金曜日

210305

まだ生きています。

インターネットに記録を残し始めたのが、2004年ぐらい。
17年ぐらい経過していますね。

17歳から吸い続けたたばこをようやく40歳でやめました。
35歳以降、微妙な身体の退化が気になっているので
そのケアに時間をあてます。

音楽の情熱は少し薄れてしまいましたが
一応、バンドは1つ継続しており、心の余裕ができたら
新たな楽器を始めたい。

ずっとどこかへ行く生活をしていたのでどんな状況であれ
どこかへいっちゃいますね。
特に独り旅が楽しい年頃かもしれんです。

20202月ゴア、ムンバイ
202010月沖縄
202011月松江、広島
20211月京都、金沢

火曜日

201006

 この場所は、私の生存記録なのです。
始まって13年ちゃだいぶんやばい。

13年も経てば、小学生も職場の同僚ですよ。

2月にインドへ行き、バンドもないままそろそろ何かするかと
思った矢先にコロナウィルスの流行。
仕事は失わなかったが、ぽっかりと心に穴が開いたまま40歳。

と思えば、10年前にやっていたバンドの復活と消滅。
新たなバンドの誕生と、だんだん元の生活に戻っている。

独りの時間が多い事は変わらないのですが、ようやく仕事の
忙殺にバランスをつけれるようになり、明日から海外へ行けないので独り沖縄へ。

相変わらずノープランのぶらり。


金曜日

200410

ここ数カ月の記録です。
もうすぐ40歳なのですが、色々ありすぎて記憶力がなくなってきている。

2月へインドのゴアとムンバイへ渡航。
渡航する直前にコロナウィルスの報道が盛んになり、行く際の空港では、マスクが必須となっていた。
福岡空港から韓国を経由してムンバイへ。
ムンバイ空港からゴア行きの国内線に乗り換えすることろ、入国時にドクターの診断書が必要となっていた、中国人やシンガポール人と間違えられ右往左往。
なんとか入国でき、タクシーに乗り込みぎりぎりで、ゴアの空港に到着。
インドは、空港に入る際もパスポートと旅券の提示が必要なので、英語が出来なければ、あっさり門前払いをくらう。
なんとか空港に入り、セキュリティでライター没収されて時間かかったりしたが、なんとか飛行機に乗れた。
その間、飲みものを買う暇もなく、ぐったり。
昨日の17時ぐらいに飛行機にのり、ゴア行きの飛行機に乗ったのが朝5時だからそりゃそうだ。
まさかの飛行機の中で、蚊にさされまくる、前後のインド人がうるさすぎて眠れない・・・
朝7時ごろ、ゴアの空港に到着。
飲み物を買う余裕もなく、タクシー乗り込み、2時間ひたすらホステルまで走る。
外の風景を見て、ようやく知らない国に来たという実感がわく。
なにせ朝日が綺麗すぎた。

朝9時ぐらいに目的地のホステルへ到着。
もうこの時点では、ぐったりなのと携帯の電波が途切れるぐらいの静かなホステル。

それからのゴア2日間は最高の日々で天国だった。
3日目に1日がかりでムンバイへ戻り、ムンバイのフォート地区をバタバタと満喫。
とにかくうるさいぐらいで、建物はイギリス式、とにかく活気がすごかった。
5日目にバタバタとムンバイ空港へ。
渋滞に巻き込まれ到着までに4時間ほどかかった。
帰りは飛行機で爆睡。中国の空の上で目を覚まし、マレーシアの友人KIMIの訃報を確認する。
何ともいえない気持ちで、トランジットの仁川空港をうろちょろ。
すぐに福岡へ到着。

それからの身体がすこぶる調子よく、音楽の活動したいなと思っていた矢先にコロナが世界に万延し、今日に至る。

二週間前ぐらいからマレーシアの友人達から「Stay safe」というメッセージが来ていたがやっと実際に理解してきた。
そして、遅すぎた。

来週、どうなるかも分からない。
でも、独りは辛く、予定を失うと気持ちも落ちるので、今やれる事を思案中。
思案で終わるパターンは多い・・・

おそらく5月になっても状況は、良くならないと予想しているし、これまで出来ていた事が出来なくなる事も多くなるだろう。
また、困る事が増えるし、生活が一変しそうだ。

日曜日

200202

2が並んだ日の日曜日。
特別な事もなく過ぎていく時間。
人に会う事がなさ過ぎて、環境を変えるしかない2020年の始まりでした。

火曜日

191231

ここも存在し続けてもうすぐ12年です。

2019年の自分は、想像がつかなかったけどいつかは何かが止まる覚悟をしていた。

2020年が始まるのに24時間は、切っているしなんの生活も変わらない事に退屈感を覚えてやりたいと思ったらやるんだろうなと思っている。

2019年を振り返れば、ギターで2年ぶりにライブやら、周りの結婚ラッシュ、相変わらず誰とも時間が合わない、激動の香港を目の当たりにしたり、バンドメンバーの居住権が奪われたり、レコーディングが終わらずモヤモヤしていたり・・・

12月、街はクリスマス気分も感じぬまま、一か月以上ライブもスタジオもなく思った事は、退屈なのでこの経験をアウトプット出来る動きをするのが自分の2020年だと思い、もう明日というのに焦る私でした。

あと、今年の後半ぐらいから本を読むのが、頭痛くてきつかったんですけど、最近読めるようになったのは、ようやく気持ちが落ち着いた証拠。

木曜日

191024

今年の山場で、もっとできたはずなのにと思ったimomushi fesが10/13に終わった。

ライブの記録を全編撮影するとかすればよかったのに、自分の演奏時間捻出で頭がいっぱいだったので、動きが悪かった。

12月から急に時間が出来るので、しばらくはブラブラしておきたい。
2020年から何をするかボチボチ考えます。

水曜日

190925

しかれた線はなかなか切り裂けないですね。

自分が住んでいる国は、好きだけど理解できない仕組みが多いので
せめて住みたい人が国籍問わず住めるように、制度を改革してほしい。

人頼みは、まあ無理と考えると政治家は嫌いだし、
結局のところ自分は、スタジオに入って、
レコーディングして、ライブがしたいだけです。

明日の事は、分かりませんね。

ベースで参加しているTHE MSGSの去年のツアーやら
今年のツアーやら顔面に興味があれば下のリンクから見れます。
https://www.instagram.com/msgspunx

日曜日

190825

更新してないですね。と言われドキッとした。

誰かがここを見ていると思えば、更新しなきゃと思いました。

10年前、今とはかけ離れた生活していてそれはそれで楽しい時間でした。
今は今なので、いつかやんきゃなで申し訳がない・・・

2006年からブログやってるんですけど、その時のブログ削除していることに
ちょっと公開している。たぶん、恥ずかしい事書いて消している。

2007年ぐらい、ほぼネット環境がない生活をしていたのに、今となっては
ネット環境がないとやばい世の中になった。
未来の世界になった。20代の頃、タイピングもアプリケーションも
全く分からなかったが、なんとなく使える。
英語は、やっと中学3年ぐらいのころまで最近戻ってきたけど
くそったれ下手糞だ。
ネットに助けられている。

去年の11月にマレーシアへ行き、今年の7月に香港へ。
二度目のマレーシアツアーは、一度目よりハードかつ印象的だった。
初日のライブがキャンセルになったり、トラブルあったりで面白かった。
言語力のなさに本当に悩まされた。

香港は、デモが盛り上がりを見せた7/1に現地にいたことは、
忘れがたい経験となった。
ライブは、やりすぎたのに反省した。

2ヶ月後に20周年があります。
6年間全く演奏していないSNAREKILLSの名前がありますが
音源出した頃のメンバーでやる予定です。
まさかの展開に自分がびっくりしています。

 imomushi records 20th anniversary fest
2019/10/13
at KIETH FLACK
14:00 open Charge
2,500yen+1drink order
※imomushi records discography sampler CDがもらえます。cast
ミミレミミ
the MSGS
PEAR OF THE WEST
the PRACTICE
WHAT-A-NIGHT’S
MIDDLE
threadyarn
the CRUMP
BUTCH 2
LIMELITE
SNAREKILLS
and more…!?

2nd floor
YUYA(YOUTH)
Takai (strike a match)
keifiee

1st floor
Ryo ASD (1st floor BGM)
nanairo(accessoriories)
いずみ田春吉店(LARK)
さかたのおかし

火曜日

190312

気がつけば半年経過してますね・・・

昨年の10月以降は、マレーシアツアー、仕事かスタジオかライブで
気持ちに余裕が年末までゼロでしたが、年明けから楽器や機材を買いこみ
1年以上ぶりにギターを触って、人と合わせたりと前に進んできたかなと
思ってます。

どこへ向かうやら、もうすぐ39になってしまう。

日曜日

180930

マレーシア2日目から更新出来ず4ヶ月。

もちろん、更新出来る余力がなく放置してた。

2年前の記録を記述して、今年のマレーシアツアーに出る予定が大幅に狂った。

昔より、個の生活より、集団の生活を選らんだ。
大人ぶった毎日。
いい歳こいているので、すいませんとしか言いようがないか、長年のツケが貯まった分返ってきたのか、必死に生きてます。

物忘れがひどすぎてと運動不足、一人の時間が多すぎるのが悩みの種。

月曜日

180528

11/11

あまり寝付けず目覚めた。外の天気は快晴で、
まるで宗像に来ている気分だったが、
マレーシアのペナン州だった。近くにある大型スーパーへ散歩。
イスラム圏なので、ヒジャブが売ってた。
食材がめちゃくちゃ安いのだが、荷物になるので購入を控えた。
まずそうな寿司とたこ焼きが日本で考えられない値段で売ってた。
地元の人は、日本人が珍しいようで、じろじろ見られた。

外に出るとヒジャブをつけた十代の女性や、
十代の男性が集団でバイク乗りまわしてた。
どうやら暴走族か・・・

チェックアウトだというのに全然、起きないHIROSHIMA LOVERSの
メンバーを起こし次の場所へ出発と思いきや。時間がないはずなのに、
とりあえず飯の時間は外さない。
みんなでホテルの飯を食って出発。ずっとナシゴレン食ってるけど飽きない。

携帯の電波も入らないので、次に向かう場所も良く分かってないまま
車に乗り込み移動。移動中は、絶対スコールにあう。
雨が降って、晴れの繰り返しで、傘の出番が全くない。

割とすぐに到着したその街は、クリムよりも街なんだけど、
それほど大きくない。なんだろう、鳥栖っぽい感じだった。

今回のライブ会場であるNAGARAKOTAへ到着。
泊まるホテルが真横にあり、チェックインして、NAGARAKOTAのオーナー
ナベルさんが出迎えてくれた。ナベルさんの乗っている車は、
小学生の時に走っていたカローラみたいな渋い車。

ナベルさんに連れられ、飯を食いに行く。
人がすごい多いレストランだったけど、ここで食べたビリヤニが超絶うまかった。

その後、ショーまで時間があるとの事だったので、
一部のメンバーでビーチへ。

おれは、カナヅチなので泳がなかったが、みんな楽しそうに泳いでた。
海は、日本とさほど変わらなかった。

海外でまさかビーチへ行くとは思わず、一瞬どこにいるのか分からなくなった。
有料のトイレは、汚すぎてひいた。

ホテルへ戻り、また飯の時間。
HIROSHIMA LOVERSとだんだんコミュニケーションが
とれてきたものの、難しい話が分からずポールが翻訳してくれた。
しかし、ポールがいないと、Google翻訳使って説明する自分を反省する。

NAGARAKOTAへ入り、サウンドチェック。
NAGARAKOTAは、とても衝撃的な場所だった。
DIYの作業スペースがあり、寝泊まりも出来そうな場所だった。
何もない街に、自ら自分達の場所をつくっている姿勢にリスペクトした。

外はどしゃぶりのスコールが降っており、アルコール類が売ってないので
ぶらぶらしていたら、またマヤンさんがいた。
後で気がついたが、どうやら僕らのツアー日程に合わせて動いていたんだなと。

会場がオープンし、スキンズの軍団がえらく集まってきた。
そういえば、対バンのバンドを良く知らなかった。

防音もPAもないだだ広い真っ暗なスペースでライブが始まった。
むろんクーラーなし。

続く
















水曜日

180516

GW明けから、クタクタで何もできない。
GWも仕事していたのに、なぜにこうなるのか。
ああ、バカバカしい。

木曜日

180503

11/10

ライブは、20時からスタート予定だったが、結局21時過ぎて始まった。
スタジオ内は蒸し暑く、スタジオから出るとソファーなどあるが、とにかく暑いけど
みんな軽快に話している。中学生から20歳ぐらい?自分がかなり年上だという事を
認識するぐらい若々しい雰囲気で、目がきらきらしていた。
Tシャツに思い思いのバンドをスプレーで、吹きつけていたり、なんだかすごく
懐かしいというか、純粋というか、良い雰囲気でした。

イスラム圏なので、アルコールはありません。

1番目に演奏したバンドは、SEPTEMBER CLASH
地元で人気?というかなんというかコピーバンドだったのかな?
ロックンロールなんだけど、有名なバンドのカバーっぽいというか
盛り上がっていましたが、オリジナル感は、ありませんでした。
別にパンクロックが、好きな訳ではなさそうでしたが、演奏はかっちりしてました。

2番目にHIROSHIMA LOVERS
ツアー4日間周るバンドであり、初めて演奏を観る。
思ったより、かっちり演奏する人達だった。スタジオライブという事もあり
分かりにくい部分もあったが、カバー曲もやっていて盛り上がっていた。
今にして思えば、こういったバンドが、クリムに来ることも珍しいせいか
お客さんがすげーノリノリだった。

3番目に13DAS
ギターとドラムの2人組。まさかのD-BEATバンドだった。
このバンドは、たまげた。ライブ開始前に謎の飲み物をくれた人達だった笑
D-BEATで突き進むカッコよさに加え、ギターのノイジーな事。
僕らが日本から来ているということで、DISCLOSEのカバーをしてくれた。

最後にTHE MSGSでした。
海外での初ライブがスタジオでしたが、なにか変ったこともなく演奏出来ました。
すごく暑かったぐらいかな。初日だったので、どぎまぎしてたかな。

この日、物販は売れなかった。みんなお金がないようで・・・

日付も変わったぐらいに片づけを終え、みんなで飯食い行こうということになり
レストランへ行き、ナシゴレン。
暇があれば、食ってるが、うまかった。
すんごく酒を飲みたかったが、どこにも売っておらす・・・

ライブ主催してくれた人達と別れ、ホテルへ。
クタクタだったが、興奮して寝付けず、ホテルの外のテラスでしばしぼーっとしながら
4時ごろに眠りについた・・・






土曜日

180428

11/10

HIROSHIMA LOVERSのメンバーが3人と思い込みをしていた。
もう1人のメンバーを迎えに行っていた。最後にベースを乗せて出発。
ちょっと気になったのが、車が止まるたびにHIROSHIMA LOVERSの
メンバーは、たばこを吸う。ヘビースモーカーだった。

高速に乗ってしばしまっすぐ走る。
全く、英語がダメなおれなのに、フレンドリーに話かけてくれる。
後部座席に自分はいて、ポールが基本的に話をしてくれるのだが
やたら日本のアニメやら映画やらに詳しく、質問が多い笑

高速道路は、日本とほぼ変わらず。日本車が走りまくっているので
違和感もなし。途中、途中で強烈なスコールにあったり、
天然ゴムやヤシのプランテーションが、ずっと続く風景。
旧日本軍が立てこもった、跡地もあった。

途中、サービスエリアで食事をするということで、休憩。
サービスエリアもさほど変わりがなかったが、飯がとにかく安かった。
そして、やっと本場のマレーシア料理を体験した。

ナシゴレンのバリエーションが多く、麺のナシミーもあり
文字が読めずどう注文していいか分からずHIROSHIMA LOVERSの
メンバーが注文しているメニューを真似した。

これが、うまかった。衝撃的だった。
そして、蠅も多かった。数日経過すると蠅がとまっていても気にならなくなったけど。

しばらく高速を走り、ペナン州クリムへ到着。
先にホテルにチェックインするということでホテルへ向かう。
なんだか、すごくゆっくり動いているので、「大丈夫なのか」と聞くと
「マレーシア時間だから大丈夫」と謎の返しがきた。

ホテルは、とんでもなく綺麗で、3人部屋。まだ、時間があるということで
少し休憩をして、HIROSHIMA LOVERSのメンバーと飯を食う。
さっき食わなかったっけ?と思いながら、とりあえず飯食おうと言われ
みんなでまた、ナシゴレンを食べる。これが、またうまい。
どうやら、土地土地によって、味が違うらしい。

飯を食べ、夕日を見ながらテラスでまったりしながら
ライブ会場へ向かったのが20時ごろ・・・

行く途中に3-4人乗りの原付をたくさん見かける。
途中の風景もなんだか、四国っぽさを感じてきて親近感がわいてきた。

会場へ到着。薄暗い商店の並びの二階にあるスタジオが本日の会場だった。
なんだか、スクワットっぽい雰囲気もあり、誰かが住み着いていそうな様子だった。
因みに、土足厳禁だった。なんだか、三重の伊勢にあったアジトみたいな場所だ。
むろん、クーラーがない・・・むし暑い・・・

現地の人で、英語を話せる人がどうやら少ないらしく、簡単な会話も通じない。
スタジオの前になぜか、露店があり、そこでコピオー(コーヒー)を頼む。
マレーシアの飲み物は、砂糖が必ず入っており、露店で買うとビニール袋で渡される。
ビニール袋に飲み物を入れると、意外と効率良いことに気づかされた。

「砂糖を抜いてくれ」と頼んだら、「馬鹿野郎」という目で見られて
結局、砂糖を入れられる。これが、全然おいしくない泣

本日、対バンのバンドメンバーから、謎の飲み物をもらう。
どうやら、何かハイになるものが入っているようで、飲んだ後に教えやがった。

暑いので、ビール飲みたいなとか思っていても、イスラム圏の国であり
田舎町なので、ビールは売っていない・・・

そうしていたら、前日にお世話になったマヤンさんがなぜか現れる。
ビールの差し入れを持ってきてくれた。しかも、アサヒ笑
アサヒのビールは、マレーシアでは、高いので、びっくりした。

スタジオ前で、ぶらぶらしていたら、ライブが始まった。

続く








金曜日

180427

11/10

起床して、ツアーラストまでクアラルンプールを離れるため
マヤンさんの自宅に不要な荷物を置いてツアーへ出る準備をする。

ベースは、持って行っておらずマヤンさん宅にあった
謎のYAMAHAのベースを借りる。シールドや、ツアーの為に借りた
サンズアンプはあるので、問題はなかった。弦も張り替えた。
ケースが真っ白だったのが気になったけど・・・

タクシーで、今回一緒にツアーをするHIROSHIMA LOVERSという
バンドと集合する場所へ向かう。

HIROSHIMA LOVERSという名前が気になりすぎ
事前にBandcampでチェックしていたが、イーストベイタイプの
Fat rec直系のサウンドだった。ほんとに広島好き?!

タクシー代がよく分からないけど、マヤンさんがおごってくれたっぽい。

集合場所に早めに到着して、マヤンさんと別れ、時間があったので
朝食をレストランでとる。到着して初めて現地のナシゴレンを食す。

出てきたナシゴレンは、日本でもありそうなナシゴレンで
初めてだったから、テンションは上がったが、後々これが
普通でないことを理解する・・・意外と日本語が店員さんに
通じていたことが、観光地たるゆえんか・・・

食事を終え、日本にもありそうな、ショッピングモールの前で
待っていると、ライトエースみたいな車が目の前にとまって
いかにもマレー人のようないでたちの男が3人。

一人はタトゥーだらけ、一人はパンク好きそうな人、一人は
私の近所にいるスター極楽さんみたいなファッションのロン毛。

やっとツアーが始まった。ポールの流暢な英語により問題なく出発。

向かうはツアー初日のペナン州クリム。てっきりペナン島へ
行けると思っていたけど、ペナン島から大きく外れた場所でした。

続く




木曜日

180426

11/8

飛行機でまずは台湾へ。トランジットの為、台湾の空港に夜中到着。
早朝まで待たなければならない。トランジットをした事がなく
あまくみていた・・・台湾は、11月というのにやや蒸し暑く
空港内は、クーラーがガンガンきいている。
夜中に到着した為、空港の外にも出れず
ソファーがあったので仮眠することに。

ここがなかなか落ち着けず、結局寝れず。

11/9

早朝、空港内で朝飯を食べ、クアラルンプール行きの飛行機へ乗り換え。
ここからまた5時間程飛行機。何気に生まれて初めての機内食を食べる。
機内食がうまかった。

空港へ到着。英語圏やイスラム圏であることの
他あまり日本と変わりなく、クアラルンプール行きの電車へ。

ポールがいるので、言語については、相当に助けてもらった。
クアラルンプールの福岡でいうところの清川みたいなエリアの駅に
ポールの友人であるマヤンさんが待っていた。
マヤンさんがきっかけで、THE MSGSのマレーシアツアーは実現した。

くたくたの我々は、超広いマヤンさんのマンションへ。
天井に扇風機、玄関がなく大理石のフロア。すげーと思ってましたが
マレーシアの家は、結構こんな家が多かった。

ポールとマヤンさんが英語でベラベラとしゃべっている中
しばしの休息。

ベランダから一望したクアラルンプールの景色は
巨大な都会だった。

夕方、マヤンさんが友人を呼んでパーティーするということなので
我々も同行。タクシーに乗り込み向かったが、渋滞が半端ではなく
おそらく2-3キロの距離を、2時間かけて到着。疲労がすごかった笑

巨大なチャイニーズレストランに着き、マヤンさんの友人達と
なぜか食事会。英語が早すぎて分からず・・・
後で気がついたが、日本だったら相当高級な中華料理店に来ており
そこのプライベートルームだった笑

マヤンさんもそうだけど、友人の人達も一流企業というか裕福というか
中国系、マレー系、インド系、アラブ系、ヨーロッパ系様々な人種の
人達だったが、パンクロックには全く興味がなく、日本の
有名ミュージシャンが、好きとのことだった。破れかぶれの
カラオケに参加し、帰宅。ポールは相当テンションが上がって夜な夜な
喋っていたが、クタクタだったのですぐに寝た。

外は暑かったが、室内は寒いぐらいのクーラーと扇風機で
逆に寝付けなかった。あと、夜な夜なコーランのような声が聞こえて
「ああ、おれどこにいるんだろ」と思った。

「ところで、ライブしにきたんじゃなかったっけ?」

まだ、日本から持ち込んだビニール傘を持っているが
スコール中は、建物か乗り物の中にいて全く活躍せず。

ちなみに、街中でも傘持っているのおれだけじゃ・・・

続く







水曜日

180425

2016年からの生活変化がめまぐるしすぎて、30代後半を痛感してますが
1年半前のTHE MSGSマレーシアツアー日誌を記載しようかと。
日々のアルコール摂取で記憶が遠くなっている・・・

ここも開設して10年も経過してます。
住んでいる家も変わり、10年で生活環境も変わりましたが
なんか全然変わってない事も多いです。
6年程前の交通事故で頭打ってから、緩やかになりました。

2016年の2月ごろ、仕事が少なくて、snarekillsnationの活動に
集中したかった私でしたが、人数も多く特殊なメンバーだったので
自分が思う活動が出来おらず、ライブの本数を絞るというのが
バンド内で話し合った結果でした。

元々、メンバーがそれぞれ他の活動もしていることもあり、
自分も何か他の事をせねばと思ってました。

何かのライブへ行って、道端を歩いている時に、THE MSGSのポールに
会って色々話していると、マレーシアツアーが決まったが、ベーシストが
無理かもしれないという話でした。

ベースなんかろくに弾けない癖に、過去2バンドで弾いたことがある私は
「マレーシアツアーだけ手伝おうか」と伝えたところ、OKが出たのが
THE MSGSに加入するきっかけでした。英語全然ダメな私ですが・・・

それから何カ月か経過し、暇だったはずの仕事が4月から急変し
どんどん職位が上がって、とんでもなく時間もなくなり混乱する中で
9月のライブから、私がTHE MSGSのライブデビューをして、そのまま
マレーシアツアーへ行くことになりました。

7月ごろからベースの練習を始めましたが、10年ぐらい変拍子の
バンドばかりやっていたせいか、シンプルなTHE MSGSの曲が
全く覚えれませんでした・・・

8月になりスタジオに入るも、なかなか覚えれず。
同時に仕事がカオスになり、毎日日付が変わる時間帯に帰宅。

9月になり、やばいと思いなんとか曲を覚えました。
福岡でデビューライブを行い、北九州で1本。(だったかな?)

11月にマレーシアへ渡航でした。
平衡してsnarekillsnationのライブも行っており
仕事も気が狂う程、忙しく午前1時のスタジオに遅刻するほどでした。

でも、マレーシアツアーの為に、一週間仕事を休みました。
帰ってきたあとは、法廷労働時間オーバーが4ヶ月続きましたけど・・・

11/10から11/13までのマレーシアツアーへ渡航した訳です。

雨の降る福岡空港、ビニ傘を持ちこむのはおれだけ。

(続く)










木曜日

180322

1月福山でライブ。2月は福岡で2本ライブ。3月は高松、松山、高知と
以前の自分を取り戻すような3ヶ月だったけど、体はやっぱり加齢しているのか
自己管理がなってないので、右肩がずれて、手がしびれる。

もう、3年前ぐらいからずっときつかったけど、単純な筋力不足という事は
分かっているので、どうするかなと思い、今年38歳っす。

4月は東京で3本のライブ、5月は福岡で2本の予定。6月は京都、徳島。

今年は、東南アジアも何カ国か。40までは突っ走ります。

土曜日

180203

明けましておめでとうございます。の実感もないまま2月に入ってしまった・・・

正月は、仕事しながら実家へ帰ったりしててただ移動してるだけで、
新年の実感もなかったけど、15年ぶりに会う従妹とか、10年以上話すことがなかった
弟と話すようになったり、おかしな事が色々。

訃報が最近多くなりました。年齢的なものだと思います。

今年は、ギターを人前で弾く予定が10年以上ぶりに全くないので、
どうなる事やらです。なぜかベースは、多いですけど。

火曜日

171226

10年前に思い描いた程、成長もせず。どんどん失われていくが多い。10年前の今頃は、3月に初ライブをする為に必死で動いていたし、更なる別のバンドも動いていた。ライブに足を運び、色々と新たな影響や情報を得ていた。当時に比べたら動きが遅くなってしまった。今年、この10年間で個としては、何も生み出せず、ただ言われるがままに動くことが多かった。このような生活をしていれば、それはそれは世の中の動向などを追う気も起きないし、身近なことも分からなくなる。発想力が低下する。来年から少しづつやりなおし。