さかなクンとわたし〜映画『さかなのこ』を観て〜

劇場に足を運ぶことが叶わず、代わりに観に行ってくれた姉からグッズの手ぬぐいをお土産にもらったのが昨年の残暑の頃。それからBlu-rayも発売されていたし、レンタルをすれば観ることもできたけど、何となく今じゃないなぁとずるずるきていたらアマプラの新着作品に入ったと人から教えてもらい、もう今日は外に出ないと決めた週末に観ることにした。

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思えば私はいつからさかなクンのことが好きなんだろう。何かきっかけがあったのかは思い出せないけれど、自分のSNSを遡ると2016年には見事なガチ恋に仕上がっていた。誕生日には似顔絵を描いて祝ったり、さかなクンが好きだと言っていたバリサク奏者のレコードを聴いてみたり、古着屋さんで見つけた魚柄のシャツをいつかさかなクンに会いに行く用に買ってみたり。かつて放送されていたラジオ番組「さかなクンのレッツ・ギョ~!!」にて投稿を取り上げて頂き、サイン入りの番組特製メモ帳が届いた時は飛び上がるほど嬉しかった。

比較的近い距離のショッピングモールにさかなクンがやってきた時に、初めて会いに行けた。誰に対しても分け隔てなく丁寧に接する姿を見て、ますます好きになった。キラキラと目を輝かせた子どもたちの群れに囲まれた姿は、紛れもなくスターだった。

私は何かに夢中になると周りが見えなかったり、子どもじみたことがずっと好きだったり、現実的な問題を対処する能力が欠けていたり、人の気持ちを上手く想像出来ず衝動に任せて行動してしまったり、これでいいんだろうかとしょっちゅう悩むけれど、さかなクンを見ていると「好きなものは好きなままでいい」と言ってくれている気がして、それがさかなクンを好きな理由なんだと思う。

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それで映画。

最初は知っている実話のエピソードなどもあってルンルンで観ていたけど、全体を通して心の中に小さな棘みたいな痛さがあって、観終えて他のことをしながらもぼんやりとミー坊(映画の主人公)やお母さんのことを考えたり、感傷的な気持ちからなかなか抜け出せなかった。(映画の感想を検索してみると「元気が出た!」という方もあったので、あくまで私の場合です。)

いつも元気いっぱいなさかなクンの笑顔の奥には、上手くいかなくて挫折したり、なかなか人に理解されず傷ついたりすることが今もあるのかもしれないという思いが、ハリセンボンみたいにきゅうきゅうに膨らんでチクチクと刺してくる。でもその痛みこそが、さかなクンを特別優しい人にしているのかもしれない。誰のこともぞんざいに扱わない、徹底して優しい人に。

それともう一つ、さかなクンのお母さんの生き方を思うと、果たして自分はここまで子どもの「好き」を信じきれるだろうか?という、また別の痛みがある。さかなクンさかなクンになるためには、広い海へと送り出してくれたお母さんの存在が不可欠だっただろう。映画には創作が含まれているという点を踏まえても、すギョい方だと改めて思う。

訪れる度に新しい発見を与えてくれる水族館のように、歳月を置いてまた見直してみたいと思える作品だった。

 

youtu.be

 

 

〜〜〜〜〜〜〜🐟おまけ🐠🐡〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2019年の記事ですが、読み返してみると映画で描かれていた場面と重なる部分もあり面白かったです。

手塚治虫生誕90周年企画 スペシャルインタビュー第9回 さかなクン【前編】|虫ん坊|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

美術を担当された方のインタビュー。

『さかなのこ』“好きなことに一心不乱”な生き方を育んだ一軒家 | CINEmadori シネマドリ | 映画と間取りの素敵なつながり

 

すいたペンギンバザールに行った話

 

ペンバザへの道

ペンギンバザールのことは知っていましたが、これまでなかなか行く機会に恵まれませんでした。今回背中を押してくれたのは、姉から誕生日プレゼントにコンコルド製菓さんの焼き菓子と、ペンバザのフライヤーが送られてきたことでした。

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たまたま通りかかった千里阪急の催事で見つけてくれたそうで、「ペンバザもコンコルドさんも気になってた!ありがとう!」と興奮気味にLINEをすると、「やっぱり知ってた!ペンギン界すご!」と返信がありました。

姉によると、店員のお兄さんに妹がペンギン好きで〜と伝えた途端に接客ギア上がり、「(すいたペンバザの開催を)妹さん知ってると思います。」と断言して、どれだけのイベントかを説明してくれた、とのことでした。会ってもいない私のペンギン好きを見込んでくださったことが嬉しかったのと、今回は地元での開催ということもあって、これは会いに行かなあかんなと思い至ったのでした。

いざペンバザへ

地図を見ながらお店を目指していると、三叉路がまるでペンギンの足に見え、す、すげぇ!と静かに高揚する気持ち。

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開催2日目の日曜日ということもあり、お店の外まで続く人の列が見え、志を同じくする人がこんなにも!と心が熱くなりました。SNSで見ていた看板ペンギンのペン太くんに「やっと会えたね。」と目で挨拶を交わした後、列へ。

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看板からもペンギン愛が伝わってきます。

ペンギンバザール物販の方2階へどうぞと案内頂き、ジェラートのショーケースを横目にワクワクしながら階段を登ると、屋根裏の隠れ家のような空間にペンギンがあふれていました。たくさんの作家さんの子どもたちが集っている様子は「コロニー」という表現がしっくりくるような、そんなあたたかさが感じられました。

初日に出てしまったのか密かに狙っていた商品は残念ながら推しペンギンのものが残っておらず、違う種のでもいいかなぁと悩んで主催者さんに話しかけてみたところ、私の推しペンは人気だということと、この作家さんは多作なので待っていたらたぶんまた出ると思いますよとご教授頂き、そうすることにしました。その子を最推しとされてる方の手元に渡った方がいいなと思えたので、見送って良かったです。

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ジェラート、ピスタチオをいただきました。ピスタチオ本物を何十倍にも凝縮したピスタチオでした。通常営業のときもまた訪れたいです。

 

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お迎えした商品たち。だいぶこじんまりしてますが...。ペンギン基金のバッジは、コンコルド製菓さんが立ち上げされる新ブランドのクラウドファンディングを実施されていて、売上の10%がペンギン基金に寄付されるということで、微力ですが支援させていただきました。(クラウドファンディングは2023年11月18日(土)〜12月25日(月)まで、店頭・オンラインショップにて実施されているそうです。)

Carina【旅するペンギン カリーナ】② クラウドファンディング始めます - Glacier Concorde

ペンギン基金

缶バッジ、キラキラしててかっこいい!

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そしてこれが、大事なことを考えさせてくれるきっかけとなりました。

 

いちペンギン好きとして

帰宅してから夕飯の買い出しへ行く途中で、小鳥が道で死んでいました。心の中で手を合わせながら、同じ鳥類のペンギンが今も絶滅の危機にあること、既に絶滅していったオオウミガラスジャイアントペンギンのことを思いました。子どもの子どもたちは、もしかしたら生きているペンギンを見られなくなってしまうのかもしれない。

私はペンギンから日々多くの喜びを与えてもらっているけれど、ペンギンのために何が出来るかということをこれまで考えられていませんでした。その視点を与えてもらったことが、自分にとって今回の一番大きな収穫でした。胸を張ってペンギン好きと言えるように、行動を伴っていきたいです。ペンギンのために出来ることについては、また後日まとめたいと思っています。

以上、ながいながいペンバザの話でした。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

不定期連載 やなみんとわたし 第10回「わたしのあしおと」

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やっと見ました。といっても、心地よさと慢性的な寝不足により半分以上寝てしまいましたが、芯から疲れが取れました。このBlu-rayは高級なチョコレートのように、また少しずつ摂取しようと思います。結ちゃんのセルフスローモーションを思い出して、それにしか見えなくなってしまう呪い。笑う時に口元を手で覆う仕草や、少し不器用な所や(いい意味で)、話し始めると止まらない所や、大好きなままなことを再確認すると同時に、もう会うことも話すことも一生無いんだという事実を突きつけられもしました。どうして私には他の誰でもなく、やなみんだったんだろう。

続けてこちらも見ました。

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未視聴のものをリスのように蓄えています。隙あらば豊富な語彙で笑いを誘う、饒舌な姫。ら行の発音が想像以上で、31のアイスクリームみたいに溶けそうになってしまいました。さらっと「最後」と言ってしまえるドライさに、終始救われてきたんだと気付かされたり。本人はどこまで意図していたかは分からないけど。

振り返って思うのは、やなみんとの出会いは自分自身の人生に向き合わせてくれたということ。今の自分は「人間的な成長」を遂げられているだろうかと常に問い続けてこられたこと。

最初で最後の片思いが、他の誰でも無いやなみんで良かった。お誕生日おめでとう。

2021年の自分より

2014年の自分へ

あなたのこれからには、人生で最大といっていいほどのうれしいことと、哀しいこととが待っていて、それでも今と同じピンク色のTシャツを身にまとい、またさゆみんに会いに山口へ戻ってくることができています。

2021年の現場はコールも推しジャンも無く、常盤駅の味のある駅舎は新しく改修され、ときわ公園には動物園が出来ていて、新山口の駅もアート色が強くなっていたり、街並みも変わっています。考えれば私自身も環境が大きく変わり、同じような毎日を送っているつもりでも全ては常に少しずつ移行していっていると痛感します。

この7年間、いくつもの分岐点を選んだ先でこの未来が待ってくれていたことをとても幸運に思います。2014年のわたしが発見した「さゆみんを好きな気持ちに従った行動は、必ず正しい方に導いてくれる。」という法則は、未だ破られたことがないどころか、より揺るぎないものとなっています。

さゆみんは相変わらず節目節目できちんと思いを言葉にしてくれ、それを聞く私は相変わらずめそめそとしています。会いたい人に会えない状況下で、自分を好きでいてくれる人がもう誰一人欠けてほしくない、また元気で会えますようにという切実な願いが言葉の一つ一つに込められているように感じました。想像しなかったつらいことのなかにもいいことはあるということを、SNSや公演を通じて証明し、少しでも希望をつなごうとしているように思いました。

昨今の哀しいニュースを耳にするたび、人をこの世に繋ぎ止めているものは何なんだろうと分からずにいたけど、「私が許すから許されて欲しいし、生きまくって欲しい」という、明確な答えを得ることができました。レポを探しても無いので記憶違いかもしれないけど「先の楽しみをあきらめたくない」ということもさゆみんは確か言っていて、この数年であまりにたくさんのことを無意識にあきらめてきていることにも気付かされ、それらを一つ一つをすくい取ってあげたいと思いました。もっと幸せになっていい。許されたわたしにはその権利がある。

この先もきっと想像もしないことが待ち受けていて、それでもその中にも必ずいいことはあるということを、そう信じられる気持ちをどうか持ち続けられるよう、これからの自分に願いを託して生きていきたいと思います。

続いていくSTORY

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ライブビューイングを見終えて映画館のエレベーターを待っていると誰もボタンを押しておらず、周りの人たちを見ると呆然としていて、本当に卒業してしまったんだなとしみじみ感じた。


スクリーンは、Juice=Juiceを卒業していくかなともの特別かわいい笑顔をいっぱいに映し出していて、時おりその表情が崩れそうになるのを、うえむーが隣にいて優しく受け止めていた。さらなる高みへと到達した瑠々ちゃんの歌声に、これまでの歳月と努力とを思い、まなかちゃんは器用そうに見えて、実はすごい不器用なのかもしれないと思った。感情が溢れそうになりながら、懸命に自分の役割を全うしようとしているように見えた。れいれいの伸びやかな声と自然体とは、場の空気をちょうどいい具合に和らげてくれていた。

パフォーマンスを見ていて最も心を持っていかれたのは、研ぎ澄まされた里愛ちゃんの歌唱と、取り憑かれたような由愛ちゃんのダンスだった。個々でも十二分に卓越しているのが、二人揃うとギアが変わったみたいにぐんと凄みを増す。曲前に二人でアイコンタクトをとっている横顔もめちゃくちゃかっこよかった。二人の存在に救われている部分が、技術面でもMC面でも多く見受けられた。ゆめりあいはハロプロの希望。


序盤は最近の曲が続いたので落ち着いて楽しめていたけれど、思い入れの強い曲が来るとパラレルワールドに迷い込んでしまったような感覚に襲われた。もう私の知っているJuice=Juiceはここに無いんだと現実を受け入れていく過程で、新メンバー3人だけのパフォーマンスを見た時、過去の幻影が取り払われた感じがあった。後ろばかり見ていないで、今ここに在るすばらしさにちゃんと目を向けないと。やなみんも、もうずっと先を歩いているだろう、と。

かなともは、最後まで主役になろうとしない人だった。自分よりも周りを心配し、自分の幸せよりも誰かの幸せを本気で願う人だった。

そんな本人に代わって、私たちは彼女を心配し、彼女の幸せを本気で願う。そうでないと、帳尻が合わないからだ。

必ず帰ってくると言ってくれてうれしかったけど、それさえ周りを気づかっての選択なのではないかと少し思ってしまう。「私にもみなさんが必要です」という彼女の言葉を信じて、ここだよ朋子!と帰る場所をみんなで守っていけたらいいなと思った。

 

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うつくしい日々

通勤途中の駅のホームで、連れ合いから早朝にLINEで送られてきていたURLの中身を確認すると、そこには大好きな人の名前と近況が書かれていて、鈍器で殴られたような衝撃と残暑の日差しとでしばらく言葉を失った。

まずこのニュースは鵜呑みにしていいのか?ここまではっきりと名前を挙げられているということは何%かは事実なんだろう。冷静になろうとするも感情の抑制が効かず、何度も記事を反芻し、そこに書かれてあることを少しずつ理解しようとした。

次に、彼女の選んだ相手がどんな人なのかを知ろうと思った。wikiを見ると既にその情報が反映されていて、再び心にずしんと重いものが来た。わたしの父親と同郷という個人的な理由で少し好印象を持った。

そういえば、そのバンドを好きな友人に頼まれて購入した配信限定の曲がiTunesに入っていたなと再生してみて、これらはあの子にあてられた言葉なのかもしれないという個人的な解釈によって、やっと涙が出た。車窓を飛び去る景色はいつもよりきらきらと白い光に包まれて見えて、あたたかな感情が流れ込んできた。

それから、iTunes Storeでそのバンドの最新アルバムを探し、購入したばかりのそれを聴きながら仕事に向かった。また涙が込み上げてきて、こんな風に誰かに心を動かされることが懐かしかった。

一般女性枠、強くない?と、同じく表舞台を後にした大好きな人たちを思い出して、同じ今日を生きられていることがただただうれしかった。

更衣室で着替えながら気がつくと履いてきた靴と仕事の靴とを片方ずつ履いていて、帰りの電車でこれを書いている今も降りる駅を乗り過ごしてしまった。まだ感情がつかめないけれど、今日はケーキを買って帰ろうと思う。

不定期連載 さゆみんとわたし 第26回「Make a wish」

自分なりに考えて決めたものの、この緊急事態宣言下にコンサートへ行くということを大っぴらには出来ず、戦々恐々とした心持ちでなんばhatchへ到着した。今日はすっきりと晴れ渡って暖かく、会場外にはオレンジ色やピンク色を纏った人たちがまばらに座っていた。中に入ると入場とドリンクのコインの機械、それぞれに列がなされ、思っていたより人が多かった。入場するには「大阪コロナ追跡システム」の登録が必要で、立て看板に貼り出されたポスターのQRコードを読みとりメールアドレスを入力すると、返信メールが届いた。これだけでいいんかなと半信半疑な気持ちで画面を見せると、はいオッケーです、と次に通された。体温測定は黒いカメラのような装置で、気をつけをする間もなく大丈夫です、と一瞬で通過。受付で手を消毒をし、机の上にチケットを置いて見せ、ドリンクのコインを券と引き換えて会場に入った。

座席の間隔は椅子1個分ぐらいで、ゴソゴソとサイリウムを取り出すのに隣の人と当たるのを気にしないで済んだ。まぁまぁ密なので少し不安になったけど、職場や電車に比べると感染リスクはずっと低いはず、という半ば強引な持論を自分に言い聞かせながら開演を待った。前の席に来た方は夏焼さんのパーカーを着ていた。

暗転して袖から舞台中央へとスタスタと歩いてくる演者たち。さゆみんがそこにいることの驚きと、また会えた喜びが沸々と湧き上がってくる。来る前に調べると2019年11月のサユラン希望ぶりで、再生の時とは違う、どちらかと言うと初めて娘。現場に来た時のような、うわぁ...本物やぁ...という感動がしばらくリフレインしていた。一曲目のイントロから全神経は舞台上に総動員され、開演前の不安は気づけば何処かにかき消されていた。ここに更に夏焼さんが入る予定だったことを思うとゾクゾクしたけれど、今はしっかりと療養されてほしい。

記憶している限りPINK CRES.を見たのは初めてで、特に小林ひかるさんは、この方が梨沙ちゃんの友だちかぁとしみじみ嬉しかった。二瓶さんの躍動感のある歌唱と小林さんの優しい声のバランスが心地良く、煽りも上手くて曲も楽しいしすぐ好きになった。風神と雷神、助さんと角さん、大野くんと杉山くん、そんな安定感。声質が近いのか、小林さんの「しゃくり」が一瞬山木さんの声に聞こえ、元カノを重ねてるみたいで失礼だし申し訳ないと勝手に反省した。さゆみんが何故か小林さんに対してだけSっ気が強いのが面白かった。きっと羨ましがるだろうなと、また山木さんのことを思った。

ソロになって初めて見るどぅーちゃんは「工藤遥」という看板を掲げて勝負している姿がかっこよかった。時折見せる切なさ、弱さが、多くの人を惹きつけるんだろうなと勝手に納得した。ソロで歌っていたさゆみんがどぅーちゃんの横に立つと一瞬でモーニング娘。の顔つきになり、両方を堪能できるのがとても贅沢だった。「道重さゆみです!」とビシッと手を挙げての自己紹介や、「工藤」という名字呼び捨てや、随所随所で娘。時代を思い出してグッと来た。MC中に足がつっている道重さんを気遣いつつ、淀みのないトークで場を繋ぐどぅーちゃんは頼もしいナイトのようで。二人が生み出す空気が懐かしくて嬉しくて、やっと自分の中の'14ロスが融解していくのを感じた。こんな日が来るとは。

さゆみんの足については、MCに入るまでつっていたことに気がつかなかったし、最後の曲が終わって歩き方が違うのを見てはじめて、ずっと痛かったのかと気づいた。自分にはとてもじゃないけど出来ない。(次の公演は心配なさそうだったのでホッとした。)

短時間にあまりに多くの感情が渦巻き、少し緊張したまま終わった1公演目を経て、2公演目はリラックスして楽しむことができた。さっきは恐縮ながら近すぎて使えなかった双眼鏡を覗いてみると、さゆみんの不敵な笑みがすぐそこにあり、いけない事をしている感覚に襲われハッ!と思わず視線を外した。衣装替えをしてから再度双眼鏡を手にしてみると、今度は潤んだ目があまりにキラキラとしていて、嘘やん可愛すぎやん!とパニックになりながらやはり視線を外した。

満たされた気持ちでMCを聞いていると、さゆみんの口から「亀井絵里ちゃん」という言葉が発せられ、思わず体がビクッと退け反った。スタバのティーラテにハマっているというさゆみんに、オールミルクのカスタマイズを「絵里が」おすすめしてくれたとのこと。亀井さんがあのかわいい声でオールミルクのイングリッシュ・ブレックファストを注文している光景を思い浮かべると、心があたたかくなった。飽和状態な所に「さゅぇり」という恩恵まで授けられ、神様は一体わたしにどうしろというのかと困惑してしまった。辛いことや思い通りにならないこともあるけど、こんなにいいこともあるのが人生。だからがんばるようにと、言われているように思った。

さゆみんを見ているといつも、不思議と自分自身に向き合っている。もっと好きなことをしていいし、好きな所に行ってもいい。本当は何がしたくて、本当はどこに行きたいのか。周りの人を大事にするには、何よりまず自分を大事にすること。また会える日までそのことを忘れませんようにと、ピンク色の光に願いをかけた。