Sonntag, 24. September 2017

2017 年ドイツ東洋学会(於イェーナ)参加記

今週イェーナでドイツ東洋学会に参加しました。私は一日半ほどしか参加しませんでしたが、旧交を温めたり、有名人たちに超たどたどしい英語で話しかけたりと、自分なりには社交的であったと評価しています。あぁ、自分自身も発表はしたのですが、応募するセクションを明らかに間違えていて(内容的に哲学セクションで発表すべきだったのに、イスラム学で出してしまった)、その点はかなり名残惜しいのですが、覆水盆に返らずということで、忘れます。以下、個人的に興味を惹かれた発表三点について、メモにもとづき、簡単な内容紹介をしておきます(ただし自分の関心にかなり引きつけられている点に注意)。

・Vicky Ziegler によるマスラマ・クルトゥビー(964 年没)の錬金術著作の紹介

彼女はクルトゥビーの著作に示されている「哲学者の卵」(=賢者の石?)の構成(卵の殻=普遍的知性、皮=普遍的魂、白身=天球、黄身=質料)を図示していたのだが、これがジャービルの Kitāb at-taṣrīf で示されている宇宙の構造と一致していて、思わず身を乗り出した。何らかの影響関係が言及されていたのかもしれないけど、それは聴き取れず。

・Dmitry Sevruk によるドゥルーズ派新出写本の内容紹介。具体的な著作名はメモしそこねたが、ひとつカーディー・ヌウマーン(974 年没)の著作に大幅にもとづくものがあるという点に、いたく興味を惹かれた。ヌウマーンはファーティマ朝のイデオローグだった(と記憶している) ので、それに大幅にもとづくドゥルーズ派著作というのは、何とも面白い。批判的に言及しているという可能性もあるのだろうが、発表者が Quelle というよりはヌウマーンの Bearbeitung だと言っていたので、たぶん内容面でもヌウマーンに従っているのだと推測される。あと、これとは別著作(またしてもタイトルをメモしそこねた)で、ナーセル・ホスロウ(1072 年以降没)の詩集から一節だけ引用しているものもあるらしい。ペルシア語のまま引用されているのか、アラビア語に訳して引用しているのかは質問しそびれた。

・Stephan Tölke による、マムルーク朝下で活動した詩人・学者イブン=ヌバータ(1366 年没)の統治論に関する紹介。為政者はコーランやハディースではなく、ḥazm = prudence にもとづいた統治を敷くべきと主張されているらしい。コーランやハディースよりも azm に重きを置くというのは、素人目にはけっこう衝撃的に映るけれど、当時としてはこれが普通にありえた考え方だったりしたのかもしれないし、自分の知識だけでは全く判断できない(素人考えでは「コーランやハディースにこそ、人間のもっとも prudent なあり方が示されている」等と主張されそうな気がしてしまうけど)。ちなみにマムルーク朝ということで、エジプトに行くことが決まったファナーリー(1432 年没)が友人らから「存在一性論的なことは口にするなよ、危険だから」と諭されたという逸話を読んだことがあるけど、意外と当時のカイロにはオカルト学者のサイイド・フサイン・アフラーティー(1397 年没)のような人物も住んだりしていて、マムルーク朝=超厳格なスンナ派国家というイメージ(私がマムルーク朝研究史をきちんとフォローしていないから、そう思いこんでいるだけの可能性大)は短絡的にすぎるのだろうと思った。またそこから、当時存在一性論は哲学(falsafa)として批判されていたという、東長先生の一連の研究を思い出したが、その一方で当時のカイロではマフムード・イスファハーニー(1348 年没)のような哲学の影響をモロに受けた神学者も活動しており、このことを考えると、「哲学として批判する」というのがそもそも一つのレトリックで、実際には別の動機(政治的な対立関係とか?)があったのかも、などと、発表の本論とは関係のない方向に思考が脱線していった。質疑応答では、azm というのはアリストテレスに遡る概念だから、アリストテレスも確認してみたほうがよさそうとのコメントが付けくわえられた。

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