なんとも寂しい、悲しい話だった。孤独、孤独、孤独。 いや人間は究極的には誰でもが一人だし、それ前提で人生楽しむのがいいんだよ、人と一緒にいたからって寂しくなくなることはないし(というか、人と一緒で寂しかったら孤独より悪いよね)、一人がいいよ、孤独も悪くないよ… と、普段から思っている私だけど、これはなんとも一人が辛い、寂しい映画だと思った。 いやー なんというか切ない。そして痛い。痛いのはこの二人じゃなくて、自分の中にある何かなのかもしれない。いやー でもある意味最高にロマンチックな話でもあった。 そんなふうに思わせてくれる良い作品だったと思う。シーンはそれぞれ印象的で、ロンドンの高層マンションの夜景も、郊外のデタッチドハウスな実家もいい味だしているけれど、登場人物は基本4人しかおらず、この4人が、これまた最高にグッとくるんだ。 ストーリーは、日本の山田太一の『異人たちとの夏』のリメイクという。 冴えないシナリオライターの主人公が実家に帰ると、自分が幼い時に死んだはずの両親がいる。そしてまた両親との人間関係を修復していく主人公。それと同時に同じマンションに住む恋人と親密になっていく。そしてエンディングで、なんか大きなどんでん返し。 メインの二人のアイリッシュ(←ここ大事)俳優は最高だし、それに元ビリー・エリオットおよびバーニー・トーピン役の彼、大好きなんだよね。なので、ジェイミー・ベルを見に行ったということもある。お母さん役は『Women Talking』の女優さんだよね。彼女も良かった。 でも、ほんと素敵よねぇ、ジェイミー・ベル。ビリー・エリオ(って訛りながら名前を言うオーディションのシーンがたまらない)の彼がこんなに年取ったんだから、私も年取るわよねぇ。はぁ〜〜、うっとり。 しかし日本版の映画を見た時は、この映画を見て感じるような痛いような寂しさは感じなかった。あっちはもっとノスタルジックというか、そういう感覚があり、あったかさを感じる。 そして今回主人公の恋人は男性、つまりゲイだという設定。それもさらにいろんなことを寂しくさせた。ゲイの人たちって、どうしてこう魅力的なんだろう。そしてその寂しさに妙に惹かれてしまう自分がいる。なんでだろう。 それにしても恋人役の彼が最高に素敵。彼は「ノーマル・ピープル」(こちらは未見)にも出てたそうだけど、すごくセクシーで、
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