(草稿-エスペラント語とインターネット共通語である英語の違い-)
マルクスが予測できなかったのは通信技術(情報伝達)の急速な発展とその影響力であったという。
事実、ベルリンの壁の崩壊にあたっては反対勢力による無益なクーデター騒動もなくさも自然に行われ、ポストモダンという言葉を出すこと自体いまや少々カッコ悪いのであるが、ソ連邦の終焉に伴い、世界は一つになってしまった。
経済基盤を押さえられていることもあって、アフリカ世界はまだ西欧への隷属的精神から抜け出ていないが、アラブ世界は相対的にエキセントリック度を増して、ポスト・ソ連邦的存在となっている。アフリカ世界には広島・長崎に落とされた原爆の材料にもなった鉱山資源が豊富にあるが、今のところそれがアラブ世界における石油資源ほど国際政治の切り札にはなっていないようである。
といってもやはり20年前に比べたら今はやはり世界は一つであるかのように見える。以下、インターネットを眺めて見た結果である。
結婚相手以外との性的交渉が宗教的に禁じられている国からのポルノコンテンツを求める熱気はすさまじいものがあるし、ユダヤ教徒の14歳の女の子とチャットで話してみれば、聞かれることはSEXの経験談ばかりである。その他音楽でもなんでも、通じない話はあまりない。世界は狭くなったと感じることしきりである。
プロパガンダ展ではエスペラント主義団体の機関紙も展示されていた。インターネット時代の前に存在した、世界が一つになることができた理想郷、いや環境か。
インターネットの普及は結局、世界共通語としての言語がデファクトスタンダードとして英語に決まってしまった。言語の違いは多分に独自文化にひもづくものである。ザメンホフのエスペラント語に共感を得た人々は、その新言語に(それ故の)未知の世界を(文化を)見たのではないだろうか。その点、インターネット世界及び世界共通語となりつつある「英語」にないものである。
フランスの「アカデミー」はもともと、リシュリューらによるフランス語による文化的世界支配構想の上に創設されたものであった。