家に帰ってきた時に娘がピアノを弾いていることがある。「エリーゼのために」だったり、「風の通り道」だったり、「虹色」だったりと、様々な曲が聴けたりする。発表会の練習とか、それに飽きたら適当に遊びながら弾いたりとか、他の人からは雑音になるようなのも多いのだが、最近その音が心地よく感じている自分に気づいた。優雅な感じになるのだ。贅沢なこんな時間は長く続かないだろうとも思ってしまうのだ。
美味しいもの食べたり、素晴らしい景観を眺めたり、幸せは様々かと思う。だけど、生活が豊かになり、充分過ぎるぐらいに味わってしまい、ずっと幸せの飽和状態を感じていた。そんなことを感じていた中、最近この何気ない日常の至福に気づいたのだ。何てことはない。子供と一緒に遊んでいることが、何よりも贅沢なことに気づいたのだ。
折角の三連休だから、遊びに連れて行こうかな。
ほんと、久しぶりの更新。
書きたいことが無い。
そんな感じで、ブログが途絶えてしまった。
書きたいことが沸いてきたわけではないのだが
久しぶりの出張の帰りの電車で読んだ本に
触発されて、何かを書き残したくなってしまった。
読んできた本は尾辻克彦の『父が消えた』
物語そのものよりもおもしろいエッセイ集といった
感じの小説で、
亡くなった父の思い出を中心に
いろいろな『私』の考えたことが書き連ねている
といった内容のもの。
まずは
『いつもの乗る方向とは反対の電車にのる楽しみ』から、
『旅の楽しみ』と移り、
→乗り物の移動の楽しみ→馬車→馬糞→ボール紙(馬糞紙)
と続く。。。
その時点で、『私』自身は、もう一人の登場人物に突っ込まれて
思考は停止するのだが、こんな調子ですすむ。
また、電車から見える景色を『めくる』と表現したり
その描写も1つ1つが楽しく進む。
父の死がベースとなって話は進むものの
その話しの脱線の仕方がなんとも軽くていい。
うーん
違う。違う。
こんなことを書きたかったわけではないのに。。。
真剣に吟味したお土産のさつま揚げのことや
ぽつりぽつりと振っている雨音の響きや
いつも寄るコンビニで出張帰りでスーツ姿の自分を見て
『おっとこまえやから、気づかんかったわー』と言われたことや
塗れたアスファルトに照らされた車灯を見た時の
思い出しそうで思い出せない懐かしい思い出(?)や
そんなんを書き綴りたかったのだが。。。
ブログで、ほとんど毎日書いていたことが不思議に思えるぐらい
何を書いたらいいのかわからない。