わが友ホロゴン・わが夢タンバール

2105 国際的(2024年2月4日パンタッカー50㎜F2.3が東大寺参拝経路で多彩に微笑む)ここは日本なの?

20240204奈良町、寒い。
妻は弟の診療所での定期検診に付き添いです。
妻は兄と弟に挟まれて生まれました。
弟は物心ついたときから、どこへ行くのも姉のお供。
姉が自分の友達と会うときも、姉だけはこぶ付き。
怖ろしいもので、このような幼児の習慣は、
弟が退職後、母姉が住む奈良に単身やってきて、
復活してしまいました。
原因は不明ですが、おそらく転倒による脳内血栓。
歩行が不自由になり、診療の付き添いは姉である妻の仕事となり、
その後入退院を繰り返した後、
なんとか単身で生活できるまでに回復したのですが、
それでも歩行は常に転倒の危険をはらむほどに不自由。

その治療、検査にも姉と、
ときには私が付き添いを余儀なくされて、
数年を経て、ようやく養護老人ホームに。

それでも、以前の診療施設での予後観察のための受診に
姉である私の妻が付き添いに出かけて居ます。
当然ながら、妻が不在のときに受診の必要も起こり、
私にもいわばとばっちりが飛んでくる始末。
2度呼び出され、倒れた義弟の救急車に同乗して、
救急病院に急行して、緊急入院しました。
やれやれ。
昨年来、介護施設付属のマンションに入居していますが、
従前の診療の予後観察のために、
時折姉である私の妻が付き添いに出かけることがあります。
本日も妻はそんな用で外出。

私は週4ないし5度、ロボグラフィ散歩に出かけます。
本日は、バスで東大寺付近で下車。
東大寺から近鉄奈良駅までの近頃愛用のルートをたどり、
午前11時半近鉄奈良駅発のバスで、
奈良と西大寺のちょうど中間に位置する
ショッピングセンター「ミナーラ」へ。

ミナーラ一階フロアーはフードコートとなっています。
10店ほどの料理店が両側に並びます。
私はそのネパールカレー店の常連。
キーマカレー、ナン、サラダ、ジュースのセットが大好物。
近頃は毎週のように出かけて、
至福のときを過ごすのが習慣。
店舗のスタッフは全員ネパール人ですが、
私の顔を見るなり、私の好物を用意してくれます。

キーマカレー
ナン
サラダ
マンゴージュース

このお店はカレー味の程度は最低にしてあります。
自分でカレー粉を足して、辛みを加減できます。
私は「辛み+1」ほどのデフォールトの辛みで十分。
焼きたてのナンでキーマカレーを少しすくい上げます。
もう何年になるでしょうか?
その豊かな味わいには未だに飽きません。

かつてネパールに二度個人旅行しました。
最初の旅でバドガオンで親しくなったおみやげ物店主スニルは、
寺院を保有する僧職の名門の一員ですが、
最下級のカーストであるスードラの美女と愛し合って結婚し、
一族から村八分状態に。
ところが、ある出来事で事情が好転しました。
一児をもうけたのです。
一族は一族の跡取りの一人の誕生は大歓迎。
スニルの勘当は一部解除となり、
スニルとその娘だけは一族の所有する大寺院に出入りが許されました。
妻はまだ許されません。
妻が許容されるときが来るのでしょうか?

その後、有名なネパール大地震が起こり、
バドガオンの寺院という寺院、宮殿がすべて倒壊しました。
スニルとの通信はそのときには絶えていましたが、
かなり心配しました。
それから2、3年後の報道では、バドガオンはほぼ再建されたとのことです。
スニルの父の寺院も再建され、
妻への勘当状態も解除されているのであればよいのですが。

一度様子を見に、ネパールを再訪したい、
という気持ちは頭をもたげますが、
懐も寂しくなったうえ、
来年8月1日で80歳になります。
日々散策して、レンズコレクションを使って、
ロボグラフィを楽しむ、
そんな日常の活動を無理なく続けるだけで十分、
という気持ちが強く、
もう海外旅行に出かけることはないでしょう。

妻は、猛烈なエネルギーの持ち主ですから、
年20回ほども日本内外を旅して楽しんでいます。
私は愛児(猫ですが...)の世話がありますから、
外泊ができない状況です。
私が西遊秘境ツアーで知り合った大手土建会社の
給水専門の建築技師は、既述の通り、
押し掛け猫を一匹同居人にしていますが、
餌は乾燥餌一点張り。
旅立つときは、
洗面器に盛り上げた乾燥餌と水だけ残すやり方。
どうも私にはかなり猫の気持ちを損ねているのでは?
そんな気がします。
ただし、彼の猫は特別です。
ときどき行方をくらまします。
友人が散歩していて、
少しは離れた家の縁側で見つけました。
なんとゆったりと昼寝をしていたのです。
つまり、二軒の家でご厄介になっている。
これじゃ、友人が長旅に出ても、心配なし。
ということで、友人もこの変則的な事態に
安住しているのだそうです。
人間の夫婦でこんなことが起こったら、
まあ大騒動になるでしょうね。

さて、写真。

ソニーα7s
パンタッカー50㎜F2.3
ドイツの映画用レンズ会社アストロ・ベルリンの名レンズです。
私にとっては、ホロゴン、スーパーアンギュロンに続く、
最愛の珠玉レンズです。
私が敬愛していた親友RAさんが使っていたものを、
彼が高齢になってから、譲っていただきました。
そして、娘さんの特殊な事情から、
10年ほど前から、転居先不明に。
当時すでに80を超えておられてので、病弱な方でした。
もうお亡くなりになったじゃないでしょうか?
それだけに、このレンズは彼の形見のような存在。
そんな因縁もあって、私にとっては、
このパンタッカー50㎜はまさにスペシャル!
古風で地味なのですが、どこか深い情感をたたえている、
そんな格別の描写性もさることながら、
心情的には、ホロゴンと双璧の最愛のレンズ。



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# by hologon158 | 2024-03-22 11:13 | Comments(0)

2104 超廉価版極上レンズ(2024年2月1日オリオン28㎜F6が奈良町の営みを楽しくキャッチ)後悔はありません


歯科終えてブラリJR奈良駅まで歩きました。
いつもは、歯科医院から徒歩3分のコメダコーヒーで昼食。
しかし、引退の身、歯科診療を終えると、
もうなんにも用はありません。
気がつくと、脚はJR奈良駅に向かっていました。
そして、手には本日のロボグラフィカメラ。

ソニーα7s
オリオン28mmF6

言わずと知れた、
おっと訂正、言わずには知れない、
私の愛する「超廉価版極上レンズ」の一本。
たしか1万円ちょっとで手に入れたはずです。
超汎用のスクリューマウントなので、
ライカMマウントアダプターでM型ライカに付けると、
極く高価なライカ純正のエルマリート28mmなんか、
「武器よ、さらば」ならぬ、「名器よ、さらば!」
さっさとマツモトカメラに売りさばいて頂きました。
あっという間に売れてしまいました。
そして、思い出すこともありません。

若い頃のプレイボーイだった時代のあなたが、
華族のお嬢様と一夜のちぎりを結んだ体験を思い出して下さい。
何か覚えていますか?
あなたはおぼつかなげに答えるでしょう、
「いやー、あんまりたくさんのお嬢さんと逢瀬を楽しんできたんで、
そんなかに確かに華族のお嬢さんもいたはず。
いや、いなかったかな?」
こんな感じでしょう。

私はそんな女性体験が絶無なので、
アルパマウントのキノプラズマートレンズだったか、
それとも、これと同等の稀少マウントレンズの、
125mmレンズを手に入れた体験を、
その好例として思い出します。
あっと驚くほどに明晰、クリアーな、超名レンズでした。
でも、あなたは皇族出のお嬢様と結婚した貴公子なんて
人物に会ったことはないでしょうね。
現実に出会ったことがあったとしても、
思い出したくもないいやな体験になった可能性の方が大きいでしょう。
もしそんな体験があったとすれば、
真実には「貴賤上下の区別などあってはならない」のに、
これでもかこれでもかとその差別を思い知らされる体験だったでしょう。

アポクロマート125mmレンズとの出会いも、
私にとっては、それに近い出会いでした。
あまりにも、私が楽しんでいる写真世界と、
画質、雰囲気が違いすぎます。

たとえば、私のホロゴン、
ツァイスの専用ボディ付きのホロゴンウルトラワイドのレンズでしたが、
幸運にも改造名人に出会って、
ボディから抜き出してもらって、
Mマウントレンズに改造してもらえました。
私が二つのブログを、読者なしで楽しもうという気になれたのも、
このレンズのおかげでした。

というのも、ホロゴン15mm写真もまた、
ある意味では、常識を越えています。
ホロゴン写真を喜んでくれた友人はほんの僅かでした。
ホロゴン写真を30枚ほどキャビネに焼いて、

ある大写真家主催の写真塾に持参したことがありました。
ハッセルの21mm相当の超広角38mmレンズを組み込んだ
単体カメラSWCを一時盛んに使って、
私もその描写を大いに楽しみましたが、
このSWCを一時期作品制作レンズに使っていた写真家なのに、
渋い表情で一言、ポツリ...

 「画面が窮屈すぎる.....」

ただそれだけでした。
同行した写真家のMさんが、横から、
「でも、先生、このホロゴンウルトラワイドで撮った写真ですよ!」
写真家、もっと渋い顔になりましたが、返事せず。
要するに、
 「作品なんかじゃない!
  こんな写真、観たくない!」

内心、笑ってしまいました。
私が写真クラブ、写真教室で組写真として出品したときも、
講師の写真家吉田正さんは、さすがに優れた写真家でしたから、
かなり高く評価して下さいましたが、
先生がいくら褒め上げても、生徒、クラブ員たちは、
無言、無反応のままでした。
なぜか分かりませんが、私の写真はどこでも、
いわば「観たくもない。むろん、評論など論外」
そんな視線、反応、態度でした。

実のところ、
私は心の底から自分の写真を愛しています。
つまり、内的評価と外的評価が正反対!
こんなアマチュア写真家はあまり多くは居ないでしょうね。
そこで、私は数年前から、アマチュア写真の世界から身を引いて、
自分の写真を「ロボグラフィ」と名付けて、
一人、静かに、でも、盛大に、撮影し、
ブログ掲載を楽しんできたわけです。

私の写真を愛してくれたのは親友のRAさんと、
あとお一人だけでした。
その稀なる理解者のお二人との親交も、
不運にも、ふっつり途絶えてしまいました。
RAさんはたった一人の最愛の娘さんが厭人ノイローゼになり、
転居し、電話番号を変えてしまって行く方知れず。
キノプラズマートを愛したKAさんも、
まったく原因不明で連絡不能に。
おかげさまで、私はある意味では、
訳も分からぬまま「娑婆からオサラバ」状態となり、
その後の数年間を、
一人盛大にブログ人性を送っているわけです。
私はかなり精神力が強力なので、
この状態でも、まったく苦になりません。

よくよく考えてみると、3年、4年ごとに、
せっかく作り上げた人間関係とオサラバして、
いきなり日本の半分位の距離を超えて転任し、
新たに人生を築き直す、という職業でしたから、
「なんの、これしき!」
すっかり慣れっこの人間になってしまったのでしょう。
こんな「絶縁だらけ人生」を支えてくれたのが、
家族とレンズだったわけです。

さて、本日のレンズ、オリオン28mmF6。
よく口に出す私の造語があります。

  「これっきりレンズ」

なにかの天変地異で、私の手元に残されたのは、
たった一本のレンズだった、そう想像しましょう。
私はそれでも写真生活を絶つことなどできません。
そこで、一つの問いが浮かび上がります。

  「それじゃ、どのレンズとコンビを組んだら、
  この天涯孤独の写真人生を豊かに楽しむことができるだろうか?」

私の場合、絶対的究極的アンサーはただ一つ。

  「もちろん、ホロゴン!」

そこで、セカンドクエスチョンです、

  「ホロゴンがこの世になかったと仮定したら、

  どのレンズとコンビを組んだら、
  この天涯孤独の写真人生を
  豊かに楽しむことができるだろうか?」

クラシックレンズ愛好家に尋ねて見て下さい。
お一人お一人、セレクトするレンズは違うでしょう。
これがクラシックレンズ愛好の醍醐味なのですから。
高く転売できる、隠された超高額レンズ、
なんかじゃありません。

私がたまたまホロゴンを選択したのも、
超高価な点にかけてはかなり高位に位置づけられる上、
かなり台数が少ないレアレンズだからではありません。
あくまでも、私の気持ちに頼り添うかです。
それがレアなホロゴンになったのは、
私の性格、人生観、感受性にぴったりだったから、
ただそれだけ。

フレクトゴンも高位に位置するのも、
私の性格、人生観、感受性にぴったりだから、
ただそれだけです。

私はテレビは持っていないし、
持っていても観ませんが、
孫の家に行くと、テレビが映し出しています。
「私の選んだ配偶者を観て下さい」
有名人がうれしそうに夫や妻を紹介しています。
誰でも一緒でしょうけど、
ときには、私なら、瞬時にのけぞって、
逃げ去るような配偶者がトクトクとした笑顔で登場。
昔の人はよく見事な言葉を残してくれて居ます。
ここで使えるのは、

  「蓼タデ食う虫も好きずき」

レンズだって、まったく同じ。
レンズ愛好家の多くは考えるでしょうね、

  「オリオンって、
   まあ、どちらかと言うと、
   平凡なレンズだなあ....」

そう、それが正常な感受性の持ち主のお答えでしょう。
でも、私の感受性は違った答えを出します。
必ずしも正常とは言い難いからでしょう。
正常な感受性、感性の持ち主なら、

  「平凡だよ! ただそれだけ!」

でも、私は知っています、
自分は平凡な人間だ!
だったら、よけいな背伸びはよそう!
私はありのままの自分を隠さないことにしています。
自分がそう感じるんだから、
私の感受性が平凡であることがばれても良いじゃない?
なんて、余計な背伸びをすると、
疲れて欲求不満に陥るだけですね。

さて、我が家から歯科医院へ、
歯科医院からJR奈良駅昼食場所へ、
JRから近鉄奈良駅近くまで、と、
3ルートをオリオンで撮影しました。
すべて、歩きながら、すれ違いざまの、
ノーファインダー、ノーフレーミングスナップ。
動かないもの、場所、光景を撮るときでも、
構図は作りません。
もう写真家じゃないんだから!

この撮り方は、ある種の失意から生まれたのでしょう。
さすがの私でも、以前は考えていました、
「やっぱり人から高い評価を得たい」

でも、写真家と言われるほどになるためには、
私の写真を愛してくれる方がいるとして、
そんないわゆるファンが高評価してくれる写真作品を撮りろう、
そう努力をする必要がありそうです。
私は、そんな努力を払いたいと思ったことはありません。
自分が高く評価できる写真を他人に見せてきただけ。
このコンセプトラインは当然ながら、
写真家としての定評に結びつきませんでした。
これぞ、自業自得、とでも言うべきでしょう。

いっさい、後悔はありません。
老後は誰もが一人で生きなければならない。
それが人間の運命です。
そんなとき、自分を愛することができる人間になるためには、
結局、自分がそうでありたい人間に成る、
これしかありませんね。



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# by hologon158 | 2024-03-22 11:06 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2103 爽やかに(2024年1月6日エクター35㎜F2.3と奈良町にしっくりと寄り添い)現実を超えて?



本日のセットは、かなり極上。

ソニーα7s
エクター35㎜F2.3

コダックの生んだ怪物レンジファインダー、
エクトラの交換レンズです。
コダック社畢生(かどうかは知りませんが)の、
たった一度だけ発売されたレンズ交換式システム。
コダックらしく赤がびしりと締まる、
見事な画像をプレゼントしてくれます。
50㎜も同様ですが、使う度に、その画像の見事さ、
緊密感、立体感、練りに練った感のある色彩、
なにもかも惚れ惚れとさせられてしまいます。

でも、だから、私はエクトラレンズを常用レンズに使うか?
どうやら、使いませんね。
なぜだろう?
ちょっと考えてみました。
こうかも知れません。
人間、誰しもが自分に良い性格を当てはめて考えるものです。
こんな自己評価には、
常にかなり自己中心的な変移値、バイアスがかかっています。
このバイアスを、人には知られずとも、
自分では、できるだけ意識化したいものです。
このバイアスが判断をとかく歪め、ずらし、
間違わせてしまいます。
正しい判断をしたければ、バイアスを是正し、
自己の判断材料をしっかりと選択し、
過つことのない判断を下すべきです。
そのためにも、自分のバイアスに関心を払い、
決断、選択の機会に遭遇すると、
このバイアスが、自分の回答をゆがめていないか?
しっかりとチェックすべきですね。

このような自分のあり方に照らして、
このエクトラのレンズたちを使う度に感じること、それは、
あまりに画像が立派すぎる!
ツァイスの唯一のフォーカルプレーンカメラシステム、
コンタレックスにその辺りの感触、佇まいが似ています。
入魂、それだけに、堂々たる描写力。
でも、なぜか、彫刻的にくっきりと描き出されるイメージは、
現実をかなり超えている!
現代のデジタルレンズたちも、また、異なる方向性、
つまり、細緻、克明のリアリズム、という点で、
違った方向で現実を超えています。
私たちの近くはもっと曖昧、ソフトなので、
少なくとも、私にはこの完璧なるリアリズムにも耐えられません。

私という人間、いわば、かなり平凡人です。
何ごとにおいても、負けるのはイヤだけど、
さりとて勝つのもイヤだ、という感じ。
私の好みは、もっと穏やかなリアリズム、
だから、時代遅れレンズたちを使うのですが、
デジタルカメラはこうした時代遅れのレンズの描写を、
なんとか補修しようと頑張ってしまいます。

というわけで、銀塩時代の写真を懐かしみつつ、
結局、ブログでは、
いわばかなりデタラメなレンズ再現に我慢しつつ、
自身の人生のささやかな記録を目指して、
「なんでもござれ、勝手放題、自由奔放の別天地」
となっているわけです。

私は、ある種の宮仕えの職業でしたが、
自分の担当分野では、最初の最初から、
一定の職能チームのリーダーとして仕事をするので、
「お山の大将」的な振る舞いを許される特殊なジャンルでした。
官僚システムと違い、下も居なければ、上もいない。
だけど、威張ろうと思えば、できる。
私は威張るのも嫌いなら、人が威張るのを見るのも嫌い。
そんな人間は基本的には野中の一軒家なのですが、
私の場合は、中ぐらいのビルの屋上に立っているという感じ。

しかし、若いときから一貫して頭を誰にも下げない人間は、
どんな集団でも居心地が悪いものです。
でも、社会に出ても、自分を変えることなどしなかった。
つまり、どちらかというと自分勝手な性格、バイアスは、
矯正されることなく、ますます助長されてきた、
というのが真相でしょう。

結局、そんな人間は「やはり野に置けレンゲ草」でしかないわけで、
現代のように、すべての人々が相互隔離を余儀なくされ、
孤独感、孤絶感にさいなまれる時代、
まさしく、常軌を逸した「強制された個人主義時代」であるのに、
そんな時代でも、私は自分の好むままの生活を楽しんで、
ますます伸び伸び生きることができるわけです。
職業生活上、まさしく今と同種の孤絶状態で生きてきたのですから、
なにを今さら、寂しい、辛い、なんてなあ.....。

そんな私であっても、職業生活時代もそうでしたが、
自分の精神の健全さを保つためには、
なんでもよい、とにかく自由に羽ばたきたい、
という強烈な欲求、反作用がときどき浮かび上がってくるものです。
そんなとき、いつもさりげなく人生のバランスをとってくれたのが、
写真でした。
社会、外界を撮影するロボグラフィが、
私にある種の精神的安定感を与えてくれたようです。

写真家ばかりではなく、写真など撮らない人であっても、
私のロボグラフィにはおそらく大きな不満を感じるでしょう。
「一体、なんでこんなものを撮るの?」
「なんの意味があるの?」
「こんなの撮って、面白いの?」
何度、そんな質問を大真面目に投げかけられたか、数えられません。

説明が面倒なうえ、説明しても理解してもらえないので、
自分でも、そんな反応は容易に想像、予感できるので、
できるだけ人の眼に曝さないようにしたい。
でも、とにかく、自分では写真を楽しみたい。
とにかく徹底的に、自分の写真は自分のためだけに撮りたい。
本来、ある種のコミュニケーションツールである写真だって、
他人との間のコミュニケーションを意識的に遮断して、
未来の自分とのコミュニケーションだけに使いたい、
それが私のロボグラフィ、ということになりそうです。

他人に判らなければ、判らないほど、
他人と私の写真とのコミュニケーションは遮断されます。
長年、写真の友人と写真談義をし、呑んできましたが、
唯一お一人をのぞき、誰からも、
私の写真に関して言及、質問を受けたことは絶無。
理解不能なので、避けて通りたい話題だったようです。

そうであればあるほど、私は自分の写真と語り合えるだろう。
そういう気持ちで、一人、自分の写真たちと付き合ってきたわけです。
はるか古代中国で、伯夷、叔齊と言う二人の青年が、
現世にほとほと愛想を尽かして、中国史上最初の隠者となって、
人里遠く離れて二人だけで過ごし、生き、そして死んで行きました。
実のところ、そこまで社会から身を隠して生きたのに、
この二人のたちの最後の姿が記録されたことが、
実のところ、根本的に不思議、奇妙ではありますが、
その点は置いておきましょう。
司馬遷は、なにかの縁があって、この二人の事跡に接して、
心に深く通じるところがあったのでしょう。



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# by hologon158 | 2024-03-17 01:56 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2102 宮崎レンズ(2024年1月9日ペラール12㎜F4にわかに奈良町を走る)現代クラシック!



長い間、フェルメールは「知る人ぞ知る天才」でした。
と言うより、「ほとんど知る人のいない天才」でした。
その主な理由は、彼があまりに寡作であったために、
全世界のほとんどの人間には、彼の作品に接する機会など絶無。
テレビドキュメンタリーどころか、美術書籍もほとんどなかった!
フェルメール作品どころか、フェルメールなる画家の存在さえ、
ほとんどの人にとっては、火星人Xの存在同様に、知識外でした。

でも、当時、フェルメールに出会う幸運に恵まれた人たちから、
少しずつ少しずつ、この神秘の画家の名が広まっていったようです。
いつ頃アムステルダム、デルフト、パリ、ロンドンの美術館ができ、
そこにフェルメール作品が展示されたのはいつ頃からなのでしょう?
そんなに昔ではないでしょう。
せいぜい19世紀頃ではないでしょうか?
でも、当時はまだ、海外旅行、国外旅行の時代ではありません。
それぞれの国で僅かな人が知り得ただけでした。
ただ、それだけ。

当時はまだ復刻画集も美術解説書もない時代でしたから、
フェルメールを観た人たちがどれだけ彼の凄さを悟れたか?
悟れたとしても、その神妙な傑作ぶりを人に伝える方法があったか、
怪しいものです。
彼の作品は、写真のない時代に、写真をはるかに越えるリアリティ。
要するに、類例のない写実でありながら、
写実を遙かに超えた表現でした。
そもそも誰もそんな絵を観たことがなかったのですから、
初期の鑑賞者が彼の真価を素直に認識できたか?
怪しいものです。

私が考えるフェルメールの最高傑作は、
「デルフトの光景」「真珠の首飾りの少女」
この両作品を所蔵するマウリッツハイス美術館には、
もう飽きるほど肖像画が並んでいます。
どうやら当時のオランダは、
肖像画が盛んに残される文化があったようです。
でも、フェルメールに比肩するものどころか、
僅かでも肉薄できる自然な肖像画などありません。

レンブラントがまさに対抗馬だったかも知れません。
でも、大抵、筆の穂先の線が残っています。
ところが、フェルメールはこの穂先の感触を感じさせません。
ある種の魔法が使われたに違いない、そう思わざるを得ません。
フェルメールにとって、リアルな空気感こそ命だったのです。

彼の最高傑作は、一も二もなく、「デルフトの光景」です。
彼が残した、たった一枚の風景画です。
なんということのない運河のある町の遠望。
ご承知の通り、デルフトは周囲をお堀に囲まれた水の町。
至る所に運河が通って、橋を渡ります。
車のなかった時代、聞こえるのは風の音、鳥の声、遠くの声..
そして、耳を澄ませばかろうじて聞こえる、
ひたひたと歩む足音だけだったでしょう。
屋内にテレビもラジオもない。
すべての人が静かに作業し、生活していたのです。
沈黙に耳を傾けることができる人たち。
絶え間ない喧噪に囲まれて生きる現代人とは生地まで違う。
「デルフトの光景」にはそんな静寂の世界が綿密に描かれています。

印象はひたすらナチュラル。
そして、平安、平和。
フェルメールは、今はすべての都会から消え去った沈黙の情景を
完璧に画像化することができた稀有の天才、
そう言えそうです。

この圧倒的な印象は実作でこそ満喫、堪能できます。
言い換えると、実作を観ないかぎり、
その凄みは分からない、そんな独特の大作がこれ。
マウリッツハイス美術館に行ったことのない人には
実感できないかも知れません。
現実には、あらゆる種類のすべての芸術的傑作は、
写真コピーでその真価を知ることはできません。
直接実見し、聞いて、初めて本当の価値を知ることができます。
フェルメールの名作となると、ますますその必要があります。
真作としっかり向かい合うことで、
フェルメールという画家が、
人間の力が及ぶ表現力をどれだけ超越しているかが判るからです。

マウリッツハイスの「真珠の首飾りの少女」は、
まさに奇跡的な表現力です。
真珠の耳飾りと来たら、
目を近づけてよく見ると、筆の一ひねりだけ。
それなのに、そこに真珠が浮かび上がってきます。
つまり、綿密な色の積み重ねではなく、
天才の手の一振りが現実を創造する奇跡がここにあります。

この天才の業は「デルフトの光景」でさらに奇跡的となります。
なんでもない運河とその向こうのデルフトの町、そして、
こちら岸のまばらな点景。
まことに平凡な遠望シーンなのです。
それなのに、まるでタイムマシーンで17世紀の都市景観を、
その場に居て、肉眼で展望している、そんな気持ちになれます。
ただの絵なんだ、とは思えないほどに、
活き活きとした空気感、現実感が浮かび上がってきます。

「フェルメールなんて、
ただのオランダの素人画家の手すさびに過ぎない、
しかも、ちょっとしか描いてないじゃないか」
そんな風に評価する方も居るようです。
このような方は、フェルメールの真作をほとんど観ていないか、
観ても分からない偏狭芸術観と視野の持ち主ではないでしょうか?
私は全作を観ているわけではありません。
前述の4美術館所蔵の作品しか観ていません。
でも、その作品のすべてが、ある意味で「奇跡的な高み」にあり、
どんなに見ていても見飽きない、独特の高みにある作品たちです。

私がびっくり仰天し、讃歎の想いで息を呑んだ名作は、
ルーブルの「レースを編む女」でした。
小品です。
何色かの色の糸が刺繍台から下に垂れ下がっています。
目を近づけてみますと、極めてアバウトな抽象的筆遣い。
ところが、どんな奇跡が隠されているのでしょうか?
ちょっと離れて見てみましょう。
細い刺繍糸のもつれ合う印象がしっかりと浮かび上がります。
フェルメールがこの一作だけを残したとしても、
世界の巨匠の仲間入りをしたのではないか、そう思えるほどに、
画家の奇跡的な表現力が発揮された名作、
私にはそう思えます。

つまり、このフェルメールという画家、
具象画家でありながら、印象派を先取りし、
さらには、現代的な抽象画をも予見させる、
天馬空を飛ぶ技量の持ち主でした。
極めて少数の絵しか残されていません。
あまりにも少なすぎます。
もっと描いたのではないか?
また、どこかで、フェルメールの真作が発見されるのではないか?
そんな風に期待する向きもあります。
でも、あまり期待しない方がいいでしょう。
彼は正真正銘の寡作家だったようです。
自己の作品として社会にお目見えさせたくはない、
制作中のどこかでそう確信した絵は、
自らの手で潔く消去されてしまったのでしょう。
もしくは、塗りつぶして、新たな作品のカンバスとなった?

彼の生存中の時代、
彼の作品を古今屈指の名作であると判る人は、
彼自身以外にはほとんど居なかったのではないでしょうか?
だから、フェルメールは、彼の作品を賞賛する人が居ても、
その人の評価を心から納得したりはしなかったでしょう。
自分の作品の価値は自分にだけ分かる、
そう確信していたはず。
つまり、真の自分の作品として完成できたと、
心の底から悟らない限り、人手には渡さなかった。
そして、彼の作品を所蔵した人々は、例外的に、
これぞ神の手にかかるがごとき傑作であると、心底確信し、
生涯にわたって愛蔵したことでしょう。

彼自身、世界最高クラスの偉大な名作に、
直に向かい合ったことはなかったはずです。
だから、彼の作品がどんなレベルにあるか?
これもまったくわかっていなかったはずです。
そして、世界の美術史は、フェルメールの作品など無縁のまま、
ぐんぐんと変転を繰り返していきました。
時代が進むにつれて、
絵画作品の一部はいわば果てなく巨大化していきました。
ルーブルにはそんな巨大作品が数知れず壁面を占領し、
威風堂々たる偉観を呈しています。

そんな大作の谷間に咲く一輪の百合のように、
フェルメールの「レースを編む女」がひっそり咲いています。
ところが、見入った瞬間に、巨大作品たちの印象が消え去ります。
それがフェルメールの凄みです。
世界の最高クラスの傑作たちを見てきた人であればあるほど、
フェルメールの凄みが分かります。
世界最高クラスの美術館が整備された19世紀以降でこそ、
フェルメールの真価を認識しやすい環境になったのかも知れません。
そして、現代。
世界中旅行できる時代が到来しました。
妻はおそらく数十回海外に出掛けているでしょう。
私もその半分くらい行く機会を自分で案配しました。

でも、今、ほとんど海外旅行など不可能な時代になりつつあります。
現代の若者達にとって、オランダに出掛けて、フェルメールに会う、
そんな可能性はあっても、実行する人はほとんど居ないでしょう。
世界は分断されつつある、そんな印象があります。
世界を直に肌で実感できない若者達が成長したとき、
諸国のリーダーたちは、それぞれの国に割拠して、
合従連衡しつつ角突き合う時代。
武器その他の機器は電子化されているけど、
心と精神は幼稚な第二の原始時代に、
人類全体が落下しつつある、そんな気配。
怖いですね。

さて、写真。

 ソニーα7s
 ペラール12㎜F4

レンズ名人宮崎貞安さんの超広角です。
無理をして作っていないので、
クラシックレンズに不可避の癖はない、と言ってもよさそうです。
とてもナチュラルに、温和に撮れます。
欠点ではないけど、物足りないのはこのあたりかも知れません。
私は癖だらけの人間ばかり相手にして生きる人生を送りました。
自分自身も癖だらけですが、まだ温和しい方。
だから、レンズは古ければ古いほど愉しい。

レンズ史って、よく考えてみると、
3段階を経てきた感じがします。
①最初は、癖のない画像を得るための工夫の歴史。
②次に、独創的な癖のあるレンズを創造して競う歴史。
③最近は、再び戻って、
まったく癖も欠点もない優等生レンズを創造する歴史。

①のレンズの一つがペッツヴァールだったのでしょう。
でも、私の愛好してきたのは、②のレンズたちでした。
③に移行したのは、
科学的なツールとしての必須の要請によることもありますが、
デジタル処理の時代となって、カメラの初期イメージは、
単なる原稿に過ぎないという時代になってしまったから?
そんな感じがしてなりません。

プロの写真家たちは、数少ない芸術写真家たちも、
技術的処理のプロセスとして写真を活用するプロたちも、
デジタル処理時代を大歓迎しています。
いわばレンズの限界を超えて、
絢爛たるイメージ世界を創造できる時代になったからです。
つまり、写真家の99%はこの時流に乗って、
それぞれに独創的な想像の世界を展開するようになっています。
でも、究極に至ると、
ある種完全無欠な写真の製造ツールになってしまうようです。

ところが、私は、はっきりそんな時流に取り残されてしまいました。
芸術的、創造的観点に立っての結果ではありません。
笑ってしまいます。
完全に私の生理反応なのです。
つまり、デジタル写真はそれがいかなる芸術性を創造していても、
私は軽い吐き気を感じてしまうのです。
昔から、「完璧な人間」「完璧なイメージ」には、
生理的についていけない人間でした。
不思議な現象、そう言っても良さそうです。
どこかちらっとでも「ずっこけた」ところがあると、
心にほんのりと温かさを感じる、そんな性質の人間なのです。

私は、まあ、簡単に言うと、アホではなかったので、
成績は常に悪くはありませんでした。
でも、最優秀では決して無かった。
かなりの先生からこう評されてきました。

「もう少し、ほんの少しがんばれば、
トップになれるのに...............」

どんな成績表でも、2、3番から4、5番あたりで浮きつ沈みつ。
どんな年齢でも、私の勉強の順番は一緒でした。

お気に入りの読書を十分楽しんでから、
残りの時間を使って勉強し、仕事をする。
大抵、音楽を楽しみながら。

まあ、この私のコンセプトは成功を収めてきたようです。
ゆったり生きましょう。

宮崎貞安さんの創造レンズは、
現代の完璧レンズとはかなり様相が異なります。
クラシック名レンズたちともまた少し様相が異なります。
現代レンズによるクラシック名レンズの再創造、
これがコンセプトだからでしょう。
そんな現代クラシックレンズの一本がここにあります。




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# by hologon158 | 2024-03-11 16:45 | ホロゴン外傳 | Comments(0)

2101 敗者一閃(2024年1月12日ホロゴン15㎜F8ならではの奈良町ロボグラフィ)私の杖


昨夜、超大作映画を見終わりました。
二度目なのですが...

中国映画「始皇帝暗殺」

始皇帝を幼い頃から知り、愛し、最後は憎むようになる、
ヒロイン、趙姫(秦と国境と共にする趙のプリンセス)を、
当時の中国映画のトップ女優コンリーが演じ、
始皇帝、暗殺者荊軻と三つ巴の至高の演技を繰り広げます。

ちょっと余談。
コンリーのその後は知りませんが、
この映画制作当時は、
彼女は整形手術など受けていなかった感じがします。
だから、とても美しい。
まさに、司馬遷の史記の時代にふさわしい風貌でした。
彼女の出演作は何作も見ましたが、
その都度、ヒロインにふさわしい姿で、いつも名演でした。

その後、事情は変わりました。
現代の日中韓、米欧、すべての女優たちの内、
整形しない人が幾人いるのでしょう?
米国では、ハリウッド全盛時代、
イングリット・バーグマン以外は全員手術しているという噂。
バーグマンは少女時代から沢山のポートレート写真が残されています。
少女の頃から、あの美貌でした。
そして、彼女のポートレートの一枚一枚から、
繊細な心の揺らぎを演じることができました。

整形をすると、能面のようになってしまいます。
どうしても、顔の表情がこわばるようで、
極めて微妙な表情の変化を見せることなど不可能になります。

チェ・ジウがその好例でした。
キャリア前半のちょっと垢抜けしない、
でも、とても美しく可憐な表情で、
コンリーや、整形前のチャン・ツィイーのように、
初々しい女神でした。
整形後については、何も言いたくありまんせん。
中国のスター、チャン・ツィイーもまったく同列です。
彼らは映画史における美神の地位、人生を、
所属プロダクションに、時代に押し潰されたのです。
現代は、日中韓の男優たちも、
女優様に整形手術の洗礼を受けているようです。
のっぺりしたマネキン顔ばっかり......
うんざりですね。

さて、荊軻に戻りましょう。
原作は司馬遷の史記の中の「刺客列伝」。
この「刺客列伝」には、
死を賭してある種の信義を貫く暗殺者たちが
数人採りあげられています。
支配者層からの目線で見る限り、
刺客たち、つまり、暗殺者は大義に刃向かい、
支配権転覆を図るもので、許されないものと言うべきでしょう。
しかも、司馬遷はいやしくも漢王朝の正史の記述者です。
そんな司馬遷が、社会の埒外で活動し、
そのまま消えていった暗殺者たちの伝記をわざわざ編んだのです。
なんとも奇妙ですが、ここにこそこの歴史家の本心が感じられる!
そう感じます。
彼は、その立場上、歴史を創造した成功者を描く仕事でした。
でも、心の奥底で、そのような成功者たちの活動の陰に、
歴史の埒外にはじき出された、
つまり、成功者たちの踏み段にされてしまった敗者に、
より一層共感を感じていたらしい。

劉邦は、始皇帝の秦を倒して漢王朝を建業したわけですが、
これは初めての全国を統一した秦朝の社稷を継承したわけです。
「社稷」というのは、
中国の王朝に受け継がれた正統の支配権を意味します。
つまり、中国の王朝は、先王朝が爛熟の末に不法化し、
中国大陸の全土を支配する正統の権利=社稷を、
正統に守り抜くことができなくなることによって、
次の王朝に社稷を譲ることになります。

でも、暗殺は、天の計らいである社稷の伝達とは無関係です。
正統な権威の裁判による断罪を経ずして、
個人がいきなり人を処分してしまうのですから。
たとえば、現代においては、犯罪者の処罰権は国家だけが持ちます。
人を殺した人は「殺人罪」で裁かれます。
どんな悪党であっても、
その罪が「殺人罪」として処罰されるべきかは、
国家の裁判によって有罪と判決されなければならないのです。
周漢の古代王朝の時代においても、理屈は同様でした。
でも、司馬遷は、果敢にもこれに異議を唱えて、
正史の中に、わざわざ一章を設けて、
この原則から外れる特別の例外があると言わんばかりに、
信義のために命を捨てた暗殺者たちを称揚したのです。

荊軻はそのトップヒーローでした。
燕の公子に乞われて、始皇帝の暗殺を引き受けた荊軻を、
公子たちが燕の国境で見送ります。
そのとき、荊軻の親友も居ました。
史上最高とうたわれる伝説の大演奏家です。
この人が弾く古琴の調べに載って、荊軻が歌います。

風粛々として易水寒し
壮士去って復た還らず

義のために敢えて死ぬ壮士、
彼の心から浮かび上がる決意と悲痛が、
この一節に漲っています。
中国文学史上最も愛唱された詩の一つではないでしょうか?

公子は、荊軻と共同に事に当たる暗殺者として、
命知らずのならず者の評判が高かった若造秦舞陽を選びます。
秦舞陽はただの命知らずの無頼漢に過ぎませんでした。
荊軻は、事の共にできると信頼する友を呼び寄せていましたが、
公子は、荊軻はただ怯えて時間稼ぎをしているだけではと疑い、
時日がいたづらに経過しては、秦軍は燕にまで攻め込んでくる、
と怖れて、秦舞陽とともに秦に旅立つよう命じます。
公子は、荊軻と秦舞陽の二人ながらにして、
その人物を見定めることができない無能さをさらけ出したのです。

荊軻たちは、秦の都に赴き、
燕使として、始皇帝が指名手配した逃亡将軍の首と、
燕の極めて恵まれた土地(督口の田)の献上を餌に、
見事拝謁を果たします。
佩剣は許されないので、丸腰でした。
荊軻は、始皇帝の面前で、
献上地の地図を描いた巻物を開いて行きます。
巻物が開き終わると、抜き身の短刀が現れました。
荊軻はこれを取って、始皇帝めがけて突き出します。
始皇帝は佩刀を抜く余裕などないので、
ひたすら逃げ回りました。
荊軻は短刀を握って追いかけます。
群臣たちは皇帝の御前ですから、全員丸腰。
おそらく身分の低い警備兵は群臣の外に居たのでしょう。
幾度か、荊軻の短刀は皇帝の紫衣をかすめます。
始皇帝だけは逃げるのに大わらわで、
おそらく大仰な紫衣が邪魔して、腰の佩剣を抜けません。
刺客がただ者ではないこと位、始皇帝には一目で分かったでしょう。

宮廷医が皇帝に声を掛けました、
「剣を背に負ってお抜きください」
そして、薬袋を荊軻に投げつけます。
その一瞬のすきに、始皇帝は剣を背に跳ね上げて、鞘から抜き、
荊軻を切り捨てました。

その間、稀代のならず者秦舞陽はどうしていたか?
ただその場にすくんだまま、ブルブル震えていたのです。
彼が始皇帝に組みつきさえしていたら、
荊軻は見事暗殺に成功していたでしょう。
呼び寄せられていた仲間の剣士は、後日これを聴いて、
私が居たらこうはならなかったのに!
と、歯がみして悔しがったそうです。

私はもちろん法治国家の教育を受けた人間ですから、
荊軻の行為を是認することはできません。
でも、歴史の一コマとして見る限り、
そこには数多くの人間性の発露と教訓が認められる、
稀有の出来事の一つであると思い、幾度も読み返し、
ブログにも、かつて一度書いたと記憶しています。

刺客、暗殺者の行為は、その正当性は一応別にして、
有効な行為、目的をただしく完遂できる行為では、
必ずしもないと私は考えます。
成功しても、歴史の流れを変えることはほとんどない。
たとえば、荊軻が始皇帝を見事暗殺したとしても、
秦帝国は二世皇帝を旗頭に押し立てて、まず燕を攻め滅ぼし、
果てには中国大陸を首尾良く征服してしまったことでしょう。
始皇帝がおこなった全土を統一する作業、
統一国家を統べる帝国諸制度の整頓は、
始皇帝が残した文武の臣下が実質的な立案実行を行ったでしょう。

でも、始皇帝が暗殺を逃れて生き伸びた現実でも、
暗愚な二世皇帝は秦帝国の存立を維持できなかったですから、
始皇帝が暗殺されて、なおさらに不安定となった帝国を
安泰に維持することはなおさらできなかったのでしょう。
つまり、始皇帝が暗殺を逃れた現実の世界でも起こった王朝交替は、
暗殺によってなおさら容易にかつ早期に出現したに違いありません。
現代同様、はるか2千年前の古代でも、
歴史の大河は様々な可能性を綾なしながら、
滔々と流れ続けていたのです。

でも、成功の可能性などない悲しい定めの冒険だからこそ、
荊軻や彼と取り巻く人たちの誠実さがなおさらに輝き、
歴史を豊かにしてくれているのでしょう。
成功か否かなど、しばらく時日が経過すれば、どうでもよくなります。
間として、気高い行為を行ったか否か、それだけが大切。

荊軻が、いわば殺人未遂犯人ごときの犯罪者なのに、
なんで歴史に名を止めているのだ?
そう疑問に思う人も多いでしょう。
そんな方は人間として一番大事なことを忘れているのです。
荊軻がなぜ歴史に名を止めているのか?
約束したことを命を捨ててまで実行しようとしたからです。
つまり、約束をあくまで守り抜いて信義を尽くす、という、
人間にとって最高に尊い行為をやり抜いたからです。

「刺客列傳」が史記の中で異彩を放っているのは、
このような人間としての最高の価値を実現した人たちのために、
オマージュを捧げたから、と言うことができそうです。

別稿で書きますが、史記には「食客列傳」があります。
そこにも、信を尽くすために命を絶つ人物が記録されています。
いつも書くことですが、中国史には、
政治の表舞台には経たないけれど、
記憶に値するほど人間性をフルに発揮した人たちが描かれています。
中国人全体にとっては、「仁義礼知信」は、
実現を希望し期待したりはしない、
ただのスローガンであるかも知れませんが、
でも、ある一部の人たちにとっては、
命を賭してでも守り抜く、人間の理想、存在理由でした。

日本を含めて、古典期ギリシアを除けば、世界中、どこの国でも、
人間が理想とすべき精神は、だいたい、ただのスローガン、
表看板に過ぎず、実態は赤裸々な欲望のせめぎ合いでした。
もちろん、中国も古典ギリシアにおいても、
ほとんどの人間は欲望だけで動き、
人間性の理想なんて画餅にすぎない、
そう考えて生きてきました。
でも、古典期の中国、ギリシアにおいては、
命を捨ててでも、真実の生き方を守り抜こうとする人間が、
他の文化に比べて、かなり多く輩出したのです。

もちろん世界中にそんな人間が居ました。
日本にも居ました。
でも、現代は巨大な人口増のために様相が一変してしまいました。
世界中に人間が群がり、個としての存在感は極小になってしまい、
個人の存在、世界に対する役割は極微と成り果ててしまいました。
政治家たちの名前がネットに流れます。
彼らをその名前を持つ生身の人間と考えたら、大間違いです。
とくに表舞台に立つ成功者たちは、一種の操り人形、
バックに隠れている利益共同体の表看板、道具なのです。
民主主義、国民主権の理想は表看板に成り果て、
このような利益共同体が実権を握る専制国家の時代に、
知らぬ間に移行してしまいました。

このような隠れた利益共同体はまさに民主主義の敵です。
現代でも、どこからか、荊軻が現れて、
国民たちの権利を秘かに蹂躙するこうした利益共同体に、
鉄槌を食らわせてくれたらなあ、
そんな囁きがどこからか耳に届いてくる、
そんな感じがしています。

でも、このような裏の権力者は、
刺客が始末できるような個人ではなくて、
ある種の利益共同体であることが多いようです。
つまり、ヒドラのように、首を切っても、また生えてくる、
一つ切っても、まだまだ一杯首がある、そんな化け物。

地球上に人間が溢れ、資源を食い尽くしつつあります。
人類を何百回も重ねて滅ぼせるだけの膨大な核兵器が溢れています。
友人の話では、核兵器を使用しても、
致命的な放射能はさほど地上に残らないのだそうです。
じゃあ、なぜ、チェルノブイリや福島には、
人の近づけない汚染区域が広っているのでしょう?
もし友人の話の通り、さほど有害な影響は残らないとしたら、
核保有国は遠慮無く核攻撃を活用するでしょう。

源平の時代には、合戦のために対陣した両軍は、
まず、鏑矢を射かけて、敵戦列を威嚇し、倒せるだけ倒してから、
やおら突撃して白兵戦に移ったのですが、
現代では、遙かに恐ろしい状態が起こります。
まずはいきなり核ミサイルを敵国の軍事拠点に雨のように降らせて、
反撃勢力をできるだけ剥ぎ取ってから、敵国に突入、
ということになりそうです。

一番怖いのは習近平です。
現在、習近平は永世支配を可能にする党規改正を目指しています。
現実には、ほとんど賞賛に値する功績などありません。
彼に残された唯一の道は「台湾の回復」。
現実には、中国が台湾を国土としていた時代はないので、
中共一流の領土主権の言いがかりなのですが、
どんな形であれ、台湾の支配権を奪い取ることができたら、
習近平の威信は揺るぎのないものになりそうです。

現実に、習近平が台湾占領作戦を実行に移すかどうかは、
予断を許さない状況にあると言えそうです。
こんな状況に居たってから数年が経っていますが、
未だに台湾攻略戦は開始されません。

もし中国軍が実行に踏み切ったら、日本はともかく、
合衆国大統領は、現在日本列島に配備している合衆国軍を上げて、
防衛戦に踏み切るでしょう。
これは明らかです。

そうすると、中国軍にとっては、
日本をも攻撃対象とすることは明らかです。
戦争開始とともに、アジア中がひっくり返るほどの死の舞踏が始まるでしょう。
そのプリマドンナは中国、台湾だけではありません。
日本も、アメリカも共演者となります。
アメリカは日本列島に脚を踏ん張って闘うのですから。
もしかすると、火事場泥棒よろしく、ロシアも参戦しかねません。
プーチン大統領は、旧ソ連邦の領土を全部回復すると豪語している、
という記事を読みました。

そうなると、交戦国の通信は封鎖され、
一般人のネットサービスも瞬時にシャットアウトされてしまう。
それどころか、核攻撃に逃げ惑い、食糧危機に餓えに瀕する、
そんな戦乱に私たちも逃げ惑う時代が来るかも知れません。

さて、今回の写真。

ソニーα7s
ホロゴン15㎜F8UW

思うに、ホロゴンほど「恵まれないレンズ」はないでしょう。
写真家が誰もこのレンズをメインレンズに選ばなかった理由は明らかです。
15㎜レンズ、これほど歪曲収差のない超広角レンズはないでしょう。
でも、不幸なことに、画角が広すぎます。
少し離れて撮ると、110度という広い画角が禍して、
とにかく眼前の光景が全部写ってしまいます。
写真家の大半は、たいていの人と同様に、
他人に肉迫して撮影することが心理的に難しい。
このような人にホロゴンを持たせると、接近できないので、
とにかくだだっ広い光景ばかりが撮れます。

人を惹きつける写真作品の秘訣は、
一瞬にして、何を撮りたかったが、初めて観た人にも分かること。
スナップ写真、人物写真の場合は、
人物に十分肉迫することが決め手になります。
でも、大抵の方にはホロゴンでこの種の肉迫写真を撮ることは、
とても難しいようです。

私はどうも例外のようです。
若い頃から、初対面の人と語り合い、事情を尋ね、
さらには、ある種の説得をする仕事でした。
二十歳代で、仕事に着き縦の頃から、それが仕事でした。
国家権威を背負っていたからできたのですが、
私は生まれつきそれができたようです。

カメラを買うと、さっそくスナップから始めました。
このスナップと、私の職業的な対面仕事とには、
ある種の共通性がありました。
物怖じをせず、サッと状況の変化を感じ取って、
仕事では、すかさず説得する、
そして、写真では、瞬時にシャッターを落とす。
結局、仕事でもホビーでも同じ事をやっていたわけです。

でも、私の撮った写真は、誰からも歓迎されませんでした。
アマチュア写真の撮り方とはどこか異質だったようです。
多くのアマチュア写真家は、駈けだしの頃、
例外なく先輩から指摘される言葉、それは、

「もうちょっと近づかなきゃ!
こんなに余分なものが一杯写ってちゃ、
主題が浮かび上がらないじゃないの!」

つまり、撮りたいもの、人、光景への接近が足りないのです。
私の場合は、「近づきすぎて、窮屈だ」、よくそう指摘されました。
こんな人間にはホロゴンが一番使い勝手がよいのです。
歩きながら、私のお腹辺りの高さで持ったホロゴンを使って、
人の懐付近でシャッターを押します。
これで30年撮ってきました。
評判は常に一定です。

感想は零、評価の気持ちは無言で表されます。
むしろ、見て見ぬ振りで完全無視、
見ても、即、忘れて、見なかったことにする。

私は私で、写真趣味は、完全にプライベート。
多くの人にとって、写真は「表現」です。
つまり、自己主張。

ここをこう撮ったんだ!
なにを言いたいか、分かるか!
  分からなけりゃ、あんたが悪いんだ!

私にとって、趣味の目的は決まり切っています、

「カタルシス」「憂さ晴らし」「リラックス」
本業の精神的疲れを癒やすこと、これだけ。

だから、アマチュア写真クラブに所属した20年ほどは、

この「ずれ」にかなり苦労しました。

転居に伴って、四つのクラブを転々としました。
写真展も沢山しました。
大いに楽しみました。
でも、写真家として頭角をあらわす、
なんてことは一切ありませんでした。
「なんか訳の分からない写真を一杯撮る」と思われただけでしょう。
でも、モチベーションを失わないのが、私です。
評価されることを端っから求めていない。

ただただ、仕事のことを忘れて、写真を楽しめたらよい!
ただそれだけ。

そんな私の写真人生の半ばに強い味方が現れたわけです。

ホロゴンウルトラワイド

このカメラが私の名剣エクスカリバーになったわけです。
これを手にしたら、無敵!
なにも敵を倒すのではありません。
すべてのショットが私にとって一番撮りたかったショット、
そう自分で感じさせてもらえるレンズだったからです。

こんな風に書いても、私の言いたいことを分かる方は稀でしょう。
それでも平気、それが私です。
とにかく、私は、一瞬一瞬を楽しんで生きる、
それで十分。
ホロゴンは私の杖、というわけです。



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# by hologon158 | 2024-03-09 01:46 | ホロゴンデイ | Comments(0)