【殴り】情報流通プラットフォームとしてのTumblr考察【書き】
Tumblrの情報流通プラットフォームとしての側面を考察したい
・たぶん要点
1.有意志マシン化情報ルーティング
2.マシン的加速度
3.情報ドリブン
(※書きなぐり→めんどくさくなって投下 のため読みにいことに留意)
Tumblrで 誰がFollowしてくれない とか してくれる とか しない とか非常に面白い
Tumblrは情報ルーティングを感情をもった人間がやることで人間特有の感情や感覚、他者との多元的な関係性の中で情報伝達ルートが変容するのが面白い
数年前から提唱され続けているセマンティックWEBでマシン理解可能なメタを用意し、それをベースにマシンが情報ルーティングするような世界も予想されていたのだがTumblrはそれを人間がやっている
これは検索で言えば初期の人間による登録と精査のモデルがマシンによるアルゴリズムで自動化されそしてソーシャルな人間関係に基づいた検索へと移行しつつある様相とは異なる
情報の流通が初期はRSSによる収集側の登録によるプッシュからセマンティックWEBをベースとしたマシンによる情報プッシュを飛び越えて人間がプッシュする形態になっている
Tumblrが面白いのはソーシャルグラフベースの情報流通プラットフォームを用意したらブラウザ拡張やiPhoneAppやWebApなど人間がルーティングする情報を選別するタイムラグを極小化するインタフェイスが登場したことだ
これにより人間がより人間の限界に近づいて情報ルーティング可能となった
その限界近似でルーティングする人間を多数集フォローすることでマシンが提供するルーティングに匹敵する情報受信を可能としたことだ
かつマシンには存在し得ないそこには意思や感情や、マシン化した人間間の常に変容する関係性が内在することになった
このことが意味するのは情報の流通という事象が最早当初の想定を外れ新たな局面に向き合っているという現実である
FBにもTwにも情報をルーティングする機能はある
情報流通の手段としてTumblrと似たような使い方も可能ではある
しかしながらTumblrが特異であるのは 「受容可能情報量」 と 「受容限界速度」 にあるといえる
それを可能としたのがDashboardカスタマイズのjkt革命である
「単にできる」 と 「速度と量を伴ったできる」 は全く異なるということに留意すべきである
またTumblrのDashboardのインタフェイスそれ自体にも注目すべき点がある
例えばFBと比べてみれば一目瞭然なのは無関係な情報量の多少である
流通の主である情報以外の情報がFBには多い
Tumblrでは主になる情報以外は非常に少ない
この点を注視する言説が稀なことは誠に不可思議であると以前より感じていた
情報はそれ自体以外のノイズが少なければ少ないほど研ぎ澄まされる
雑踏の中で聞く音楽と静寂の中で聞く音楽が果たして同じに聞こえるだろうか
そういう意味でTumblrはWEB上に展開された人間がマシン化した世界を体現する加速的情報ドリブンプラットフォームであると自分は考える