名画座通いに明け暮れる、
永遠の29歳 マリコフの世界展
image

『或る夜の殿様』1946

箱根の旅館を舞台に、成り上がり強欲ババアの飯田蝶子をこらしめようと企む志村喬らが、長谷川一夫を担ぎ上げて一芝居打つ、とっても素敵な茶番劇〜。

長谷川一夫の気を引くため、蝶子が娘のデコちゃんに「いちばん高い服を着てこい」と指示。そして着てきたのがこちら! 

image

まさかの鹿鳴館仕様!!! 終始いいおべべを着ているせいか、くるんとした前髪のおかげか、デコちゃんの可愛さがとにかく凄まじかった。蝶子を反面教師にしているため、性格もいい。しかし蝶子の性格の悪さは憎めない。誰の心にも蝶子はいる! わたしの中にも蝶子はいる! わりと多めに!!!

image

そして忘れちゃいけない山田五十鈴! 道端に座り込んでいた長谷川一夫を見るや、犬ころでも拾う感覚でピックアップしてた、全身が気立ての良さでできているような女。後半は泣かせます。うう、五十鈴…。

志村喬発案の「蝶子騙し」に、担ぎ出された宿なしの書生さん、長谷川一夫。見るからにただの書生じゃなくて、高貴なお方の予感…。オチが最初からバレバレなのも微笑ましいというか、バレバレなおかげで安心して笑って観られる。こういう、おおらかでほのぼのしたいい作品を観ると、観客を騙そうとしてくる小賢しい映画が逆に幼稚に思えてくる。脚本も細やかで、随所が笑える。笑えるポイントの8割は蝶子だが。

image

しっかし長谷川一夫ってこんなにカッコ良かったのか…。「ミーハー」の語源になったというくらいだから、若いころはさぞがし〜と思っていたけれど、よくよく考えたら長谷川一夫の若いころの映画なんて、ほとんどお目にかかったことがないのだった。長谷川一夫といえば、なんかこう、顔全体がたるっとした、たるみの人…というイメージが。この映画でも、「あ、肌けっこうヤバイな」と思ったり(ていうか当時、38歳だったのか!!! どうりで肌がキテるはずだよ!)

image

しかし一夫は目千両やね。肌質なんてこの際どうでもいい! 一夫だけ目の描き方が『キャンディ・キャンディ』みたいだったもん。 「キラキラしてる」って、一夫の目のためにある言葉なんですね。

用例→「わぁ〜このハリーウィンストンのダイヤ、長谷川一夫の目みたいにキラキラしてるね〜!」

image

しかしなんといっても蝶子! 蝶子が断トツでラブリーでした。最後、改心した蝶子が、天敵である丸メガネのザーマス系奥さまと仲直りする瞬間がよかった。めでたしめでたしという言葉が似合う、とてもいい気分で劇場を出られる映画でした。封切りが終戦の約1年後とのこと。当時これを観た人は、さぞかしうれしくなっただろうな。

源氏鶏太『丸ビル乙女』! あやや主演で映画化して〜(ていうか、映画化しとけよ! んもう!)

源氏鶏太『丸ビル乙女』! あやや主演で映画化して〜(ていうか、映画化しとけよ! んもう!)

image

駅 STATION(1981)

言わずと知れた名作…ですが、男のロマンに対して年々不寛容になっていくため、よおわからんというのが正直なところでした。木村大作のキャメラのおかげか、健さんの存在感のなせるわざか、終始画面は最高級のクオリティーでして、「映画ってやっぱこうでなきゃね!」と思わせるスケールに満ちています。てっきり駅員の話かと思っていましたが、それは『鉄道員(ぽっぽや)』で、こっち(『駅』)の健さんは、射撃スペシャリストの警察官を演じています。

image

                 これが『駅 STATION』。

image

                  こっちが『鉄道員(ぽっぽや)』!

さて、よおわからんとは言いつつも素晴らしい映画だったのは事実。なかでも3点、どうしても伝えたいことがありまして、筆をとりました。

その1,烏丸せつこの可愛さ。

image

              可愛い! 田舎の方で生まれた沢尻エリカって感じ。

image

宇崎竜童が不良青年のすべてを体現してます。イイ顔!! しかしこのあと烏丸せつことは別れ、微妙な女との間にさっさと子をもうけて、すっかり更生して町に戻ってきます。再会したせつこに「お前まだこの店で働いてんのか?」と一言…。こういうふうに無自覚に女を傷つける男いるいる! そしてそういう奴は憎たらしいことに、例外なくモテるのである…。

image

スタイルいい! 脚キレー! あと、大変な美巨乳の持ち主であります。興味のある方は『四季・奈津子』をどうぞ〜。

image

まぶしすぎて直視できません! ああ、若いって素晴らしい…。若さの素晴らしさは若いもんにはわからんのや!

image

        失われた烏丸せつこの可愛さを後世に残さねば…その一心で写メりました。

その2,若いころの小林稔侍が藤井フミヤになんか似てた件

image

        この絶妙な首の細さ! カマっぽい立ち姿! 似てる似てる!

image

         例のねちっこいしゃべり方もしないし、なかなかいい感じです。

image

まだギリギリ清潔感が…。男性って中年になると、なぜあんなに清潔感がなくなるのでしょう…。いえ別に小林稔侍に清潔感がないと言ってるわけではありませんが!

その3、名ゼリフ

image

健さんを見てたぎることって基本的にないのですが、このシーンの健さんはスゴかったです。甘える倍賞の肩をぐっと抱き寄せる健さん…。ちょっと肩抱いてギュってやるだけなのに、わたしゃこのシーン見ただけでオーガズムに達しましたね(←比喩表現です!)。最小の動作で最大の効果を生む健さん…さすがっす! 

image

そんな健さんが久々に女を抱きました! 倍賞が「あたし声大きくなかった?」と恥ずかしそうに聞くと(そういうこと聞く女もどうかと思いますけどねえ!!!)、「大きくなかったよ」と言って優しく抱きつつ(正しくは抱きついてきた倍賞を軽く受け止めただけ)、そして心の中(ナレーション)でこう一言漏らすのです。「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」

ヒィ━━━━(((((((((((((((((((( ;゚д゚))))))))))))))))))))))))━━━━━━!!!!!!!!

「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」…。

んまあいやらしい! なんていやらしい! こんな奥深くいやらしいセリフ、マリコ聞いたことありません!!! びっくりして8ヶ月ぶりにブログ更新しちゃいましたよ!!! 

ではみなさん、また8ヶ月後くらいにお会いしましょう〜(^_^)/~ よかったらこっちものぞいてみてくださいね〜〜。

image

居酒屋兆治(1983)

健さんはかつて田中邦衛とバッテリーを組んでいた、高校野球の元スター選手。肩を壊して普通の会社に就職、サラリーマンとして数年を過ごすが、リストラ宣告人の仕事に回されて(佐藤慶の嫌がらせ人事)脱サラし、妻のおときさん(加藤登紀子)と共に居酒屋〝兆治〟をはじめる。

いきなり話が逸れて恐縮ですが、個人的に最もツボな描写というと、「女の子がいそいそと身支度している」シーン。流行りのポップミュージックをBGMに洋服選んだりアクセ付け替えたり香水ふりかけてるシーンを見ると、ドーパミンが放出されて、得も言われぬ心地に……。アリシア・シルバーストーンの『クルーレス』を観て発病した奇癖ですが、もし自分が男に生まれていたら、この「身支度」フェティシズムに最も近いのが、「居酒屋の開店準備をする俺」シーンだと思うのです。

image

煮込みの具合をチェックして、カウンターを水拭きして、っと。健さんのキビキビした働きぶりがステキ! 男の夢、高倉健…。男の夢、居酒屋の親父…。健さんが居酒屋の親父を演じる、しかも函館で! という、男のロマンがみっちり詰まった、男にとって玉手箱のような映画だよコリャ! そんなワクワク感に満ち溢れたオープニングシーンです。100点満点なり!

image

またこのオープニングシーンの音楽が軽妙なこと。あまりの陽気さに、ただの〝居酒屋ドリーム〟映画かと思っていると、冒頭5分も経たずに真のヒロインが現れ、映画は一気に不穏な感じに…。

image

そう、この映画、表は完全に居酒屋ドリームですが、その裏では健さんとの恋やぶれた大原麗子が破滅への道をひた走っているという、二層構造?になっているのです。以前、大原麗子のドキュメンタリーを見て、この映画の役「さよ」をすごく気に入っていたという話を聞き、観てみたのですが、確かにすごかったです。素晴らしかったです。

ちょっとでも油断したら、「アンタいつまで昔の恋引きずってんだよ! バカだねぇ。いい加減忘れちまいな!」と言いたくなってしまうような、そんな役なのですが、あまりにもシリアスに美しい大原麗子に、そんな突っ込みを入れる隙ナシ。人はこのような外見に生まれてしまったら、恋にしか生きられないのやも…とすら思わせる、なんだかものすごい情念を振りまいていました。 ↓↓↓   ブオォォォォォォ(効果音)

image

表面では健さんが居酒屋を切り盛りしつつ、店の移転のことなどで頭を悩ませたり、イヤぁ〜な客、伊丹十三のせいで傷害事件を引き起こしてしまったりと、なんやかやあるのですが、そんなのは取るに足らない日常の範疇内。なにせ裏面では、大原麗子が大変なことになっているのですから…。映画ではあまり多くは語られませんが、おそらく健さんと幼なじみから恋に発展していたはずなのに、気が付けば自分は牧場主の元へ嫁いで子供も二人…。しかし過去の恋愛を引きずりまくっている大原麗子に、そんな現実はとても受け容れられたものではなく、たびたび家に帰らず、その度に旦那(よりによって左とん平)に捜索願を出される、失踪常習犯になっていました。

image

そしてしょっちゅう健さんに無言電話をかけるように…。わかる! 恋心がほとばしり、どうしようもなくなると、無言電話をかけてしまうんです! 公衆電話を握る大原麗子のこの表情が、片思いとはなんであるかを、すべて物語っております。そういう意味で、無言電話が事実上不可能になった現在、恋愛のカタチ自体が大きく様変わりして、恋愛そのものを映画なり小説なりで描くのが非常に困難になってしまったのですが、それはまた別の話…。

image

辛い…辛すぎる…。そう、本当に辛いのは、一度は愛する人と幸せな時を過ごしたのに、それがもう二度と叶わないと知ってからなんですよね…(;_;) 昔は高校野球のスター高倉健とつき合ってたのに、いまは牧場で左とん平と二人の子育てって、女にとって煉獄ですよ。左とん平にはすまんが。

今現在好きな人がいて、片思いに身悶えしているうちはまだまだ余裕。その身悶えが報われて、幸せを味わい、これが永遠につづくと思ってしまってからが、真の不幸のはじまりなり。アーメン。こと、相手がこの映画の健さんみたいなタイプってのがいちばんタチが悪いんですよ。なんというか、一本筋の通った、自分の中のルールに従って生きているイイ男。欲がなくて、度量はたっぷり、みたいな…。この手の男に惚れちゃダメ! 死ぬしかなくなるから! この手の男は遠巻きに鑑賞するべし。

image

非常にしっかり作られたいい映画なのですが、根本的なところに引っかかりを感じたのも事実。大原麗子のキャラ設定および末路は言わずもがなですが、途中に小松政夫の妻あき竹城が唐突に死ぬシーンがありまして、いくらなんでも女が死にすぎるんですよね、この映画。そこでふと、あるシーンを思い出しました。

〝兆治〟で酒を飲んでいた田中邦衛が、「昔の青年会は良かった。酒飲んで騒いで。あれが青春だった」と語っているときに、加藤登紀子がこんなことを言うのです。「じゃあさよさんの家出で、失われた青春が戻ってきたっていうわけ?」(さよの捜索で青年会の結束が再び強まっていたので)。そしてさらに、「じゃああとは恋人同士で」と、邦衛&健さんに言い残して、お店を一人あとにするのです! キタァーーーーーー! この瞬間、わたしの顔に細フレーム眼鏡が装着され、フェミニズムの化身、フェミコフとなりました。フェミコフはホモソーシャル&ミソジニーが大好物なのです。

内田樹・著『映画の構造分析〜ハリウッド映画で学べる現代思想〜』のなかで、ハリウッド映画(とくにマイケル・ダグラス映画!)がいかに「女性嫌悪」に偏っているか書かれた章があります。マイケル・ダグラスは映画の中で、女性を抹殺しつづけている。マイケル・ダグラス映画に於ける「女性」は、常に「悪役」である。女性は主人公を誘惑し、彼の世界を破壊し、彼のプライドをズタズタにし、最終的に主人公によって殺されます。『危険な情事』でも、『ローズ家の戦争』でも、『氷の微笑』でも、『ディスクロージャー』でも、『ダイヤルM』でも!

そこから内田樹先生は、「なぜアメリカの男はアメリカの女が嫌いなのか?」、こんな仮説を立てます。「これはアメリカ建国の礎を築いた、西部開拓史の貢献者たちの、死せる魂を鎮めるための物語ではないか?」。……という非常におもしろい本なのですが、日本もミソジニー具合でいったらアメリカに匹敵するレベルであります。そして話を『居酒屋兆治』に戻しますと、この映画で「女」でありながら生きることを許されているのは、スナックのママである「ちあきなおみ」と、健さんの妻「加藤登紀子」だけなのです(そうそう、言い忘れてましたが、ちあきなおみが出てます! けっこうちゃんとした役で。ソーラン節も歌ってます!)。

なぜ健さんの妻役に、わざわざ加藤登紀子を抜擢したのか? これはもう一目瞭然。この映画の加藤登紀子は、まるで少年のようなのです。小作りの顔立ちに加えて化粧けもなく、髪もショートで、着ているものも色気のないものばかり。

一方、〝兆治〟の向かいで、カラオケスナック〝若草〟を営むちあきなおみは、身なりからキャラクターまで、すべてが紋切型。ザ・女。ザ・水商売の女。

つまりこの映画の世界では、女として生きることが許されるのは、「男の領域を邪魔してこない、非女性的で無害な妻」か、「男の欲望の捌け口を担っている、女性性を保った女(水商売限定)」の二種しかないことになるのです。そのどれでもない女は、死をもって成敗されるのです。うおぉおぉぉぉぉ!!! 事実この映画で、口うるさい肉屋の女房あき竹城は、かなり唐突に死に(しかも小松政夫の不手際で)、健さんを一方的に恋い慕う余り周囲に迷惑をかける大原麗子は、(恋慕そのものは男のプライドを満足させる好ましいものであるにも関わらず)居酒屋稼業をするにはどうにも邪魔な世界観(ロマンティック・ラブ・イデオロギー)を持っているため、血を吐く運命にあるのです。うおぉおぉぉぉぉ!!! ホモソー怖えぇ! 

と、期せずしてなんか怖い領域に、(しかも高倉健映画というアンタッチャブルな題材で)踏み込んでしまったので、尻尾巻いてこのへんで筆を置きますね。神谷さよaka大原麗子よ、安らかに眠りたまえ…R.I.P

image

image

家庭の事情(1962)

定年退職を迎えた山村聡55歳(撮影当時52歳、見た目年齢67歳)。数年前に妻を亡くして以来やもめの身で、4人の娘はいずれも未婚。退職金を加えた手持ちの総額250万円を、娘たちにそれぞれ50万円ずつ渡したことから物語ははじまります。(生前分与ではなく、あくまで結婚資金の前渡し。娘のために山村聡は、せっせとお金を貯めていたわけで…。娘を持つ親の苦労がしのばれます)

image

「みんないいお嬢さんばかり!」、いかにもそんな感じの4姉妹だけど、実はいろいろ問題が。長女のあやや(若尾文子)は会社の上司と不倫中だし、次女の叶順子は全額田宮二郎に貢いじゃうし、四女は50万を元手に会社内で高利貸しをはじめる始末…。それを知った山村聡が、「金をそういうふうに遣うと人間が下品になる」と一言。おっしゃる通りだわ!

しかしそんな山村聡にも、退職金を狙う恐ろしい女が忍び寄ってくる。それがこの女…↓↓↓

image

山村聡の名誉のために言っておくと、本作の山村聡はいつものスケベじじい路線とは違ってかなり立派な人物です。カネ目当ての女に完全にハメられて、ハメてしまったのであります。しかしこの女は本当にクセモノ! この目付き! 山村聡ピーーーーーーンチ!!!!

とにかく山村聡が絶妙に好人物なので、彼が大事に育てた娘たちが世間の荒波に揉まれ、不倫して辛い目にあったり悪い男に貢いだりしているのを見るのがすごく苦しい…。けれど、湿っぽさも重苦しさもないのが本作のいいところ! 家父長制的な色合いがすごく濃い設定ですが、山村聡のヌケ感のおかげで、妙にドライに軽快に、ストーリーはどんどん前に進みます。(ちなみにこの一家は吉祥寺在住)

image

女に騙されているばかりの山村聡でもなく、月丘夢路との再婚話なんかも持ち上がる(ご縁を持ってきたのはもちろん杉村春子!)。月丘夢路は子持ちの未亡人で、喫茶店のマダムとして自活しているけど、「誰かにすがって生きていくのがあたしの性分に合ってますの」と、この縁談にはたいそう乗り気です。

image

一方、不倫を精算するために会社を辞めたあやや(若尾文子)は、山村聡からの結婚資金と退職金を元手に、なにか店でもやろうかと考え中。「え、なんで店!?」って感じですが、この時代、女性が会社で働くのは「お婿さんを探しに行っている」ようなものなので、そこで不倫のドツボにはまって辞職してしまったが最後、カタギには戻れないと思ったのか、あややに結婚相手を探す気はゼロです。

この映画を観ていてつくづく思うのが、当時は「店をやる」ってことが女性にとって、結婚せずに生きていく唯一の手段だったということ。そもそも山村聡からお金をせしめようとしていた「あの女」も、店をはじめる資金を調達しようとして、体張って枕営業していたわけで。そしてそういう、「お店を持てば女一人でも生きていける」状況も、現代とは大きく違うところ。自営業者が多く、それぞれ安定した収入を得ていた時代ならではの話でもあります。いまの時代はリスクが大きすぎて女一人でおいそれと店なんて出せないし、出せたとしても飲食で生き残るなんて至難の業。あややのように結婚もせず、正社員の仕事を辞めてしまったら、せいぜい派遣などの非正規雇用職を得て糊口をしのぐしかないのかなぁ…。今も昔も、まだまだ女性が一人で生きる道は険しいんですね。by.フェミコフ

image

さて、山村聡の再就職先の職場には、ミスター飄々・川崎敬三が在籍。4人の娘を抱えた山村聡は、さっそく「君、今度うちに遊びに来ないか?」と勧誘します。それにしても本作の川崎敬三は、川崎敬三史の中でも屈指の名演! あのなんとも言えない軽妙洒脱さ、スットボケ感に加えて、「こいつにはなにかある!」感がにじみ出る、ものすごくデリケートな演技をしています。(↓ ああ、静止画には川崎敬三の微妙なニュアンスが出ない! 悔しいわ…)

image

終盤に向かって、4人の娘それぞれにしっくりくるお相手が見つかっていく手さばきは本当にお見事。<ネタバレ注意→>あややには船越英二、叶順子には藤巻潤、三女(「若草物語」でいうベス的キャラで、一度も勤めには出ず、母の代わりに家を切り盛りしていた、心優しい結婚向きな子)には川崎敬三、そして高利貸しの末っ子には川口浩!<←以上ネタバレでした>

それはそれは鮮やかな手つきで、風呂敷がきれいに畳まれていきました。監督の吉村公三郎はもちろんのこと、源氏鶏太の原作を脚色した新藤兼人がイイ仕事してる! テンポのいい編集と遊びのある音響の使い方のおかげで、「ある一般家庭のお話」という小さな世界がメタ視点を得て、広がりを見せていくエンディングが、まぁ〜〜〜またお見事。

信じられないことに未ソフト化ですが、日本映画専門チャンネルでは放映もあります! あと、神保町シアターやラピュタ阿佐ヶ谷あたりではわりと頻繁にかかるのでぜひ〜。

image

image

東京マダムと大阪夫人(1953)

オープニング早々、グワッグワッグワッグワッ…とやかましく鳴くアヒルの大写しが強烈なインパクト。「なぜアヒル!?」と思っていると、その次にやって来たのは社宅住まいの主婦グループ。リーダー格であるお喋りババアのあとを、やや若い主婦たちがぞろぞろと団子になってくっちゃべりながら移動する姿は、おお、まさにアヒル! A・HI・RU!!!

さすがは団地映画の傑作『しとやかな獣』を撮った川島雄三監督、そんな底意地の悪いメタファーからして切れ味鋭く、「当たり」の映画であることが一発でわかります。(ちなみに「ハズレ」の映画もだいたい冒頭3分でわかる。その場合は寝る。)

image

〝あひるが丘〟と呼ばれる郊外の社宅(庭付き一戸建ての平屋が等間隔で並ぶ)を舞台に、東京下町育ちの月丘夢路と、そのお隣に住む大阪船場育ちの水原真知子の熾烈な見栄っ張り合戦を描く。のっけから、洗濯機の購入という超ビッグな買い物で大阪夫人に先を越された東京マダムはキリキリ舞い。「うちも買いましょうよ!」と仕事中の旦那(三橋達也)に電話を入れて呆れられる始末。村化の激しい小さなサークル、昼間取り残された主婦たちは「おとなり」との差異に敏感で、基本姿勢が牽制である。…おう、わたしの神経では三日と保たないこと確実のハードボイルド主婦ランド…。しかし当時はあこがれの生活だったはずで、その暮らしぶりはどこまでも朗らかに、微笑ましく描かれます。

さて、そんな平和なあひるが丘に、一人の怪しい青年が…

image

大阪夫人の弟はっちゃん(高橋貞二)は、魅力の塊のような男。飛行機の操縦士という憧れ度の高い職業に就きながらも気取りはゼロ! 思わず「クマさんみたいですね」と言いたくなるような男。つまり、結婚したいナンバーワンボーイ、それがはっちゃんこと八郎さんなのである。

そんなはっちゃんに岡惚れする女が二人。一人は専務の令嬢、北原三枝! 戦闘能力5000!!

image

対する芦川いづみ(月丘夢路の妹)は……

image

スカウターが壊れるレベル!!! なんでも、ファッションショーに出演していたところを、たまたま居合わせた川島雄三監督にスカウトされ、本作でデビューしたという。そんな逸話も納得の、他を圧倒する可愛さである。白黒映画なのに芦川いづみ部分だけパートカラーで見えるくらい輝いております。なかなかその可愛さを再現できてる画像がないため、おわかりいただけないかもしれませんが…。比較するなら、世界に誇る日本のカワイイ代表のキティ<<<エル・ファニング<<<<<<<芦川いづみ、みたいな感じ。ちなみに宮崎駿のヒロイン=芦川いづみ説を、鈴木プロデューサーが匂わせているのを二回くらいテレビで見たことがある。「クラリスのモデルは犬を散歩させていた芦川いづみ」とか? うーむ、さもありなん…(腕組みしてウンウンうなずくわたし)。これまで映画で見た少女の中で、いちばん可愛いかも…。マジで。加賀まりこも浅丘ルリ子もぶっ飛ばして、この子がいちばんだわ!!!(1968年に藤竜也と結婚して引退。藤竜也の方が6歳も年下で、当時はまだまだ駆け出しだったというのに!)

image

 こんな美女二人が、スペックの高いイケメンではなく、クマ系のはっちゃんを取り合うってところがいい! といっても、演じる高橋貞二は、佐田啓二、鶴田浩二とともに、〝松竹大船の三羽烏〟と謳われるようなスターだったんだとか。しかし、満33歳で事故死しているという…。あんなにクマっぽいのに(健康で長生きしてくれそうなのに)。人ってわからないですね。

image

そんなはっちゃんを巡って、白熱する東京マダムと大阪夫人の援護射撃! 可愛い妹(芦川いづみ)に幸せになってほしい東京マダム。一方、専務の令嬢と自分の弟を結婚させて、旦那の出世を狙う大阪夫人。

image
image

恋の顛末からマダムと夫人の仲直り、そしてすべてを包括するようなラストまで、本当に見事! 〝川島雄三の松竹時代の最高作〟の看板に偽りなしの、絶品ソフィスティケイテッド・コメディでした。

image

からみ合い(1962)

武満徹の音楽に乗って、一人銀ブラを楽しむ美しき岸恵子様の姿が映されるタイトルバック。超かっこよくて、ものすごくわくわくする物語のはじまりの予感に満ちている。…が、ショーウィンドウに見蕩れている時、いきなり宮口精二に肩を叩かれ、「お久しぶりです。随分変わられたので女優さんかと思いましたよ」と声をかけられた瞬間から失速…。マイルス・デイビス✕ルイ・マルのような空気は一転、余命半年の会社社長、山村聡の遺産をめぐる争いという、仁丹臭いドラマになってしまう…。

image

image

いえ、別に仁丹臭くてもいいんですけど、このオープニングがあまりに素敵だったもんで、期待値が老人の血圧のごとく跳ね上がったため、「なんだよ〜ただの山村聡の遺産争いかよ〜」とがっかりしてしまったのであります。もしあのとき宮口精二に話しかけられなければ、岸恵子様の銀ブラは楽しく続いていたのかと思うと、悔やまれてなりません。是非そっちを映画にしていただきたかった。この世に1本くらいあったっていいじゃない、岸恵子様が延々銀ブラしてるだけの映画。わたしはありがたく観ますよ! 

image

女優帽にサングラスの銀ブラセレブ映像から遡ること2年ちょい、当時の岸恵子様は山村聡の秘書を勤める地味目なBGだった。胃がんで余命いくばくもないことがわかった山村聡は、渡辺美佐子という年の離れた若妻(結婚7年目)がありつつも子なし。しかし籍には入れていない子供がどこかに3人いるので、「探し出し、もし人として気に入れば遺産を分けてやる」という、かなり上からな相続プランを突如発表。

image

部下である仲代達矢や千秋実、宮口精二は、どうにか自分も遺産のおこぼれを頂戴しようとあの手この手で打算。本来なら遺産総取りの渡辺美佐子は、「あたしに全部おくれよ!」と言わんばかりのしびぃ顔。しかし実は彼女、千秋実と浮気しているのだった。アンタなにも千秋実と浮気することないのに…。

金はあるけど心の拠り所ナッシングな孤独な男、死期が迫っているというのに妻にもセックスを拒まれ、ついに秘書の岸恵子に手を出す山村聡。やがて身籠る岸恵子様。自分は遺産狙いではないことを強調しつつも、ちゃっかり遺産の3分の1の権利を手にし…。

死にかけの富豪老人から女の魅力で(セックスを武器に)遺産相続、というアンナ・ニコル・スミス願望みたいなものは、女性なら多かれ少なかれ抱くもの。この映画の岸恵子様も、例外ではないのだった。

image

はじめて山村聡に抱かれたときの岸恵子様の表情。完全に嫌そうである。おそらくアンナ・ニコル・スミスも、ベッドでこういう顔してたと思われる。Hの謝礼(?)に10万円(注・岸恵子様の月給は2万円)もらった、このときのセリフが秀逸だった。

「できるだけ無駄遣いをすることに決めた。デパートに行ってゲランのいちばん高い香水を買おう」

一回や二回ならセーフかもしれない。ゲランの香水で済むかもしれない。けど、もし体で稼いだ報酬が人生を凌駕したら、きっとこのセリフと同じことを、人生そのものに対して思うんだろう。「できるだけ人生を無駄遣いすることに決めた」って。女ってそういうもんよ(オカマ口調)

image

image

image

image
Search
Navigate
Archive

Text, photographs, quotes, links, conversations, audio and visual material preserved for future reference.

Likes

A handpicked medley of inspirations, musings, obsessions and things of general interest.