杯だけでなく、見る価値あり。ニーチェが亡くなり、ハイデガーが世に出る間の時期、1907年のウイーン。主人公の若い医者の愛と執着の境界線の行方は・・・

原作は、Frank Tallis - Wikipedia{CoT: 2006: Vienna Blood: (Liebermann Papers 2), Arrow Books, ISBN 978-0099471325}。臨床心理学者であるが、「Max Liebermann mysteries」の犯罪小説シリーズなどの著者でもある。恋愛も心理学的な病と捉えることができるというわけだ。

{追記: 2024-04-22}{「Sugar」: 「シュガー」のエピソード4を繰り返して3-4回見た。何かかったるいのはなぜだろうかと思ったからだ。エピソード1を見たときには期待できるシリーズだと思ったのにと。}{物語の進行の中に、私立探偵のシュガーの独白が織り込まれるのも特徴でちょっと面白いと思ったけど、ある意味、小説的で、言葉での説明になる。映像で見せるべきところが、言葉で補完している。そこがまどろっこしいと感じる理由かもしれない。映像の流れも説明的過ぎる。その割には何が問題なのかわかりにくい。ストーリーの要点がわかりにくい。それが繰り返して見ることになった直接的な原因だ。そんな感じかなあ。映像そのものは斬新なんだが。思弁的だ。新しい感覚と言えばそうかもしれない。繰り返してでも見る価値があるのかもしれない}←。

更新: 2024-04-23T15:06:36+09:00
4/14/2024 (Sun.)

「菜種梅雨、春の嵐」の日々が過ぎ去り、満開の桜も葉桜になったこの頃、思い出すのが苦しい日々が続く。

そして、哲学は{03/17/2024: [本]ブックカフェ27+: 納富信留著「世界哲学のすすめ」(ちくま新書、2024年)}{04/01/2024: [哲学]世界哲学の大風呂敷の終端にあるもの - 反哲学史}←に到達。

そのあとを書き記す気力が必要だ。が、木田元先生の「反哲学入門」(2007年)に答えが書いてある。第五章「反哲学」の誕生。これが現在だ。

手元にあるものが見えていない。意味を読み取るには、問題意識と様々な背景知識がつながってくるのを待つ必要がある。

ニーチェをハイデガーがどう読んだかということ。そして、どう乗り越えたのか。最終章「第六章 ハイデガーの二十世紀」にある。

反哲学と反人間主義(アンチ・フィロソフィとアンチ・ヒューマニズム)

実はハイデガーは、一九五五年のこの講演に先立って、一九四七年に反人間主義(アンチ・ヒューマニズム) (ドイツ語なら人間主義(フマニスムス)ですが、ここは英語でやります)を提唱していました。それには、こういう経緯があります。

第二次大戦が終結した一九四五年の年末に、フランスの思想家ジャン=ポール・サ ルトル(一九〇五一八〇)がパリで『実存主義は一つのヒューマニズムである』(邦訳名『実存主義とは何か』伊吹武彦(いぶきたけひこ)訳、人文書院)という表題の講演をして、いわゆるフランス実存主義の旗上げをしました。そのときサルトルは、この実存主義の先駆者のひとりとしてハイデガーの名前を挙げたのですが、それに応えるようなかたちでハイデガーは、一九四七年に『「ヒューマニズム」について』(渡邊二郎訳、ちくま学芸文庫)という書簡体の論文を書きます。

ハイデガーはそこで、自分の思想は実存主義でもないし、ヒューマニズムでもない。むしろ結局は人間中心主義であるヒューマニズムを批判し、そのヒューマニズムの根幹をなす超自然的(形而上学的)思考の克服をはかる反ヒューマニズムなのだと言っているのです。この論文の表題 《Über den 〈Humanismus〉》は、『「ヒューマニズム」について』とも読めますが『「ヒューマニズム」を超えて』とも読めるのであり、ハイデガーにはそう読ませるつもりがあったようです。

ここでハイデガーは人間よりも〈存在〉の方が、そしてその存在の住まいである 〈言葉〉の方が先だと主張します。ただ〈存在〉と言われても、雲をつかむような感じですが、『存在と時間』の時代には〈存在了解(ザインスフェアシュテントニス)〉(〈ある〉ということをどう了解するか、〈つくられてある〉と了解するか、〈成りいでてある〉と了解するか)と言われていたものを思い出せばよいと思います。その後ハイデガーは、〈存在〉というものは、現存在 (人間)がああ了解したりこう了解したり、現存在に左右することのできるようなものではなく、むしろ存在自体の方から現存在に、ああ現われてきたりこう現われてきたりするもので、現存在はそれを受け容れるしかないと考えるようになり、それを〈存在の生起(ザインスゲシエーエン)〉と呼ぶようになりました。彼の考えでは、その〈存在の生起〉は〈言葉〉のなかで起こるのであり、だからこそ〈人間〉より〈言葉〉の方が先だと言うのです。

この〈存在の生起(ザインスゲシエーエン)〉という考え方から、その〈存在の生起(ザインスゲシエーエン)の歴史〉、つまり〈存在史〉などといった考え方が出てきて、人間の歴史つまり人間のその時どきのあり方も、この〈存在史〉によって左右されるのだという、歴史についての独特の考え方を もち出してくるのですが、話がややこしくなるので、ここでは立ち入りません。

しかし、ハイデガーのこうした考え方が、人間より構造が先だと主張し、やはり反ヒューマニズムを標榜することになる二十世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えたことは、ご存知の方も多いと思います。

ハイデガーの頭のなかでは、超自然的な思考様式(形而上学)としての哲学の克服、つまり〈反哲学(アンチ・フィロソフィ)〉と、いま述べた〈反(アンチ)ヒューマニズム〉とは連動していたわけですが、それがメルロ=ポンティやデリダやフーコーといったフランスの思想家たちによって継承されたということになりましょう。

(木田元著「反哲学入門」(2007年)、第六章 ハイデガーの二十世紀、288-290ページ)

この反哲学入門の最後の部分を読んでいると、言葉は存在に先立つとか、存在の生起が言葉の中で起こるとかは、生成AIを思い浮かばせる。そして、{02/08/2024: [哲学]エクリチュールへ戻ってきたものの - J. デリダ著、足立和浩訳、「根源の彼方に グラマトロジーについて」(現代思潮社、1972年; 原著: Jacques Derrida, DE LA GRAMMATOLOGIE, 1967)}←につながっていくように見える。

更新: 2024-04-18T23:29:30+09:00
4/13/2024 (Sat.)

# explaining llm.c in layman terms、ポストを翻訳してでも読むべし。

MSNのPyTorchやPythonなしの純粋なC言語を使用した大規模言語モデルトレーニングツール「llm.c」がリリースされる | Gigazine 2024年04月11日 23時00分から辿って見つけたツイート。

・・・PyTorch プロジェクトは、11,449 個のファイルに 3,327,184 行のコードが含まれています。

さらに、PyTorch は Python で書かれていますが、それ自体が非常に高水準言語です。トレーニング コードを低水準のコンピューター命令に変換するには、Python インタープリターを実行する必要があります。たとえば、この変換を行う cPython プロジェクトは、4,306 個のファイルにまたがる 2,437,955 行のコードです。

(・・・)+

なぜこれに取り組んでいるのか?それは楽しいからです。また、非常にシンプルな C の 1,000 行だけが必要なので、教育的でもあります。必要なのは、いくつかの数値配列と、その要素に対する + や*などの簡単な数学演算だけです。さらに作業を進めれば、実際に役立つものになるかもしれません。

(# explaining llm.c in layman termsの「ポストを翻訳」から)

びっくりした。これをCで追いかけている。中身がわかっているからできること。他の言語でも追随するものが出るかも。{それがぼくには楽しかったから (2016/08/30)}←と言いながら。

更新: 2024-04-14T10:04:57+09:00
4/9/2024 (Tue.)

久しぶりのEVネイティブネタ。【中国コスパEV戦争】固体電池にもコスパ戦争の波が、、 航続距離1000km越え、クラブウォークも可能「IM L6」400万円台でテスラモデル3・シャオミSU7追撃へ EVネイティブ【日本一わかりやすい電気自動車チャンネル】 チャンネル登録者数 5.27万人 2106回視聴 2024/04/09

600万円台でコスパが高いと聞くとおいおいと言いたくなるのだけど、比較となるTesla Model 3(2022, Performance AWD, 78.4kWh, 1836kg)が697万円では仕方がない。しかし、IM L6 Lightyear RWD(133kWh)は航続距離1000km越えだが、車重は不明。他のグレードのIM L6が2200kg程度だから、電池搭載量が増えればもっと重いはず。Tesla Model 3より400kgは重い。性能どころか、重量当たりのコスパも高い?(資源の浪費、タイヤの摩耗、道路の傷みなど、車重が重いのは欠点でもある)。EVネイティブの表現では「化け物級」。

もっとも、半固体電池というから、車重に関しては確認が必要。

最早、デザインだけではテスラも差別化は難しくなっている。FSDはあるのかもしれないが、中国の技術も進化している。さて、どんな手が残されているだろう。Starlinkはあるけど、中国国内で優位性があるのかどうか・・・

更新: 2024-04-11T10:38:26+09:00
4/8/2024 (Mon.)

「Neural Turing Machines」論文は{人間ってナンだ?超AI入門 特別編「今そこにある未来 ヒト×AI=∞」 (2017/12/30)}←に最初に出てくる。そのうち、「2.2 Cognitive Science and Linguistics」を訳出しておこう。

2.2 認知科学と言語学

歴史的に、認知科学と言語学は人工知能とほぼ同時期に分野として登場し、すべてコンピュータの出現に深く影響された(Chomsky, 1956) (Miller, 2003)。彼らの意図は、情報や記号処理のメタファーに基づいて人間の精神的行動を説明することだった。1980年代初頭には、どちらの分野でも、再帰的または手続き的(ルールベース)の記号処理が認知の最高点と見なされていた。並列分散処理 (PDP) またはコネクショニスト革命は、思考プロセスのいわゆる「サブシンボリック」記述を支持して、シンボル処理のメタファーを捨てた (Rumelhart et al., 1986)。

Fodor と Pylyshyn (Fodor and Pylyshyn, 1988) は、認知モデリングにおけるニューラル ネットワークの限界について、2 つの辛らつな主張をしたことで有名である。彼らはまず、コネクショニスト理論は変数の束縛、つまりデータ構造の特定のスロットに特定のデータを割り当てることができないと反論した。言語では、変数バインディングは遍在している。例えば、「メアリーはヨハネに話しかけた」という形式の文を生成または解釈するとき、人は「メアリー」に主語の役割を、「ヨハネ」に目的語の役割を割り当て、「話しかけた」に他動詞の役割を割り当てたことになる。また、Fodor と Pylyshyn は、固定長の入力ドメインを持つニューラル ネットワークでは、可変長構造の処理を伴うタスクで人間の能力を再現できないと主張した。この批判に応えて、Hinton(Hinton、1986)、Smolensky(Smolensky、1990)、Touretzky(Touretzky、1990)、Pollack(Pollack、1990)、Plate(Plate、2003)、Kanerva(Kanerva、2009)などのニューラルネットワーク研究者は、コネクショニストフレームワーク内で可変束縛と可変長3構造の両方をサポートできる特定のメカニズムを調査した。私たちのアーキテクチャは、この作業を利用し、強化している。

可変長構造体の再帰的処理は、人間の認知の特徴と見なされ続けている。過去10年間、言語学コミュニティでは、この分野のリーダーたちが互いに争う前哨戦が繰り広げられた。争点となったのは、Fitch, Hauser, and Chomsky (Fitch et al., 2005)の見解である、再帰的処理が、言語を可能にし言語に特化した「人間特有の」進化的革新であるのか、それとも、複数の新しい適応がヒトの言語進化に関与し、再帰的処理が言語に先立つのか(Jackendoff and Pinker, 2005)、それらのうちいずれなのかであった。再帰的処理の進化的起源はともかく、再帰的処理が人間の認知の柔軟性に不可欠であることは、誰もが認めるところである。

([1410.5401] Neural Turing Machines)

認知発達と生得性 心はどこから来るのか(Rethinking Innateness)、Jeffrey L. Elman /〔ほか〕著, 乾 敏郎 /〔ほか〕訳、共立出版、1998.7の訳者の中に今井むつみ先生が入っていて、そこから、Connectionism - Wikipediaの発展したところを調べ始めた。

DeepMindが作った平凡な性能のAI「Gato」、何がすごいのか Tiernan Ray(Special to ZDNET.com)翻訳校正:石橋啓一郎 2022-05-25 06:30の記事に詳しい。【日本の起業家が米テスラを倒す】自動車スタートアップTuring(チューリング)山本一成/テスラを知り尽くしたCEOのテスラ論/生成AIは魔術化している【PIVOT TALK】 22,744 回視聴 2024/04/03 PIVOT 公式チャンネル チャンネル登録者数 151万人から辿った。

更新: 2024-04-09T16:50:08+09:00
4/6/2024 (Sat.)

二つの昨年のインタビューを見つけた。Noam Chomsky Speaks on What ChatGPT Is Really Good For. Common Dreams. May 3, 2023.ChatGPT and human intelligence: Noam Chomsky responds to critics. Monthly Review Online. April 24, 2023.。より重要と考えられる後者の記事の中に、Everettが登場する。以下、エベレットに関連する部分にできるだけ絞って引用する。

Unfamiliarity with the field might explain the flawed nature of non-expert criticisms of your extensive work on language acquisition, but what about expert criticisms of your research and theory, such as those put forward by neuropsychologist Steven Piantadosi and linguist Daniel Everett?

・・・

・・・

And in a similar vein, in an interview headlined “Exclusive: Linguist says ChatGPT has invalidated Chomsky’s ‘innate principles of language’,” Everett claims that ChatGPT “has falsified in the starkest terms Chomsky’s claim that innate principles of language are necessary to learn a language. ChatGPT has shown that, without any hard-wired principles of grammar or language, this program, coupled with massive data (Large Language Models), can learn a language.”

Are these claims valid in your view?

NC: Neither of them indicates any familiarity with the field of language acquisition. Even the most superficial familiarity reveals that very young children already have rich command of basic principles of their language, far beyond what they exhibit in performance. The work of Lila Gleitman, Stephen Crain, Kenneth Wexler, and many others makes that very clear. Many details have been discovered about the specific ways in which acquisition proceeds in later years as well. Charles Yang’s careful statistical studies of the material available to young children show that evidence is very sparse, particularly once the effects of Zipf’s law on rank-frequency distribution is considered.

It is absurd beyond discussion to believe that any light can be shed on these processes by LLMs, which scan astronomical amounts of data to find statistical regularities that allow fair prediction of the next likely word in a sequence based on the enormous corpus they analyze.

The absurdity is in fact a minor problem. More fundamentally, it is obvious that these systems, whatever their interest, are incapable in principle of shedding light on language acquisition by humans. The reason is that they do just as well with impossible languages that humans cannot acquire in the manner of children (if at all).

It is as if a physicist were to propose a “theory” saying “here are a lot of things that happen and a lot that can’t happen and I can make no distinction among them.”

・・・Everett simply makes unsubstantiated claims that merit no attention.

The very fact that they attribute the theories to me reveals lack of familiarity with the rich and well-developed field of language acquisition.

むろんインタビューの他の部分のほうが重要なので、是非読まれることをお勧めする。エベレットに関して言えば、「Everett simply makes unsubstantiated claims that merit no attention.」、「エベレットは注目するに値しない根拠のない主張をしているだけだ」と簡単に切り捨てられている。チョムスキーの仕事の意味をポジティブに理解しているとは思えないから当然ではある。まあ、意味は理解していたとしても、価値がないと思っているとしか考えられない。

上記引用中のインタビューを読む限りは、それほど変なことを言っているわけではないようにも思える。周りが煽っている感じ。最新の著作「Dark Matter of the Mind」を読んでみたいなと思う。

A: I do not fear AI any more than I fear my refrigerator. AI's only potential problem is how we use it as a society. I distrust human intelligence more than artificial intelligence (and it is very artificial).

(最後の答え)

インタビューの最後の答えは素晴らしい。「AIを冷蔵庫を恐れる以上には恐れない。AIの潜在的な問題は社会でAIを如何に我々が使うかということだけである。私は人工知能よりも人間知能を信頼しない、なぜなら、それは非常に人工的だから。」

人工知能という言葉は擬人化されているから、誤解しやすい。言ってみれば、人工機械知能だろう。人間が書いたコンピュータ用のプログラム体系に過ぎない。

更新: 2024-04-07T22:55:58+09:00
4/4/2024 (Thu.)

異世界転生ものみたいな言語学者の本『ピダハン』に震える【ピダハン前編】#34 ゆる言語学ラジオ チャンネル登録者数 25.5万人吉幾三的な言語と、その本質「イビピーオ」の幸福度がすごい【ピダハン後編】 #35 ゆる言語学ラジオ。更新日記的には{「言語学の新風 チョムスキーを超えて」と「初めてのJavaScript」 (2017/03/26)}{再帰のない言語 (2017/09/17)}←。

エヴェレットの著作、「ピダハン」と「言語の起源」

エヴェレットの著作、「ピダハン」と「言語の起源」

エヴェレットは言語は文化の所産だと言う。「言語の起源」の副題「人類の最も偉大な発明」の意味だ。


to be continued...

ケイレブ・エヴェレット著「数の発明 - 私たちは数をつくり、数につくられた」(2021)を読んでみることに。息子さんの著書、お父さんと一緒にピダハンと暮らした経験がある。ピダハンは数字を持っていない。

確かに言語というよりは言葉は文化の所産である。人間が世界をどう認識するかに掛かっている。数の発明も同じこと。世界を数的にどう捉えるかによって、必要に応じて数の語彙が発明される。語彙、単語は人間の発明だ。連なった語彙・単語の並びの区切りを人間は聴き分ける。特に赤ちゃんは自然に聞き分け、母語を獲得する。この生得的基盤に普遍文法が存在する。

更新: 2024-04-07T23:08:34+09:00
4/3/2024 (Wed.)

最近はYouTubeを見ていることが多い。若者並みになった。ゆる言語学ラジオ @yurugengo - チャンネル登録者数 25.5万人 - 336 本の動画ゆるコンピュータ科学ラジオ @yurucom - チャンネル登録者数 8.38万人 - 118 本の動画。{十夜一冊 第二百十夜 小林秀雄の恵み (2011/04/16)}{十夜一冊 第七百四十夜 言葉をおぼえるしくみ (2014/08/12)}{生きた知識、死んだ知識 (2024/03/16)}{生きた知識、死んだ知識 2 (2024/03/25)}{ブックカフェ27+: 納富信留著「世界哲学のすすめ」(ちくま新書、2024年) (2024/03/17)}←のつながりがあるけど、今井むつみ先生からチョムスキー先生につながっていく。それはどんどん広がり・・・それはともかく、・・・

【ガチ】統語論の営みを概観する4時間半【樹形図まみれ】#304 ゆる言語学ラジオ チャンネル登録者数 25.5万人ガチ統語論を楽しく解説。奥義「c-command」の威力とは?【ちょいガチ統語の解説】#305 ゆる言語学ラジオがある。言語オタク水野太貴氏と言語学素人堀元見氏の明るく軽妙なやり取りが受けているだけではなく、ガチなテーマもおもしろい。

(2036) ゆるコンピュータ科学ラジオ - YouTubeは、ゆる言語学ラジオの二人が立場を代えてコンピュータ科学を語る。【検証】40時間Lispを勉強したら信者になれる?【Lisp1】#118 ゆるコンピュータ科学ラジオ チャンネル登録者数 8.38万人あたりから入ると面白いかも。ポール・グレアムの名前を聞くとは、{百年の言語 (2014/02/11)}{Multiple dispatch is everywhere (2021/04/16)}←。

更新: 2024-04-04T11:16:15+09:00
4/1/2024 (Mon.)

「世界哲学のすすめ」の「終章 対話と挑戦としての世界哲学」の最後に「反哲学からの哲学」が置かれている。これを見て思い出したのは木田元先生の「反哲学史」。

反哲学からの哲学

結局のところ、私たちは再び「哲学とは何か」を問わざるを得なくなりました。哲学がはたしてどう成立するのか、あるいは、そもそも哲学は為すべきものなのか、という問いです。最後に二つの歴史的な例を使って、この問いについて考えてみましょう。

私が研究の主題としている古代ギリシアのソフィストは、いわゆる哲学者たちの言論を 批判し、パロディーと言うべき言論で揶揄していました。シチリア出身の弁論家ゴルギアス(前四八五頃〜前三八〇頃)は『ないについて』という著作で、パルメニデスやメリッソス(前四八四頃〜?)の「ある」をめぐる議論をひっくり返し、「なにもない。もしあるとしても、知ることはできない。もし知ることができても、他人に伝えることはできない」と いう三段階の議論で常識を退けました。しかし、彼が標的にしたパルメニデスらエレア派こそ、私たちの常識をひっくり返す「パラドクス(反常識)」を提起した哲学者たちでした。

そこで見て取られる哲学と反哲学の関係は、真面目な真理探究とそれを相対化する言論との対です。私はそのような反哲学からの哲学批判が、哲学そのものの存立を問うことでその可能性を示す、哲学の必須条件だと考えています。

もう一つの例は、一六世紀のフランスで著述活動したミシェル・ド・モンテーニュ(一五三三〜一五九二)です。幼い頃からラテン語などの人文学教養を積み、ボルドー市長など 政治に駆り出されて活動したモンテーニュは、『エセー』(一五八〇年、一五八八年に刊行)という随想を長年綴っていくなかで、学問としての哲学に疑問を抱き、それを超える思索を試みます。(*)

*この視点から『エセー』を読み解く試みとして、大西克智『「エセー」読解入門――モンテーニュと西洋の精神史』(講談社学術文庫、二〇二二年)参照。

「哲学」が硬直した学問知識に過ぎず、それは実人生や実社会ではほとんど役に立たないという彼の批判は、哲学ではなく「思想(パンセ)」を重んじるフランスでの伝統となります。モンテーニュの影響を強く受けたパスカル(一六二三〜一六六二)の『パンセ』は言うまでもなく、啓蒙主義の哲学に反発したジャン=ジャック・ルソー(一七一二〜一七七八)や二〇世紀フランスのポストモダン思想家たちまで、その傾向は強く見られます。一見遠いようですが、ニーチェの反哲学の態度も、モンテーニュの思索につながっているように感じます。

それでも世界哲学をすることに、どんな意味があるのでしょうか、私はなぜ、それでも世界哲学をすすめるのでしょうか。それはひとえに、哲学そのものが必要だから、本当に哲学をすることが大切だと考えているからです。そして、対話としての世界哲学には、反哲学も含めて一緒に探究し議論してくれる相手が必要です。皆さんがそういう仲間となって、一緒に世界で哲学していくことを切に望んでいます。

木田元先生については、「現象学」と「なにもかも小林秀雄に教わった」、翻訳の「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」を取り上げてきた。この先生の書いたものはわかりやすい。最近、紀伊国屋で『反哲学史』(講談社学術文庫、2000年;原本: 1995年)を手にとって、『現代の哲学』(講談社学術文庫、1991年;原本: 1969年)、『哲学と反哲学』(岩波現代文庫、2004年:岩波同時代ライブラリー、1996年:岩波書店、1990年)の二冊をアマゾンで追加入手。特に「現代の哲学」の章立ては書かれた時代の問題意識を思い起こさせる。

{連環 (2009/12/06)}←

「哲学と反哲学」を書棚から探し出す過程で、「反哲学入門」(2010年)を掘り当てた。

よく日本には哲学はなかったと言われますが、わたしもそう思いますし、哲学がなかったということを別に恥ずかしいことだとは思いません。「哲学」というのは、やはり西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だと思うからです。

ですから、自分のやっていることは、強いて言えば、そうした「哲学」を批判し、そうしたものの考え方を乗り越えようする作業ではないかと思い、それを「反哲学」などと呼ぶようになりました。

(「まえがき」)

ここらあたりから出発するので十分ではないかと思われる。具体的には{[哲学]十夜一冊 千二百五十夜 木田元著『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』 (2017/03/05)}←から。自然科学が急速に発展し始めたことに対応している。ジェームズ・クラーク・マクスウェル - Wikipediaの時代でもある。

結局、チョムスキーの言語的創造力とゲーデルの証明について考えなければ、哲学も意味がない。哲学も、おそらく言語学に行きつくだろう。ウィトゲンシュタインの学生にチューリングがいたことは有名だが、そのあとはノイマンにつながり、コンピューター隆盛の時代に至る。自然言語から機械上で走る人工言語の世界が現出している。世界を表現するためには自然言語だけでは足りなくなっている。ChatGPTについて哲学者、あるいは言語学者が語らねばならない時代。そういう問題意識を哲学者は共有する必要がある。そういう視点が世界哲学史にあるか、調べてみよう。

更新: 2024-04-01T16:51:43+09:00
| 先月 | Monthly Index | Timeline | Mobile版 powered by iUI
2001年版 | INDEX | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2002年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2003年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2004年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2005年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2006年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2007年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2008年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2009年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2010年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2011年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2012年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2013年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2014年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2015年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2016年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2017年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2018年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2019年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2020年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2021年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2022年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2023年版 | INDEX | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
2024年版 | INDEX | 1 | 2 | 3

(C)jscripter