いつクリはてブロ

いつになったらクリエイティブするの?

欲望の理論

最近『Lethal Company』にハマっている。
これは他のプレイヤーと4人までのチームを組んで、廃墟の施設に潜入してスクラップを拾ってくる、それだけのゲームである。しかしこれがめちゃくちゃ面白い。
ミッションに突入する→成果に応じて報酬を受け取る→その金を使って装備を充実させる→またミッションに向かうというプレイサイクルは『Phasmophobia』にかなり近い。
『Phasmophobia』は結構楽しくて一時期やっていたんだけど、個人的にはイマイチに感じる部分も多々あった。ゴーストの挙動が不規則なので特徴がはっきり現れる時とそうでない時があって推理が成り立たないことがままあったり、提示される追加目標も特定のアイテムを持っていないと達成できなかったり、なんか突然殺されたり、などなど。
『Lethal Company』はそんな『Phasmophobia』の不満点を解消した正統進化系という風に感じている。

『Lethal Company』で特によく出来ていると思うのは、欲望への導線である。
このゲームは「致命的な」という名前の通り、プレイヤーは常に死の危険と隣合わせとなる。ほんの少し油断するとその辺を歩いている恐ろしい怪物にぶっ殺されてしまう。ただし危険を避ける方法もちゃんと用意されており、経験を積んでいけばそれなりに生還率が上がるように出来ている。

スクラップの配置はランダムなため、廃墟入口の近くに落ちていることもあれば奥に進まないと拾えないこともある。
ついつい「今回はまだ全然拾えていないからもっと奥に進まなきゃ」という気持ちになるのだが、そういう時には必ず、避けられると思った危険が牙を剥く。欲張ったばかりに全滅ということもザラにある。
複数人でプレイしているので、誰かが「もっと行けるよ」などと言い出してそのままついて行くことになるなど、集団思考*1がそのまま実現してしまうこともある。
それでちゃんと大儲けできることもあるので、そういう成功体験に判断を狂わされることもある。


ゲームの種類にもよるが、この「進むか、引き返すか」はゲームの面白さにおいて最も重要なものの一つである。これをうまく演出できたゲームは素晴らしい出来になる。
私はこれを「欲望の理論」と呼んでいる。


欲望の理論の話をもう一つ。
少し前になるが、シレン6を遊んでいて物足りない部分があった。
それはこの欲望の理論に関係している。

私がシレンシリーズで初めて遊んだのはシレン2であり、これには「装備品かけ」「もののけ王国」「城の飾り物」の3種類のコレクション要素があった。
これらはそれぞれ、ダンジョンから特定のアイテムを持ち帰ることで村に展示品が増えるというシステムである。
展示品が増えたことによるゲーム上のメリットは無い*2ので、純粋なやりこみ要素ということになる。
そして、アイテム所持数に上限がある関係上、ダンジョンから帰るまでこれらコレクションのためのアイテムは所持上限を圧迫するお荷物でしかない。
プレイヤーには「どれくらい無駄なアイテムを持っていて大丈夫か」の判断が常に求められる。
これは『進むか、引き返すか」の変形であり、欲望の理論の一例である。

シレン6にはこの「持ち帰りたい無駄なアイテム」の仕組みがほぼ無い。
そのため、プレイヤーはただダンジョン攻略に有利なアイテムのみを選択すればよく、「ダンジョンをクリアできるか、できないか」だけを考えれば良くなるので、プレイ体験が単純になってしまう。
まあこれはこれで良いところもあるのだが、個人的には物足りない。


図にするとこんな感じ。下の方が繊細で重厚なプレイ体験が得られる。


幸い、シレン6は売れ行きが良かったためか機能追加が名言されている。DLCなども含めて、この物足りない部分が満たされることに期待している。
Lethal Companyについても、まだアーリーアクセスでアプデがどんどん来ると思うので、楽しみである。


store.steampowered.com

store-jp.nintendo.com

*1:複数人で相談した結果、単独の場合より不合理だったり危険な意思決定が行われること

*2:一応、強いモンスターはダンジョン攻略に役立ってくれる

RPGか、RPG以外か

mrgamehit.com

たまたまこういうのを見かけて、自分も次回は出したいな〜と思いつつ。


国内インディーゲーム、割と「ファンタジーRPG世界で」「モンスターを倒していくぞ」みたいなゲームばかりな印象があり、そうでなければ作品独特の世界を味わうことに重きを置いたゲームになっている(ノベルゲーとか、ホラーゲーもそうかな)。
これ実はデジタルゲームだけでなく、アナログゲームも多少マシとはいえそういう傾向がある。ゲームマーケットを見渡してもRPG的世界観のゲームは本当に多い。


私はボドゲの民なので、牧場とかお店とか町を経営・運営したり未開の地や宇宙を開発・発展させていったりしたい。もちろんそういうゲームが全く無いわけではないけど、海外インディーゲームに比べると作る人が全然いないんだろうな〜と感じる。


自分で作るとしたらそういうところをどんどんやっていきたいんだけど、
「供給が少ない=満たされていない需要がある」
とは限らないのが難しいところ。


ファンタジー世界でモンスターを倒していくゲームが多い理由は、「ゲームを作るなら当然ファンタジー世界でモンスターを倒さなきゃ」と考える制作者が多いからなんじゃないかと思っている。まず自分の知っているものの真似から入るのが創作活動の常なので。
つまり、需要に合わせて供給が発生しているわけではない。だから需要はそれなりにあるはず、と私は見ているんだけどね。


今年は夏コミを同人ソフトで申し込んだし、この仮説を検証していく一年にしたい。といっても、もう今年も1/4は過ぎ去ったんだよね。時が経つのは早い……。

Written Record

ブログを書くにあたり、このブログの過去の記事を何となしに読み直していた。昔の自分の文章って結構面白い。
ノリがキツくて恥ずかしいのもあるが、そこも含めて味がある。
マメに文章を残しておかなかった時期はそのまま暗黒時代(歴史用語)となっているので、それを後悔し戒めると共に、ブログ更新へのモチベに繋げていく所存であります。


先ほど、Youtubeでふと目に付いた、ちょっと昔のエロゲのストーリー解説動画を見た。
個人的な感覚として、動画は情報を得るペースをコントロールしにくいため、情報を得るには文章の方が優れていると感じることが多い。
で、エロゲのあらすじや感想というのは、昔はオタクがせっせとブログに書いていたわけで、動画を見るよりもそれを探した方が早いと思って、動画視聴を中断してそれらを読んでみた。
しかし、オタクの文章はその場のノリと身内受け狙いで書かれていてマア読みにくい。あまり読まれることが考慮されていない。
その点、解説動画というのは、解説という体になってるだけあってとても親切に感じた。
情報の取捨選択という点でも解説動画は優れていて、動画は長くなるほど制作が大変になるし視聴継続率も下がるので釣り合いが取れる。
文章は長文を書くコストが比較的低いし、オタクは長文を書きたがるので、そういう点でも読まれることが考慮されていない。
なるほど解説動画が流行るのはある種の必然なのだなあと思った。


そこで思い出したのがちゆ12歳で、あそこの記事は読みやすくてテンポが良くボリュームも丁度よい。
笑いを取るための構成になっていることを除けば結構解説動画と似ている気がする。
それを20年以上前からやっているわけだから、才能ですよね。

声優の結婚

もし井口裕香さんが結婚した(結婚していた)としたら、僕はこめかみに電動ドライバで5cmネジを打ち込みますので、結婚しないでいるか、結婚していることを隠し通してほしい。

ちなみにこちらは昨日発売された井口裕香さんの写真集です。