2015年5月31日日曜日

私は考えるために生まれてきた。


写真は、祖母の家から見える夜景。遠くにサンシャインが見え、映ってないけど新宿も遥か彼方にみえる。ベランダから顔を出せば、スカイツリーも見えるが東京タワーがマンションに隠れて見えないのは惜しい。さて。

最近になってやっと、病気などで死を恐れる人が、よりによってその怖がる対象である死を自ら選ぶ理由が分かった気がする。
だって、そうだろうが。本末転倒じゃねえか。死にたくないつってのに、何で死ぬのさ。

でも。私は大人の階段を裸足でまた一歩登りました。ウフ。

死を恐れているために、その過程の不安がってる気持ちに耐えられないんだ。いつ死ぬだろう、どう死ぬだろう、死んだら痛いのか、苦しいのか、死の先に何かあるのだろうか。
そう考える事に疲れてしまうのではないか。実感として体験した。

このブログ、もう読んでる人などいないだろうとタカをくくっていたが、先日緊急帰国した際に二人もの人から「ブログ書いてね。待ってるから」と言われた。驚いた。

もう私はウクレレ弾きでもないし、そもそも私のブログはステチなストックホルム在住のほっこりブログではない。ドロドロで、ザラザラで、時々どこかに飛んで行ったりふっと消えてしまうような安定感のない、コンセプトのないブログだ。

あえて言うなら、頭の中をさらしてるブログだが、その書き手がたまたまスウェーデンに住んでいるだけで、ダントツに情報感ゼロなのだ。だから期待しないで……と書かずとも、今更期待する人はここにそもそもこないので安心して進む。

さて、最後のブログからかなり時間がたってしまった。その間の近況報告をさらりとしてみよう。

11月、あるアウトプットを思いつき、作業は現在にいたる。これはここでは無視。
それと同時に再び腹部に鈍痛を感じ、結局4月に盲腸が発覚して手術するまでこの鈍痛が続く事になる。
12月、アウトプットのかたわら旦那の妹ファミリーの住むベルギーにクリスマス休暇で出かける。
ベルギーはノイハウス、ゴディバなどのチョコレートが有名だが、今回はダイエット中、というかこれ以上体重を増やしたくなかったので購入せず。11歳の義理の甥っ子にうっかりパンツ姿を見せてしまって、トラウマにならないか心配したりw
1月は自分と旦那の誕生日で、かねてから少しだけ気になっていたノーベルディナーを食しにスタッドヒューセットに。このころすでに私たちの物欲はスウェーデンの森の彼方で「物の代わりに消えもので」とあいなった。
味はそこそこ、値段と釣り合わないと思ったけれど、実際のノーベルディナーと違って、料理してすぐ食べられるから美味しいというのでそこに金を払ったってことで納得する。
他にもビジネスで来てるっぽい日本人のおっさんリーマンがいた。
2月、アウトプット中。特出すべきことなし。
3月、いよいよ鈍痛が激痛になり緊急受付へ。でも脳梗塞の薬の副作用とか言われて帰る。納得いかず。産婦人科で二人のイケメンに二本指をあそこに入れられグリグリされるところを旦那にみられるという屈辱プレイまでしたのに。私やっぱりMではないなw
その2日後、どうしても痛みが引かず、再び夕方緊急受付へ。
ここで血液検査の結果盲腸と出て、その翌日(夜中2時!)には手術台に乗っていた。全身麻酔の空気を吸うとき、ちょっと怖かった。だって横になっただけで実は私、頭に血が上って少し息苦しくなるの。このことを話してなかったから、気を失ったまま呼吸停止ってやだなって思ったけど、目が覚めたので一安心。
でもその目覚め方も、意識もうろうで(モルヒネだったんで)その後の感染症も重なって、ずっとお腹が痛くて痛くて辛かった。家に帰っても歩けないし……旦那には本当に悪い事した。また泣かれたし。
その1ヶ月後、ストックホルムのお祭りで着物を売る機会を得て、頑張って着物を着て(全部見えないところはごまかしたなんちゃって着付けだったけど)体力持たせた。
でも実はこの当日の朝、母親から父方の祖母が危篤だと連絡が入っていて、気がきじゃなかった。夜連絡してみたら、まだ状況はよくわからないとのことで、私は次の日の午後2時にはもう飛行機に乗っていた。今は前日までなら普通の値段でチケット買えるんだね。助かった。
成田に着いて、その足で都内の病院に行った。祖母と顔を合わせたら「病院にいなくていいの」って逆に聞かれた。私が盲腸やったの知ってたか、脳梗塞のことだと思って、自分自身が病院で寝てるのに人の心配なんてって思うと、切なかった。
それが私と交わした最期の会話で、何だかしんみりする。
ちなみに私はフェイスブックをやっていて、ずっと音沙汰なし、ロムもしてない状態だったのだが、昨日、日本の119番にあたる112に電話して初めて救急車を呼んだという貴重な体験をしたので自慢したくなったw
ここで同文を載せておく。

久しぶりに近況報告。
約一ヶ月前、ストックホルムで開催された「桜祭り」に着物のお店を出店、楽しかった。
しかしその日の朝、父方の祖母が危篤との連絡を受け、店舗撤収後連絡、翌日の419日緊急帰国。成田到着の足で行った病院で、会話を交わし(結果これが最期の会話に)「落ち着いたねー」などと言っていたのだが、帰国予定日の前日、祖母が永眠。
お通夜と告別式の日取りが決まり次第、帰国日を伸ばし523日に変更、結果最後まできちんと祖母とお別れすることができた。
急な帰国だったし、いつなにがどうなるか分からない状況と素直に気分が乗らないのもあって、一ヶ月以上も日本にいたのに、友人には誰にも連絡していなかった。皆さんすみません。
時間に余裕がある時は、地元の100円ショップ、乗換駅のユニクロかブックオフ各店(+池袋のジュンク堂)。結局この4種店だけで私の用事は全てまかなえた。すげえ。
本はたぶんトータル3万円くらいは使ったと思う。いま私に必要なのは、日本語で手に入れる「インプット」だったとこれで気づく。船便でスウェーデンに送ったので楽しみだ。
桜祭りの一ヶ月前には盲腸で緊急入院(スウェーデン)。そして昨日は……人生二度目の、スウェーデンでは初めての救急車に乗った。あ、でも112に電話したのは初体験だったなあ。一回目は玉突き事故だったから。緊急電話なのに一分以上も出てくれなくて、スウェーデンの救急車って忙しいんだなあって思った。そして、あとで救急隊員のイケメンに「手握っててください」とか恥ずかしいこと言わなくてよかったなあと思ったw
一昨日受けた脳血栓(脳梗塞とは別枠w)定期検査のためのCTスキャンの陰影剤?にアレルギー反応が出て、翌日になって心拍数が急激に上昇、同時に呼吸困難になって体も震えるし、旦那も仕事に行ってる昼間、家には私一人だけだったので思い切って救急車呼びました。初めて呼ぶのでどうしようか迷って、お金かかるっけ?って余計なこと心配したり(スウェーデンは救急車は無料だった)、それでもっとドキドキしたかもw
でも後で、正しい選択をしたと安心した。早急に正しい決断をする時の心の決め方に覚悟ができて、別な大人の階段登っちゃったなあと思った。
何で救急車呼んだかというと、息が出来なくなって苦しくてパニックになったから。でも苦しくなければ、死ぬ一歩手前まで112に電話するかの決断なんて覚悟は必要ないんじゃないか。
今や死ぬ事と天秤にかけて勝ちうる「生きる理由」を見失いつつあり、旦那を無邪気に困らしており。品揃えが悪い柏のブックオフで流れてたラップで「親より先に死ぬのは親不孝だ」とか言われ、何でお前にそんなこと説教されなきゃいけないんだとイラッとして、自分が避けてた本心に気づく。本を待ってる気持ちとは裏腹だ。どうすっかなあ、この精神状態。
まあ、まとまってないけど。以上、近況報告。
今のうちに連絡したくなったら、気軽にどうぞw

だってさ。……今や病気のデパートと化してしまった、今まで健康体だった自分だが、昨年の脳梗塞をきっかけに強制的に考えなくては行けない事が増えてしまった。

それは、この先どうやって生きるか、だ。
今までは、三十代の中盤に、自分としては劇的なバンジージャンプをして仕事を辞め、ウクレレに生きる誓いを立てあえなく挫折し、ドイツのウクレレフェスに行って未来の旦那と出会い、ハワイで英語を勉強し、結婚するためにスウェーデンにやってきた。移住して5年。結局、私の心底から二段階目くらいにくすぶっている「社会や人に必要とされたい欲」を満たせない自分にずっとずっと焦りを感じ続けていた。
仕事がない。仕事ができない。息もできないくらい。

私には子供がいない。だから、私の祖母のように家族に囲まれて泣いてくれるような葬式はできないだろう。べつにそれが理想でもないけれど。
親にこんな悲しみを与えてはいけない、と実感したのは事実。私と同い年の男性の名前が書いてある骨壺を見た親戚が、自分の息子のことを思って思わず泣いてしまったのを見たから。
そして概出の、ブックアフのラップだ。ちくしょう、ブックオフのくせに。

私は祖母が亡くなったとき、一生懸命祖母を捜した。天井に。きっと旦那の義理のお父さんのときみたいに「わかる」と思ったからだ。
でもわからなかった。なにも感じなかった。ぜっと昏睡状態が続いていたから、もう準備ができていたんだろうか。義理のお父さんは心筋梗塞で急死だったから、自分でも死んでるのかよくわからなくてあわてたんだと思う。私は悔し紛れに今回のお坊さんにもそれとなく今祖母がどういう状態なのか聞いてみたが、要領を得なかった。うーむ。

私がスウェーデンに帰国してから、救急車に乗ったりしてる中で感じた事は、とにかく自分が「死にたくない。これをやらずして死ねない」ことをやり遂げたい、やりたいということがあると発見したことだ。実は日本の銭湯でまるっきり今回と同じ呼吸困難を体験したのだが、その時の方が一回目だったからより鮮明だったのかもしれないが。

でもそれは、はっきり余命があと半年です、とか一年です。とか、明確にされた人にしかできない決断なんじゃないかとも思う。私は残念ながら、明日死ぬか、30年後に死ぬかわからない中で予定を立てられない人であるw

でも考えてみると、30年先のことを考えて計画して行動して、その途中でも死んでも、明日死ぬかもと思って毎日毎日をリセットしながら生きても、それはそれで道が二種類あってどっちでもいいんじゃないか程度のものだとも感じる。
死んでから「ああ、結局こういう道を選んだのね、私」って納得するだろうから。

今ネックになってるのは「明日死ぬなら~~をやっとかないと嫌だ」とか「30年後に死ぬなら~~をやっておきたい」とか考える


のことだ。人間どーーしても欲がでる。でも物欲じゃない。生きた証を残したいとか、人の為に何かやりたいとか、最期まで特別でいたいとか。そういうやつ。

一番最後の欲は、今、ブログのタイトルにさんさんと輝いている。
私は死ぬ前に、どうしてもあっちの世界の人とコンタクトを取りたいのだ。死ぬ前に!

ブックオフで念を押され、斎場でもさらに念を押された私には、今や自死を、という選択肢も選べなくなり崖っぷちだ。前も後ろも詰まってる。

求職をしばらくやめたい、と明日旦那に言ってみるつもりだ。旦那は100%了承してくれるだろう。私自身が私自身に許可を与えていなかっただけだ。誰に必要とされない上で生きる「隠遁者」になる道を。人のやりたいことはその人ためじゃなくて、自分のためなの。だから誰に必要ともされない人生になるのだ。

そして、アウトプットをしつつ、そのためのインプットもしばらく続ける。私は女だからね。同時にいくつもの仕事ができるからw
私の中の一番下にある欲を満たす為に。自分自身の為に。


私は考えるために生まれてきた。最近特にそう思う。でも最後のブログには考えるのはもう飽きたって書いてて、ちょっと前の自分をナデナデしてあげたいなあとも思う。

2014年11月17日月曜日

狂ってる。


今日、英語のライティングテストでした。

結果はまだわからないけど、今日そのかわりに前回受けたヒヤリングとリーディングのテストが帰って来て、A-F段階の内、Dでした。ううーん。

Fだと落第なんだけど、かといってAとかBとか取るのはほとんど完璧じゃないと取れないわけで、私はAとかBとか取るなら、そのクラスにいる意味ないと思ってるわけで、だからC-F判定の内真ん中だった…と一人で納得して安心した。
そこまでぐるぐる一気に考えて、やっと安心した。

英語のクラスに落第してもまた同じクラスを受けられるし、そんなに落ち込む事はないんだけど、自分で勉強するように設定して通ってるクラスで、焦らずにやろうとかいうのは矛盾してるって思うから、やっぱり焦りたい。暗記も、そして英語の課題本もやらなくちゃ。

最近、この英語の勉強の他にすごくのめり込んでやってる事があるんだけど、どんなことであれ、何かにのめり込めるなんて、私って幸せだよなあと思う。環境とか、情熱とか、無神経さとか、そういう意味で。

毎日、三時頃にはもう外は真っ暗で、旦那が世話してるチリの植木はライトを家の間接照明代わりに照らしてる。赤いベル型のと黄色い普通のかたちのと二種類。夏に毎日食事してたガラス張りのベランダもどきは、もう寒くて冷蔵庫代わりに食材を置いたり、庭で拾ったリンゴの保管場所になってる。

最近、鹿は見かけないけど、多分私が朝まで起きてて、旦那と入れ違いに寝るころに草を食みにくるんだろう。そとでは、鳥がえさの取り合いをするようになった。そろそろえさの豊富な時期も終わるんだろう。

クリスマスのデコレーションはおろか、2月に食べる「セムラ」ってシュークリームみたいなデザートを、スーパーのケーキ売り場で見かけて、いったいどうしたんだ、スウェーデンの季節間隔はと思う。

もう冬だ。どんどん沈んで行く。表面は元気でも、どんどん深くはまっていく。それもいいかもしれない。考えるのはもう飽きた。感じるのはもう疲れた。少し、どっかに逃避行したい。

2014年11月11日火曜日

心のお風呂にゆっくり浸かる。


あれれ~気がついたら、もう満月過ぎちゃってた。やばい!せっかく2サイクル目の幽体離脱ノートまで作ったのに、開いてもいない。ってことは、月の満ち欠けを気にしてもいないし、もちろん離脱トレーニングもしてない。

授業には、なんとか通ってるけど、この三年寝太郎の三日坊主は、三つ子の魂百までなおらない。

しかも、ちょっと楽しいことにはまっちゃった。おかげで最近旦那がいるにも関わらず、朝まで起きてて旦那が起きてくると交代でベッドにバタンキューで昼まで寝てる…という生活をもうここ1週間くらい続けてる。あ、けんかしてるわけじゃないから大丈夫。いつも通りラブラブですw

世の中には、本当に数えきれない程楽しいことがあるよね。でも、その楽しさって、自分の気持ちに余裕がないと楽しめない。同じことを体験も、楽しい時と感じる時と全然楽しくない時と気分によって違う。

シャーロックって、カンバーバッチが主役やってるイギリスのテレビシリーズがあるんだけど、こっちで再放送し始めたから、そろそろ新シリーズが出てくるかしらと期待してる。

昔は、テレビドラマとか「受け身」で見る娯楽があまり好きじゃなかったんだけど(なんという、子供ゆえの勘違いっぷり…)、気分が下がってる時は受け身でもいいから気分が盛り上がるものに見たり触れたりするのって大切なんだなあと思う。まるでお風呂に入って、体を温めるみたいに。

今、心のお風呂に入ってる気分。ストックホルムの11月は、毎日曇り空で暗くて、時々雪が降って、それでいてクリスマス程の盛り上がるイベントまではまだ早いし、皆少し気分が落ち込んでいるように感じてる。

映画を見なさい、テレビを見なさい。本を読みなさい。漫画を読みなさい。アニメを見なさい。心のお風呂に浸かって、ゆっくりしなさい。人恋しければ、会いなさい。電話しなさい、手紙を書きなさい。その人のことを思いなさい。

自分に言い聞かせて、今日も夜を一人で過ごす。
なんか、ちらりと明けの明星が見えるような、そうでもないような。

2014年11月2日日曜日

スウェーデンのお盆と味噌仕込み完了。



あーいかんいかん。
またまた離脱トレーニングもヘミシンクもきかず、日本の胸きゅんアニメとか続けざまにみてしまった。そして、味噌作り…

胸きゅんのまま作った胸きゅん味噌は、計算を間違えて、少し麹が多い味噌になってしまった。6ヶ月後が怖い。しかも塩も途中で在庫がなくなり、どーでもいい塩を使った。しかも多分ちょっと足りなめ。麹の重量を、麹を作るための米の量のままで計算してた。麹になったとき、量り直さないといけなかったのに。メモメモ。ああ。すこし酸っぱくなるかも。青春の味がする味噌って、意味ないわーw

というわけで、まったく精神的に成長してないわけだが、今週末はスウェーデンのお盆とハロウィンだった。

私がスウェーデンに来たとき、まだハロウィンはスウェーデンに浸透してなかった。でも毎年、年を追うごとに、習慣ができてきたのかもしれない。おかげで、用意してたお菓子が足りず、家に来るお化け達に十分なお菓子をあげられなかった。

スウェーデンのお盆は、墓地に行ってお墓の前にお花やキャンドルを置く。その日は、家に近いでっかい墓地も綺麗なキャンドルの明かりで幻想的になる。今年は夕方まで雨が降ってたからあんまり来る人もいないかなって思ってたけど、夜になって暗くなったら、たくさんの人が集まって、たくさんのキャンドルを灯してた。ちょっと頑張って出向いて良かった。いつもなら閉まってる教会も、7時に閉まるぎりぎりで入れたので、初めて中を見る事ができた。

ここは墓地の中の教会だから、街中にある教会と違って、真ん中に台がどかんとある。そして、入り口から続く二本の線。ここから直接車が入って来て、亡くなった方が移動するのだ。うーんめっちゃ実用的。その台が下に下がって消えるっていう劇場型の台もあるらしいけど。

写真は、3つあるうちの一番小さい教会。左端に見えるのがその台。何か、お祈りするための膝受けっていうの?が新鮮だったんで写真とってみた。一番大きい教会は、正面に絵が(タイルかな?)がばばーんとあって、その絵がすごく変わってて印象的だった。真ん中に光る帆船、その周りに泣いたり、船の門出を見守る人たち。なんだ、スウェーデンでもやっぱり死んだら何もないって思ってないんじゃん。

墓地での私は始終「何か見えないかな~~~」と暗闇を見ていたけど、結局何も見えなかった。ちえ。でもきっと寝ていたご先祖様や友人たちは嬉しかったに違いない。良かったね。

スウェーデン人にも幽霊が見えたりする人がいると思うんだけど、そういう人ってどうしてるんだろ?ヘミシンク人口ほとんどゼロだったら、さぞかし自分でどうしようもなくて見えないものに振り回されるだろうに、とか思う。今の私は、生理に早くなりたい小学生みたいな気持ちだ。大人の証拠が早く欲しい。皆が口を揃えて「こんなのない方がいいよ」っていうから、余計欲しくなる。

2014年10月28日火曜日

忙しくって、離脱に集中できない…


ああ、先週今週は忙しかった。今日は写真なし。

英語の学校では、テストに課題提出に忙しく、週末は旦那と「せめてインテリアをおしゃれにして、人に馬鹿にされない家に住もうキャンペーン」を実施したため、大量の服を整理して捨て(リサイクルの店にあげた)、キッチンのだっさい割れたランプを新しいの買える為に天井をペンキぬりしてランプを変え、退院してから初の着物出張セールと出張着付けに行き(もちろんみっちり練習しました)月刊少女野崎くんと黒執事Book of Circus全話を見たw
ああ、忙しかった。

28日間の幽体離脱トレーニングは上手く行かず、シーズン2に突入、でも最近二度寝してないので、いまいち効果がわからないってか他の事が忙しくて期待してる暇がなかった!これはいかん。

せっかく買った幽霊屋敷の本も、英語の課題図書で手一杯で読めてないし、せめて、今日届いた20gの種麹(結局20g全部送ってくれてありがとうママン!)のために逆算して白米と玄米を水につけてる最中。あー忙しい。

今のところ続いてるのは、砂糖断ちぐらいかしら。「やり続ける」より「やらな続ける」の方が、人間何かとやりやすいわよね。

さらに、そうこうしている間にストックホルムのキノコ狩りシーズンは終わろうとしていて、今日散歩がてら森に行ったけど皆無だった。突然終わるキノコシーズン。やだー怖いわ!本当に突然消えるかわ怖い。

あんまり今回は大した情報ないけど(今までも特にないけど)一つだけ特記するなら、今週はハロウィーンなのだ。スウェーデンでもハロウィーンじゃないけど、亡くなった人を追悼するためにお墓にいくお盆みたいな日が今週末ある。

この日は、近くの世界遺産である墓地にたくさんのろうそくが灯されて、とても幻想的な風景なんだけど、それになんとか便乗して、うちにも「何か、または誰か」来てもらえるように、おもてなしの家具を取り揃え中。目標は、スウェーデンの妖精さんまたはご先祖様と同居!スウェーデンスタイルのおもてなしで、テーブルセットを買いました♡あーますますリアル友達は作れなくなるなー。

2014年10月19日日曜日

味噌がないなら麹を作ればいいじゃないの。 byアヤーアントワネット



私はスウェーデンに来てからの4年、こっちで一度も味噌を買ったことがない。
来たばかりの頃は日本から持って来てた味噌で足りてたし(あまり日本食を作らなかったので)3年前から味噌を自分で手作りするようになったからだ。

思い起こせば、3.11。発酵食品の大切さに気がついた私は、米のとぎ汁乳酸菌ととりあえず作れそうな味噌に挑戦、なんともおいしい味噌がたくさん出来た。2011に作った写真の味噌は黒味噌みたいに真っ黒になり、味は濃厚です。

麹は日本の麹屋さんから取り寄せたので、あまり放射能ゼロ、とは言いきれないのだが。滅菌加工なんてもちろんしていないのでいつまでも保存できるし、腐らない。もちろん発酵食品なんで。

でもここがどうやって説明も分かってもらえないところなんだよね。発酵食品に賞味期限があるのは、それは殺菌してしまうからであって、さらに単に作る人と売る人と日本政府の都合上の問題であって、オリジナルの発酵食品は腐らない。発酵するだけ。

でも、私も買ったドブロクが発酵しすぎて爆発したりするのは嫌だから、それは仕方ないw

で、その味噌。半分以上を日本に住んでいる家族に逆輸入し、あげた。すっごくおいしいはずだけど、通常ならすでに入ってるだしを入れないといけないのでめんどくさがっているに違いない…。

昨日たまたま倉もどきを見たら、あらあれ、忘れてた。そうだいっぱいあげたんだっけ。もうすっかり味噌がない。最近はほとんど毎日和食だし、減りも早いし。
冷凍庫に2パック(500g)の冷凍みやこ麹があるので、すぐにでも作れるのだが、ここで考えた。例のマクロビ女性が「麹も手作りしてる」って、そういえば言ってたなと。

たしかに、麹を自分で作れば安いし、わざわざ日本から取り寄せる必要もない。スウェーデンにはもちろん売ってない。

20gの種麹から15キロの麹ができるらしい。米とか大豆とかは国産じゃないけどコッチで買える。麹が豊富にあれば、味噌はおろか、甘酒やどぶろく、日本酒にみりんもできる。何でも作りたい放題だ!これはやらないといけないんじゃないかしら、アヤーアントワネット?

とはいえ、手元に届くのに約1-2週間、種麹から麹を作って1週間、その麹から味噌を作って待つ事最低3ヶ月以上。あーその間に今手元に残ってる味噌で足りるかなー。とりあえず、冷凍みやこ麹で作っておくかな?

というわけでとりあえず、ネットで買った種麹をママンに送ってもらう予定。20g買ったけど、そんなに急に沢山は使わないので、小さじ2杯位をお年玉袋に入れて定型郵便で送ってと頼む。

さてさて、白いお粉は無事にスウェーデンに着くのでしょうか?エコロジーの大豆も買っておかなくちゃ。

2014年10月18日土曜日

砂糖断ちして離脱するの。



いよいよ、実行だ。写真はある日のお献立一例。スウェーデンで毎日玄米食べてるよー。

さて、気になりながらもやっぱり避けて通りたかった体の問題。もうこれ以上太れないし、脳梗塞再発は嫌だ、
旦那の体の事もすごく気になってたし、軽い気持ちで「砂糖絶ち」を昨日突然提案、今日からしてみることに。

砂糖断ちすると、ダイエット効果よりも肌がきれいになったり、視力が良くなるんだと。へええ。

でも、きっかけはマクロビオティックを実践してる方が「脳梗塞は、左の脳だったら砂糖が原因って言われてるよ」と言ってたから。砂糖が血管をおかしくするのはなんとなく分かってたし、日本に帰って、おいしいお菓子を「スウェーデンで食べられないから」っていって、いつもより多く食べてたのが原因ってのも、なんとなく分かってた。

砂糖。私の全て。でも、やめてみれば何か変わるかも。
しかも、今までだったら多分絶対やめられないし、やめる気にもならなかっただろう。でも。いいアイデアがふと浮かんだの。

「砂糖断ちして願掛けするのはどうだろう」

もっと後ろの人たちを見たい、聞きたい、話したい。ヘミシンクでもっと体験したい。幽体離脱して空を飛びたい、宇宙に行きたいって夢を砂糖断ちして、叶えるのだ。

フルーツは普通にたべるけど、お菓子とかデザートは食べない、料理にも砂糖を使わない。本ミリンはどうしようかまだ悩んでるけど、使わない方向で。甘みを口にするとそれが呼び水になりそうな気もするし。
結構これだけで、普通の甘いもの好きな女は悶絶するだろう。私も多分するかもしれない。でもいつもより少し冷静なのは、自分はかつて禁煙に同じような方法で成功し、もうタバコを吸っていないからだと思う。
できる気がする。ってか、できて宇宙に行きたいの。離脱するの。離脱するまで砂糖断ちするの。

問題は、離脱前にもし本当に完全にやめられちゃったら、ということだ。

自分にとって砂糖断ちが辛くなくなってしまったら、それは願掛けにならない!!
あとはなんだろうか。いよいよ断食?それともアニメ断ち?うわあ、それも辛いな…w