チィさんの具合があまり芳しくなくなってから、
段々とカメラを向けられなくなって、
携帯では気軽に撮れるのに、カメラはすっかり触れなくなっていました。
だからこの写真も、少し前のチィさんです。
チィさん、今は病院の酸素室の中で、
すっかり痩せて針金細工の猫みたいになってしまったけれど、
小さな身体でとてもよくがんばっています。
残された時間が本当にあと僅かとなり、
今日、もう家へ連れ帰るのが難しいと判って初めて
恐る恐る触れていたのをやめて、以前よくそうしていたように
少し乱暴に「チィッ!」と呼んで、腰の辺りを軽く、ポンポン
とたたいたら、チィさんはもうよく見えていないだろうと言われた目で
はっきりと僕の目を見て、もう出なくなった声を、それでも出そうとして、
喉から「ぐー、ぐー 」と音をたてました。
ああ、どんな姿になってもチィさんはチィさんだ、と
当たり前の事に今更気付いて、何故撮るのをやめてしまったんだろう、
何故カメラを向けるのが可哀想だなんて考えたのだろうと、そう思いました。
毛艶が悪くなっても、肋が浮いても、
小さな身体で畏れず、嘆かず、その命を全うしていく姿が
どんなに美しいか、何故気付いてやれなかったのだろう。
こんなに穏やかな優しい目をして、静かに戦い続けていたのに、
どうしてそれを憐れだなどと思ったのだろう。
何故誇らしいと思ってやれなかったんだろう。
僕はもっともっと、撮り続けるべきだった。
それだけが残念でなりません。
これまで沢山の方に可愛がってもらって、
僕もチィさんもとても幸せでした。
いつだって堂々と我が道を行くチィさんだから、
きっと最期もそうするでしょう。
どうかあまり悲しまないでやって下さい。
そして出来れば、少しだけ褒めてやって下さい。
そうしたらチィさんはきっと自慢げに上を向いて、
目を細めて見せるでしょうから。
最期の日が、カラリとよく晴れた気持ちの良い日になるといいな、と思います。
チィさんは晴れた日が、本当に大好きですから。